西暦2023年12月27日、浮遊城第50層。
いよいよ、としか表現できない緊張感。
現状最高級の甲冑を鳴らし、
俺達フロアボス討伐隊は、廃墟に近い石城跡に集まっていた。
「(相変わらずスッゲー人数……)」
もともとは観光名所だ。空を綺麗に反射する澄んだ浅瀬の湖が有名で、無人の
城といっても、それは焼き討ちされた後であり、黒く酸化したコンクリート状のオブジェクトで形成されているからだろう。不気味な空間には俺達以外にNPCの気配すらなく、そのせいか歴戦の戦士達もどこか浮足立っていた。
俺も例外ではない。『50層のボス』というプレッシャーに、待機しているだけでうなじの辺りがチリチリして重圧が押し寄せる。
まず間違いなく、過去最も激戦となることが予測される、最大級の戦い。その幕が上がろうとしていた。
「んでロムライル、俺達はなにやれって?」
指示を
「……ああ、今DDAのリンドさんに聞いてきたよ。オレ達は『D隊』、つまりタンク役割だ。と言っても臨機応変にね。敵の大体の像すらイメージできない状況だ。ヘイトを薄めないように、それでいて受けるだけじゃなくて、時には回避優先でボス戦に当たろう。今回、レイドリーダーを務めるリンドさんも無理してガードに徹しなくていいと言っていたし」
「ま、ブナンなところか……」
そう言いつつ、冷たい石畳の上に腰を下ろして、せわしく情報交換をする
無論、軽口を叩いているが俺も緊張している。
しかしここで、ジェミルが文句たらたらな感じでリーダーに質問をしていた。
「ねえロムぅ、もっと前衛に立って攻撃役に回れないのぉ? ボクら最近守ってばっかじゃん。それにどの道ぃ、ボス戦だとタンク役も全然安全じゃないよぉ?」
彼は攻撃役を引き受けたいらしい。まったく、ボス情報がない中でも好戦的なことだ。
「わかってるけど仕方ないだろ? どこのギルドもラストアタックは決めたい。けどうちらは1つの隊の単位である『6人』に達していない。むしろ参加できるだけ僥倖だよ」
足りない人数分は名も知らぬ――今はパーティ登録しているので知っているが――ソロのはぐれプレイヤーが2人あてがわれている状態だ。確かに文句ばかりを言っても詮ない。
ちなみに、集まったは60人ほどの攻略組である。レイドの参加可能限度は48人だから、名乗り出たプレイヤーは多い方かもしれない。
しかし前回のクォーター時より人数が少ないのは、やはり植え付けられた恐怖ゆえだろう。LAボーナスが見合うかは人それぞれの見識によるが、不透明な報酬に命を懸ける人間がこれだけ集まったのには驚きだ。
実際、俺以外のレジクレはあの戦いを体験していない。だからこそまともなコンディションを保てているのかもしれない。『知らない』というのは、時に人を無謀にさせるのだ。
そしてモチベーションが高い最たる理由もある。それは十分なレベリング時間である。
先ほどリンドの部下が集計したところ、今回のレイドにおける平均レベルはなんと64だとか。50層であることを考えると、もっと早く討伐に乗り切っても良かったぐらいだ。そこをあえて引き延ばしたということは、予想される敵のポテンシャルを踏まえ、DDAの総意として警戒を厳にしているのだろう。
余談だが、レベル63の時点で追加された俺の11個目のスキルスロットはまだ確定させておらず、気に召したものをいつでも選択できるよう開けてあるほどである。
とそこで、チャラい赤髪メッシュの男がチャラチャラと話しかけてきた。
「お!? お~お~レジクレじゃないか。そういや、こうしてお互いフルメンでボス戦参加って久々だな」
「ようアギン、おひさ。
サルヴェイション・アンド・リヴェレイション。攻略組きっての古参ギルドだ。
俺に話しかけてきたのは、そのリーダーを務めるアギン。特段行動を共にした時間が長いわけではないが、なんだかんだ腐れ縁なのだろう。こいつともずいぶん長いつき合いである。
「まーな。んで、今日は参戦できなかった25層ん時のリベンジさ」
「参加しなくてよかったと思うぜ。たぶん、不参加の連中が想像する以上にカオスだったから」
