SAOエクストラストーリー   作:ZHE

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第九章 暗い世界
第61話 幻想未来(前編)


 西暦2023年12月31日、浮遊城第1層(最前線51層)。

 

 暗い、暗い、部屋の中。俺は何もすることがなく、ただ寝そべっていた。

 今日で2日目。時間にして40時間ぐらいだろうか。数えるのも止めてしまったが、ずいずん長く閉じこめられているようにも、そうでないような気もする。

 ヒスイとカズは俺がここ(・・)に来た初日こそ血相を変えて飛んできたが、今は静かなものである。音という音は俺が動かない限り発生しないのだから。

 あまりにもやることがないので悪態をつくのも忘れる。長い期間攻略組として常に体を動かしてきたからだろう。この『何もしなくてもいい』という贅沢な(いとま)に俺はいてもたってもいられなくなり始めていた。

 とは言え、文句をつけるつもりはない。むしろ最高面積を誇る主街区の一角なだけあって、割り当てられた部屋はさすがの広さだ。浴場も寝床も体を伸ばしてゆったりすることができる。

 

「(けど、なんかしてぇな……)」

 

 この際、攻略と関係のない日々の雑談ですら構わない。なんであれば《はじまり街》に閉じ籠るプレイヤーとでも会話を楽しめるだろう。それほどまでに俺は人に恋い焦がれていた。

 効果が薄いと知りつつも、一応《隠蔽(ハイディング)》スキルや《戦闘時回復(バトルヒーリング)》スキル、または《索敵(サーチング)》スキルといったものは発動している。雀の涙だが、使い続けることでスキル熟練度は上昇するからだ。少なくともやらないよりはマシと言える。

 

「(ここってこんなやることねぇんだな……)」

 

 しかし、俺の体が微動だにしないことに変わりはない。

 くあっ、とあくびを1つ。

 いい加減()のことを考えるのも面倒になった俺は、寝っ転がりながらも目をつぶった。そうすることでほんの少しばかりでも寝ようとしていたのだ。

 だがドアを叩く軽めのノック3回によって、俺の即席スケジュールは早くも崩れた。

 

「面会したがっている人物がおるで。面会室まで移動する準備をしとくれぃ」

「…………」

 

 それなりに聞きなれた《軍》の正規メンバー、クロムのおっさん口調と声に若干ばかりの安心感を得ながら準備をする。――と言っても、ホコリを落としただけだが。

 ちなみに俺にとって重要な事実ではないが、本来あるべき『面会の拒否権』とやらはゲームの世界にはないらしい。俺はすっくと立って両足で硬い地面を踏みしめると、両腕に錠をかけられたまま歩かされた。面会室と言っていた以上、向かう場所はもちろんその個室だろう。

 

「まったく、10日も目を離さんうちにやらかしおってからに」

 

 歩いていると、クロムのおっさんが振り向きもせずそう切り出した。

 

「……聞いたぞぃ。お前さん、リーダー失いよったんてな。心中は察するが、またえらく大変なことになったもんや。わしが何をしてやれるわけでもないんじゃがな。お前さんがバカを見る必要はないんじゃぞ……」

「…………」

 

 気遣ってくれているのだろう。ありがたいことだが無言で返すしかない。ロムライルのことはもう割りきった気でいるが、まだ口に出して言える段階ではないからだ。

 どんな事情があるにせよ、今の俺は不幸を傘に悪事をはたらいた畜生にすぎない。ここで何を言おうと、それは言い訳に過ぎない。

 しかし誰のお呼び出しだろうか。そちらの方が気になる。

 ヒスイやカズではないだろう。彼らには昨日の時点で「もう来なくていい」と言ってある。こんなことで相手の時間を取らせることが心苦しかったし、何より俺のこの惨めな姿を見られたくなかったからだ。ひょっとするとジェミルかもしれない。あいつはあいつで塞ぎ込んでいると聞くが。

 

「なあ、誰が会いたがってんだ?」

「面会人は面会室まで名を明かさないでくれと要求してきよってな。それにもう少しでわかるんじゃ、同じことじゃろう」

「…………」

 

 俺は「それもそうか」と思い直し、ひたすらクロムのおっさんに連れられて歩き続ける。

 その前にここがどこで、どうしてこうなっているのかを説明しなければならないだろう。

 まずここは《はじまりの街》にある《黒鉄宮》だ。多くのプレイヤーが利用する入り口付近、つまり《生命の碑》という名のモニュメントを確認しに来ているのではない。プレイヤーの生死を確認するのにこんな重労働は課せられない。

