西暦2024年1月1日、浮遊城第1層(最前線51層)。
防戦一方にならざるを得ないヒスイに替わってジェミルが前に出た。
と言っても、彼も攻撃型
彼の役割は俺とキリトが回復するまでの繋ぎと言える。
「つってもジェイド、右腕ないだろ。どうやって攻撃する?」
「とっておきのが1つある」
キリトの問いに俺は即答する。
俺は失った右手に代わって左手でアイテムストレージを開いた。基本的にキバオウのように両手を同時に失わない限り、《メインメニュー・ウィンドウ》の操作というのは残った手でそれができるものである。
そして、動かし辛い左の指でどうにか目的のものをタップした。
「それは、あの時の……!?」
「ああ。こっから反撃だ!」
選択したのは《クイックチェンジ》に登録された特別製の防具。今や耐久値が10パーセント未満にまで低下した25層ボスへのLAボーナスドロップアイテム、《ミソロジィの四肢甲冑》。
俺は迷うことなくこれを装備した。
再びあの感触が襲う。手足に高圧電流が流れる痛みと衝撃。それに伴う全能感。
俺の両手が魔物のそれに変わる。同時にはっきりとした感覚が甦っていた。半年前、ヒスイからこれを授かって以来、この装備におけるすべての恩恵は把握している。
すなわち《
「さあ、やろうぜシュヴァリエ」
『ギィィィ?』
右手が動く。まだ戦える。
ここでジェミルの後退。続いて俺の前進。
そしてディレクトしたはずの人間の腕が繋がっていることに気付いたのだろう。頭の冴えるシュヴァリエは、まじまじと見つめて不思議そうに首を傾けた。
構わず俺は《クレイモア・ゴスペル》を左の腰に溜める。
大剣がクロムイエローを纏った。技の名は
アシストによる莫大な初速を得た俺は、狭い通路の端から端までを一瞬で移動。その間際に稲妻を帯びた素早い一撃を叩き込むが、反射的に防いだシュヴァリエは大きく後退しただけで目立った被害はなし。
しかし、上半身を畳んで遠心力を抑えると、俺の進行方向は鋭角に折れ曲がった。
逃げようとするシュヴァリエ。逃がすまいとする加速アシスト。
天秤は俺に傾いた。
まずはボスの左腕に直撃。続いて胴を斬り裂いて左側に振り抜く。HPゲージの総量は3割を切った。
だがクリティカル率上昇と
ボスが
黒剣を上段で構え、両手一杯の筋力値で振り降ろす。
《ミソロジィの四肢甲冑》は
激しい衝撃。飛び散るスパーク。
防具の耐久値は残り2パーセント弱。俺の体力は残り3割と少し。
押し切るしかない。
できなければ、そこで終わりだ。
「キリト! 数秒でいい、タゲ取ってくれっ!!」
「わ、わかった!」
強引なスイッチ。
敵対する人物のメインアームが変わったことで、シュヴァリエは対処法を変えるためにAIプログラムの変更をしなくてはならない。しかし、どのプレイヤーやどんなモンスターにもこのタイムラグをゼロにすることは絶対にできない。
「れァアアあああっ!!」
『ギギィィ!?』
さながら針穴に糸を通すかのような微細な隙。そこを突いたキリトに、さしものフィールドボスもうなりを上げた。
集団ミスリード。これがプレイヤーの本領である。
さらに俺はポーチから最後の切り札を取り出していた。
ボトルグリーンに光る球形のアイテム。奇しくも翡翠石で作られたような透明で深い緑色。21層ボスへのLAボーナスアイテム、《レザレクション・ボール》。
これを左の掌へ置く。そして……、
「レザレクション!!」
言い終えた途端、強い光が放たれた。
《ペインアブソーバ》がレベルマックスで統一されている以上、確かにプレイヤーは本来の意味での『痛覚』は感じないのかもしれない。だが俺はこの時、傷が癒えるような感覚をはっきりと味わった。
乾いた喉に水をやるように。餓えていた俺は説明のつかないエネルギーをもらい受けた。そしてそれは神経を通って全身へ行き渡る。
