SAOエクストラストーリー   作:ZHE

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テュレチェリィロード1 復讐の権利(前編)

 西暦2023年11月18日、浮遊城第47層。

 

 この世界に来て1年と少しがたつ。

 しぶとく生き抜いたものである。が、その過程は最悪だった。

 卑怯で卑劣な手段の連続。生きるためなら幾度となく、この手を血と悪に染めてきた。

 これはその結果。畜生にも劣る行動が招いた、因果応報の人生。だから今日も()から指令が下る。そう、絶対的上位者として格付けられた、アタシ達犯罪者集団のボスから。

 

『標的はレジスト・クレスト。メンバーの1人は《はじまりの街》に知人を残しているらしいが、『客人』になってもらう。場所は北八区住宅街の最端地。プレイヤーネームは『アル』。こいつを夕方までに『店』に呼び出せ。あとはこっちでやる』

「…………」

 

 アタシは無言でメッセージウィンドウを閉じてから、誰にも気づかれないようため息をつく。

 苦し紛れのように他人には明るく振る舞うので、これまで誰かに疑われることはなかった。けれど、アタシの真の姿が露呈(ろてい)した時の恐怖を想像すると、最近はストレスでろくに眠れやしない。

 

「なにやってんだろ……」

 

 どこで道を間違えたのか。

 いいや、そんなことははっきりしている。初めてプレイヤーをゲームオーバーまで追い込んだ時からだ。

 それからアタシは変わってしまった。周りに置いて行かれないよう必死だった当時は、こんな残虐なことはしなかった。むしろ最初のスタート直後はひたすらに怯えて宿に籠もり、泣き叫んで助けを乞う毎日を送るだけだった。

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

 1年前。別に誰かとやろうとか元から狙っていたとかではなく、そもそもプレイする機会すら得ると思っていなかった。

 アタシは大学に上がったが、高卒で社会人になった友人が、とあるゲームソフトを貸してくれたことが発端である。

 

『よりによって休出だよ、最悪。まあ月曜は振り休だけど』

『アッハハ、かわいそ。……ねぇ、じゃあ1日だけ貸してよ。日曜中には返すからさ』

 

 なんて断りつつ、パッケージと宣伝を見て面白そうだとログインしただけ。たったそれだけでアタシはここに閉じこめられてしまったのだ。

 2ヶ月もしてからだろう。前線プレイヤー達が4層、5層と次々主街区をアクティベートしていく姿を見て、このまま孤独に何ヶ月も《はじまりの街》に放置される寂寥感(せきりょうかん)に心底恐怖した。

 いてもたってもいられなくなったアタシは、下準備も無しに1層主街区である《はじまりの街》を飛び出した。

 それは非常に危険な行為であり、対処しきれないほどのMob集団に囲まれなかったのはただの奇跡としか言えなかった。

 しかし、そんな奇跡も2週間で途絶えてしまう。

 

「くんッなってばッ! 近寄んな、キモいッ!!」

 

 剣を振り回すが、ろくにヒットすらしない。

 不用意な行動を繰り返していたアタシは、いま思うと考えられない自殺行為じみた行動の末、絶体絶命の危機に陥っていた。

 《はじまりの街》周辺より、はるかに危険な《ホルンカの村》。

 もっとも、ルーティンは《はじまりの街》にいた頃と大きく変わらない。死にたくない、でも死にたい。そんな矛盾した心と体を酷使して、アタシは全長1メートル半ほどの《リトルネペント》なる植物型のモンスターを殺しまくっていた。

 そして巨大植物の頭上にある『つぼみ』を攻撃してしまい、そこに詰まっていた花粉がより多くの《リトルペネント》を呼び寄せる生態を持つと知らなかったアタシは、棒立ちのまま敵の大集団に囲まれることになる。

 それを救ってくれたのが『リア』と名乗る同じ年齢ぐらいの男の人だった。

 フルネームは『リア・ローレック』。別ゲームの主人公の名前らしい。彼は死の憂き目に会っていたアタシを見かねたのか、目の前を埋め尽くしていたグロテクスな食人植物を瞬く間に討伐していった。

