SAOエクストラストーリー   作:ZHE

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第48話 華の街(フローリア)

 西暦2023年11月12日、浮遊城第46層。

 

 時は夕方、場所は主街区。そして宮殿の一室のような不自然な遺構(いこう)には、油臭そうな野郎集団が集まっていた。フロアボス討伐のため緊急会議である。

 思えば長いものだ。俺が1層のしがない商業街である《トールバーナ》において、ディアベル主導のもと初めてこれに参加したのが去年の12月2日。ということは、あとほんの少しで1層攻略から1年がたつ計算になる。

 正直苦しいことも辛いこともあった。いや、経過した日数から割合で換算すると、それは楽しかった時間などよりも圧倒的に長かったのかもしれない。

 それでも攻略組は帰還への希望を捨てなかった。極限下にも対応する適応能力、そして着実に進む攻略状況がわずかな希望をもたらし、俺達は現在もなお前進し続けている。

 実際、手慣れたものだと思う。

 初めのうちは何を話せばいいのか、攻撃役と防御役はギルドを無視するべきか、そもそも攻略の時だけ参戦するメンバーを信頼していいのか等々、とても万全とは言えない形で挑むことも往々してあったものだ。

 それが今では会議の話はスムーズに運ばれ、ものの15分足らずでそれらは終了。30分だけ武器のメンテナンスと各種ボス戦対策の所持アイテム調整時間だけ設けられたら、あとは実質自由時間だった。

 ちなみに俺はというと、その時間を有効活用するために、初めて立ち寄った狭い鍛冶屋でメインアームの最後のプロパティアップをしているところだった。

 

「(ん~、やっぱ速さ(クイックネス)正確さ(アキュラシー)補正は剣を振る感覚から変わってくるからなぁ)」

 

 だが俺はその肝心の強化内容に少し迷いが生じていた。

 『システムアシスト』というものは、脳死でひたすら受ければいいというものではない。

 例えばラストアタック。

 ターゲットの体力ゲージをあとほんの数ドットまで追い詰めたニアデス状態で剣技(ソードスキル)を発動した場合、それはきっと『オーバーキル』として扱われるだろう。そうなれば行動遅延(ディレイ)、悪ければ行動不能(スタン)状態になってしまうかもしれない。パーティハントならいざ知らず、ソロ活動をしている最中の集団Mob相手ならこれらは致命的なロスである。

 つまりボス戦前の武器強化とは言え、何でもかんでも強くすればいいわけではないのだ。例えば《重さ(ヘビィネス)》補正なんて最たるもので、一撃の重みと引き替えに剣を振る感覚がわずかに歪む。

 ちなみに《両手用大剣》カテゴリの武器は基本硬く、重い。丈夫さ(デュラビリティ)や《ヘビィネス》をいじるまでもなく、端から特徴の一部に組み込まれている。だから、本来なら不足しがちのアキュラシーやクイックネスに割り振りたいのだ。

 だが先述の通り現在はボス戦前。

 

「(ん~悩ましいけどしゃあない! ここは無難に鋭さ(シャープネス)を強化して、とりあえず切れ味の確保だけでもしとくか。金はあんだし……)」

 

 妥協を避けるタイプの俺にとって、この選択は断腸の思いだ。

 しかし時間がないのもまた事実。俺1人が相棒のプロパティ編成に悩んだからと攻略を遅らせるわけにはいかないので、大人しくNPCにシャープネス用の強化素材を出してもらうよう頼む。店頭に張り出されていた手作り感あふれる売買表の相場に合わせ、コルをストレージ内から物体化させた。

 そしてそれを手渡しつつ、2分ほどの待機時間を経て無事強化に成功した今の愛刀《クレイモア・ゴスペル +6》が返ってきた。内訳は3Q2A1Sで、至ってありがちなプロパティ構成(ビルド)だ。

 しかし改めて数字で見ると、やっぱり違和感。アキュラシーに振ればよかったと絶賛後悔中。

 

「(ま、いいか。強化上限はまだだし)」

 