数瞬で命のバーが全回復した。
生命の残り火はその勢いを業火へと。
武器と防具にも変化が見られた。連続したボス戦により損壊しつつあった《クレイモア・ゴスペル》と、鍛冶屋によるメンテナンスが不可能であり、戦闘前から消滅寸前だった《ミソロジィの四肢甲冑》が耐久値を全快させる。
力がみなぎる。短剣のように軽い分厚い相棒が不思議と手にしっくりくる。
《レザレクション・ボール》は見事その本懐を果たし、データの欠片となって弾け消えた。
「ジェイド! 行けェ!!」
「ここでテメェをブッ殺すッ!!」
『ギイイィィイイっ!!』
俺は普段より格段に速い速度でゴスペルを振り回した。シュヴァリエのAIは、なぜか変更された俺の行動パターンに付いてこられず、黒剣はいくらか鈍った動きを見せた。
俺が絶え間ない打ち込みを。
ボスはギリギリのところでそれを防御。
そんな、先ほどまでとは逆転された一方的な構図がそこにはあった。
「ぜァあああアアああああああッ!!」
『ギ……ギィィッ!?』
ガギンッ! ガギンッ! と、鋭い金属音が連続的に耳朶を打つ。
クロス。横一門。下段足払い。停止なしの斬り上げ。突きからの回転斬り。
そして、ようやく隙を見つけた。渾身の一撃を叩き込むために斜めに全力で振ると、ボスは剣で受けきれなくなったのかとうとう左腕で防御する。黒剣も白剣へ戻った。
敵の構えを抜いている。今の俺の筋力値で攻撃が通ったとすれば上出来だ。
『ギィィィィィィ!!』
「なッ……!?」
だが、腰だめに構えた白剣がエメラルドグリーンを放っていた。
あの技だ。
《暗黒剣》を引っ込めたのはこのペキュリアーズスキルを使うためだったのだ。水平五連爆風鏖撃、《ラファル・アルメ》を使うために!
「下がってジェイド!」
「伏せてろ! ジャマだッ!!」
あえて辛辣に言うことでヒスイを背後へ。
俺は《
1発目、2発目までは俺1人で耐え抜いた。シュヴァリエは俺より後ろのプレイヤーに手を出せないでいる。
しかし、3発目の突風で余剰威力が脇に逸れた。
4発目で完全にバランスを崩す。そもそもこの技は1人で抑えるのに限度があった。パーティメンバーも暴力的な風の圧力に耐えかねて次々と吹き飛ばされていく。
5発目。とうとう肌を斬り裂く竜巻が目の前に発生。瞬間、《ミソロジィの四肢甲冑》は『オートガード』を機能させ主の体を精一杯護り抜いた。
直撃。激痛。
地面に背中から不時着。俺は空気の塊を喉から吐き出すと、咳き込みながらどうにか立ち上がろうとする。
四つん這いでいると頭上に気配を感じた。
目を向けるより早くすぐさま地面を転がる。
寸前まで俺がいた場所は、ゴガアアアっ!! と、黒剣によって薙ぎ払われていた。
危ない。一瞬の差だ。
そう判断するよりも早く、俺は息をするのも忘れて今度こそ立ち上がった。
酸素を取り込んでいる暇もない。
死にたくない。ただそれだけを願って、絶叫を上げながら必死にゴスペルを操った。
だが仕返しとばかりに体中が斬り刻まれる。《ミソロジィの四肢甲冑》と各所間接、筋肉と精神が限界を表明する。
歯を食いしばってそれを無視した。酷使に次ぐ酷使で意識が飛びかける。
「ジェイドぉ!!」
誰が叫んだのかもわからない。
粘りきれなかった。
手足が弛緩して力が抜け、バチンッ!! と、愛用する両手剣がシュヴァリエの向こう側へ吹き飛ばされた。
そこからさらに全身をズタズタにされた。
悪あがきのように縮こまりながら甲冑部分で耐えるが、体力ゲージの代わりにのデュラビリティが凄まじい勢いで消耗され、しかもダメージカットは決して完璧ではなかった。ある程度は俺のゲージも死の淵へ近づき続けている。
「下がっ……てよ! このバカ!!」
「あぐッ!?」
