SAOエクストラストーリー   作:ZHE

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第50話 一休み(後編)

 西暦2023年11月18日、浮遊城第47層。

 

 なぜか時間に比例して気力がガリガリ削り取られていき、それに反比例して攻略に参加できていない不思議な1日。

 そんな日の午後4時。俺はようやく、取り巻く不幸のしがらみから解放され、迷宮区直前の村《リズン》の正門前に仁王立ちしていた。

 攻略組からサボっていないで攻略に戻れ、なんて厳しい声が聞こえてきそうだったが、何も好んで攻略に遅れているのではない。重なるアクシデントのせいで話が前に進まないだけだ。

 

「…………さて、と……」

 

 しかし俺の認識は甘かったのかもしれない。

 道の先に、不穏な人物。フィールドへの出入り口ゲートに金髪の可愛らしいソードマンが(たたず)んでいるのだ。

 アルゴから解放され自由になれたと思っていたが、彼女は明らかに何者かの到着を待っていて、しかも視線がこちらに向いている。

 これは正攻法で突き進むとまた何かある。と、そう思わせるには十分だった。

 

「(よし、ルート変更だ。西門から出よう。これ以上変なことに関わると俺の身が……)」

「ヤッホージェイド! また会えたね、久しぶりぃ~」

「……よ、よおアリーシャ……」

 

 先手を打たれた。

 近づくとよく見える。派手な金属メイルに、ペイルの間にはチラチラ覗く絶対領域。ワキ下から二の腕までも白いモチ肌を晒し、さっそく店売りらしい香水を振りまいている。

 ここにきて今度はアリーシャである。

 こうなる前に対処しようと、そろりそろりと向きを変えていたが、意図に気づかれたのか能動的に動いたわけだ。別に今日でなければここまで疲れなかっただろう。しかし今日はダメだ。すでに俺の心のHPゲージは危険域(レッドゾーン)なのである。

 しかし、だからといって無視するのもはばかられる。

 

「いつもより髪の毛盛ってんな。アリーシャは金髪だし、形だけ見るとなんかのデザートみたいだ。ま、まさかデートでもすんのか?」

 

 装備は戦場に出る直前な感じだったが、最近は《幻惑のお香(トリック・インセンス)》が流通している。モンスターだって冷静に対処すればまったく脅威にならず、各所に設置されたベンチにでも座って景色を眺めながらイチャコラする分には香を焚くだけで事足りるので、私服でなくても『フィールドデート』の可能性は十分に残る。

 

「違うわよ~ん。これから化粧品アイテムの作成のためにぃ、お店巡りしようかなぁって思ってたところ。……あ、でもジェイドが付き合ってくれたらぁ~、デートになっちゃうかもね! アタシ1人は寂しいな~」

「(まぁ〜だ化粧品買うのか。羽振りいいな……)」

 

 またこれだ。よもや本気にしているわけではない。デートなんて冗談だというぐらいはわきまえている。しかしいちいち誘いを断ると、逆に意識していると思われかねない。

 それにアリーシャは俺が今日味わったアレやコレやを知らない。夕方美容室に行って美容師と天気の話をすると、俺にとっては初めてでもその美容師にとっては今までのお客さんと散々同じ会話をしている、という現象に似ているだろう。

 彼女にとって、今日は暇で暇で仕方がない1日だったのかもしれないのだ。

 

「(う~ん。ロムライルはメッセージで『今日はオフでいい。メール覗いて悪かったな』なんて言ってたし、別に付き合ってやらんこともないんだよな~。……いやでもヘンなウワサ立つと厄介だし……)」

 

 初めこそロムライルは『早く復帰してくれ』と言っていたが、2通目のメールでそのようなこと言うからどっちつかずになってしまう。本日の夕飯のメニューを息子に聞いた時、「なんでもいい」と返されるお母さんも大変だ。

 

「う~ん……」

「もぉ、ナニ男がぐちぐち悩んでるのよ! あたしと付き合うの!? 付き合わないの!? ハッキリしなさいよ!」

「えぇええッ!? なんかその言い方スッゴいヤなんだけどっ!? ニュアンス変わっててスッゴい誤解生まれそうなんだけど!!」

 

 ここは最前線の村で、しかもフィールドへの正面出入り口。つまり人通りが多いのである。滝汗ものである。

 それを証拠に、いったいどこから湧いたのか野次馬共がわらわら集まり、「ええっ!! 僕のアリーシャたんがっ……て、またあいつかよ!!」や「ウソだ! 前はオレのことタイプって言ってくれたのに!」や「いやぁああアああッ!!」などと言っている。最後は言葉にもなっていない。

 それ見たことか。何なのだ、今日は。語弊(ごへい)を生む表現を駆使した催し物だろうか。ドッキリ企画なのだろうか。

 

「ああもうッ!! わかったから主街区(フローリア)行くぞ! とにかく話はそれからだ!!」

「あぁん。……強引なんだからぁ」

 

 俺がアリーシャの手を引いてゲートを潜り、フィールドに出て全力疾走。すると意識が遠退きそうなぐらい余計なことを、これまた超が付くほど甘ったるい作り声で口ずさんだ。

 おかげで『今日はオフの日! 決定!』と俺の決意が固まってくれたが、場所を移しても一悶着ありそうと考えるのは自意識過剰だろうか。いずれにせよ厄日で間違いない。

 俺とアリーシャは花が咲き乱れるフィールドを、手を繋いだままひたすら走るのだった。

 

 

 

