SAOエクストラストーリー   作:ZHE

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第63話 サバイバーの選択

 西暦2024年1月1日、浮遊城第1層(最前線51層)。

 

 ヒースクリフの言った通り、彼が訪問してきた次の日の早朝には《牢屋(ジェイル)》から釈放された。

 釈放にあたっては、七面倒な今後の抱負やら謝罪文やら必要書類やらを書いたり読まされたりした――非売品だが、タイプ式でない紙類もSAOには存在する――が、俺の字が下手すぎて書き直したこと以外は特に問題なく手続きは完了。

 投獄中に多少会話を弾ませた《軍》の連中と軽く別れの挨拶を済ませると、俺は長年浴びてこなかったかのごとく、両手を広げて仮想太陽光を全身で感じた。

 

「(暖かけぇ……)」

 

 真の意味での心のこもった出迎えはない。それに気温だけ見れば低い。頭に浮かぶ何名かの知り合いも、俺の釈放を聞いていなかったのだろう。代わりに本部に在中する《軍》のエリートクラスのプレイヤーが、珍しいことに慌ただしく活動する光景を眺めることができただけだ。

 もっとも、出迎え皆無なことに文句はない。オレンジ野郎の釈放日なんて知りたくもないだろう。犯罪者が刑期を迎え1人牢屋から放たれた。ただそれだけのことである。

 

「ほれ、こっちで預かっといたアイテムじゃ。ストレージに入りきらなかった分は倉庫にしまってあるで。担当者から鍵を受け取って自分で宿なりなんなりに持ち帰ってだな……お前さん、聞いとるかい? 最近無視されてる感が酷いんじゃが……」

 

 クロムのおっさんが懇切丁寧に説明してくれているのに、俺は頷きもせず相づちも打たなかったので、おっさんは(いぶか)しげに聞いてくる。

 

「……ああ、聞いてるよ。けどさ、アツデがましいようだけど、ちょっと頼みがある。しばらくでいいんだ。そっちで俺のアイテム預かってくれねぇか?」

 

 俺が振り向いて聞き返すとおっさんは少し固まっていた。

 牢に放り込まれた時に俺の所持していたアイテムがどうなったかというと、軒並み専門施設で一括管理されていたのだ。これはソードアートにおける対オレンジプレイヤー対応のマニュアル通りであり、当然他の受刑者にも同様の処置をしている。

 そして俺が出所する時、ストレージに入りきらないアイテムなどで保管や管理が必要なものは安い宿屋の一室を倉庫代わりに使っている。鍵を受け取って荷物を取りに行け、と言ったクロムのおっさんの言葉はそういう意味だろう。この場合はストレージを一旦空にして取りに行くか、担架(ストレッチャー)や人力車、または牛や馬を所定の場所で借りなければならない。

 

「……今日中には来るようにな。わしの方から伝えといてやる。もう悪さなぞするでないぞ?」

 

 どうやら引き受けてくれたようだ。

 それにしても耐久値残量が残り10パーセントを切った《ミソロジィの四肢甲冑》ですら、それからは少しも摩耗(まもう)していない状態できちんと返ってきたのだ。義務感か体裁保ちのためか知る術はないが、《軍》もその辺はきっちりしているようである。

 クロムのおっさんは「ジェイドや、絶対に取りに帰って来いよ」と念を押した。

 俺がその保管施設を、無料のコインロッカー代わりに使うことで経費を浮かそうとしていることを懸念(けねん)して、ではないだろう。

 おそらく俺の顔に死相でも滲んでいたのではないだろうか。心配して言っているのだろうが、いずれにしても過剰に敏感な男だ。

 

「ああ、いつもサンキューな。……んじゃ頼むよ」

 

 俺は力のない声でそう言って立ち去った。

 気を抜いていると、ふと50層の戦いで授かった得物のことを思い出した。

 銘は《ガイアパージ》。

 《エリュシデータ》や《クロスカーレ》と並び、現段階最高クラスのマスターメイドが作り上げた武器より高性能な《魔剣》。プロパティを確認すると、そもそも使用可能な状態に持っていくのにもレアアイテムを要求されたり、前線におけるフィールドボスの鱗を大量に要求されたり、厄介な相手を乱獲レベルで狩り尽さなければならないと判明した。