なす術もなくサンドバッグになっていたら、首の後ろを掴まれてから一泊置いて思いっきり後ろへ引かれた。喉仏が圧迫されて息が止まるかと思ったが、ヒスイが俺を助けてくれたのだと判明するとそんなことも忘れていた。
長く持たせられたからか、代わりにキリト達がタゲを取ってくれている。
しかし脱力感が激しく、仰向け状態からしばらく起き上がれそうになかった。
「もう、バカ! 無茶して……ボロボロじゃない!」
「アタシもまだやれるから! 1人で頑張ろうとしないでよ!」
「ヒスイ……アリーシャ……」
強烈な耳鳴りにしかめ面をしてから首を傾ける。
纏まった時間を1人で戦線維持していたことから、回復する時間が充分に与えられていたのだろう。俺の独断特攻も無駄ではなかったというわけだ。
しかし……、
「アリーシャはダメだ。足を切られんだ。せめて立てる奴じゃないと、やり合っても意味がない」
「ぅ……でもぉ……」
「っていうかジェイドは黙ってここで回復する!」
「むごごっ!?」
口めがけて瓶が飛んできた。正確には《回復ポーション》だったが。
「ぶはっ! お、おいヒスイ! ……ヒスイ……?」
「ここにいて……お願いだから。さっきは死にかけてた……あたしがあなたを守るから!」
「ヒスイ……待て!」
ヒスイはおもむろに盾を捨て、片足を斬られ戦闘不能になったアリーシャの剣を、残った右手で握った。
さらにその剣先をシュヴァリエに向け、彼女のむき出しの闘志は一転に集中していた。
彼女は左手をすでに欠損している。まさか利き手ではない手で、それも他人の武器を使ってボスと戦おうと言うのだろうか。重さも長さも異なる得物だ。
――ダメだ、危険すぎる。
そう言おうとした瞬間、彼女は駆け出していた。
同じ片手剣だからか、動きに戸惑いはない。素早い挙動でソードスキルまで立ち上げていた。
「(そうか、ヒスイは両利き。だからあそこまで……)」
勝算なしの自殺行為ではなかった。まずはそこに安堵する。
そしてヒスイのソードスキルが直撃。シュヴァリエのHPが
初めて勝利が現実的に思えた。ボスは狩りの対象だったはずの俺達を倒しきれず、逆に追い詰められつつある。逆転はすぐそこだ。
「アリーシャ」
「な、なに……?」
ほんの数メートル目先で激戦が展開されている。
凄まじい剣戟音だ。リモコンの操作ミスでTVが大音響になってしまっているかのようである。
そして非現実的な光景だ。健全な高校男子がこんなダンジョンで時代錯誤の無人甲冑と戦っているのだから当然か。
だが、これは紛れもない事実であり、現実。だから俺達は本気になれる。このイカれた空間から解放される日を夢見て、前進を止めないでいられる。
「約束は果たすさ。俺を信じろ」
「……うん!」
「っくぜ! ジェミルも替われ!!」
「ッ!? わかった、スイッチ!」
ジェミルはすかさず《
同時にその真下を俺が通り過ぎる。
視線の先はシュヴァリエ。奴も俺への警戒を高めた。
だがあからさまに対処が遅い。おそらく俺がなんの武器も持たずに突撃してきたからだろう。頭が
――ざまぁねェぜ!
「らァあああああっ!」
『ギィィィ!?』
敵の肩に腕をかけ、抱きつくように後ろを取った。
そしてそのまま子供のように飛び付くと、奴の背中にへばりついた。
べったりと。こんな格好のつかない稚拙な作戦の対処法など、どれほど高度なAIでもっても最善解など求まるまい。しかしこの泥臭い戦い方こそ、俺がこの1年で覚えた究極の答えだった。
「キリト! 俺ごとやれェ!!」
「うォおおおおおおおおおおおおッ!!」
ボスの焦りの表情すら幻視した。
最高数を誇る片手剣の十連撃《ノヴァ・アセンション》が再三に渡ってシュヴァリエの真っ白な体を斬り刻んでおく。
あと残り15パーセント。勝てないことはない。いや、勝つんだ!
