SAOエクストラストーリー   作:ZHE

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第68話 あるべき姿

 音がする。さんざん聞いてきた騒音だ。

 耳をつんざくような刺激を与えるこの音は、毎朝欠かさず聞いているが未だに慣れない。

 発明した人物も大したものだ。よくもまあ、これほど苛々させる甲高い音を考え付くものだと感心する。

 

「(あ~マジでうるせぇ……)」

 

 ようやく重たい手を布団から出す。音源をガチャリ、と叩くと音も止まった。目はつぶっていたが、俺の腕はどうやら元凶の位置を寸分たがわず把握していたようだ。

 俺を心地よい闇の中から引きずり出した目覚まし時計を、恨めしくもありがたくも思いながら、同時にそれで学校のホームルームにぎりぎり間に合う時間帯であることを確認する。

 

「(朝ってダルいよなぁ……)」

 

 先天的な早朝アレルギーである。

 ウソである。

 しかし、せっかく起床してじっとしているのも非生産的なので、魅惑のぬくもりを後に俺は布団から完全に脱出した。

 それから教科書や文房具並に携帯ゲーム機や漫画、ゲーム攻略用雑誌が詰まった通学用の鞄を肩に掛け、その上に学生服を無造作に乗せると、纏めて持ち上げながら階段を下りる。手すりもない勾配が急な階段だったが、もう引っ越してきてから半年以上はたつ。さすがに慣れるというものだ。

 1階リビングに到着。待っていたのは両親という名の敵対者共で、俺の起床に気づいても反応せず、さらに姉ちゃんは大学生になってから朝が遅くなったのか、まだ起きていないようだった。

 このまま無言の数分を経て、俺は着替えなどの準備が整い次第とっとと消え去るつもりだったが、この日は珍しく声をかけられた。

 

「お前、学校行ってんのか? ……サボんじゃねぇぞ」

「行ってるっつーの、クソが……」

 

 オヤジはギロリと俺を睨むが、息をするようにスルーした。この程度なら日常茶飯事だし、そもそも先に喧嘩を売ってきたのはこのお方であるからだ。

 いちいち気に障るようなことしか言えず、姉ちゃんと俺との態度の差をはっきりとさせながら俺に当たってくるこいつは、ほとんど稼ぎもしないのにやたら態度がでかい。親だからというのもあるだろうが、それよりも正直な理由は、完全に俺のことを見下しているからだろう。

 だからこいつらは俺のことを「お前」と呼ぶ。他人であるかのように。家族と認めないように。頑なに名付けた名を呼ぼうとしない。

 よって、俺は人に向けて絶対に「お前」と呼ばない。

 俺はそう呼ばれることも、そう呼ぶことも大嫌いだ。今でこそ辛抱できるようになったが、周りからそう呼ばれるだけで昔はむかっ腹がたった。

 最も身近に寄生する彼らともかれこれ17年。正直金も、自炊をする能力も、コミュニケーション能力も、自立性も持ち合わせていない俺が、育ての親につべこべ言える立場ではないのだろう。イヤなら1人で生きろという話だ。

 しかし現状それは現実的ではなく、ひたすらに耐え凌ぎながら生き続けて来た。耐え忍ぶ人生だ。おかげで最近はイベントも起きず、毎日を消化しているだけになっている。

 

「(どっかでくたばんねぇかなこいつ……)」

 

 保険ぐらい入っているだろう。そんな大胆な発想を頭に浮かべながら学生服に着替え終わると、俺は冷たい麦茶だけを飲んで歯を磨いた。

 当然のように朝飯など用意されていないので、この後はチャリに乗って片道15分程度の学校にたらたらと足を動かすだけだ。

 

「(ま、行ってる言うても勉強はしてねェけどな……ケケケ!)」

 

 そういう意味では、学校に行っていないも同然。がしかし、反抗期真っ盛りな俺は、親の金がドブに捨てられているこの状態をなんとも思わなかった。

 そうこうしている内に、今すぐ災害で跡形もなく消滅してもなんの感慨も湧かないだろう母校に到着。チャリ置き場に愛車を停めると、11月の冷える風を防ごうとポケットに手を突っ込んで教室を目指した。