 現段階では当然装備などできない。俺の筋力値ではまともに持つこともできないだろう。

 実は要求筋力値を超える重量の武器は、本来の重さ以上の重量感を課せられるという、逃れようのないシステムペナルティがかかっている。背中に背負うことすらアウトだ。こうなると《クイックチェンジ》先の装備欄に忍ばせておくこともリスキーな行為となる。

 閑話休題。

 俺は捕まった時に所持していたレアアイテムである《ミソロジィの四肢甲冑》、《レザレクション・ボール》、《ガイアパージ》を直接返してもらい、現在ストレージに格納。残りの荷物の回収は「いつでもいい」と判断した。よって、しばらく管理し続けてくれないかと提案したのである。

 それにしても、この《ガイアパージ》だけはなかなか好きになれない。

 ロムライルが死んだことにより、彼が流した血の代償物にしか見えないからだ。

 しかし逆に考えると、これは形見なのかもしれない。

 彼は仲間を庇って戦場に散った。本来この業物を手にするべき人物は彼だった。そういう意味では、大切に扱うべきなのだろう。

 

「いねぇ、んだよな……リーダー……」

 

 口からこぼしつつ、ロムライルの顔が思い浮かんだ。3層で初めて会った時から思っていた。単に怖い顔をしているというだけだはなく、偽善を装ってリーダーかぶれを満喫する、所詮はゲーム好きでしかないただの男だと。

 だがそれは違った。偽善などではない、ロムライルはいつだって善に則って行動していた。俺がギルドに入ってからではなく、きっと……ずっと昔から同じことを繰り返してきたのだろう。

 ――決してリーダーかぶれなんかじゃねぇ。

 本心からそう思う。ロムライルはその素質を十二分に備えていた。1層で茅場晶彦がデスゲーム宣言をしてから、カズやジェミルが《はじまりの街》を出て剣をその手に握れたのは、ひとえにロムライルの功績だ。

 彼が2人に勇気を与えた。

 彼が2人に第2の人生を与えた。

 ただの囚人だった彼らに最低限の人権と尊厳を与えたのは、《抵抗の紋章(レジスト・クレスト)》のリーダーだったのだ。

 だというのに、なぜ死ななければならないのか。彼こそ1番報われるべきである。この世界を出て、現実世界で本来の暮らしを取り戻すはずの人物だった。

 

「(もう……考えるのはいいか……)」

 

 俺は適当に見つけた花屋に向かい、目についた花を買った。いつもなら少しでもコルを減らさないよう買い物には気をつけるが、この時ばかりはそんなことも吹き飛んで一輪の花を手に取る。

 それから俺は《生命の碑》に、俺が先ほどまで幽閉されていた《黒鉄宮》に戻って来た。

 

「ロム……」

 

 牢獄とは別の入り口から入って、座ってからそっと花を添える。

 花の名前は俺の知識にない。

 『Romlaire』の前に。真横に引かれたラインと死因の載った墓標の前にそれを置く。毎日死人が出ているわけではないが、その日はたまたま《黒鉄宮》まで弔悼(ちょうとう)に来ているプレイヤーは俺1人だった。

 

「すまねぇな、4日も空けちまった。もっと早く来るつもりだったんだけど。……へへっ、遅刻グセまでついちった。……でも、アンタはいつも許してくれたっけな」

 

 静まり返っていたこともあり、声は大理石調の黒壁に大きく反響した。仮想の相手と芝居の練習をするような虚しさだ。繙書(はんしょ)でもしているような独特の白々しさを無視し、それでも俺は紡いだ。

 

「明けましておめでとう……って空気でもないか。気候操作とかのせいで極端な天候をずっと維持してる層もあるし、四季もあんま感じねぇしよ。……アインクラッドじゃ月の変わりすらわかり辛えよな。ったく、この仕様どうにかしてほしいぜ」

 

 答えてくれる人は、いない。

 だが、自然と涙は出てこなかった。

 現実感が得られないというのもある。がしかし、俺はもう人の死で泣けなくなってしまったのかもしれない。4日前、枯れるほど流した涙が俺の抱える全ての悲しみだったのかもしれない。

 

