SAOエクストラストーリー   作:ZHE

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今後とも精進いたしますゆえ、なにとぞよろしくお願いします。


第59話 主観のヒーロー

 西暦2023年12月28日、浮遊城第50層。

 

「きっ、キリトォ!!」

「ぐ、ぅっ……」

『カカカカカカカカッ!!』

 

 俺の叫びを、そしてキリトの(うめ)きを、センジュレンゲが一笑した。

 心臓部分から飛び出た《片手直剣》は、彼の胴体を貫通したままぐりぐりと弄ばれている。まるで弱くて矮小な俺達に対し、覆しようのない力の差があることを見せつけるかのように。

 

「(くっそが……ッ)」

 

 状況は不利を大きく通り越して絶望的だった。

 ボスはロムライルを狙い、そして殺しきった。さらに唯一その事実を帳消しにできる人間は次のターゲットとなっている。悠長(ゆうちょう)にアイテムをオブジェクト化し、それを使用している暇などなくなった。

 

「ルガ、ジェミル! キリトを守れ! ロムライルを救える!!」

「な、なんで……」

「理由はあとだッ!」

「ッ……!!」

 

 カズよりジェミルが早く動いた。

 ようやくジェミルもクリスマスイブに手に入れたそのアイテムのことを思い出したのだろう。

 レジクレのリーダーを死地から引き戻せる可能性、それが潰えないよう鬼の形相で迫る。センジュレンゲに向けて、その怒り丈はあますことなく爆ぜていた。

 

「返せよぉ……返せぇええっ!!」

 

 涙を滲ませ、彼はダガーをひたすらに振った。それは珍しくも強くもない、攻撃力設定が控えめなダガー武器だったのかもしれない。しかし、その凶器はシステムという壁、あるいは境界を越え、主の憤怒や殺意という意思に寸分違わず応えていた。

 

「ボクのッ、友達を! ……くっ……ずっと一緒だった友達を!! そんな簡単にやらせるかぁっ!!」

「キリト! 俺達が盾になる! 今のうちにアイテムをッ!」

 

 ジェミルはボスとゼロ距離を保ち、射程(レンジ)の短さという弱点を補っていた。

 3秒遅れで俺やカズも参戦する。ボスに対してキリトと直線上を保ち、なるべく彼に自由な時間を生ませるために。

 だが。

 俺達3人の力だけでボスの進撃を止めきれないことはすでに証明されていた。時経たずして俺達はまたもセンジュレンゲの猛攻撃に耐えかね、バラバラの方向へ吹き飛ばされてしまう。

 

「ごふっ……ッ!?」

「く、そ……とまんねぇッ!!」

「キリトくん! やめ……て、そんな!!」

 

 知恵を持ち、意識を向けて、あえてキリトの作業を妨害しているかのような仕草で、センジュレンゲはキリトを2本のレイピアで持ち上げていた。

 斬撃で強制的に空中へ。ゆうに5メートルも投げ飛ばされる。

 

「がはっ……くそ、ヤバい! もう間に合わない!!」

「そんな、いやだぁっ! いやだぁあああ!!」

「ちっくしょおおおおおおおおッ!!」

 

 アイテムの使用が間に合わない、どころの話ではない。

 今度はキリトの番なのだ。今の攻撃でHPが全体の半分を割り込んでいる。これ以上死者復活のアイテムを使おうとすれば、彼がそのあとを追うことになる。そうなっては本末転倒だ。

 

「キリト君下がって! わたしが足止めする!」

「あ、アスナ!?」

「絶対守って見せるから!!」

 

 《閃光》がその本懐を教示する。突きの速度は全装備中トップを狙えるレイピア。それを、神速の域に達したスピードでもって解放した。

 腕の引き、腰の捻り、体重移動、アシストがはたらく本来の動きとのシンクロ度。それら全てを加味して、ソードスキルが繰り出す技の速度を左右させる、常識となりつつあるシステム外スキル《ブースト》。

 攻略組なら誰でも恩恵に預かる技術だが、彼女の芸術的センスが重なり合い、その剣技は最高級のそれに昇華された。

 目も眩むような刺突ラッシュをまともに浴びたセンジュレンゲは、苛立たしげにアスナに目を向ける。対象者への道を阻む障害物として、彼女の存在を認めたように。

 

『カカッ、カカカカカカカカカッ!!』

「くっ……きゃあああッ!?」

「アスナッ!! ……ぐ、くそっ!!」

 