 1時間ほどかけて主街区に到着。

 道中、横にいる金髪女が「景色が良いのに通り抜けるなんて勿体ないわ!」などと言って敵とのエンカウント――モンスターは当然ながら、この場合の『敵』はプレイヤーも含む――覚悟でフロア探索と観光をし始めたがゆえに、ここにくるまで時間がかかってしまった。

 それにしても、休憩もしていないのに面白いぐらい俺の時間だけが天に召されていく。

 

「(ったく、こんな調子じゃ体がいくつあっても持たねぇぞ……)……んで、これからどうするよ。フローリアの化粧品売場って言うと『化粧品市場』の《ポゥレン》が1番でかいか? あそこならあらかたメジャーな物も売ってるだろ。ま、詳しくは知らんけど」

「そうね~。でもせっかく主街区来たんだしぃ、アタシ名スポット巡りとかしたいなぁ~」

「……あれ、シュシ変わってね……?」

 

 付き合う義理はない。これ以上この女のワガママに付き合う義理はないのだ。きっとお金もかかる。

 それに俺もマッピングに協力、ないしレジクレのレベルアップノルマを達成するために、少しは戦場に顔を出しておきたい。

 ただでさえ今日はうれし恥ずかしなハプニングだらけだというのに、このままだと10匹と少しのモンスターを狩っただけで1日が終わってしまう。

 

「んあ〜……っべ、思い出した。俺口じゃ説明ムリなほど大事な野暮用があったんだった。っべーわ。ソロソロ帰らないとナ〜」

「ぅ……アタシといるの楽しくないんだ。……ぐすっ……アタシはただ、ソロの寂しさを……少しでも癒して欲しいだけなのに……ひどいよぉ、くすん……」

「…………」

 

 ――わざとらしい。メッチャわざとらしいよ、きみ。ぴえんとか言いそう。

 なんて自分のことは棚に上げて思う。

 いやしかし、独りぼっちが誇張ではなく寂しいのは事実。どんな強靱な心を持っていても、明るく振る舞う人間であっても、死と剣の世界で1人はキツい。その恐怖から、ソロ経験のない攻略組だってSAOにはいくらでもいるはずだ。

 俺がカズ達のギルドに入れると判明した時、死ぬほど嬉しかったのは昨日のことのように覚えている。だからこそ、俺はしくしく泣いているアリーシャを前に非情になりきれず、固まった顔のまま棒立ちとなってしまった。

 これが演技でなかったとしても、彼女を置いていくと後が怖い。

 

「……ああ〜、アリーシャ? わかったから。オゴリでも付き合うから。だからあんま大声出さんでくれ、頼むで。とりあえず2、3時間しかつき合えんけどな」

「やったぁイケメン! じゃ~あぁ、ここから南にまっすぐ行くとすっごく美味しいクレープ屋があるからぁ、まずはそこに行きましょう? あ、もちろんオゴりね! 二言なしね!」

「…………」

 

 俺が負けたか。してやられたのか。だろうとは覚悟していたが、こうもあっさり態度を変えられると悲しいものがある。

 そして予定されていた名スポット巡りという、最低限の(てい)すらもはや保つ気はないらしい。これも彼女らしいと言えばらしいのだが。

 

「……ヘイヘイ、どこへなりと」

 

 だが、こういったおちょくり合いは楽しい。退屈だった昼前までが冗談みたいだ。

 普段女っ気がまったくないのもあるかもしれない。しかしそれ以上に、サプライズには気が昂るものだ。しばらく前に、狩りの途中でクライン達《風林火山》と会い、ギルド対抗戦と称して4対4の早食いと早狩り競争をやったのだがこれも非常に心躍った。

 アリーシャを含むソロプレイヤーは基本的には毎日ソロ。フィールド・フロアボス戦なら声ぐらいはかけられる。が、イベントボスだって今は固定チームを組んで挑んでいるし、途中で参加するのは難しいだろう。クエストボスなんて言わずもがな。

 そんな彼女が1日だけ共にいてくれと頼んでいる。

 もっとも、他の日だってどこかの男と(つる)んでいるかもしれし、女が1人は危ないのでむしろそうあるべきなのだが、最近の彼女についてはその手の話を寡聞(かぶん)にして聞かない。

 もしかすると、ここしばらくは本当に1人行動が多かったのかも知れないのだ。

 かつての競争相手であるキリトも(しか)り。集団になじめず弾かれてしまった彼は、昔の俺と立場が逆転している。アリーシャ同様、人との距離感の計り方に悩んでいるはずだ。

 

「(俺の都合がいいんだから、今日ぐらいは大目に見てやるか……)……やけに楽しそうだな。俺は面白い話なんてできないぞ?」

「えへへぇ~、そんなことないわよ。アタシが頼んだんだし。それに……」

「それに?」

「いいえ、なんでもないわ……」

 

 暗い表情を一瞬だけ見せたアリーシャだったが、それを最後にあとは明るく振る舞っていた。

 しかも俺はすぐにそんなことも忘れ、このお方の好き勝手ぶりに翻弄(ほんろう)されることになる。

 

「わ、見て見ておっきい花! これ伐採して売り込めばアタシ大金持ちぃ!?」

「バッサイて……まあ、確かにバカでけぇからな。んでもアイテムにしたいなら《調合》スキル持ってないとダメだって聞いたぞ。時間もかかるし。だいたい、アリーシャって《調合》持ってたっけか」

「あ、ほら今度は《レインボー・セイスト》の集団よ! キレイねぇ、アタシあれホームで飼いたいなぁ~」

「……一応、飼いたきゃ《テイミング》スキルな……」

 