「レジクレは消えちまったんだったな。ジェミルも攻略には参加しないし、もう全部戻らないと思うと……いや、グチはやめとくわ。……ああクソっ。……もう帰るよ。じゃあな、ロムライル。あんたは最高のリーダーだった」

 

 別れの言葉。

 無造作で無作法で不器用な言葉だが、俺の声は文字だらけの施設内でまたもこだました。自分の言葉なのに、その声はまるで別人のようで、深く抉り取られたかのようだった。

 俺は《黒鉄宮》の暗い部屋にいた時、正確にはその面会室での会話を思い出す。1番最初に俺の元へ訪れたのはカズだった。(とが)めるわけでもなく、罵るわけでもなく、がむしゃらに、そして衝動的に行ってしまった俺の罪をただひたすらに聞いた。

 そしてしばらく聞き手に徹していたカズは俺の行動を言及せず、それでいて淡々と近況報告をしてくれた。

 まずはジェミルについて。彼はもう攻略には参加しないとのことだ。

 彼はこのゲームが始まった直後、2人ペアで攻略に向かった。当然、その相手はロムライルである。

 カズもすぐに合流したようだが、この世界で最も長く攻略行為を共にした戦友の喪失は、俺やカズを上回る挫折を彼に与えた。攻略を断念させるほど、負の波は迫った。

 《はじまりの街》に残していた『アル』というプレイヤーと今は一緒に暮らしているらしい。つまり、今いる場所は俺と同じアインクラッド第1層ということになる。

 確かこのアルという人物はアリーシャに騙されて《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》に捕まったこともある人物だ。

 とにかく、今のジェミルをそこから連れ戻すことはできないだろう。

 SAOの攻略は無理強いするものではないからだ。彼には彼の考え抜いた道がある。それを無理やり変えさせたところで、晴れて新たな死者が生まれるだけである。

 次はカズについて。彼は攻略をやめるとは断言しなかった。ただし、1人では嫌だと、レジクレが機能しなければ今後も攻略を続けることなどできないと、彼は言った。

 1人で戦場に戻るだけの気概はない。自然消滅してしまうだろう《レジスト・クレスト》が、再び機能するまで。

 

「(でもまあ、ムリだよなぁ……)」

 

 リーダーが不在なのだ。かの組織を復活させるためには、SAOで言うところの《ギルド》を立ち上げる必要がある。それには《約定のスクロール》を操作し、さらにメンバーから承認を得たうえで《ギルドマスター》を登録しないといけないのだが、その適任者がすでに存在しない。それ以前にメンバーは俺とカズしかいない。

 ペアでやっていくのは容易いが、しかしそれでは意味がない。カズの戦線復帰への条件は『レジクレとしての攻略』だ。短絡的で指揮に向かない俺ではその役を負えない。

 なんと、考え抜いていくと驚くほどシンプルな解答が浮上した。

 

「(……実質、俺だけになるのか)」

 

 たった1人。ふとそんな考えに至る。

 ソロの経験が豊富にあって、ソロでの復帰を視野に入れる俺だけが《攻略組》として最前線で戦う覚悟があるのだから。

 今から仲間を(つど)うか、あるいは誰かの運営するギルドの仲間入り、といった発想は浮かばない。とてもそんな気にはなれない。

 

「(さぁて、と……)」

 

 年寄りのように立ち上がってから俺は《黒鉄宮》を出た。

 年始だからかなぜかは知らないが、相も変わらずバタバタと騒がしい《軍》の連中を尻目に歩き出す。

 まだ早朝の時間帯で3割ほど雲が漂っているが、SAOでは至って晴天。

 そして、歩いて感じるのは主街区の広さだ。基部フロアの2割以上が《圏内》と言うのだから、2層以降これほど大きい主街区はまずもって登場しないだろう。怖気づいた数千人のプレイヤーがここに留まっても、キャパシティ限界を越えないのもうなずける。

 とは言え、その数千人が今からでも考えを変え、《はじまりの街》を飛び出して戦力になってくれた方が攻略組としては喜ばしいのだが。

 なんてことを考えながら道なりに沿って歩いていると、街の中央広場に到着した。

 頑丈な石畳が円形に敷かれ、広場を囲う建物はそれらの多くが大型の建築物だ。中心には鐘を備えた時計塔がそびえ立ち、その総面積は異様なまでの広さを持っている。ここであの(・・)チュートリアルを開くことは、おそらくずいぶん前から決めていたのだろう。

