SAOエクストラストーリー   作:ZHE

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今後とも楽しんでいただけるよう精進したいと思います。


第62話 《後退する修正景(リビジョン・バック)》(後編)

 西暦2023年12月29日、浮遊城第51層。

 

 攻撃は見切った。隙はもぎ取った。

 あとは、この腕を力の限り振りきるだけ。

 

「ッ……れぁあああああああッ!!」

「ぬぅっ!?」

 

 見慣れないモーションであるはずの盾による突き。これを絶妙なタイミングで躱されたことで、ヒースクリフは少なからず動揺した。

 左の側面を取った。がしかし、振りの遅い大剣はすんでのところで片手剣に防がれてしまった。

 攻撃を利用して時計回りに半回転したヒースクリフが片手剣を右肩に担ぎ、不安定な姿勢の中でもきちんと防いだのだ。その瞬発力は見事と言うしかない。

 そのまま両者の動きは一旦止まり、鍔競り合いに持ち込まれる。

 

「ぐくっ……く! 確かに、な……間違ってるさ! 俺は悪党だッ!!」

「…………」

 

 徐々に姿勢を整えたヒースクリフと互いの凶器をギリギリと擦り合わせ続ける最中、俺は叫ぶ。抑えきれない、その慟哭(どうこく)を。

 

「ハァ……ンなこたァわかってる! けど!! ハァ……俺が《神聖剣》を手にするべきだったんだ!!」

「無意味な仮定だ!」

「うるせェ!! ハァ……アンタが憎い! 《神聖剣》は相応しくない! ンなもん、俺が殺して奪ってやるわボケがァッ!!」

「く……やめたまえ。私を……殺しても、そんなことはできない。彼は報われない!」

「がぁあッ!!」

 

 ジャキンッ! と鋼鉄特有の音を出しながら一旦鍔競り合いが解かれた。

 直後に俺は《体術》専用ソードスキル、中級単発突進強撃《凱膝華(ガイシッカ)》を構え発動する。

 当然のようにヒースクリフはその絶対的防御力で防ぐ。しかし着地前、目の前の男に抱きつく勢いで押し込み、無理にでも接近して顔面に頭突きをかました。

 憎らしそうに睨むヒースクリフを無視しようとした瞬間、奴の右腕に力が込められるのを感じる。

 そしてこの時、数秒と空けずあの感覚(・・・・)が再来した。

 左の肩が後方に傾き、剣を握る指に力が入る。同時に右肘が伸びきり、足を狙うような目線と、大盾を左にずらそうとしていること。それらが導き出す未来の幻視。

 ほぼゼロ距離での斬り上げ攻撃は半歩身を引いて回避。リアルなら右側の髪が一房は持っていかれそうな近距離を片手剣が通り過ぎた。

 

「躱した……っ!?」

「ぜぁああァぁあああああッ!!」

 

 全体重を乗せる。ヒースクリフは外した剣の勢いを殺さず肩にかけ、どうにか防ごうとした。

 だが俺の剣は止まらず、そのまま直進する。

 とうとう俺の攻撃が奴の鉄壁を越えた。

 大剣装備の一撃のわりに、せいぜい1割にも満たないダメージ。数字だけを見るなら苦労に見合っているとは思えない成果だが、斬撃が抜けたことにはそれ以上の意味がある。

 

「ハァ……これで……ハァ……晴れてオレンジだな、俺も……」

「よもやしてやられるとはな。……こちらも本気でいくとしよう!」

 

 ヒースクリフの目付きが変わった。防戦一方を決め込んでいたヒースクリフは、1度攻撃を受けることでようやく本気で戦うことを決意したようだ。

 構えが守備的なものから攻撃を前提としたものに切り替わる。

 

「(つっても……やっとこさ本気か……)」

 

 遠退き始めているのは両手足の感覚だけではない。意識すら朦朧(もうろう)としてきている。

 ハンデのなくなったヒースクリフに対し勝てる気はしない。元より勝ってはいけないケンカではあるのだが。

 

