西暦2023年11月12日、浮遊城第46層。
時は夕方、場所は主街区。宮殿の一室のような不自然な
思えば長いものだ。俺が1層のしがない商業街である《トールバーナ》において、ディアベル主導のもと初めてこれに参加したのが去年の12月2日。ということは、あとほんの少しで1層攻略から1年がたつ計算になる。
正直苦しいことも辛いこともあった。いや、経過した日数から割合で換算すると、それは楽しかった時間などよりも圧倒的に長かったのかもしれない。
それでも攻略組は帰還への希望を捨てなかった。極限下にも対応する適応能力、そして着実に進む攻略状況がわずかな希望をもたらし、俺達は現在もなお前進し続けている。
実際、手慣れたものだと思う。
初めのうちは何を話せばいいのか、攻撃役と防御役はギルドを無視するべきか、そもそも攻略の時だけ参戦するメンバーを信頼していいのか等々、とても万全とは言えない形で挑むことも往々してあったものだ。
それが今では会議の話はスムーズに運ばれ、ものの15分足らずでそれらは終了。30分だけ武器のメンテナンスと各種ボス戦対策の所持アイテム調整時間だけ設けられたら、あとは実質自由時間だった。
ちなみに俺はというと、その時間を有効活用するために、初めて立ち寄った狭い鍛冶屋でメインアームの最後のプロパティアップをしているところだった。
「(ん~、やっぱ
だが俺はその肝心の強化内容に少し迷いが生じていた。
『システムアシスト』というものは、脳死でひたすら受ければいいというものではない。
例えばラストアタック。
ターゲットの体力ゲージをあとほんの数ドットまで追い詰めたニアデス状態で
つまりボス戦前の武器強化とは言え、何でもかんでも強くすればいいわけではないのだ。例えば《
ちなみに《両手用大剣》カテゴリの武器は基本硬く、重い。
だが先述の通り現在はボス戦前。
「(ん~悩ましいけどしゃあない! ここは無難に
妥協を避けるタイプの俺にとって、この選択は断腸の思いだ。
しかし時間がないのもまた事実。俺1人が相棒のプロパティ編成に悩んだからと攻略を遅らせるわけにはいかないので、大人しくNPCにシャープネス用の強化素材を出してもらうよう頼む。店頭に張り出されていた手作り感あふれる売買表の相場に合わせ、コルをストレージ内から物体化させた。
そしてそれを手渡しつつ、2分ほどの待機時間を経て無事強化に成功した今の愛刀《クレイモア・ゴスペル +6》が返ってきた。内訳は3Q2A1Sで、至ってありがちなプロパティ
しかし改めて数字で見ると、やっぱり違和感。アキュラシーに振ればよかったと絶賛後悔中。
「(ま、いいか。強化上限はまだだし)」
《クレイモア・ゴスペル》という大剣。中世を思わせるビンテージデザインの無骨な鉄塊で、特殊能力こそないがそこも含めて気に入っている。
まず製造法が好きだ。同金属レアメタルインゴットを大量に使用した古式鍛造方式で、飾り気のない、よく言えばシンプル悪く言えば地味な両手剣は、今となっては背中に納めていないと落ち着かないレベルで馴染んでいる。
低層のころ、大量購入できた武器とはここが違う。
11層主街区である《タフト》で、メインアームを《フィランソル》から《ウェスタンカルテ》へ、そして16層迷宮区でのレアドロップで片刃の大曲剣《ブリリアント・ベイダナ》へと変更する頃には、1本1本の武器に換えの利かないユニーク性が出ていた。俺は比較的早い段階で大業物であるベイダナを手に入れていたが、遅くとも20層時点ではメインアームを『ソードアートで唯一の相棒』として、
当然、22層から34層まで使っていた悪趣味な骨塊刀《ファントム・バスター》や、そこから44層まで使っていた両刃の焼尽剣《リシュマルド・タロン》のことだって忘れてはいない。今でも抱き枕にして眠れるほどだ。
しかし今の俺にとっては、やはりこの《クレイモア・ゴスペル》こそが攻略を共にする相棒である。
「あら、シャープネス強化?」
とそこで、後ろから声をかけられた俺は、声の主を悟りながらもら少しだけ心躍らせて振り向いた。
予想
「よ、おひさ」
「久しぶりね。この間会った時はアキュラシーを上げたい、とか言ってなかったっけ」