「ぬぉおおおっぐ、ごァああああっ!?」
『ギギィィィィィッ!!』
だが数秒で強引に引き剥がされた。
錐揉むようにキリトと衝突。インファイトによる短期決戦を試みたつもりだが、やはり幼稚な玉砕に甘んじる気はなかったらしい。
しかも、ボスがソードスキルを発動しようとしている。黒剣を肩に担いでいると言うことは、アリーシャを戦闘不能に追いやった長距離攻撃だ。
「くっそ……ぐァああっ!」
《暗黒剣》の長距離用単発斬撃《フォ・トリステス》はキリトの左腕に杭を打つ。肘の部分から先がキリトの体から離れ、ボトリと落ちてから割れてなくなった。
これでジェミル以外全員がディレクトしたことになる。
「ハァ……ハァ……まだ、諦めて……ッ」
肩で深く息を吸う。
同時にボスが吠えた。
『ギィィイイイイ!!』
「たまるかァああああああッ!! 」
ダッシュ直後、バギィィィンッ!! と、爆音が炸裂した。
『オートガード』が最後の最後まで俺を護ろうと防具のデュラビリティを投げ捨てた。自身が消えてなくなるというのに、そのシステムは発動し続ける。
「ごがあっ!?」
だがシュヴァリエのストロングに負け、またも吹き飛ばされてしまった。
今度は壁と衝突。意識こそ飛ばなかったものの、その振動からしばらく呼吸が止まってしまうほどだった。
「ゼィ……くそ……えっ? ヒスイ……?」
「手を出して。これはあたしの切り札よ」
休む間もなく立ち上がり、苦戦するキリトを救おうと今と同じ作戦を繰り返そうとした矢先、彼女が手を伸ばしてきた。
掌をこちらに向け、まるで握手でも求められているかのようだった。
「こ、これは……?」
「いいから手を……ジンクスだったけど。……あたしもね……死ぬかもしれないって思って、初めて使う気になったわ」
鋭利な表面が逆鱗のように突き刺さるはずなのに、ヒスイは俺の指に自分の指を絡めるようにして握りしめた。俗に言う恋人繋ぎである。
しかし、こんなことをしている場合ではない。ズレる重心に悪戦苦闘しながら残る右手で応戦するキリトと、サポートが取り柄であり壁役に向かないジェミルが、疑似タンクとして2人で戦線崩壊を防いでいるのだ。彼らもイエローゾーンで保てていられるのが不思議なほど痛め付けられている。
加えて、すぐ隣にいるアリーシャや、まだしぶとく生き残っている後方待機のキバオウ達からの視線も背中に感じて居心地が悪い。
「ヒスイ、ンなことしてるヒマは……」
「ここを生き延びたら!」
遮られた。大きな声にではない。強く、凛とした意思に。
「……伝えたいことがある。もう、誰にもジャマはさせない。だからいきましょう、ジェイド」
静かな声で、はっきりと言った。
「《
瞬間。深い、翡翠色の光が幾状にも延びて、俺とヒスイの体を纏めて包み込んだ。
暖かい。本当に人肌で包み込まれているかのようだった。
これほど危機的な状態にいる俺が、彼女と手を繋いでいるだけで死の恐怖が遠ざかった。時間や空間を超越した2人だけの隔離された空間へ感覚のみが放り込まれた。
「こ、これって!?」
驚いたことに俺のHPが即時回復したのだ。ちょうど俺とヒスイの体力残量を足して2人で共有したようになっている。
結晶系アイテムとほぼ同速度の回復力だ。しかしクリスタルにこんなものは存在しない。そもそも
残る可能性としては、先ほど俺が使ったLAボーナス、《レザレクション・ボール》並の未知のレアアイテムということになる。
「今から30秒間、あたし達は無敵よ。そういうアイテムなの。……1年前にできた、あなたとの想い出……」
「ヒスイ……?」
「ッ、時間がないわ! これがラストアタックになる。ジェイドも武器を用意して!」
「お、おう!!」
ようやく俺達はボスに向き直った。だが使える武器といっても……、
いや、ある!