「シッ!」

 

 ヒースクリフが短く息を吐いた。

 切っ先はヒット直前に方向を変え、反応速度が低下しつつある俺はあっさりとダメージを負う。穿(うが)たれた刃が俺の命のゲージを少しばかり削った。

 俺は大きくバックステップを踏むことでとりあえず距離を空ける。

 

「かはッ、つ……っ、てェな……」

「続けるなら『痛い』では済まなくなるぞ」

「ハッ! やっとその気か!? けどな……俺の怒りはこんなもンじゃねェぜッ!」

 

 ダッシュしてから再び白兵戦。

 奴の戦い方は大盾によるガードと聖剣によるアタック。意外なことに大味なモーションはない。戦闘スタイルが片手剣士として基本に忠実だったため、俺の小細工は通用しなくなる。

 確実な守りと、堅実な攻め方を前に、着実に俺のHPゲージだけが削られていった。

 しかし、こちらとて捨て身のケンカだ。悪あがきぐらいはさせてもらう。

 

「ハァ……ゼィ……こなくそォッ!!」

「ぬぅっ!?」

 

 俺は地面に広がる泥の塊を相手の顔めがけて蹴り上げた。反射的にそれを盾で防いでしまうヒースクリフ。

 強制的に構えを変え、俺はここぞとばかりに反撃をする。なんとも浅ましく醜い戦法だった。

 

「そらよォ!!」

「ぬぐっ!?」

 

 今度は足払い。天候パラメータが『雨』を維持する限り、フィールドはぬかるみによって滑りやすくなっている。結果、転倒(タンブル)の発生率も高くなるのだ。

 俺の筋力値とて相当に高い。ヒースクリフは俺の反騎士道的な戦闘方により大きくバランスを崩した。

 

「ハッハァッ!!」

 

 もはや型もなにもない闇雲な連撃。斬撃武器を握っているにもかかわらず、その攻撃は殴打に近い。

 

「死にかけりゃ! 《神聖剣》の取り方! 教えるだろテメェ!!」

「ッ……いい加減にしたまえ!!」

 

 俺の追撃に対し、今度こそ『最強』はその姿を表した。

 ディープブルーに輝く奴の剣。ネーム付近には技名が表示される。

 初見である以上、俺のリファレンスに新たに登録されるだろうその新技、《神聖剣》専用ソードスキル、攻防合体回転二連撃《ペルラ・ルーチェ》。

 まず俺は、左側から迫る片手剣を打ち落とそうと垂直に剣を振り下ろした。

 俺の大剣は見事ヒースクリフの持つ剣先に命中。重量差からも打ち落としまで成功すると思った。がしかし、奴の剣は前進を止めず、際どいところで振り抜いてしまった。

 ダメージこそ相殺で発生しなかったものの、『剣撃軌道の著しい妨害』としてシステムに認識されず、ソードスキルは続行。二段目の攻撃に移行した『盾による攻撃』が俺の胴体を斜めに斬り裂いた。

 脳を揺さぶる激しい振動。脱力しかけた体は踏ん張りが利かず放り出される。

 視界がレッドアウトするなか、足が地を離れた俺はゆっくりと感じ、悟る。ヒースクリフの実力に遥か遠く届かなかったのだと。

 地面に叩きつけられた時点で、俺は意識を失った。

 

 

 

 あとに聞いた話だが、《軍》が管理する《黒鉄宮》の名簿欄に俺のプレイヤーネームが刻まれたのは、その日の午後3時半を過ぎた頃だったそうだ。

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

 改めて俺はヒースクリフに向き直った。

 『近未来の視認』。

 1層、10層、21層、カズとのデュエル、50層、そして……ヒースクリフとの戦い。特にハーフポイントとこいつの戦いで、未来の動きがはっきり見えた(・・・)回数は2回にのぼる。