 この記憶は1層に立ち寄りたくない最大の理由にもなっている。

 

「(嫌な思い出だ……)」

 

 俺はチラリとだけ視線を寄越し、歩を止めることなく石畳を踏み続けた。

 1歩1歩、踏み締めるように。

 やがて広場を1周し、俺は来た道を逆走し始めた。先ほど通った道なだけあって、通路脇にある店や施設に真新しさはない。

 それでも、歩いた。前に、前に。思考を止めて歩き続けた。

 頭の中を空っぽにすると、なにかを考えている時より気分が落ち着く。いつもそうだ。俺はいつも、嫌なことに遭ったり、辛いことがあると脳の活動を止めようとする。その出来事を排斥し、忘れようとする。

 ヒスイと会って互いの掲げる正義を主張し合った時、己の醜態に我慢ならず主街区を飛び出した。ロムライルやカズに存在を拒絶された時もそうだ。難しいことを考えずに済むように、ひたすら剣を振ったのを今でも覚えている。

 いつだって一目散に逃げ、向き合うことから逃げていた。

 もう、2度としないと誓ったのに。

 

「(甘かったなぁ……)」

 

 自分の甘さに腹が立つ。

 気付けば俺は《軍》メンバーがわたわたとする《黒鉄宮》をいくばか通り過ぎて、主街区最端の塀の前に立っていた。

 魔が差したので塀を上って下を見ると、彼方まで延々と続く虚空の世界が広がっていた。飛べば無限に宙を漂うのではないかと思わせる、計り知れないデータ量である。

 ……飛べそうな、気持ちでもあった。

 理性が『死ぬ』と理解していても、後ろの《黒鉄宮》が際限なく存在感を漂わせ、後押しでもしそうなオーラで背中を押してくる。

 

「(飛び降りたら死ぬぞこれ。……んでも案外、死んだらすんなりあっち(・・・)に帰っちまったりしてな……ハハッ)」

 

 自分でもとんでもないことを思い付く。

 俺が余計なことをしなければカズは攻略を断念し、ジェミルは旧友と幸せな日々を送る。『ジェイド1人を最前線に放り出した』という罪悪感も感じず、時間やモンスターに追われない安全で快適な日々を。

 その方がいいのではないか。ちっぽけな俺など、前線に戻っても攻略行程に変化は現れやしない。

 

「なかなか充実した……人生だったんじゃねぇの?」

 

 自問自答。

 この場合、答える前に死ぬのだからこの四字熟語は間違っているのか。

 

「これからよ、あなたの人生は」

 

 そんな折、声がした。ほぼ真後ろからである。

 今さら背中越しに人の気配を感じる。2人いるようだ。それにしても曲がりなりにも攻略組として生きてきたプレイヤーとして、こうもあっさり後ろを取られるのはどういった了見だろうか。注意散漫なんてレベルではない。

 俺は静かに振り向いた。

 そこには、正月だというのに辛気臭いダークカラーの防具に身を包む完全武装の男女が立っていた。

 

「よ、ヒスイじゃねぇか。キリトも……でも、たった4日ぶりだったか」

「ジェイド……そこから降りてこっちに来い。バカなことはよせ」

「やめなさい。死ぬことが死者への冒涜と、あなたは言ったわ。あの言葉はなんだったの。飾り? ……いいえ、きっと本心から言っていたはずよ。なのにどうして……そんなことしてるのよ……ッ」

「…………」

 

 彼らからは強い憤りを感じた。

 俺はというと、正論をぶつけられぐうの音も出ないというのに、分厚い塀の上で酷く他人事のように2人を見下ろしていた。

 ヒスイに否定されているのに、足りていない頭は呑気にも「よく俺が今日解放されると知っていたな」なんてことを考えている。

 

「俺と話すとネガティブがうつるぜ? ハハハ」

「…………」

「ヒスイ……キリト……ソロってマジで楽だよな。俺も失うのが怖くてソロやってたよ。仲間ってなぁ、戦闘じゃ助けになる。……けどよ、やっぱどうしようもないぐらい、それが弱点にもなるんだ。……んで、俺はそこを突かれた。あいつを殺された。……ロムライルがいないのに、剣なんて振れない。さっき気づいたんだよ。ヒスイにはわかんねェだろうな……」