 ではどこか。

 ――なに、メジャーな場所である。

 《生命の碑》の少し奥、今や《軍》の占拠下及び監視下に置かれているSAO最大にして唯一の牢屋(ジェイル)。そこに俺は閉じ込められていた。

 もっとも、この言い方だと冤罪で捕まったかのように聞こえるだろうが、そうではない。俺は捕まるべくして捕まっている。有名なプレイヤーに自慢の大剣で攻撃し、犯罪者となってここへ運ばれてきたのだ。

 そして俺が斬りかかった人物には護衛がいた。それはつまり、現行を目撃した証人がいたと言うことと同義である。

 

「着いたぞぃ。面会時間は特例で20分設けられておる。内容までは知らんが、せいぜい心置きなく話し込んでくると良い」

「…………」

 

 俺は「特例なんてあるんだな、知らんかったよ」なんて呑気に答えてから、面会室の扉に手をかける。軽く深呼吸をしてからゆっくりと取っ手を回し、開けた。

 そしてそこにいたのは……、

 

「ッ、ヒースクリフッ!! なんっ、なんでここへ来た!」

「…………」

 

 咄嗟(とっさ)のことで俺は取り乱してしまった。

 堅く、強く、冷淡で、微かに憐憫な色を交えた無機質な瞳。前髪のように垂れた一房の銀髪と、深紅を強調させる血盟騎士団(KoB)団長。

 

「話がしたかった。賄賂のようだが、コルの上積みでVHも延長してもらえたのは幸いだな」

「ブイ……エイチ……?」

「面会時間のことだ。実際は賄賂ではなく正式な取引だが。……さあ座ってくれ給え、延長といっても無限ではないからな。言っておくが、こんな場所にまで来て君を蔑みに来たのではない。純粋に話を聞きたくて出向いたのだ」

「…………」

 

 どこまで本気かはわからなかったが、どの道犯罪者になり果てた俺には選択肢がない。

 しぶしぶパイプ椅子のような腰掛けに浅く座ると、破壊不能(イモータル)オブジェクトであるガラスを挟んでかの『最強剣士』とやらを見据えた。

 ――いつ見てもすました顔してやがるぜ。ムカツク。

 

「……よくツラ見せたなドサンピン」

「『どさんぴん』なんて半世紀ぶりに聞いたよ」

「るっせ、話しかけんな。朝からヒマか、コラ。俺はアンタを許してねぇ」

「まったく、私もずいぶん嫌われたものだな。ハーフポイント戦か、あるいはあの戦い(・・・・)のせいか」

「用件だけ言え。答えてやる。そして速やかに帰れ」

「まあ、そう言わず普段通りにしてもらいたい。それに勘違いしてほしくないのだが、私はそこまで君のことが嫌いではない」

「…………」

 

 『そこまで』で、しかも『嫌いではない』ときた。暗に好きな性格ではないと宣言されたようなものである。もっとも、そう言われたところで欠片も傷つきはしないが。

 

「……そんな顔をしないでくれ。これでも私は君のことを評価しているのだよ。野性的な言動が玉に瑕だが、私はこれまで興味深い現象を君から多く見いだした。本日、私の激務を押して本意で君に話を聞きに来るほどにはね」

「まどろっこしいな、最強サマよ。さっきから時間ねぇっつうなら、とっとと本題に入ったらどうだ」

 

 俺は懲りずにケンカを売った。

 繰り返すが、俺はこの男を許していない。50層戦の経緯(いきさつ)、それを思い出すと(はらわた)が煮えくり返りそうになる。

 あの日。

 センジュレンゲが『ヘイト値完全コントロール』能力を使用してから、ヒーフクリフがほんの数分隠し持っていた《神聖剣》スキル。これを解放しなかったせいで、ロムライルは死んだ。どう転んでもこいつを前に敬意を払った態度など取れるはずがない。

 

「ふむ、では率直に聞こう。……君も感じているだろうが、前人未到ゆえにこのソードアートの世界には未知の遭遇が多々ある。その1つである『近未来の視認』について、君と話がしたかったのだよ」

「ッ……ど、どうしてそれをっ!?」

 

 俺はあまりに慌ててしまって、カマかけだったかもしれない質問にバカ正直に答えてしまっていた。……手玉に取られるのが早すぎる。

 

