SAOエクストラストーリー   作:ZHE

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テュレチェリィロード3 懺悔の義務

 西暦2023年11月18日、浮遊城第47層。

 

「ヤッホージェイド! また会えたね久しぶりぃ~」

「…………」

 

 知り合った当初こそセオリーに則って 「ジェイド君」と呼んでいたが、その後に呼び捨てでと頼まれたので今ではタメ口だ。

 よってアタシは躊躇(ためら)うことなくジェイドに声をかけていた。がしかし、彼はこちらを確認すると、あからさまに嫌そうな顔をしてきたのだ。ちょっとショックである。

 

「……よ、よおアリーシャ。……いつもより髪の毛盛ってんな。アリーシャは金髪だし、形だけ見るとなんかのデザートみたいだ。ま、まさかデートでもすんのか?」

 

 自慢の髪に触れてくれるのは嬉しいが、そう言えば失念していた。アタシは彼のギルドメンバーの友人である『アル』をおびき出すために、いつもより奮発して化粧やらセットやらをしていたのだった。最近寒くなってきたのでインナーは着ているが、ちゃんと露出(ろしゅつ)させるべき部位はさせている。防具もピカピカにしてある。

 さて、しかしデート仕様の理由か。

 もちろん、事実は明かせない。それでいてアタシはジェイドと一緒に行動し続けなければならない。

 

「違うわよ~ん。これから化粧品アイテムの作成のためにぃ、お店巡りしようかなぁって思ってたところ。……あ、でもジェイドが付き合ってくれたらぁ~、デートになっちゃうかもね! アタシ1人は寂しいな~」

「…………」

 

 甘い声で誘惑するたびに、また疲れたような顔をする。なぜこうもアタシになびかないのか。バストだって自信があるし、何が不満だというのだろうか。これほど自分を売って誘っているというのに。

 気合いの手札を切ろうか悩むアタシを差し置き、それでも「う~ん……」などとアタシの気も知らないでジェイドは唸っていた。《鼠》がいいのか、それとも《反射剣》がいいのか。この際白黒付けてやる!

 

「もぉ、ナニ男がぐちぐち悩んでるのよ! あたしと付き合うの!? 付き合わないの!? ハッキリしなさいよ!」

「えぇええッ!? なんかその言い方スッゴいヤなんだけどっ!? ニュアンス変わっててスッゴい誤解生まれそうなんだけど!!」

 

 アタシとジェイドがガミガミ大声で言い合っていると、野次馬根性丸出しのオス共がアタシ達を囲んで嘆きのセリフを吐いている。中には「またあいつか!」なんて罵っている男もいたが、まさか女をとっかえひっかえしているのだろうか。

 そしてそれを見た彼は、焦ったのかアタシの手を引いて切羽詰まったまま全力疾走した。

 

「ああもうッ!! わかったから主街区(フローリア)行くぞ! とにかく話はそれからだ!!」

「あぁん。……強引なんだからぁ」

 

 シナリオ通りとまではいかなかったが許容範囲だろう。周りの連中など眼中になかったものの、野次馬のおかげでこの結果が導かれたのだから1ミリぐらいの感謝を寄せてやってもいいかも、なんてことを考えてしまうのだった。

 

 

 

 それからアタシ達は4時間近くに渡って、47層の主街区を遊び尽くすことになる。

 豪遊三昧で浪費家なアタシにとっては短すぎる時間だったけれども、その間にアタシは彼の色んな表情を見た。色んな仕種を、クセを、好みを、特徴を、魅力を発見した。

 それだけでアタシは幸せだ。

 彼と深く接することができた。比べるわけではないが、それはPoHのことを知るのと同じぐらい幸福なことだった。もっとも、彼はアタシに最小限のことしか教えてくれないが。

 

「ふい~、遊んだ遊んだ。攻略以外でこんな金使うのも珍しいもんだ」

「もぉ~アタシといる時ぐらいそんなこと忘れてよ……あ、ちょっと待ってね」

 