 非常に重量のある無骨な鉄塊で、特殊能力こそないがそこも含めて気に入っている。まず製造法が好きだ。同金属レアメタルインゴットを大量に使用した古式鍛造方式で、飾り気のない、よく言えばシンプル悪く言えば地味な両手剣は、今となっては背中に納めていないと落ち着かないレベルで俺に馴染んでいる。

 11層主街区である《タフト》で、メインアームを《フィランソル》から《ウェスタンカルテ》へ、そして16層迷宮区でのレアドロップで片刃の大曲剣《ブリリアント・ベイダナ》へと変更する頃には、1本1本の武器に換えの利かないユニーク性が出ていた。俺は比較的早い段階で大業物であるベイダナを手に入れていたが、そうでなくても攻略組は遅くとも23~24層の時点では、メインアームを『ソードアートで唯一の相棒』として各々(おのおの)大事に扱ってきただろう。

 俺にとってゴスペルも他の剣に代え難い俺の半身となっている。

 当然、22層から34層まで使っていた悪趣味な骨塊刀《ファントム・バスター》や、そこから44層まで使っていた両刃の焼尽剣《リシュマルド・タロン》のことだって忘れてはいない。今でも抱き枕にして眠れるほどだ。

 しかし今の俺にとっては、やはりこの《クレイモア・ゴスペル》こそが攻略を共にする相棒である。

 

「あら、シャープネス強化?」

 

 と、そこで後ろから声をかけられて俺はその声の主を悟りながらもら少しだけ躍らせて振り向いた。

 予想(たが)わず相手はヒスイ。相変わらずきめ細かい黒髪とスレンダーな脚が艶めかしい。

 

「よ、おひさ」

「久しぶりね。この間会った時はアキュラシーを上げたい、とか言ってなかったっけ」

「そんな前のことよく覚えてるな。……いいんだよ。今は非常時、つーかボス戦前だから、あんまイジると剣が鈍る」

「ふふっ……いえ、ごめんなさい。でも何だか可笑しくって。あたし達、真顔でおれの剣が鈍る~なんて言っちゃってるのよ? ふふふっ、異常だったなはずが、すっかり日常になっちゃったねぇ」

「あ……ああ、そうだな。ハハッ、何かハズいな。今さらだけど」

 

 俺もつられて苦笑い。

 今でこそ寝ても覚めても剣や防具、またモンスターとの戦闘や迷宮区のマッピングなどの効率化方法を日夜頭に浮かべているが、本来ゲームに住むキャラクターでもない俺達が、勇者よろしくこんな会話をするなんて夢にも思わなかったのだ。

 

「ずいぶんたったよなぁ。もうすぐ半分だぜ? 俺やヒスイなんか、ずっと、ずぅっと頑張ってきたもんな」

「……1層から、って意味ならあなたの方が長いけどね」

「んなこたねェって。それに……ヒスイがいなきゃ俺、どっかでノタれ死んでたか、もしくはオレンジの仲間入りだ。マジでサンキューな」

「な、なによ急に。別にあなただけ特別ってわけじゃないから! 他にも更正した人なんてたくさんいるし。……そ、それにジェイドはその素直さをレジクレの前でもやるべきよ。あの人達も筋金入りの善人よ?」

「ああルガ達な。……いいんだよこれで。それに、こんぐらい大雑把につき合っといた方があいつらのためにもなるしさ」

 

 話しながら今度はヒスイがプロパティアップの作業に入った。

 ひと月前に会った時、『プロパティ変更』の強化ミスが起きたことを覚えている。もっとも、アップしてしまったのは《アキュラシー》であり、もともと強化しようとしている《クイックネス》の次に強化しようとしていたものらしい。順番が少しばかり狂ったのと、特定素材の採集狩り地獄が多少延びただけだ。

 待っていると彼女の剣も無事強化を終えたのか、ご機嫌な顔でくるっと振り向いた。確か彼女のもレアドロップもので、銘を《ファン・ピアソーレ》とする業物だったはずだ。すらっとした剣身に彼女そっくりの黒い鍔と柄。お気に入りだと言っていたのを覚えている。