「っ……ンなことまで、知ってやがったのか……」

「立場上、耳が広くなるのさ。それと、その『最強』という呼び方はやめてもらいたい。私とて仰々しいことはしていないつもりだよ」

 

 記憶に新しい現象。『近未来の視認』はこいつとの戦いでも発生していたからだ。

 俺がこの《黒鉄宮》に閉じ込められる原因。俺が表現するところのこの『最強』という言葉。

 そう(はや)し立てられるこいつに、俺は殺意の眼差しを向けていた。それが爆発した2日前、俺はヒーフクリフと真剣な殺し合いをしている。そこで再び、俺はあの現象に遭遇した。

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

 51層のアクティベートが済んだ日から翌日にかけて、SAO界におけるほぼ全てのプレイヤーが嬉々として攻略組を祝福し、それはそれは凄まじい熱狂に包まれた。曇天の空が景観を壊すが、雨も今だけは気を使って降らずにいてくれているのかもしれない。

 今日は12月29日。ボス討伐の熱がまだ冷めないかのように、真冬にしては暖かい日だった。

 この1年と少しの間、プレイヤーは理不尽にも死と剣の世界に閉じ込められ、命を懸けた生活と攻略を強いられてきた。それもたった1人の狂気によってだ。

 だがその悪夢もついに峠を越えた。

 RPGである以上難しくなるのはこれからであり、『峠を越えた』とするのは早計かもしれないが、やはり具体的な数字として50層を制覇したという事実がある。

 大きな進歩だ。ほぼ全てのプレイヤーにとっての、という条件付きだが。

 

「(喜べは……しねぇな……)」

 

 そこに該当しない俺は、上がり続けるテンションに盛り上がってグラスやコップを掲げぶつけている攻略組の面々を、冷ややかに眺めていた。彼らの騒ぎ方は年末が近いということも大きく加速させているだろう。

 とそこで、気の良さそうなプレイヤーが外れに座っている俺にシャンパンのようなビンを寄越して、「お前も飲め、これからも頑張ろうぜ」と声をかけてくれた。

 しかし舌打ちした俺は、立ち上がってからその手を払い飛ばす。

 するとビンは不快な音を立てて割れてしまうが、それらをまったく気にも止めず、(きびす)を返してその場を離れた。善意で行動したその男にとってはわけがわからないだろう。

 

「(ああ……人を思いやることもできねぇ……)」

 

 最悪だ。最悪の八つ当たりだ。

 彼が何をしたというのか。可哀想に。せっかく楽しげにしていたのに、恩を仇で返されて台無しにされた。全部俺のせいだ。

 

「(……ま、どうでもいいか……)」

 

 それを踏まえた上で、俺は男のことを5秒で忘れ去った。

 構っている余裕はない。気にかけている場合ではない、と。そう自分に言い聞かせて。

 

「何やってんだろ……」

 

 昨日ジェミルはボスフロアから1歩も出てこなかった。

 確信はないが、ギルド登録者メンバーのネームカラーが灰色にならずマップサーチが使えない状態が続いたことから逆算して、彼は50層のボス部屋、もしくは迷宮区から出ていないことになるだろう。

 死んだロムライルのことをずっと嘆いていたのかもしれない。

 1人になりたいと言って、カズから距離を置いた俺が言えることではなかったが、レジクレはリーダーがいてこそ初めて成立する集団なのだと噛み締めた。

 

「…………」

 

 俺は歩き続けながら、ふとエクストラスキル《神聖剣》について思い出す。

 いや、今の名称は少し変わっているのだった。常時利用させてもらっている情報屋アルゴを含め、この世界に存在するあらゆる同業者が掴んでいなかったスキルの存在。

 ハーフポイントフロアボス、《ザ・スラウザー・オブ・センジュレンゲ》の討伐は確かに喜ばしい事実だった。初日で4人、次の日に9人の死者を出した末とは言え、大事を成した。有志新聞やニュースでも大々的に取り上げられ、トップ記事の半分の内容はボスを討伐したことで埋め尽くされた。

 ……そう、半分である。なぜなら、史上最強のソードスキルが討伐に大きく貢献したからだ。

 それが件の《神聖剣》。

 スキルスロットを埋めるだけ、正確には派生機能(モディファイ)の選択をするだけで剣に防御力を付加し、盾に攻撃力を付加する謎のスキル。

 繰り出す剣技は予備動作(プレモーション)が短く、単発であっても強力で、動作中の妨害を受けにくく、攻撃範囲(アタックレンジ)に相当な補正が受けられ、技後硬直(ポストモーション)も短い。使用者を1歩でも危険から遠ざけるかのような仕様。