 

「アタシ……ハァ……ハァ……生き、てる……ハァ……」

「ふぅ~、これで最後と。……で、あなたの方は大丈夫です? っていうか、マージン無しでファームはナンセンスですよ。ハイディングだって利かないんですから。これ今じゃ常識のはずですけど。……もしかしてレベリング初めてですか? スキルスロットは何を選んだんです?」

 

 正直、そのプレイヤーがゲーム用語を得意げに連発する姿を見て、アタシは素直に「キモい」と思った。そもそも言っていることの大半は意味がわからない。

 でも。それでも。

 アタシはそういう(・・・・)世界に幽閉されているのだと再認識もした。改めて感じた。この世界においては、ソードアートオンラインの中では、自分の行いこそがキチガイなことだったのだと。内心「キモい」と吐き捨てた男に、たった1つの命を救われたのだと。

 

「……初めて。ってか、その……ありがと……」

「いいですいいです、みんなで協力し合わなきゃ。遠慮しないでその辺の人に聞いてみてくださいよ。あ、でも詐欺とかあるから信じ切るのはマズいか……。最初の1ヶ月ほどじゃないけど、人によってはまだピリピリしてますからね~」

 

 『リア』と名乗った少年は自己紹介こそたどたどしかったが、アタシが無力な女であること――あとはゲーム世界における優位性の確立だろうか――を確認してからは、長々とこの浮遊城について自慢げに教えてくれた。ついでにソロで、かつ人を救ったことも初めてだったのか、その日からアタシのことを唯一無二の戦友とも思ってくれたようだ。

 それについてはいい。むしろこの異世界に対し致命的に知識が浅かったので、少年リアこそ生命線と言っても過言ではなかった。

 アタシはほとんど依存するように彼に頼った。武器を選ぶのも、スキルを選ぶのも、宿を選ぶのも、狩り場を選ぶのも、付き合う相手を選ぶのも。全部全部、彼に任せた。

 そうすることで生きられたから。アタシはプライドもかなぐり捨てて従順に働き続けた。

 気づけば2ヶ月、何もせずただ怯えていただけの時間と同じ日数を、戦場で彼と生きていた。

 しかしある日、彼は豹変することになる。……否、アタシが気づかなかっただけで、彼は長い時間をかけて緩慢(かんまん)に変わりつつあったのかもしれない。

 とにかく、初めて同じ部屋に泊まろうと言われた時、宿代の節約という見え透いた言い訳を聞いた時、彼の奥に潜む獰猛(どうもう)な目を見た時、今までの関係が崩れ去っていたことに気づいた。

 アタシはあえて察したような表情を作り、その日のうちに隙を見て逃げ出した。遠くへ、遠くへと。

 彼とはその日以来、会っていない。

 後日《生命の碑》で確認したのだが、彼はとある迷宮区で息絶えていた。2023年3月半ば。アタシ達が別れて2週間後のことだった。

 

 

 

 βテストで公開されていた層を抜けた先は完全なる未開の地。生き残れるかどうかは本人の用心深さと直感に寄るところが大きなウェットを占めていた。

 とはいえ、数こそまさに純粋な戦力。

 リアと別れてからアタシは、また別の男性数人と組んでいた。それに修行三昧な日の全部が無駄だったわけではなく、アタシに中層ゾーンで十分に戦える力を与えてくれていた。

 新しい仲間『ロックス』と、彼の束ねる3人のプレイヤー達。たった4人の小さい集まりではあったが、ギルド《夕暮れの鐘》はアタシのことを「ただでさえ珍しいのにこんなに美人だ。拒むはずがない」と絶賛し歓迎してくれた。

 彼らとも初めはうまくいった。名も売れ、ギルドメンバーも着々と増えていった。準攻略組として将来を有望視されることにもなる。

 しかし、またしてもこの関係は2ヶ月で崩壊した。

 なんとリアとまったく同じ話をアタシに持ちかけてきたのだ。その目が否応なく示す真の動機も、まるで異性間の友情などありえないと言わんばかりに、過去にアタシがリアを拒絶したことと寸分違わず一緒だった。