「ビビらそうってもそうはいかん。取って置きの《ペキュリアーズ・スキル》持ちの武器も用意したしな。つうわけで、LAはおれらが頂戴するぜ!」
「先輩、死亡フラグ乱立するのやめて下さいな……」
セリフに対し俺も何となくそんな気はしていたが、フリデリックがきちんと上司のフラグをへし折っているようだ。もっとも、たった5人で死線をくぐり抜けた最古参。放っておいてもそう易々とやられないだろう。
「ふっふっふ、それにな。今回足りない1人分の枠にはなんと! あのヒスイさんが入ってくれるんだとさ! フハハハハッ。今日からおれも勝ち組よ!」
「……ったく、よく言うぜ……」
リアルではホストで働いていたとか何とかのたまっていた。あれはウソだったのだろうか。またもフリデリックに呆れられた眼を向けられている上に、このような純粋すぎる男には勤まらない仕事な気がするのだが。
しかもこの男、普段は凛々しいアニキ分なくせに、なぜか俺にちょっかいをかける時だけ年齢退行しているような気さえする。
それにKoBにもDDAにも女はいるのだ。どうしても一緒に狩りがしたいのなら、あれら大ギルドにでも参加すればいいだけの話である。そうでなくともルックスを武器に手当たり次第に話しかければ、何人かは釣れるだろう。本気で言っていないだけだろうが。
「みなよく集まってくれた!」
広場一帯に響き渡る音量で、澄んだ声が聞こえた。今回のレイドリーダーで《聖龍連合》がトップ、リンドのものだ。
「ここはハーフポイント! クォーター戦の失敗……それを踏まえると、人数は不足すると思っていた! だが皆は逃げなかった! 俺はこのメンバーならきっと1レイドでもボスを倒せると信じている!!」
俺はそれを聞いて、どうしてもクォーター・ポイントにおける物量至上戦闘を思い出してしまう。
当初96人いたレイドの平均レベルは確か32。圧倒的に勝率が高く、そして圧倒的に死者発生率の高い状態で挑んだ最悪の愚行。あの凄惨な地獄のことを。
だが今回は違う。
俺達はあの時とは比べものにならないほど洗練されている。統制を強化し、小回りの利く人数と多少は無理が通用する高レベル。無駄がなくなれば余裕が生まれ、余裕が生まれれば視野が広がる……とは有名な言葉だ。
「役割は各リーダーから聞いたな! 各自再確認をし、すぐにでもここを出発! 少ない情報で不安になるとは思う! けど装備もサポートも全力、かつ最高級のものを用意した! 今日中にボスを叩くぞッ!!」
オオォオオオオ!! と、轟音が鳴った。何十人もの男が喉仏を震わせて腹の底から絞り出した音だ。まるで不安や焦りを吹き飛ばそうとする圧巻の叫び声。
暴力的な音量が
「やれるよジェイド。僕達は油断をしない。そしてこの層を死者無しで乗り切る。これで全部解決でしょ?」
「……ああ、それで全部解決だ。クソゲーはクソゲーらしくワンパ戦法でも何でもして、ギッタギタにノしてやる!」
拳を握りしめる。年内最後の月の真冬、《攻略組》は午前の穏やかな日光に照らされて街の門をくぐるのだった。
ソロでも余裕で進撃できるほどステータス的マージンをたっぷりとった討伐隊は、瞬殺で雑魚を突破し昨日見つかったボス部屋の前に到達した。
道中は戦国時代の合戦地や、悪僧はびこる(という設定の)寺院跡、また小規模な城でいかにも和風の敵が湧出していた。これもボス特定のヒントになるのだろうか。
……いや、よそう。今さら考えても鈍るだけ。
幸い、剣に迷いはない。ボスを殺して全員無事に次の主街区に行くだけだ。
俺はそのために惜しげもなくレアアイテムをストレージ内に詰め込んできている。
21層ボス、《ラストダンサー・ザ・スカルファントム》へのLAドロップアイテム、《レザレクション・ボール》。これは体力、
25層ボス、《リヴァイヴァルファラオ・ザ・ペアギルティ》へのLAドロップアイテム、《ミソロジィの四肢甲冑》。これは敏捷値の強化、筋力値の超大幅強化、体力総量の補正、部位欠損中でも装備できてオートガード付き防具。ただし時間制限があり、メンテナンスも不可能。
どちらも強力だ。それぞれ優秀な効果を秘めた、この世界における唯一無二のアイテム。それを俺はいつでも使用できるよう準備万端にしておいた。レザレクション・ボールはポーチの中の取りやすい位置に、甲冑は