 これほどのスキルの存在が世に知れ渡ったのだ。

 当然、聖龍連合(DDA)並びにその他の攻略組ギルドやプレイヤーは、スキル獲得条件の開示をヒースクリフに強く要求した。二番煎じと揶揄されようが、脅迫されたKoBからどう思われようが、やはり50層のボスを1人で10分間も足止めできたスキルだけあって、自分らのセーフティラインを大幅に引き上げると考えたからである。おかげで恥も外聞も捨て頭を下げる奴がいたほどだ。

 だが、果たしてそれは叶わなかった。KoBの団長とその団員が開示を拒んだのではない。質問に対して、使用者本人が「獲得条件がわからない」などと答えたからだ。

 反発は避けられないはずだった。現に多くの人々が口々にKoBを非難した。聡明な彼がこの結果を予想できないはずはない。にも関わらず、何度聞かれても、どれだけ必死に訪ねても、「いつの間にかスキルスロットを埋めていた」とだけ答えてプレイヤーを退けた。

 彼の努力によって得られたものではなく、必然のように与えられたエクストラスキル。

 そう、つまりはまったく新しいタイプのスキルがこの世に誕生したことになったのだ。

 手に入れることができる条件にプレイヤーの意思が関与しないもの。1人だけの独自の剣技という意味を、敬拝と侮蔑の意味を込めて、それは《ユニークスキル》と名付けられた。

 しかし、俺はそれを聞いて本気で怒った。ただでさえ、50層戦において隠し事をしていたKoBが憎らしくてたまらなかったのに、奴は平然とそのユニークスキルとやらが手に入った過程を「いつの間にか」とうそぶいているのだ。

 ――信じられない。

 ――ふざけやがって。

 わずかに残る称賛の意と、溢れんばかりの憎しみの渦中で、とうとう俺は我慢の限界を迎えた。

 英雄が英雄であり続けたい気持ちはわかる。ヒーローとして奉られる彼が、力の分散によってその地位を手放したくないのも非常によくわかる。何であれば共感できるといってもいい。エゴに生きるゲーマーが《攻略組》などと畏怖され、その快楽をエネルギー源にマッピングに励んでいる、なんて話は珍しくもないからだ。

 だが生きるのに必死な攻略組プレイヤーがこれだけ多くいる最前線で、そんな器の小さいことをされても嬉しくもなんともない。

 仮に……仮に、だ。彼が嘘をついていなかったとしよう。件の《神聖剣》スキルがヒースクリフの言う通り、彼のスキルスロットをいつの間にか埋めていたとしよう。だがだとしたら、この世界の根底はものの見事に覆る。

 誰かが言った。「この世界は突き詰めると公平さ(フェアネス)を貫いている」と。隣人がそれに同意した。人にできて己にできないことはないと。それを聞くなり俺も納得した。他のプレイヤーより弱いのは、他のプレイヤーより仲間が少ないのは、ひとえに俺の努力が足りないからだと。

 『この世の不利益は、当人の努力不足で説明がつく』。

 実際、それは真実だった。

 覆ったことは、1度もなかった。だのに《ユニークスキル》は生まれた。あろうことか、個人のためのたった1つのスキルがあっさりと生まれたのだ。

 そうして俺はこの世界の摂理を確信した。

 この世界は果てしないまでに不公平(アンフェア)だと。SAOを運営するシステムはプレイヤーを公平に扱うことをやめ、正義を捨てたのだと。

 なにが平等だ。なにが公正だ。

 

「(だったらなんでユニークスキルがあるんだよ……ッ)」

 

 つい、思い出すと声に出して叫びそうになる。

 この世界で、1人だけ優遇される環境が、技が、力があることに。ヒースクリフが注目を浴びることが悔しくて、悔しくて、そして羨ましくて堪らなかったのだ。

 

「(けど、言っても仕方ねェんだよな……)」

 

 俺は半ばなげやりになって歩き続けた。

 昨日センシュレンゲを討伐し、俺とカズはジェミルをボスフロアに置いて51層主街区の《トロイア》に到達していた。さらにそれからは、俺がカズに「1人にさせてくれ」と申し出て、ヒスイのところへ1人で向かっていた。