 そんな彼女でさえ、小蠅を払うような一撃で弾かれる。

 もともとレイピアという装備は大型モンスターの足止めに向いていないのだ。その攻撃回数からヘイトはいくらか溜めやすいかもしれないが、ヘイトの矛先を自由に設定できる今のボスにその長所は役に立たない。

 いくら《閃光》でも、相性の差まで埋められない。

 それに問題はキリトだ。バーの緑色部分は残り少ないというのに、アスナを助けようと走り出している。自分のリスクが完全に頭から飛んでいる。

 

「キリト、自分の体力見ろ! 復帰するなら《回復結晶》使ってからにしろ!」

「そ、そんな! 早くしないとロムがぁ!」

「キリトが死んじまったら意味ねぇだろうがッ!!」

「ッ……!!」

 

 それに……もう無理だ。体感速度抜きに秒数で照らし合わせても、とても10秒もたっていないとは思えない。

 ロムライルは……ロムライルは、もう。

 

「ハァ……ハァ……くそ、ウソだろ……どうしろってんだ。……どうすりゃいい……も、もう死んじまったのか? ……なにか……手があるはずだ……」

 

 冷静になって守りに徹しなければ皆が死ぬという理性。

 感情に全てを委ねて敵を完膚なきまでに殺せという本能。

 それらがせめぎ合い、焦りと動機だけが膨れ上がる。どうすればいいのかがわからなくなる。

 やたらに打ち込んで逆に吹き飛ばされた俺は、起き上がることすら放棄して呆然としてしまった。この局面下でキリトを守り、レジクレのリーダーを取り戻す手段など、すでに存在しないとしか……、

 

「ない……のか……? そんな……ここまでやって、一緒に出ようって決めて……あいつは死んだってのか? そんなの……ッ」

「ジェイド! ぐす……ダメだよ、立って戦わなきゃ! みんなを守るために戦わなきゃあっ!! ヒッ……あいつを殺さなきゃいけないんだよッ!!」

 

 泣き面を隠そうともせず、酷い顔をしたままカズは、逆に呆然自失で膝をついていた俺の肩を引っ張った。

 ヒースクリフは残存兵を集めて部隊を再編しているし、クライン達がいるH隊はキリトへの刃を辛うじて代わりに引き受けている。その身を裂かれてまで、守りたい者を守り抜くためにだ。

 だが俺にはそれがいない。

 いなくなった。

 俺が、誰のために戦えと言うのだ。

 死んだあいつは戻ってこないのに、この手を誰のために今さら血に染めろと? 冗談ではない。ロムライルのために償うことすらできなかったこの剣を、いったい誰のために捧げろと!

 

「うぐっ……あぁ……ぁッ、アァアアアアァアアアアアッ!!!! フザけんなよちくしょう! ちくしょうがァッ!!!」

 

 見えるのは《四刀流》が全周囲攻撃をかまし、クライン達が切り崩されているシーン。

 一旦《回復結晶》で全快したはずのキリトのヒットポイントは、またしても注意域付近にまで落ち込んでいた。ロムライルがやられてから、ここまで1分とたっていないはずなのに。

 だが。

 

「くっ……知るかよそんなこと!! なんだっていい! 絶対に殺してやるッ!!」

 

 だが俺はキリトやクラインのことを心底「どうでもいい」と思っていた。

 誰がどうなろうと知ったことではない。俺から大切なものを奪ったセンジュレンゲにしか用はない。こいつを殺せるか殺せないか、それ一点のみが重要なのだ。

 

「ぐがぁああああああああッ!!」

 

 俺は獣のような雄叫びを上げると、異界のものにしか見えない両手足をバネにして、システムが生み出せる最大出力のジャンプをした。

 甲冑に極限まで強化された筋力値から、俺は10メートル以上の位置変化を得る。

 行く手を塞ぐあらかたのプレイヤーを排除したセンジュレンゲは、再びキリトと交戦を開始。瞬く間にイエローゾーンまで斬り刻むと、《マチェーテ》の武器がサーモンオレンジの輝きを得ていた。

 だがそこへ俺が降下していき、すかさずその剣を真上から叩き込む。

 位置エネルギーの全変換。そしてボスの予備動作(プレモーション)の失敗と、それに伴う行動遅延(ディレイ)。握力が緩む攻撃寸前の一瞬に、武器そのものを側面及び上下から狙い打つ《ディスアーム》だ。