「今日の戦いでぇ、ジェイドは今までのLAアイテムは使うのぉ?」
「無理して使うつもりはねぇけど、まぁヤバくなったらな。少なくとも、可能性は今までで最も高いだろうな」
そばかすのチビスケの質問に俺はそう答える。
使わざるを得ないほどピンチに陥るかはわからないが、備えがあればお守りとしてのプラシーボ効果もはたらく。トランプで言ってしまえば、ジョーカーを初手に握った大富豪のようなものだ。
「そこ、私語をしてないで集中しろ。……さて、あんまダラダラ話すのはガラじゃない。すぐにでもボスの部屋に入ろうと思う! だがこれだけは言わせてくれ……全員死ぬなよ!」
それを聞いて、俺はふと1層で《イルファング・ザ・コボルトロード》と戦う前の、あの『ディアベル』が指揮をしていた討伐を思い出してしまう。
当時も討伐隊は余裕で勝てると信じていて、そしてディアベルの「死ぬな」という一言に力をもらった。
皮肉だ。それを誓わせた本人が、真っ先に約束を破ったのだから。
だが、それは強烈な教訓となった。眼前で開いた門の奥、そこに例えどのようなボスが出現するのだとしても、犠牲者を出さない誓いがたった。
それを自覚すると流れる緊張の密度が一段と濃くなり、それぞれが決戦の予兆を鋭い嗅覚で感じとっていた。
「全員、突撃!!」
『うぉおおおおおおおッ!!』
俺だけではない。レジクレ、パーティメンバー、ひいては討伐隊全員が心臓を覆う死神の手を
咆哮と前進。撤退の際に大いにクセモノになるだろう、ヤケクソなまでの広い部屋。
中央まで進むとガンッ! ガンッ! ガンッ! と、真っ黒な固形物が4つ、天井から降ってきて討伐隊の歩を止めさせる。さらに2メートル四方の立方体らしきそれらは徐々に膨らみ、変形することで『ある姿』を形作った。
すなわち、『人型』を。
全モンスターは同時にHPゲージを1段で表示。名を《ジ・エクスキューショナーズ》と判明させ、各々が辛うじて輪郭を判別できる――全身が真っ黒なため――鎧と4種類の武器をその手に持った。
よく目を凝らすと、武器にだけはわずかに色がついていた。
1体目は《直剣》カテゴリの
2体目は《刀》カテゴリの
3体目は《曲刀》カテゴリの
4体目は《細剣》カテゴリの
「(4体同時なのか……ッ!?)」
バリエーションに富んだ、過去最多数を誇る定冠詞を持つモンスター群。ゲージ数の合計こそ他層と変わらないが、これだけ珍しい光景はSAOにアカウントをおくプレイヤーにとって初見だろう。
約3メートル半の巨人4体と《攻略組》48人の全面対決。
漆黒の肌と赤い目を持つボスが4体も並ぶと、恐怖とも武者震いとも言えない震えと全身を逆撫でるような鳥肌が立った。
『ガガギギギギガガガガッ!!』
金属片を擦り合わせたような不快な叫び。その一喝で戦闘が始まった。
「怯まず情報を集めろ! それをチームで共有しろ! 敵の数は4! 攻撃隊はさっさと片づけてタンクの元へ! 指示のない隊は時間稼ぎに徹するんだ!」
すぐさまリンドの指令が飛び交う。
4体ものボスを前にさすがの指揮力である。慌てず的確、リーダー足る最低限の心構えを備えている。培った経験則が彼に統率者としての気質を与えたのだろう。
「おいG隊、敵の数が多い。予定変更だ。A隊の援護に回れ。先に仕留めるぞ!」
A隊、すなわちリンド率いる小隊の伝令役が、俺達の隣で戦っている隊に指示していた。
A、B、C隊の18人は主にDDAが構成している。C隊のみ
次にD、E、F隊について。俺の所属するのもD隊だが、これらはいわゆる
A、G隊が特攻をかけて可及的速やかに攻略を進めるというのなら、おそらくB、H隊も2体目のボスに対して同様に電撃戦に持ち込み、短期決戦を図るだろう。
最後はG、H隊の説明。これらはバランスタイプで、本戦闘において先ほど攻撃特化隊とスピード攻略を任されている。俺達が残りをせき止めている間に、せめてとっととぶっ倒してほしいものだ。
「ロム、削れるだけでも削ろう! ボクらの踏ん張りはあとで攻略全体の助けにもなる!」
「……わかった。ジェイド、ルガ! 2人で右へ! 挟み撃ちでなるべく減らしていこう!」