 途中何人か知り合いと軽く挨拶しながら、校舎への下品な落書きと教師陣による払拭を繰り返すいたちごっこの果てを眺めつつ、特になにも起こらず教室に着いた。

 そして我がクラスにはたった1人だけ先客がいた。

 

「おおっ!? よう、なんか今日早くね? ……オレ? オレぁあれだよ、ベンキョーだよベンキョー!」

 

 寂しかったのか、俺が入室するなりテンションが高い。

 この教室に制服をだらしなく着こなした男、つまりクラスメイトの『下平』と俺しかいない時点で、投げかけた言葉の対象者は確定しているわけだが、無慈悲な俺はまともに取り合わなかった。

 それにしても、俺も耳はピアスで穴だらけだが、いつ見ても下平はパッと見ですでにヤンキーな男だ。くちびるにも穴が開いているし、右腕は元カノのイニシャル付きで入れ墨まみれなのだから。

 しかもあろうことか『ベンキョー』ときた。よもやここのバカ共が勉強などするはずないのに、随分とわかりやすいホラを吹いたものだ。

 

「知ってんだろ? 俺は(あそこ)にいるのがイヤなんだよ。あと勉強がウソなのはわかってんぞバーカ」

「ブハハハッ、そういやそうだったな! おめぇんとこの親キッツいからなぁ。あとオレはベンキョーしてんだよ! ほらコレ、月刊誌でオンナもんの下着の種類!! ブハッハハハハハハハハ!」

 

 素晴らしい。チンパンジーの方が笑いの沸点は高いだろう。

 大して面白くもない冗談は当然シカト。スマートフォンを開いてブックマーク登録しておいた情報サイトを開くと、いつものようにスクロールしては大して面白くもある記事を読んでニヤニヤした。

 しかしネットにいる連中はなぜこうも人を笑わせるのが巧いのだろうか。この才能をもっと違うところで活かせないのかと思ってしまう。

 

「え、ナニナニこんな朝早くからザキとヒラ? めっずらしぃ組み合わせじゃん、ホモかよ。どしたのぉ?」

 

 本日教室への3番乗りは教室の中ではレアの部類に入る女だった。

 加えて彼女も『朝早く』の意味を辞書で調べ直す必要がありそうである。

 染めていないのに地毛からわずかに茶色い髪の毛と、背は小さいが胸はデカいポニーテールな人気者だ。

 名は確か清元陽菜(きよもとはるな)だったか。お世辞にも仲がいいとは言えないが、下の名前まで答えられる数少ない人物である。というのも、彼女が俺によく絡んでくるからで、実際のところ今年も11月に入っているのに俺はクラスの人間全員の名前を覚えていない。趣味が合わなきゃ興味もない。

 それにしても、ザキ(・・)か。よく使われる俺のあだ名だというのに、懐かしい響きすら感じる。

 

「いや、ちゃうやろ。めずらしいってかさァ、うちのクラスの奴らが来んのおそ過ぎんだよ……。マジでもう教師くるぜ? 一応ホモじゃない」

 

 ――否定の順序逆じゃね。

 しかし下平の返しには俺も全面的に心の中で同意しておく。

 確か、だ。

 確か俺はホームルームに間に合うギリギリの時間に家を出たはずなのだが、なぜこうもクラスに生徒がいないのか。それは(ひとえ)にここがクズ校だからに他ならないのだが、それにしてもこのクラスは生徒が時間通りに来なさ過ぎる。

 その後、1限目の始業時間と共に半分ぐらいのおバカが登校してきたが、それでも集まったのは半分だ。本格的に登校が始まるのは2限辺りだろうか。

 

「(カスいなここ。……もう帰ろっかなぁ)」

 

 親にけしかけられて登校したものの、前述の通り俺とて勉学に(はげ)んでいるわけではない。

 とうとう授業を投げて昔話をしだした教師の子守歌を聞いているわけでもないし、ゲームやっているだけだし、充電が切れたら本を読んでいるだけだし、真面目にやろうものならガラワル連中に目を付けられるだけだし、なにもやる気起きないし、充電器が挿せる部屋に移動したいし、と言うか俺最近まともに寝てないし、完徹でもしたのかゲーマー仲間も今日はサボっているし、天気もいいし、もうどうでもいいし。