 肺から短い気合いで酸素を取り除くと、敵のタイムラグにカウンターの刃でもって応えた。

 右側、上から2番目の腕を斬り、迫るカタナは姿勢を低くすることで流れるように回避。センジュレンゲの後方へ回り込むと、今度は左側の腕を斬り裂き、下段攻撃を垂直跳躍で避けた。

 空中回避中、左の『顔』を両断。敵の肩に手をかけ、空中で前転しながら鎖骨辺りを斬撃し、回転途中に次の手を察知。ボスに対して後ろ向きに着地した直後、右に飛びながらオートガードが1本だけ剣を弾くと、《両手用武器》系専用ソードスキル、上級七連重斬撃《エゾルチスタ・アモーレ》を最短挙動で発動した。

 ガンッ!! ガンッ!! と派手なエフェクトが舞う。全身をあますことなく使用し、さらに爆発的な筋力値の上昇をしている中で、俺は敵を八つ裂きにした。

 およそ数秒の世界。

 空間領域そのものを制圧したかのような立体軌道戦術。

 重心移動、姿勢制御、速度計算。敵の行動予測を常に1、2秒前から確実、かつ正確に見ていないと(・・・・・・)実現できないだろう戦闘技法。

 

「ゼィ……ゼィ……まだ、だっ……ッ!?」

 

 奴のゲージが最終段に突入する直前、俺は奇妙な感覚に捕らわれた。

 ボスが俺を狙わない理由、それはコントロール下に置かれたヘイト値をたまたま俺に向けていないからだろう。

 だが俺はキリトとボスの直線上に陣取っている。邪魔者を排除するため、8本の凶器を一時的に俺へ向けることは至って自然なことだし、先ほどはそうしていた。

 だというのに、攻撃が止まっている(・・・・・・)。俺を『邪魔者』と認識しなくなった。つまり攻撃対象がキリトから外れたのか?

 それに、集中力や神経が根こそぎ奪われたようになっている。朦朧(もうろう)とする意識と激しい頭痛、立ち眩みのような感覚が追撃をさせてくれない。戦う意思に反し、体が動かなかった。

 いつもそうだ。あの感覚を得ると、その引き換えに精神疲労がピーク状態に達する。

 

「(なんだこれ……)……ぐッ、そうだキリト!? 無事、なのか……?」

 

 忘れかけていたことを辛うじて思いだし、俺は(かす)む目を擦って後ろを向く。

 

「あ、ああ。なぜ対象が変わったのかはわからない。……でも、俺はまだ生きている……」

「良かった、キリト君……本当に良かった。1分ぐらいは狙われていたものね。……でも今度はまたKoBのメンバーを……」

 

 俺はアスナのそのセリフからヒントを得た。

 

「1分……そうか、1分間! それがボスの『特定人物を狙える』限界時間なんだ! プレイヤーは狙われてもまだ助かる!!」

 

 俺は頭を押さえながら、より現実的で無理のない回答を導きだした。

 元より、特定個人を無限に狙い続けるなどということになればゲームとして破綻している。何らかの手段で対象を変更できるものだと踏んではいた。

 もちろん確証はない。どんな理不尽な演出であれ、救済措置を忍ばせる本作の特性上の話をしているだけだ。しかし、確証なんてものはゲームが始まってから1度としてなかった。

 アスナもハッ、と気づいたような表情をしている。

 

「わたしはこの情報を団長に伝えてくるわ。組織的に個人を守ろうとすれば、いくらなんでもボスの攻撃だけじゃ人は死なないはずよ!」

「話はここまで聞こえていたさ」

「ひ、ヒースクリフ!?」

 

 ほとんど間近にその男はいた。

 赤を下地に白いラインが入った特徴的な西洋甲冑。銀に染まる髪と、常世全てを射ぬかんとする眼光。大型の盾と意思を体現したかのような真っ白な剣。叡知(えいち)を感じさせる聡明な佇まい。

 

「たった今、KoBの全タンク隊でこれに当たっている。先ほどの推察が正しいとすれば、1分間耐えきることも不可能ではないだろう。そもそも、タンクのいない君らのみで成し遂げたのだからな。……しかしこれはまずい。逃げ出したプレイヤーは18人。残り22人で再編成したとしてもゲージ1本以上を削るのは難しい上に、そもそも皆が満身創痍だ。回復まで大量の時間を要する」