 

 俺は今度こそ2人を無視して塀の向こうを見た。その瞬間、意外にもクロムのおっさんと交わした約束が守れないことが心残りに感じた。

 内心があざ笑い、シニカルに笑ったその時。

 

「っの……ジェイドぉッ!!」

「ぁ……なッ!?」

 

 彼我の距離は5メートルもあったはずだった。

 振り向いた目の前にキリトがいた。

 一足飛びにしてここまで来たのだろうか。そう言えばキリトは筋力値に偏りがちだと聞いたことがある。予想を上回るジャンプ力を有していても不思議ではない。

 

「このッ、大バカ野郎がぁ!!」

 

 殴られるな、と思っていたら、想像以上の衝撃でもって殴られた。本気である。

 視界がブレる。

 虚空の空とは反対側の陸地へと俺は飛ばされた。五感は浮遊感と少しだけ雲がかかった晴天を感じ取り、世界がぐるぐると回る。

 

「あぐっ!」

 

 あえなく、不時着。無様なものだ。年下の少年に殴り飛ばされ、年下とおぼしき少女の前で地面に接吻しているのだから。これより無様な人間を俺は生まれてこの方見たことがない。

 もっとも、俺はこうして殴られたかったのかもしれない。

 アブノーマルな性癖の話をしているのではなく、夢うつつとも言えない被害妄想に暮れた今の俺を、力強い怒気でどこか遠くへ殴り飛ばしてほしかったのかもしれない。非常にわかりやすい、かまってちゃん状態だ。

 

「へ……へ、よーしゃねぇなキリト……」

「まだ終わってないぞ」

「は……?」

 

 四つん這いのままキリトの方を向こうとしたら、今度はヒスイが俺の正面に立った。

 

「ッ……!!」

 

 パシィッ! と、乾いた音が響く。さっき殴られた頬と同じ方を叩かれた。

 これまた酷く手痛い平手打ちだ。これなら打った方も痛がっているのではなかろうか。

 いや、痛みを調節するシステムである《ペインアブソーバ》は最大レベルで固定されている。痛みは感じようがない。

 しかし、ではなぜヒスイに張られた俺の頬はこんなにも痛いのだろうか。ヒリヒリと、いつまでも。(うず)きが消えない。

 

「……ちょうどケイタの時みたいだな。でもアイツを殴ったジェイドは格好よかったよ。ああ、こんな人がソロで頑張ってんだなって……素直にそう思った。ギルドに入ったと聞いてから、あんたはもっと生き生きとしていたよ! ……知ってるか、ジェイド。自分が思っている以上に、あんたのこと評価している人はいるんだ」

「……キリ、ト……?」

 

 なんとなく、先ほど浮上した疑問への答えを見た気がした。

 張られた頬が痛いのではない。きっと、俺の心が恐ろしく傷ついていたのだ。

 

「あたしもそう思うわ。ジェイド、これまでの……SAOに来る前のあなたがどんな生き方をしてきたのかは知らない。けどね、あなたは格好悪くなんてない。……レジスト・クレストのリーダーや、そのメンバーが1度でもそう言った? 今まで会った人たちが本気でさげすんだ? 戦友はあなたを笑った? 誰も言っていないはずよ。泥にまみれても、何回転んでも……はいつくばって、そして立ち上がった。本当に格好いいと感じたわ。これは本心よ!」

「…………」

 

 彼女の言葉には慰めと言うより、塞き止めていた本音がつい零れ落ちたかのような、そんなニュアンスが秘められていた。

 

「まったく、ヒスイの言う通りじゃない!」

 

 突然、またもやあらぬ方向から声がした。

 屋根から飛び降りてきた人物が、着地と共に盛大な粉塵を撒き散らす。

 その顔には覚えがあった。少しウェーブのかかった金髪と整ったスタイルを持つプレイヤー。本日は実に賑やかだ。追加で現れた闖入者(ちんにゅうしゃ)まで女性なのだから。

 