 この世界でいう剣の強化とはまさに自身の強化でもあるため、さぞ嬉しかったのだろう。

 

「ふふっ、強化成功~っと。リアルラックって言うのかしら。これって9割にして失敗する事もあれば、今回みたいに8割もないのに成功することもあるよね」

「そりゃあな。武器強化なんて毎日行われてることだから、例え1パーセントの確率でもちょくちょく目に付くのがMMOってもんだ」

「そうね。あ、あたしはこれで失礼するわ。この層も死者無しで抜けましょ」

「おう! んじゃあな」

 

 手を振って彼女を見送っていると数秒後には唐突に肩をたたかれていた。

 俺は「ん?」となりながらも振り向くと、何とそこにいたのは攻略組小ギルド《サルヴェイション&リヴェレイション》がリーダー『アギン』その人だった。

 髪はロングでの基本色は黒だが赤のメッシュを入れて個性を出している。その脇には付き添いのように『フリデリック』の姿も見受けられる。彼は金髪で、アギンとは印象も変わって髪の長さはショート。2人共長身なうえに、とても女受けしそうないでだちである。超イケメンだ。現実世界の体を忠実にコピーした今のアバターから判断すると、彼らは着痩せするタイプと見える。

 それにしてもここの鍛冶屋はかなり穴場のはずだが、まさかヒスイ以外にも人が来ていたとは。

 

「よっ、おひさ」

「あいさつパクるな。……ま、久しぶりだな。フリデリックも。そういやレジクレと違って、SAL(ソル)は今回フルメンバーで討伐隊に参加するんだっけか」

 

 2人とも4層からの戦友と言って差し支えないだろう。考えてみればお互い同意の元で共闘したのはヒスイやクラインのギルド、また彼ら2人と共に《ザ・ヒートヘイズラビット》を討伐した時が最初なのかもしれない。

 1層のキリトやアスナがカウントされないのは、俺が半ば強引にチームへ滑り込んだにすぎないから。少なくとも当時のアスナには俺の参加を嫌がっていたようなイメージもある。

 しかしアギンの奴がすっかり黙り込んでいる。俺の顔に何か付いているのだろうか。

 

「なあジェイド、おれは今までお前のことをデキの悪い弟かなんかだと思ってたよ。歳の差はあるけどさ、なんかこう、恵まれない薄幸者っていうか」

「うっ、そりゃ間違っちゃいねぇけどひどい物言いだな!」

 

 しかしアギンの例えはやや意味不明な感じだった。的外れと言うか、まるでこの短時間で俺に劇的な変化でもあったかのような。何か伝えたいことがあるのだろうが、意味深発言が大好きなミンス並に遠回しな言い方である。

 そんな俺を無視して彼は続けた。

 

「低層の頃からなんだかんだで付き合い長くてよ。ジェイドが悩んだりつまずいたりした時は、何度も相談に乗ってやったものだ。なあ?」

「ま、まあそうだな……どうした今さら」

「そこでおれ達は約束したはずだろう。女関係も逐一俺に報告するってな。ジェイドに悪い虫がつかないか、目の肥えたおれらがきちんと見極めてやるってのに」

「いやそこは違う! そんな約束はしてねぇぞ!?」

 

 とうとうおかしな発言まで出てきてしまったので一応止めに入る。と言うより今のはどういう意味だ。

 もしかするとヒスイのことを言っているのだろうか。とすれば、それは勘違いも甚だしい。

 

「あのなぁ、何となく言いたいことは理解したよ。どうせヒスイのことだろ? 言っとくけど、俺とあいつはマジで何もねーぞ」

「嘘付け、おれは知ってんだぞ。幾度もボス戦で声を掛け合ったりチーム組んだり。『あの事件』だって事の大きさに隠れがちだけど、お前がヒスイさんと一緒に行動してたのは有名な話だ。ったく、デキてんならお兄さんに言ってくれよな~。お前のめでたい話なら仲間も呼んでパーティでも開いてやったのにさ。なあ? リックもあの時は見てたろ?」

「アハハ。見ましたね、確かに」

「いや俺そういうの苦手だし……てかデキてないって!!」

 

