SAOエクストラストーリー   作:ZHE

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テュレチェリィロード2 復讐の権利(後編)

 西暦2023年10月6日、浮遊城第42層。

 

 アタシは、この無愛想な男には似つかわしくない綺麗な噴水がある場所へ移動していた。

 ふと感じるのは目の前の男、ジェイドというプレイヤーと、その他のプレイヤーの相違点。彼がアタシに対して取る言動は例外で、またも昔のことを思い出してしまった。

 

 

 

 スパークが走るように刹那的に思い出すのは、いつもここの世界へ来てからアタシに話しかけてきた男達の顔とその声だった。

 

『リアって名前さ、別ゲーの主人公の名前だし、あまり好きじゃなかったんだけど……アリーシャさんに呼ばれてるうちに好きになっちゃった。……きみは僕が守る。だからずっと一緒にいてよ』

 

 命の恩人であり、VRMMOの師でもある16歳の少年。記念すべきファーストコンタクトとなった人物。アタシを初めて救った彼は、そう言って頬を染めつつ体の関係を求めた。

 

『ただでさえ珍しいのにこんなに綺麗だ。拒むはずがない。……君みたいな可愛い子がうちのギルドに来てくれるなんてね。俺らのやる気も上がるってもんだよ。俺はロックス、これからよろしくな』

 

 ()りの深い目つきと気さくな態度が印象的で、筋肉質の体格をいつも自慢げにしていた。ただ、どうも仲間の一員としてではなく『女』という物として認識されていたらしい。アタシを襲うだけでなく、終いには亡き者にしようとした。

 

『アリーシャちゃ~ん! 今日も会えて良かった。あ、これ差し入れね。気持ちだから受け取ってよ~。紹介されたお店、また行ってみるね!』

 

 そう楽しそうに話す彼は中年男性だった。表情には表裏がなく、現実世界でも人付き合いは多いのだろう。ラフコフと組んで初めてのターゲットでもあった彼は、甘い言葉を真に受け、絶えずアタシを溺愛(できあい)し続けた。

 

『アリーシャさんはほんっと可愛いなぁ。今度の狩りにも参加する? ぜひ俺と一緒にいでででッ、ちょっグリセルダさん!? 耳引っ張らないで下さいよー。ええっ、俺の下心丸見えって? そ、そんなバカな……』

 

 もう数えることもやめた、アタシの関わった《黄金林檎》というギルドの一員。目が細く髪の毛先を濃い緑で塗りつぶした不良少年のようなクレイヴは、元々スリルを楽しみたかったようで、日を追うごとに深くアタシに入れ込んだ。ある一線を越えてからは、相愛とでも勘違いしたのか《結婚》込みの告白もしてきた。

 

『ええ〜、いいじゃないっすかミケーレ隊長。この子メッチャ可愛いっすよ?』

 

 ラフコフ結成記念。不運にも若くして『直接殺し』解禁のターゲットとなってしまった、聖龍連合に加入したばかりのプレイヤー。名はリュパード。しかし、結局は土壇場で裏切ったアタシに古今積み重ねてきた努力と尊厳を踏みにじられ、世界のすべてを罵りながら消えていった。

 

『本当に!? クロニクル兄さんが……生き返るの? そんなアイテムが……僕の兄さんは帰ってくるの!?』

 

 同じく聖龍連合のメンバーで長く諜報部に属していた童顔の少年。最愛の兄を失ったその弟は、存在するはずのない《蘇生アイテム》という釣り針にかかり、兄の仇同然であるアタシに疑いもなく希望の眼差しを向けた。

 誘導されノコノコ死地にやってきた彼も、この世の理不尽を前に塵芥(ちりあくた)と化した。

 

『まだアリーシャさんは、《閃光》のアスナさんや《反射剣》のヒスイさんみたいに二つ名はないんだね』

『ラフコフの連中と違って礼儀やマナーも弁えてる。滅多にいない女性プレイヤーだしね』

 