 とはいえ、この現象は他人からだと気づきにくい。動画サイトに投稿すれば多少称賛を呼び込める程度のもので、その実情なんて普通のプレイヤーなら気にも止めないはずだ。

 

「私のスキルを最強と称するなら、きみが幾度か見せたあの現象はチートと表現できるのではないかね? ……フフッ、もっともこの言い方は正しくないがな。私はその正体を知っているし、そんなに大逸れたものでもない」

「…………」

 

 本当に知っているのだろう。

 名称はおろか、この男はその原理まで理解しているかもしれない。

 

「……へっ、だからなんだ。KoBの連中がひーこら働いてるのに、あんたがここでダベっていい理由にはならねーぜ。聞きたくもないし、早く帰ってくれよ」

「私とて、個人的な好奇心を満たすぐらいの時間は与えている。ゆえに今日も、決してきみのために来たのではない。それに我々も人だ。目に映らないだけで、不満を抱える者もいるだろうさ。きみは『パレートの法則』を知っているかね?」

「……ぱ、ぱれ……?」

「知らないようだ。簡単に説明すると、ある統計値を導き出した全体の結果は、実はその一部が出した結果に過ぎない。という法則性のことだよ」

「…………」

 

 ――わ、わからん。

 

「働き蟻の法則と言った方がわかりやすいかもしれんな。……100匹の働き蟻を集めたとしよう。観察すると実際に働いているのは全体の8割で、残りの2割は働かない。次に、その働いている8割の蟻だけを残したらどうなると思う?」

「そりゃ……別に働くだろ……」

「それがそうならないのさ。働き蟻8割の中でも8対2の法則ができ上がる。16匹は働くのをやめ、残りの64匹が働き続ける」

「へぇ、そうだったんだ。……ハッ! つ、つまりなにが言いたいんだよ!」

 

 ヒースクリフは若干呆れたような顔を作った。嘲笑ったのかもしれない。この世界の住民はそこまで俺をバカにしたいのかと、強く反論できない俺は自分が嫌いだ。

 それからヒースクリフはまた淡々と口を開いた。

 

「KoBとて同じということさ。憧れで入団した者も過酷な攻略生活に根を上げ、手を抜いた仕事をする団員も少なからずいる。きみが言うように、そして誤解しているように、皆がみな日々全力を尽くしているわけではない。きみもまさか、私の勅諚を受けた団員が無条件に命を捧げるとまで思っていないだろう?」

「……ちょく……じょう?」

「……いずれにせよ、私のこともいたずらに神聖視するのではなく、どこにでもいる普通の人間として見てほしい。そろそろ本題に入ろう」

 

 ここで俺は、場を支配するギスギスした空気が払拭されていることに気がついた。立場上、この話術も必要となるのだろうか。アギンやクラインを見る限り、ギルドマスターの必須テクとは思えないが。

 それにKoBとて無敵の紳士集団ではないという、ヒースクリフの主張もわかる。トップギルド特有のプレッシャーや脅迫観念、あるいはストレスといったものが確実に存在するからだ。

 メンバー間の本音と建前、ギルド間の打算と駆け引き、上司からの圧力や欲望、組織の受け持つ義務と仕事の責任、泥沼な人間関係から衆民の凝縮された期待まで。

 仮想空間が生活の場と化してから、基本的なアーキテクチャは現実世界のそれとなんら変わりない。

 俺がレジクレに労せず溶け込めたのは、ひとえにあのメンバーの善意のおかげ。現に、そういったドロドロとした事情が嫌でソロをしている人間はわんさかいるし、俺自身レジクレ加入前はそのきらいがあった。

 KoBも例外ではない、と言いたいのだろう。

 例えばDDAと比較すると、そのギルドメンバーの数が実態を如実に物語っている。KoBには現在30人強のメンバーがいるのに対し、DDAはその倍以上、70人に迫る人数が所属しているのだ。この差は圧倒的である。