 不思議なトークに流されてついノリ突っ込みをしてしまったが、アギンの言う『あの事件』は残虐の限りを尽くした奴ら(・・)の事件のことだろう。

 多くのプレイヤーとってまだ記憶に新しいはずのラフコフによる《殺人ギルド宣言》。血盟騎士団(KoB)の連中の中には、あの凄惨な光景を前に鬱状態や恐慌状態に陥った人間もいる。当の俺とヒスイもしばらく動くことすらできなかったほどだ。

 これは直接見ていない《圏外村》での待機組も同じだった。

 作戦失敗による脱力感もそうだが、何より本来助け合わねばならないはずのプレイヤー同士の殺し合いだ。誰だって乗り気ではなかったし、やるなら1回きりにしたかったのだろう。

 しかし、まんまと全員に逃げおおせられた。おまけに死者の数は当初予測されていた『最高2人』から一気に飛んで、7人も生まれてしまったのだ。意気消沈しない方がおかしい。

 アギンが冗談を言えるようになったのは、やはりあの事件から1ヶ月という時間がたったからだろう。忘れたわけではないが、戒めとして、糧として、人々が乗り越えるべきと捉えるようになった証拠だ。

 彼もそう思ったからこそ話題に出したのだ。決して死者を愚弄しようとしたわけではない。

 それにしても腕を組んで頷いたり、両手を顔の高さまで持ってきて抗議の構えを示したり、ガキんちょのように地団太を踏んだり、とにかく仰々しい身振り素振りで言葉では表しきれない感情を表現しているがはっきり言ってシュールだ。見かけによらずガキっぽい。

 

「こら先輩、子供をからかうのはみっともないっすよ。他人の空気を読んでこそ器の大きいリーダーってものです」

「ちぇ~、こっちは浮いた話題ねぇし、いいじゃねーかたまにはさ。しかしリアルにフィアンセ置いてきた奴は余裕の構えだな」

 

 俺はそれを聞いて「なに、フィアンセだと!? 聞き捨てならんな、そんなうらやま……裏切り者は今すぐ三枚におろしてやる!」と内心で思っていたのは内緒だ。

 しかし、認めるのはプライド的にシャクだが、見た目そこそこイケてる感じのこいつらに、ギルドメンバーの女性率がゼロ割と言うのも意外な話だ。たった今聞いたフリデリックのリアル事情の件から、危惧されていた特殊性癖の集団ではないことは判明したが。

 ただ、こうもわかりやすく女に飢えているとアピールをしなければ女性の方から寄ってきそうなものである。

 

「(みんなも大変だな~……)……お、そろそろ集合した方がよくねぇか。こっから北ゲートまで結構あるぜ」

「ホントだ、結構話し込んじまったな。んじゃおれらはこの辺で」

「先輩! 何のためにメンテナンスに来たんすか……」

「……この辺で一丁メンテナンスだけ済ませてから向かうから先行っててくれ」

「……わかった」

 

 ――アギンの奴、ボケ始まってんなこりゃ。

 なんて、俺も人のことを言えないような気がしないでもないが、俺の記憶力の壊滅っぷりはまた別の話だ。

 それにしても、これでギルドリーダーとして攻略組に1年以上在籍しているのだから驚きである。

 救済と解放の組織(サルヴェイション&リヴェレイション)。通称《SAL》。彼のギルドの名はこの世界を無事に抜け出したその時に本当の意味で完成を見るのだと、照れくさそうに教えてくれたのを今でも覚えている。そのあと照れ隠しなのか笑って誤魔化していたが、それだけはきっと本心なのだろう。

 

「(俺ももっと頑張んないとな)」

 

 何かに触発されたわけではないが、俺は独り心の中でそう誓うのだった。

 

 

 