 とうとう攻略組に混ざれるまで実力をつけてきたアタシは、ボスを討伐したメンバーに一時(いっとき)だけ舞い降りる特有の一体感に付け込み、いざとなれば体を張ってでも惑乱し、周りと溶け込めるようにあらゆるモノを利用し続けた。

 そして、ラフコフが望むべくいかな作戦も遂行してみせたのだ。

 けれど自己犠牲が功を成すごとに、アタシを取り巻く全ての事象に怖気(おぞけ)が走った。体はよく見られるのに、心はまったく見られない。言葉を投げかけられるのも、まるで人を心配しているかのよな接触も。

 なぜなら、彼らは一様にしてこの叫び声を聞こうとしなかったのだから。いつだってアタシは秘める自分を理解しない人間に囲まれていた。

 

『ありがとうみんな。アタシこれからもっと頑張るね!』

 

 その度にアタシは嘘をつき、善意を利用して騙し討ちをした。故意に(あざむ)いていることを全部棚に上げ、「気づいてくれないお前らが悪い」と。障害になりうる男は誰だろうと、半ばヤケになって粛清(しゅくせい)し続けた。

 特別視されることが嫌になったから。『女だから』と、アタシの本当の部分を他のプレイヤーのように見てくれないから、アタシはPoHに仕えている。

 彼は厳しいけど、アタシは彼に会えて良かったと思っている。共に行動できて良かったと思っている。彼が導いてくれること、それはこの世界で唯一の幸運だ。

 そんななか……、

 

『ん~悪いな、俺忙しいからさ』

 

 PoHとその部下以外で、その男は珍しく態度を変えなかった。目つきも態度も悪いその男には、あらゆる意味で壁が敷かれていた。初対面の人間に対する一定の距離だけでなく、仲間か否かの枠組みがはっきりしていたのだろう。

 

「(アタシと同じ、馴れ合いを拒絶する眼。……誰か殺したことでもあるのかな? ……な〜んて)」

 

 線引きされた外にいる人間は、見ないようにする。不純物を徹底的に排斥(はいせき)しているからか、悦に入っていたアタシの方が驚くほど自然体で接してくれた。

 きっと彼なら、自分の成した善行の裏で見えない誰かが不幸を背負ったとしても、「そんなことは知らない。自分の手の届く範囲で尽くすだけだ」と断言していただろう。

 思慮(しりょ)の浅い外見からでは想像もつかないが、陳腐(ちんぷ)な道化なら軒並み嗅ぎ分けてしまいそうな野性的なその瞳に、興味がそそられなかったと言えば嘘になるかも知れない。

 何ヶ月振りかも思い出せない、張りつめ続ける糸が少しだけ緩んでいた。

 空元気な言葉で必死に包んでも所詮は人間。いくら決心しても、その心に隙間ができてしまうことはあった。

 そして……、

 

 

 

 

「にしても、あんたよくソロで最前線に追いついたな。体の動かし方とかもあるし、やっぱこのゲームに女は向いてないだろ?」

 

 ふと昔の記憶を駆け巡っていたアタシは、彼の声で意識を引き戻された。

 

「たくさん助けがあったからよぉ~。アタシだけの力じゃないわぁ」

 

 しかしこの時、ごく普通に自分を認識してくれる男性を素直に認めることができなかった。

 大ギルドの一員ではないのだから、無理に懐柔してもメリットは薄い。だのにムキになっていたのは、彼の中にわずかな同類性を見出していたからだろうか。

 そうこうしている内に、アタシ達は目的の場所へと到達していた。

 

「お、ほらこの辺。噴水が広場を囲ってるんだけど、デザインよくないか? こう、左右対称の幾何学模様ってどこかロマンがあるだよ。英語でなんつうんだっけ、これ」

「ジオメトリック?」

「そうっ、それ。ジオメトリック! わかるかな~、この気持ち。ネズミがハったようなチューショー画とかまるで興味ないんだけど、こういうのハマっちゃってさ。宇宙を解析するドキュメンタリー番組とか、たまにビビッときちゃうんだよね俺」

