SAOエクストラストーリー   作:ZHE

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リコレクションロード3 脇役根性

 西暦2024年3月7日、浮遊城第57層。

 

 ルガトリオ君、と。

 そんな可愛らしい声で僕は現実に意識を戻した。と言うより、そう話しかけられるまで呆けていたことに気づかなかった。いくらなんでも動揺しすぎである。

 

「えあ……はいっ?」

「えっと……プロポーズメッセージは届いてるわよね? それに了承ボタンを押してくれれば、すぐに《結婚》状態になると思うんだけど」

「あ、はい。すすすぐにやります……えっと、これで……いいんでしょうか……」

「うん、これでよし。あ~そんなに固まらなくてもスキルやステータスを覗いたりなんてしないわよ。アイテムを盗むのも論外だし」

 

 リズベットさんは僕に念を押した。しかし僕が固まっている理由はそんなことではなく、むしろスキルやステータスが覗かれるかもしれないという基本的な危機感すら眼中になかった。

 もっとも、リスクが怖くて人を助けたいなどとは言わない。ある種の無神経さとも取れる「結婚しておけ」というジェイドの命令はしかし、最も合理的だった。

 それにしても、まさかの結婚である。

 僕は初めて結婚した。というと語弊(ごへい)もあるが、これがしがない高校生にとってどれほど未知の体験であるかは、わざわざ特筆するまでもないだろう。

 いささか動機にロマンチックなものが含まれていない気もするが、この際細かいことは置いておこう。僕が結婚したという事実だけが問題だ。

 

「え……えぇええっと……そして……僕らは何をすればいいんでしょう……?」

「声が裏返ってるよ……そうだねぇ、でもヒスイ達が帰ってくるまではここで待機じゃない? 《夫婦割引》が適用されると言ってもホームは高額だから、お金が借りられてからじゃないと勝手に買いに行くこともできないし」

「あ、あぁあ……そ、そうですね……」

 

 ピンク色の髪の毛、というのは決して僕の好みではなかった。しかしリズベットさんは今だけ限定で僕の妻になっているということになる。緊張してしまうのは無理もないだろう。

 それにしてもリズベットさんにとってこの程度のことは何ともないのだろうか。だとしたら、いくら無神経な僕でもかなりショックである。

 しかし……、

 

「(……いや、そうじゃないのか……)」

 

 ふと思い直す。彼女にとって自分のプレイヤーホームを買うということは、きっとこれほどの重みがあるのだ。

 ネーム欄を見るに、その付近にギルドアイコンが浮かんでいない。と言うことは、彼女は事実上のソロプレイヤーである。

 まだ殺伐とした情勢。1人で戦い抜くというのは、口で言うほど簡単ではない。初期の頃のジェイドやヒスイさん、そして今なおソロプレイヤーを貫くキリト君には、その支えとなるドス黒いまでの執念があった。独りであることを通そうとする、常人からは理解され難い支柱が。

 ジェイドの場合は主に僕の存在があった。あの日1層で、すべてが始まった瞬間から見捨てた。そして自分だけが助かるために、他の何をなげうってでも良かったのだろう。だから心の清算をするために、僕らのことを命懸けで救ってくれた。

 ヒスイさんも現実世界の人絡みだと聞く。

 詳しくは本人が伏せているので聞かされていないが、ジェイドの誘いに乗ったということは、彼女にもようやく変化が訪れたという証拠なのだろう。

 キリト君については、どうも昔のギルドのメンバーを見殺しにしてしまったらしい。わざわざミドルゾーンのギルドにレベルを偽って入った上に、当時攻略組の中で危険が周知とされていたアラートトラップの情報を共有しなかったのだ。

 クリスマスの夜、彼がなぜ《蘇生アイテム》にあれほど執着を見せていたのか。それを、今では哀れみと共に納得するしかない。

 

「(それなら、この女性(ひと)には何があるんだろう……)」

 

 家族関連だろうか。それとも友達? 恋人?