 アタシはジェイドとの会話中、自分のメッセージアイコンが明滅していることに気づき、会話を中断して文を読む。

 読む前からある程度覚悟はしていたが、嫌な予感は的中していた。

 

「……?」

「…………」

「……どうしたアリーシャ?」

 

 黙り込むアタシを見て(いぶか)しんだのだろう。ジェイドは心配そうな声色で声をかけるが、アタシは毎度のごとく涼やかに嘘をついた。

 

「い、いえ。何でもないの……それよりちょっと用事思い出しちゃった。アタシそろそろ帰らなきゃ」

「そうだな、もうすっかり夜だ。なんなら送ってっても……あ」

 

 今度はジェイドが声を詰まらせた。待ち合わせの時間を忘れていて寸前で思い出したのだろうか。とにかくそんな声だ。

 

「……ジェイド? どうしたのよ急に」

「ああいやなんでもねぇんだ。こっちの話でな……と、とにかくなんでもない!」

「それならいいんだけど、そろそろアタシ帰っちゃうわよ?」

 

 占領していたはずのアタシの領域が脳内から弾き出された気がして少しムッとなる。せめて今だけはアタシのことを見てほしい。

 ――とは言っても、もう帰っちゃうんだけど。

 

「1人で帰れるか?」

 

 そう言うジェイドに「じゃあ見送って」とは返せなかった。困らせてやりたいと思う反面、それとは真逆な想いも溢れてくるのだ。もちろんアタシの都合もある。

 それでも、少しはからかわないと収まりもつかない。

 

「子供じゃないんだから帰れるわよぉ~。あ、でもお別れのキスぐらいはほしいかなぁ?」

「き、キスぅ!? ここにはそんな文化ねーぞ!」

「フフン、冗談よ。じょーだん……それじゃあホントに行くわね。また時間空いたらこうして主街区巡りしましょ?」

「あ、ちょっと待って。1つ聞いていいか?」

 

 アタシは本当に帰ろうとしていたが、今度はジェイドに呼び止められた。

 

「ん、何かしら?」

「しゅうかいどうって花を知ってるか? ほら、今日はやたら咲いてる種類とか教えてくれただろ? そういうのに詳しいなら、できればその花言葉も聞いときたい」

 

 これは意外である。攻略目的でない発言というのもあるけれど、それ以前にジェイドに花の種類について聞かれるのは思わなかった。

 特段アタシも詳しいわけではないけれど、あんちょこを見ながら知った被ってうんちくを垂れてしまった手前、ここでシラを切るのも気が引ける。

 

「へぇ、らしくない花を知ってるわね。ちょっと待ってね、花言葉一覧が載ってるメモ帳持ってるから。……んん~……あった! えぇ~となになに、秋海棠は特徴的な赤が綺麗な秋の花で、花言葉は……」

 

 花屋でオプションとしていただいた、その花言葉のカレンダーアイテムに書いてある言葉を読み取り、アタシは教えるのを躊躇(ちゅうちょ)してしまった。

 花言葉は『片思い』。こんな偶然があるのだろうか。PoHにもジェイドにも、この気持ちは一方通行だ。今のアタシが誰にも明かせないもう1つの秘密。

 そしてアタシの中で色んなピースが当てはまる。アルゴと会っていたこと。ヒスイがこの男とよく一緒にいること。ジェイドが今日1人でいたこと。こんな夜遅くからある『用事』とやら。

 教える前に聞かなくてはならないことがある。

 

「ちょっとその前にアタシからも聞いていい? まさかとは思うけど、これから反……いえ、ヒスイさんに会う予定とかあったりする?」

 

 すっごくバレバレな動揺の仕方をするジェイド。もう何も言わなくてもいいぐらいだ。

 とは言え、まさかこんなことになるとは。タイミングが悪いなんてものではない。アタシの片想いを差し引いたとしても、考え得る限り最悪のシチュエーションである。

 