「……ロマンチックね。なんだか変わった人」

「えっ、俺が?」

 

 自覚はないのだろう。稀代の犯罪者の手下であるアタシと本当に当たり前のように喋っている。お人好しなのか、もしくは鈍感を極めているのか。

 少なくともこの手の経験があるようには見えない。

 

「ところでアリーナ」

「アリーシャよ」

「……アリーシャ、何でこんな夜遅くに外出なんてしようと思ったんだ? 詫びはウソだろ。《圏内》でも女だったら夜に散策は避けるだろうに。……はっはぁ、さては俺と同じで夜型だな?」

「…………」

 

 この緊張感のなさ。

 ジェイドが宿で扉から出てきた時、『アリーシャ』ではなく『昼間の』という表現だったから、名前を忘れられている可能性はあった。がしかし、事実だと地味にショックを受ける。物覚えは良くないようだ。

 接し方に悩む人間である。そもそもアタシの真意に気づいたのなら、この特別サービスにもっと嬉しそうにしてもいいではないか。

 

「ま~昔のこと思い出しながら……ほら、夜に歩きたくなることってあるじゃない? そんな感じねぇ。アタシにも色々悩みとかあるのよ。本当に……いっぱいね……」

「たまにクルよな、そういうの。なんつーか超罪悪感みたいな?」

「……はぁ」

「おっと、ため息は幸せを逃すぜ! ゆーて俺もあるからマジわかるよ。んでも、そーいうのって友達とかにも言えないもんでさ、ケッコ-ため込むんだよなぁ」

「…………」

 

 不用意にも自嘲気味な発言をしてしまったと後悔するところだったが、アタシはむしろ彼の受け答えに腹が立っていた。

 悩みの深さも知らないくせに、と。この男の浅はかな気遣いでは計り知れないほど重く、そして悲しい叫喚なのに。それを格好付けて優しくして、終いには「俺にもわかる」と言い切った。

 屈辱だ。こんな屈辱はない。しかしその内容をここで暴露させるわけにはいかない。どれほどもどかしくても、アタシは現状に雁字搦(がんじがら)めにされている。

 

「それ、クドいてるつもり?」

「違うって。大マジで相談に乗ってんの」

「……じゃあマジメに答えてあげる。……アタシのはね、あなたの考えていることよりずっと難しいことよ。絶対誰にも言えない秘密。……み、ミステリアスな女って感じでステキでしょ?」

「え、それ答えてなくね?」

 

 おどけた態度にイライラしたが、それでもアタシは悔しさのあまりに歯を食いしばって耐えた。

 自分だけがこんなに苦労して、なんの取り柄もない男だけが楽しそうにギルドの連中とワイワイしている。それが悔しくて堪らない。なぜ自分だけにこんな大変な環境を押しつけるのか。

 考えていると、卑屈(ひくつ)に満ちた感情でアタシはいつしか泣きそうになっていた。

 奴隷を1人増やしておくか、ぐらい軽い気持ちで来たのに、もうそれどころではない。

 しかし泣くわけにはいかない。他人の前で泣くという行為は、それだけで無条件に弱点をさらすも同義であり、そして弱みを見つけると必ず人はつけ込むからだ。アタシが散々してきたことを、この男にもされるだけである。

 

「アリーシャ……」

「ごめんなさい、アタシ……もう帰るわ」

「アリーシャ!」

 

 耳鳴りがしそうなほど無音に我慢できず、感情が漏れ出すのを恐れて逃げようとした。

 しかしジェイドに腕を捕まれて強引に振り向かされる。

 すると、勢いあまったのかレベル差による筋力値負けを起こしたのか、アタシは脚をもつれさせて男の胸に飛び込んでしまった。

 

「きゃああ! な、ナニすんのよ変態!!」

「ちょ、落ち着ぐうぅッ!?」

 

 ビンタからの腹パンコンボである。本気の。

 