 なぜだろうか。

 答えは簡単に見つかる。

 つまり、加入するにあたってKoBの2倍、DDAの方が魅力に満ちているということだ。狩り場や情報の独占も、裏を返せば己のギルドを危険から守るためであり、DDAも努力を怠らない身内には結構優しい。

 これらの事から断言できるのは、KoBは高嶺(たかね)の存在になりすぎてしまったということである。だから一般人にとって神聖視されるのだ。

 

「(って感心してる場合かよ。俺が望んだとはいえ、こいつはもう俺の敵だ……ッ)」

 

 俺は脳内で(かぶり)を振り、警戒心も新たに敵を向く。

 相も変わらず彼は澄ました顔で周囲を見渡した。

 

「しかしオレンジカラーも侵入できる唯一の《特殊圏内》、か。どうもあまり落ち着かんな、こういう場所は」

「……んで。俺は経験談でも話せばいいのか」

「ふむ。では、きみの好きな《システム外スキル》の話をしよう」

「システム外スキル……?」

 

 まさかここで聞くとは思わず、つい聞き返してしまう。

 スキルスロットを埋めることなく、戦闘や攻略で他者と差別化できる個人的技能のことで、俺はこの重要性をいろんなプレイヤーの前で熱弁してきた。きっとヒースクリフもどこかの攻略会議で俺の声が聞こえたのだろう。

 

「よくそんなこと覚えてたな」

「職業柄、私も記憶力だけは自信があるのでな。……さて、その中に《超感覚(ハイパーセンス)》なるものがある。耳にしたことぐらいあるはずだ。なんと、知覚範囲外から情報を認識し、的確に対処する技術らしい。きみはこれをどう思う?」

「…………」

 

 これはまた、ずいぶんとらしくない質問が来た。

 《ハイパーセンス》。本能の覚醒により五感のリミッターが解放され、遠距離の不吉な現象を感じ取って警戒する。ステータスでは表示されない危機感知能力。こういった現象のことだ。

 無論、これはデマだろう。

 確かに直感で片を付けるには出来過ぎた状況は起こりうる。しかしそれも、現実は奇なりというやつである。

 ある未踏破ダンジョンを前にして、プレイヤーが『この洞窟の奥は危険だ』と判断したとしよう。その推察が正しかったとして、果たしてそれは《ハイパーセンス》と言えるだろうか。確率など半々だ。

 どこまでいっても理論的な説明なしではジンクスの域を脱せず、往々にして『そういう時もある』で済む。そこへ根性論で反駁(はんばく)しても水掛け論にしかならない。

 

「ない、と俺は思ってる。なにしろコンキョがない……」

「妥当な判断だ。が……そうだな、では『定義を設定できる』世界ではどうだろうか。……難しい言い回しは勘弁してくれ給え。これは義務教育レベルでも使われる手法だ。存在するはずのない理想気体を前提にした理科の実験や、紐や台座の重力や摩擦を無視した物理の計算に近い」

「んあ〜……ムズすぎ。でも、なに言ったところで証明できないんだろう? なら無いのと一緒じゃん」

「はぁ……だろうな、きみの意見は率直だ。しかしこれでは私が困ってしまう。なにせ、私は目の前に突きつけられたのだからな。そこで私はある研究をした。タブーに触れるようだが、少し現実世界の話をしよう」

「やめろ。リアルの話ヤメロ」

「単刀直入に言う。私はVRMMOの製作担当をしていた。おかげで多くのタイトルを手掛けたものさ」

「やめろつったよなァ!?」

「しがないメーカーだが、勤めていたのはゲーム会社ではなく電子工学の方でね。このソードアートも含まれていた。……なに、珍しい話ではない。業務でログインする者もいれば、話題に釣られて偶発的なログインをした者もいる」

 