 

「(ん……んぁ……)」

 

 そしていつの間にか寝ていたらしく、目覚めた時にはもう昼休みに入っていた。

 

「……え? ……げっ、もう昼!?」

「ハハッ、レン(・・)は寝すぎだろボケ。つか数学のあのハゲも、さすがにオメェのいびきに笑っとったわ」

 

 今の呼び方、またしても違和感だ。下平は金髪で口ピアスのヤンキーだが、比較的仲は良かったので彼からはずっとこの呼び方だというのに。

 なんにせよ、奴は余計なことを言い続けて周りから爆笑を誘っている。俺はまたも無視しようとしたが、腹が立ったのでとりあえず音量だけデカめに「バカあほ間抜け死ね」と言い返しておいた。

 まあ、睡魔に隙を突かれたせいでゲームもできずマンガも読めなかったが、グチグチ言っても仕方がない。購買でパンの1つでも買おうかと重い腰を上げると、馬鹿笑いを背に受けながら教室を出る。

 と、そこには今朝話しかけてきた茶髪ポニーの清元が待ち伏せで廊下に立っていた。ついでに俺の隣をトコトコ歩きながら「朝早かったのはまた家族的な?」とか「今日のパンはなに買うのぉ?」などと聞いてくる。

 嗚呼、いとうっとうしきかな。

 

「1人にしてくんね~。部活入ってんだろ、こんなとこいねぇで早よ水泳部行けよ、ジャマだなぁ……」

「うぅわひっど。乙女を言暴(ことぼー)とかマジ有り得なぃんですけどぉ。ってか部活は放課後からだよん。それにさぁ11月に入ってもう7日じゃん? 最近オニ寒くってさ~温室じゃないとムリムリ」

「…………」

 

 ――俺のハナシ聞く気ねぇなこいつ。

 この女は本校に2割も存在するのか疑わしい『部活所属生徒』とやらにカテゴライズされる。

 しかし、ここの学校に入学した時点で勉強面に精を出すより、スポーツに力を入れていた方が万倍マシだと考える彼女に反論する(すべ)はない。

 それが険しい道だとしても、きっと他校の生徒と頭脳勝負をするよりはずっと分の良い戦いになるだろう。なので速やかに部活に励んでほしいのだが。

 ちなみに、微妙に髪が茶色いのはプールの水に長く浸かりすぎたからだとかなんとか。

 

「(あれ、色の変化って水は関係ないんだっけ。まぁいいや……)……てかさ、清元といると目線がイテェつーか、いごこち悪いつーか」

「キヨモトは半世紀遅れだって! ハルで行こーよソコわ!」

「……ザンシンな文句だな。じゃあハルたん」

「それはウザすぎ。……だいたい目線がどうとか、またいつものネタミでしょう? 男のネタミとか世界でベスト3に入るダサさ」

「どっちかっつうとワーストじゃね」

「ま、ヘリクツはいいから座ろう速く! 今日はザキと食べたい気分なの!」

「…………」

 

 この女、こういうことをストレートに言えるから凄いと思う。しかし、彼氏サマがいるのではなかっただろうか。

 いいのだろうか。こうやって疑わしいことをして、それでどこかの誰かがよからぬ疑いを持って、そいつが彼氏に報告して、最終的に俺が怒られるとかそういうメンドクサい展開はないだろうか。それとも、こうした後ろ向きな考え方こそ、まさにその手(・・・)の経験がない証なのか。

 

「なにしてんのさ。早く買ってきたら?」

 

 彼女は俺の葛藤(かっとう)と悩みなど知るはずもなく、ちょいちょいと手を振って催促した。

 しかしよく考えればという前置き以前に、よく考えなくてもこの状況はおかしい。

 俺を含め、この学校の者はサル並の頭脳しか持ち合わせておらず、悪ノリや暴走だって何度も繰り返す。教師の言うことなど聞くわけもない。さらに「いつ何時(なんどき)もうちの高校は体育大会だぜ!」みたいな反社会的自由人か、協調性のない廃人みたいな男しかいないのだ。