「ま、まあな。っつかよくわかったな」

「ッ……そ、そう。あのでも……えっと、今から会うのよね……?」

「ああそうだけど、何かマズかったか?」

 

 非常にまずい。より正確に言えば、たった今忠犬(ルド)からもらった調査報告のメッセージによってまずくなった。

 有り得ない。これではせっかくのアタシの行いが水の泡だ。この時間は楽しかったけれど、最終的な目的は観光地を遊覧して回るのではなく、彼を危機から遠ざけることだったのに。

 

「いいえ、そんなことはないんだけど。でも……気をつけてね。それだけよ……」

「ん……?」

 

 事実をそのまま伝えられないことが、こんなに苦しくなるとは思わなかった。今までは素性や事実を誰にも明かさないようにしてきたのに。

 こうなったらアタシが自分の力で何とかするしかない。ジェイドに気づかれることなく、なお何事もなく終わらせる。裏方の手回しなんて、知るよしもないまま。

 

「(PoHを裏切れば、ジェイドを守れるんだ……)」

 

 こんなことが考えられるようになるまで、アタシを変えてくれた。自分の過ちを認めて、悪さすることを金輪際やめる。

 ここが分岐点だ。ここで変われなければアタシは一生変われない。

 

「(やるのよ、もえ(・・)。これはアタシにしかできないのだから……)……本当に何でもないの。……あ、秋海棠の花言葉よね。ここには『片思い』って書いてあるわ」

「片思い、か」

「ね、ねぇジェイド。最後のわがままなんだけど、いい?」

「内容による」

「即答! ……ねぇ、アタシと……個人用の《共通アイテムウィンドウ》を作ってほしいの。別にここにアイテムを置いてほしいわけじゃない。何も取ったりはしないわ。……ただあなたとの繋がりが、目に見える形でほしいのよ……だめ?」

「…………」

 

 少しだけ考え込むジェイド。回りくどい『友情の証』に対して疑問を持ったのだろう。

 

「……ん、まあいいさ。オッケーだ。んじゃ早速済ませちまおうぜ」

 

 ジェイドは、どこかひっかかったままのような素振りを見せたが、特に不都合もないようですぐに承諾してくれた。

 しかしこれでもう後戻りはできない。ほとんど衝動的に持ちかけてしまったが、これは明確な反逆行為になる。もういつ以来か忘れるほど久しぶりに、『善の心』に則った行動。

 だが、だからこそ後悔はしていない。

 PoHとの関係は崩れ去ってしまうが、アタシは新しい理解者を得た。遅すぎると思っていたのに。もう過ぎたことだと受け止めてしまい、彼との関係は反面教師にもなれない『嘘の象徴』だった。アタシの天邪鬼を具現化した関係だった。

 それなのに、アタシは考えを変えることができた。正しいことをするのに遅いも早いもないのだと。

 ラフコフ脱退の、揺るぎない決心。

 アタシはPoHを裏切った今の自分が誇らしかった。

 

「じゃあ今度こそこれで。……ま、また会いましょう」

 

 アタシはあえてせわしそうにジェイドの視界から消えた。その必要があったからだ。もう振り向かないし、ここからはアタシの決意の証明である。

 緊張しているはずなのに逆に感情が落ち着く。やるべきことが理路整然と脳内に列挙され、バクバクと鳴るうるさい心臓をよそに驚くほど体はスムーズに動いた。

 

「(まずはレジクレの人達ね。……やってやる!)」

 

 ルドの探りによって今日1日のラフコフの動きが事細かに判明している。アタシはクリアになった情報を元に、状況の整理と次の行動内容を決めた。

 「お願い、出てちょうだい……」という祈りが通じたのか、《インスタント・メッセージ》による簡易メールを、レジクレのリーダーである『ロムライル』宛に送ると、すぐに返事が返ってきた。

