西暦2024年3月7日、浮遊城第40層(最前線57層)。
一瞬だけ……ほんの一瞬だけ静寂が降りた。
しかし漂う空気には
「威勢がいいのは変わらないな。アリーシャも、俺は会いたかったぜ」
それは優しく諭すような声色だった。
あれだけ好き放題使い回して捨てたくせに、白々しい奴だ。
「……構うな。2人のマヒを回復してやれ」
「うん……リカバリー!」
俺は安い挑発を無視し、取り出しておいた2つの《
2人の《パラライズ》アイコンが消えると、ようやく《
ここでシーザーが割って入ってきた。
「これはこれはみなさん、勢ぞろいで。もう堂々と聞きますが、なぜぼくがラフコフと手を組んでいると?」
「…………」
「そう睨まないでくださいよ、純粋に驚いているんです。ミンストレル先輩から聞いた通りだ。稀に予想外の洞察力を見せる。……行動をくまなく洗われても、バレるような要素はなかったはずですが」
「……よくしゃべるな、シーザー。ミンスと言ったか……確かに似てるよ」
俺は一泊だけ置いて、
「判明したのは運任せだ、その辺は勝手に想像しろ。けどよ、あんた自身も結構ボロが出てたんだぜ」
「ほう……ぼくがミスをしたと?」
「初対面で有名人ではなく俺に反応したな。……ダスクワイバーンを隠しきれてなかったこともキイてるぜ。だからあんたを信じきれなかった」
もっとも、よもやラフコフが絡んでいるとは思えなかったが、おかげで黒いワイバーンがシーザーの《使い魔》だったと仮説を立てることができた。
もう1つある。1ヶ月前、ロザリアがレッド連中とパイプを持ってしまったせいで、あるアイテムを高値で売れるなどと口ずさんでしまったがために。
「おかげで察したよ。あんたが
「……なるほど、確かにミスだ。その読解力を見抜けなかったぼくの、ね。見かけによらずなかなかどうして……」
「見かけによらず、が余計だっつの」
ため息をつくシーザーも、どうやら自分が疑われた理由だけは理解したようだ。
上に立つラフコフの連中には余裕が垣間見える。作戦が思い通りにいって順調にターゲットを
いずれにせよ、気狂い共の考えることだ。彼らの心境予想に根拠も自信もなかったが、この人を見下すような視線を感じる限り似たようなものだろう。
ここで左前面部を青の蛍光色で彩ったオレンジ色の髪を持つプレイヤーが、奇声をあげながら俺とシーザーの会話を絶ちきった。
「余裕ぶっこいてんなよ雑魚プレさんよォ、てめェら! ぬるま湯のエセ攻略組じゃあ、束になっても敵わねぇお方だぜぇ!? 勇敢さ余ってポックリ死んじまっても知らねぇぞ~?」
「泳がせ方もうまくなったな。……おいボルド、それとオルダート。お前らのミスでこの面倒な状況になってんだ。ここは1つ、こいつらと殺り合え」
「ちょ、えぇ!? そりゃねぇぜボス! 俺のレベルじゃまだ50層にも行けないんすよ!? それを……ここで戦うのは早すぎますよ!」
ボルドなる男は自分が矢面に立たされると思っていなかったのか、尻ぬぐいを命じられた瞬間に一気に委縮していた。
対するシーザーの答えは単調だ。
「いえ、ボルドさん。我々が大ポカをやらかしてしまったのです。つべこべ言っていないで戦いましょう。ですがPoH、仮にも戦場を共有した者同士、ここで知らんぷりは大人げないです。……ここは共闘しましょうよ。なに、ぼくが彼らレジクレの頭を殺します。その間、メンバーを引き離しておいてください。
「ッ……!!」
ヒスイが、カズが……俺すらも恐怖で固まった。
シーザーの目付きは完全に悪人のそれになっている。俺がヒスイと共にシーザーと初めて遭遇した時には欠片と感じなかった濃厚な殺意。こんなものを内に秘めておきながら、メンバーと普通に話していたのだ。