 まったく聞く気のない男にイラッとしたものの、重くなってきたまぶたを気合いで押し上げ、俺はどうにか興味の持てた箇所に焦点を当てた。

 

「…………ま、業務上過失なんちゃらだよなコレ。っていうか、あんたんところのサブリーダー……アスナだって似たようなもんだろ。詳しくは知らねぇけどさ、あれがコアゲーマーだったとは思えんし」

「まさしく」

「ハッ、でも合点がいったよ。あんたの強さの秘密。武道に通じてるわけでも、兵隊とかでもなかったんだな。そういうウワサ聞いたもんで気になってたんだ」

「両方ともその通りだ。製作スタッフは地方にも多く点在し、私達はゲーム先行体験、俗に言う《クローズド・βテスト》を前に頻繁な情報交換もした。そしてある日、大規模なテストプレイが実施された。私もそのメンバーに抜擢され、製作途中である10層以上のフロアを除き、長時間ログインによってディティール、タイムラグなどの計測を行ったのだ。次世代技術ダイアモンド半導体CPUが完成させた《カーディナル》と言えど、人の手なくしてシステムの完成はあり得ないからな。……いわば、数少ない《αテスター》さ」

「…………」

 

 これは飛躍した話が飛んできた。多少は驚いているが、だが同時に納得もしていていた。なるほど、この中年は根本的な面で世界を熟知していたのだ。初めからこの男の得ていたアドバンテージは、長い目で見れば最高級のものと言える。

 しかし、これはなんだろうか。

 胸騒ぎがする。圧倒的な危険信号だ。

 これまでに体験したことのない、本能的な警戒がヒースクリフに向けられた。

 なぜか……本当になぜかわからないが、目の前の男は《αテスター》だから強かったのだと。自分には強さを裏付けする決定的な過去があると、そう白々しく必死に言い訳(・・・)しているように聞こえたのだ。

 ただの、言い訳である。

 現段階では彼の言うようにこの世界の最速先行体験が、他の追随(ついずい)を許さないほど強い理由足り得たのだと、そう考えるのが妥当だろう。他に理由がない。

 だがこの理屈ではまだなにか足りない気がする。この男の強さの理由は本当にαテスターだからという、深い情報を知りえていただけだろうか。もっと革新的な事由がなければ説明のつかない強さが……、

 

「まあ……とりあえず、な。……あんたがKoBの団長やってるのにも、なんだかんだ説得力出てきたよ……」

「なに、自慢がしたかったのではない。情報交換するうちに耳に残るウワサがあった。それこそが先ほどの『現象』であり、視野感覚が生み出す幻想世界――」

 

 最強の男は一泊だけ置いて、そう口ずさんだ。

 

「――《後退する修正景(リビジョン・バック)》なのだ」

 

 説明はそれから長く続いた。

 《リビジョン・バック》。正式には、《Revise of Vision going Back》。

 モンスターおよびプレイヤーが行動を起こす際の予備動作は、《ソードスキル》に限らず予兆がある。

 まずヒースクリフはそう切り出した。

 剣を振りかぶれば胸筋は張り、背筋は縮まる。利き腕を構えると、一方の腕も連動する。呼吸や踏み込み、重心の移動から腰の捻りまで、システム外スキル《見切り》が成立する以上、目線も攻撃を予測する重要な材料になる。次に重力や慣性の法則、関節の動き方まで、それらはアシストを受けた各ソードスキル中にしか覆らない。

 『筋力値』や『敏捷値』も、戦闘中にレベルアップでもしなければ数値変動しない。映画などでよく見る、感情が昂ることによるパワーアップや、好きな女の子にキスをされて不思議な潜在能力に目覚めるなどは論外というわけだ。

 そして現象の発生を決定付けるものとして、いかなソードアートの世界でも、やはり現実には追いつけない問題点がある。

 例の1つは『液体環境』。

 VR最高機器と(うた)われた《ナーヴギア》でさえ、差し込んだ角度に対する光の屈折、波が起こす乱反射、体にかかる水圧、流体力学的観点からの感触など。ついぞ液体環境については、完全再現にはほど遠い。それは『再現しきれないものがある』という証明であり、同時に仮想世界の限界ともいえる。

