SAOエクストラストーリー   作:ZHE

6 / 159
第6話 不意の運命(アブラプト・フェイト)

 西暦2022年12月6日、浮遊城第2層。

 

 現在、時刻は午後1時ジャスト。

 重要な日ではない。誕生日でもない。ただ、なぜかセオリーに則らない行動をし、余計なことを繰り返した奇妙な1日だった。

 定期的に訪れる飽きの一種である。ゆえに俺はこの日、レベリング真最中であるはずの時間帯に第2層主街区《ウルバス》を訪れていた。

 のらりくらりと、あてもなく街を歩く。クエストの達成報告がてら寄ったはずが、そのまま貴重な時間を俺は2時間もこうして観光に費やしている。初めて高いレストランに入店し、パスタらしき紫の物体を食べたが、散財に対して発散できたストレスは少ない。意外にも味はイケたが。

 

「(なぁんかやる気でねーな……にしても、戦わねぇ奴も主街区には来んのか……)」

 

 そうして、ぼけーっと街の隅に座り込んでいると、想像以上の人の多さにふとそんな感想を抱いた。

 もっとも、予想できたことである。いくら《はじまりの街》がプレイヤーを内包しきるキャパシティを備えていようと、さすがにやることもなくなってくる。これ自体がゲームなのだから当然だが、娯楽施設というものは中々追加されないものだ。

 宿があまりにも格安なので寝泊まりは1層で済ますだろうが、実際モンスターが進入してこない主街区だけなら、戦うことを放棄したプレイヤーにとっては唯一の刺激と言える。

 各々第2層の解放を聞きつけたプレイヤー達は、どこから湧いてきたのだろうと思わせる人数で新しい街を闊歩(かっぽ)している。しかし、それらの多くは緊張感のない顔で、俺と同様にひたすら(いとま)をむさぼってばかりだった。

 明らかに『殺し合い』を知らない。平和の享受に甘んじ、それを当然のものだと認識している顔。

 

「けっ……ノンキなもんだ。俺らが汗水たらして攻略した街を……」

 

 遅れながらも攻略に乗り出したプレイヤー達はまだいい。

 しかし5割の人間はただ『住んでいるだけ』だ。そんな自分勝手でゴミ以下な行動力しか持たないプレイヤーも、各層の主街区を繋ぐ《転移門》さえあればこうして自由に上がって来られるのだから不平等である。税を徴収してもいいかもしれない。

 何もしない。そんな奴らに、上層に来る権利などあってたまるものか。

 

「あ~あ。ザコ共がわんさかと……やってらんねェ」

 

 わざと聞こえるように通行人に吐き捨てる。彼らは面倒ごとを避けるように目をそらし、それとなく離れていった。

 βテスターだったからこそ手に入れられた知力と経験。そんなことはわかっている。だがこの際、溜まってきた俺のフラストレーションを抑えるものがなけなしの理性だけでは足りず、こんな愚痴を次々に口から漏らしてしまった。

 そして俺はこの行為を後になって後悔することになる。

 なぜならこの一言が、この後の俺の生き方を大きく変える1歩に繋がったからだ。

 

「あたし、そういう言い方好きじゃないな」

 

 言いたい放題こぼし終えた数秒後に、いつの間に後ろに立っていたのか、見知らぬ黒髪の女が話しかけてきた。

 その美貌に一瞬……本当に一瞬だけ息を飲んでしまう。鼻までかかる前髪の奥に、唯一目視できる右目も澄んだように漆黒。身長は年々伸び続けると聞く日本平均のそれよりも確実に高いだろう。おまけに体の線の細さに似合わず健康的で、締まった肩とくびれに、コスプレ以上に戦士然とした風貌(ふうぼう)。あと俺得なのは、スラッと伸びた細い脚。

 こいつの容姿を正直に表現すると、『モデルにでも誘われてそうな奴』だろうか。

 しかし当時の俺は、この女が俺にもたらす未来の変化を予期できるはずもなく、この世界での女性が珍しいと思いながらも、自分の正義を信じたままつい言い返してしまった。

 

「ああ、んだてめェ?」

 

 と。

 息をするように紡がれた言葉は、初対面の人間にはいささか礼儀のないものだった。それでも俺は上から目線の声調にイラつきも増し、見た目15、6の女に強い口調で脅しをかけた。

 女は眉を少しだけピクリとさせ、特に臆した風もなくさらに言葉を続ける。

 

「さっきから聞いてるけど……アンタが下品だって言ってるの。攻略しているのは自分だけじゃないし、してないプレイヤーを罵る権利もない。アンタのその考え、いかにも《ビーター》らしいわ」

「…………」

 