 いずれにせよ、その悲しみの深さと途方もない孤独感は、幸運にも1層で縮こまっていた時、ロムライルから「仲間に入らないか」と誘われた僕にとっては到底推し量れるものではない。

 彼女の心の支え、その第1歩として欲するものを手に入れようと必死になることはいいことだ。

 と、そこで……、

 

「あ、これアシュレイさんがデザインしてる特注のキーホルダーよね? うわ、すっごい……キレイだけど、高かったんじゃないこれ?」

 

 僕の悩みなどつゆ知らず、アリーシャさんがリズベットさんに話しかけていた。

 まず忘れてはいけないことがある。それは《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》の幹部として『アリーシャ』の名前が有志新聞に大きく載ったことがあると言うことだ。

 リズベットさんが改めてアリーシャさんの名前を聞いた瞬間、その目に嫌悪にも似た鋭い感情が滲み出たことを僕は見逃さなかった。名前をどこかで聞いたのだろう。あれから4ヶ月という期間が過ぎたが、やはりまだ人々の記憶から消えるには短い。

 しかし、それでもリズベットさんはアリーシャさんと普通に話している。彼女の苦節に対して親身に語りかけたアリーシャさんから、わずかな警戒心を解いたのかもしれない。

 

「こういうのってどうしても値は張るものよ。けどあたし、このウェイトレス姿が板についちゃってるのよね~。あんまり装飾品をいじる必要がないの。1個あればそれでいいって感じ。店番する時はいつも同じ格好だし」

「なるほど~」

 

 どうやらアリーシャさんとリズベットさんで本格的にガールズトークを始めてしまったようだ。お題はネックレスや指輪などの装飾品なのだろう。だが残念なことに僕やジェミルはその弾み続ける話についていけない。

 先ほどデザインしたのが誰かなどと言っていたが、よく意匠だけで誰が作ったかを当てたものだ。僕に至っては、武器やアイテムの制作者などは《鑑定(ジャッジ)》スキル保持者などにコルを払って教えてもらうしかないとすら感じているというのに。

 この手の会話にいつまでたっても交ざれないから、僕らには彼女がいないのだろうか。

 彼女のいない歴がイコール年齢であることに若干焦りを感じつつ、彼女らをしばらく見守るのだった。

 

 

 

 ジェイドらを待つこと数十分。雑談をするにも話題がなくなりそうになった絶妙なタイミングで、ジェイドとヒスイさんが57層主街区(マーテン)へと帰還を果たした。

 彼らの晴れやかな表情を見るに、どうやら少なからず臨時報酬もあったようだ。

 と、それよりも目を引くものがあった。人物がいた、といった方が正しいだろうか。明らかに最前線での戦闘を経験したことの無さそうなビーストテイマーが、小さな青色の子竜を引き連れてこちらへ向かってきているのだ。

 しかもその少女は驚くほど小柄である。加えてこの世界において希少価値のある女性。僕はSAOに来て初めて割合の逆転する場面にいることになる。

 ――ていうかジェイド、はべらせすぎじゃないかな。

 そんな冗談はさておき、僕には少女の顔に見覚えがない。しかしどうやらジェイドとヒスイさんには面識があるようだ。

 

「え……えっと、シリカです。よろしくお願いします」

 

 僕らに会うなり彼女はそんなことを言った。

 シリカ……やはり前線では耳にしない名前だ。ジェイド達もいつ知り合ったのだろうか。

 とにかく一通り自己紹介をし合った僕ら一向は、あいさつ代わりとして少々言葉の掛け合い――いじりとも言う――をしてから喫茶店に入ることにした。

 カラン、カラン、と鈴を鳴らしながら7人ものプレイヤーが店のドアをくぐる。

 個性豊かな面子である。愛くるしいビーストテイマーのシリカちゃんに、ピンク髪ウェイトレスの鍛冶屋リズベットさん。さらに漆黒の装備を着るクールなヒスイさんに、金髪で混血のようなスタイルのアリーシャさん。ジェミルが飛び道具の達人で、ジェイドが《暗黒剣》の使い手であることを踏まえるなら、どう見ても僕が1番影の薄い存在だ。力不足も甚だしい。

 僕に存在価値はあるのだろうか。少なくとも、この立ち位置は誰でもいいように思えて仕方がない。僕ではない、他の誰かでも成立するような……、

 

「んで《鍵開け(ピッキング)》スキルに注目したわけだ。施錠に関しちゃあ、ここまでうってつけのスキルもないだろうしな。ルガ……なにか思い当たることはないか? なければ熟練度をコンプリートするまで待つけど」

「えっ? 《ピッキング》スキル……?」

 

 リズベットさんからお金を奪い取った犯人が誰なのか、その議論をしている最中に僕に話が振られた。集中していなかったが、どうやら手口の話をしていたらしい。

 

「そそ。ルガしか持ってないからな。いやぁ、持つべきは仲間だぜ。そうじゃなきゃ、またぞろネズミペイントのカネ亡者にコルを取られてただろうし」

「あ、うん……僕がいたから、か……」

 