 今では人間が得られる情報量の多寡(たか)に差があるため、まだプレイヤーは現実と仮想を区別することができる。

 実はこれが『近未来の視認』現象を説明するのに重要なポジションにいて、答えにもなっている。

 彼はここまでの話を一気に(まく)し立てた。

 

「わかるかい、ジェイド君。これを発見した研究員は根っからのゲーム好きでね。ネーミングセンスも彼のものだ。彼はきみと同じように『ルールの中でどこまで(・・・・)できるか』にとても興味を示していた」

「俺と同じように……システム外スキルの練習を繰り返したのか……?」

「いかにも。彼は世界の限界が知りたかった。そして時間をかけて、結果論ではあるものの、《Re:Vision Back(リビジョン・バック)》発生の訓練をしていたことになる。それも四六時中ね」

「…………」

「そんな目を向けないでくれたまえ、私も初めはヨタ話だと思ったさ。しかし別のメンバーからも1人、それ(・・)を見たという報告を受けた。そこでようやく私も注目し、友人含め数々の検証をしてみた。……結果は黒。なんと脳の後頭葉にある知覚領域は、間違いなく起こり得る現象を数瞬前にキャッチできることが判明してしまったのだ。実値のうえではな」

「そうか。そりゃ喜ばしいことだけど、できればもうちょいわかりやすく教えてくれ……」

「おっと、これは申し訳ない。好奇心をくすぐられると、どうも感情が先立っていけない。さて、先に述べさせてもらったように、この現象の発生が仮想世界でのみ起きる原因。それは情報量の差……」

 

 ヒースクリフがそこまで言ったところで、部屋に設けられていた回転式自動砂時計がゆっくりと傾き上下が逆転した。これは残り時間が5分を切ったことを示している。

 どうやら俺がアリーシャを訪問した時にも備わっていたらしいが、俺達は気づかなかった。あとでクロムのおっさんから聞かされてがっくりときたものだ。

 ヒースクリフは構わず続けた。

 

「きみは『クライアント判定方式』を知っているだろうか。当たり判定を決める際は『ホスト判定方式』とよく双璧をなしている。簡単に説明すると、画面上で敵に攻撃をヒットさせるか、データ上での3次元的領域の空間にヒットさせるかの違いだ。後者はPING……つまり物理的距離にラグが発生しやすい。担当部署が違うのでこれは伝聞になるが、このソフトは『クライアント判定方式』を採用しているらしい」

「オッケー。まあ大体わからん。んで、それがどうしたってンだよ?」

「きみも考えてみてほしい。電子化後、誤って位置情報が入力されても、プレイヤーは《リビジョン・バック》と同じ現象には辿り着けない。なぜならデータ上での敵位置が実際の位置ではないからだ。実際は画面上の位置、似ているようでこれは少し違う。違えば無論、正確な対処もできなくなる。位置情報の逆流が起きて敵の位置を頭で先に理解したのだとしても、『視えた』というのは道理に沿わない。必然的に網膜を経由したことになる。きみは『サブミナル効果』を知っているな?」

「…………」

 

 ――くっ、まずい。

 なんということだろうか。まるで話についていけない俺がバカの極みのような空気になっている。これは今後の印象や沽券(こけん)に関わるだろう。

 知らぬは恥。そう結論づけた俺は見栄を切ることを決意した。

 

「ああ、知ってる」

「知らないようだ。ではこれも説明しよう」

 

 ――わかってんなら聞くなよ!