 もちろん男だけではない。

 女だけが品が良く、素直で大人しい大和撫子的なアレなはずがなく、そのほとんどが禁止されているのにも関わらず髪は染める、アクセサリは付ける、スカートは短い、大量の化粧品を持ち込むし使いまくるしで学校側も手に負えないのが現状だ。

 男に媚びを売ることが1つの生き甲斐となっているナルシスト女が跋扈(ばっこ)するここでは、例外的にほとんど自分を飾らないこの清元……もといハルは、顔がいい、スタイルがいい、という条件抜きにとりあえず非常にモテる。意外なほどの身持ちの堅さも有名だが、それ以上に彼女の『告白されました武勇伝』はよく耳にする。彼女と一緒に行動することは、まずもって今後の学校生活でプラスにはたらくことはないだろう。

 だというのに。例外に当てはまるこの女は、俺がパンを買い終わってここに戻ってくるのを待っていた。親に付きまとう小動物のようだ。

 

「ナ~ニ考えてんのか知らないけど、たぶんザキは自意識カジョーだよ。……あたしカレとは別れたけど、だからってザキを狙ってるってことにはならないっしょ? だぁれも気にしてないっちゅーに」

「(読心術者かこいつは。ってか別れてたんだ……)……いや俺が気にすんだって。マジでカンベンしてくれ。なにもねぇのが1番なんだよ」

 

 癖でこめかみを抑えつつ、「こいつの一人称こんなんだっけ」などとどうでもいいこと考えながら受け流す。

 少なくとも女と2人きりで話すこと自体苦手な俺は、何が何でも早くこの時間を終わらせなければならないのだ。

 よって俺はせっせと足を動かして場所を移動した。ただしハルを後ろに従えて。

 

「(……って、これじゃ意味ねーじゃんッ!)」

 

 新作ゲームを買った時などの気分的な興奮状態ならいざ知らず、普段の俺は女に怒鳴れるような攻撃的な人間ではないので、心の中だけで叫んでおく。

 そして彼女は知ってか知らずかわざとやっているのか、とにかく俺が適当な空き教室を見繕ってもその場に留まり、自分の弁当を取り出していた。中身はサンドイッチだろうか。いかにもお手製な可愛らしくも美味しそうなものだったが問題はそこではない。

 

「あのさ、お昼をご一緒ってあれジョークじゃなくて……?」

「そだよぉ? たまにはEじゃん!」

 

 若干以上に顔をひきつらせながら試しに再確認してみたが、「えーびーしーでぃーいーじゃん!」などという上機嫌な謎の呪文と満面の笑みによってものの見事に撃退された。

 なんとまあ、エアブレイクスキルの高いこと。

 ――スキルってなんだよ俺。

 それとも、これは暗示だろうか。力ずくでもいいから羽交い締めにして、どこかへ放り投げておくべきか。

 もっとも、それすらも一部の過激なファンから恨まれ存在ごと消されかねない。なかにはストーカーじみた陰湿な行為に走る輩も存在するが、なんと彼らは自分らの行いに宿る正当性を信じてやまないのだ。この女に手を出したが最後、圧倒的な戦力差によって俺は社会的にもみ消されるだろう。

 

「(スマホのぞく日課が……)……わあったよ。んでも、なんか話すことあんの?」

「んぐ……んぐ……ん~ないね。ザキが面白い話してよ」

 

 「なにかを話せ」と言われ、話している内に会話が弾む現象は多々あるが、「面白い話をしてくれ」は相当にハードルの高い要求である。どう考えても俺には役不足だ。

 さて、役不足の使い方はこれであっていただろうか。

 

「つーかさ……パンの破片がボロボロこぼれてんだけど。ハルも女子ならもちっとキレイに食えよ」

「うーわぁ女子みたいなこと言うよね、あんた。そんなキャラだっけ」

「おいおい……」

「みんなこんなモンよ。……あ! でもそー言えばザキだってそうじサボったりしてるじゃん!」

 