俺が感じた恐怖は、オレンジ共の発するこの死の臭い、
彼は脇に漆黒の逆鱗を持った《ダスクワイバーン》を携える。そこで自身も鍔を灰色に彩った、艶のある《カタナ》カテゴリの
そうして剣を持つと彼らは絵になる。礼儀正しく、良くも悪くも勤勉なシーザーが、あろうことかあのミンスを崇めるだから皮肉だ。
「ただしオルダート、貴様に投資した分の回収はさせてもらう。次のミスは許されない。負けたら無条件で俺にくだれ」
「確率としては低いですが……しかし先輩やタイゾウさんも、そうやって死んだんでしたっけ。……いいでしょう。敗北しておめおめと生き残ったら、生涯ラフコフに服従すると誓います」
「その言葉を忘れるなよ」
「契約不履行は最大のタブーですよ。約束しましょう」
どうやら話がついたようで、PoHを始めとする幹部連中が大きな枝から飛び降りてザッ! ザッ! と地に降り立った。
舞い上がった砂煙が風に吹かれると、そこにはそれぞれのスタイルの、そして自慢の装備を惜しみ無く披露していた。すべての武器が最前線で通用する。
足止めに徹するとは言っていたがどこまで本気かは定かではない。猛獣というのは、例え厳しく
「……ヒスイ、3人の指揮を執って、少しでいいから時間をかせげ。俺がシーザーとボルドの相手をする」
「そんな……相手の作戦に付き合うって言うの?」
「よく考えろ、これはチャンスだ。5対5で戦うより、俺が単独で2人を戦闘不能にすれば5対3に持ち込める。さしもの幹部も、攻略組5人相手にバカ正直にもならないだろう」
「勝てる見込みは……ある……?」
「勝てなきゃ全員死ぬまでだ。来るぞ、集中しろッ!!」
戦闘開始、直後に俺を2人がマークした。シーザーとボルドだ。
俺達5人も2分割される。ギルドメンバーの中には俺を1人にすることに反対する意見もあったが、ヒスイが一括して黙らせている。
そこまで見てから、俺は張り付く2人のプレイヤーに意識を戻した。
シーザーは《カタナ》。ボルドが《
「ち、面倒なことに……こうなりゃブッ殺してやるよォ!」
「さかりを立てないでください。それにしても、意外に素直な反応ですね。2対1ですが、ここで卑怯だとかはやめてくださいよ?」
「ハッ、半人前2人ならいいハンデだ! 《暗黒剣》、
俺の《ガイアパージ》が真っ黒な
これで俺の剣は
そして聞き慣れないスキルの名が出たからか、シーザーとボルドの顔に初めて警戒が生まれた。
おまけに
しかしそこは大見得を切った手前、シーザーは挨拶代わりに広範囲へ影響を及ぼす隙の少ないカタナの三連撃を放ってきた。
これによってボルドの行動が阻害されている。連携は考えていないようだ。
「(ナメやがって……)……手始めだッ!!」
「な、に……!?」
ガギィイイイイッ、という耳をつんざく大音響が鳴った。
俺とシーザーが弾き飛ばされる。正確にはシーザーのソードスキルと俺の通常攻撃が相殺されて、両者がその運動エネルギーを全身で受け止めた音だ。
ここで驚いたのは彼らである。奴は攻撃力と速度を補正する剣技を放っていたのに対し、俺はただ単純に剣を振っただけなのだから。
意に反して痛み分けとなった。この原因は一概に武器の性能差だけではない。
「まったく、冗談のように重いですね」
「やるなら本気で来いよ」
「オレを無視してんじゃねェぞゴルァ!!」
頭の悪そうな気合いと、見た目に反して繰り出された鋭い突きを、どうにか地面を転がることで
だがこれでシーザー達が直線上に並ぶ。