「し、しかし団長。必然的にボスと1度に戦うプレイヤーは多くなります」

「消費アイテムもほぼ尽きています。《バトルヒーリング》ありきでも、とても全員が回復するのは……」

「……ふむ、仕方あるまいな」

「え……?」

 

 全員が固唾を飲んで見守る中、ヒースクリフはウィンドウを素早く操作した。

 外見から何かが変わったようには見えない。しかし、自信に満ちたその表情の奥に、何かしらの確信めいた兵器が眠っていることだけが(うかが)えた。

 俺はどうしてもその正体が知りたくなった。

 

「なにを……する気だ?」

「簡単なことだ。……私が1人でボスを抑える。全討伐隊メンバーはその隙に体力を回復し、部隊を整え給え」

「なッ、ンだと!?」

 

 この男は、今度こそ理解不能の命令を下した。残存兵を纏め上げる途中に俺達の苦戦を見ていなかったのだろうか。何人も何人もボスの前に立ちはだかり、キリトが途中クリスタルでHPを回復し、ようやくもぎ取ったギリギリの1分だ。

 1分間という猶予の確保、それをたった1人で成し遂げるだと?

 

「アホかっ、無理に決まってんだろ! 半分も持つかよッ! なんでテッタイしようとしないんだ!!」

「君は勘違いをしている。……ッ!!」

 

 それ以上の応えはなかった。……いや、応えたのかもしれない。

 言葉ではなく、実際に行動することで。

 まず大型の盾がクリアベールに包まれる現象。その後、前方に掲げる盾をそのままに彼は疾走した。

 それからヒースクリフの行った行為を説明するのは簡単ではないだろう。

 文字通り鉄壁と化した彼は、襲いかかる8つの凶器を順に防ぎきっていた。物理的な質量差などどこ吹く風のように、俺達の総合防御力を凝縮したかのように。

 あり得る現象ではなかった。適当に盾を振り回して防ぎ、たまたまシールドに命中したのではない。天文学的数値の話ではなく、そのままの意味であり得る現象ではなかった。

 攻撃を防げたらそれで終わり、といった従来の考えはVR界では通用しないからだ。剣を盾で防いだ場合、その衝撃、ノックバック、姿勢の崩れ、構えのブレ、その他多くの要因など、3D界ならではの難点が隠されている。

 

「(あの攻撃回数を防ぎきれている……?)」

 

 だからこそ、不変の法則すら無視したヒースクリフが斬撃を止めきっていることは、それ自体が不自然な状態であると言い切れる。

 最初の数撃を凌ぐ。

 次に2桁に上る斬り込みを止める。

 十数撃、数十撃、その後も延々と。

 発動者への衝撃をカットし、発生するはずのノックバックを無効化し、姿勢に影響を与えず、術者の構えに干渉しない。まさにゲームで言うハイパーアーマー状態。

 《神聖剣》専用ソードスキル、絶堅連続完全防御《アイソレイデ・ムーン》。

 それが、全攻撃をシャットアウトするソードスキルの名だった。

 

「す、すげぇ……すげえっ!!」

「どのリファレンスにも載っていないぞ。新しいソードスキルか!?」

「《ペキュリアーズ・スキル》なのか……? それとも……」

「いや《神聖剣》なんて聞いたことねぇぞ!? あれはスキルスロットを埋めるタイプのものだ。ってことは……」

 

 憶測が飛び交う中、俺はある種の解答に辿り着いた。

 プレイヤー初の使用者となる、《エクストラスキル》の体得ユーザー。ヒースクリフがそれに当たることになるのだ。

 ヒスイが持つ《反射(リフレクション)》と同じように、俗に言う《シールドスキル》なのだろう。スキルの発動中、動きを相手に合わせる必要上スキルが決まった動作でないところが特徴的だ。

 しかしレベルだけは別格である。ごく稀にしか刃を通さない上に、その傷も《戦闘時回復(バトルヒーリング)》スキルで完全に癒えてしまう程度だった。

 

「1分……マジでたつぞ、おい……」

 

 生唾を呑んだ俺はほんの小さく、呟くように言葉を紡いだ。

 確かに俺は大きな勘違いをしていた。奴がタゲを引き受ける時間がたった1分やそこらの話ではなかったからだ。

 しかも剣でガードしてもカット有効ときた。似たスキルの《武器防御(パリィ)》は両手で武器を持つ者、あるいは好んで盾を持たない者によく使用されている。確保できない防御力をスキルでカバーしようというのだ。