「このっ! このっ!」

「待て! 落ち着け、わざとじゃねぇ! 言ったろ、俺はあんたの悩みを聞こうとしただけで……」

「……だから、それは……」

 

 とりあえず殴るのだけは止めたけれど、不意を突いて勝手に肌に触れてきた鳥肌と、沸々とした怒りがおなかの底から沸き上がるのを感じた。

 聞いてどうすることもできないだろうに。気安く腕を掴み、主観的には極刑にも値するこの不埒な男は、アタシの傷を(いや)すことはおろか、きっと片鱗(へんりん)を受け入れることすらできやしない。

 

「……あんまり図に乗らないでくれる? さっきも言ったけど、アタシの抱えているモノは、誰にも理解されないのよ。ジェイド君、あなたのお節介はアタシにとって……」

「おセッカイなもんかよ!」

 

 しかしアタシの言葉はうるさいまでの音量にかき消された。

 そして彼は、ただでさえ怖い顔で(にら)み付けながら会話を続けようとする。

 

「セッカイ? ……じゃない!」

「はぁ? てかそこ略さないし。じゃあ何だって言うのよ? 知った被らないでほしいわ。アタシはただ……」

「だーから、そうじゃねェって! ほらアレだ……あんたみたいな奴を前に見てんだ。クドき文句じゃねぇぞ? その……どうしようもない罪から、逃げられなくなってる目を知ってる。俺がそうだったから!」

「……何を、言って……?」

 

 アタシが口ごもると彼はまくし立てるように続けた。

 そしてそれは、堪えきれずに溢れ出た彼の激情そのものだった。

 

「俺はな、初めはソロだった。理由は簡単、スタート直後に友達捨てたからだ」

「は、ハァ……?」

「死にかけてる奴がいても、ほったらかした。横目で見てたけどそいつは死んだよ。……わざと弱いフリして斬らせてから、オレンジになったその相手をぶった斬ったこともある。クソみてーだろ?」

「なに、よ……それ……」

「βテスターだったから、力はあったんだ。……んで、それを自分のためだけに使った。ちょっと首振りゃ、バタバタ倒れてる奴が見えたのにさ。……罪の多さ? 重さ? ンなこたわかってんだよ。だから、そのウザったい強がりをまずやめろ!」

「つ、強がってないし。あんたが最低なだけじゃない……」

 

 わかっている。言っている自分が、彼よりもっと深い暴虐非道をはたらき、罪深い業を背負っていることぐらい。しかし、彼の前では『女の子らしいアリーシャ』であらねばならない。アタシの闇はその欠片も掴ませてはならないのだ。

 でもなぜ、彼はこんな話しをしたのだろうか。景気よく矢継ぎ早に暴露(ばくろ)するのもいいが、アタシがどこにでもいる一般人だったらどうするのか。もしそうだったらドン引きものだ。それなのに、このことを人に知られて彼は怖くないのだろうか。

 それとも。

 それともアタシが犯した罪を、誰にも言えないはずの秘密を、本当に会ってすぐに見抜いたとでも?

 

「あ、アタシは悪さなんて……」

「出た、ウソつきの目だ。別に誰にも言いやしねェよ。俺だって善か悪かっつったら悪だ。……けど、悔いてんならそれでいいじゃねぇか。エラそーなこと言ってる普通のサラリーマンだって、ガキの頃にはウソをついたし、キレれば手も出た。そーいうもんだろ?」

 

 それは、アタシの叫びと同じだった。

 この男は暗い過去を持っている。闇より深い業の暗さを知っている。

 

「いるんだよ、人の悪いトコちょっと見ていちいちナンクセつける奴な。ったく。ンなことでギゼンぶられちゃ、俺はとっくにブタ箱行きだ。……やっちまったんなら仕方ねェんだ。あとはそれをどうやって清算するかだろ?」

「…………」

「ちょいと手借りるぞ」

「あ、ちょっと……っ」

 