数の優位性を奪われたことを解消するために、後ろのシーザーが俺から見て左側に迂回した。
させじと俺も肉薄する。
「ッ、んのヤろ! 失せろ、外道がッ!!」
「おっと、ヘァハハァ! 当たっかよォ!」
左にずれた俺の斬り上げをボルドは体全体を
見たことがある。SALというギルドのリーダー、同じく《シミター》使いであるアギンもよく愛用する単発突進タイプの技だ。
しかしこれは予想通りでもある。
シーザーは左側に迂回している。そしてボルドは右側に移動した。つまり俺は、擬似的に挟み撃ちをされる状態を作り出したのだ。
俺はあえてその中心に飛び込むと、ボルドのスキルは俺をホーミングした。
単発突進技が炸裂。と同時に、俺は空中へジャンプする。
寸でのところで俺の足元を通過するボルド。その先にはシーザーがいた。
「ちょ、どけッ」
「っ!? ぐァああ!?」
剣を振り抜くことこそ技をキャンセルして防いだボルドであったが、慣性の法則まではキャンセルできなかったらしく、連中は派手に激突する。
俺はその真後ろに立つと、《暗黒剣》専用ソードスキル、下段単発超振動斬り《ミゼリコルド》を発動した。
キャンセルをしようと必ず課せられる
俺は遠慮という概念を消し去って全力で大剣を振った。
ボルドの両足に命中する。しかし浅すぎた。
ついたのはわずかな創痕のみ。システムが彼の防御力と俺の《暗黒剣》の切断性能を加味してダメージ値を送った。
結果、ボルドの両足の金属甲冑が粉々に砕ける。が、足の
分不相応なほど高級な防具に守られているだけでなく、《タイタンズ・ハンド》を抜けたボルドは間違いなく急成長を遂げている。
「くそッ、切れないか!」
「くッ!? やってくれたなァ!!」
俺は際どいところで真下からの攻撃を見切って距離をとった。
今のでボルドを戦闘不能にできなかったのは痛い。複数対単数という状況は俺の想像を上回る厄介なハンデだったからだ。同じ手も通用しないだろう。
シーザーも体勢を立て直している。左腕を軽く上げていることから、今度のアタック時には、確実に彼の使い魔であるダスクワイバーンがコンビネーションを組んでくるはずだ。
戦況は不利の一途を辿っている。早くこの2人を倒して、ヒスイの援護に行かなければならないというのに。
俺は一瞬の判断でポーチに忍ばせてあった《煙玉》を取り出した。
シーザーが先に気づく。視界がなくなった場合、彼ら2人にとって敵と味方の判別ができなくなってしまうのに対し、俺は俺以外の全てのユニットが攻撃対象だ。
しかし気づいた時にはもう遅い。俺はその小型アイテムを足元に叩きつけた。たちまち濃灰色の煙が辺りに充満し、俺を含む使い魔までを包み込む。
俺が狙うのはボルドだ。
「ボルドさん、下がってください! ぼくが食い止めます!」
「(ちっ、バレてるか……ッ)」
シーザーは自分達が何のアドバンテージを持っているかを心得ていた。
だがそこは思慮の浅いボルドが足を引っ張る。
「はァ!? ギルメンでもないのに指図すんな!! ……オラ、出てこいよ雑魚! かかってこいやァ!!」
「この、おサルさんがっ! 使えない男だ!!」
「(見つけたッ!!)」
俺はシーザーがコントロールできない味方に毒づくなかで、音源を元にボルドの影を捉えた。
全力でそれに突撃する。
激突した俺達2人はそのまま数メートルも移動して《煙玉》の有効範囲外へ出た。
「いってェ……なァ!」
「ぐぅっ!」
ゼロ距離で腹にシミターを受ける。それは俺の体の半ばまで貫いた。
だがここまで計算通り。俺は馬乗りになったまま左手でシミターの剣身を掴み、片膝を立てて後ろを向く。そこには当然ボルドの両足がある。