 

「(ゲームでデキるとか、冗談じゃない……!!)」

 

 アタシは怖くなってまた逃げ出すことになる。相手の貪欲な性癖を理解した上で、「考えさせて」とその日の夜だけ勘弁してもらい、深夜にその層をあとにした。

 這うように逃げ、辿り着いたのは19層。自ら不快に損ねているとしか思えないその特徴的な景観から、誰も好んで近づこうとも住もうとしない。そこは主街区の名を《ラーベルグ》とする層で、アタシのレベルではまだ早すぎる層だった。

 ただゴーストタウンにも近いそこは、それゆえ身を潜めるにはうってつけ。主街区まで危険もないだろうと、隠遁(いんとん)先をここに決めた。

 ただ前回と異なる点があった。

 なんと信じられないことに、彼らは仲間を引き連れ、そして《索敵》スキルのオプション機能である《追跡》やフレンド登録者のマップサーチすら使い、あの手この手で追跡してきたのだ。

 宿を囲まれてからも、アタシは全力で逃げ走った。

 走りながら隠れ、その度に1人ずつ登録を解除して再び走る。不規則な呼吸だけが耳朶を打つほど走り続けて、さらに15禁ゲームにしては怖すぎるモンスターから必死に逃げて、ようやくその層の迷宮区まで到着する。

 手持ちのアイテム全てを使い果たしたが、安全地帯までは駆け込めたので、そこで何日も動かずに相手が諦めるのを待とうとしていたのだ。

 だがアタシの考えは先読みされていて、迷宮区の入り口付近にはすでに彼らが待ち受けていた。

 すぐに追いつかれ、死なない程度に攻撃された。口封じのために最終的には殺しきるつもりだったのだろう。今となっては真相も定かではないが、とにかく「抵抗すると殺す」と脅して、彼らは自ら装備を外すように要求してきた。

 6人がかりで囲い(ボックス)を作られて逃げることはできない。武器は取り上げられ、反撃することもできない。

 アタシは命令に従った。死にたくなかったからだ。

 どうしても、どうしても、死にたくなかった。屈辱的な姿にされようとも、女としての尊厳を踏みにじられようとも。

 いつしかアタシは泣いていた。わんわんと泣いて、助けを求めていた。もちろん気が立っていた6人がそれで許してくれるはずもなく、結局アタシは《下着全装備解除》ボタン自発的に押してしまう。

 

「おい、泣くなっての。シャウト扱いになったら余計なMoBまで釣っちまうだろう」

 

 男達はそんなアタシをあざ笑うかの如く楽しそうに観察していた。

 しかしそこで、男達にとっては思いも寄らない事態に陥る。

 

「ガッ! 痛ってぇ……だ、誰だお前ら!? いきなり何しやがる!!」

「Zip it、雑魚共。人様のナワバリに来て発情してんじゃねぇよ」

「ヒャッハハハァ、ヨソなら見逃したってのによォ。足りねぇ駄賃の代わりに、その命を置いてけやァ!!」

 

 謎の2人組がアタシと《夕暮れの鐘》とのやりとりに介入してきて、あっという間にロックス達6人をねじ伏せてしまったのだ。まるで対人戦そのものに長けているかのような体裁きで、それでいて攻略組さながらの圧倒的レベル差で撃退した。

 秒殺である。殺しきっているわけではないが、誇張表現や例えの話ではなく本当に数秒で勝利した。中堅クラスとしてはそれなりに名の売れた《夕暮れの鐘》を、それも3倍の人数を相手に。

 1歩間違えれば殺人者にもなりかねない挙動だったが、殺さない絶妙な力加減で攻撃しているようにも見えた。もし本当に手加減していたのなら絶望的な実力差である。

 とは言え、この予想外な乱入者によってリーダーであるロックス以外は這いずるように逃げ出してしまった。続いて逃げた通路の先で叫び声が連続して届く。きっと……トドメはモンスターに刺されたのだろう。これでは直接殺していないだけで、実質的にはこの2人組が《夕暮れの鐘》のメンバーを殺したことになってしまう。