 主街区出発、迷宮区踏破、フロアボス討伐という過程に計2時間と少しほどの時間を費やして、俺達攻略隊は今、ボス部屋の先に続く次層への螺旋階段にいた。

 ちなみにボス戦は派手な割にはあっさりと終わってしまった。

 敵はプレイヤーにとって初見となる『大型ドラゴン系』Mobが3体で、登場時のサウンドエフェクトやアクロバティックな動きに各自感嘆を漏らしたものだ。

 それ以上に「飛行系がボスかよ。メンドクサいな……」という気持ちの方が大きかったかも知れないが。

 もっとも、湧出(POP)した敵に『腕』が生えていなかったことから分類上は『ワイバーン』になるのかも知れない。それに生物学的上――リアルに存在はしないはずだが――知能が高く、ブレスを吐くことも『ドラゴン』である条件だ。それすら機能として搭載されていなかったので、やはりあれはワイバーンなのだろう。

 ついでにメインは各モンスターの上に乗っかって長柄槍(ポールランス)を構えた騎士、真のフロアボス《ザ・ドラゴンマスターズ》だったようで、ワイバーンの討伐だけならあっという間だった。

 勝因はモンスター用部位欠損(レギオン・ディレクト)の活用だった。

 例としては『耳』や『翼』、または『尻尾』などが挙げられるが、今回のレイドリーダーであるヒースクリフは敵が登場した瞬間にはすでに冷静な指揮を下し、3匹の『左翼切断』に成功。本フロアの最大の見せ場だったのだろう新たなモンスター専用ソードスキル、《竜騎士(トラゴナイト)》スキルすらほとんどお目にかかることなく倒してしまったのだ。細かい攻略法を知っていたからこそ敵の討伐も容易かったものの、知らずに攻め込めばそれなりのダメージを受けていたとは思う。

 それを1レイド最大人数だったとは言え、偵察目的で進入しにも関わらずそのまま全滅させてしまうとは。ヒースクリフ恐るべし。

 しかも《竜騎士》スキルの登場で、それをプレイヤー側で実現しようと「人が乗れるぐらいデカいドラゴン系MoBをテイムしよう!」などと叫んでいた奴もいた。完全に余談だが、中層ゾーンに小型とはいえドラゴン系MoBのテイムに成功した女の子もいるらしいので、一概には笑い飛ばせないのだからまた面白い。SAOは良くも悪くも果てしなく作り込みが激しいゲームなのだ。

 それにテイムに成功すれば一躍有名人だろう。脳が壊死しかけている俺ははっきりと覚えていないが、その女の子にも立派な二つ名が付いていた気がする。最前線で同じことが起こったのなら、その知名度はうなぎ登りのはずだ。

 よって『モンスター専用』ではなく、隠れた《エクストラスキル》だと信じてテイムに挑戦するのも悪くはないだろう。事実、《刀》スキルは今やメジャーとすら言えるエクストラスキルである。日本人は日本刀が好きなのだ。

 

「(にしたってヒースクリフのおっさんはブレねぇよな~。リアルじゃどういう職に就いてたんだろ……)……お、やっと扉が開いたか」

 

 万能なプレイヤーに同ゲーマーとして嫉妬しかけた頃、ようやく開いた階段の先には新たな主街区が待っていた。

 俺が地下から抜けて午後の日の日の光を浴びると、最初こそ眩しさに目を細めたが徐々にその全貌が見えてくる。

 多種多様な植物に囲まれるカラフルな街並み。花粉を吸えば咳でも出そうな住宅街。リファレンスに新たに登録される街の名は《フローリア》。

 花が咲き乱れる美しい街である。

 

「綺麗……」

「本当ね。私、こういうところで生活してみたいなぁ」

 

 俺の横で紅白とダークメタルグレーの防具を纏う仲のいい女2人組が声を揃えて絶賛し、目をうっとりさせて風景を眺めている。

 しかし個人的には気が知れたものではない。俺は種類を問わず香水の香りがとことん苦手で、その手の店舗の前では失礼を承知で鼻を押さえてしまうほどなのだ。こんなところで生活していたらいつか発狂してしまいそうである。

 しかも、その辺の花を束にしてから絞り上げると、化粧品の原液でも抽出できそうな濃厚過ぎる香りである。人によって、また場所によっては口呼吸でも数分で悶え始めるだろう。

