SAOエクストラストーリー   作:ZHE

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第52話 悪意のありか

 西暦2023年11月19日、浮遊城第47層。

 

「(今しかない!)」

 

 俺はミンスとその護衛役であるタイゾウの言葉に耳を傾けながらも、最小限の動きで素早くある行動(・・・・)をしていた。

 

「かぁー! いいとこだったのによぉ。……んじゃあこれ、はいあ~んしてヒスイちゃん」

「く、誰がそんなもの! ふざけないで……これ以上触られるなら、死んだ方がマシだわッ!!」

 

 ヒスイは、痙攣(けいれん)して動き辛くなった右手を必死に動かしながらウィンドウを立ち上げようとするも、タイゾウに腕ごと踏みつぶされてあえなく失敗する。

 しかも艶のあった髪を乱暴に引っ張り、原料不明の液体を無理やり口元に押し付けている。奴の慈悲無き一方的な蹂躙も、状態異常となっているヒスイにはシステム的にも覆しようがない。

 

「(ヒスイ……もう少しだけ耐えてくれ……)」

「ほら飲んでよ、じゃないと口移ししちゃうよぉ~? ヘヘヘッ。おれがあのあと(・・・・)、親友だと思っていた2人に捨てられてからは大変だったんだぜ? もうお前はリーダーじゃないってね。おれだけを悪者にして、あいつらだけ被害者面しやがったんだ……クソッ!! みんなノリノリだったってのになぁ!! ……でもヒスイちゃんのことだけはずっと覚えてたんだよ? あぁ~、このほっぺの感触……懐かしいなぁククク。ゲスと罵りたきゃそうすりゃいいっ!」

 

 タイゾウはヒスイの頬を手で挟み、強制的に顔を自分の方に向けている。そして魔法瓶のようなアイテムを手に、とうとうその口へ液体物を流し込んでいた。

 

「ぅ……ふっぐぅ……ッ」

 

 ヒスイはやがて緑色の液体を嚥下(えんげ)させられ、せっかく解けかかってい麻痺ステータスが再適用されている。

 ミンスが「原液」と表現していたその液体物は、推測するにおそらく麻痺毒の原液のことだろう。効力のほどは確かめようがないが、解毒しなければきっと長時間彼女を縛りつけるに違いない。奴らラフコフはどうやってか、不純物と撹拌(かくはん)された毒液からも抽出する方法を編み出し、それをプレイヤーに向けて使っている。と、ロムライルがレジクレのミーティング時に教えてくれている。

 モンスターに使用し、麻痺したところを一斉攻撃をする戦術が主な使用法だが、『原液』なら水に混ぜることでプレイヤーに飲ませることもできたと聞く。

 所詮道具は道具。使う人間によってはその方向性はガラリと変わる。その悪い例がこいつらの使い方だ。

 そしておそらく、タイゾウという人間はヒスイのことが本当に好いていたのだろう。

 深い愛だったからこそ、その想いが強すぎたからこそ、極度な独占欲が生まれた。それが巡り巡って今の『タイゾウ』を作り上げているのだ。

 そもそも、ソードアートのソフトを購入した人間は所詮ゲーマーだ。たかだか1万人集めたからといって、そうそうサイコパスじみた考え方を持つ人間は集まらない。それはタイゾウだって同じはずである。

 現に俺が初めてこいつと会った1月中旬、記憶が正しければ、まだ俺と同じ《両手用大剣(ツーハンド・ソード)》を使っていたはずのタイゾウは、ここまで悪意の塊のような奴ではなかったと思う。

 それが友に捨てられ、欲は満たされず、かといって普通の生活に戻れるわけではない。ともすれば生き方を間違えることは往々にしてあるはずだ。

 SAOが彼を変えた。

 この世界が彼を歪めた。

 今では『対人戦』に向いた細く、速い《レイピア》の武器を持って。

 悪いのは、裁かれるべきは、かの茅場晶彦であるはずだ。

 そう考えると、彼も不幸を背負う者。だが、道を踏み外したのなら正せばいい。今からでも、いつだって正しいことをするのに遅いも早いもない。

 

「タイゾウ、聞け」

「……あぁん?」

 

 『殺せば解決』ではない。しかも、今では殺すことそのものが難しい。

 それに彼が今の行いを悔い改め、犯罪を今後いっさい止めることに越したことはないのだ。むしろそれが1番の解決方法とも言える。

 

「……ヒスイはな、この世界で苦しむプレイヤーを延々と救ってきた。休むことなく、始まってからずっとだ。俺もクズだったけど、この女おかげで救われた。こんな人間でも助けてくれたんだッ!」

「ハッ、おれは狂わされたぜ」

「……今からでも遅くない。正せばいいだろ! 足洗って普通に攻略に参加して、早ェとこ別の生きがい見つけろよ。ぜってぇその方が楽しいって!」

「おやおや、説得して改心させようと? 無駄だよジェイド。ここから抜け出す保証がない限り、もうこの世界が私達の世界さ」

「黙ってろ、ミンス……」

「更生したくば、さっさとSAOをクリアすればいい。それができないのなら……あとは察してくれ」

「ッ……なんでっ……テメェはそんなことが普通に言えンだよ!? 気の合う奴だと思ってたのに! どうして人間離れした考え方しかできない! どう生きてりゃそうなれるッ!!」

 

 理解できない思考に怒鳴りつける。しかし、意に介さないと思っていた彼は、メガネを片手で持ち上げて逆に激昂した。

 