 なぜこの2人組は顔色1つ変わらないのか。

 

「余裕すぎ~! っと、まだ1人残ってたか。さっさと片づけて……」

「言ったろう、殺すなよジョニー」

 

 その風変わりな黒ずくめ達は裸同然のアタシと、呆然としながら震えて動くことすらできなくなってしまったロックスを見比べてこんなことを言った。

 

「Hey you、名を名乗れ」

「ろ、ロックスだ。……頼む。命だけは助けてくれ……レアアイテムが欲しいってんなら……」

「Don't say anything。ロックスとやら、そこを動かないことだ」

 

 美声の男は抑揚(よくよう)のない声でそれだけを吐き捨てた。

 しかしそれだけでは終わらない。彼はごく普通に、それこそ昼食のメニューを決めるぐらい軽いノリでこう続けた。

 

「そこの女、1つ聞く。ロックスが憎いか?」

「…………」

 

 アタシは何がなんだかわからなかったが、複数の意味で震え上がった体を何とか動かして首を縦に振った(・・・・・)

 何となく、そうすることでこの場を切り抜けられると本能で悟っていたのかもしれない。

 

「いいだろう。これは俺の昔の愛刀(ダガー)だ。それを使ってロックスを刺せ。お前のその醜い気持ちを、ほんの少し表に出すだけでいい。イージィだろう?」

「…………」

 

 乾いた金属音と共にアタシの眼前に転がってきたものは、禍々しく銀に光る大型の非投擲用のダガー。刃には返し(・・)が施され、ぬめりとした黒い光沢を放つ柄の部分から、ぎらぎら輝く刃の先まで、悪意で固めたような材質の武器だった。

 アタシはほとんど思考を止め、それを手に取る。

 何度も浅い呼吸を繰り返し、カタカタと震えて狙いの定まらない手は、それでもしっかりと凶器を握った。後のないアタシにとって、その狂気こそ境界線だった。

 

「そう、それでいい。ただ己を解放しろ」

「イ、ヤだッ……おいアリーシャ! なんだその目は!? 忘れたのかっ? オレ達はいつだって、お前の願いを叶えてきたッ……望むなら武器や装備だって! その恩を忘れたのか!?」

「…………」

 

 アタシは酷く落胆してしまう。

 もっと複雑な関係だと信じていたのに。仲間としてではなく、飼い慣らす対象としてアタシを見ていたのだと。所詮、男にとって女とはその程度なのだ。

 (なつ)くか、否か。《夕暮れの鐘》だけではない。アタシに近づき親切にしてくれた男性は、どこか下心を持っていたと思う。

 総じて欲求不満だったのだろう。特に性別を気にしない(てい)を装いつつ、みんな敬語で優しくする。アタシはもう、長い間アタシという1人の存在を認められないまま生きている気がする。そんな錯覚がするのだ。

 そう考えると笑いがこみ上げてきた。

 

「アハ、アハハハハハハハハハッ!!」

「あ、アリーシャ……?」

 

 もういらない。もう求めない。誰も、何も。

 アタシを求める連中はいい。そいつらは利用するだけ利用しまくって捨ててやるだけだ。近寄って付け入って信じ込ませて、最後にはこっちから捨ててやる。

 アタシにはその『権利』がある。人の人生を滅茶苦茶にした、この世全ての事象に復讐する権利が。今度はこちらが見定める。あらゆる理不尽を武器に、アタシの方から制裁を下す。

 ロックスはその1人目。そして下した判断は「こいつに生きる価値はない」だ。

 

「死んでよ、ロックス……!!」

「バカやろうッ! 謝ってんだろォがぁ!!」

 

 泣き声で謝るロックスは酷く滑稽(こっけい)だった。それでも黒ずくめの1人に首もとにナイフを突きつけられたロックスは動くことができない。

 

「あぁアリーシャ……悪かった。悪かったから……」

「死ねよ……死ねぇええええッ!!」

「うあぁあああぁああああアぁあああああッ!?」

 