 僕がいてよかったと言われることがこれほど嬉しいとは思わなかった。

 タイミング的に響いたのだろう。どこか嬉しくなりながらも、しかし残念な知らせをしなければならない。

 秘密裏に《ピッキング》スキルを完全習得(コンプリート)していたこと。そして、スキルではどうやっても他人のホームへ侵入することなどできないということを。

 プレイヤーが正式な手続きを経て購入したホームはもちろんのこと、購入直前の契約中、つまり『仮所有物』であるホームであってもそれは例外ではなかった。

 そもそも理論的、常識的に考えて僕が《ピッキング》スキルで扉の解錠ができた可能性は極めて低い。僕は性格上そんなことはできないが、誰しも犯罪をはたらかないとは限らないからだ。誰かしら悪事を企むプレイヤーが紛れただけで、その街は犯罪の温床となる。開発スタッフもそんな危険は避けるだろう。

 僕は正直に話した。

 それは利用価値を自ら捨てているようで、とても気が進むものではなかった。

 しかし、ここで以外な角度から救済措置が入る。

 

「こんなところに……ハァ……いましたか。いや~……ハァ……探しましたよ」

 

 突然店内へ乱入してきた藍色のキレイな髪をした男性プレイヤーは、僕らのテーブルの近くまで寄るなりそんなことを言った。

 腰に下げる日本刀がやたらと似合う男性だったが、見たところ面識はない人物である。

 けれど、挨拶をしたジェイドは『シーザー』と呼びかけた。

 と言うことは、リズベットさんがホーム購入の際に夫婦割引を試みた婚約相手のことだ。

 対抗意識があったわけではないが、僕は値踏みするように彼を見た。特別変わったところは見受けられない。むしろ整った顔からは気品すら感じた。

 と、そんな折りに彼は衝撃的なことを打ち明けた。

 

「1通のメッセージが届いたんです。《インスタント・メッセージ》でした。差出人のネームはぼくの記憶にありません。内容は……まずは謝罪から入っています。ですが本題はそこではなく……ぼくらから奪い取った100万コルを、その……至急お返ししたいというものでして……」

『えぇええええっ!?』

 

 全員が若干困惑ぎみに声を張り上げる。その声に驚いて反応した別のテーブルの2人組はNPCではないのだろう。

 いや、そんなことはどうでもいい。

 それよりシーザーさんは今なんと言ったか。犯人がメッセージを送ってきたと? これだけ周到に下準備しておいて、今さら自ら謝りに来るとは信じ難い。

 そこへヒスイさんが代表して口を開いた。

 

「開口一番アレだけど……それ、本当に犯人からのメッセージでしょうか?」

「ええ、おそらく。ぼくも疑いましたが本人でなければ知り得ない情報もあります。なのでこれは自首……なんでしょうね。……とにかく読みます。文面にはこうあります。『新婚夫婦から多額のコルを盗みとったことを、まずは謝罪したいと存じます。私の名前はボルドと申します。不肖、私はこのたび盗みをしてしまいました。これが許されないことと知りながら、私は素性不明の男にそそのかされ、簡単に悪事に手を染めてしまいました。軽率な行動に深く反省しております。《空き巣狙い》をしてから、私も色々調べました。すると、あなた方は離婚していると聞きました。初めて自分のしたことの重大さに気づいたんです。見て見ぬふりはもうできません。つきましては、手元にある100万コルをお返ししたい。本日の4時、40層主街区の外れにある《トシフック村》へ来てください。《圏外村》ですが、プレイヤーの所有物を奪うことで犯罪者となった私は、47層主街区(リンダース)を1歩出た瞬間、オレンジカーソルとなってしまったのです。目印として村の最北端にある《傾斜の時計塔》の真下にいます』……ああこれ、40層の観光スポットにあるやつですね」

「てかなっが! まだ続くん!? 寝そうなんだけど」

「ちょっとジェイドは黙ってて!」

「……あい……」

 

 ヒスイさんが不良をなだめると、シーザーさんはクスリと笑ってから再び手紙に目を落とした。

 

「続けます。……『そうして本日、運良くシーザー・オルダートさんが《圏外村》のある56層にいる情報を得ました。この《インスタント…メッセージ》を送る決意をした理由です。最後のチャンスだと思ったからです。幸い、《転移結晶(テレポート・クリスタル)》は最低限確保できました。これが届いているかを私は確認できませんが、40層にて待ち続けます。取ったお金には手をつけていません。それでは』……えっと……これだけですね」

「思ったよりいい人っぽくてよかった……っていうのはフラグになっちゃうんだろうね」

「それに越したことはないけど、やっぱ疑ってなんぼだろうな。まあどっちにしても、確かめるなら40層に向かうしかないか……」

 

 僕の発言にジェイドが同意する。

 無論、そんな警戒は言われなくとも全員がしているだろう。何らかのトラブルやアクシデントが発生することを前提に常に動き続ける。攻略組なら誰でも日常的にしていることだ。相手の人間性で変わる習慣ではない。