「そんな前のことよく覚えてるな。……いいんだよ。今は非常時、つーかボス戦前だから、あんまイジると剣が鈍る」
「ふふっ……いえ、ごめんなさい。でも何だか可笑しくって。あたし達、真顔でおれの剣が鈍る~なんて言っちゃってるのよ? ふふふっ、異常だったなはずが、すっかり日常になっちゃったねぇ」
「あ……ああ、そうだな。ハハッ、何かハズいな。今さらだけど」
俺もつられて苦笑い。
今でこそ寝ても覚めても剣や防具、またモンスターとの戦闘や迷宮区のマッピングなどの効率化方法を日夜頭に浮かべているが、本来ゲームに住むキャラクターでもない俺達が、勇者よろしくこんな会話をするなんて夢にも思わなかったのだ。
「ずいぶんたったよなぁ。もうすぐ半分だぜ? 俺やヒスイなんか、ずっと、ずぅっと頑張ってきたもんな」
「……1層から、って意味ならあなたの方が長いけどね」
「んなこたねェって。それに……ヒスイがいなきゃ俺、どっかでノタれ死んでたか、もしくはオレンジの仲間入りだ。マジでサンキューな」
「な、なによ急に。別にあなただけ特別ってわけじゃないから! 他にも更正した人なんてたくさんいるし。……そ、それにジェイドはその素直さをレジクレの前でも出すべきよ。あの人達も筋金入りの善人よ?」
「ああルガ達な。……いいんだよこれで。こんぐらい大雑把につき合っといた方が、あいつらのためにもなるしさ」
話しながら今度はヒスイがプロパティアップの作業に入った。
待っていると彼女の剣も無事強化を終えたのか、ご機嫌な顔でくるっと振り向いた。さすが攻略組だけあり、確か彼女のもレアドロップもの。銘を《ファン・ピアソーレ》とする業物だったはずだ。スラッとした剣身に彼女そっくりの黒い鍔と柄。お気に入りだと言っていたのを覚えている。
この世界でいう剣の強化とは、まさに自身の強化でもある。さぞ嬉しかったのだろう。
「ふふっ、強化成功~っと。リアルラックって言うのかしら。これって9割にして失敗する事もあれば、今回みたいに8割もないのに成功することもあるよね」
「そりゃあな。武器強化なんてしょっちゅう見るし、例え1パーセントの確率でもちょくちょく目に付くのがMMOってもんだ」
「そうね。あ、あたしはこれで失礼するわ。この層も死者無しで抜けましょ」
「おう! んじゃあな」
手を振って彼女を見送っていると、数秒後に唐突に肩を叩かれた。
俺は「今度は誰だ?」と振り向くと、そこにいたのは攻略組小ギルド《サルヴェイション&リヴェレイション》がリーダー『アギン』その人だった。
髪はロング、基本色は黒だが赤のメッシュを入れて個性を出している。その脇には付き添いのように『フリデリック』の姿も見受けられる。彼は金髪で、アギンとは印象も変わって髪の長さはショート。2人共長身なうえに、とても女受けしそうないでだちである。今のアバター現実世界の体を忠実にコピーしたとは思えないほどのイケメンだ。
それにしてもここの鍛冶屋はかなり穴場のはずだが、まさかヒスイ以外にも人が来ていたとは。
「よっ、おひさ」
「あいさつパクるな。……ま、久しぶりだな。フリデリックも」
「いつ振りだっけ?」
「確か先月……あ、そういやレジクレと違って、
2人とも4層からの戦友と言って差し支えないだろう。考えてみればお互い同意の元で共闘したのはヒスイやクラインのギルド、また彼ら2人と共に《ザ・ヒートヘイズラビット》を討伐した時が最初なのかもしれない。
1層のキリトやアスナがカウントされないのは、俺が半ば強引にチームへ滑り込んだにすぎないから。少なくとも当時のアスナには俺の参加を嫌がっていたようなイメージもある。
しかしアギンはすっかり黙り込んでいた。俺の顔に何か付いているのだろうか。
「なあジェイド、おれは今までお前のことをデキの悪い弟かなんかだと思ってたよ。歳の差はあるけどさ、なんかこう、恵まれない薄幸者っていうか」
「うっ、だいたい合ってるけどヒドい物言いだな!」
しかしアギンの例えはやや意味不明だった。的外れと言うか、まるでこの短時間で俺に劇的な変化でもあったかのような。何か伝えたいことがあるのだろうが、意味深発言が大好きなミンス並に遠回しな言い方である。