 ザクンッ!! と。ロックスの胸部にダガーが刺さる。短剣はリーチを犠牲に弱点部位へクリティカル補正が群を抜いているのだ。

 今さら抵抗する。しかし、彼の体力ゲージはレッドゾーンからゼロへ。もう変えることのできない、死の運命へ。

 

「クソっ、この(アマ)ァあアああああッ!!」

 

 断末魔をあげて彼は弾けた。

 同時に、首を締める指の感覚が消えた。

 その光のフラグメントを浴びた時は、正直吐きそうだった。ギラつくナイフと手首の先に真っ赤なダメージエフェクトが降りかかり、手のひらに残った『人を刺した感触』が蛇のように絡み付く。もしこの場に1人しかいなかったのなら、アタシは間違いなく吐しゃ物を()いていただろう。

 だが、それを耐え抜いた。そしてアタシを救った2人をじっと見つめた。

 同時に、ロックス達6人を実質的に死に追いやった2人。

 このまま殺されるのだろうか。それは赤子の手を(ひね)るより簡単なはずだ。先ほどは復讐心に息巻いていたが、考えてみれば今のアタシには力がない。現段階でこの2人に対抗することなんてできない。

 

「……殺すなら殺しなさいよ。襲いたきゃそうすれば? アタシはもう……」

「いい目だ」

 

 アタシが何もかもを諦めて身を投げだしたにも関わらず、その男は手を出そうともせずに、まるで子供が新しいおもちゃを見つけた時のように明るい声でそう言った。

 

「なによ、それ。……意味わかんない。それに、あんた達の目的はわかるってるわ。結局男ってみんな……」

「他のボンクラとは違う。それはお前も同様だ。何を望んでいるのか、お前の存在価値はどこにあるのか。俺には容易に理解できる。……アリーシャと言ったか。俺がお前を新しいステージで躍らせてやる」

「…………」

 

 恐怖ゆえに意識は耄碌(もうろく)していたが、彼の優しい声だけは透き通るようにアタシの頭にこだました。

 そしてそれは、きっと人を狂わせる声だったのだろう。

 

「でもアタシは……人を殺したのよ! もう普通のプレイヤーとは違う。誰とも過ごせない! 向こうへ帰っても、アタシは誰からも理解されないわッ!!」

「ノンノン。お前が犯罪者? 笑わせる。ここはゲーム、仮想の世界。自分を過小評価するな。おおかた、利用されてばかりで、果たして真の価値があるか悩んでいるのだろう」

「ッ……どうして、それを……」

「ありきたりな承認欲求さ。だが、それは恥ずべきではない。……アリーシャ、お前には多くのアイデンティティがある」

「女……ってだけでしょ」

「もっとあるさ。お前は『人を魅了』する。そして堕とす(・・・)。ダガーを拾った瞬間、それは確定している。両立できる奴は滅多にいない。……自信を持て。同じ立場に立って、互いを尊重し合う関係。……あとはお前次第だ」

 

 アタシはそう言われて唖然とするしかなかった。

 犯罪者の啓示。人殺しとなった以上は彼が必要なのだろう。偽善の言葉で上辺(うわべ)だけ優しくされるのではない。好かれようとレアアイテム片手にすり寄ってくる連中とも違う。

 対等な『個』として、その真価を発揮させる。

 保証なんてどこにもないが、なぜか彼ならそれを軽々とやってのける。と、そう信じさせるに値する官能的な何か(・・)があった。他の男にはない、何かが。

 

「……名前を、教えてちょうだい」

「PoH。お前を変える者の名だ」

 

 PoH。なんて良い響きなのだろう。

 この独特な存在感が、アタシをここではないどこか遠いところへ導いてくれるような、そんな期待をさせてくれる。

 

「素敵ね。……改めて、アリーシャよ。できることなら何でもする。だから、アタシにしかできないことをやらせてちょうだい」

「All right。きっと満ち足りた生活ができるだろう」

 

 こうしてアタシは、彼に(ゆだ)ねた。今度こそ意義を見いだした道を歩けると信じて。

 

 

 

 その日からアタシは大きく変わった。裏の協力者として、アタシはグリーンアイコンのまま各主街区、もしくはそれに準ずる《圏内》で与えられた仕事を次々と全うしていったのだ。