「アリー……シャ、か……?」

「アリーシャか、じゃないわよ! ……ハァ……なにしてるの、そんなとこで! あんたが立たなくて……ハァ……どうすんの! アタシを……外に出してくれるんでしょう!」

 

 息も切れ切れに、アリーシャは俺に渇を入れた。肌に張り付く髪が汗をかいていることと、そして急いでいたことを物語っている。

 それにその姿は以前とは大きく異なっていた。

 彼女が捕まる前、着飾っただけのなんちゃって攻略組感は欠片もない。金色の髪は動きやすいようにサイドポニーで纏め、身をくるむ甲冑にも以前のような蠱惑なイメージが去っていた。当時着用していた美麗な装飾品も見当たらない。露出はかなり抑えられていて、実用的かつ効率的な戦闘を前提にしたスタイルをしている。

 それは、果敢にも真剣に再攻略に励もうとする歴とした女戦士のものだった。

 

「アリーシャ、って言ったらラフコフの!? こいつぬけぬけと……ッ」

「待ってキリト君、彼女に敵意はもうないわ。それに知ってると思うけど、この人はラフコフに仇なしたのよ。……ジェイドに、友好的でもあるし……」

 

 思ってもみなかった介入者に警戒を強めたキリトだったが、ヒスイが説明を加えることでなんとかこの場は収まった。

 1つ気になるところがあるとしたら、ヒスイとアリーシャが呼び捨てで呼び合っているところだろうか。いったいいつ仲良くなったのだろう。消去法なら俺が幽閉されていたこの3日間になるが。

 いや、それよりも確かめなければならないことがある。

 

「アリーシャ……またフィールドに出てるのか? ラフコフの奴らが狙ってるかもしれないし……あ、危ねぇぞ」

「はぁ……大丈夫よ。まだ主街区から離れない場所でレベリングしてるし、離れる時はなるべく複数人で行動してるわ。……これでもアタシ、攻略組としての経験もあるし。人並みの剣と防具を手に入れたら、また最前線に戻ろうとしてるの」

「ッ……ダメだ! なに考えてる、せっかく安全な生活を……」

「ふんっ!」

 

 つかつかと歩いてきたアリーシャに、またしても左の頬をひっぱたかれた。

 日にこう何度も同じところを叩かれていると、イケナイ趣味に走る変わった人のように見られてしまう。だんだん痛みもなくなってきたし。

 

「って、やっぱ痛ぇよ! なにしやがるっ!?」

「やっと戻った。……もう、ほんっとバカなんだから。あ~もうバカ。バカバカ……」

「……いや、そんなにバカ連呼されるとさすがに傷付くぞ」

「ほんと……バカよ……」

 

 至近距離で、胸を叩かれた。

 何度も何度も。力はあまり入っていないが、トントンと揺れる俺は叩かれた回数だけアリーシャに深く詫びた。心の中ではあるが、誠意を込めて謝った。

 

「……ごめん、心配かけて。やーホラ、俺はもうこの通り、ピンピンだから。……ああ~、悩んでたのがアホらしい。すっかり元気になっちまった」

「だったらッ……最初からこんなことするのやめてよ……!!」

「……ほんと、すまん。いっつも助けられてんな俺。……サンキューな」

「……ダメ、まだ許さない」

 

 ぎゅっ、とアリーシャに抱きつかれた。まだ甘えたいのだろうか。久々に会えたと思ったら怒ったり甘えたりと忙しい奴だ。

 ――おや? 殺気が生まれたぞ。

 どこのどいつだまったく。感涙に咽び泣くシーンだと言うのに。

 

「ね、ネェアリーシャ……そっ、そんなに抱きつく必要あるのカナ? それ本当に必要カナ?」

「はっ? ハグはアイサツなんですケドぉ。やりたければアタシの後にでもやってなさい」

「こ……こんっの! もうガマンならない! 早く離れなさいっ!!」

「ナニよ、ヤる気!? 上等じゃない!」

 

 俺から離れ、威嚇し合う人。並々ならない事態ではあるが、ここが《アンチクリミルコード有効圏内》である以上、ダメージは発生しないので気にしないでおく。嬉しいケンカだし。

 