 ここでシーザーさんが可視化してくれた文面を改めて閲覧した。

 そうして話し合う内に、いくつか疑問に思ったことを出し合った。

 

「《傾斜の時計塔》かぁ、懐かしいなぁ。あと、手紙の人は離婚した理由を勘違いしてるねぇ。そこまでは知らなかったのかなぁ」

「知らなかったんじゃないかな。『夫婦割引』を使った購入法なんてマイナーな話だと思うし。ホームを買おうとしていたあたし自身も、こんな方法でコルを浮かそうなんて……シーザーさんに提案されるまで考えもしなかったから……」

「それもそうよね~。っていうか、アタシには《空き巣狙い》の方法を教えたっていうこの素性不明の男の方が気になるわよ。……まさか、ね。あいつじゃなきゃいいんだけど」

「でも危ない橋を渡れとかそういう話じゃなくて安心したわ。ボルドさんも、きっと魔が差したのよ。返してくれるなら信じましょう? よく言うじゃない、信じないで後悔するより信じて後悔しろって。ジェイドもそう思うでしょ?」

「ん〜、いやまったく。知らん奴は信じない」

「ひど!」

「まあでも、動かんことには始まらないか。んじゃあ代表で誰か様子見てきて、カネ確保したら俺にメッセージな。《パニの村》で借りた40万はムダ足ってことになりそうだけど、文句を言ってもしょうがない……」

 

 ジェイドがテキパキと指示を出す。今の彼の判断については自信をもって従える。問答無用でそう思わせるまでに、彼もギルドマスターとして成長してきたのだろう。

 そこへシーザーさんが意見を述べた。

 

「ぼくも同行させてください。自分の不手際を誰かに尻拭いさせるなんてプライドが許しません。なんであればぼく1人でも行ってきますが」

「じゃ、頼んだ」

「ハイ、では……えっ、ホントにぼく1人で?」

「アッハハハ、冗談だって。うちのギルドも依頼を受けてんだ。ここまで来て丸投げはねェわな。じゃあシーザーにはルガと……そうだな、ヒスイが付いていってやれ」

 

 ほんの少しだけ考えてからジェイドは僕とヒスイさんを指名した。

 もちろん、僕としてもこれは予想の範囲内であった。何度も言うようであるが、僕とヒスイさんはリスクを背負うことを承知でリズベットさんを助けたいと言い放った。一連の事件の解決となる節目に、僕が不在というのは道理にそぐわないだろう。

 同じことを思ったのか、シーザーさんと40層の圏外村である《トシフック村》に行くことに対してヒスイさんも特に難色を示すことはしなかった。

 

「できればリズも連れてってやりたいけど、実力的にまだキツいだろうし、とりあえず待機な。その間にジェミルとアリーシャは《貸金屋》に向かっといてくれ。100万が返ってきたら40万を速攻で《貸金屋》に返せるように」

「ジェイドはどこかへ行ってるの?」

「まあ、早めにシリカを送ってやろうかなと。面識あるのは俺かヒスイだけだからさ。……それに、さっき頼んだ物もついでに借りようと思ってよ。別にいなくてもいいだろ? シーザーが主街区に戻れば、改めてリズと2人で買いにいけばいいし」

「まあ、確かに。でも借りるって何を?」

「あ、『使い魔の上手な飼い方』ですよね? さっき話してたんです。ほんとに読んでくれるなんて。ビーストテイマーが増えるかもしれないかと思うとワクワクします!」

「あ、ああ……なんか期待され過ぎると辛いものがあるけど、前向きに検討しとくよ」

 

 こうして僕らはまだ半分以上あった飲み物を一気飲みして――ちなみにロシアンルーレットのようにハズレがあった。明らかに味覚エンジンに悪意がある。なぜスタッフはそんな設定をしたのだろうか――から、班ごとに別れてそれぞれの目的地に移動しようとしていた。

 と言っても、まずは動く前に準備だ。

 先に僕とリズベットさんの《結婚》を解除し、続いてリズベットさんとシーザーさんをその場でまた《結婚》させた。時短目的だろう。

 しかしこれらを先に済ませた以上、きちんとホームを買うまで面倒を見ようとしているのだ。隠しているつもりでもジェイドは優しい。

 それから《転移門》までは道中は共にすることになった。

 ジェイドはシリカちゃんと一緒に彼女のホームタウンがある8層主街区(フリーベン)へ向かうし、リズベットさんは《パニの村》がある56層主街区へ向かう。さらに僕ら『手紙の主と面会』班も指定された《トシフック村》がある40層に移動しなくてはならない。