 

「(とりあえず、レイドの上限オーバーで討伐に参加できなかったギルメンのために、ちょっとは主街区探索ぐらいやっとくか)」

 

 例によってボスへのラストアタックを決めることはできなかったが、レイドに参加できたアドバンテージぐらいはギルド全体で共有したいものである。

 それにしてもヒスイだ。レディファースト制なのか、彼女――無論アスナも――は毎度討伐に参加できているので、公平さを求める俺にとっては少し悔しい。注釈を入れるまでもないと思うが、ヒスイ達が無理を言ってレイドに割り込んでくるのではない。ヒスイやアスナが「討伐隊に入りたいな~」などと軽く(つぶや)くと、参加する予定だった周りの男共が我よ我よと討伐隊の席を空けるのだ。

 何だかそこのところが悲しい。同じ男として悲しい。

 もう少しどこか威厳というか、自尊心というか、「男としてそれはどーよ?」と嘆きたくもなる。ひょっとするとこの発想こそ古くさくてダサいのかも知れないが、とにかくラストアタッカーになれる確率の高さから《抵抗の紋章(レジスト・クレスト)》で唯一討伐隊に食い込んだ俺だけは、誰がなんと言おうと断固として席は譲らなかった。ローテーションの空気を読まない俺は、そのせいでファンやおっかけの数人からキツい目で(にら)まれることもしばしばあったが、元より自分勝手に過ごしてきたので細かい視線など気にもしない。

 

「(なんか真新しいアイテムとか売ってないかな~)」

 

 そそくさと集団から離れて10分ほどが経過し、「へえ、ここのNPCショップにはマジで化粧品とか売ってるのか。ナルシスト女は中層を含めて殺到しそうだな」なんて考えながら俺が主街区巡りを続けていると……、

 

「(……あん? うげっ!?)」

 

 俺の脳は現在進行形で起こっている事象に対し、久しぶりに高速処理をしていた。

 まず転移門広場からそう離れていない店の一角で、多くのプレイヤーと同じように主街区探索をしていたのだろうヒスイを見つける。単独行動に戻っている。

 次に街路樹から曲がってきた彼女と目が合い、その視線を元にシステム外スキル《先読み》を無駄にフル活動させ、表情や仕種から『話しかけられるだろう』という予想を立てる。

 アギン達ならいざ知らず、野良野次に見つかって『反射剣が男と密会!』などという望まぬ噂をたてられると、ヒスイの熱狂的なファンにはもはやスキャンダルレベルである。俺は即座にまだ攻略隊の面々が周りを彷徨(うろつ)いていることを確認し、そんなことを危惧(きぐ)した。武器屋の穴場としてあまり人目に付かなかった昼間の場所ならともかく、アクティベート直後で討伐隊が近辺をうろつく現在はマズい。

 何度もしつこいようだが、ゲーマーの闇は深いのだ。

 そこからは簡単。

 危惧された事態を避けるため、俺は全力で走ってその場をあとにしたのだ。

 もう懐かしい話になるが、学校に通っていた時も1人の女がやたら俺に付きまとってきたことがあった。ストーカー的な意味ではなく、気のいいクラスメイトで、ごく普通にフレンドリーに。

 しかし、そこでも同じ問題が起きていた。

 彼氏持ちのそいつが別の男、つまり俺としょっちゅう会話などしていたら、それを目撃したクラスのゲーム仲間が水を得た魚のように騒ぎ立てかねない。ヤンキー集団は逆にその程度でははしゃぎもしないだろうが、男性過多なバカ校なりの対策としてよく必死こいて逃げ回ったものだ。

 と、そんな感傷に浸るのもつかの間。バカ校通いの頭が高速回転したところでバカの連鎖化学反応を起こしただけであり、最も肝心なことを見落としていたのだ。

 

「ちょ!? なんで逃げるのよジェイドぉ!!」

 

 と、ダッシュで逃げようとする俺を見て、なんとヒスイが大声で名前を呼びながら追いかけてきたのだ。

 無理もない。何せ人の顔を見ていきなり逃げ出したのだ。昼は普通に喋っていたのだから、何かよからぬことを考えているのではないかと疑われて当然である。

 ――って冷静に分析してる場合じゃねぇ!