「なんで? どう生きれば? は……はっハハハハははッ!! まるで私がおかしな人間だったみたいな言い方だな!? やめてほしいよ、そういう除け者扱いは。私だってしがない大学の、ただの院生さ。単位1つ落としたこともない、絵に描いたようなクソ真面目な学生だったよ。……それで? 就職目標は暗殺者でもなんでもなかった。望んでこの道を選んだのではない! 私の精神はここ(・・)で少しずつ病んでいったが、そんな私を必要としてくれる人がいた。共に歩くと決めた人物、知的で高貴な方こそがPoH様だった!! ……私は彼を尊敬し、彼は私を尊重する。彼が人殺しをしようと、仮に人助けをしようと……一生ついていっただろう。君ではない、彼が私を救った! 運命だったのだ! お前だって変わっただろうにッ!!」

「ッ……!?」

 

 俺は滅多に見ないミンスの激しい感情を目の当たりにして、驚きながらも腹の奥では静かにその気持ちを()み取ることができた。

 彼の過去に何があったかは知らない。もしかすると、PoHに命を助けられたのかもしれないし、生きる希望を見つけてもらったのかもしれない。それが今の彼を形作っている。

 俺もずいぶん変わった。この世界に来て、ヒスイという女性に出逢えて変われた。俺以外、例え何千という人間が死のうとも「自分が助かればそれでいい」と思っていた頃から、抜本的な価値観を変えてもらえた。

 ではプレイヤーの全員がそうだっただろうか。……答えは否だ。

 俺は恵まれた幸運を振りかざしているに過ぎない。

 変わらない人間こそイレギュラー。変わらない人間こそレアケース。

 そんなことは頭のどこかで感じていたことだ。俺だっていつああ(・・)なってもおかしくなかった。環境にばかり文句をつけ、八つ当たりの延長で犯罪者となって、道を踏み外して人を襲って、いつフィールドで野垂れ死んでいてもおかしくはなかった。

 そうなる可能性は随所に転がっていた。

 それが、今ではどうだろうか。気性穏やかな恵まれた仲間に囲まれ、不自由のない生活まで保証されて。ストレスやノルマ、ギルドの上下関係や付き合いなど、いろんな敵と戦うプレイヤーからは幸せ者とすら羨まれている。

 

「いやぁ、ひと月前のレッド宣言は愉快だったよ。私が溜めに溜め込んだ秘密を世界中に発信する。……さすがだ。こうやって、メンバーのニーズにきちんと応えるところが素晴らしい。それに私は……」

 

 俺を無視してミンスはうわごとのようにブツブツと昔のことを喋っている。勝利を確信している時の、人が(おご)り油断しきった時の目。

 そして俺は話している途中、ミンス自身の無駄口から現状の突破口を教えてもらっていた。ミンスもタイゾウも自分のことに夢中でそれに気づいていない。これが最初で最後のチャンスだ。

 

「(……テメェら哀れだよ。でも、やってることは許されない。だから負の連鎖は俺が断ち切る。……頼む。気づかないでくれ……)」

 

 内心で祈りながら膝をついて諦める……フリをした。さらにゆっくりと、そして確実に不可視状態のウィンドウを操作する。

 そう、俺は音を立てることなく《メインメニュー・ウィンドウ》を立ち上げることに成功していたのだ。1番バレる可能性の高かった初動のウィンドウの立ち上げ行為は、ミンスが俺から視線を外した瞬間に完了している。

 

「(ついさっき、ミンスのメッセージでジャマされた時に、ウィンドウ操作中の全ての音を《消音設定》にしておいて良かった。……あとは、《ギルド用共通アイテムウィンドウ》を開くだけだ……)」

 

 ヒスイとの雰囲気を壊され、半ばやけくそのように行っておいた消音設定。そのおかげで今の俺のウィンドウ操作にはサウンドエフェクトが発生しない。

 限られた手札で現状を打破するチャンス。これを活かすべく、さらに次の行動に移っていた。ミンス本人が俺に与えた逆転の裏道。《共通アイテムウィンドウ》の話をされた瞬間から狙っていた、最後の切り札。

 

「(……よしこれで……な、なんだッ!?)」

 

 俺がギルド用の共通ウィンドウを開くと、そこには切り札が……なかった。

 間違いなく求めていたタブを開き、そこに収納しておいたはずのレアアイテムが。

 

「(ない……ない! そんなバカな……俺は確かにここに……ッ!!)」

 

 嫌でも思い至る1つの可能性。

 『ギルドの緊急時にギルドのために使用する』という条件しか設けられていなかったそれは、ともすればロムライル達にも使用権限があったことになる。

 つまり……、

 

「(昨日まではあったのに、ロムライル達に使われたってのか!? よりにもよってこのタイミングでッ!?)」

 

 タイゾウは今もヒスイの体中をまさぐっている。思うままに脚をさすり、尻部に頬を当て、手を握り、髪の香りを嗅ぎ、覆い被さるように全身をくまなく撫で回す。その醜悪な色欲を前に、ヒスイは目に涙を浮かべながらも必死に声も漏らさず耐えていた。

 嫌なはずだ。仕返ししたいはずだ。しかし《ハラスメントコード》対策として、奴はヒスイに安いピックで貫通(ピアース)属性のダメージを与え続けている。

 つまり、今の彼女にタイゾウに対する抵抗手段はない。

 

「(くそ、くそッ……)……ちくしょうッ! なんっで……なんだよっ!! 何でこんな奴らだけッ!!」

「そろそろ反応にも飽きたな。……ここいらで主街区に戻ってみてはどうだ? せっかく情報を得たのだ。ヒスイ君には会えなくなるが、そこにいる誰かが、君の復讐を手助けしてくれるかもしれないぞ」

「こ……の……ッ」

「ああそうだ、すっかり忘れていた。邪魔をしたルドルフ、つまりアリーシャの手駒については報告済みだ。……もうあの女は殺されているかもな、フフフフ」

「な、に? アリーシャが死んでる? フザけんなよ……んなことがあってたまるか! 今日の、ほんのさっきまで生きてた! 俺といたんだよ!! そんな簡単に殺されてたまるかっ……ひとの人生なんだと思ってやがるッ!!」