「ヒスイ、数秒かせげ!!」
「了解っ!!」
俺はどこか使用できないことを前提にしていた
先入観を取り払う。この際、ヒースクリフの発言にあった『意思の力』とやらも信用してやる。それが物理的な力になるのなら、俺はなんだって利用する。
だから今だけは、俺の言うことを聞け。
「ジェイドっ!!」
「行ける! っくぜェえええええッ!!」
新たな相棒をその手に持って。俺は喉が枯れるほど雄叫びを上げた。
直撃。ゴバァアアアアアッ!! と鳴る空気の振動。戦闘開始から数えて最大級の爆発音が響いた。
シュヴァリエに込められたゲージの5パーセント以上が消滅した。
あり得ないはずのHPの減少量に、かくものボスも大きく仰け反る。……いや、これも違う。これは技のアシストだ。『
俺が使用したのは、重量級武器のみが扱うことを許された《ヘビー・スラント》の完全上位互換。《魔剣》の極意。
《ガイアパージ》専用ペキュリアーズスキル、超級単発重反動斬《ライノセラス》。
武器はあのハーフポイントフロアボス、《ザ・スラウザー・オブ・センジュレンゲ》へのLAボーナスアイテムだ。
本来持ち上げることすら困難な両手剣。暗い藍色と、刀身の部分は血跡のように
俺はこれをメインアームとして選択した。
《ミゾロジィの四肢甲冑》が『筋力値+50』という別格のステータス補正をしてくれているとは到底思えない。それほどまでの重さと、そして手応えを感じた。
だが、扱える。
《ガイアパージ》はこの時、俺のしもべとして主の
『ギガギィィィイっ!?』
「構うなヒスイ! やれェ!!」
「セヤァアアァァアアアアアっ!!」
硬直を交替時間へ。ディレイが起きたのならそのタイミングで攻撃を。
ヒスイが表に出て斬撃を繰り出す。途中で《暗黒剣》状態となっている黒剣で反撃するが本当に効いていない。ダメージが無効化されている。
疑似イモータルオブジェクト。すなわち、死なない状態と化した俺とヒスイはシュヴァリエの動きすべてを無視し、ひたすらに剣を振った。
だが不思議と、ヒスイと呼吸が合い、連携が繋がる。まるで言葉を越えた意思の疎通だ。
「おっラァあああああああああッ!!」
「ハァアアアっ!!」
ガチンッ! と、音が鳴った。シュヴァリエの左腕がその半ばから綺麗に切断されたエフェクトだ。
モンスターであれディレクトは起こす。奴らだけの専売特許ではない。それに、この決闘が開始されてからシュヴァリエは何度も左腕で俺の斬撃を防いでいた。
シュヴァリエが激痛に悶えるように悲鳴を上げ、回転して舞っていた奴の左腕は通路の壁に激突して四散した。
残り5パーセントを下回った。俺とヒスイにはまだ余力がある。
――やれる。勝てるんだ!
「これで……っ!?」
ふと、斬られたヒスイにダメージが入るのが見えてしまった。十分に回復していたヒスイの体力バーがガクン、と減っている。
ヒスイは30秒間無敵だと言った。つまり、効果範囲外へ超過してしまったのだ。
時間がかかりすぎた。ここからは奴とのハンデがなくなる。安全が保証されない正真正銘の殺し合いだ。
『ギィィィィィィッ!!』
大きく吠えると、ボスの反旗が翻った。
《暗黒剣》専用ソードスキル、地閃掌握七連強撃《スクレット・クレマシオン》。
見た瞬間、俺は集中した。
音が遠退く。自分の声さえも。意識だけを残して世界が減速する。
近未来の予知。限界を突破した集中力が情報量の多寡が激しい仮想現実において、その処理速度、処理領域を相対的に加速させる。
位置情報の誤認識。それが、仮想界という次元を越えた極地において、逆に絶対性を纏う。
プレイヤー専用システム外スキル《
動きが見える。はっきりと、正確に。
ヒスイの前に立ち、俺の体は恐怖を前に勝利した。
完全なコントロールで敵の黒剣をミリ単位で追う。防御に回った俺の《ガイアパージ》は《暗黒剣》の専用ソードスキルを、激しい金属音と共に次々と塞き止めていった。
早く振り回せない大剣に代わって《ミソロジィの四肢甲冑》も『オートガード』で対応している。俺に伝わる超過ダメージも防具が帳消しできる程度のもの。
シュヴァリエの7連撃ソードスキルが終わった。
ここからは俺の番だ。
「(ここで決める……)……っ、なにッ!?」
俺は絶句した。
反撃に出ようという今になって、ズタズタに引き裂かれた《ミソロジィの四肢甲冑》が剣より先に限界を訴えたのだ。
バゴン!! と、鋼鉄が割れるような音と共に、右腕から先の感覚が消える。《ガイアパージ》を支える筋力値と斬られていた片方の腕が消え、超重量の大剣は地に堕ちた。
《ミソロジィの四肢甲冑》は幾度となく主である俺を護り、そして消えていった。皮肉なことに最悪な危機を遺して。