 ヒスイは1人で行動している俺に驚きながら――いま思えば彼女も俺に気を使っていたのかも知らない――も、個人的な頼みを聞いてくれた。

 頼みというのは、25層取り巻きへのLAボーナス、《天眼通(てんげんつう)の鏡》を使って《神聖剣》スキルの派生機能(モディファイ)を調べてほしいというものだった。将来性の乏しいスキルが、その側面だけを強力だと誇張されたいで『最強』などと言われていた場合、ヒースクリフとしてはこの上ない迷惑だろうと、一応彼の立場になって考えたからだ。

 しかしその実、かのスキルが無条件に『最強』ではないと証明する最後のチャンスでもあった。

 対象スキルのモディファイを100秒間視認できる《天眼通の鏡》を使った結果、奴のスキルには今後『冷却時間(クーリングタイム)短縮』、『中級以下阻害効果攻撃(デバフアタック)遮断』、『瞬間防御値上昇』、『使用者体力増加』、『使用武器耐久値減少速度低下』、『クリティカル率上昇』などを手に入れることができると判明した。

 すでに『剣への防御判定追加』や『盾への攻撃判定追加』などを手にしていることから、出された結論は「やはりバランスを欠くレベルの最強スキルだ」というものだった。

 おかしいと、そう考える方が自然だ。絶対におかしい。冗談なしにラスボスレベルのスペックを見た俺は、あるいはヒスイでさえしばらく開いた口が閉じなかったほどだ。

 ヒーフクリフは必ず何かを隠している。この理不尽極まりない世界で、ポッと出の『最強』が使えるなら誰も苦労はしない。

 よって、俺の辿り着いた答えは直接問いただしに行くというものだった。

 そうして、今に至る。

 

「(あ……雨か……)」

 

 主街区を出てフィールドを歩いていたら雨が降ってきた。

 目的地に着いたら下級モンスターを退ける《幻惑のお香(トリック・インセンス)》でも使おうと思っていたが、フィールドの天候パラメータが『雨』の答えを出すと、このアイテムの効き目は薄くなる。

 それに結構本降りになってきた。仕方がないのでモンスターが寄ってきたらその都度排除するとしよう。

 

「なぁにやってんだろな~……」

 

 雨に濡れて歩いていると、またしても同じようなセリフが口をこじ開けて発音される。

 50層ボスへのLAボーナスである、片刃の大剣を両側に取り付けたような超重量級大剣、《ガイアパージ》。これを装備することが今のところ不可能である以上、俺の相棒はまだ《クレイモア・ゴスペル》だ。

 俺はその感触を背中で感じてなけなしの安心感を得ると、樹海の奥にあるT字に別れた通路で立ち止まった。ここが目的地だ。

 そのまま、雨に打たれ続けること数十分。

 何度か襲い来るモンスターを斬り伏せて、それ以外はずっと待ち呆けていると……、

 

「うむ? ……君の狩り場だったか。すまないな、邪魔をするつもりはなかった」

「いや、狩り場ってわけじゃない。あんたを待っていたのさ……」

「待っていた……?」

 

 その男はやって来た。血盟騎士団総団長、またの名を《神聖剣》のヒースクリフ。

 見たところ、護衛なのか単に実力を新人に知らしめようとしているのかは判断がつかなかったが、少なくとも2人のプレイヤーがヒースクリフの両脇に控えていた。

 ――どっちもいい歳した男とは華がねぇ。

 

「我々を待つ、か……変わったことを言う。解放されたばかりで、51層は狩り場の公開も行っていない段階だが?」

「2つミスってる。……1つ、公開情報をアテにしてここに来たんじゃない。リーダーが遺したレポートをあさって、普段のあんたらが回ってそうなルートを逆算して攻略範囲を統計で絞ったんだ」

「ほう。人は見かけにならないものだな」

「いやいや、頭悪いから苦労したよ。……そしてもう1つ、我々つったけど俺が待っていたのはあんた1人だけだ。一発で当たり引いたのはラッキーだぜ」

「…………」

 

 どうやら彼にも、フィールドの探索がてらに面倒ごとに引き込まれた自覚はあるようだ。

 もしかすると難癖(なんくせ)をつけてくるプレイヤーは、俺が初ではないのかもしれない。雨の日の大晦日間近にも休まず攻略に励んで、その結果いちゃもんをぶつけられるのだから笑いものだ。

 