「私に言われても困るな。気になるなら、その足で《生命の碑》まで行って確かめて来ればいい」

 

 俺は自分の震える手を何とか制御して、やっとのことで『ギルド用』の隣にある『個人用』の《共通アイテムウィンドウ》のタブをタップした。

 そして。

 

「(あ……あぁあああ……ぁ……ッ)」

 

 プレイヤーネームが灰色に染まっているのを……何度見返しても『アリーシャ』の文字がグレーに染まっているのを確認してしまった。

 システム的なバグでないのなら、彼女はゲームオーバーとして扱われていることに……、

 

「(いや……いや、まだだ!)」

 

 普段はギルド用のものばかり見ていたために頭から吹き飛んでいたが、即座に記憶が甦った。

 そう、このウィンドウはプレイヤーの生死を確かめるものではない。他層にいても登録者のそれがわかるのは《フレンド登録》、もしくは『ギルド用』の共通ウィンドウだ。

 個人用の《共通アイテムウィンドウ》は機能を果たせない場合、つまり『対象者が同じ層にいない』か『対象者が迷宮区にいる』時は、このウィンドウが機能していない証としてそのネームカラーをグレーに変える。そしてそうなったら、アイテムの取り出しはできるが収納ができなくなる。

 『ギルド用』であればこんなことにはならないが、『個人用』のものはかなりの制約がついてしまうのだ。

 よって、これだけでは彼女が死んだとは断定できない。逆に言えば生きているかどうか確かめることもできない。俺がアリーシャと登録する時、《フレンド登録》より『不便』だと思った理由の1つだ。

 

「……でも……でもアリーシャは、こいつらと……」

「ほ~らジェイドぉ! シケた面してねぇでこっち見ろよ。ヒスイちゃんがおれとちゅーしちゃうよォ? ククク、どぉせお前も惚れてんだろ? だったら何とか言ってみろよ、ええッ!? ハハ、これがおれの生活をメチャクチャにした報いだッ!!」

「……ッ……!!」

 

 俺はぐちゃぐちゃに混ざった憎しみの感情を双眸(そうぼう)に乗せて、タイゾウをきつく睨んだ。

 だがあいつは、その直情的な反応さえ余興の1つとして捉えているのだろう。なんら動じた様子もなく、どころかヒスイの泣きはらした顔をこちらに向け、その涙を舐めとることでさらなる挑発をしてきた。

 完全に愉しんでいる。

 まるで、俺の対抗手段が無くなっていることを知っているかのごとく。

 

「ふむ、なかなか耐えるな。どうだねタイゾウ君、そろそろヒスイ君を……」

「ハッ、もとよりそのつもりだっての! 何ヶ月待ったと思ってやがるっ!!」

「……く、そ……っしょうが……ちくしょうが! ちくしょうがァッ!!」

 

 手を伸ばしても届かない。俺の全てを持ってしても、彼らには遠く及ばない。ガチガチと音を立てるだけで、阻む鉄柵は破壊される気配も見せない。

 俺は、叫ぶことしかできなかった。

 

「……ちっくしょうがぁアあああッ!!!!」

 

 俺が不用意に踏み込んだから。

 ヒスイの忠告を無視し、何の疑問も抱かずミンスを信じたから。

 俺が単調だから。俺が単純だから。能無しだから。馬鹿だから。情けないから。頼りないから。力を持たないから。過ぎたものを望んだから。約束を破るから。

 俺がこんなんだから、好きな女1人守ることもできやしない。

 

「(俺が……守るって、言ったのに……)」

 

 だが諦めかけたその時、奇跡が起きた。

 

「(あ……ぁ……!!)」

 

 俺が探し求めていたアイテムが、ウィンドウに再収納されていたのだ。

 ギルドの誰かが一時的に《共通アイテムストレージ》からオブジェクト化しただけだったのだろうか。とにかく、そのレアアイテムはロムライル達によって使われてなどいなかった。

 

「(よかった……まだ希望は……)」

 

 嘘だらけで、悪意だらけで、殺意だらけのこの世界で。神に感謝してもいいとすら思えた。

 逆転への道は、閉ざされてなどいなかった。

 

「いま行くよ……」

「あん? どこへだよ。あの世にか? ヒヒヒッ……おっと、この笑い方は間抜けっぽかったな」

 

 今度こそ俺は力を込めてタイゾウを睨む。ただの脅しではない、反撃するだけの力を伴って。逆転へのカードを手に持って。

 その言葉を口ずさむ。

 

「コリドー、セットアップ!」

「……は……なぁッ!?」

 

 腕1本分(・・・・)だけ通る鉄柵から、右手に持つ濃紺色の輝きを限界まで突き出して。

 次に。

 手を目一杯引き、真後ろでその輝きを最高度まで高める。

 

「コリドー、オープンッ!!!!」

 

 脳に直接響くような甲高い破裂音と、同時に展開される真っ白な光のサークルが2つ。

 直後、最速で地を駆ける。

 

「こ、こいつッ!?」

 

 2メートル(・・・・・)だけ転移し、隔離されていた俺がフィールドに現れると、鉄の檻を脱した『獲物』に初めて2人が動揺していた。

 

「まずいタイゾウ! 私を守れっ!!」

「おせえェんだよォッ!!」

 