「了解だ! けど絶対無理すんなよ!」
1番端に落下した《レイピア》使いのエクスキューショナー。それが俺達D隊の足止め対象だ。
攻撃をして通ればよし、通らなければ援護が駆けつけるまでヘイトを貯める程度にとどめる。難しいことではない、今までさんざん任されてきた任務の1つだ。連携の甘いソロプレイヤーが同じパーティにいるが、やはりこれも初めてではない。
今まで通りに。今まで通りに……、
「お、おいジェミル! あまり踏み込みすぎるな!」
「いやいける! ボスのバーは目に見えて減ってるよ!」
確かに俺の想像以上に、メンバーの攻撃に対してダメージ判定が入っていた。
当初の予定通り『出し惜しみをしない』なら、この6人で1体を倒しきるのは不可能ではない。敵の体力はそこらの今日MoBより多いが、攻撃モーションの数だって例層と大差ない。
いったいどうしたというのだろうか。レッドゾーンに落ちてからの進化や強化も考えられるが、体力が2割以下まで落ちた時点で、1本しかないゲージを飛ばしきることなど容易なはず。
茅場晶彦という人間は理不尽な死こそ避けるが、決して甘い男ではない。それとも、『事前にボス情報を与えない』という事態に、討伐隊が慌てふためくとでも思ったのか? 攻略組の強みはその順応性だ。初めて踏み込むステージでは否応なく培われていくものである。
少なくとも、このままではいつものボス攻略とさして変わらない戦いが続くだけ。
「(ジェミルは早速悪いクセが出ちまってるけど、絶対このまま順調にはいかないはずなんだ……)……なのになんでっ、何も起きないッ!?」
このまま順調にはいかないはず。けれど、このままいってほしい。そんな相反する警戒と羨望の中、敵の体力ゲージは10分でとうとう4割近く減少した。
しかも、2つの隊で当たっている2体のボスなどほぼ倒しかけているではないか。初っ端から全員本気とはいえ、本当にこのまま……、
「……ッ!? 反応がある! 後ろに注意しろ!!」
俺の指示を聞いてD隊、および声の聞こえる範囲にいた討伐隊が出入り口を振り向く。
そこに立っていたのは黄金色の仏像だった。
全長は目算で5メートル半。肌の色と見分けのつかないような布をなびかせ、目と口を開く奴の表情からは喜怒哀楽のどれも読み取れない。そして背中からは、異様に長い腕を8本も触手のように伸ばしている。厄介な攻撃をしてくることは間違いないだろう。
このタイミングで登場したということは、ボスを支援する取り巻きだろうか。
「(いや……違うっ!!)」
俺は頭をよぎった楽観思考をすぐに否定した。この仏像を模した多腕モンスターのプレッシャーは並大抵ではない。おそらくは……、
「やっぱ2層と同じかッ。全員聞け! いま戦ってるのは本当のボスじゃない! 真ボスが出入り口に
俺の言葉を聞いた伝令役は、急いで《片手剣》を持つボスと戦っているA、G隊の元へ走っていき、そのリーダーに異常事態を知らせていた。
リンドも振り向くと、すぐに新たな指示を出している。
「伝令! 伝令! タンク隊はそのまま! アタッカーは最初のボスをもうすぐにでも倒しきれる!」
「タンク隊以外の全パーティで真ボスに当たる! PoTローテを心がけろ! あくまで奥の手は真ボスに対して使用するように!」
命令ではなんと言おうが、やはりリンドはLAボーナスが欲しいのだろう。
参加していないKoBに対するDDAの威厳というのもある。真ボスの相手は放っておいてもリンド達が引き受けるに違いない。
「ロム、エクスキューショナーは俺らでやろう。ルガ、コンビネーションアタックだ! Aの2!」
「了解! 僕が先に行く!」
これは目潰しから入る連続攻撃である。
推測通りなら弱点設定にされているはずの『首』を狙うことができるはず。
「ぐくっ……行ったよジェイド!」
「任せろ、スイッチっ!!」
《ソードスキル》。重力設定が現実に沿っているこの世界で唯一、その重力すら無視して行動できる、魔法に変わるSAOの必殺技。
カズの先手。
顔を隠されないために、相手が盾を持っていないことが条件につくが、決まれば光と衝撃で敵の視野を一時的に奪える。ようは簡易ディレイ状態になるのだ。