 もぐもぐしながら喋っているせいか今この瞬間も口の端から破片が飛んでいる。最近判明したのだが、この人物は基本的に人の話を聞かないようだ。ついでに頬をリスのように膨らませる彼女を観察するに、どうもデフォルトでお行儀もよろしくないようである。残念ながらこの食べ方が俺は嫌いだ。

 しかし不思議と、女に話を無視される経験が懐かしく感じる。

 

「片付けたそばから散らかす奴がいる動物園だからな」

「うわ、サルは言いすぎでしょ。あとでヒラにちくっとこ」

「……別に下平とは言ってねーしサルとも言ってねーぞ」

「テヘペロの助。てかゴミボックス遠いんだけど」

 

 5秒単位で話題が変わる波に乗るのはトップサーファーにも酷だろう。ましてやパンピーの俺が学校指定のスリッパで乗れるはずがない。そもそも、これは食事中のトークネタではない。

 それにしても、文句を言いつつ会話は途切れなかった。女と2人。終いには授業時間に割り込んでまでケラケラと笑い合っていたわけだからすごい成果である。

 ――ん……? 昼に女と……2人きりで食事。不思議な既視感だが、はて……。

 

「あ~笑った笑った、ザキがこんなしゃべれる人だとは思わなかったなぁ。マニアも度が過ぎるとオモろいね。なんだか久しぶりに昼が楽しかったし」

「ん、ああ……そうだな」

 

 面と向かってそう言われると少し恥ずかしいものがある。午後一の始業時間をすっかり失念するほど、彼女が美人でモテるからどうとか野暮ったいことすら頭に浮かんでこなかった。

 しかし、続く彼女の言葉のトーンはどこか低かった。

 

「ねぇザキ……って名前さ、なんか読み辛いし長ったらしいから(レン)って呼んでいい? や、イヤならいいけど……」

 

 言っていて気づかないなら、あえて聞こう。

 

「字数一緒じゃね?」

「いいんだね!? いいんだ! レンっていうのはヒラしか呼んでなかったからおソロはハズかったんよ!」

「答えてないし。……ってか、あはは、なんでそんなウレしそうなの」

「そりゃあ、ほら……」

「…………」

 

 なんだろうか、この空気は。

 誰かと連んで俺のこと監視しているのだろうか。ドッキリなどだったら、ピュアハートな俺はかなりショックだ……。

 

「れ、レンってさ……あたしに対してなんか態度変えないよね。等身大っていうか。……まあ、男子はケッコーあたしに対して優男になるんだけどねぇ」

「それそっちが言う? ハルがモテるのってさ、平等なのがウケてるからじゃね。野郎はぶりっ子がいい加減イヤになってんのかもな。同性からアレコレ言われんじゃないの?」

「むっふー、わかってんじゃん。け、けどなんテレるね。やだなぁもうレンに言われるとなんか……えぇっと、うれしいな。なんでだろ……?」

 

 ――なな、なんじゃそりゃ……。

 どこかいきなり雰囲気が変わってないだろうか。普段から勝ち気な彼女がしおらしいことを発言するなど滅多に見られることではない。

 と言うより、目の前の女は照れるとこんなにも可愛かったのか。

 

「(やっべぇ、目が合わせらんねぇ……)」

 

 授業行く、と言って逃げ出そうか。

 いやそんなこと言える空気では……、

 

「(や、これはない。マジなにか言わねぇと……)」

 

 否定する心とは裏腹に、早まる動悸(どうき)は一向に収まらなかった。

 しかもいつまでもお互いに無言のまましばらく見つめ合っていると、俺の心臓は普段の何倍もの速度で鼓動を繰り返していることに気づく。

 

「あ、あぁアハハ、ヤだなぁもう。11月なのに暑いねぇ……い、居残りザンショかな~」

「そ、そそうだな……そうだ、ノドかわいたわ。ジュース買って来ようか? バイト代入ったんだ、おごるぜ」

「にへへ、バイト禁止なのに。チクったろ〜」

「みんなやってんじゃん。見逃せよ」

 