 思えば、彼らが『グリーンアイコンでいる』ことにこだわらなくなったのもこの時期だったか。

 その代わりアタシが矢面に立った。非情になり、騙し、奪い、欺き、できうる限りの暴虐を尽くした。

 無論、口で言うほど簡単ではない。作戦はデリケートなものばかりだった。

 それでも充実感はあった。任務を成し遂げる度に。アタシ自身の有用性をアピールできる。それはまさしく、麻薬のような中毒性を秘めていたのだろう。

 だからアタシは、相手の良心につけ込んでは恩を仇で返した。

 

「アリーシャちゃんは今日も可愛いね~。あ、ところで前教えてくれたアイテム交換の専門店なんだけど……ち、ちょっと割に合ってなくないか? いや、君の知人が経営しているなら今後も通い続けるけどさ」

「えぇ~? 別にあんなモンだと思うけどなぁ……でもごめんね? アタシのせいでなんかリューヤ君にヤな思いさせちゃってぇ……」

「ああいや、そんなことはないんだ。アリーシャちゃん自慢の店だからね。今後も通い続けるよ」

 

 詐欺にあっていると考える脳味噌もないのだろうか。目の前の男は、初めに強く当たっておいて、あとで少しアタシが気を許しただけですんなり懐柔(かいじゅう)できてしまっていた。

 もっとも、こうした脳無しのおかげでアタシ達の私腹が肥えるのだから、絶滅はしないでほしい。なんとも微妙な存在だ。

 

「(バッカみたい。……男なんてちょっと誘惑すればすぐにシッポ振るんだから。みんな馴れ馴れしくしちゃってさ……)」

 

 アタシはプレイヤーを見下し続けた。

 それこそあの日(・・・)、心に亀裂が入るまで、この道こそが至高なのだと信じ続けて。

 

 

 

 6月20日。PoHの協力者として生活して2ヶ月。ギルドの名と結成までの段取りが決定した。

 これを聞いた時から嫌な予感はしていた。

 直近の2ヵ月間で、徐変してきた行動指針について。盗みや脅しから、より暴力的かつ狂気に満ちた犯罪、『殺人』をすることがより恒例化してきたのだ。いよいよ間接的なものではなく『直接殺し』が視野に入り始めた。

 そして運命の日。

 『客人』は大ギルドのメンバーだった。

 ギルド結成当日。直接殺しが解禁され、『リュパード』という名の聖龍連合の青年タンカーを刺し殺した時、アタシは確信した。

 

「アタシに殺人は無理だ……」

 

 と。

 なんと、かつてのロックスを刺し殺した瞬間を思い出し、「気持ち悪い」とはっきり口に出してしまったのだ。

 強烈なトラウマがアタシを(むしば)む。ロックスを刺したあの時から、その罪悪感は解けない鎖のようだった。

 もっとも、その日はギルド結成の記念すべき儀礼のため、『直接殺し』は式典のようなものだった。回避できなかったし、その日だけは気丈に振る舞った。

 しかし、これを経験してしまったがために、アタシは《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》の暴走に付いていけないと感じてしまっていた。

 決して考えてはいけないことである。

 元よりアタシは、PoH以外の人間に味方しているつもりはない。彼の命令に従う部下が、たまたま同じ作戦を、都合がいい立場で行っているに過ぎない。彼らに興味はなかったし、どうなろうと知ったことではなかった。それはラフコフの幹部的な立場にいる連中にも言えることだった。

 しかし状況は一変。次のターゲットになった『ケイタ』なる人物の殺人の際、あろうことかアタシは獲物を庇うような発言をしてしまったのだ。

 その日から発言には注意している。だが、明らかにラフコフのメンバーはアタシへの警戒心を上げていた。

 直接殺しの作戦にいちいち難色を示すようになると、その傾向はますます強くなっていった。自主的なものも併せて、アタシが殺しの現場に同行することは目に見えて減り、強がって同行しようとすると怪訝(けげん)な視線すら送られた。

 アタシの居場所は、少しずつ失われていった。

 