そこへ俺が追撃するという寸法である。
「れあァあああああッ!!」
クーリングタイムは長めだが、命中箇所が弱点部位なら一定確率で
稲妻に似た乱軌道。光速の激突により、敵の金属体への命中音が轟く。
『ガッ、ゴカガガガッ!?』
「決まった、敵はスタン中だ! 全員最大ソードスキルぶちかましてやれ!!」
「やるじゃん! いっくぜぇえええ!」
「グッジョブだよジェイド! 後は任せて!」
隣にいたカズと、臨時パーティであるソロの『ジーク』が、
「飛ばしきれえェええええええええ!!」
がむしゃらに剣を振るD隊。
ここにいるメンツはおそらく、自分達がタンク隊であることも忘れてこの好機を逃さんと必死になっていただろう。そして……、
『ゴガァアァァ……』
「っしゃああああ! やった! 俺が倒したぜ!」
俺達の隊に参加していた、ジークなるソロプレイヤーがラストアタックを決め、《ジ・エクスキューショナーズ》の内1体を確実に殺しきる。
奴は爆散し、跡形もなく消えていなくなった。
「おう、やるねぇ!」
「……けど、こっからが本番ですよ」
「アイテム欲しけりゃ、真ボスも倒すしかねぇからな。……ちょ、なんだ……あれ……?」
俺は途中から出現したボスの姿を見て絶句した。
D隊も意識を先ほどまでの敵に集中しすぎていたのだろう。全隊員が一点を向くと同じように硬直している。そこには
いや、注目すると剣の数はもっとある。あり得ない数の剣がボスの周りで自由自在に動き回っていた。
「はち……本か? 8本もの剣を……あのボス1体で操っている?」
ロムライルが途切れ途切れにそう言った。
ボスの名はスペルの発音に誤りがなければ《ザ・スラウザー・オブ・センジュレンゲ》だろう。だが、ボスの姿の説明は一言では形容し難い。
端的には『神々しい』。金に輝く肢体はメッキではない重厚な光を反射し、装飾、ディティール、
たったいま討伐した取り巻き――とは言え定冠詞を持つ歴としたボス――に比べ一回り大きく、重武装に反して裸足の足でも音を立てずスムーズに移動している。
それに『8本の剣』という量を操っているというのに、見事な剣裁きでプレイヤーを
武器を握る8本の腕はアンバランスなまでに長く、背中から大きな翼でも生えているようにくっついている。おそらく全方位への攻撃と、自分の剣が絡まないように長く設定されたのだろう。
「剣は……そういう、ことか。さっきまでのボスのを……」
「そうみたいだね。上から順に片手剣、刀、マチェーテ、レイピアを持ってる。それが左右対称で8本」
「盾があっても意味がない。……ヒスイさんまで攻撃されてるってことは
ロムライルはそう言うが、彼に限らず専用の特殊スキルでもない限り、あの剣撃を捌ききれる人間などいないだろう。単に剣が振られた場所に盾を
「ッ……オレ達も早く加わろう! D隊、ポーションを飲んだら攻撃隊の援護を!」
「了解!」
「わかったよ!」
各位があまり減っていない体力を念のために全快させつつ、リンド率いる主戦力の前に躍り出る。
そのまま彼らに壁役の引き受けの旨を伝えると激励を飛ばし合った。
「リンド隊とスイッチが完了したら防御を重視して! なるべく攻撃はしないように!」
「守り一辺倒になれば、ある程度は持ち堪えられるよ!」
「おいB隊! 攻撃特化なら早く後ろから斬り込め!」
「なにしてやがるッ! 真ボスはこっち向いてんだ! さっさと側面から攻撃しろよっ!!」
罵倒すら混じる情報の伝達。しかし、この時ばかりは俺ももたついているB隊を苛立たしげに
耐久力のあるタンク隊が正面を引き受け、その間に攻撃隊が仕掛ける。被ダメージ値が蓄積したら別働隊とスイッチをして役割を分担しつつローテーション。ぶっちゃけてしまうと、少数の例外を除けばボスもザコも関係ない。これだけレイド平均レベルが高く、しかも48人も集まればこの戦法の繰り返しで大抵の敵は倒せてしまうのだ。
それを知らない攻略組ではあるまい。ならばなぜ、実行に移さないのか。
「く……ねぇ、攻撃役代わって! 君たちでできないんならボクがっ……」