「……質問がある。な~に、正直に言やァすぐ済むさ。……あんた、《神聖剣》スキルが『いつの間にかスキルスロットを埋めていた』なんてホラ吹いてたよな。あれはなんだ?」

「なに、といわれても単なる事実だ。……しかし、そう答えることに意味はないようだが?」

「ハッ、そりゃあそうさ。つい最近までその辺きっちり平等だったんだぜ? そのワケのわからんスキルさえなけりゃな。……真面目に聞く。あんた、マジで何者なんだ(・・・・・)?」

 

 相変わらず目は据わっているが、少しだけ逡巡(しゅんじゅん)する素振りを見せた。それがフリなのか素なのかまでは区別できない。

 

「私とてごく普通のプレイヤーだよ。もっとも、リアルラックは高いようだが」

「アハハッ、なるほどなぁ……」

 

 そこまで聞いて、俺は迷うことなく背負っている大剣を抜刀した。

 ジャラン、と。心境を映したような大雨の下、無機質な音が響き渡る。

 

「ッ……!? 団長、こいつ!」

「慌てるな。刺激しないように。……ジェイド君、だったか。よもや剣を抜くとはな。無駄なことはやめるんだ。君は今、まともな思考で行動していない」

「ムダなこと、か。……へっ、言うねぇ。俺じゃアンタに勝てないってか?」

「言い方が悪かった。この行いは無意味だ。何も解決しない。ここで手を引けば我々も問い詰めるつもりはない……」

 

 ヒースクリフが何かを言っている。弁明にも謝罪にもなっていない時間稼ぎを。

 話し合いの場は俺から提供したと言うのに、よくわからん奴だ。それを自ら、たった今捨てたくせに!

 

「ッ、ハナっからさぁ……解決なんてしねェんだよ! このくそったれがァっ!!」

 

 俺は地を蹴った。

 これが無意味? これが無駄? そんなことは重々承知している。正論でいちいち止まるほど、俺の怒りは小さくない。この怒りは収まらない。

 

「とっとと《神聖剣》を使わなかったから! あんたがモタモタしてっからあいつは死んだんだ! 俺達のリーダーはッ!!」

「ぐっ……」

 

 バギンッ! と、案の定俺の打ち込みはヒースクリフの盾に止められる。

 自己中で、身勝手で、自分勝手な人間の、吹けば消えるような儚い大義。俺がヒースクリフに攻撃することは確かに無駄なのだろう。これによって得られる戦果が何もないのだから。

 それにこんな化け物、ひっくり返っても勝てやしない。

 

「ッ……!!」

 

 ヒースクリフの武器がクリアベールに包まれる。最強スキル、《神聖剣》発動の合図だ。

 だが諦める気は毛頭なかった。

 少なくとも、暴れることでロムライルを救ってやれなかった俺の怒りだけは晴れる。

 

「ふ……ッ」

 

 俺は少量の空気を肺に溜めたまま、貫通(ピアース)属性のピックをホルダーから引き抜いてそれをヒースクリフの眼球に向けて投げつけた。

 ほんの一瞬だけ、奴の目が見開かれるが、直後に左手の大盾が顔の前に構えられ、あえなくピックはあらぬ方向に飛んでいってしまう。《神聖剣》スキル所持者にだけ許された完全防御。これがあの《アイソレイデ・ムーン》というやつだ。

 しかし、視界は潰した。

 俺は『敵』に対して左側に回り込み、奴の左足首を狙って大剣をフルスイングした。

 だが、金属同士が衝突した音が耳に届くと、足元のフィールドに突き刺した奴の剣が俺の《クレイモア・ゴスペル》の速度を殺しきっていることに気づいた。

 

「(っ、これが例の防御付加か……)……マジでなんなンだよ、そのスキルはッ!!」

「2人は警戒しつつ後退。手を出すな!」

 

 どうやら控えていた2人を参戦させるつもりはないようだ。とは言え、斬るつもりのない人間に「人を斬れ」と言っても躊躇(ためら)ってしまうだろう。戦場での躊躇いは命取りだ。モンスターを殺すこと以上に精神を費やし、かえって混乱を招いてしまう。

 オレンジプレイヤーとして勇名な誰かさんならばいざ知らず、闇雲に剣を振るただの人間が相手なら……、

 