 乾いた土を踏みしめる両足と背丈ほどもある大剣が発光し、次の瞬間にはリニアな加速感が包み込み彼我の距離を一気に詰めた。

 装飾の一切ない鉄塊は、タイゾウの元へ逃げようとするミンスの腹を確実に捉えた。

 ようやく抜刀したタイゾウから数メートル離れた位置でズンッ!! と、肉の隙間に鋭利な金属を押し込むような鈍い音と衝撃が発生する。

 すると、プロパティの向上に一切の妥協がない高級防具すら超越し、俺の大剣がミンスの肉体を貫通する。

 

「ごがあぁあああっ!?」

「タイゾウも動くなッ!!」

 

 もちろん、その間もタイゾウから目を離していない。追撃させないこともあるが、《転移結晶》で逃がさないために俺の左手にはすでに投擲用ピックが握られていたのだ。

 

「し、信じらんね。こいつ、こんな方法で……」

 

 さすがに攻略組であるタイゾウも、俺の予想外な反抗に固まっていた。

 雇い主であるミンスを人質に取られていることからも、勝手な行動ができないでいるのだろう。固まりながらも、その目でオレンジカーソルとなった俺を油断なく監視し続ける。

 

「か……ハッ……!?」

 

 俺の両手剣が深々とミンスの腹に突き刺さり、ミシミシと音を立てている。さらにミンスは、信じられないものを見るような目で自分の腹を見つめていた。

 

「は、ハハハッ……なんだこれは。くそ、なぜ私がジェイドに……それに視界が……」

「安全圏でぬくぬくしてりゃ、レッドアウトすんのは初めてだろ? ンでも動くなよ、ヘタすりゃ死ぬぜ」

「しっ、死にたくない! 殺さないでくれ!!」

「……俺の大剣は貫通ダメがあるピアース系じゃねえ。斬撃時にだけ攻撃力が発生するスラッシュ系だ。このまま剣をいっさい動かさずにポーションを飲めばまだ助かる」

 

 俺は一気にまくし立てると、今度はタイゾウに向き直った。

 

「タイゾウ、取引だ。ヒスイを麻痺から解放させろ。そうすればミンスも解放する!」

「……は……ハハっ、アハハハハハハハッ! なるほどねぇ、ずいぶんと粋なマネするじゃねェか! えぇオイっ!? だが、おれがヒスイちゃんを助けた瞬間、今度はお前が裏切るんだろう? 見え透いてんだよ。おれがこんなセコい罠にかかるかッ!!」

「罠じゃない! ヒスイを解放すれば、剣を動かさずに体力を回復させる! 必ずだ! だからまず、ヒスイをここから逃がせっ!!」

「…………」

 

 俺達4人の中に訪れた初の静寂。

 ミンスもようやく本物の死を実感し始めたのか、小刻みに震えて黙り込んでいる。

 

「タイゾウ、ジェイドに従え……こ、これは、命令だ……」

 

 次にミンスが話す言葉も、息を吹きかければ消えてなくなりそうなほど小さいものだった。だがタイゾウだけは余裕を崩さず会話を続行させた。

 

「待てよ詩人さん、その前に聞きたいことがある。……ジェイドとやら、コリドーはどうやって取り出した? 普通……ほらこんな風に、いくら不可視つったって、ウィンドウを立ち上げると音がするだろう。操作中も同様だ。それがなかったんで、全然気づかなかったじゃねぇか」

 

 タイゾウは実際にウィンドウを立ち上げて、音量がどこまで響くか確かめていた。そして間違いなくこの距離で聞き漏らすはずがないと感じたようだ。

 

「……ただの消音設定だ。メッセージの着信音から何までな。だから時間をかけてギルド用の共通ストレージを開き、そこからコリドーを取り出せた。これでいいか?」

「くくく、なるほどねぇ。協力に感謝するよ」

「た、タイゾウ……あまり刺激するな。私はラフコフに必要とされている。こんなところで失うわけにはいかないのだ。ここは生きて帰ることだけを……」

「あァん?」

 

 ミンスが切羽詰まった声で(なだ)めているが、対照的にタイゾウはリラックスした声で受け答えをしていた。

 

「なー詩人さん、あんたは何でアリーシャの姉貴がラフコフから切り捨てられたと思う?」

「し、知れたことを! あんな奴はもう使い物にならなくなっていた! 私とあいつとでは存在価値が違う!」

「こいつ……ッ」

 

 その言葉を聞いて、俺は本気でミンスに対して殺意が沸いた。

 しかしここで殺しては意味がない。俺1人ではこの2人をSAOの牢屋である《黒鉄宮》へ放り込むことはできないだろうし、少なくとも可能性は低い。

 では殺し合うとどうだろうか。

 ミンスだけなら殺せるかもしれない。だがそれでも、殺してしまっては意味がないのだ。憎しみで殺害したら俺は奴らと同じになってしまう。

 そうならない道を全力で実現するしかない。捕らえることだけならまた次の機会を待てばいい。

 ただし、少なくともタイゾウにその気はないのだろう。ごく自然なペースで会話を続けている。

 

「存在価値……ねぇ。確かにあんたはなげぇことラフコフに尽くしてきた。その成果は下っ端のおれじゃ到底、足下にも及ばない。……けどな……」

「……た、タイゾウ……お前はっ……」

「ラフコフにあんのは存在価値じゃねぇんだよ! あるのは利用価値(・・・・)だ! つまり、あんたはここで脱落さァ!!」

「くッ……!?」

 

 堂々と。

 タイゾウは先ほど開いたウィンドウを操作して、《クイックチェンジ》を行ってきた。阻害効果(デバフ)用のレイピアから攻撃重視のレイピアへ。デバフステータスを解毒結晶で無効化している俺との、戦闘準備を整えた。

 

「タイゾウやめろぉお!」

「手向けにゃコイツを贈ってやるよぉお!!」

「く、バッカ野郎がぁああああッ!!」

 