俺は声にならない絶叫をあげ、無理矢理片手でガイアパージに初速を与えた。
片手では持ち上げるだけの筋力値がないからか、ガイアパージが地面をガリガリと削りながらボルドの両足を通過した。
《暗黒剣》によって強化された切断能力は、とうとうその本領を発揮する。本来なら平均4、5回ほど同じ場所が斬られた時に発生する
ボルドの目が見開かれる。
ここに来てようやく《暗黒剣》の危険性を、遅効性の猛毒を見たかのように。
「うァアアア!? なんでだっ!? オレの足が、あしがァ!?」
「黙ってろクソカスッ!!」
「ゴあああっ!?」
俺は刺さったシミターを腹から引き抜きながらボルドを蹴り飛ばした。
その直後にシーザーが《煙玉》から出てくるが、見るからに整った顔が歪んでいた。実力だけでなく戦術で出し抜かれたことが、彼には我慢ならないのだろう。
ようやく1対1だ。だがここまで30秒以上かけてしまった。急がなければならない。
「やってくれますね、非常に気にくわないです。……かの先輩が破れたというのもうなずける。不本意ですが認めますよ。あなたはぼくの考えを上回って見せた。この場この時において、あなたはぼくの真の敵となった」
「俺がねばるのは意外か? そりゃいい気味だ。ちゃっちゃとやろうぜ、あとがつかえてンだ」
「ふ……ふくくく……実に面白い。彼を殺した罪……あなたの心臓で精算するとしましょう!」
「このキチガイがッ!!」
再び両者はお互いの相棒を斜めに振り抜いた。
激しい金属音。それに伴う火花と全体重をかけた鍔競り合い。
と、その視界の隅で黒い影が横切った。
ビーストテイマーが使役するモンスター、使い魔の《ダスクワイバーン》だ。
俺はとっさに鍔競り合いを解除し、転がるようにして真横へ飛んだ。すぐ後ろで《フレイム》ブレスが炎熱を振り撒いている。間一髪だ。
《ダスクワイバーン》という種族にとって、苦手とする分野は速度と体力の少なさである。ある程度は機敏に動けるしその操作性も並み程度だが、最大速度は大したことない。しかしその特徴的な長所は、今目撃した《フレイム》ブレスと力強さにある。
リズとのプレイヤーホーム買い取りの際に、シーザーの使い魔は大量のコルを持ち出している。そしてSAOでの貨幣は現実世界のそれよりかなり大きめに作られて――ストレージに収納できることから財布の大きさなどを考慮する必要がない――いるのだ。
金貨も材料は金属。それが1000枚も溜まるとかなりの質量になるはずである。
しかしこの使い魔はそれを持ち運び、遠くで長期間保管することができた。彼は我が物顔で使い魔から大金を受け取ったことだろう。
「ハァ……いいパートナーだなおい……ハァ……厄介な奴がラフコフに入ったもんだぜ……」
「厄介では済みませんよ! あなたの血肉をこの子に与えてやりたいぐらいですよ!」
「ぐっ、くそ……!!」
ブレス、突撃技、視界撹乱、連続斬り。単純な繰り返しであってもその相互連携のレベルの高さから突破口が見つからない。シンプルゆえに誤魔化せない。完全に相手のペースだ。
奇跡的な体裁きでどうにか被ダメージを抑えてはいるが、ボルドに刺された傷を含めて体力総量は6割を下回った。そう長くは持たない。どころか、俺はこれからギルドの援護に行かなければならない。
いくら鍛えぬいたレジクレの仲間4人でも、ラフコフの幹部3人相手ではキツいだろう。
「(ゼィ……く……くそ、賭けだ!)」
「なにっ!?」
俺はシーザーが上級多連撃ソードスキルを発動しようとするのと同時に、全身をバネにして彼の前方上空へ飛び上がった。