 

 

 公式発表はしていなくとも、『ラフコフ誕生』からなし崩し的に実質3ヶ月以上が過ぎた。

 10月上旬。

 でも、アタシにとってはまたも考え方を変えさせる大切な節目となった時期。

 ゲーム開始からほぼ1年。ベッドの上で丸まって過ごすのをやめた当時は、まさかこれほど時間がたっているのにアタシがなおも剣を持ってフィールドに(おもむ)くなど想像もしていなかった。

 

「(死のうとしていたぐらいだしね。よくもまあ、いけしゃあしゃあと……)」

 

 しかしトボトボ歩いていると、次の大きな作戦への下準備として、アタシは《攻略組》に混ざってフロアボスの討伐隊に参加するよう命令が下る。そのための新装備も大量に用意してもらった。

 けれど、またも殺しをすると言われた時、アタシは心の中で限界が来つつあることを悟っていた。

 それでも、仕事をこなさなければ消されるのはアタシだ。この時点で狂った道を正すこともできないまま、条件反射のように行動していた。

 

「まだアリーシャさんは、《閃光》のアスナさんや《反射剣》のヒスイさんみたいに二つ名はないんだね」

「新進気鋭の新人っすよ。仕方ないです。……あ、でも討伐隊への参加は嬉しいっす」

「ラフコフの連中と違って、礼儀やマナーも弁えてる。滅多にいない女性プレイヤーだしね。……それじゃあまた。今度の討伐にも顔出してよ! じゃ~ねー」

「はぁーい! またよろしくお願いしまぁ~す!」

 

 ボスフロアで他のプレイヤーとの会話中。

 内心「二つ名とかいらねぇよ。ダサすぎだろアホか」なんて思いつつ、アタシは愛想良く笑顔でその場をあとにする。

 頭のおかしい戦闘バカな攻略組。ゆえに、ボス討伐隊に株を売っておくのは自然にとけ込むための常套(じょうとう)手段で、ここを怠るわけにはいかなかったのだ。

 だからアタシは『アリーシャ』という人物をひたすら売り込み続けた。ラフコフが好き勝手やっていることを(けな)して共感を得ながら、人々の心を少しずつ掌握する。

 そして、彼に出会った。

 アタシの心に亀裂を入れた、ゲーム開始から1年という月日で、この考え方をもう1度変えた人。

 

「(あとあいさつしてないのはっと。……ああ、あいつか……)」

 

 目つきの悪い大剣使いが1人。他のパーティメンバーかと思っていたが、どうも今は1人らしい。

 

「……はぁい。ねぇあなた、名前なんてゆーの? 討伐参加は何回目? 経験は長いの?」

「ちょ、速い速い。質問分けて!」

「もぉ〜。じゃあ、お名前は?」

「ん、レジスト・クレストのジェイドだ。あんたは?」

「今日は……ほら、あそこのパーティに入れてもらったの。普段はフリーのアリーシャよぉ」

「そういや見かけねぇのがいたな。俺も今はソロっぽく見えるけど、普段はレジクレのメンバーといるよ。んで討伐歴は……まあなげぇ方だ。よろしく」

「ジェイド君の戦い、超カッコ良かったからつい見とれちゃったわぁ。そっかぁ長いこと頑張ってたんだね~。あ、また今度ぉ、剣のレクチャーとかしてくれない? アタシなんてまだまだでぇ……」

 

 いきなりのタメ口に多少苛つきながらも、お決まりの社交辞令で挨拶を交わした。約束なんて取り付けてもドタキャンで何とでもなるし、初めから教えてもらうつもりなどない。

 しかし、この男はアタシのマニュアルにはない言葉を返してきた。

 

「ん~悪いな、俺忙しいからさ。確か中層に剣道で段取ってる奴が教室みたいなの開いてたから、そこ教えてやるよ」

「へぇ物知り! その人とは仲いいの?」

「いやどんな奴かは知らね。までも、実戦の方がはるかに覚えはいいんだけどな」

「(ふむ、ベタ誉めしてるのにノリ悪いなぁ……)……ありがとぉ~。また今度行ってみるね!」

 