 彼らは迷宮区の外にいて、かつこの47層にいるということになる。これで最低条件は揃った。

 アタシはすぐさま次の文を送る。内容は単純で、今から会って少しだけ話せないかというものだ。さらに待ち合わせ場所は《圏内》にしたので、疑いもほどほどに二つ返事で了承してもらえた。

 

「(ジェイド……あなたが認めてくれるなら、アタシはそれに相応しい信用を得たい。アタシはあなたを求めるから、あなたはアタシを必要としてほしい)」

 

 彼を求める。彼の全てがほしい。友情や信頼だけではなく、彼の心も体も、何もかもを。

 だから彼も求めてほしい。今までのキャリアをなげうってでもいいと思わせた彼になら、アタシはPoHへの忠誠すら供物にできる。ジェイドが「軽蔑しない」と言ったのだ。相談なら彼にする。懺悔なら彼に行う。

 『彼』ではなく、ジェイドに。

 

「ハァ……ハァ……待っててね、すぐに……っ!!」

 

 アタシはほんの少しの力も緩めずに、夜のフィールドを駆け抜けた。

 

 

 

 《渡り鳥の羽根休み》。少し長ったらしく、変わった名前の宿にレジクレは泊まっていた。

 時刻はもうすぐ夜22時を回ろうかというところ。夜になると特定モンスターのステータスが上昇すること、プレイヤーの視界が狭まること、アタシが善良市民からむしり取ったコルで揃えた、高級装備に助けられているだけの『弱小攻略組』だということ。あらゆる要素が重なって、アタシは迷宮区直前の村である《リズン》へ来るのにかなり時間をかけてしまった。

 

「あ、あの~……どうしてそんなに慌ててるんですか? ジェイドについて話したいとのことでしたが、彼に何かあったんですか?」

「ハァ……ハァ……違うわ。いえ、そうかもだけど、でも聞いて……落ちっ……落ち着いて聞いて……」

 

 乱れた息でそう言うアタシに説得力がなかったのだろう。ロムライルという大男は首を傾げて困ったような表情をする。アタシは仕方がないので、しばらく呼吸を整えるのに専念してから話題を切り出した。

 内容はシンプルである。しかし経緯を省き事実だけを聞かされたレジクレのメンバー3人は、どう反応していいかわからないような状態に陥っていた。

 その混乱の中から最も早く脱したのは、またもロムライルだった。

 

「つ、つまり……ジェミルが《はじまりの街》に残してきた友人アルというプレイヤーは、いまPoH達ラフコフの人質になっていると。……その殺戮現場をオレらの前で披露して、激怒したオレ達を返り討ちにしようとしているんですね?」

「その通りよ。……そしてアル君をゲート付近に呼び出したのはアタシ。そこからどうやって35層まで連れて行ったのかは話すと長くなるけど、場所は特定できてるわ。フィールドの《迷いの森》という場所の直前の岩場で」

「なんでッ!!」

 

 アタシが説明を続けようとすると、『ジェミル』と呼ばれていたそばかすが特徴的な小柄、および軽装の短剣使いの男性が割って入ってきた。

 

「何でそんなことしたの! アルが何したって言うんだ! あんたが余計なことをしなきゃこんなことにはならなかった!! ボクの友達を返してよ!」

「……ええ、その通りよ。ごめんなさい。アタシがこの事態を招いたの。理由はもう察していると思うけど、アタシがラフコフの正規メンバーだから」

『ッ……!!』

 

 さすがは《レッドギルド宣言》作戦である。大掛かりだっただけに、世に与えたインパクトは大きい。

 ゆえに少年らの動揺も大きかった。

 

「……で、でもッ……!!」

「確かに体力バーの横にギルドアイコンはないわよね。……でも、聞いて。……疑うなら疑えばいい。ただ事実を聞いてほしいの、アタシがなぜここに来たのか……なぜこのことを打ち明けているのか」

 

 ロムライルという男だけはほとんど全てを察したのだろう。達観した様子でことの成り行きを見守っていた。

 