 今は8人で57層主街区(マーテン)のメインストリートを歩いているが、シーザーさんはリズベットさんと商業の話をしている。そこへ時々アリーシャさんも混じっていて、ジェミルとヒスイさんはシリカちゃん並びにその使い魔とじゃれていた。パッと見る限りでは仲のいい家族か兄弟に見えなくもない。

 そこへジェイドが近づいてきた。

 

「な〜ルガ、1つ聞きたいことがあるんだけどさ……あのメッセージ文、ほかに気になるところはなかったか?」

「え……ずいぶん前の話に戻るね。それはどういう意味……?」

 

 僕はいきなり不安になってジェイドを見上げた。

 彼には……彼の目には僕と同じようなものが宿っていた。つまり、不安である。

 彼にも確信がないときはある。自分の判断、行動に悩み、そして怯えている。答え合わせなんてできない。だからこそ、そこには強い不安が生まれるのだ。

 問われる責任の先も結局はジェイド。しかしリーダーだからこそ、その際限のない葛藤は必要なことでもあり、上に立つ者の気質はその先にある。

 僕はそれを察し、できる限り彼の目線に立って意見を述べた。

 

「心配してるの? 大丈夫だよ。ジェイドはロムがいなくなってからよく考えて動くようになってるし。……まあ、あの人ほど博愛主義者ではないみたいだけどね」

「わ、悪かったな……」

「ホメてるんだって。ぶっちゃけ反省点だったし。……厳しい時もあるけど、僕はそれが嬉しいよ。だって、なんだか昔を思い出さない? 中学生の頃ころ、きみはよく僕らをまとめあげて強引にその日の遊びを決めたこともあったよね」

「ハハ、中ぼうの頃ってのはちょいと黒歴史だけどな。やっぱカズがいてよかった」

「ふふふ、懐かしいよ」

「とにかくサンキュ、改めてやること決まったよ。ヒスイが疑わないようにって言ってんのに悪いんだけどさ、やっぱ俺の信じることを全部しようと思う。誰も失望させないって51層主街区(トロイア)で誓ってるしな」

「ん……僕はいつだってジェイドを信じてるからね。自信を持ってよ」

 

 この会話を境に僕らは《転移門》が備え付けられている広場に着いた。そして各々の目的地を声高らかに宣言する。

 40層主街区名を口にすると僕らの体は真っ白な閃光に包まれた。

 

 

 

 

「ヒスイさんとこうやって2人で行動する機会ってあまりなかったよね」

「そうねぇ。ジェイドも気を使ってくれてるのか、別々になる時はあたしはアリーシャと、って場合が多かったし。それにしても《トシフック村》はやたらと遠いわね」

「あの、一応ぼくもいるんですが……」

 

 僕達調査班の3人は40層にある《トシフック村》を目指していた。《パニの村》が56層主街区に程近い地域にあるのに対し、確かに《トシフック村》は遠かった。

 しかし、特にこの層に強力なモンスターが出現するわけでもなく、レベルと層の数字の差が30ほども離れていることもあって、僕らはほとんど敵を傷害とも感じず快調に進んでいた。

 もっとも、荒れ果てた広野が主戦場である関係上、いざ戦闘が始まると背面フィールドよりは手こずる。天候パラメータの機嫌がいいことが救いである。

 

「(それにしても、シーザーさんすごいな……)」

 

 モンスターのリポップの波が収まると、パチンと刀を(さや)にしまうシーザーさんをつい目で追ってしまった。

 戦闘技術は相当なものだ。使用するサードスキルも最前線クラスで、そのセンスは攻略組でも高い水準にあると見ていいだろう。なにより、ビジネス関連で顔の利く彼が、これほどバトルスタイルを確立していることに驚きである。

 そうこう考えているうちに、一行は無事《トシフック村》に到着した。

 

「街を出てから30分もたっちゃったね。えぇっとここから確か……」

「《傾斜の時計塔》は北ですよ、ルガトリオさん。イタリアの有名な『ピサの斜塔』をモチーフにした時計塔で、斜めに傾いたまま建てられているんです。よって、時計そのものもずれていて、記憶に間違いがなければ分針が5分遅れているんです」

「へぇ~。ここが前線だったのって去年の秋だよね? よく覚えてたね」

「観光名所でもあったので。念のため、この辺りのことはおさらいしておきました。……と、それよりこの調子で行くと、予定より5分は早く着いてしまいますね」

「早く着く分にはいいじゃない。待たせるわけじゃないんだし。5分前行動は基本よ?」

「ええ……その、通りですね。……では、早速ボルドさんに会って犯罪の手口とやらを聞きましょう。ぼくらのこの行為は攻略全体に対してもプラスになるはずです。手口は拡散させておきますので」