発動直前だったソードスキルの
俺の動きがボスの目の前で停止した。
『ギガァアアアっ!!』
「ぐ、あァあああああああああッ!!」
ザンッ!! ザンッ!! ザンッ!! と、動物の生肉をナイフで大雑把に切ったような気色の悪い感覚と、鋭くも硬質な刃が体中を斬り回った。抵抗も虚しく敵の思うままに八つ裂きにされ、途中で左足もその根本からどこかへ吹っ飛んでいった。
後方に倒れる。焦燥と混乱。もう逆転の手札はない。
やっとここまで来たのに。すぐそこにあった希望は、あと少しで手中に収めることができたはずなのに。
どうしてそれを妨害する。神の悪戯か。運命の反逆か。
「(ちくしょう、なんで……ッ)」
「やらせない……やらせは、しないっ!!」
『ギィィィィ!?』
視界がレッドアウトし、殺されると感じた直後、ヒスイが間に割って入ってきた。
その右手に持つ片手剣はフォレストグリーンに輝いている。《片手武器》系専用ソードスキル、上位乱撃九連撃《アブソリュート・グラビトン》だ。
ザクン! ザクン! と小気味良い音が連続して鳴る。俺にばかり気を集めていたせいで全段が命中した。これで奴のHPは残り1ドット。
だが、ここでもボスは抗い続けた。
クーリングタイムを終えたのだろう。最初に見せた《暗黒剣》専用ソードスキル、十字回転乖離重斬撃《クロワ・エグゼクション》をここで再度使用してきたのだ。
『ギィィィ、ギィィィィィィ!!』
「ひぐっ、きゃあああ!」
胴体に2発。両方ともクリティカルだ。
俺とヒスイは瀕死。あと1撃で終わる。
「ヒスイぃッ!!」
右腕と左足をなくした俺は、みすぼらしく地べたを這いつくばりながらそれでも叫んだ。
シュヴァリエが黒剣を振る。
下から上へ。ヒスイがすんでのところで構えたアリーシャの片手剣は、真上に弾かれて上空へクルクルと舞った。
すべてがスローモーションに映る。
奴は滑らかに上段の目線の先に黒剣を置き、『突き』の構えをとる。避けきれないだろう。ヒスイはあの刺突攻撃を腹に受け、その命をデータの破片として散らす。
他に道があるとしたら。
――ある。
別の人間が命を捧げればいい。ヒスイを庇って盾となり、彼女を死の縁から救うのだ。
逡巡すらない刹那。
『ギィィィイイイ!!』
残る右足に集中し、全力を
左手でヒスイを掴み、手元に引き寄せる。俺と彼女の位置が交換された。
「ガ、ふっ……!?」
ドッッ!! という鋭い衝撃と、腹部に感じる決定的な鈍痛。
足が宙に浮いている。
敵の黒剣が俺の腹を貫通しているからだ。
肺の空気がすべて吐き出され、同時に血しぶきのようなポリゴンデータが大量に散らばった。その音すら、鼓膜は拾えなかった。
システムが被弾を確認。バーの最端がゆっくりと移動を開始した。
レッドアウトする視界がさらにぼやける。
すでにニアデスだった俺は、とうとう決定打を受けた。
脳内に整理されていた記憶が拡散する。すると視野が電子化され信号に占領され、走馬灯が駆け巡った。
人は死ぬ間際に記憶が鮮明になるという。しかし意外なことに、俺は現実世界の幻を視た。休日、家族と昼食を過ごす、まったく変鉄もない日常風景が網膜に映し出された。
しかし。
俺はそれを気合いで打ち消した。
声にならない声が
視線の先にはシュヴァリエがいた。
そして俺は知っていた。ソードアート界での高レベルプレイヤーは、その膨大なHPから攻撃を受けても『完全に死にきる』には少し時間がかかることを。
死が確定したプレイヤーにまだ攻撃判定権が残っているか、試したことはない。トライ&エラーが通用しないこの世界では当然だ。だが俺は、絶対にこのモンスターを殺さなければならない。
俺の死を、無駄にさせないために。
「あ……ぁ、あァあああアアアああああああああああッ!!!!」
獣のように吠えた。
身をよじり、真上から回転して降ってくる片手剣をガシッ、と逆手で掴んだ。
最後の力を振り絞り、まっすぐ振り抜かれた片手剣はシュヴァリエの首にほぼ垂直にズブリ、と突き刺さった。
生々しい手応えと、グロテスクなサウンドエフェクト。
体が割れていく。俺だけでなく、俺達を散々苦しめてきたこのフィールドボスの体もだ。
やっと、倒すことができた。
ヒスイが、キリトが、アリーシャが、ジェミルが、それぞれなにかを叫んでいる。
よく聞き取れない。もっと大きな声で発してくれないと。
勝利への祝福の言葉だろうか。苦しい戦いであったことへの愚痴だろうか。戦力差を覆した自慢だろうか。それとも……ここで冒険を終える、俺への罵倒だろうか。
「(最後のは……ちょっとイヤだな……)」
そこまで考えたところで、俺の意識は誘われるように暗い闇に沈んでいくのだった。