 彼は有無を言わさずアタシの手を握った。

 これにより、システムが作動して《ハラスメント・コード》が目の端で点灯するが、この時のアタシは目もくれることはなかった。

 

「……やっぱな、抵抗しないと思った。俺がぴーちく垂れたことに少なからず思うことがあるってわけだ」

「フ、フン……今からその『ブタ箱』に飛ばしてやってもいいのよ……」

「ごじゆーに。……ま、これ以上センサクはしない。けど同じような悩みを持ってる奴は案外いるぜ。……みんなが目標にしてる有名人でさえもな……」

「…………」

 

 アタシはそれを聞いて愕然とした。

 アタシが言うのもお門違いな話けれど、過激な思考を持ち、そのくせ過去にこれだけ非道をはたらいた人間が、なぜ不自由ない攻略生活を続けていられるのか。なぜこうも違う人生を歩んでいるのか。

 彼にだけ悩みがないわけでも、彼にだけ犯した罪がないわけでもなかった。

 だのに彼はアタシと考えが違い、立場が違い、そして境遇が違う。彼には理解者が沢山いて、アタシには理解者がPoHしかいない。

 

「……でも……なんで、それを教えるのよ。例えばアタシが過去に罪があったとして、あなたはアタシのために……」

「誰かが救わなきゃそうは変われないさ。俺だって1人で考え方変えて、信用だの何だのを取り戻したんじゃない。……俺のこと気にかけて、正してくれた奴がいたから直った(・・・)んだ。……んで、なんか思ったんよ。アリーシャに初めて会った時から、こいつには誰かが必要だ、ってな」

「それがあなたとでも……?」

「別に俺じゃなくてもいいさ。ただ誰かが近くにいて、認めてくれる奴が必要なんかなって」

「…………」

「それだよ。……正直危なっかしくて見てらんねェ。俺に言いたくねぇならいい。けど、いつか破裂しちまう前に誰かには打ち明けた方がいいぜ? 絶対楽になるし、案外心の支えになってくれるモンだ。……もちろん俺でもいい。俺はアリーシャをケーベツしないと約束する」

「…………」

 

 言動の悪さや教養の足りなさからは、およそ推測もできないようなことを長々と言われた。

 そしてよく考えさせられる。アタシの罪、それは殺人。これだけは誰にも言えないし、言えないということは相談もできないということでもある。

 ただ、たった1人の理解者がいる。それがPoHだ。アタシの罪を知っていて、生きる道筋を描いてくれたある意味での恩人。唯一、ジェイドの言っていた『誰か』になりうる人物。

 と、同時に思い至る。アタシがなぜジェイドを認めようとしないのか。これほど的確に悩みを察し、かつアタシをただの女ではくアリーシャとして見てくれているのに、一向に彼を認めようとしない理由。

 

「(PoH以外……認めたくないんだ……)」

 

 彼以外を認めたくない。ジェイドを認めると言うことは、アタシの理解者が他にもいたということになってしまう。

 アタシが「自分の理解者はPoHしかいない」と判断したあの日、それは選択肢のない、言わば(のが)れようのない極論だった。勝手に断定しただけで、実は殺人者以外にも認めてくれる男がいたなんてことになったら、今までの自分は馬鹿みたいではないか。

 ジェイドがアタシを認めてくれるのなら、許してくれるのだとしたら、アタシはこの道を選んだりなんてしなかった。

 そんな道があったのなら、彼ともっと早く会っていればよかった。そうすれば血を血で洗うなんて愚かなことはしなかったのに。

 

「(何もかも遅すぎたのよ……)……ジェイド君、その気持ちは嬉しいから素直に受け取っておくわ。忠告ありがとう、よく考えてみる。でもアタシの悩みだけは……それだけは、言えないのよ……」

「……じゃあいいさ。こうして話せたことが収穫だ。ってか、説教みたいなことして悪かった。じゃあ俺はそろそろ帰るよ。レジクレの奴らにもすぐ帰るって言っちまったしな」

 