「そりゃあ、このままだと商売上がったりだもんねぇ~」

 

 そんなことを言いながらも、そもそも南北に延びていない《トシフック村》の最北端とやらはかなり近い位置にあった。

 背の高い森林をバックに、クラシックな時計塔が視界に入る。やがて僕達3人は《傾斜の時計塔》の真下に到たが、ざっと見渡す限り、まだ人の気配はない。ボルドさんより早く着いたようである。

 

「あ〜そう言えば、このうっそうと生えた木々で《圏外村》かフィールドかを区切っていたのよね。こういうの珍しいわよねぇ……あれ……あたしの《策敵》に反応が?」

「《サーチング》スキルに? 森の奥かな。ヒスイさん、反応の場所は?」

「ちょっと待って……あ、上よ!」

「くッ……あ、あそこじゃないでしょうか! あっちです、ほら! 飛行型MoBが!」

 

 シーザーさんがヒスイさんの言葉に慌てて上書きするように指をさした。

 ヒスイさんの目線とは別方向だったが、確かに彼の示すそこにはモンスターの影があった。

 

「遠いですがルガトリオさん、投擲系の武器か何かはありませんかっ!?」

「えっと、あるけど……でもあれ《ダスクワイバーン》だよね。何でこんな層に……?」

 

 大木の隙間から突然飛来したモンスターに注意を向けながら僕は考えた。

 《ダスクワイバーン》と言えば30層の広い範囲と、強いて言うなら33層の迷宮区直前で見かける黒い翼と全身を覆う、黒い逆鱗が特徴の飛行タイプモンスターだ。

 それがなぜ、今ここで。しかも攻撃型(アクティブ)状態になっていない。非常に珍しいケースではあるが、あのダスクワイバーンは低確率イベントで発生する非攻撃型(ノンアクティブ)のモンスターだということになる。

 そこでシーザーさんが僕を指差した。ダスクワイバーンを見たままでだ。

 なんのジェスチャーなのだろう。……いや、そもそも誰に向けた(・・・・・)ジェスチャーなのだろうか。とても意味のある行為には見えな……、

 

「あれ、ダスクワイバーンが呼応して……うわっ! ちょっ、こっち来たぁ!?」

「危ない!」

 

 ドンッ、と胸板を押されて僕は後方へ飛ばされた。

 ヒスイさんが僕の代わりにダスクワイバーンの《フレイム》ブレスをシールドで防ぐ。

 そこへ相次いで襲撃者が現れた。

 それも、すぐ隣からだ。

 ジャリン! と、シーザーさんが腰に下げた《カタナ》カテゴリの武器を引き抜いている。

 剣が発光する。すぐにソードスキルが発動され、単発技のそれはザンッ!! と防具を引き裂くような音と共にヒスイさんの背中に直撃した。

 ソードスキル自体は《カタナ》ではよく見かける《麻痺》属性追加のポピュラーなものだったが、防御姿勢を取っていない背中から直撃したからだろう。対抗値を越えた攻撃であっという間にヒスイさんが《麻痺(パラライズ)》のバッドステータス状態になった。おまけに刀身に何らかの液体まで塗布されている。

 言い逃れのしようがない、完全にシーザーさんの手によってそれは成された。

 

「なんっ……ぐ……ッ!?」

 

 混乱より先に体が反応していたはずだったが、助けに入ろうとした僕の足がガクガクと震え自由が利かなかった。

 ――いったいなぜ? どこから?

 そう思うより早く、僕は答えを悟った。刃物が首へ命中したのを感じていたからだ。

 僕は目線だけを泳がせて現状を確認する。ネーム欄の横にはヒスイさん同様《パラライズ》のアイコンが点滅していた。僕も不意打ちでやられたのだ。

 ここでシーザーさんが口を開いた。

 

「ふう、危なかった。やはりサーチスキルは我々の敵ですね」

「な……にを……っ」

 

 ヒスイさんの腰からゆっくりとカタナが引き抜かれる。

 それは捕食者が獲物を弄ぶ姿に似ていた。

 シーザーさんは……否、シーザーはたった今から狡猾で残忍な犯罪者(オレンジ)となったのだ。

 

「ヒャハッ、ヒャハハハハハ! あっぶねーあぶねぇ、相変わらずカンだけはいい女だぜ。俺らのハイドが見破られそうだったしなァ!!」

「No、オルダートが使い魔を使って注意を逸らさなければかなり面倒なことになっていたな。But、誰かさんが時間を守らなかったせいで隠れ率(ハイドレート)が確保できなかったってのもあるが」