 

「おいヒスイ! ことをアラげたくない! 今だけは追ってくるなって!!」

「理由を言いなさいよ! あたしに何かしようとしてるんじゃないのっ!? 待ちなさーい!!」

 

 もう終わりだ。誤解を招くような言い回しとわざと遠くまで響き渡らせるかのような高い声で、周りのプレイヤーも異変に気づき始めた。

 そして異変は事件へ。

 騒ぎを聞きつけた攻略隊がどよどよと集まってきやがったのだ。

 さらに彼らの醸し出す雰囲気を肌で感じ、それを日本語に翻訳すると『どこの馬の骨とも知れないモヤシ男と反射剣様が追いかけっこしてる!?』、『しかもお花畑で!』、『よし、あの男殺そう』みたいになっている。途中、目が合った男からはマジな殺気すら感じられたほどだ。

 これは非常によろしくない。今後の快適な攻略生活が相当危ぶまれている。

 ――本気で男共が雄叫び上げて追いかけてきやがった!

 

「(ちぃッ! こうなったらやむを得んかッ!?)」

 

 俺は街路樹に差し掛かるといきなり角を曲がって細い道に入った。

 ここなら限られた角度からしか見られないだろう。

 

「こらぁ! 待ちなさふむぅっ!?」

 

 曲がった先の死角で待機していた俺は、俺を追ってきたヒスイをとっ捕まえて彼女の口と手を押さえ込むと、奥に引っ込みつつさらに彼女の体を壁に押しつけた。

 そして同時にほんの数秒間だけ隠蔽率(ハイドレード)を引き上げる煙玉を転がすと、早鐘のように鳴る心臓に逆らって声を殺しながら叫ぶという器用な行動に出る。

 

「いいかヒスイ、とにかく大人しくするんだ! さわぐと……えぇと……と、とにかく困る!」

「ふ……むぐぅ……ふっ、ぅ……」

 

 口元を覆い、ひそひそ声で我ながら意味のわからない脅しを彼女の耳元で囁くと、何の奇跡か弛緩しきったように四肢を脱力させるヒスイ。

 おかげで野次馬根性丸出しだった取り巻き連中の足音がドタバタと去るまで、そのままやり過ごすことができた。

 

「ふぃ~、やっとマいたか……」

 

 ようやく一息ついて彼女を解放すると、どっと疲れが押し寄せてきてその場あった木箱にへたり込んでしまう。

 しかし今でこそ頭を冷やして思い出せているが、先ほどまでの俺は猛禽類か何かのアブナい目をして女性を羽交い締めにしていたことになる。いたいけな少女に狼藉(ろうぜき)をはたらく単なる畜生野郎だ。

 よくもまあハラスメトコードで《黒鉄宮》に飛ばされなかったものである。もしかしたらヒスイも混乱していたのかも知れない。それを証拠に、彼女は今も惚けたようにその場に立ち尽くしていた。

 

「……ああ、ヒスイ? ……その、さっきは悪かったな。あ、でも悪気はねぇんだ。ただヒスイって今じゃソートーな人気者だろ? あんま親しげにしてっと、俺が気にしなくても周りがうるさくてな。……おい、ヒスイ?」

「ふぇっ? あ……えぇ、うんそうね。そうよね……あたしも別に気にしてないから……」

「(んん……?)」

 

 反応に困る反応だったが、二次災害になることだけは避けられたようだ。最悪この場でぶちギレられようとも文句は言えまい。それほどのことをしたのだから。

 にしても、ヒスイは過激な現実を受け入れられない子供のように棒立ちになっているが大丈夫だろうか。

 

「(ヤベッ……でも考えてみたら、俺ってあのまま追われ続けることと大差ないぐらい恥ずかしいことしてたんじゃねーのか……?)」

 

 悔いても後の祭りではあるが。

 しかし俺が恥ずかしい思いをするだけか、ついでに周りの連中からいらん恨みを買うのか、とではわけが違う。うむ、やはり俺のやったことは正しかったのだろう。たぶん。

 