そんな俺を無視して彼は続けた。
「低層の頃からなんだかんだで付き合い長くてよ。ジェイドが悩んだりつまずいたりした時は、何度も相談に乗ってやったものだ。なあ?」
「ま、まあそうだな……どうした今さら」
「そこでおれ達は約束したはずだろう。女関係も逐一俺に報告するってな。ジェイドに悪い虫がつかないか、目の肥えたおれらがきちんと見極めてやるってのに」
「いやそこは違う! そんな約束はしてねぇぞ!?」
とうとうおかしな発言まで出てきてしまったので一応止めに入る。
もしかするとヒスイのことを言っているのだろうか。とすれば、それは勘違いも
「あのなぁ、何となく理解したよ。どうせヒスイのことだろ? 言っとくけど、俺とあいつはマジで何もねーぞ」
「おバカさん!!」
アギンによる大音量否定。うるさい。
「おっ、おバカ……!?」
「ウソでもそんなこと言うもんじゃありまっせん!」
「なんだその口調……」
「だいたい、おれは知ってんだぞ。ボス戦のたびに声を掛け合ったりチーム組んだり。『あの事件』だって事の大きさに隠れがちだけど、お前がヒスイさんと一緒に行動してたのは有名な話だ。ったく、デキてんなら言ってくれよな~。お前のメデタイ話なら仲間も呼んで祝杯でも上げたってのにさ。なあ? リックもあの時は見てたろ?」
「アハハ。見ましたね、確かに」
「いや俺そういうの苦手だし……てかデキてないって!!」
不思議なトークに流されてついノリ突っ込みをしてしまったが、アギンの言う『あの事件』は残虐の限りを尽くした《
多くのプレイヤーとってまだ記憶に新しい、ラフコフによる《殺人ギルド宣言》。
これは直接見ていない《圏外村》での待機組も同じだった。
作戦失敗による脱力感もそうだが、何より本来助け合わねばならないはずのプレイヤー同士の殺し合いだ。誰だって乗り気ではなかったし、やるなら1回きりにしたかったのだろう。
しかし、まんまと全員に逃げられた。おまけに死者の数は当初予測されていた『最高2人』から一気に飛んで、5人も生まれてしまったのだ。意気消沈しない方がおかしい。
アギンが冗談を言えるようになったのは、やはりあの事件から1ヶ月という時間がたったからだろう。忘れたわけではないが、戒めとして、糧として、人々は乗り越えるべきだ。
彼もそう思ったからこそ話題にしたのだ。決して死者を
それにしても腕を組んで頷いたり、両手を顔の高さまで持ってきて抗議の構えを示したり、ガキんちょのように地団太を踏んだり、とにかく仰々しい身振り素振りで言葉では表しきれない感情を表現しているがはっきり言ってシュールだ。見かけによらずガキっぽい。
「こら先輩、みっともないっすよ。他人の空気を読んでこそ器の大きいリーダーってものです」
「ちぇ~、こっちは浮いた話題ねぇし、いいじゃねーかたまにはさ。しかしリアルにフィアンセ置いてきた奴は余裕の構えだな」
俺はそれを聞いて「なに、フィアンセだと!? 聞き捨てならんな、そんなうらやま……裏切り者は三枚に
しかし、認めるのはプライド的にシャクだが、見た目そこそこイケてる感じのこいつらに、ギルドメンバーの女性率がゼロ割と言うのも意外な話である。たった今聞いたフリデリックのリアル事情の件から、危惧されていた特殊性癖の集団ではないことは判明したが。
「(みんなも大変だな~……)……お、そろそろ集合した方がよくねぇか。こっから北ゲートまで結構あるぜ」
「ホントだ、結構話し込んじまったな。んじゃおれらはこの辺で」
「先輩! 何のためにメンテナンスに来たんすか……」
「……この辺で一丁メンテナンスだけ済ませてから向かうから先行っててくれ」
「……わかった」
――アギンの奴、ボケ始まってんなこりゃ。
なんて、俺も人のことを言えない気がしないでもないが、記憶力とボケはまた別の話だ。
それにしても、
「(俺ももっと頑張んないとな)」
何かに触発されたわけではないが、俺は独り心の中でそう誓うのだった。
主街区出発、迷宮区踏破、フロアボス討伐という過程に計2時間と少しほどの時間を費やして、俺達攻略隊は今、ボス部屋の先に続く次層への螺旋階段にいた。
ちなみに、フロアボス《ザ・ドラゴンマスターズ》との戦いは派手な割にはあっさりと終わってしまった。