 《フローリア》の最西端である小高い丘に来ていた。ここも有名な観光名所で、団地の高さも相俟(あいま)って主街区にいながら広い範囲に渡ってフィールドを見渡せられる。

 人気も抜群で、アリーシャが先ほど口走ったモンスターは代表的な非攻撃型(ノンアクティブ)のモンスター。四枚羽根で、7色に輝く蝶々のような体長15センチほどの可愛い虫だ。

 このように多種多様なモンスターが一望できるここは《エデンロード》と呼ばれ、観光名所と言うよりはもはやデートスポットと言うべき場所であり、つまり俺にとってはどことなく魔界である。

 しかし絶対に攻撃されない位置から攻撃型(アクティブ)モンスターすらじっくり観察できると、変わった趣味のプレイヤーが《望遠鏡》を持ち込んでニヤついている時もあるので、それを見ると少しだけ安心する。

 それにしても、この女は話を聞かない。時たま俺が横にいる意味があるのか問いただしたくなる。

 ついでにヒスイほどではないにせよ、彼女とこうして長時間行動を共にすることにもやはりリスクが伴われる。色々目撃されてヤバいかもしれない。

 

「(でも帰るに帰れない雰囲気になってきてるし……)……ん? なあアリーシャ。あんなところにハデな建物ってあったか」

「あ~、あそこ見辛いわよねぇ。でもアプデ前からあったわよ。試しにアタシと行ってみる?」

「ああいや、俺はいいんだ。街区で新しい発見したから」

「じゃあ行きましょう!」

「ちょいと、気になっただけ、で……」

 

 こうして、今度は生意気にも入場料が設定されている、現実世界で言うところの動物園的なアトラクションに侵入した。

 施設内だけ《圏外》設定なのか、ガラスケースの向こうに閉じ込められているモンスターは下層のフィールドで何度か見たことのあるものだった。作りはいやに本格的で、小型で可愛い奴もいれば大型で不細工な奴も、あるいは色違いのレアタイプまでいる。

 しかしどちらかというと俺は不細工な奴の方が見ていて楽しいかも知れない。普段は限られた時間をきりもみしているだけに、抹殺対象であるモンスターをこれほど間近からじっくり観察する機会もなかったのだ。

 

「あ、あっちは実際に触れるみたい。……ん~ノンアクティブだけだねぇ。アタシ触りたいな~?」

「おいコラ、俺はヒモじゃねぇぞ。食いもんおごったんだし、今度こそ1人で行ってこいよ」

「チッ」

「今『チッ』て言った……」

「ねぇ、『男女カップルでさらに割引!』って書いてあるんだけど。それでもだめぇ?」

「……わあったよ」

 

 俺も虫や動物が好きなので、ふれあい広場に興味があったというのもある。それにカップルでなくても、男女のペアでさえあれば「カップルだ!」などと言い張ることでNPCを騙すことができる。単にかかる金が減るだけである。

 が、それ以上にまんまと乗せられて流されていっているように感じるのは気のせいだろうか。

 

「(……初対面の時(・・・・・)、裏表ある女だと思った。……けど、どう考えたって攻略生活の中でムリしてるだろうし。たまにはこうして息抜きもいいな……)」

 

 最初は嫌々付き合ってやっていたが、いつしか時間が過ぎるのを忘れるほど楽しんでいた。

 積極性なく退屈な日々をのんびり暮らしているだけでは味わえなった刺激である。この女は俺を陥れようとしているのか楽しませてくれるのかよくわからない。

 

「んん~、なんか言ったぁ?」

「いいや。……ワリと楽しいもんだなってな。ヒマな毎日だったけど、アリーシャのおかげでずいぶん楽になったよ」

「ギルドの人と一緒だとつまらないの?」

「そういうわけじゃないけど、あいつらといると攻略の話ばっかになるだろ? んで気をハリっぱなしだったからな~。やっぱ、たまには女子としゃべるモンだな! アハハハッ」

「……ばかね、あなた……」

 

 アリーシャの頬に赤みがかかっていたように見えたのは、きっと夕日のせいだろう。

 なぜか、追加の恨みを買った気がするのだが、はて……。

 

「なして!? バカって言われるノルマまた達成しちまったよ」

「だってあなたがバカなんだも〜ん」

 

 そんな冗談を言い合っていられる時間があるというだけで、俺は幸せ者なのかもしれない。

 そしてこの後も俺達は散々遊び回った。

 愛想のいい動物もどきを触りまくって、花の咲き乱れる金のかからない自然公園で最近の攻略について話し込み、終いには普段の俺にとっては少し豪華なレストランで夕食。

 認めるのはシャクだが、勿体ないぐらい幸せな時間をアリーシャはくれた。「つか途中からただのデートじゃね?」と思われても仕方がないのだが、別にお互い好き合っているわけでもないのでセーフだろう。

 ――セーフとアウトの境界は知らんが。

 と、そんなことを考えている内に、いつしか夜になっていた。

 日も暮れて外は真っ暗。空に咲く満点の星々が華と住宅地を微かに染め、時刻もすでに9時を回ろうとしている。

 

「ふい~、遊んだ遊んだ。攻略以外でこんな金使うのも珍しいもんだ」

「もぉ~アタシといる時ぐらいそんなこと忘れてよ……あ、ちょっと待ってね」

「……?」

 

 アリーシャがなにやらウィンドウを操作している。一緒に遊んでいた途中、単調なリズムだが何度か音が鳴っていたことから、きっと誰かからメッセージが届いていたのだろう。

 しかし彼女は、しばらく微動だにしないほど固まっていた。

 

「…………」

「……どうしたアリーシャ?」

「い、いえ。何でもないの……それよりちょっと用事思い出しちゃった。アタシそろそろ帰らなきゃ」

「そうだな、もうすっかり夜だ。なんなら送ってっても……あ」

 