 早速《ビーター》と来た。これは面白い。しかし逆に、肩の緊張が抜け呆れて溜め息が出そうになった。

 危惧(きぐ)していたことはまさにこれだ。今でこそ『キリト』が悪のビーターと言う考え方が主流だが、このように『悪のキリトと同じ考えを持つ人間』がビーターと呼ばれ出したらもうお終いだ。後はねずみ算のように《ビーター》イコール『自分勝手な元テスター』となっていくに違いない。

 噂とは往々にして誇張拡大されていくものだと古今決まっていて、これがプレイヤーの隅々にまで行き渡る頃には、その意味が示す真の由来など影も形もなくなっているだろう。

 

「ンだよ、正義厨か。メンドくせぇったらねェな。あんたってさァ、歩きスマホいちいち注意するタイプだろ?」

 

 しかし普段の俺ならここの時点でシカトを決め込んでいただろう。さっさと退散だ。だがなぜか、本当になぜかこの時だけは言い返したくて仕方がなかったのだ。この鼻持ちならない高飛車な説教女を黙らせたくて仕方がなくなった。

 だから俺はその本能に従った。

 

「……それともアレか。最近ハヤりのPKか、あァ? ケンカふっかけたりして、逆に触られたところを牢屋送りにするっていう。……いいよなァあれ、飛ばしたプレイヤーも設定によっちゃ武器をドロップしていくしよ。しかも《ビーター》ときたモンだ。ハッ、マナーわきまえてねーのはむしろォ?」

 

 ここで言葉を切って女をジロジロ見る。女はこの世のものとは思えない(さげす)みきった目を向けてくるが、あいにく俺にはチクリとも来ない。

 なぜなら、売り言葉に買い言葉といった風に言い返してしまったが、俺の言うこともあながち嘘ではないからだ。

 街や村は基本、犯罪防止規定が適用される《アンチクリミナルコード有効圏内》であり、これを通称《圏内》と呼ぶ。この《圏内》において誰もが知る1番有名な付随効果は『ダメージが一切通らない』というものだ。

 つまりこの保護コードがはたらいている限り、喧嘩に負けても死ぬことはない。わざわざ盗まれるような不注意はないが、所有物の保護や不正アクセスにも対応していると聞く。腰抜け共が《はじまりの街》から1歩も外に出てこない理由がこれである。

 そしてこのゲームにはもう1つ、《ハラスメントコード》なるものも存在する。

 上記のものとは似て非なるもので、ようはセクハラ対策を指す。

 これのおかげで、主に女性は男性に何かをされた、あるいはされそうになったとしても視界の左上に発生したボタンをフォーカスし、それをポチッと押してやれば、《はじまりの街》にある《黒鉄宮》の監獄エリアに飛ばせるという寸法だ。ちなみに同性には適応されないため、一部の特殊な人種を阻止しきれない欠点も付け加えておこう。

 さらにそれを利用して男を監獄エリアに飛ばす《擬似PK》のことを俺は指摘したというわけだ。

 腕を掴んで外へ、なんてことになればたちまち個室行きとなるのだから、《圏内》では女も強気になるはずである。

 

「最っ低……」

「こっちのセリフだ。1層ボス戦にはいなかったよな? リスク背負ってんのは前線組だっつの」

「だからって……っ!!」

「いるんだよなァ、あんたみたいなカン違い女。正直なんもしてねぇゴミッカスのために頑張ってる俺らをさァ、見さかいなしに《ビーター》とか言っちゃうあたりも」

 

 饒舌(じょうぜつ)に話す俺の言葉はしかし、バシッ! という音と衝撃に阻まれた。原因は目の前の女が俺の頬をひっぱたいたからだ。

 当然《圏内》にいる俺にダメージはないし、目の前の女を示すアイコンカラーも犯罪色(オレンジ)にはならない。しかし視界を覆うチカッとしたライトエフェクトと平手打ちを再現しようとするサウンドエフェクト、さらには少しだけ発生したノックバックが俺を黙らせた。

 女は怒りもあらわに口を開いた。

 

「あっ……あんたねぇ。攻略しようとしてることは凄いと思ってる。でも、あんたがソレ(・・)じゃ全然誉められないよ! ……前線にいない人だって必死に頑張っているッ……自分から助けたことはある? 手を差し伸べたことは!? もう少し周りの人のことも考えてあげて! 必死さは人それぞれなんだから!」

「あん……だ、と……?」

 

 驚いて生唾を飲む。剣幕に飲まれて俺は(うめ)くとしかできなかった。

 それだけではない。女の指摘が図星だからだ。

 

「全員が意識を変えれば攻略はもっと早く進む。言葉でマウントとって、その時ばかりの優越感に浸ったり……そんなのまったく意味ないでしょ。あたしも遅れた人の手助けを頑張るから、そういう考えはやめて」

「…………」

 

 普通、初対面でここまで説教する奴なんていない。弱肉強食のSAO界ではなおさらだ。

 しかも、目の前にいる奴は宗教にハマったような奴でも、自分に陶酔したナルシでもないように見えた。それどころか、比較的マジメなことを言っている。リアルなら相当なドン引きものの発言だったが、美人なら失言も許される例の現象を差し引いたとしても、2022年現在では珍しい部類だ。

 されど相手の言葉にはこうも言い返せる。

 ――それで俺にどうしろ? と。

 こいつには大事な前提が剥落(はくらく)している。俺1人がこの考えを改めたところで、同じ考えを持つ人間は何十、何百、果ては4桁を超える数がいるかもしれないのだ。彼らのことはどうするのか。それともまさか、全員に言って聞かせるつもりか? 1人1人順番に。それでいざこざもなくみんなで攻略?