だが次の瞬間。ドウッ!! と、地面が割れた。隙を見て敵の懐に飛び込もうとしたジェミルが、それでも精密に捕捉されていたのだ。
「な、なんでぇ!? ぐッ、ガァあっ!」
斬り刻まれた攻撃隊に代わって素早く側面に回り込んだはずだったが、疑似的に完成度の高いスイッチを行った彼でさえ攻撃の嵐に遭い、そのままグサグサと刃に貫かれている。
今までのボス同様、『目』を持つボスだっただけに、敵も視野による認識をするとタカをくくっていたのだろう。が、まさか死角からの攻めにすら対応してくるとは。これは俺も予想外だ。
「……く、こいつボクの位置を!?」
「おいジェミルっ! ムチャすんなってあれほど……ッ!?」
俺も回り込むと、そこで《センジュレンゲ》が側面や背後の状況を逐一正確に把握できる理由に気づいた。
単純だ。なぜなら顔の
綺麗に3つの顔が3方向にある。それぞれが視野を補完するように全方位へ向けられていたのである。
過去に聞いたことがある。確か人間の視野は約120度まで捉えられるのだとか。そして等分された方角に向けて3つの顔。これらが意味することはつまり、視野を持つモンスター初の360度
実際『能力』と一括りにするのは間違いなのだろうが、オブジェクトの位置を知るには視覚無しに成立しない。五感を持つ人間において、得られる情報の90パーセント近くは視覚頼りだとすら言われている。
「地味だけど、これじゃあ挟み撃ちもへったくれもないな。……しかも、あの本数の剣がジャマを……」
剣戟のヒット音が尋常ではない。正確には、毎秒の音の密度が高すぎる。
無論、物理的に倒せないことはない。プレイヤー側の剣の合計だって『8』より多いからだ。
挟み撃ちや集団で敵を囲うことに今まで以上のアドバンテージを得られないだけ。効果は薄くなるが、無意味ということはない。
ならばこのまま集団攻撃を続け、PoTローテーションによる体力ゲージの常時回復をしていけば、いつかはボスを倒せる計算になる。
「攻略を続行する! D隊は順次スイッチして後方へ! 我々が前に出たらG隊はA隊のサポートに回れ!」
やはりリンドも、たかだか少し珍しいだけのボスを前に撤退はしない方針のようだ。あくまで最終的な目標はボスの完全討伐。
「やれそうだな。前回と違って、プレイヤーが2回の攻撃で死んだりしない。連続でクリティカルされないよう気を付ければ十分に戦えるはずだ」
「僕もそう思うよ。みんな慎重だけど、尻込みはしていないしね。戦意は十分だと思う」
認識はカズも同じ。体力値総量も他のボスに比べて目を見張るほど高くはない。それを証拠に、討伐隊の猛攻にセンジュレンゲのHPゲージ最初の1段目が早速消費されようとしている。
問題がなければもう1本ぐらいは簡単に飛ばしきれるだろう。
「ああ、その通りだ。……そうだ、おいジェミル。さっき1人で突っ走ったろ。倍率バカ高いんだしLAはいい加減諦めろって」
「うぅ……ごめんよぉ……」
一応忠告は入れておく。
戦闘となるとテンションの上がるジェミルはガッツリHPを削られたが、《回復ポーション Lv8》を飲み干してヒールオーバータイムによる回復期間に入っている。あと15秒もしない内にD隊は完全に戦線復帰できるだろう。
しかし結果オーライで生き残っているが、これが25層だったら危なかった。
ダメージを多数で稼ぐ敵だと、『回復』や『撤退』のタイミングを計りやすい。反面、前回のクォーター戦は一撃に重みを置くタイプ。気づいたら死んでいた、なんてことがザラだったのだ。その極端な状況よりはマシなのかもしれない。
もっとも、連続攻撃をするタイプは完全回避が難しく、《回復ポーション》が底をつきやすいというマイナス面もあるが。
「お、そろそろ交代か。アギン達のいるG隊もそこそこダメージくってる。おそらく次のアタックで……」
そこまで言い掛けた瞬間、ボスフロアに存在する人間全員に異変が起きた。
「は……?」
予兆はなく、気づけば一面の白。
景色を司る全ての色彩が消え、真っ白な空間が網膜を照らした。
何らかのアイテムを使われた。そんな思考さえ飛ばし、暴力的な光芒を直視してしまったこの瞬間から、プレイヤーの視界は敵にその機能を完全に奪われることになるのだった。