 同時に俺も思い出す。

 

「(ヤッベぇえ!! カンペキ頭ん中からトんでたよ、ヤベーよ、もうすぐヒスイと会う時間じゃん! しかも何だろこれ、俺がとんでもなく悪いことしたみたいな感覚が!?)」

「……ジェイド? どうしたのよ急に」

「ああいやなんでもねぇんだ。こっちの話でな……と、とにかくなんでもない!」

「それならいいんだけど、そろそろアタシ帰っちゃうわよ?」

 

 一気に早口で言ったのでもっと疑われるかと思ったが、アリーシャも本当に用事があるのだろう。俺は大した言及もなく切り抜けられた。

 

「1人で帰れるか?」

「子供じゃないんだから帰れるわよぉ~。あ、でもお別れのキスぐらいはほしいかなぁ」

「き、キスぅ!? ここにはそんな文化ねーぞ!」

「フフン、冗談よ。じょーだん……それじゃあホントに行くわね。また時間空いたらこうして主街区巡りしましょ?」

 

 いたずら好きな小娘が浮かべそうな笑顔で、アリーシャはくるっと振り向いて歩き出す。

 

「あ、ちょっと待って。1つ聞いていいか」

「ん、何かしら?」

「しゅうかいどうって花を知ってるか? ほら、今日はやたら咲いてる種類とか教えてくれただろ? そういうのに詳しいなら、できればその花言葉も聞いときたい」

「へぇ、らしくない花を知ってるわね。ちょっと待ってね、花言葉一覧が載ってるメモ帳持ってるから。……んん~……あった! えぇ~となになに、秋海棠は特徴的な赤が綺麗な秋の花で、花言葉は……」

 

 アリーシャの声がだんだん弱々しくなってくる。いったいどうしたというのだろうか。花言葉を俺に教えたくないとでも?

 考えていると、今度はアリーシャから質問してきた。

 

「ちょっとその前にアタシからも聞いていい? まさかとは思うけど、これから反……いえ、ヒスイさんに会う予定とかあったりする?」

 

 あとほんの寸でのところで「げげっ、なぜそれを!?」と口走ってしまうところだった。危ない危ない。

 いやしかし、本当になぜそこに行き着いたのだろうか。ちょっと花が持つ意味を聞いただけでそこまで読めてしまうのだろうか。女とは恐ろしい生き物なのだろうか。

 

「ま、まあな。っつかよくわかったな」

「ッ……そ、そう。あのでも……えっと、今から会うのよね……?」

「ああそうだけど、何かマズかったか?」

「いいえ、そんなことはないんだけど。でも……気をつけてね。それだけよ……」

「ん……?」

 

 先ほどのアルゴにも当てはまることだが、意味のわからないことを呟いて姿を消す行為は最近の流行りかなにかだろうか。とてもモヤモヤするので迷惑である。

 

「本当に何でもないの。……あ、秋海棠の花言葉よね。このメモ帳には『片思い』って書いてあるわ」

「片思い、か」

 

 まさかそんな意味があったとは。ただ、アルゴが何を伝えたかったのかを察するのは難しい。これはアテが外れたか。

 しかし俺が思案に暮れていると、今度はアリーシャがもじもじしながら提案してきた。

 

「ね、ねぇジェイド。最後のわがままなんだけど、いい?」

「内容による」

「即答! ……ねぇ、アタシと……個人用の《共通アイテムウィンドウ》を作ってほしいの。別にここにアイテムを置いてほしいわけじゃない。何も取ったりはしないわ。……ただあなたとの繋がりが、目に見える形でほしいのよ……だめ?」

「…………」

 

 少しだけ考えてしまう。それは『なぜ共通アイテムウィンドウなのか』についてだ。

 確かにこの別枠ストレージがあれば、お互い任意のアイテムを共有できるし、交換などもスムーズに行える。もっとも、同じ層かつ迷宮区にいない条件付きではあるが。

 だがだからこそ、そこはフレンド登録ではダメなのだろうか。これだって形に残るし、色々と応用も利く。

 都合の悪いことでもあるのだろうか。詮索したいが、この段階で教えてくれない時点で聞かれたくないのだろう。

 

「(聞かないでおくか……)……ん、まあいいさ。オッケーだ。んじゃ早速済ませちまおうぜ」

 

 俺とアリーシャは慣れた手つきで早々と全ての手続きを終わらせてしまった。

 

「じゃあ今度こそこれで。……ま、また会いましょう」

 

 どこか不自然なまでにあっさりと彼女は去っていってしまった。名残惜しいわけではないが、俺はそれを見て首を傾げてしまう。

 

「(っと、俺も早ぇとこ《思い出の丘》に行かねーと……)」

 

 こうして、どこか引っかかる部分を残しながらも、俺は小走りのまま目的地を目指し、時間ぴったりに《思い出の丘》最奥部に到着するのだった。

 そして見えてくる。髪、瞳、防具から武器まで全身を漆黒に染めるロングコートの女戦士。この1年で何度も助けて、同時に助けられもした、ともすれば最も早く戦友となった女性。

 

「遅ーい。レディを待たせるなんて。どこほっつき歩いてたのよ、まったく……」

「時間通りに来ただろ。って言ったら怒られるよなそうだよな。……今後は気をつけるよ」

「むむぅ〜……ま、許すわ! ちょっと場所移するけどいいかしら? ここは目印になるから来てもらっただけで、見てほしいのは別の場所にあるのよ」

「見てほしい? まあ、そういうことなら行こうぜ」

 