 バカバカしい。

 ヘドがでる。

 こんな極限状態であれ、それができないから、人間はいつまでも醜く自己中な争いをするのだ。

 その証拠にデスゲーム開始直後からテスターの9割以上は仲間を捨て、ビギナーを捨て、テスター同士で徒党を組むなど利己的な行動をした。そこには右も左もわからない初心者に対する思いやりなどなかった。

 人類誕生からこの歴史上、争いや競争が途絶えた時代はない。

 女の意見は夢物語だ。常識的に考えて、歪なのはこの女自身なのだ。

 しかし、今思えばここが最後の分岐点だったのかもしれない。俺はなおも感情を吐露(とろ)するべき場所を間違え、目の前の女に語気を荒くして言い返してしまった。

 

「ハ、ハハハッ。何を言い出すかと思えば……聖人じゃねぇんだぜッ!? みんなで仲良く赤外線オンラインでもねェんだよ! ことMMOじゃアンタの意見はリソー論だ。ヘリクツも結構だけど、人は俺みたいな考えを持つもんさ! ……ハ、ハハ。そうだよ……だからさ、てめェの意見を俺に押しつけんな!!」

 

 ――どうだ、完全に論破だ。ざまぁみやがれ。これでこいつも……、

 

「意見の押し付け……ね。その狭い価値観しかないあなたの意見こそ、あたしにとっては一方的な押しつけよ」

「……ん、だと……?」

 

 あれだけ一気に()くし立てたというのに、まるでそう返されることが予想されていたかのごとく、自然な口調で女は続けた。

 

「事実を言っただけ。みんなが協力し合えば攻略は早くなる、って。あたしは人の協調性を信じてるし、今後も諦めないわ。それに、あたしは押しつけてない。いまの言葉に思うところがあれば、あなたも真剣に考えて欲しい、と言ったの。考えても結論が変わらないならまぁいいわ。それだけよ……」

「ンの善人面が……わっかんねぇのかッ……」

 

 ――自信の正当化しか頭にない。

 

「(……ああ、くっそ……。くそッたれ!!)」

 

 俺の声に周りの数人もこっち反応していた。突然言い淀んだせいか、目の前の女も首をかしげている。

 しかし、それを気にしていられないほど、うるさく響くあの声が俺を追いつめようと語りかける。

 その極論じみた意識が自身を、あるいは友を殺すと。

 正論だ。わずかに残留する善良心はいちいち正論しか言わない。そんなこと、誰も聞いていない!

 

「るっせえなああァッ!!」

 

 本気の咆哮に今度こそ付近のプレイヤーが全員俺を注視した。

 

「……ハァ……ハァ……くっそが……俺はやってねぇ……カズは死んでねぇッ!!」

 

 言った瞬間、女の方が驚いたような顔をした。

 しかし限界だった。理由なんて問いただす間も無く、俺は人垣を分けて走り出す。目の前の女から、周りにいたプレイヤーから、そして心の声から逃げるために。

 女のことはいい。周りの連中も知ったことではない。だが頭から離れないことがある。

 それは……、

 

「(ハァ……ハァ……違う! ……俺はカズを、ルガトリオを殺してねぇッ!!)」

 

 走りながらも念じ続けた。この世で最も醜く、最も手前勝手な願い事を。

 俺が速攻で見捨てた中学の時の友人よ、どうか今も都合よく生き延びていてください、と。

 心の声を聞かないために。肩や頭に何かをぶつけて終いには人のアイテムなどを蹴り飛ばしながら、そのまま2、3回曲がっただけで俺は脇目も振らずに主街区を走り抜けた。

 フィールドに出れば目的が生まれる。目的があれば前進できる。

 

「モンスターだ……ハァ……ハハッ、そうだ……レベル上げだ……サボった分を、今からやろう……ッ」

 

 この言葉を最後に後はうろ覚えだ。だがフィールドを駆け、モンスターとのエンカウントを繰り返し、持っていた回復アイテムの許す限りの狩りを続けたのだろう。

 次に最寄りの《圏内》に入る頃には日付が変わり、日が昇っていたことだけが今でも記憶に刻まれている。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。