 ケツがそわそわする。なぜかは知らないが、これ以上留まっていると非常にマズい気がした。

 しかも様子がおかしいのは俺だけではなく、ハルも同様だった。忙しなく目線をキョロつかせ、頬を僅かに染める彼女は、よりにもよって滅茶苦茶可愛いかった。

 

「(やっべぇ、なに考えてんだ俺。こんなこと、あいつに悪いだろうが……あいつに……あん?)」

 

 そこではたと気づく。なぜか、自分を取り巻くこの空間がひどく(いびつ)に見えたからだ。

 

「(なんだ……『あいつ』って誰だ……?)」

 

 既視感を待つ経験をした覚えはない。ソロか、せいぜい数人の男だけでの食事しかしてこなかった俺が、こんな場面で……。

 ――ん、『ソロ』?

 頭が割れんばかりに痛い。まさか、パンに毒や麻痺毒を盛られたのか。人通りの少ない場所に呼び寄せてMPKをされるなんてことは……いや、俺はさっきからなにを考えている。記憶に(もや)がかかったようだ。

 言い換えるならこれは思い出。

 記憶から形成された可能性の思い出だ。

 

「……ッ……!!」

 

 そこまで考えた瞬間、ハンマーで後頭部を殴られたような感覚に襲われた。

 痛みは断続的に続き、その場にうずくまった。

 同時に世界も暗転する。

 ハルが俺のそばに駆け寄って必死に叫んでいるが……いや、もう誰の声なのかもわからない。声の端々はぶつ切りで上手く聞き取れない。この聞き取れない声にすら既視感を感じる。

 俺は意識さえ遠くなっていき、ついに視界も落ちた。

 ここは真っ暗な記憶の中。

 

「(そ……うだ。……俺はここにいない。これはただの思い出……)」

 

 死と隣り合わせの、ふざけた仮想空間に迷い込まなかった世界。

 当然の権利として平和を享受(きょうじゅ)するはずだった、1つの人生を『奪われなかった』空間。

 2022年、11月6日の午後1時。俺が自室でダイブへの始動キーを発言しなかった世界。

 その1日後、11月7日の午後1時。住む世界を変えなかった場合の希望に満ちたパラレルワールドなのだ。

 

「(そ、うか。やっぱり……)」

 

 すべてを思い出した。

 この世界に来て、絶望と共に周りを切り捨てて、なにがなんでも生き延びようとした2ヶ月。だが、人間性を捨てる孤独が本質ではないと知らされた新年。黒い髪の少女と出会い、多くのプレイヤーと支えあった日々。

 それこそ、剣と戦闘の世界でしのぎを削った『こちら』では決して味わうことのできない刺激的で幻想的な日々を。

 もちろん、俺が『死んだ』ことも。

 

「(ああ……やっぱ俺……)」

 

 死んだのだ。俺は間違いなく地下ダンジョンの徘徊型フィールドボス、《オブスクリタース・ザ・シュヴァリエロード》によって、痛み分けで最期を遂げた。

 ならばここは死後の世界だろうか。

 暗くてなにも見えず、聞こえず、感じない。闇が広がるだけの空間が死者の末路なのだろうか。今までに死んだプレイヤーもここに来ているのだろうか。だとしたら、もう1度彼らと会って話すことはできないだろうか。

 もう1度……もう1度だけ。

 

「(でもそれは……無理なんだろうな……)」

 

 死にたくない。やり残したことが沢山ある。

 キリトともっと競い合いたい。クライン達ともっと騒いでいたい。アルゴやエギルともっと商談をしたい。ルガやジェミルだって置いてきてしまった。アリーシャへの恩返しと、約束も果たせていない。

 そして、ロムライルへの罪滅ぼしも。

 まだだ。なに1つ成していない。あの世界をもっと堪能したい。

 ……そして、ヒスイに会いたい。彼女に触れたい。話したい。守りたい。

 俺にはやれることが、やらなくてはならないことがある。

 

「死んでる場合じゃない! いやだ……こんなところで! ……俺は死ねないッ!!」

 