「ぐあッつ……へ、へへ。壁でも叩いてるみてぇだぜ。……つーか、あんたはここまでされて攻撃しない気か? それで死んでも文句言うなよッ!」

「……ジェイド君、君の怒りが晴れればそれで終わりか? こんなことでは君のリーダーは浮かばれないな。彼はこの戦いを望んでもいないだろう!」

「うるせェ、しゃべんなッ!!」

 

 お互いに攻防戦を繰り広げながら怒鳴り合いによる会話を続ける。

 俺は聞く耳を持つ気はなかったが、相手も立場上は穏便にことを済ませたいのかもしれない。50層を過ぎてプレイヤーがデリケートになっていることも考えているはずだ。

 

「ちっ、聞く気はねぇ! ……だいたいな、ンなことはわかってんだよ! でも俺は……俺が《神聖剣》持ってりゃ死なずにすんだ!! 取得条件も隠しやがって! 独占たァやることがアクトウだなぁ!!」

「私の指揮で死んだ人間に対し、私に責任を追及するのはいいだろう! だがロムライル君以外の人まで救えたか!? それがわからん君ではなかろう!」

「く、うっ……!?」

「それに獲得条件については正直に答えている。君の幼稚で稚拙なこの行いこそ悪党だ!」

 

 叫ぶと同時、剣と剣がスナップの利いた速度でぶつかり合って鋭い音を発散させる。

 重く高級な甲冑で身をくるむヒースクリフはその場をほとんど動いていない。まるでこの場を譲る気はないと、そう宣言しているように。

 対して俺は、間合いや攻撃角度の調整で激しく位置変更を続けている。が、斬撃すべてが奴によって迎撃されている。間合いの選択権を譲られて有利を保証されているというのに情けない話だ。これが実力差か。

 

「ハァ……ハァ……かってェなおい。冗談みたいに硬ぇぞ……ハァ……ったく」

 

 文句を漏らしながらも手応えに不満はなかった。

 もっと余裕で凌がれるものだと思っていたが、さすがに俺の打ち込みが迫真に迫るものと感じたのかもしれない。

 しかし、次に俺が攻撃した時だった。大剣をヒースクリフが受け止めた時、一瞬の隙を突かれて奴に姿勢を低くされた。これにより、大盾が滑るように股の間へ入り込んできて、計り知れない筋力値でもって俺を持ち上げた。

 スプーンで食材を(すく)うように、俺の体が宙に浮く。

 短い時間、重力が上下からやって来るような感覚が俺を襲った。直後に不時着。

 

「ッ……ガハっ! く……ハァ……ゼィ……投げやがったのか……ハァ……くそ、強ぇ……」

「いい加減諦め給え。君のようなプレイヤーは過去にもいた。逆上した者は……その全員が(のち)にこれらの行いを恥じ、反省している」

 

 ヒースクリフの目の前で無様にうつ伏せの大の字に倒れていた俺は、悪態をつきながらも再び立ち上がる。

 落下によるダメージすらなかったが、そもそも落下ダメージはプレイヤーから受けたダメージとして扱われない。オレンジ化を避けようとするヒースクリフも計算づくで投げ飛ばしたのだろう。

 気づくと、天候はいつしか豪雨になっていた。しかも水滴が温度を逃がし、逐次俺の体力を奪っている。

 ぬかるんだ地面と、水濡れエフェクトのせいで立ち上がるのに何度か失敗しかけたが、なんとか踏みとどまった。もっとも、防具も武器も泥にまみれ、全身を打つ雨がみすぼらしさを醸し出していることから、お世辞にも格好いい状態には見えないが。

 

「へ、へへへっ……ズタボロだな。けどまぁ、暑苦しい体にはちょうどいいや。これからだぜッ!」

「……次にその刃を向けるとしたら我々も反撃に出る。その覚悟があるのなら……」

「なきゃ来てねェよッ!!」

 

 荒い息を押さえ込んで俺は再三に渡って距離を詰めた。

 足蹴にされ、小馬鹿にされたことで集中力は逆に高まっている。

 減速する世界の中、加速する意識だけが取り残される感覚。……そう、以前に何度か経験した、研ぎ澄まされた視野が未来をも知覚する感覚だ。

 奴が左の腰を後ろに引く動作をする。

 予想される攻撃方法。もたらす捻転力、速度。姿勢制御。付加された攻撃の有効範囲。行動の癖と確率。その他の制約的な人体の駆動範囲。

 瞬間、俺には銀の盾が迫り来る映像が見えた(・・・)のだった。

 

 

 

 


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