 そんなこんなで移動開始。待たせた割には気分も良さそうである。

 トコトコ歩きながらも見渡す限りの花々が俺達を飽きさせない。

 香水の香りに弱い俺にはやや頭痛の種だが、やはり綺麗なものが好きなのか話も弾む。ただ、楽しそうで何よりなのだが、知識量の差か話についていけていないのがまた痛いところである。

 もっとも、それを差し引いても夜のフィールドはとんでもなく美しい。これら百花繚乱の虹道がデートスポットとして知れ渡ったのは、当然と言えば当然の帰結だったのだろう。

 

「フィールドだから装備は戦闘用だよね?」

 

 そんなことを考えていたら、ヒスイがいきなりこう切り出してきた。美麗な背景と合わせて眺めていたからか、少しだけ心臓が跳ね上がる。

 

「ああ、私服も持ってるけど、いくら何でもここじゃあな」

「フフン、ちょっとあたしと競争してみない? 地味で狭いけど、この先にレベリングスポットがあるのよ」

「へぇ、知らんかった」

「ポップするのは《ティタニアル・メイド》。それを先に20体倒した方が勝ち。あ、でも安心してね。あいつら視界を持ってるタイプだから、夜はむしろ弱くなるのよ。……ジェイド? もしかして嫌だった?」

「あっ、ああいや、違うんだ! 別にイヤじゃない、ッてか、ちょっと思い出したっつーか!」

「……?」

 

 フラッシュバックした下着を網膜から取り除き、どもりまくりながら慌てて見苦しい弁解もどきをしてしまうと、ヒスイに物凄く怪訝(けげん)な目を向けられた。

 そして驚いたことに俺の首に手を回すと、彼女は突然ぐいっと顔に引き寄せてきたのだ。

 ――ってか近い!

 

「ひ、ひひヒスイ?」

「すんすん……変わった香り。……ねぇ、あたしと会う前に誰か別の女の子と会ってない?」

「(ええぇえええええッ!? 何でわかるの!? 読心術スキルとかいう未知のエクストラスキル!? はた迷惑すぎんだろ!! ……)……ん、んまあ、な。……あ、でも……」

「…………」

 

 膨れていた。いやさメッチャ膨れていた。

 もっとも、鈍感な俺でもさすがに失礼だなとは思っていた。しかしそれでも仕方なかったのだ。ほとんど俺のせいではない。などと言った日には、助走付きで蹴られた挙げ句ゴミ箱にでも捨てられかねない。

 

「……ぅ、ごめん。成り行きで」

「まったく、八方美人なんだから。……それで? どんなことしてタノシんでたのよ」

「い、いや何もしてないぞ! ちょいと世間話してただけで。そう、情報交換だって! マジで何もなかった!」

「……余計に怪しい。けどいいわ。別に拘束したいってわけじゃないし。……それよりほら《植物女中の繁殖区域》よ。気を抜いてると一気に囲まれるわ」

「おわ、ケッコーな数。チンタラしてっとアウトだな」

 

 そこはヒスイの言う通りで、とりあえず《索敵》スキルを起動させておくとそこには数え切れない反応があった。

 

「弱体化してる、つったって骨が折れるぞ。……俺は余裕だけどヒスイは大丈夫か? 戦闘中は助けてやれねーぞ」

「ふん、ナメてもらっては困るわ。あたしだってこの勝負、あなたに負けてばっかりじゃいられないもの」

 

 ヒスイはどこかズレた対抗意識を燃やしているようだが、俺とて装備は仮にも《両手用大剣》だ。ソードスキルを命中させられるタイミングも全て記憶しているので、大きめのモンスターが相手なら片手剣より圧倒的に狩る速度は速い。

 その分ヒスイとの訓練で行った対人戦では惨敗状態ーーさすがに女に手を出す際はマジになれないーーなのだから、ここで負けたら俺の立つ瀬が無くなってしまう。

 

「ちょっとは強さってモンを示さねぇとな!」

「それも今日までよっ!」

 

 それから数十分間、俺とヒスイはそれこそ子供のようにムキになって争うことになる。

 最終的には俺の勝利で終わったが、途中ではひどく焦った。彼女の実力がどんどん上がっていたからだ。これはうかうかしていると、装備の優劣すら越えて何もかも持っていかれそである。

 

「ハァ……ゼイ……あっぶねぇ。ハァ……もうちょいで負けるところだった……」

「ハァ……惜しかったぁ……ハァ……でも楽しかったね」

 

 こうして屈託のない笑みを返されると、なんだかボランティアでもしたあとのような晴れやかな気分になる。この場合、手加減はしなくて正解だったのだろう。

 

「ふぅ~、でもあたしとのデ……じゃない、イベントはまだこれからよ。むしろこっちがメイン。また歩くけどいいかしら」

「おう、もちろんいいぜ。今日はウォークデイだ」

「ぷふっ、なにそれ」

「予定にはなかったけど、今日はよー歩いたんよ。どうせなら隅々までタンノーしてから48層に行ってやるさ」

 

 再び歩行を開始。すると今度ついた場合は先ほどまでとは対照的で、逆に警戒してしまうほど静かだった。

 

「ごめんね歩かせちゃって。でもあたし、時々その辺の人に付けられたりしてるから、ヒマがあれば移動したくなるのよ」

「やけに生々しいなっ! ガチで怖ぇよ」

「ふふっ、もう慣れたけどね~……あ、ここよ。ほら見てこの丘。ここからだと星がすっごく見やすいのよ」

 

 見ると、ほんの少しだけ周りの平地より盛り上がっていることがわかる。

 そこは大きい木が1本生えているだけで、あとは芝生のようになっていた。おかげで好きな所に腰掛けられるし、ほぼ360度どこでも花を観察することができる。

 