 そう言って振り返ると、ジェイドは来た道を戻ろうとする。

 アタシは偽りようのない焦燥感に襲われて、気付くと小さくなり始めたその背中に声をかけていた。

 

「ジェイド! 君……」

「ん、なんだぁ!」

 

 距離ができてしまっていたので、お互い張り上げるように声を出す。

 

「その……アタシのこと、聞いてくれてありがとぉ! でもまた会ったら……そ、その時は名前ぐらい! ちゃんと覚えときなさいよ!!」

「ん……アハハハハっ、了解だ! 『アリーシャ』な! もう忘れねぇよ!!」

 

 今度こそ彼は宿へ帰った。ありったけの、温かい気持ちを残して。

 

「(もっと早くに……)」

 

 しかしその温度は、アタシの中に潜む冷たい悪意と混ざり合っていった。

 消しきれないのだと、宣告されたかのように。

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

 あれからもう1ヵ月以上たっているなんて。

 アタシは改めてPoHから届いた、《インスタント・メッセージ》による文面を眺めていた。

 

「(これもジェイドへの裏切り行為……)」

 

 度重なる不手際で、アタシのラフコフ内における立ち位置は危うい所まで来ている。もうミスは許されないが、ジェイドに関わる犯罪だけはなるべく避けたいのが今の心情だ。

 あの夜があったから、だけではない。

 その後、正確にはあの夜から8日後の10月14日。《ラフコフレッドギルド宣言》の作戦が決行された日に、アタシはまたジェイドに会った。今度は名前を正確に呼ばれ、再会に有頂天だったアタシに対し、彼は「人質を助ける」と即答した。

 素直に格好いいと感じた。できれば危険な目にあってほしくない思いこそあれ、だからこそ、この気持ちは疑いようもなくなっていた。

 アタシは彼に危害を加えることに、抵抗を覚え始めていたのだ。

 

「(誰か助けてよ……何でアタシばっかりこんな目に遭うのよ。ラフコフには5大幹部なんて言われてるけど、アタシを持ち上げていいように操ってるだけじゃない! どこまでコケにすれば気が済むの!!)」

 

 悪態をつきながらも、現状を嘆きながらも、アタシの脳は制御を外れていた。気づけば1層主街区である《はじまりの街》に来ていた。

 もう後戻りできないのだという深奥(しんおう)の闇が、まるで人形のようにアタシのことを突き動かす。

 

「(ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい)」

 

 本当はやりたくないのに。この闇は本当の自分ではないのに。

 それなのにアタシは役目を果たしていた。

 与えられた任務は、レジストクレストの一員である『ジェミル』という、小柄でそばかすのある茶髪プレイヤーのリアル友人『アル』。彼を夕方の5時にゲート前に来てもらうよう約束を取り付けること。

 

「(男のホームタウンはここね。……1人暮らし。目撃者も無し。多分余裕かな……)」

 

 主街区から出ない条件付きで、それも《はじまりの街》に留まっているプレイヤーを女性であるアタシが誘ったのだ。煽情(せんじょう)的なしぐさに耐性がなかったのか、はたまた私服でデート用に気合を入れた女が少し道を訪ねただけで心を許したのか。

 ともかく、追い打ちのように容姿を褒めちぎっておくと、ターゲットを掌握する仕事は呆気ないほど簡単に済んでしまった。

 

「(誘い方も上達してきたのね……)」

 

 やっと午後にさしかかった11月18日。とうとうレジスト・クレストが攻撃対象に選ばれてしまった。

 しかし対象へあれこれ注文する発言権はない。

 

「(とりあえず、レベル上げだけでもしておこうかしら)」

 

 そんなことを考えていたアタシはゆっくりと昼食をとって、攻略組の多くが拠点として構える《リズンの村》に来ていた。

 しかも間が悪いことに、そこでターゲットにされたレジクレを見つけてしまったのだ。高い声に反するリーダーの強面(こわもて)は、そのがっしりとした体格やタンカーならではの重装備により、否が応でも記憶に焼き付く。