 この時、初対面時の会話はこれだけだった。何てことはない、本当に牽制程度の他愛のない会話である。なびかない男に興味はないし、数時間もすれば内容すら忘れてしまうほどの、ただの日常になるはずだった。

 だのに同じ日の夜、アタシがたまたま取った宿のすぐ隣の部屋に《レジスト・クレスト》と思しき4人組が宿泊してきたのだ。少なくともボスフロアで話したジェイドとやらはいた。

 4人ギルドか。レジストクレストなんて言っていたが、ひょっとしたら討伐が終わってからつけられていたのかもしれない。

 

「(ああ、またか……)」

 

 アタシはそんなことを考えながら、特に部屋を変えることなく1人ベッドに横たわっていた。

 別に珍しくはない。むしろ、よくある話だったからだ。

 最前線に女性。この事実は宣伝効果で一気に広まるし、追っかけやファンクラブだって何人もいる。血盟騎士団(KoB)聖龍連合(DDA)に1人ずついる女性プレイヤーや、ソロの《反射剣》だって例外ではない。

 

「(……むむっ。でも、あの男はアタシに興味を示さなかったな。卑しい目線もなかったし、別の女狙ってたとか? ……てかここの宿ってシングルベッドよね? げっ、てことはあの男達はソッチ系の集団? アレ……でも、それじゃあアタシをつけてきたことにならないし……)」

 

 生理現象並に男性の目線をかなり敏感に感じ取るため、昼間の彼についての見方は間違いないと思う。それにあいつは、アタシに対してあろうことかタメ口をきいてきた。女性というだけで下手に出ることもなく。

 別にそれだけなのに、どうしてあの男が気になるのだろうか。ガラの悪さから、上手くやればラフコフに勧誘できそうではあるが。

 

「(ああもう、うっとうしい。何てこと考えてるのアタシはッ!)」

 

 ホテルのような宿には廊下を徘徊するスタッフNPCも存在しなかったので、深夜にさしかかってしまっていたが、気晴らしに外でも歩こうと服を着替えてラフな格好で部屋を出た瞬間だった。

 ガチャリ、と。隣でもまったく同じ音がシンクロしてアタシの耳に届いたのだ。

 そして……、

 

「んん……あ、昼間の」

「な、なな何よアンタ! やろうっての!? アタシを狙ってるの!?」

「おい待て落ち着けっ! 俺はなんも狙ってねぇぞ!?」

 

 しかも現れたのはかのジェイドなる男性。あまりにも唐突で、アタシはつい抜刀するほどびっくりしてしまった。

 考え事をしている最中の不意打ちだったとはいえ、これは大失態である。

 

「ご、ごめんなさぁ~い。怪我はない? アタシったらつい、テヘヘ。あ、でもここは《圏内》だからケガはしないわよね~?」

「いや、ないけどさ。ないけど、まさか会うなりオドされて短剣向けられるとは思わなかったぞ」

「ぅぐ……っ」

 

 ナニこの人目が怖い。ヤの付くお方?

 しかし、野郎の心労など知ったことではなかったが、アタシとしたことが潜入と調和を任務に据えておいて派手にやらかしてしまったものである。これはいつかどこかで穴埋めしないといけないだろう。

 いや、イメージダウンを避けるために今ここでしておこう。

 

「買い物でもするとこだったのぉ? じゃあオススメのスポットとかあったらぁ、アタシも一緒に行っていいかな! なんだか今日は眠れなくって~」

「へぇ、マジか。まあ買い物じゃないけど、それでもいいか?」

 

 引け目を逆手になびいたフリまでしてやったつもりだったが、やはり彼のイントネーションからは嬉しそうな感情は()めなかった。女として見られてないのだろうか。こうなったら何が何でもなびかせてやる。自尊心的にも。

 

「もちろんよぉ。じゃあ行きましょ。アタシ達2人で……」

 

 アタシは挑戦的な目を向け、限界まで甘い声で誘惑した。

 変わった男との2度目の出会いが、その日からアタシを大きく変えるとも知らずに。

 

 


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