「(なんとまあ、せわしい奴らだな……)」

「なぁジェイド、やっぱそこから落ちとくか?」

「ちょ!? おいその目はマジで怖いぞ! っつかキリトにだけは言われたくねぇ!!」

 

 ジト目ではあったが、それが冗談でだとすぐにわかった。俺を励ますために一肌脱いでくれたのだ。

 ここ数日で初めて、俺は笑った。

 元気をくれる仲間はまだ沢山いた。道を正してくれる人は俺の周りに溢れていた。

 なんてことはない。守るべき者など、まだたくさんいるということだ。この大切な友人達を失うようなことだけはあってはならない。

 

「ほらな、ジェイドだってやり残したこといっぱいあったろう」

「んだな。泣いてるヒマなんかねーぞこりゃあ……」

 

 ワイワイと騒ぐ俺達は《軍》に所属するメンバーを含め、稀に通りかかるプレイヤーの視線をずっと集め続けるのだった。

 

 

 

 ◇   ◇   ◇

 

 

 

 それからしばらくして、俺達は改めて今後の活動方針などを話し合っていた。

 

「そっかぁ、じゃあアリーシャはまだ誰と行動するかは決めてないのね。……あたしアスナと連絡取れるし、KoBの活動範囲内で狩りとかしてみるのはどう? 風当たりは強いかもしれないけど、なんとか説得してみせるから」

「その方が安全かな。なんか悪いわねヒスイ。頼める?」

「ええもちろん。……で、ジェイドはどうするの? ソロに戻る?」

「どうだろ……ま、たぶんそうなるかな。一応ルガやジェミルにはもっかい復帰できないか聞いてみるつもりだけど、厳しいだろうなぁ。……いっそのことキリト、レジクレに加盟してくれよ」

「なあ、話の腰を折って悪いんだけどなんか《黒鉄宮》の周りが騒がしくないか?」

「あ、キリトもそれ感じたか。俺も今朝から《軍》の連中がドタバタうるさいと感じてたし。どうも元旦を祝ってる雰囲気じゃないんだよな~。なんかあったんかな?」

「……行ってみないか?」

「…………」

 

 怪しい玩具を見つけた子供のように悪い顔をするキリト。

 実は俺も気になっていた。《転移門》付近に掲示されるここ最近の《軍》の活動報告に、活気に溢れた類いのものはなかったはず。今日の彼らは活発すぎる。必然的に《軍》に干渉することになるが、好奇心は猫をも殺すのだ。……この使い方であっていただろうか。

 

「軍の隠し事かぁ……気は進まないけど、これって場合によっては知っといた方がいいこともあるわよね?」

「よし、そうと決まれば善は急げだ。その辺の奴を適当に捕まえて取り調べをしよう」

「……まぁ、な。キリトの嗅覚っつーか、その辺は確かだからな」

 

 それから俺達は場所を移し、《黒鉄宮》を一望できる建物の陰に身を潜めていた。4人もいると若干窮屈にもなる裏路地だが、ここからならよく見える。

 

「入り口付近、なんか人だかりができてるな。軍にしては珍しい。ジェイドがあそこを出た時もこんな感じだったか?」

「いや、いつも通りカンサンとしてたぜ。それにいつも立ってるクロムのおっさんがどこにもいねぇ。……こりゃなんかあると見て間違いないな」

「ヘンな工作までしてるなんて。……よしヒスイ、アタシ達で切り込むわよ」

「せっかくの祝いの日に……しょーがないわねぇ」

 

 1人は意気揚々、片方は意気消沈気味に壁の陰から飛び出して行き、4人の軍メンバーへ話しかけていた。

 軍の男らは例外なく慌てだし、身ぶり手振りで「勘弁してくれよ」といった心中を表現しているようだ。どうやら女性陣の2人、ルックスを盾に無茶を言っているらしい。

 

「お、ゴーサイン出たっぽいぞ。ジェイドも急ごう」

「……野郎どもがちょいとカワイソウになってきたよ……」

 

 正統派美人(?)に押しよられあえなく撃墜された男達に胸中で合掌しながら、俺とキリトも彼女達に続いた。

 その途中「え、まだ人がいるなんて聞いてないぞ!?」「えぇ~、『アタシ達』が2人とも言ってませんよ~」なんて会話が聞こえたことから、どうやら彼女達も詐欺まがいなことしたに違いない。