「アタシはラフコフ……いいえ、PoHを裏切る。そもそもこれを誰かに伝えることこそが明白な反逆行為よ。それでもアタシはここに来たし、それを後悔してない。アタシはこれからありったけの事実とPoHへの対抗手段をあなた達に教える。それを実行するもしないもあなた達次第。……じゃあ説明するわね」

「ま、待って。せめてアルが捕まっていることが事実かどうかだけでもぉ……」

「連絡しようと言うの? それはダメよ。今のあなた達はその子が捕まっているということを知らない、という前提がある。それが覆ると彼らは必ず警戒する。アル君も危険になるし反撃のチャンスを失うわ」

「…………」

 

 この発言で3人とも黙秘してアタシの言葉に耳を傾けてくれた。それを確認すると、早口ながらも全部を吐露した。

 アルという少年。夕方には捕まった彼が、なぜ数時間に渡り殺されなかったか。それは別の『殺戮ショー』とタイミングが重なったからだが、それだけではない。

 どこで囚われているのか、戦闘員から能力構成まで、PoHを前にした時の対抗策や対話術、救出までの段取りや作戦例。

 全部。アタシの知る限り、教えられる限りの協力をした。

 

「ラフコフ脱退は……PoHの目の敵にされると思う。言いたくないけど、これで逆恨みされて……殺されるかもしれないんだよ?」

 

 ジェイドが昔からの旧友だと言っていた『ルガトリオ』という男が、アタシにそう忠告してきた。しかし、見た目は可愛いナリをしているが、こういうところではまさに表の住民といったところか。

 そんなことは、言われなくても理解している。

 

「それが怖くちゃここへは来てないわね。……これはアタシの義務。あなた達に提示できる精一杯の証明。でも情報を提供したことは、PoHにはまだ黙っていてちょうだい。アタシは内部からラフコフに牙を剥くわ。……その妨げになるの」

 

 細かい情報が詰まりに詰まっていたからだろう。アタシが提案した内容に異議もなく、要求はすんなり通った。

 

「でも、こっちからも質問したい」

 

 ロムライルはリーダーとしての冷静な判断を下し、アタシに聞くべきことを次から次へと聞いてきた。そしてそれらのほとんどは、今回の事件とは関係の薄い情報だった。きっとこれを機に、ラフコフの内勢や行動パターンをリークさせるつもりなのだろう。常日頃から正義感で動いているだけはある。

 当然アタシはもれなく回答し、それから戦闘準備を整えてロムライル達3人は、《転移結晶》で35層主街区《ミーシェ》へと急行した。この時点で別々となったが、彼らはすぐにでも行動を開始するだろう。

 アタシも準備をしようと場所を移動している途中、アイテムストレージから《録音結晶》を取り出した、その時だった。

 

「(メッセージアイコン? ルドの役割はもう終わってるのに、誰からかしら……)」

 

 アイコンのタブを右手の人差し指で押すと、メッセージウィンドウがアタシの眼前で展開された。

 そして、その内容はアタシの心を動揺させる。

 差出人はPoH。注目すべきはその内容だった。

 

「(PoHがアタシに会いたがってる? 誰にも言えない大事なことってなんだろう……)」

 

 アタシは一般人から疑われないように《索敵》スキルを持っている。ソロとして有名になっているのだから、危機察知手段の確保として当然だ。

 しかしだからこそ、その派生機能(モディファイ)として《プレイヤー索敵》を獲得済みでもある。PoHが1人でアタシに会いたがっているのか、あるいは多人数で待ち伏せしてあるのか、そうった最低限の戦況なら相手が誰であれ事前に察してしまうだろう。

 看破(リピール)されない自信があるのか。それとも本当に1人でアタシと会いたがっているのか。

 けれどそこまで深読みしてから、慌ててかぶりを振った。

 

「(い、いや、いま彼を疑うべきじゃないわ。彼はアタシが裏切っていることを知らないはず。これはギルドが任務を与えようとしているだけ……そのために、呼び出そうとしているだけよ)」