 

「(よりによってレジクレ。落ち着かないわね……)」

 

 基本アタシはジェイド以外に興味はない。彼が悲しむとわかっていても、アタシは彼以外のことで自身を危険に晒したくはなかった。

 だからギルメンのジェミルという男、しかもその友人程度の存在である『アル』というプレイヤーを騙すことに、引け目はあまり感じられない。引け目があるとしたら、やはり最終的にジェイドを困らせてしまうだろう、ということだけだ。

 これはPoHにも同じことが言える。1ヶ月前、つまり3度目となるジェイドとの会話の日、アタシはラフコフの《殺人ギルド宣言》に関わらないようジェイドを説得するつもりだった。そうすればPoHもジェイドも裏切らないことになるからだ。

 だというのに、彼は迷うことなく、『ヒスイ』とかいう女狐と人質を助ける道を選んだ。その正義感はどこから生まれてくるのだろうか。

 

「(彼女がジェイドを変えたのかな……)」

 

 そう結論着いてしまうと少しだけ悔しい。先を越されたかのようで、そしてどうしようもなく悲しくなる。

 しかし、アタシはここであることに気付いた。

 

「(あれ……ジェイドがいない?)」

 

 小さなギルドのどこを見渡してもいない。彼だけ別行動をさせられているのだろうか。

 とにかく推論だけ並べていても仕方がないので、いてもたってもいられなくなったアタシは、本人達に聞いて確かめてみることにした。

 

「ハァイ、あなた達ってレジスト・クレストよねぇ?」

「え? あの……えっと……」

 

 ゴテゴテに着飾った金髪が話しかけてきたからか、少年らは少し驚いたようだった。

 すかさずリーダーの大男が割って入る。

 

「ああごめんなさい。はいそうです。オレがレジクレのリーダーやってるロムライルです」

「(ガン飛ばされてるみたいに怖い顔ね……)……あ、アタシはアリーシャよぉ。いきなりで悪いんだけど~、ジェイド君を知らないかしら? アタシ彼に話があってぇ~」

「ああ~ジェイドか。……うぅん……あの~、用件を聞いてもいいです? メッセは送れるので、伝えておきます」

 

 どうやらすぐに会える状態ではないようだ。やはり単独行動をさせられているか、または自らしているのだろう。

 しかし、これは見ようによってはチャンスである。

 

「なんで今いないのぉ? ギルメンならマップから追えるでしょう? アタシそれだけでも聞きたいな~」

「え、ロム……これ教えちゃっていいのかな?」

「……まあいいだろ。細かいところは省いてさ。……ああごめんなさい、ええっと彼は知人と会う約束をしていて今は……もしくは今日1日かもしれないですが、会えないんです。この村の周辺にはいるみたいでしたけど……」

「ふぅん、そっか~。……うんありがとうねぇ。せっかくだし、ジェイド君のプライベートは大切にしてあげなきゃね。……じゃあこれで失礼するわ。まったねぇ~!」

 

 過ぎ去るアタシの背後で「……ジェイドは今日ぐらいオフの日にしてやるか」などと言っているのが聞こえたことから、アタシの作戦は成功したと見ていいだろう。

 「プライベートを大切に」なんてセリフを、こっちは仕事で言っているのだから説得力はないが。

 

「(これで、ジェイドがターゲットに加わる可能性が少しは減ったかな……)」

 

 PoHは『後は任せろ』と言っていたため、詳しい執行時間は知らされていない。きっと聞いても教えてくれないだろう。アタシは『アル』という名のプレイヤー殺しには参加しないし、見るのも嫌だからだ。

 もっとも、そのプレイヤーを《圏外》まで移動させる方法については大体予想がついている。

 それは《圏内戦闘》の応用である。

 《圏内》では、例えHPに1ダメージも入らなくても、強烈なノックバック現象は再現される。

 同レベル帯ならともかく、彼我に圧倒的な差があった場合、レベルの低いプレイヤーはノックバックを通り越して文字通り『吹っ飛ばされ』るのだ。

 対象が出入り口付近まで来てしまったら、あとはカルマ回復を済ませたラフコフのメンバーによって攻撃され、強制的に《圏外》まで引きずり出されるに違いない。

 