「ほぇ~確かにそうだな。なるほど、周りの明度が意図的に下げてあんのか。やけに暗いわけだ。……ん、ってことは星が見たかったのか?」

「半分正解かな。でもここ見つけた時は奇跡を見た気がしたわ。花だらけだし、この層ならもしやと思ったけど……まさかこんな場所が見つかるなんて」

 

 詩を読むかのように、そして過去の記憶を呼び覚ましているかのように目をつぶって語るヒスイは、どこか手の届かない存在のように見えてくる。

 背景による補正がかかっているのかもしれないが。

 

「(い、いかんいかん。純粋にこの縁を大切にしてくれてるだけだ。勝手な思い込みは失礼……)……ん? なあヒスイ、あの赤いのってまさか『しゅうかいどう』って花か?」

「な、なな!? 何で知ってるのよ!? ウソよ……ジェイドがこんなオシャレな知識あるはずが……!!」

「おいちょっと待てコラ。もう1つの奇跡を見た、みたいな顔してんじゃねェよ。傷つくわ!」

「ふふふ、ウソだって。ホントに驚いたけど、ちょっと言ってみただけ。……で、でもどうしてまたこんなこと知ってたの? 花の名前なんてガラじゃないって自覚はあるよね」

 

 自覚しているとも。しているけども、どこまでいっても失礼な奴だ。俺の頭はそんなに許容量が少ないだろうか。確かに勉強のレベルは目も当てられないだろう。俺は今年で18だが、去年の段階で高卒にて働く以外に道はないとまで言われたほどだ。

 それとも頭の許容量を残したまま使われていないだけとか。……やめよう、自虐にしかならない。

 

「まーな。たまたま耳にしたんだ。……でもさ、つかぬことをお聞きしますが、その……ヒスイの誕生日って9月10日?」

「な、なななっナヌなぬなぁ!? ど、とこまでリサーチしてるの……あ、でもまさか、花言葉まで知ってるとかっ!?」

「……し、知らねぇよ? ……たぶん。片思い? 的な……ヤツじゃないよな。ウン、知らねーよ……?」

「…………」

 

 まずい。俺の嘘がバレたのか、ヒスイの顔が茶でも沸かせそうなほど高温になっていた。

 なぜ温度までわかるのかって? 単に顔が赤くなるのを通り越して、白い湯気みたいなのが立っているからだ。すっごく恥ずかしそうなのだ。

 いや、しかしこれはどういうことか。そういうことなのか。俺の勘違いとか早とちりとかではなく、こういうアレがそういうアレなのか。いやいや、まさかそんなことはあるまい。仮にも天下の美少女ヒスイ様だ。

 

「いっ、いいやでも! そーいうこっちゃないことぐらいわわわかってるから!!」

「そ、そそうよ! そんなロマンチックなことジェイドには似合わないわ! 花も関係ないし!」

「だ、だよなぁ〜、知ってた!」

「だいたいあんたは何にも知らなくて、青春を自分から逃して、積極的になれなくて、残念な人生しか送れないもん!!」

「オーイっ!! そりゃ言い過ぎだろォがッ!!」

 

 ガヤガヤと、またしても息が切れるまで言い合う俺とヒスイ。そして恥ずかしさと、もう何がなんだかわからない楽しさでいつの間にか馬鹿笑いしている俺達がいた。

 夜中にこんなに笑うのも久しぶりだ。

 

「ハァ……ハァ……ハハハッ、なんつーか笑い疲れたわ。すげぇカロリー持ってかれた気分。ん……げげ!? なんか叫びすぎでいつの間にかモンスターに囲まれてんだけど!?」

「あ、ちょっと待って! 剣抜かなくていいから。ええっとほらコレ、《トリック・インセンス》よ。これをこうして……」

 

 和訳は《幻惑のお香》。レベル差のあるモンスターはこの香りが届く範囲外へと姿を消してしまう一風変わったアイテム。しかし、これの有無で安全確保の効率性は相当変わってくる。

 そんなお香のおかげで、俺達を囲んでいたモンスターは標的を見失ったかののとくどこかへ行ってしまった。

 

「あ、そういや俺も用意してんだったわ。すっかり忘れてたよ。で、何の話だっけ?」

「いえ、それは思い出さなくていいわ。そ、それより星見ましょうよ、星! 満天の星に雲1つない空!」

「……人口物だけどネ……」

 

 ヒスイの慌てる姿は比較的レア現象なので、もう少しツッコミ入れて眺めたかった気もする。が、これ以上踏み込む勇気がないので話に乗ることにした。

 決してヘタレと言うわけではないが、俺はことなかれ主義を通す。

 

「まぁでも、俺の場合は星をそのまま見ても区別がなあ……」

「あ! 見てあれ!」

「ん……?」

 

 ヒスイが指をさすドーム状の空には、相も変わらずどこにでもありそうな星が煌めくだけ。いわんやそれが珍しいものだったとして、説明無しではとても感動を共感できないだろう。

 

「……見た?」

「さっきも言いかけたけど、星見ただけじゃ違いわかんないぜ?」

「違うわよ、よく見てみなさい。止まってるのじゃなくて、流れ星みたいなのがあるから」

「ホントか!?」

 

 今度は集中してプロジェクターから再現されたプラネタリウムもどきを見つめる。そして光度に個性のある沢山の星々の中に、それはあった。

 必死に自己を主張しながら動いているその姿に、俺は見当違いにも「可愛いな」なんて思ってしまった。それは星に対してか、隣の女に対してか……。

 