 応戦。

 そのために俺は愛刀を、《クライモア・ゴスペル》をミンスの体から引き抜いた。

 さらに、俺の武器は斬撃判定を受けて無情にもミンスの命を削り取る。

 

「死ねぇええっ!!」

「ガあぁああぁああああッ!!」

 

 もう誰の声かもわからないような叫びと、ギィイインッという金属音が鳴り響く。同時に聞こえる、真後ろからガラスの割れるような音。

 

「うああああぁぁああああぁあああッ!!」

 

 振り向くまでもない。

 これはミンスが……俺の古き戦友が、この世から姿を消した音だ。もう2度と会えないのだと、そう宣告された音だ。

 ミンスは嘘つきだったかもしれない。犯罪者で、悪人だったのかもしれない。ミンスは俺でなく、PoHと共に戦う道を選んだのかもしれない。

 だが戦友だった。こいつと共に過ごした10ヶ月は間違いなく存在し、俺はその間に助けられたこともあれば、学ばせてもらったこともたくさんあった。思い出を消すなんてできやしない。人間、この数分だけで簡単に割り切れるはずがないのだ。

 それをこいつのせいで、この男のせいで!

 

「殺す! ぶっ殺してやるッ!」

「やれんのかァ!? 口だけのお前に、それがァッ!!」

 

 叫びと同時にビュン!! と放たれたタイゾウの鋭い突きは、俺の『目』のほんのすぐ横すれすれを通って冷や汗を流させた。

 『眼球』も急所だ。失明こそなくとも、直撃すれば条件反射で一時的に戦闘不能に陥ることは避けられない。生理的に攻撃し辛いだろう箇所を、タイゾウは躊躇(ためら)い無く攻撃してきた。

 

「くっ、はぁッ、速ぇ!」

「ったりめぇだろ! おれが! どれだけ! 時間かけて対人戦を学んできたと思ってやがる!! 殺しもしてきた! もう、あん時みたいにゃ動揺しねぇぜェえっ!!」

「ぐっ……」

 

 猛烈なレイピアのラッシュに、俺はギリギリ躱すか受け止めるだけしかできないでいた。

 それほどまでに速すぎる。

 《閃光》の異名を持つアスナが、その単純なスピードだけでトップに立つのとはまた違った速さ。心理戦、精神攻撃を踏まえた上で最も敵の意表を突き、いかにして相手の行動を予測しながら回避先に攻撃するか。

 俺の得意なシステム外スキル《見切り》は通用しない。なぜなら、タイゾウの目線の先と攻撃ポイントが一致していないからだ。おそらく俺との戦闘を万が一に考え、事前にこうした特殊な戦法による対策手段を講じていたのだろう。

 当然、単純なAIで動いていない以上《ミスリード》も簡単には通用しない。さらに《先読み》に至ってはタイゾウに技術力で劣っている始末だ。先ほどから何度かフェイントの掛け合いで押されている。

 ともすれば、《閃光》のレイピア(さば)きより、さらに厄介な戦い方を確立していた。

 

「そぉらよォッ!!」

「ぐあっ、く……ッ」

 

 コバルトブルーに輝くタイゾウのレイピアによる《細剣》専用ソードスキル、上級高速五連撃《ニュートロン》が俺に鋭く牙をむく。技の出が最速とまで言われる短剣やレイピアの、さらに高位ソードスキルだ。

 それらの斬撃が容赦なく襲ってきた。

 俺は大剣の角度を微細にずらし、すれすれのところで凶器をいなす。

 アスナの剣戟のイメージが焼き付いていなければ、タイゾウの斬撃はこうも躱せなかっただろう。

 それを裏付けるように、いったん距離を置いて睽乖(けいかい)するとタイゾウは余裕を見せた。

 

「おいおいどォした? 殺すとか豪語したワリに、えらく消極的じゃねぇか! 平和主義はここでも健在ってかァ!? ハッ、くだらねぇ! そのご自慢の大剣でもっと攻めて来いやぁ!!」

「……ッ……言われなくても、殺してやるよ!!」

 

 防戦一方だった戦況を変えるべく、俺は誘いを承知で前に出た。

 武器出しによる初撃。

 無論一発KOで勝負が決まるとは思っていない。安定した攻撃だからこそ、相手は警戒しているからだ。

 よって、右脇からの一振りは完全に牽制目的だった。

 

「らァあああ!!」

「ノロすぎ、ガぁッ!?」

 

 わざと大降りで、かつあからさまに上段の横払い攻撃をしたのだ。レイピアで馬鹿正直にガードしないことは予測できていたし、しゃがんで回避することも読めていた。

 俺はあらん限りの体重と筋力値を乗せて《体術》スキルの補正がかかった重い蹴りを放ち、それをタイゾウの右頬に命中させた。

 上げまくった筋力値がそのまま衝撃と化したことで、アゴを抑える敵は一撃でフラついていた。

 

「っ痛ぅ……キくねぇ……!!」

「次は首でも切り落としてやるよ!!」

 

 ヒットアンドアウェイ。重量級装備なら基本中の基本である戦闘スタイル。

 推測するに、頭に血が上った俺が、定石を無視してインファントをしかけると思ったのだろう。それが予想外に冷静な判断を下した。

 この蹴りはタイゾウのうぬぼれがもたらした悪因悪果の一撃だ。

 だが「イキがってんなよ!」と、今度こそタイゾウは油断を引っ込めた。

 最短の構え、最速の突き、機械的な動き、殺戮者の殺気。それらを携えて己の半身を手足の延長のように自由自在に振るう。俺の体力ゲージは敵のそれを遥かに越える勢いで、目に見えて削られていった。

 

「ぐあっ、くっそが……ッ」

「へっ、こちとら全てが狂った日から! 仮想敵はお前だった! 正直、他の誰かに負けてもお前だけにゃ負ける気がしねぇ!!」

「そうかよ、光栄だ。ならもうちょい手ェ抜けや!!」

「ハッ、知るか! このまま死んでろっ!!」

 