「んじゃそういうことで! 俺はこの辺で退散するわ。ってかフレンド登録してるんだから、何か話したいことあればメッセージ飛ばせばいいしな。だから……」

「ね、ねぇ……」

 

 やっと謎の束縛から解放されたのか、ヒスイは頬を染めながら俺に話しかけてくる。

 

「1年……たったよね。3ヶ月に1度のあれ、忘れてないわよね?」

 

 さすがに『お触り料金10万コル』的なおとがめが来ると覚悟していた俺からすると、これは少々拍子抜けである。であるがしかし、ヒスイは俺にとってまたも鼓動を早めるにコト足りる話題を切り出してきた。

 

「あ……ああ、そりゃ覚えてるとも。んでもちょっとマズイことになってきたな。こんな状況で一緒にメシなんて食ったら……」

 

 照れ隠しのため早口で捲し立てようとしたら、ヒスイが人差し指を俺の口に当てて静められた。

 そしてそっと手をどけると、上目使いでこう言った。

 

「ならいいの。……でも今度は食事じゃなくて、あたしのしたいことしていい?」

 

 唐突なめまいと極度の緊張で俺の心臓はバクバクである。高鳴る理由は彼女の指が口に触れたからではない。決してない。

 

「時間は深夜。場所は……まだ決めてないけど、たぶんこの層がいいかな。それはあとでメッセージで伝えるわ。……どう?」

「ん……まっ、まあヒスイがそうしたいなら。……何かやりたいこと、が……あったのか……?」

 

 生唾を呑み込み、胸の辺りのドキドキが収まらないため、まともな思考回路が形成されていないままに受け答えしている。が、その『まともな思考回路』とやらが形成されたとしても普段の脳味噌と大差ないと割り切って続ける。

 

「ふふっ、それはまだ秘密。……で、でもこれは親睦の証だから! ヘンな気は起こさないでよね! それにさっきみたいなことしたら……こ、今度こそホンットーに許さないんだからっ!!」

「わかった! わかったからもうちょい静かに! 今こうしてることすらできれば知られたくないんだからさ」

「……なによ丸くなっちゃって。あなたはもっと周りを気にせず行動してたじゃない」

 

 ダイレクトにディスられた気がする。

 しかしそうは言うが、無名だった初期と今とでは前提が違う。

 二つ名を付けられるなんて大それたことにはなっていないが、俺とて攻略組歴はプレイヤーの中でもほぼ最長。ギルドにも加盟してそれなりに知名度も上がってきているし、ヒスイに至っては4層の頃と今とでは名の知られ具合に雲泥の差がある。

 生活の根幹までガラッと変える気はないが、多少周りに気を配りながら生きることもまた処世術、と言うより常識的に考えてそうするべきだ。KoBだってその紳士な振る舞いが称賛されて有名になったからこそ、より礼儀や節度を守って行動している。

 俺とて今やソロではない。レジクレの連中にも迷惑はかけられないし、有名人とその他の有象無象との会話の受け答えに差が出るのは仕方がないと言えよう。

 

「そう言うなよ、俺だって昔の失敗とか結構気にしてんだからさ。……とにかくさっきのは了解だ。深夜ならそうそう目撃されないだろうしな。や、別にやましいこと考えてるんじゃねぇけど……」

「ふふっ、わかってるわよ。じゃあ今度こそ別れましょう。あたしも主街区は今日中に調べておきたいし」

「そうだな。攻略隊として参加できたこの2時間は目一杯利用しねェとレジクレに悪い。んじゃまた今度な~」

 

 そう言ってお互い別方向へ歩き出したが、途中で振り向くと相手も振り向いていたので笑ってしまう。なんだかんだで絆というやつは目に見えないだけで実在するのかもしない。

 

「(これでクライン達と話せられれば、正月パーティしたメンバー勢揃いだったな……)」

 

 なんてことを考えながら、ニヤけた顔を隠してその日は主街区巡りを楽しむのだった。

 

 

 


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