敵はプレイヤーにとって初見となる『大型ドラゴン系』Mobと、それに
それ以上に「飛行系がボスかよ。メンドクサいな……」という気持ちの方が大きかったかも知れないが。
いずれにしても、勝因ははっきりしている。
モンスター用
代表としては『耳』や『翼』、または『尻尾』などが挙げられるが、今回のレイドリーダーであるヒースクリフは、敵が登場した瞬間にはすでに冷静な指揮を下し、3匹の『左翼切断』に成功。本フロアの最大の見せ場だったのだろう新たなモンスター専用ソードスキル、《
それを1レイド最大人数だったとはいえ、偵察目的で進入しにも関わらずそのまま全滅させてしまうとは。ヒースクリフ恐るべし。
しかも《竜騎士》スキルの登場で、それをプレイヤー側で実現しようと「人が乗れるぐらいデカいドラゴン系MoBをテイムしよう!」などと叫んでいた奴もいた。
完全に余談だが、中層ゾーンに小型とはいえドラゴン系MoBのテイムに成功した女の子もいるらしいので、一概には笑い飛ばせないのだからまた面白い。
それに、仮にテイムが成功すれば一躍有名人だろう。中層ゾーンの女の子にも立派な二つ名が付いており、それが最前線で起きれば知名度はうなぎ登りのはずだ。
よって『モンスター専用』ではなく、隠れた《エクストラスキル》だと信じてテイムに挑戦するのも悪くはないだろう。事実、《刀》スキルは今やメジャーとすら言えるエクストラスキルである。日本人は日本刀が好きなのだ。
「(にしたってヒースクリフのおっさんはブレねぇよな~。リアルじゃどういう職に就いてたんだろ……)……お、やっと扉が開いたか」
万能なプレイヤーに同ゲーマーとして嫉妬しかけた頃、ようやく開いた階段の先には新たな主街区が待っていた。
地下から抜けて午後の日光を浴びると、その眩しさに目を細めたが徐々にその全貌が見えてくる。
多種多様な植物に囲まれるカラフルな街並み。花粉を吸えば咳でも出そうな住宅街。リファレンスに新たに登録される街の名は《フローリア》。
花が咲き乱れる美しい街である。
「綺麗……」
「本当ね。私、こういうところで生活してみたいなぁ」
俺の横で紅白とダークメタルグレーの防具を纏う仲のいい女2人組が声を揃えて絶賛し、目をうっとりさせて風景を眺めている。
しかし個人的には気が知れたものではない。俺は種類を問わず香水の香りがとことん苦手で、その手の店舗の前では失礼を承知で鼻を押さえてしまうほどなのだ。こんなところで生活していたらいつか発狂してしまいそうである。
しかも、周辺の花を束にしてから絞り出すと、化粧品の原液でも抽出できそうな濃厚過ぎる香りである。人によって、また場所によっては口呼吸でも数分で悶え始めるだろう。
「(とりあえず、レイドの上限オーバーで討伐に参加できなかったギルメンのために、ちょっとは主街区探索ぐらいやっとくか)」
例によってボスへのラストアタックを決めることはできなかったが、レイドに参加できたアドバンテージぐらいはギルド全体で共有したいものである。
「(にしてもヒスイはズリーよなぁ)」
レディファースト制なのか、彼女――無論アスナも――は毎度討伐に参加できているので、公平さを求める俺にとっては少し悔しい。注釈を入れるまでもないと思うが、ヒスイ達が無理を言ってレイドに割り込んでくるのではない。ヒスイやアスナが「討伐隊に入りたいな~」などと軽く
何だかそこのところが悲しい。同じ男として悲しい。
もう少しどこか威厳というか、自尊心というか、「男としてそれはどーよ?」と嘆きたくなる。ひょっとするとこの発想こそ古くさくてダサいのかも知れないが、とにかくラストアタッカーになれる確率の高さから《
「(なんか真新しいアイテムとか売ってないかな~)」
そそくさと集団から離れて10分ほどが経過し、「へえ、ここのNPCショップにはマジで化粧品とか売ってるのか。ナルシスト女は中層ソーンの連中を含めて殺到しそうだな」なんて考えながら主街区巡りを続けていると……、
「(……あん? うげっ!?)」
俺の脳は現在進行形で起こっている事象に対し、久しぶりに高速処理をしていた。