 瞬間、目にも止まらぬ二連撃に対してろくな回避もできず、俺は強力なノックバックに怯んでしまった。

 さらに届かないと悟りつつも大剣を振り下ろそうとしたが、その手首にレイピアが一閃。大剣を振り切る前に、突き刺さったまま腕のコントロールを奪われてしまった。

 その後もレイピアを引き抜かれ、連続の追加攻撃。完全に敵のペースだ。相性が悪すぎて、これでは敵うはずもない。

 

「ぐっ……クソ!」

「シッ!!」

 

 ゴガンッ! と、鈍い打撃音が鳴る。

 顔面への肘打ちだ。その後の脚払い、剣での斬り払い、立ち位置を変えての突きの連撃。それらが全段とも命中し、まともな抵抗もできないまま俺の体力ゲージがとうとう危険域(レッド)に染まる。

 

「はな、れろ! ハァ……ハァ……くそ、ヒール!」

 

 ポーチから取り出した《回復結晶(ヒーリング・クリスタル)》がパアァンッと割れ、一時的に俺の命をつなぎ止めたが、このままでは何度やってもの同じだろう。

 都合よくあの感覚(・・・・)が連発しない限り、タイゾウに深い一撃を叩き込める見込みはない。

 だが、俺には現実的な策での勝算ができていた。

 

「ほらほら、次はねぇのか? それが本気だってんなら心底ガッカリだぜ!」

「吠えんな、来いよタイゾウ。ビビってねぇでさ」

「……おれがビビっているだと?」

 

 勝算を空論で終わらせないために、俺はあえてタイゾウを挑発した。

 この時間稼ぎもその一環だ。

 

「ヘッ、みくびんなよ。レイピアはホーフな手数がウリだけど、どうやっても一気に大ダメージを与えられないし、スキがあればこうして回復されちまう。対して大剣は一発に重みを置いた単発がセオリーだ……だから、怖いんだろう? 回復結晶を使う間もなく死ぬかもしれないってな!」

「……ふ……フックック! 笑わせる!! んじゃあ、おノゾミ通り速攻で殺してやるよォッ!!」

 

 俺は「釣れた」と確信する。それを証拠に警戒もせずに再び俺に攻撃をしてきたからだ。

 だが俺のこの動きだけは予測できなかったのだろう。俺が剣をどう構えるか。構えはフェイクか、フェイクでないなら牽制か必殺か。次の手は用意されているか、などなど。

 そんな細かいこと(・・・・・)を考えていたら俺の行動は予想できない。

 

「ハァっ!?」

 

 案の定、タイゾウは奇天烈な声を上げた。

 俺が《クレイモア・ゴスペル》を投げ飛ばしたからだ。

 タイゾウへ向けて、全力で。

 ウィンドウを開いて武器の高速切り替えをするのでもない。丸腰になることによって得られる新たな《体術》スキルがあるわけでもない。ただ単純に最高攻撃力を秘めた相棒を投げ飛ばした。

 もちろん、当たるはずがない。

 しかし誰も信じずに1人で戦ってきた人間にはわかるまい。信じ合って戦える人達の阿吽の呼吸など。

 

「ハッハァ! はっずれぇ~、そんなに死にたきゃ瞬殺してやるよォ!!」

 

 特攻を一旦止め、改めて俺の手前で構え直すタイゾウ。

 剣の発光色は黄色。《短槍》カテゴリにも似た技がある一極集中型上級連撃技。《細剣》専用ソードスキル、刺突強撃七連撃《アベラット・バニッシュ》だ。

 

「ちぇええぇええぁあアああッ!!」

「ぐうぅっ……ッ」

 

 奇声をまき散らすタイゾウはその声からは想像もつかない、殺戮マシーンのような完璧な《アベラット・バニッシュ》を決めた。

 全段がクリティカルで命中。俺の体力ゲージは満タン状態から一気にイエローへ。さらに、バーの先端はレッドゾーン直前へ。疑問を浮かべていたタイゾウの表情は、勝利を間近に控えたギャンブラーのそれへと変わる。

 しかし……、

 

「あン? ……お、おいお前、何を……ッ!?」

「ソードスキルには硬直が課せられる。……よく知ってるだろう」

 

 負けてなどいない。俺は速すぎて捕らえられなかったレイピアの動きをきっちりと捕らえていた。腹を貫通したレイピアは技後硬直(ポストモーション)による一時停止を余儀なくされ、俺はそれを利用したのだ。

 貫通された腹の前後から、レイピアの剣身を両手でしっかりと握っていた。タイゾウはここに来て初めて俺の作戦に気づいたようだ。

 そこへ、ソードスキル発動のサウンドが響く。

 

「ありがとう。ジェイド」

 

 そしてタイゾウの真後ろから聞こえる女性の声。彼の顔はその声を聞いて戦慄に震えた。

 

「セアァアアアア!!」

「ぐ、がああァあああああああッ!?」

 

 ズガアアァアアアッ!! と。

 直後に爆音と共にタイゾウを襲ったのは《片手武器》系専用ソードスキル、上位乱撃九連撃《アブソリュート・グラビトン》。フォレストグリーンに輝く剣の軌跡が雑然とした森林をイメージさせる、現時点で最高レベルの片手武器用ソードスキルだ。

 それらが1つも外れることなく、防御体勢すらとれていなかったタイゾウの背中に命中した。

 

「あんたの負けだよ、タイゾウ……」

 

 俺の狙いはこれだ。初めから1人で勝とうとはしていなかった。

 ヒスイをきちんと見ていたからこそ、俺は彼女と一緒に戦う道を選んだ。そして勝算を前に俺は……ミンスを実質的に殺した張本人であるタイゾウを、本気で殺しにいこうとはしなかった。