「隠蔽は全員、コンプリート、しているがな。わからないものだ」

 

 そんな声が聞こえた。声の種類は3つ存在し、そしてどれもこれも友好的には感じ取れない冷たいものだった。

 彼ら3人は直立する大木から生える太い枝の上にいる。それぞれ目の位置だけが繰り抜かれた頭陀袋(ずたぶくろ)を被る毒ダガー使いと、髑髏(どくろ)を模したマスクを装着する赤眼の刺突剣(エストック)使い、そして金髪長身で襤褸(ぼろ)切れのようなものを纏って肉切り包丁を携える黒ポンチョの男。

 全員に見覚えがある。全員に恨みがある。

 忘れるはずもない、僕らに近づき内部崩壊を図ったPoHやジョニーだけでなく、ザザについてもアリーシャさんを罠にかけようとしたことは記憶に新しい。

 彼らのアイコンは例外なくオレンジカラーである。そんな人達が遥か高みから地に這う僕とヒスイさんを睥睨(へいげい)していた。

 

「そんな……笑う棺桶(ラフィン・コフィン)がなんで、ここで出てくるッ」

「くっくっく、いい質問だか答える気はねェよ。さあどう料理したものか……んん? おいオルダート、『メインターゲット』を連れてくるって話じゃなかったか。どうも俺の目には映らないようだが」

「細かいですね、PoH。話の流れからメインターゲット達(ジェイドとアリーシャ)は連れてこられなかったんですよ。それにほら、『スペアターゲット』の《反射剣》ならいる。大物でしょう? おまけも付いていることだし、これで幹部昇進じゃないですか? もっとも、ぼくはまだラフコフに正式参加していないですが。アッハッハ」

「ふん、雑な仕事を……まあいい。いずれ始末するつもりだったんだ。改めてショウタイムといくか」

「く……あッ!」

 

 僕は何とかしてポーチに忍ばせておいた《解毒結晶》を手に掴んでいたが、それをシーザーに蹴り飛ばされる。ヒスイさんも同じようなことをしていたが焼け石に水であった。

 冷や汗が滝のように流れる。

 ――対抗手段がない。

 そう認めざるを得なかった。

 最悪の展開だ。ここに来てラフコフが我が物顔で出てきたと言うことは、ボルドさんも巻き込まれている可能性が高い。どうやって情報が漏れたのかは定かではないが、臆病な彼がレッド連中に抵抗できたとは到底思えない。

 時間稼ぎもしなくてはならない。情報も抜き取らなければならない。

 寝ているばかりでは、いられない。

 

「PoH……僕は17層で仲間に入れて欲しいと言っていた、当時のきみは嫌いじゃなかったんだけどね……」

「そいつは光栄だな。俺はお前を見ると反吐が出る」

「なんで、こんなこと……それにボルドさんはどうした! ここに来るはずだったんだ。彼に手を出したんじゃないだろうな……もしそうなら許さないぞ!」

「無茶振り来たァあ! ブハハハ、おほほいそりゃオレのことじゃねェかエェ!? なァ! オレがボルドだよガキぃ!」

「ッ……!?」

 

 木の影から新たな闖入者(ちんにゅうしゃ)が現れた。

 今度は見たことのない人物だ。オレンジ色の髪の毛を基調に左の前髪の一部が青の毒々しい蛍光色で象られている。腰に下げる武器は《曲刀(シミター)》だろうか。牙のような歯も特徴的で、どこかそこにいるだけで強烈で攻撃的なオーラを放つ猫背の男だった。

 4人目のオレンジプレイヤーに「お前は誰だ」と問う前に、その男がまたしても楽しそうに遮った。

 

「ニブちんだなァ、オレぁ端ッからボスと関わってたんだよォブハハハハ! オメーらの能天気さには呆れるぜ!」

「ボルド、その辺にしとけ。ガキの目的は時間稼ぎと情報だ。いちいち付き合うな」

「あ、そうなんすか。了解っす。んじゃあボス、今日はどう調理しましょう?」

 

 短絡思考が滲み出るボルドを制止させて、今度こそPoHが投げナイフを取り出した。

 おそらく前回のように《跳弾(ジャンプバレット)》を使った回りくどい戦闘妨害などではない、それこそナイフを直撃させた上でHPを削り取る気なのだろう。

 

「ルガ君……せめてあなただけでも……」

「そんな、ヒスイさんこそっ」

「逃げられませんよ、お二方。温厚なぼくでもね、あなた方を見ているとイライラするんですよ。傷の舐め合いに剣士の真似事。しかもそれを絆だの仲間だのと言う戯れ言で隠そうとしている。まったく、ジェイドさんの方がまだマシだ」