筋力値補正の暴力的な加速を得て、俺はシーザーの使い魔、すなわちダスクワイバーンの首もとに飛び付いた。ついでに空けた左腕でガッチリと自分の座標を固定する。
ダスクワイバーンが悲鳴をあげた。俺を振りほどこうと必死にもがく。
俺のように筋力値の高いプレイヤーはこうしたジャンプ力も増す。シーザーはその事を失念していたのか、予想外の展開に技をキャンセルしてしまった。
「ゼフィ! くそ、ぼくのゼフィから離れろっ!!」
「ぜァああああッ!!」
バギィイイイッ、と何かが弾かれる音がした。
《暗黒剣》解放状態の俺のガイアパージが、シーザーの防具を浅く削ったあとに彼の刀を弾き飛ばした音だ。
体勢の悪かった俺は適当に腕を振り回しただけだった。剣が弾き飛んだというのは狙ってその結果を生んだのではなく、単純に運が良かっただけである。
しかし武器をなくしたシーザーは、それでもダスクワイバーンにしがみつく俺を強引に剥がそうとしてくる。隙のない連携から一転、これでは隙だらけだった。
勝負とは、往々にして一瞬の迷いから決する。
「う、らァあアアっ!」
「ぐあぁあああ!?」
真横に一閃したガイアパージをモロに受け、シーザーは半回転してから腹這いに倒れた。
彼はそれでも咳ごみながら立ち向かってくる。俺はダスクワイバーンから一旦離れたあとに、またしても使い魔を狙って攻撃した。
近距離ゆえにクリティカルで命中。ダスクワイバーンのHPがガクッ、と減った。
彼からはさらなる焦りが見られた。
しかし俺は容赦なく追加の1撃を叩き込む。
ザシュッ!! という、肉の切れるような斬撃が響くと、その命も残りわずかとなった。
勝敗は、ものの10秒の間に決した。
「ヘッドぉ、あのバカ共やられてますぜ! マジ使えねぇっすねェ」
「ここで続けて、勝つのも、アホらしい」
「……お前ら、撤退だ。ジョニーは《煙玉》うっとけ。撒いたら転移だ。帰ってこないななければ2人は切り捨てる」
「了解っす、よ!!」
ボフッ、とまたしてももう1つの戦場で広範囲に煙が撒かれた。
幹部連中の会話はギリギリ聞き取れたが、どうやら本当に撤退するようだ。
タイミングがよすぎるし、思いきりもいい。おそらく俺とシーザー達の戦いを監視しながらレジクレの4人と戦っていたのだろう。
その戦闘技術は毎度驚かされるが、集中力を欠いていたお陰でレジクレの4人がまともに戦えていたのだから、結果的に俺の選択は正しかったようだ。
俺はオレンジ共の跡を追わないよう仲間に叫ぶと、また1度シーザー達を視野に捉えた。
「くそ、ぼくが……こんな単純な動揺で……ッ」
「逃がすかァ!」
「くはッ!?」
結晶アイテムで逃げようとするシーザーを俺は斬り伏せた。
テレポート準備期間のライトエフェクトが霧散する。同時に、今の俺の攻撃でシーザーの体力ゲージが
時同じくして10メートルほど先でも音が鳴った。これも転移が中断された音だ。よく見ると、ジェミルが飛び道具を投げてボルドの行動を阻害しているようだった。かなり距離があったがさすがはギルド1の名狙撃手である。
「ボルドさん……逃げられると思わないで……」
「くそ、ちくしょう! こんなところで終わってたまるか!」
「ジェミル、ナイス攻撃だったぞ! ヒスイ、ボルドを取り押さえろ! 俺はシーザーを!」
「わかったわ!」
俺は手がかりの確保を命じた。
シーザーに向き直る。地面に尻餅するシーザーの目にはまだ闘志が宿っていた。
「言ったはずです。もう動揺はしないと……ゼフィ!」
『クギィイ!』
「ッ……!?」
俺は反射的にシーザーに追撃を行おうとした。
しかしそこへダスクワイバーンが割り込み、俺の剣は使い魔にクリティカルヒットした。