 という叫びを、俺は涙目でプルプルしながら呑み込んだ。

 

「潜在意識のさらに深層部分にある境界領域。これを刺激することで発生する効果のことだ」

「あァァーーもうわかんねェ!! その言い方がわからせる気ねぇ!」

「存在が認められたのは今から200年ほど前」

「聞けっ!!」

「例えば、昔テレビなどで視認できない一瞬の画像を断続的に放映することで、視聴者の意識を誘導する実験も行われていたりする」

「壁としゃべってんのか俺は。……でも、それはマジで聞いたことがあるぞ。なんか無意識にその事考えちまうやつだよな。デマだっつー話も聞くけど、今じゃ放送は禁止されるとか……?」

「詳しいではないか。もっとも、一般常識になりつつあるがな」

「ホメるなら素直にたの」

「そこでだ」

 

 俺の抗議は華麗に無視された。もう、反論も疲れた。

 

「モンスターやプレイヤーが行動する際、その先の映像が一瞬だけインプットされてしまう……ということはないだろうか」

 

 興奮しているところに気が引けるが、率直な感想としては「それはない」だ。それができたらケンカは相当有利だろう。敵が行動する前から行動できる、ということは初動開始のスピードが相手と全然違うということになる。

 しかし、現にそれができてしまっている。そしてなんらかのロジックが存在する。運や奇跡では片付けられない原因があるのだ。

 

「ここで本命の『情報量』の出番だ。きみはここが現実世界でなくソードアート、つまり仮想現実であることを認識できているな? それがなぜか説明できるだろうか」

「それぐらいなら俺にもできる。まずはこの肌、毛も生えてないしツルツルじゃねぇか。さっき風呂の話も出たけど、そもそも体や服にニオイつかねぇし、歯も汚れないきゃションベンもウンコもしねぇ。動きだってほら、メッチャ細かい話だけどやっぱ現実とは違うしよ」

「まさにその通りだ。所詮はポリゴンデータであるアバターを、電子化された信号で操作しているにすぎない。人工知能(AI)を搭載しているとはいえ、それはモンスターも同様。しかし、だからこそだ。視覚認識は現実世界のそれと変わらない性能を秘めているのに対し、動きだけは現実の再現に到達していない部分がある。……ここにヒントが隠されていた」

「…………」

 

 目で見ることのできる範囲は現実と同じ。しかし体で動かすことのできる範囲は現実に追い付いていない。

 ということは……、

 

「行動が単調になるから……推測しやすいってことか……?」

「真を得たな。動きは絶対的に制限がかかる。体の硬い人と柔らかい人、筋肉の違いで速く動ける人と動けない人など、そういった違いはプログラムで設定されているのであって本人の意思は介入しない。どうあっても、誰であっても、関節駆動は単純になる。つまり、個人差が生まれないユニットの動きは理論上……」

「目で見て、推測できるんだな……?」

「いかにも」

 

 それがヒースクリフの結論。

 粒子論学的側面から、とこいつは言った。友人――たぶん天才仲間だろう――を集めて検証したと。人間がそれを意識下でやってのけるかは別として、理論上は可能だと。

 《リビジョン・バック》は実在する。そう結論付けられた。

 

「本来なら誤情報の認識だ。しかしそれは、動きに制限がかかった仮想世界では『正確な情報』へと昇華する。なにせゲーム内ではそういう風(・・・・・)にしか動けないのだからな。意識の深層部分と私は言ったが、極めて高い集中力があれば、人はこれを自由に操れるのだ」

「そんなことが……未来の映像を、はっきり視るなんて……」

「鍛練によってはより頻繁に、正確に、遠くまで、な。初めは強い酩酊感と頭痛に襲われるが、回数を重ねると薄れてくるらしい。《システム外スキル》の研究と実践、それは間違いなく《リビジョン・バック》発生への訓練だったといえる」

「…………」

 

 俺は感動で言葉を失っていた。厨二病的戦闘技法がこんなところで実を結ぶとは。

 いやそれよりも、自分のアイデンティティを認められた気がして、とても嬉しかった。

 1度は剣を交えた仲だというのに、俺はヒースクリフに親近感を抱いていた。頭の悪い俺が気安く親近感など(おそ)れ多いが、少なくともたった今、両者には共有された達成感がある。