 しかし、本来なら通常攻撃でさえモンスターの強力な攻撃はこの防御を抜ける(・・・)はず。

 完全に理解不能。説明不可である。

 攻防一体の謎のソードスキルを前に、センジュレンゲが目標に1歩たりとも近づけていない。もはや明らかなバランスブレイカーだった。

 

「……っ! そうよ、こうしてはいられない! ここにいるプレイヤー全員は《回復ポーション》を飲んでください! ヒースクリフ団長が時間を稼いでいます! ……C、F隊は解体して各隊に分散。誰が抜けたのか、点呼をお願いします!」

「…………」

 

 KoBの副団長としてアスナがてきぱきと指示を飛ばす中、俺はしばらく戦闘に参加しないのだと経験から悟り、無言で《ミソロジィの四肢甲冑》を『装備中』から解除した。

 同時に襲うのは体全体の重量が増すような感覚。

 それでも目についた防具の耐久値(デュラビリティ)は残り3割を切っていた。あの最強防具を装備できる時間も儚い刹那に過ぎないだろう。……いや、最強防具が足元にも及ばない存在が目の前にいるのか。

 

「……隊は攻撃役に纏めましょう。D隊は集まってる? 人数に変化はないからこのまま行くわ。あとジェ……ミル君は……」

「……?」

 

 言葉に詰まるアスナを尻目に、俺はふと彼女の目先に注目した。

 そこには両膝をついて自分の手のひらを見つめるジェミルの姿があった。彼の肩が上下に、そして小刻みに震えている。

 泣いている場所はロムライルが最期に戦っていた場所だ。彼のランスと青銅でできた巨大な《カイトシールド》が落ちている。その後ろ姿からは目を背けたくなるような痛恨の極みが伝わってきた。

 そこでようやく気づいたのだが、よく見るとKoBの正装に身を包む1人のプレイヤーが嗚咽を漏らし、その隣にいるプレイヤーから慰めてもらっているのが見えた。そのKoBの男も、センジュレンゲとの戦いの中で最初の犠牲者となったプレイヤーのことを想っているのかもしれない。

 結局、どこも一緒なのだ。死人が出た時、最も親しい人間から絶望の波が波紋のように広がっていく。

 光を失った虚ろな目を見るまでもない。ジェミルはもう、戦えないだろう。

 

「(じゃあ……俺はどうなんだ? 仲間1人、救うこともできねぇ俺は……)」

 

 自問する。

 右手に握る大剣にも、より強く握ることで問いかける。戦えるのかと、聞いてみる。

 …………。

 答えはない。所詮道具は道具だと、自分でそれぐらい考えろと、そう見捨てられた気分だ。

 だが言われなくてもやっている。考え続けている。リーダーがいなくなったことで、今後ギルドは存続させていくのか否か。存続させたとして、変更せざるを得ないリーダーにギルドがどのように変化していくのか。

 ……いやむしろ、そんなことくだらないことを考える必要はないかもしれない。それよりフロアボス、《ザ・スラウザー・オブ・センジュレンゲ》のことだ。こいつをいかにして殺すか。殺害するか。俺が考えるべきことはこの一点のはずだ。

 ……しかし、果たしてそうだろうか。

 いわんやセンジュレンゲを倒したとして、レジクレのリーダーは帰らない。

 ロムライルの弔い方……なんて、後ろ向きな心配はもっと嫌だ。彼の死を認めるようなものである。それどころか、まだ現実感すら湧いてこない。

 思考だけがループして考えるべきことがわからず、そして定まらない。

 自然と浅くなる呼吸を抑えることもできなくなる。

 

「ロムぅ……フッ……ろ、むぅ……ぅ……」

「ッ……ジェミル。……ぐ……ふっ、く……くそ、たれがっ!! 俺は今まで……なにをやってッ……!!」

 

 幸か不幸か、俺は涙が視野を奪うようなことだけはなかった。考えることすらやめようとは思わなかった。叫ぶことで、正気が保てたのだ。

 そして1つの回答に辿り着く。

 まずはこの危機を乗り越えようと。まずはボスを倒すことで日常に戻ろうと。

 深く考えるのはそれからだ。そのために俺ができること。それは頭と体をフル回転させ、兵士として全力で戦うることだ。仮にロムライルを生き返らせる方法があったとしても、今は目をつぶるしかない。