「ね。見えたでしょ?」

「ああ見えた見えた。今の流れ星の名前も知ってんの?」

「獅子座流星群。星の名前というわけではないけど、細かい粒が大気圏で燃え尽きる時に見えるらしいわ」

「た、大気圏ん!? おいおいここはアインクラッドで……あ、それを再現してるってことか」

 

 いきなり話のスケールが大きくなって驚いたが、考えてみればこの世界は果てしなく現実世界に近づけていることを思い出す。

 しかしたまげた。開発スタッフは本気を出しすぎだろう。これは限定1万本という時点でなにか裏があると疑うべきだったか。

 

「これからもっと増えるわよ。本来は17日から18日にかけてがピークなんだけど、今年は1日遅れるって聞いたのよ」

「よくそんなこと調べたなぁ。……まあ、アインクラッドはどの層から見ても星の位置は変わらないらしいしな。何層か下にいた星占いのばーさんに聞けばある程度のメボシはつくか。星だけに!!」

「さっむ!」

「すっまん!」

「ふふっ。……前の周期は11年前……2012年ね。あたしが小学校1年生の頃の話なんだけど、お父さんに連れてってもらって同じものを見せてくれたのよ。その年は偶然にも日本が絶好の観測地だったみたいで、言葉にし尽くせないほど美しかったわ」

 

 そう言いながらヒスイはゴロンと芝生のような地面に寝ころぶ。俺もそれに習うと、視界一杯に光の粒が映し出された。

 声にこそ出すことはなかったが、確かに美しいなんて呟きたくもなってくる。

 

「それが凄く印象的でね。星なんてほとんど知らないんだけど、逆にこれだけはいつまでも忘れられないのよ」

「星っつったら、俺はチャリをこぎながら真上を向くの好きだったな〜。それが唯一星を見る時間だったわ」

「何それ危なそう。……でも、11年かぁ。あたしもおっきくなったな~。星に手が届きそう」

「メルヘンチック」

「ロマンチックって言ってよ」

「……んでも、たまにはいーな。マジで本心、すっげぇキレイだ。青春してるなーって思う」

「そう? 青春って言ったら普通恋愛とか……」

 

 言っていてヒスイも思い出したのだろう。またも顔を真っ赤にしている。上半身を起こして顔を背けているが、それが証拠となっていることに気づいていないようだ。

 

「よっこらせっと。……ああ、ヒスイ? さっきのことは忘れるから。っつか照れすぎだろ。俺の方がハズいわ……」

「ね、ねえ!」

 

 俺が冗談めかして話を別のものに切り替えようとしていると、ヒスイが思い切ったような声を発しながら振り向く。

 

「ジェイドは……あたしが困っている時は助けてくれるよね? 弱気になった時は励ましてもくれた。1人が寂しくなったり、誰かに嫌なことされたりすると、いつも……いっつもよ。……あたしね、あなたのことは本当にかけがえのない人だと思ってるわ」

「うえっ……ちょ、え? どしたん急に。そ、そんなことはお互い様だっていつも」

「最後まで聞いて! あたしはいつもの話だけじゃなくて、大事な話があってあなたを呼んだの。この関係が崩れちゃうかもしれない、大事な話よ」

 

 そのあまりに重い気持ちを汲み取って、俺は声が出せなくなる。

 ヒスイの気持ち。本当にそういう(・・・・)ことなのだろうか。勝手な思い違いではなく、俺を想ってくれているとでも?

 もしそうだとして、果たして俺はその気持ちに応えていいのだろうか。

 甲斐性がないこともある。レジクレとの関係も無くしたくないし、冗談や言い訳ではなく彼女を病的に愛しているプレイヤーにだって殺されかねない。

 この孤独な女戦士はもはやアイドルだ。象徴的な扱いを嫌うヒスイには悪いが、彼女が常に1人で攻略に励む姿は有名になりすぎているし、だからこそ、見えない力をもらって最前線で踏ん張っている奴もいる。誰に対しても博愛的で、可憐な少女が弱音も吐かずに凶悪なモンスターに立ち向かっている中で、大人の自分が背を向けていいはずがない、と。

 彼らの向上心の影には、常に彼女の支えがあった。

 これすらも言い訳に見えるが、実際問題として俺がヒスイと共に行動し続けることには多方面にリスクが発生する。それは避けられないことだ。

 

「(じ、自意識過剰……か? ヒスイが俺のこと、そんな風に思っているはずが……でも、これって……)」

「ねえ、あたしはあなたにいっぱい救われた。けど、あたしもいっぱい救ったと思ってるわ。……だからこそ、お互いに信じ合える。あなたをずっと守るから……だから、あたしをずっと守って? これから、ずっと……」

「ヒスイ……」

 

 愛おしいと感じた。

 守ってやりたいと思えた。

 おそらく勇気を振り絞ったヒスイは精いっぱいの建前を作った。あとは俺が踏み出すだけではないのか。周囲のことなど気にせず、俺が彼女に応えるだけではないのか。

 自然と、俺の口から滲むように言葉が生まれる。

 

「……ああ守るよ。絶好守る。俺がこれからヒスイを」

「守られるだけじゃないわ。会った時から変わらない、ずっと変わらない対等な立場として支え合うの。それでこそあたし達《攻略組》でしょう?」

 

 初めて会った時と同じ。決意のこもった瞳を見て、また律儀に心拍数が上がるのを感じた。

 光り輝く星空を背景に、彼女の姿は眩しく映る。

 この独占欲を隠すために、彼女に近寄らなくて済む反定立を必死に掲げてきたというのに、ふとしたゆるみでこの女を誰の手にも渡したくないという渇望が無限に湧いてしまうほどだ。