 これが『昨日の敵は今日の友』というやつか。本来は剣士ではなく商人に使われる言葉らしいが……。

 

「……時間だな。有意義な会話だったよジェイド君。それに、きみも根っからな悪人ではないようだ」

「そ……そんな、数分話したぐらいで……」

「きみの行動原理は亡きリーダーを想ってのことだ。それに、そう簡単に悪には成りきれないものだ。真の悪党はもっと、根本的に、心が冷たい。……ついてはきみの釈放において、私からも前向きな検討をするよう申し出ておこう」

「そ、そんなことまでしてくれるのかよ」

「『受けた恩は石に刻め。かけた情けは水に流せ』。私の信条だ」

「そっか。ナニ言ってるかわかんね。……ってか、そんな影響力まで持ってたんだな」

「なに、一般プレイヤーが罪の重さを決めているのだ。事実上、陪審員のようなもので、その特性として初犯に甘い。私がきみと戦った日にも忠告したが、突発的な衝動で犯罪にはしる人間は少なくないし、その全員がすでに反省して《黒鉄宮》から出ている。罪が重いのは計画的な犯行をし、人を殺めた者だけだよ。私が手を下すまでもなく、きみは早い段階でここを出られていただろう。……そうだな、2日もここにいたのだったな? なら明日にでも出られる可能性が高い」

 

 そこまで話したところで後ろの扉がガチャリ、と開いた。入ってきたのはクロムのおっさんで、つまりは面会時間終了の知らせだ。

 ヒースクリフも起立して彼に従った。俺はどこか、それが悲しいことに思えてしまう。

 

「ああ、それとジェイド君」

 

 しかし去り際、ヒースクリフは思い出したように振り向いて口を開いた。

 

「私の意見を聞かせていなかったな。私は《ハイパーセンス》を……信じている」

「は……? あんなオカルトを?」

「意外かね? 私はこの仮想世界で科学的に説明のつかない現象を数多く見てきた。きみは信じることができるかね、『意思の力』というものを」

「意思の……ちから……?」

「また戦場で会える日を楽しみにしているよ、ジェイド君。では良いお年を」

 

 その言葉だけ残し、ヒースクリフは去っていった。まさか新年前のあいさつを最強ギルドの長から聞くとは思わなかったが。

 そして俺は、個室に戻される前に彼の言葉を反芻(はんすう)していた。

 

「意思の力ねぇ……らしくもない……」

 

 ロムライルにも心中で謝罪する。

 俺が攻略に戻るかどうかはともかく、どうもあの男を憎みきれなくなってしまっていたのだ。

 これは酷い裏切り行為である。彼を救わなかったプレイヤーを前に、「もう憎めない」などと考えているのだから。会わせる顔がない。

 それとも、ヒースクリフが言ったようにロムライルはこの結末を望んでいなかったのだろうか。仇討ちなんて、確かに生き残った人間の勝手なエゴだ。遺書にそうしてくれと書き残していたのであれば話も変わってくるのだろうが。

 

「明日から、か……」

 

 俺は3日前、ロムライルが死んだことをまた思い出した。

 それが今の体たらくはなんだ。

 あの怒りをもう忘れたのか。直接殺しをしていないだけで、見殺しにしたのは紛れもなく奴だ。

 忘れてはいけない。焦点を合わせなければならない。目を逸らさず、視たくないものでも直視しなければならない。ヒースクリフは……あの正義感の強い立派な騎士は、ロムライルを見殺しにしたのだと。

 

「ああ、くそっ……どうすりゃいいんだよ。ちくしょう……ッ」

 

 その日、1人で明かす夜の寂しさを、俺は久しぶりに噛み締めるのだった。

 

 

 

 

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