 

「ルガ、ジェミル。今の俺達は50層討伐戦のレイド班D隊だ。こんな……ところで、泣いてるだけじゃほんとに犬死にだぞ!? まずは回復して戦う準備をしろ! せめて一矢報いるぞッ!! ……力を貸してくれ。これは、俺達が今やんなきゃいけないことだろ?」

「ぐ、グス……うん……その通りだ……僕らが、ボスを倒しきる!!」

「ロム……少しだけ、ね。待って……すぐに手向けを送るから……」

 

 カズとジェミルがついていた膝を地面から離す。『殺し合い再開』の覚悟したのだ。

 俺はショックが1番大きかっただろうジェミルを見直すと共に、自分の見る目のなさを心中で恥じる。

 

「(全員で立ち向かえる。今はそれだけでよしとしよう……)……けどヒースクリフがボスを止めてられるのは、あいつが俺らとボスの直線上にいるからだ。乱戦になったら通用しねェぞ……」

「この戦力じゃ……どの道厳しい。逃げた人をここに呼ぶ時間はあると思う?」

「まずもってない、かな。現状、新戦力の確保は……あ!」

 

 突然ジェミルが何かに思い当たったように声を上げた。

 編成の整った討伐隊がジェミルの目線の先にいた人物、俺とキリトが捕まえアスナが縄で拘束しておいた聖龍連合(DDA)の斥候に注目した。

 確かアスナに『ゼレス』と呼ばれていた、まだ幼さを残す少年の姿だ。討伐の途中でタンカーにタゲを取らせ続けていたこともあり、捕獲時には稽査(けいさ)できなかったとは言え、しかし……、

 

「ジェミル、残念だがあいつは戦力にならない。役割が戦闘用じゃないってのもあるけど、そもそも1人2人足せばどうにかなる問題じゃないんだ。何とかして、最短の街《プロアソート》からここまで戦闘員を……」

「違うよ、そうじゃない! 昨日ロムは何て言ってた? 『利用されるだけは嫌だからこっちも利用しよう』って、こう話していたんだ! ……つまり、DDAはこの戦いを利用しようとして、そしてロムはそれを読んでさらに利用しようとしていた! ……あの人、たぶん討伐状況をDDA部隊に知らせる役割をしていたんじゃないかな?」

「そんなこと……いや、やろうと思えばできるのか」

「……ゼレス君、少し話を聞いてもいいかしら?」

 

 俺とジェミルの会話を聞いたアスナはゼレスの元に歩み寄り、静かに切り出した。

 アスナの口調が捕まえた時より強くなっていて、しかも討伐隊メンバー全員で囲って問い詰めているからだろう。ゼレスとやらはあっさりと観念して自身に課せられた作戦を白状した。

 

 曰く、与えられた任務は、《隠蔽》スキルで身を隠して討伐隊のあとを付け、討伐に入ったらその進捗情報を監視し、戦況を仲間に伝えること。

 曰く、大まかにペースを見て終盤戦まで進んだら、今度は迷宮区内限定メッセージ交換方法である《メッセンジャー・バット》を放つ。あらかじめ迷宮区入り口付近に待機させてある人物が《メッセンジャー・バット》を受け取ったら、迷宮区から1歩出て今度は《インスタントメッセージ》で主街区に待機する本隊に同文を連絡。

 曰く、本隊が《回廊結晶(コリドー・クリスタル)》を使用し、昨日の討伐戦でどさくさに紛れてマーキングしておいたこのボスエリアの中心地へ侵入。最後にラストアタックを横取りする。

 これがDDAの立案した作戦だそうだ。

 

「まさか……こんな状況になるとは思わなくて。……その、ごめんなさい」

「ずる賢いことをするのね。……でもいいわ、この際言い争っている場合じゃない。今すぐDDAをここへ呼びましょう。そうすることで51層がアクティベートするなら、そうしてくれた方がずっといいわ」

「そうですね。こんなの2度とやりたくないですよ。……おいお前、副団長の慈悲で釈放してもらえるものだと言うことを忘れるなよ!」

「わ、わかってます。わかってますって……」

「これ以上言及するのはやめましょう。それより、確実にもう5分以上はタゲの引き取りを団長だけに任せているから早くしてちょうだい」

 