 もがく手はなにも(すく)えず、声は暗闇に吸い込まれる。

 固くつぶっていた双眸を開きながら俺は天に叫んだ。だがそこにあったのは、なけなしの救いでも小さな慈悲でもなかった。

 はっきりとした赤い文字列。『You are died』と、そこにはあった。

 暗い、暗い、世界の中。俺はただひたすらに涙をこぼした。悲しすぎて、惨めすぎて、絶望の縁に立っていて、泣くのを止めようとも思えなかった。

 さようなら、と。せめてみんなにそう言いたかった。俺は別れの言葉すら伝えていない……、

 

「(あ、れ……?)」

 

 しかし、俺は奇妙な光の糸を見た。

 その糸はやがて簡素な英文を希薄させ、重なることで筋となった。

 筋は拡散することで光球に変わる。

 次の瞬間、その光源から音が聞こえた。音……というよりは、声。

 名前を呼ぶ声。

 聞き取り辛い。なんと言っているのか聞こえない。

 いや、ようやく聞こえ始めてきた。声はだんだんと大きくなる。

 『ジェイド』……だろうか。

 

「そうだ……」

 

 大瀬崎 煉(おおせざき れん)という名前は、もう使われていない。俺はジェイドだ。

 《ソードアート・オンライン》の第1層から、解放の日に向けて歩む《攻略組》。

 

「俺は……ッ!!」

 

 音源に精一杯手を伸ばす。

 光が、視界一杯に広がった。

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

 切れ切れの意識の中、俺を呼ぶ声がした。

 何度も名を叫ぶ誰かの声がして、俺は少しずつ五感を回復する。

 徐々に声も明確になってきた。聞こえる名前は本来のもの、つまり『大瀬崎 煉』ではない。この世界でのみ通用する名前だ。と同時に、俺は自分のいる現状を少しずつ把握していった。俺は冷たい床に座っている。幅4メートル半ほどの狭い通路の壁に背をもたれて。

 次に何人かの顔が見えてきた。ヤンキー野郎の下平や茶髪ポニーなハルではない。そもそもここは学校でも、現実世界でもなかった。

 

「ヒスイ……みんな……?」

 

 ようやく声が出せた。蝋燭(ろうそく)の火を連想させる弱々しい音量ではあったが。

 

「よかった……ヒック……よかっだぁジェイドぉ……」

 

 眼球を真っ赤に染めたヒスイが、女性にあるまじき声を出しながら抱きついてきた。

 首に彼女の腕が絡む。抵抗する元気はなかった。体中の隅々までエナジードレインでもくらったように力が入らない。それに、押し付けられることで密着したヒスイの体を嫌でも意識しながら、俺はまた別のことを考えていた。

 当然、俺はなぜここにいられているのかという率直な疑問についてだ。

 

「ジェイド、キリトくんがね……クリスマスイベントの……アイテムで……」

「そっか、キリトが俺を……」

 

 ジェミルの説明で合点がいった。

 キリトがクリスマスの0時に発生したイベントボス《ジ・アポステーター・ニコラス》を討伐した際のLAボーナス、死者復活の宝石《還魂の聖晶石》。

 記憶が正しければ、あのアイテムには『死後10秒以内に使用しなければ効果を発揮しない』と記述されていた。つまり夢の中で長い時を経験した俺だったが、現実世界では10秒にも満たない時間しかたっていなかったというわけだ。道理で何度もシーンが途切れたわけである。

 ついでに気づいたが、よく見るとヒスイだけでなくジェミルとアリーシャもはらはらと涙を流していた。俺のことを想って泣いてくれているのだろうか。だとしたら場違いだと認識しつつも、嬉しさが込み上がってくる。

 と同時に、不動の安心感がどっと降りかかった。痺れる手足にすら安堵(あんど)し、試しに左手を見てみた。握ったり、広げたりもしてみる。嬉しすぎて歯がガチガチと噛み合わない。

 

「生き……てんだよな俺。みんなもよかった……死ななくて、ホントによかった。……キリト。命の恩人だ。なんて礼を言ったらいいか……」

「バカ野郎、そんなことはいいって。……それより、ここから一旦出よう。まだ危険地帯だ。500秒たってキバオウとアリーシャのディレクトは治ったみたいだけど、他は全員まだだからな。ジェイドに至っては右手と左足が無いし」