 

「ねぇアリーシャに任せっぱにしたあたしが言うのもなんだけど、これいいの? なんだかあたし、すっごく悪い人になった気分なんだけど」

「いいんだよ。だいたい、1層にあるのは公共施設が多い。それをまるごと占拠しようっていう《軍》の考え方のほうが間違ってるんだから」

 

 小走りで進みながら、ヒスイの懸念にキリトが明るく正論で答えた。

 対する俺はというと、共犯じみたこの行動による世間からの目線より、クロムのおっさんにまた怒られやしないかとビクビクしているところだ。

 しばらく走ったところで、また《軍》の正規隊員が見えてきた。どうやら話し合いをしているようで、俺達の接近にまだ気づいていない。

 

「なァあんたら。ここでなんかあったのか?」

「なにゆーてんねん。ワイらが見つけたこの……って、おぉおッ!? なんでお前らがおんねや!?」

 

 なんと曲がりなりにも《軍》の重役として日々激務に追われているはずのキバオウと、こんな辺鄙(へんぴ)でジメジメしたところで鉢合わせてしまったではないか。

 いよいよタダ事ではなくなってきた。

 

「それはこっちのセリフだ。公共施設だろう?」

「今はワイらの領土やろが!!」

「な〜にが領土だよ。暴走歴アリの《軍》を知っているだけに、ナニか隠そうとすれば知りたくはなるさ」

「そうよそうよ、みんなのものを独り占めにするのはよくないわ!」

「いや、アリーシャは当時の軍を知らないはずよね……」

 

 ヒスイからの冷静な突っ込みを全員が華麗にスルー。

 野次の飛ばし合いはヒートアップしていき、気付いた時には「土足で人様の領地に入るなチート野郎め!」「人を指で差さないの! あと蔑称で呼ぶのもダメ!」「ワイは端っから胡散臭いと思っとったわ、このビーターが!」「攻略もしないでなにが解放軍よ!」「ああ、有名な子2人がこんなに近く……尊い……」など、聞くに耐えない悪罵が飛び交っていた。

 一部ダメな奴が混じっていた気もするが。

 

「ああもう、わーたわ。ラチがあかん。ワイらは情報を教える。あんさんらはこの事を誰にも言わん。……これでええやろ?」

「ああ、約束する」

「その約束が破られた時は覚悟しいや。社会的な評判は捨てる覚悟をするこっちゃな」

「よく言う。……んで、結局なにを隠そうとしてたんだ?」

 

 この期に及んでまだ渋ろうとしていたのか、キバオウは視線を逸らしてなおも焦らす。が、そこは男の言葉。どうやら二言はなかったようだ。

 わざとらしい咳をしてからトーンを下げて口を開いた。

 

「……隠しダンジョンや。最前線のボスが討伐されてからやろうが……ま、この《黒鉄宮》に迷宮区が現れよったちゅうことや」

「《黒鉄宮》に迷宮区ぅ!?」

「声がデカい! ……せや。設備の定期点検に来た部下がたまたま見つけよってな。解放条件は考えたが、それ以外に考えられん」

「隠し……ダンジョン? 《はじまりの街》にか。そんなの……いや、ベータテストの時にはそんなスペースだってなかったはずだぞ」

「ジェイドはん、テスターやったんか……」

「上層に進むことでの自動アクティベートか。なんにせよ、こりゃ冒険の臭いがプンプンするな」

 

 キバオウの指摘をシカトして俺は心中を吐露した。

 ゲーマーとしての悲しい性なのだろう。つい先ほどまで悲観に伏した俺は、新たな魅力と発見に呆気なくウキウキしていた。

 ロムライルが今の俺を見たらなんと言うだろうか。ただ、案外笑って見逃してくれそうだ。俺の気まぐれでメンバーを振り回すことなぞ朝飯前だし、きっとやれやれといった感じでいつもみたいに付き合ってくれるに違いない。

 

「(リーダーの分まで、俺は残りの人生を楽しむよ……)……なあ、早速探検しねぇ?」

 

 その言葉1歩目を合図に。

 俺達は新たな刺激を求めて旅を始めるのだった。

 

 

 

 

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