 

 心ではそう言い聞かせつつ、呼び出しの心当たりはない。

 加えてPoHは『2人きり』で会いたがっている。こんな要求は彼らしくない。それに、文面では伏せられている大事な話というのはなんだろうか。

 荒れた大地を駆けながら、その答えだけはいくら捻っても出てこなかった。

 しかし疑問は尽きないが、この時点で命令に背くわけにはいかなかった。闇雲に反抗するのではなく、アタシは自分なりの作戦に沿って反撃しなければならない。

 

「(『了解。すぐ向かう』っと、これでよし。……でも、これだけは転移前にやっておかないと……)」

 

 アタシは《録音結晶(レコーディング・クリスタル)》を取り出す。さらにその機能をオンにすると、アタシがジェイドに伝えるべきことを長々と録音した。

 彼のためにできる最大限の助言を。文ではなく、声で伝えることで少しでも気持ちが届くように。

 

「…………」

 

 全ての……いや、たった1つ(・・・・・)の告白を除いてアタシは素直になった自分の言葉をアイテムに載せた。

 そしてその《録音結晶》を、先ほどジェイドと作った《共通アイテムウィンドウ》のストレージ内に置く。

 同じ層の、それも迷宮区にいないプレイヤーにしかこのシステムは機能しないが、ジェイドはあれから他の層にも迷宮区にも行かなかったのだろう。共通ストレージはきちんと役目を果たしてくれた。

 これで準備は整った。

 それにPoHに呼び出されたのはこちらとしても好都合だ。むしろアタシはいかにしてレジクレをおびき寄せる『客人』の、つまりアルの殺害現場に介入するか、そもそもアタシを同行させてくれるのか、そちらの方が不安だったのだ。

 ここでラフコフのトップであるPoHに直談判すれば、運が良ければ自然な形で現場に直行できる。

 

「ここが勝負どころね……」

 

 アタシは誰にも聞こえないよう、そう呟くのだったり

 

 

 

 しばらくすると、PoHが指定した層、前線から11層も下の36層へ《転移門》を利用して降りてきていた。

 目的他は《レイヤー・ポータル》。全ての層の主街区からほんの数十メートルの位置に必ず設置された、真っ白に光る人間大の結晶だ。同時にプレイヤーが無料でテレポートできる数少ない手段の1つでもある。

 オレンジカーソルのプレイヤーは、基本的に主街区に入ろうとしても強力なガーディアンに阻まれる。しかしここならカーソルカラーが何色であってもぎりぎり近づける距離なのだ。

 そして転移したい層のポータルが協力者によってオープン状態になると、プレイヤーはポータルを利用して転移することができる。

 例えば1層にいる誰かを転移させたい場合、アタシがこの36層のレイヤー・ポータルにて転移元の層とその人物名を指定することで、1層にいるそのプレイヤーはポータル越しに36層へ転移することができる。

 本来の使われ方は、捕獲したオレンジを《はじまりの街》裏側の入り口から《牢屋(ジェイル)》に入れるための装置だ。実は《黒鉄宮》のジェイルに直通しているゲートがある。

 しかし、アタシのようなグリーンカーソルの内通者がいれば、こうした悪用方法で層の移動ができてしまう。

 過去にラフコフ5大幹部であるザザが『ステルベン』という昔の名前を捨てる際にも、1層にある《ネーム・チェンジクエスト》を受けるためにこれは使用された。

 《圏内》にしか設置されていない《転移門》からでは犯罪者は層の移動ができない。だから犯罪者をジェイルに送ることはできない、というジレンマめいた事態を防ぐために設置されたのだろうが、逆転して犯罪者にいいように使われてしまっているのが現状である。

 もっとも、アタシは今回ばかりはこの機能に感謝しなければならないだろう。こうしてPoHを呼び寄せて、アタシが彼に直接交渉を持ちかけられるのだから。

 これならタイマンで話せる。アタシが呼ばれる側なら待ち伏せされていても対処できなかったが、呼ぶ側ならPoH以外を転移させなければそれで済む。

 