「(念のためにルドの奴を使って、作戦の裏を洗ってもらっとこうかしら)」

 

 ルドとは『ルドルフ』の略称である。彼はラフコフの一員だが、PoHよりアタシに忠実である。単に惚れているのだろう。アタシにとっては使いやすい駒で、ただ1人PoHの管理下にないアタシの兵だ。

 しかし、ともすればPoHへの裏切りに行為に映るが、素性に探りを入れる気はない。

 あくまでルドの役割はラフコフの『任務の監視』であって、反旗を翻そうとしているわけではない。教えてくれない情報を、自分から探りに行っているだけ。巨大化したラフコフも一枚岩ではないという、たったそれだけのことである。

 

「(アタシを慕うルドには、ちょっと悪いけどね……)」

 

 それでも、悪いと思ってやめられるのなら、こんなことにはなっていない。アタシはそう考えるだけで非情になれる女なのだ。

 そうしてルドには、PoHへの作戦経過報告も兼ねて色々と指示を出しておいた。

 

 

 

 それから1時間ほどが経過した。

 アタシはレベリングにも飽きて、また村に帰ってきていた。

 装備のメンテナンスをして《ポーション》系のアイテムを買い込み、心の準備が整い次第、またいつでも攻略に行けるようにする。体に染み着いた日々の作業。朝食をとって歯を磨くことと何ら変わらない、今のアタシの日常風景。

 だが間の悪いことに、そこで彼を見つけてしまった。

 

「(あ、れ……ジェイド? ジェイドじゃない!)」

 

 どういうわけか彼1人ではない。そのすぐ隣には有名な情報屋、《鼠》のアルゴの姿もあった。何か揉め事でもあったのか、彼女に平謝りしている。

 しかし今やソロではないジェイドが1人行動をしていて、女性と歩いているという事実は言いようもなく不快だった。

 

「(なによジェイドの奴、女いすぎじゃない!? しかもアルゴの言いなりみたいになっちゃってさ……)」

 

 アルゴにヘコヘコと頭を下げるジェイドより、彼にそうさせることを強要していた女の方に怒りが湧いた。

 だがもしかすると、ロムライルなる人物が言っていたジェイドとの面会者らしい相手は彼女だったのかもしれない。それに……、

 

「(……それに……アタシはすでにジェイドを裏切ってる。アタシが彼に親しくしていいはずが……)」

 

 どうしても、こちらの犯罪者としての意識が素直になることを邪魔する。

 しかししばらく様子を見ていると、すぐにアルゴが走って去っていってしまったのだ。

 レジクレのリーダーは「今日1日会えないかもしれない」などと言っていた。このことから、ジェイドが会いたがっていた人物は彼女ではなく他にいたのかもしれない。別れるのが早すぎるからだ。

 しかし、こうなると彼の用件はこれで終わってしまう。終わったのなら当然、これからレジクレと合流してしまうだろう。

 そうなればPoHの攻撃対象はジェイドにも及ぶことになる。

 

「(……と、止めなきゃ……!!)」

 

 ゆえに、自分に恐怖するほど、醜いことを考えてしまう。

 先ほどの言葉を意識的に忘れ、アタシがジェイドを守るのだと考えてしまう。レジクレがターゲットとなった今日、彼を守れるのは自分しかいないのだと。

 意識が現実に引き戻される頃には、アタシは逃げようとするジェイドを呼び止めていた。いつもの口調で、淡々と。身に染み着いた技術が脳内の否定を否定して、無感情に話しかける。

 

「ヤッホージェイド! また会えたね、久しぶりぃ~」

「…………」

 

 これが、アタシの運命を決める一言になるとは知らずに。

 

 

 

 


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