 大柄な男が強めに縛られていたゼレスの縄を解くと、ゼレスはいくらか体を動かすことで手足の稼働領域が戻ったことを確認し、すぐさまメッセージ文を作成し始めた。

 念のためにウィンドウの『可視化ボタン』を押してもらってから作業を開始し、ものの1、2分で文章は完成。内容はDDAに送ろうとしていた当初の予定通りだ。

 それからさらに1分が経過し、とうとう現れた真っ白な光のサークル。

 紛うことなく《コリドー・クリスタル》の光だ。昨日の戦いで脱落者、つまりDDAから死者が出たのは予想外だったろうが、まさかここまで見越して狡猾(こうかつ)に作戦を企てたいたとは。

 その結果、エリアには大部隊が突入してきた。

 

「よし、作戦開始! KoBに構うな! 一気にボスを攻撃しろ! 俺達は死人出してまで情報を得た! ラストを取っても誰も文句など……っ!?」

「こ、これはどういう……? リンド隊長! ヒースクリフしか戦っていません。どうなっているのでしょう!?」

「あ! あっちに討伐隊が固まっている! 僕ら来ることバレてたんじゃ……」

 

 臨機応変に生きてきた攻略組でも、さすがに現状を把握しきれていないようだ。もっとも、LAを掠め取る作戦だったのに、率先してその道を明け渡されている状況だ。驚くのも無理はない。

 それに驚いたと言えば、俺達正規の討伐隊からも言えることだった。

 なんと、DDAとまったく関係のないプレイヤーが何人も混ざっていたのだ。

 

「どうなっているのか理解が追い付かんが、助かるよDDAの諸君。ちょうど1分だ」

「な、何を言ってやがるヒースクリフ……!? んなっ、なんだってんだこのボス!? まだなんもしてねぇのに俺を狙いやがったッ!!」

「狼狽えるな! KoBが手を出さないのなら好都合だ! さっさと止めて反撃しろ!」

 

 何がどうなっているのかわからない。

 攻略組レベル約30人分を越える新戦力がハーフポイント攻略に加わったことは辛うじて認識できるが、DDA以外の人間が混ざるに至ったストーリーが思い付かない。

 しかし、そこへ部外者の1人であるヒスイが駆け寄ってきて、ジェスチャーで皆を集めてから口を開いた。もちろん、なぜここに彼女がいるのかも不明だ。

 

「混乱していると思うけど聞いてちょうだい。……昨日、ある女性の情報屋が、DDAの作戦を裏で調べたの」

 

 ここで言葉を切ったのはわざとだろう。女性の情報屋、なんて言い方をすれば、攻略組が真っ先に思い浮かべるのはヒゲペイントの彼女である。

 

「そして、DDAが50層ボス戦に《回廊結晶》を使って割り込むことで、LAを狙ってることを突き止めたわ。それを昨日の討伐に参加して……恨みを果たせなかった人に伝えたの」

「…………」

 

 後ろでDDAがボスと戦い、初めからフロアにいた討伐隊がヒスイに注目する中、彼女は(まく)し立てた。

 ここまで聞いて、俺は頭を巡らせる。

 ヒスイの言うところの『恨みを果たせなかった人』と言うのは、昨日センジュレンゲに殺された人間のギルドやフレンド関係にいたプレイヤーのことだろう。SAL(ソル)のアギン達もその枠に入る。

 彼らは立ち直る時間すら満足に与えられず、再討伐隊が主街区の門を潜って行くのを複雑な心境で眺めていたに違いない。

 

「アルゴは彼らのもとを走り回って『この戦いが、心残りを精算する最後のチャンスになる』と布告したわ。……意味は察せるわよね? つまり、DDAの割り込みに便乗すれば、50層戦への参加に間に合うことを知ったのよ。KoBにどんな言い訳をするかはともかく……これも善意の利用だけど、そう考えたの」

「ちょっと待て、ラストでキル狙ってんだろ!? なら、DDAがハイそうですかってコリドーに入れてくれるはずがねぇ。なんて言って説得したんだよ?」

 

 昨日の戦いに参加し、今日の戦いに参加しなかったメンバーが復讐せんとする気持ちは痛いほど共感できる。経験のある攻略組ならそのぐらいは察するだろう。

 だが俺の知る限り、《聖龍連合》という組織は自分達の身の安全のために他者には厳しく当たる傾向がある。それゆえに生存率が高く、甘ちゃんのKoBより加入への魅力があるのだ。