「(い、いえ。だからアタシが疑われているという前提が間違ってるんだってば……)」

 

 アタシは自分にそう言い聞かせるが、どうしても嫌な予感だけが拭いきれなかった。

 この言いようのない不安はいったいなんだろうか。

 

「(……あ、転移が始まった……)」

 

 考え込んでいると、目の前で光るポータルがさらに激しく発光した。今になってジェイドに《共通アイテムウィンドウ》に《録音結晶》を置いたことを、インスタント・メッセージで伝えておけば良かったと思ってしまう。しかし今さら気付いても遅すぎる。

 そして光が収まる頃には、1人のプレイヤーが直立していた。

 

「アリーシャ、直接会うのは久しいな。……ポータルでのテレポートは俺だけだが、ここは人目に付く。さっさと移動だ」

「ええ、ハイディングは一応発動しておいてあるわ」

 

 アタシ達は早歩きでその場を後にした。

 しかしレイヤー・ポータルから距離を空けるのもほどほどに、PoHは鬱蒼(うっそう)と生い茂る木々の中で立ち止まった。そうして振り向くと、アタシの予測を遙かに上回る話題が振られてきた。

 

「アリーシャ。今までよく頑張ってくれた。……金をかけたからではない。お前が才能を開花させたからこそ、実現せしめたことだ。誘導役としての才能は掛け値なしで一級品だろう、誇っていい」

「ぇ……あ、ありがとう……」

 

 彼に褒められるのはいつ以来だろう。立場も忘れてドキドキするが、同時に心臓当たりにチクリとした痛みも走った。

 

「ラフコフの活性化はやはり幹部による活躍が大きい。アリーシャがその位置にいることが、俺の目が狂っていなかったという確たる証拠だ」

「……PoH? どうしたの急に。『特定の部下への態度を変えると、他の部下から信頼を失う』と言ったのはあなたよ?」

 

 あまりの変わりように動揺を隠せない。ポリシーを貫いてきた彼の実績を鑑みると、君子豹変もはなはだしい。ここでアタシからの信頼を強めても、個人の優遇はギルド全体を通してみるとマイナス要因にしかならないはず。これはラフコフに限らず、どこの大集団にも言える常識だ。

 しかしPoHは構わないといった風に話を進めた。

 

「No problem。このことはメンバーの数人には知らせてある。それに、薄々気付いているだろう? これは以前から決めていたんだよ、アリーシャ」

「…………」

 

 まさか、とは思う。妄想でしかないはず。しかし、昨日までのアタシは……いえ、先ほどまでのアタシは胸奥で強く願っていた理想の未来。

 女性を魅了するような魅惑の美声でPoHは滑らかに、それでもはっきりと発言した。

 

「時は十分に満ちた。俺と結婚しろ、アリーシャ」

「……ッ……!!」

 

 息が止まりそうになった。

 嬉しくて心臓が跳ね上がるのを感じた。アタシはこの言葉を待っていたのだ。PoHがラフコフの関係を投げ捨ててでもアタシを求める日、その決定的な言葉を。

 しかし同時に苦しくもなる。せっかく……せっかくPoHがこう言ってくれたというのに、アタシは今まさに彼を裏切ろうとしている。

 この世界の結婚が現実のそれとは違えど、SAOにおける《結婚システム》は、他の関係とはまるで重みが違うのだ。

 狩りにおける経験値のボーナス、連絡網の強化、一時的(テンポラリ)ストレージの活用。その他ソロでは得られない多人数による目に見えない優位性。

 これだけではない。SAOで結婚すると言うことは、自分の全てをさらけ出すということ。あらゆる登録におけるデフォルト機能はもちろんのこと、スキルやステータスはお互いに参照し放題で、極めつけは『全アイテムストレージの共通化』ときている。