 

 彼はしゃがんで顔を覗き込むと、倒れる僕らを見下して言った。

 言われっぱなしはシャクに触る。

 

「そういう君こそ……PoHは仲間じゃないのか……」

「厳密な関係は違いますね。利害関係ですよ、ぼくらのそれは。組織の財布を任されていましたが、見返りに娯楽やアイテムを受け取っただけ。現状を見てください……ふくく、ぼくの手でこれが成し遂げられるとはね。この短期間でぼくの評価はうなぎのぼりだ」

「くッ……」

 

 僕は悔しかった。奴らに、ではない。もう言い返せないでいる僕自身に対してだ。

 僕は保身に走っている。強い口調、攻撃的な言葉が寿命を減らすと理解しているからこそ僕の反論は弱々しい。曖昧なものになっている。

 これだけ騙され、欺かれたのに、死ぬのが怖くて震えながら質問するしかない。今の僕にはそれしかできない。シーザーの言う通りだ。弱者の群れと罵られても当然だ。自身がそれを認めている。

 僕は同じように倒れるヒスイさんを見た。

 しかし……、

 

「(あ、れ……?)」

 

 同じ表情をしていると思い込んでいたが、彼女のそれからはなんら死への恐怖を感じなかった。……いや、感じてはいるのだろう。だがそれだけではない。他の何かが彼女の奥に秘められていた。

 あれは信頼、だろうか。この危機的状況下において何を頼っているのだろう。

 システムのバグ? 犯罪者の改心?

 それも違う。あの両目に宿る炎はとても全てを運に委ねたような安いものではない。そう、僕もよく知っているものだ。

 仲間を信じている。たったそれだけのことがヒスイさんにはできていた。

 僕は猛烈な羞恥心に苛まれた。

 何がもっと自信を持てだ。僕がその下地にならなくてよくもそんなことが言えたものだ。

 やめよう、無駄な演技や強がりを。下手(したて)に出て犯罪者のご機嫌を伺うのもやめよう。やることはやったのだ、あとは僕がこの感情をぶちまけるだけである。

 

「君らのことはよくわかった。……こんなに単純だったなんてね!」

「あん? ンだこいつ。ビビッて壊れたか?」

「ボルドッ、あんたも同罪さ! こうして他人を貶めることでしか自分を主張できないんだ! ようはコンプレックスだろう!? そうやってこじれた人間が、悪者ごっこをして満足しようとする。君らのような人を何て言うか知ってる!?」

「な……にを、言って……」

「ただの、小悪党だよ!!」

 

 それを聞いたボルドの目付きが変わった。彼だけが大木から飛び降り、ずかずかと前に出る。

 それから彼は暴力的に吐き捨てた。

 

「イキってンなよ、クソガキィ! 大口叩くだけか、えェ!? それともオトモダチでも期待してんのか!? こんな時に都合よく誰かが来るなんて……ッ」

「おい、ボルド! それとオルダート……お前らの失態だ。Shit、尻尾掴ませやがって」

「え、はい? なんスかいきなり……?」

 

 そこでずっと黙っていたPoHが発言した。

 彼は僕らではない、もっと遠くを見ている。木の上から見えるものがあるのだろうか。

 それにPoHだけではない。ジョニーやザザもまったく同じ方向を見ていた。

 

「数は3か。もっと多いと、踏んでいたが」

「ハァ? ちょ、ザザ先輩もなに言ってんすか」

「バーカ、ボルド。てめぇら2人はミスったんだよ」

「なにを……なッ!?」

 

 そこへ突然、バン! バン! と連続して大きな破裂音が鳴り響いた。同時にシーザーとボルドが軽いステップを踏んで距離を空ける。

 この音は脅しに使われるアイテムである《威嚇用破裂弾》だ。基本的な攻撃力はごく僅かしか設定されておらず、文字通り威嚇に使う他にはモンスターの憎悪値(ヘイト)を溜めるのにも使われている程度のもの。

 真っ白な粉末が少しだけ視界を隠すと、その前方に3つの人影が勢いよく降り立った。

 全員が武装している。そし怒りと闘争心を燃え上がらせていた。

 まさか、まさかとは思った。

 だが紛れもなく事実だ。そのシルエットは僕もよく知るものだった。

 

「ワリいなルガ。それと……よく言った」

 

 その声で確信した。この救済者が誰なのかを。

 

「よう、気張れよ小悪党。一瞬で消されねェようになッ!!」

 

 僕のヒーローが助けに来てくれた。

 反撃が、ここから始まる。

 

 

 

 


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