まず転移門広場からそう離れていない店の一角で、多くのプレイヤーと同じように主街区探索をしていたのだろうヒスイを見つける。ボス討伐が終わったのでソロ行動に戻っているのだろう。
次に道を曲がってきた彼女と目が合ってしまった。
表情と仕草から、話しかけられる未来を予想。
だが、アクティベート直後で討伐隊がまだ近辺をうろつく現在は非常に危険。即座に周辺を確認すると、ここはリスクヘッジを選択。気の知れたアギン達ならいざ知らず、野良野次に見つかって『反射剣が男と密会!』などという望まぬ噂をたてられると、ヒスイの熱狂的なファンにはもはやスキャンダルレベルである。
何度もしつこいようだが、ゲーマーの闇は深いのだ。
そこからは簡単。
危惧された事態を避けるため、俺は全力で走ってその場をあとにしたのだ。
もう懐古談になるが、学校に通っていた時も1人の女子生徒がやたら俺に付きまとってきたことがあった。ストーカー的な意味ではなく、気のいいクラスメイトで、ごく普通にフレンドリーに。
しかし、そこでも同じ問題が起きていた。
彼氏持ちのそいつが別の男、つまり俺としょっちゅう会話などしていたら、それを目撃したクラスのゲーム仲間が水を得た魚のように騒ぎ立てかねない。ヤンキー集団は逆にその程度でははしゃぎもしないだろうが、男性過多なバカ校なりの対策としてよく必死こいて逃げ回ったものだ。
と、そんな感傷に浸るのもつかの間。バカ校通いの頭が高速回転したところでバカの連鎖化学反応を起こしただけであり、最も肝心なことを見落としていたのだ。
「ちょ!? なんで逃げるのよジェイドぉ!!」
と、ダッシュで逃げようとする俺を見て、なんとヒスイが大声で名前を呼びながら追いかけてきたのだ。
無理もない。なにせ人の顔を見ていきなり逃げ出したのだ。
――って冷静に分析してる場合じゃねぇ!
「おいヒスイ! 今だけは追ってくるな!!」
「なんでよ! 理由を言いなさい! あたしに何かしようとしてるんじゃないのっ!? コラ、待ちなさーい!!」
もう終わりだ。誤解を招くような言い回しと、わざと遠くまで響き渡らせるかのような高い声。周りのプレイヤーも異変に気づき始めた。
そして異変は事件へ。
騒ぎを聞きつけた攻略隊がドヨドヨと集まってきたのだ。
彼らの
これは非常によろしくない。今後の快適な攻略生活が危ぶまれる。
――というか、殺気立った男共が数人追いかけてきやがった!
「(ちぃッ! こうなったらやむを得んかッ!?)」
俺は街路樹に差し掛かるといきなり角を曲がって細い道に入った。
ここなら、限られた角度からしか見られないだろう。
「こらぁ! 待ちなさフムぅっ!?」
曲がった先の死角で待機していた俺は、追ってきたヒスイをとっ捕まえて彼女の口と手を押さえ込むと、奥に引っ込みつつさらに彼女の体を壁に押しつけた。
そして同時にほんの数秒間だけ
「いいかヒスイ、とにかく大人しくするんだ! さわぐと……えぇと……と、とにかく困る!」
「ふ……むぐぅ……ふっ、ぅ……」
口元を覆い、ひそひそ声で我ながら意味のわからない脅しを彼女の耳元で囁くと、何の奇跡か弛緩しきったように四肢を脱力させるヒスイ。
おかげで野次馬根性丸出しだった取り巻き連中の足音がドタバタと去るまで、そのままやり過ごすことができた。
「ふぃ~、やっとマいたか……」
ようやく一息ついて彼女を解放すると、どっと疲れが押し寄せてきてその場あった木箱にへたり込んでしまう。
しかし今でこそ頭を冷やして思い出せているが、先ほどまでの俺は猛禽類か何かのアブナい目をして女性を羽交い締めにしていたことになる。いたいけな少女に
よくもまあハラスメトコードで《黒鉄宮》に飛ばされなかったものである。もしかしたらヒスイも混乱していたのかも知れない。それを証拠に、彼女は今も惚けたようにその場に立ち尽くしていた。
「……ああ、ヒスイ? ……その、さっきは悪かったな。ただヒスイって今じゃガチで人気者だろ? あんま親しげにしてっと、俺が気にしなくても周りがうるさくてな。……お~い、ヒスイ?」
「ふぇっ? あ……えぇ、うんそうね。そうよね……あたしも別に気にしてないから……」
「(んん……?)」