 それは醜くどす黒い感情だったが、俺はそんな本能を抑えようとは微塵も思わなかった。それこそ無粋だろう。

 今は彼女を求めるだけ。

 

「ああ……その通りだ……」

 

 互いに座ったまま距離を詰める。徐々に顔が近づいてゆき、あとほんの数センチのところにヒスイの顔があった。

 

「(ヒスイ……)」

 

 そして彼女が目をつぶり、俺も目をつぶる。お互いの唇が触れ合う――寸前に、ビピピピッ!! とメッセージの着信音が高々と鳴り響いた。

 

「うわぁああッ!?」

「ち、ちょっとー! 脅かさないでよ!!」

「ごめん、ちょっ、ごめん!」

 

 ――最悪だ。台無しだ。ちくしょう、とんでもないタイミングで邪魔してくれた!

 ――なんの過ちか、たった今、人生初のアレをアレしたアレだったのによくもやってくれた!

 

「(うわぁ、うわあああ何てことしてくれやがる! 人の青春を!! このっ、このっ……ええい、こうなったら全てのウィンドウ操作で音が出ないようにしてやる! 全部消音設定だバカやろうめ!!)」

「……もう、おバカさん……」

 

 「わっ、ちょ……と待っ……」と、言葉にもできず慌ててウィンドウの設定を操作する俺を見て、ヒスイも顔を赤くしたまま膨れ上がっていた。もっとも、ここは完全に俺のせいだろう。

 今さら後の祭り。昼間にメッセージの着信音量を高めに設定したのも自分自身だが、俺はとりあえず腹いせに全ウィンドウ操作におけるサウンドエフェクトをオフにした。

 それにしてもこんな時間に誰だ、よくも人の夢をぶち壊してくれた。

 

「ミンスかよ、やってくれる。覚えてやがれよあのネクラメガネ。毎度毎度こんな夜遅くに……え……?」

「……ど、どうしたのよ?」

 

 メール文を読む俺の顔が青くなっていくのを、自分でも感じた。

 俺は読み切るなり慌てて、ヒスイにウィンドウを可視化状態にしたままスクロールさせて見せた。すると、彼女も同じように顔を青ざめていった。

 内容にはこう書かれていたのだ。

 『深夜に申し訳ない。時間が惜しいので簡潔に説明する。まず、PoHを発見した。場所は追って説明するが、とにかく《リズン》の隣にある小屋の集合地に来てくれ。対人か、対mobか……原因は知らんが、アクシデントのように見える。きっと今の彼には脱出手段がない。ただし、チャンスだからこそ覚悟を持って来てほしい。……殺す気で来い。生半可ではこちらがやられる。深夜ゆえ可能性は低いが、私もなるべく人数を集める。頼んだぞ』

 内容はこれだけ。シンプルで単純だが、だからこそ体中に恐怖とも武者震いとも言えない振動が伝わった。

 世紀の犯罪者PoH。ある意味においてはSAOでの最大の障害であり、アスナやヒスイとはまったく別の意味での有名人。

 そして、ケイタの仇。

 

「ケイタの仇なんだ! ヒスイ……ヒスイ俺、今すぐ行かなくちゃ!」

「待って。あたしも行くわ」

「ダメだ……あんたはここに残って……いや、主街区に戻ってなるべく人を集めくれ。それから……」

「イヤよっ!!」

 

 俺はヒスイの怒気をはらんだ大声に言葉の中断を余儀なくされる。

 

「一刻を争うのはわかるわ。でもだからこそ、前線のメンバー集めなんてしているヒマはない!」

「可能性はゼロじゃないだろ!」

「……昼には……フィールドボスが討伐された。迷宮区が開放されてるのよ? こんな時間に起きてる時点で、プレイヤーは迷宮区にいるはず。メッセージは届かないし、寝てるならなおさら無理。だったら、あたしが……戦力になるしかないじゃない!」

「でもそれは危険すぎる! ヒスイはケイタのことを知らないかもしれないけど、俺にはあいつの仇を討たなきゃいけないギムがある! だから……っ」

「そんなの知らない! あたしにはジェイドのことの方が大事なの!! それにさっき言ったよね? あたしのことはあなたが守ってくれるって、対等な立場でお互いを助け合うと誓ったじゃない。だったらこんな時ぐらい、自分の言葉を通してよ!」

「……ッ……!!」

 

 どうやら俺は肝心なことを言えないどころか、自分の意志すら再現できないヘタレになっていたらしい。

 言わせている時点で男として失格だ。

 ヒスイは俺を守ると即答し、俺はヒスイに逃げろと弱腰になってしまった。これを対等とは言わないだろう。ここで遠慮させるということは、彼女を信じていないと言っているようなものだ。

 

「……ああ、わかった。その通りだ。俺とヒスイであいつらを討つ!」

「ケイタさん、という人は確かに知らない。けど……あたしもPoHには借りがあるの。一緒にやりましょう。あたしにもできる限りのことをさせて」

 

 ヒスイの決意は驚くほどに堅かった。ともすれば俺より先のことを見据え、懸命に絞り出した答えだったのかもしれない。

 ならば俺はこれ以上彼女の思いを踏みにじらない。その答えを大切に、それでいて彼女を危険から守りきる。

 

「行きましょう。でも、油断しないように……いえ、彼を疑うのは……」

「……? と、とにかく急ごう!! 作戦立てるのはあとだ!」

 

 言いよどんだのは一瞬で、俺とヒスイは目的地へ走り出した。

 復讐の連鎖に終止符を打たんがために。

 


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