 少しばかり信頼が強い程度では到底この関係を築くことなんてできない。命すらかかった、真の意味での生命線をさらけ出す。それが《結婚》。血肉を削いでかき集めたアイテムの共有という、この世で1番相手を信じた時にできる最上級の愛情表現。

 

「PoH……」

「俺とアリーシャだからこそ達成しえることだ。お前を受け入れた俺を、拒むはずがないだろう?」

 

 その提案を前に、アタシは首を横に振るしかなかった。断れようがない。ラフコフを脱退するという決意はどうしたのか、そんな心の声が繰り返し響いていた。しかし、何と言われてもどうしようもない。

 好きなのだ。PoHもジェイドも、むしろこの2人だけがアタシにとっての大事な男性。彼らだけが争わなければいいのに。彼らだけが無関心でいてくれれば、無関係でいてくれれば、それだけで良かったのに。

 でも、これは……、

 

「(何だろう、嬉しいのに……こんなに鼓動が激しいのに。なのに……)……なんでだろう、嬉しくない。アタシ嬉しくないよぉ……」

「……アリーシャ?」

 

 自分の声が鳴き声のそれに変わりつつあるのを実感できた。

 PoHの輪郭がぼやける。瞼に涙が溜まってきているのだ。次第にそれは頬を伝い、わずかに生える草木へしとしとと吸い込まれていく。アタシは今まで押し殺してきた感情が、とどめなく流れ出ていることをせき止める努力もしていなかった。

 

「なんでぇ……アタシ……もうわけわかんないよぉ……」

「…………」

 

 泣きじゃくるあたしを前に、PoHは無言でウィンドウを操作し始めた。

 そして、しばらくそれらを見つめて待っていると、なんとも気の抜ける着信と共にPoHからプロポーズメッセージが送られてきた。これが簡略化を極めた《結婚》の承認スキームである。

 

「この奥で待っている。気持ちに応えてくれたなら俺の元に来い。俺は愛している。あとは、お前次第だ」

 

 それだけ言って、PoHは木々に隠れて見えないところまで歩いていってしまった。

 その場にはアタシだけが取り残される。

 

「(このメッセージ……受ければ、アタシはPoHのお嫁さんになれる……)」

 

 これだけ泣きはらしたら、現実世界なら目元は真っ赤だろう。しかしここでは事情が違う。アタシが袖で涙を拭くと、泣いていたという証拠はなくなった。

 結婚だって同様。仮想の世界での、仮想の結婚。本物ではない……、

 

「(本物じゃないんだ……)」

 

 ふと思う。これが、名実共に嘘の婚約だとしたら、PoHの気持ちが本物でなかったとしたら。

 このプロポーズには2つ目の意味が乗せられているということになる。

 

「(それを確かめられるのはアタシだけ……ううん、確かめなければならない責任がある)」

 

 決意を新たに。もう弱虫なだけではない。泣いてばかりでも、誰かに依存してばかりでもない。

 ここが分岐点だと。そう、すでに決めたことではないのか。

 意を決したアタシは、ウィンドウを展開させたままPoHのいる場所へ歩いてきた。足取りは自分で思ったよりしっかりしている。あとは本当に伝えるべき言葉を紡ぐだけ。

 

「アリーシャ、気持ちは定まったか」

「ええ。……PoH、愛してるわ。プロポーズはすごく嬉しかった。……アタシもあなたを信じてる」

 

 彼の目の前でウィンドウを操作し、《プロポーズメッセージ》を受諾した。これでシステム的にもアタシ達は夫婦になり、今後共に歩むべきパートナーになったのだ。

 ……だから、なのだろう。

 PoHは迷うことなく、腰に携えた大型のダガーを右手に持って構えた。

 

「Oh so sad。じゃあなアリーシャ、死んでくれ」

 

 この時のアタシには、PoHの持つ刃の剣身が、月明かりを銀色に反射していることだけが印象に残っていた。

 

 


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