反応に困る反応だったが、二次災害になることだけは避けられたようだ。最悪この場でぶちギレられても文句は言えまい。それほどのことをしたのだから。
それにしても、ヒスイは過激な現実を受け入れられない子供のように棒立ちになっているが大丈夫だろうか。
「(ヤベッ……でも考えてみたら、俺ってあのまま追われ続けることと大差ないぐらい恥ずかしいことしてたんじゃねーのか……?)」
悔いても後の祭り。
しかし俺が恥ずかしい思いをするだけか、ついでに周りの連中からいらない恨みを買うか、とではわけが違う。うむ、やはり俺のやったことは正しかったのだろう。たぶん。
「んじゃそういうことで! 俺はこの辺で退散するわ。ってかフレンド登録してるんだから、話したいことあればメッセージ飛ばせばいいしな。だから……」
「ね、ねぇ……」
やっと謎の束縛から解放されたのか、ヒスイは頬を染めながら俺に話しかけてくる。
「1年……たったよね。3ヶ月に1度のあれ、忘れてないわよね?」
さすがに『お触り料金10万コル』的なおとがめが来ると覚悟していた俺からすると、これは少々拍子抜けである。であるがしかし、ヒスイは俺にとってまたも鼓動を早めるにコト足りる話題を切り出してきた。
「あ……ああ、そりゃ覚えてるとも。んでもちょっとマズイことになってきたな。こんな状況で一緒にメシなんて食ったら……」
照れ隠しのため早口で
そしてそっと手をどけると、上目使いでこう言った。
「ならいいの。……でも今度は食事じゃなくて、あたしのしたいことしていい?」
唐突なめまいと極度の緊張で俺の心臓はバクバクである。高鳴る理由は彼女の指が口に触れたからではない。決してない。
「時間は深夜。場所は……まだ決めてないけど、たぶんこの層がいいかな。それはあとでメッセージで伝えるわ。……どう?」
「ん……まっ、まあヒスイがそうしたいなら。……なんかやりたいこと、が……あったのか……?」
生唾を呑み込み、胸の辺りのドキドキが収まらないため、まともな思考回路が形成されていないままに受け答えしている。が、その『まともな思考回路』とやらが形成されたとしても普段の脳味噌と大差ないと割り切って続ける。
「ふふっ、それはまだ秘密。……で、でもこれは親睦の証だから! ヘンな気は起こさないでよね! それにさっきみたいなことしたら……こ、今度こそホンットーに許さないんだからっ!!」
「わかった! わかったからもうちょい静かに! 今こうしてることすらできれば知られたくないんだからさ」
「……なによ丸くなっちゃって。昔はもっと周りを気にせず行動してたじゃない」
ダイレクトにディスられた気がする。
しかしそうは言うが、無名だった初期と今とでは前提が違う。
二つ名を付けられるなんて大それたことにはなっていないが、俺とて攻略組歴はプレイヤーの中でもほぼ最長。ギルドに加盟してそれなりに知名度も上がってきているし、ヒスイに至っては4層の頃と今とでは名の知られ具合に雲泥の差がある。
生活の根幹までガラッと変える気はないが、多少周りに気を配りながら生きることもまた処世術。というより、常識的に考えてそうするべきだ。KoBだってその紳士な振る舞いが称賛されて有名になったからこそ、より礼儀や節度を守ってモラルある行動をしている。
俺とて今やソロではない。レジクレの連中に迷惑はかけられないし、有名人と有象無象との会話の受け答えに差が出るのは仕方がないと言えよう。
「そう言うなよ。俺だって昔の失敗とか結構気にしてんだからさ。……とにかく、さっきのは了解だ。深夜ならそうそう目撃されないだろうしな。や、別にやましいこと考えてるんじゃねぇけど……」
「ふふっ、わかってるわよ。じゃあ今度こそ別れましょう。あたしも主街区は今日中に調べておきたいし」
「そうだな。攻略隊として参加できたこの2時間は目一杯利用しねェとレジクレに悪い。んじゃまた今度な~」
そう言ってお互い別方向へ歩き出したが、途中で振り向くと相手も振り向いていたので笑ってしまう。なんだかんだで絆というやつは目に見えないだけで実在するのかもしない。
「(これでクライン達と話せられれば、正月パーティしたメンバー勢揃いだったな……)」
なんてことを考えながら、ニヤけた顔を隠してその日は主街区巡りを楽しむのだった。