 おそらく誰もが抱いただろう疑問を俺が代弁しいち早く問いかけると、ヒスイは1度だけ頷いて続きを話した。

 それらを要約すると、なんとその実態は脅迫だった。

 情報屋の女性……つまりアルゴからの逆依頼により、ヒスイは立場を利用してDDAと直接交渉したらしい。それにより、DDAの統一化されていたはずの見解はかなり割れた。

 そこへ追い打ちをかけるように、多くのプレイヤーが『自分達を連れていかないのなら妨害も辞さない』と脅しをかけたのだ。

 こうなると、いかに最大ギルドとは言えLA盗取(とうしゅ)計画も強行できなくなるだろう。

 ボス戦前に消耗しようものなら元も子もない。

 

「……マナー違反、と言われるかもしれないわね。けど、罪悪感なんて言ってられなかった。……そしてDDAは作戦の破綻を避けるため、彼らに妥協案として『LAボーナスだけはDDAに渡す』という条件付きでコリドーへの便乗を許可してくれたのよ。当然あたしもね……」

「あいつら……」

 

 ヒスイの後ろではギルド《SAL》のメンバー、アギンやフリデリックの姿もあった。

 同じギルドの仲間であるレイアンを殺され、一旦はボスと戦う気力さえ奪われた奴らだ。今ボスと戦っているのも、復讐が敵討ちになるという自己暗示に近いだろう。

 彼らとて必死だったのだ。『レイアン』という男の生きた証とその意味。両方を形ある行動か物で残すため、あるいは証明するためにあいつらは剣を振っている。

 

「様子を見たところ、みんなもDDAがここに来ることを知っていたみたいね。でもそれならなぜ止めなかったの……え? って言うか、いま気づいたけど……そもそも人数が全然……」

「ヒスイ、わたし達はセンジュレンゲに……ここのボスに勝てそうになかったの。足りない人数のほとんどが勝手な離脱よ。それで戦闘員を補充できる可能性として、苦肉の策に賭けたのよ」

「なるほど、道理で……」

 

 彼女らは頭がいい。きっと、「足りない人数のほとんどが離脱」なるセリフの『ほとんど』という部分から、死者発生の事実まで理解したことだろう。

 

「とにかく、あたしはボスと戦うわ。人任せはウンザリ。みんなもそうだから、ここに残ったんしょう? こんなスミっこで見てる場合……?」

 

 剣を抜き、振り向いてボスを眺めるヒスイに言葉と態度で発破をかけられたと悟った討伐隊は、『意地』という名のプライドにかけてこれを看過せず、改めて武器を握り直すことで応えた。

 

「……ここで倒しましょう! 怒りはぶつけなさい! 嘆くのは先に進んでから! 悔しかったら、乗り越えて……力に変えるのよ!!」

 

 うぉおおおおおおおおおっ!! と、爆音がフロアを揺さぶった。それは萌える新緑のような対抗心ではない。戦場の女神に扇動される、野蛮なクーデターのように露骨な戦闘欲だった。

 あっという間に士気を取り戻したヒスイを前に、いつしかヒースクリフやアスナでさえ感心の眼差しを向けていた。

 そして俺も思い出す。まだ最前線が4層だった頃、浮遊城にまだ殺伐とした空気が充満していた頃だ。

 真冬の夜。イベントボスである《ザ・ヒートヘイズ・ラビット》との戦い。誰もがそのLAボーナスであるレアアイテムに目が眩んでいた頃、身も心も冷えきった中で、ヒスイは繋がりの薄いプレイヤーを1つに纏め上げた。少なからず討伐を諦めていたプレイヤーもいただろうが、そんなこともお構いなしだ。

 今も、昔も、彼女はずっと変わらない。

 その姿は眩しいほど凄い。思えばあの時から、俺はこの女の生き方に憧れ、その背を追いかけるように自分を律してきたのかもしれない。

 戦意に燃えるヒスイの後ろ姿を見つめ、俺は右手を強く握った。

 彼女が近くにいることで、際限なく力がみなぎってくる。

 

「(倒す。……ボスを、ここでッ!!)」

 

 30人に上るDDAを含み、新たな討伐隊として。混成部隊とセンジュレンゲとの戦いの緞帳(どんちょう)が、再度切って落とされるのだった。

 

 

 

 


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