 

「ぐあっ、カ……くそ、回復してたのか……しかも不意打ちかよッ!」

 

 タイゾウは自分のしたことを棚にあげて悪態をつくが、俺に刺さっていたレイピアを手放して転がるようにして距離を空けてしまったのだ。

 奴にはもう、武器も対抗手段もない。

 

「ぐっ……」

 

 俺は自分の腹からレイピアをズブリと抜き取る。これでタイゾウは、ウィンドウを開いて新たな武器を用意するしかなくなったわけだ。無論、そんな隙を与えるつもりはないが。

 俺は《細剣》をスキルに選択していないので、レイピアを手にとっても初級技である《リニアー》すら発動できない。だが、それを差し引いても素手で今の俺とヒスイを下すことはできない。

 ヒスイも愛用している鋭利な直剣《ファン・ピアソーレ》を装備しているし、強引に外された防具の《クイックチェンジ》も済ませてある。

 あらゆる面から考えて、タイゾウに勝ち目は残されていなかった。

 

「ちっくしょう……は、はは……ハハハハッ、アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!! まぁたコレだよ! いっつもいっつもジャマばかりして!! 何なんだよおめぇらは! そんなにおれを不幸にして楽しいか!? あァッ!?」

「さっきまで幸福だったってんなら、考え方を変えるんだな。そんなんだから……」

「ヒャハァああッ!!」

「き、きゃああっ!?」

「ヒスイ!?」

 

 俺が会話の中で一瞬だけ見せた隙をついて、腰に差してあった投擲用ナイフを抜刀しながら、今度は狙いをヒスイに変えた。

 プロ顔負けの身のこなしで瞬時に彼女の後ろを取ると、左手で肘あたりをがっちりと握って剣を振れないようにしていた。さらにタイゾウは右手のナイフを首もとへ。

 

「まだやんのかよ、こいつ……」

「負けるわけにゃいかねぇんだよ! この日のためにどんだけラフコフに費やしてきたと思ってる!? 人生全部だッ!! おれはこんなとこじゃ終われ、ね……あン……?」

 

 しかし、勝敗はすでに決していた。

 

「こ、この女……ッ!?」

「あなたのビルドは、あの時から変わっている。……あたしが女だろうと、もう負けやしないわ!」

「くそ、俺より筋力値がッ!?」

 

 そう。スピードを手に入れた今のタイゾウは、その代償としてヒスイを拘束するだけのパワーを失っていた。麻痺に侵されていないヒスイを力で押さえつけることは、ステータス的にも不可能だ。

 ヒスイは少しずつ拘束から抜け出していった。俺に向かって「8層の時のようにはいかない」とタイゾウは言ったが、とんだ皮肉があったものだ。

 

「投降しなさい。あなたに勝ち目は……」

「死ねぇええぇえああァアあああああ!!」

「ッ……!!」

 

 最後のチャンスだった。タイゾウが生き残れる道の最後の提示。彼は、自分が生き残るラストチャンスを自ら投げ捨てたのだ。

 その結果、ヒスイの右手のシールドがタイゾウのナイフを確実に防ぎ、俺の……いや、タイゾウ自身のレイピアがその持ち主を貫く。

 皮肉の縮図。

 心臓への衝撃を理解できないまま、タイゾウはゆっくりと視線を下ろし、肉体を貫通する金属に触れた。

 停止した世界でグリップを軽くひねると、それだけで人型のオブジェはガラスのように割れる。ミンスもタイゾウも、ともすれば自滅に近い運命を辿ってその命を発光物に変えたのだ。

 

「…………」

「…………」

 

 最後に少しだけ見せた、悲しそうなタイゾウの顔だけが、いつまでも脳裏に焼き付いた。

 ミンスやタイゾウのように消え去る瞬間、捨てセリフや悔恨の叫び、また遺言などの意思表示を残さないプレイヤーは珍しい。もしかすると、彼らはどこか死に場所を求めて今日の作戦を実行に移していたのかもしれない。少なくとも外道に手を染めた瞬間から、死ぬ覚悟は持っていたのだろう。

 それも、今となっては確かめようのないことだが。

 

「終わった、ね……やっと終わった」

「ああ……何もかも……」

 

 タイゾウの形見をその場に捨てる。

 もう2度と誰にも触られることはないだろう、一級品のレイピアを。

 

「ジェ……イド。……ジェイド! ジェイドぉ!!」

「ヒスイ……っ」

 

 ヒスイを襲った暴力と恐怖が取り除かれ、張りつめていた我慢が一気に解けたのだろう。俺に抱きついて肩を震わせながら嗚咽(おえつ)を漏らすヒスイは、誰かが抱きしめていないと消えて無くなりそうなほど(はかな)かった。

 普段気丈に振る舞っていても所詮はまだ高校生。強制的に与えられた屈辱と刺激は、彼女の体を(むしば)むには過ぎた大きさだったのだ。

 

「ヒック……グス……こわ、かった……」

「ごめんな……俺が情けないから。守るって言ったのに……絶対守るって言ったのに。……本当に情けねぇ。ミンスやタイゾウだって、結局は……」

「ぅ……ぅん。守ってくれたよ……救ってくれた。……約束、守ってくれたよ……」

「…………」

 

 俺とヒスイはしばらく抱き合ったままだった。だが、いつまでもこうしてはいられない。

 

「悪いヒスイ。たぶん、まだ終わりじゃない」

 