「は……ハハ、確かに。ヒスイもちょっと離れてくれ。その……胸が当たって……」

「ッ……!!」

 

 シュバ! と効果音が聞こえてきそうなほどの速度でヒスイが身を離すと、その真っ赤な顔が目の前に現れた。

 ――照れてる。メチャクチャ照れてる。

 

「も、もう! グス……心配したんだから! ヘンなこと言ってからかわないでよ!」

「いや、これじゃ結晶も取り出せなかったし……ってか……やっぱ可愛い、な……」

 

 ふと気の緩みに油断して、つい口からポロっと本音が零れてしまった。

 ヒスイは一瞬キョトン、としてから一気に沸騰。目や頬どころか耳や首まで真っ赤に染めて慌て出した。

 

「な、ちょっへんなこと……言わないでって、その……か、帰る! 先に帰るから! ジェイドなんて知らない! あたし、もう……て、転移! 転移はじまりの街!」

 

 ぷっくりとほっぺを膨らませたままヒスイは逃走を開始。結晶の光が彼女を包み込むと、ものの1、2秒で見えなくなってしまった。クリスタル無効エリアは解除されているらしいが、彼女にしては珍しい現実逃避である。きっと向こう側でもあたふたとしていることだろう。

 俺はというと、あまりにも死を間近に経験してしまったからか、自分の発言に恥ずかしくなりつつも、いつものように取り乱しはしなかった。

 あのまま言いたいことも言えずに消えていたかと思うと、その恐怖の方が羞恥心に(まさ)ったからだ。一種の酔っぱらいのような状態だろうか。俺は未成年だが酔いの快楽は知っている。

 もっとも、後になってそのクサいセリフを思いだして自分で悶絶する日も近いだろう。

 

「わ、ワイらも戻っとるで。あんさんらのジョークに付き合える気分でもないしな。……おいお前ら、もっかい結晶用意しいや」

「はい、キバオウさん……」

 

 キバオウはそう言ってクリスタルを取り出すと、部下にも転移の準備をさせた。

 俺は今1度、軍の内情について頭を巡らせる。

 死者を3人も出してしまった《軍》としてはハッピーエンドとはいかない。しかもキバオウについては責任者の立場。言葉通り責任の是非は彼に問われる。どんな言い分が残されているかは定かでないが、考える時間は必要だ。

 順次男達が転移のエフェクトに囲まれる。次はキリトも脱出して、アリーシャは「アタシだってまだチャンスはあるもん!」などと、よくわからない捨て台詞を置いて転移していった。

 その場にはとうとう2人だけが残されることになる。そして座ったままの俺に、ジェミルの方から口を開いた。

 

「ジェイドぉ、本当に無事でよかったよ。ボク、ロムに続いてジェイドまで失うところだった。そうなったらもう……引きこもりになってたかなぁ……」

「へっ、ジェミルのおかげだな。俺達と……あとルガが集まりゃ、なんてことはねぇ。残りの層、俺らで解放してこうぜ?」

「……そ、それは……ボクにはもう、攻略はできないと思う」

「そんなこと……ッ」

「ルガにはもう言ったけど! ……ロムを亡くしてから今日まで、1回もフィールドに出てないんだぁ。攻略組もやめる気だったしぃ……」

「なあ、ジェミル。ショックがデカいのはわかるけどさ、ルガからはこうも聞いたぜ。『レジクレが再稼働すれば攻略も視野に入る』ってな」

「……うん」

「おい俺を見ろ。……なあ、1つ提案だ。聞くだけ聞いてくれ。この話が終わった時、きっと全員にとっていい未来が待ってる」

「いい未来が……?」

 

 俺は2人だけの空間である話し合いをした。とても有意義で、前向きな話し合いを。

 しばらくして話の纏まった俺とジェミルは2人同時に転移して一時的な平穏へと赴いた。

 《はじまりの街》。俺と、そして多くの人にとって地獄の始まりとなった象徴。

 だが数時間振りに見渡す《圏内》は、気持ちの切り替わった俺とジェミルにとって、ダンジョンに入る前とはまったく違って見えるのだった。

 

 

 

 

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