 俺は彼女が泣き止んで落ち着き始めたのを見計らってから、改めて右手を振ってウィンドウを立ち上げた。

 そして今1度、個人用の《共通アイテムウィンドウ》のタブを押す。同じ層の迷宮区以外の場所にいれば、大半のアイテムをストレージ内で共有できる。

 共有対象者の名はアリーシャ。

 今日1日、決して少なくない時間を過ごした1人の女性。

 

「ジェイド……?」

「ごめん……でもアリーシャがっ、ラフコフだって。……そんなことはないはずなのに。でも《共通アイテムウィンドウ》は機能してない……」

「それ、あたしにも見られるようにできる……?」

「……ああ……」

 

 ヒスイにも見えるよう、メインメニューから《可視化》ボタンを押す。彼女には悪いと思うが、俺はどうしても真偽を確かめたかったのだ。

 アリーシャはどこで何をしているのか。少なくとも、このストレージ窓を覗いただけで何もかもを決めつけたくはない。

 

「ねぇジェイド、これ。録音済みのレコーディングクリスタルじゃない? 何かメッセージのやり取りをしていたの?」

「いや、作っただけで俺は使ってない。俺と別れてから、あいつがここに置いたってことになるな」

「……聞いてみても、いいかしら……」

「そうだな。何かわかるかもしれない」

 

 俺は《録音結晶》をオブジェクト化して、その塊に人差し指で軽く触れた。

 結晶が発光し、きちんと機能していることを教えてくれる。そして聞こえてくるのはつい数時間前にも聞いた彼女の声だった。

 普段の甘ったるい声ではなかったが、聞き間違えるはずもない。

 

『改めて話すとなるとちょっと緊張するわね。アリーシャよ。……あ、名乗らなくてもいいんだっけ、アハハ。……それで、ね。いきなりで申し訳ないんだけど、大事な話をするわ。まずアタシの正体。……アタシね、ラフィンコフィンの正規メンバーなの。あの犯罪者、PoHの手先……驚くかもしれないけど、これは本当のことよ。今日打ち明けた理由ははっきりしてる。……あなたといて、いっぱい話して、本当の気持ちがわかったから。……いるべき場所はここじゃないって。……もちろん、アタシはこれまでに酷いことやズルいことを……数えきれないぐらい、沢山してきた。でもだからこそ、アタシは《軍》の元で更正して、改めてまっとうな人生を送ろうって考えてるの。ジェイドが変えてくれたのよ? PoHと同じように、あなたはもう1度変えてくれた。今日は本当に楽しくて嬉しかった。……だから、ね。アタシ決めたの。ラフコフをここで終わらせるわ。スパイとして生きてきたアタシの最後の証明。それを信じてほしい。……無理な相談しちゃってるよね。でも信じてくれると信じてる。あと、ここからもすごく大事なことなんだけど、焦らずに聞いて。今レジストクレストのメンバーがPoHに狙われているわ。一応、彼らには対抗策を教えてある。きっとPoH達には負けないと思う。……そして、ラフコフは逃走の際の転移先も特定した。……逃げる街はあの《カーデット》よ。……1番最初の圏外村、そこでアタシもPoH捕獲に協力するわ。少なくとも23時過ぎには転移してくるはずだから、そこで待ち伏せていてちょうだい。こっちが早く移動したらその時間を稼ぐわ。ジェイドが来てくれるなら、レジクレに転移先をいつでも知らせられるようにしておいて。アタシが不意をついて乱戦に持ち込んだら、そのまま全員でPoHを捕らえましょう。……言いたかったことはこれだけよ。……でも最後に、叶わないことだっていうのはわかってるけど、あなたに伝えたいことが……あ、の……いいえ、なんでもないわ。こういうことは直接言うべきよね。……じゃあ待ってるわ、さようなら』

 

 メッセージにはこれだけが入力されていた。声だけで、肝心な表情などは何もない。だが、文面だけをなぞっても決して感じることのできない感情に触れた気がした。

 

「罠……だと思う……」

 

 このメッセージを聞いた上で、ヒスイは震える声でそう提言した。

 しかし、気持ちを察することぐらいはできる。なにせつい先ほどラフコフの罠にかかって死にかけていたのだ。慎重な意見が出てもそれはごく自然なことだろう。

 それでも俺は……、

 

「でも……俺はカーデットに行きたい。アリーシャがどう思っていたのか、今も生きているのか……全部確かめたいんだ」

「ジェイドは……アリーシャさんを悪い人だと思ってる?」

「いいや、そうは思えない」

 

 強く、はっきりと。俺は何かを悟ったかのごとく語気を強めてそう言い放った。

 

「罠の可能性は……高いと思う……?」

「思う……でも、それは脅されているからだとも思ってる。そりゃアリーシャを信じてるつもりだけど、PoHは用心深い。あいつが裏切ったとしても、すぐに気づいて裏を突けるぐらいの奴だ。警戒心は持ってないとな」

 

 それだけを言うとヒスイも安心したように、それでいて新たな決意の炎を灯して俺にこう切り出した。

 

「よかった、盲目になっているわけじゃなかったのね。ならジェイドが信じた人を、あたしも信じるわ。一緒に行きましょう」

「ッ!? だ、ダメだ! ヒスイはここに残って」

「ジェイド! ……何度も言わせないで。あたしだって見てるだけはイヤ。さっきあなたが信じてくれたように、あたしも信じてるから止めないのよ? ……それに、手口もいい加減読めたわ。今度は油断もしない。あたし達で確かめに行きましょう」

「……そう、だな。……わかった。ヒスイも一緒に」

 

 漆黒の大地に立つ俺とヒスイ。黙ったままだったが、ほぼ同時に《転移結晶》を取り出した。互いに信じ合ったからこそ、俺達は次のステージへ向けてさらなる歩を共に紡ぎ出す。

 

「「転移、カーデット!」」

 

 こうして、全てが判明する場所へと。

 

 

 


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