「また会いましょう……転移!」
「させっかよ……なにッ!?」
ここで時計塔の鐘が高らかに鳴った。時針の針が数字と垂直になったことを知らせたのだ。
ゴーン、ゴーン、と。その近辺にいる俺達にはそれ以外の音が遮断された。
そう、俺は忘れていたことだが、《圏外村》に分類される《トシフック村》にとって、この大型オブジェクトである《傾斜の時計塔》周辺は観光スポットだ。傾いたまま立てられたこの時計塔は、分針が5分程度遅れている。つまり、本来の時間である4時5分に相当するタイミングで鐘の音が鳴るのだ
シーザーの発音する街の名前が聞き取れない。ダスクワイバーンがポリゴンデータとして爆散したせいで口元も一瞬だけ隠されてしまっていた。
次にシーザーの姿が目に入った時には、彼はすでにテレポートのエフェクトに包まれていた。
しばらくしてエリア全域に響いた低い音程の鐘の音が鳴り止む。そこには最初と同じ、穏やかな静寂があるだけだった。
「くそ……ここまできて、シーザーを逃がすなんて……」
「でもジェイド、使い魔は倒したんだよね? なら実質的に……」
「いや、ほら見ろよ」
俺の指が指す先で羽根型のアイテムが消えていった。
推測するしかないが、今消えたのは《ゼフィの心》としてドロップしたアイテムだろう。
長距離に置いてしまった自分のアイテムを手元に引き戻す方法には、《コンプリートリィ・オール・アイテム・オブジェクタイズ》というボタンが挙げられる。文字通りプレイヤーの所持アイテムを全て周辺地面に無差別にばらまくコマンドだ。
これはビックリするほど使い勝手が悪い。コマンドそのものがメインメニューからほど遠い場所に隠されていることもあるが、物体化したくないアイテムまでまとめて出てきてしまうので、あとで回収するのが大変なのだ。
しかし、今のシーザーのストレージにはアイテムがほとんどない。俺がリズともう1度《結婚》システムを使わせるに当たって、両者のストレージをほぼ空っぽにしておいたのだから当然だ。これは盗みやトラブルが起きないための最低限の処置でもある。
そしてアイテムの所有者属性というのは、地面にドロップしてから300秒後にしか解除されない。奴は最低限の自衛アイテムであるテレポート、ヒーリング、リカバリーの結晶をそれぞれ1つずつし所持していた。シーザーの所有物として《ゼフィの心》は発生しているのだから、今のシーザーの足元には1枚の羽根と2つの結晶アイテムだけが落ちているはずだ。
「やっぱり回収されたか。落とした刀も消えたみたいだし、《クイックチェンジ》に登録してあったんだな。逃走1つとっても周到すぎて文句も出やしない……」
「仕方ないわジェイド。それより捕まえたボルドさんから情報を聞き出しましょう」
ヒスイの提案でまずはシーザーのことを忘れてボルドに向き直った。
仲間が両手をロープで縛っている最中、まず俺は《暗黒剣》を停止させた。それからボルドの目の前でしゃがみこんでゆっくりと語りかけた。
「ボルド、1つ聞きたい。あんたが足を斬られたとき、なんですぐ逃げなかったんだ? ……逃走する《圏外村》ぐらい、事前に決めてあるだろう」
「……けっ、逃げれるかよ。逃げたら殺されちまうよ! ラフコフで頭張る男がどう言う人間か……あんたらは知らねぇんだ。そんなに甘くねぇ。幹部より先に逃げようものなら、こんな安い命はすぐにパァだ。けど言うこと聞いてりゃ、ちゃんと必要とされる!」
「そいつは気の毒だな。けど同情はできない。……あんたのことはそれなりに知ってるよ。2ヶ月ぐらい前まで……《タイタンズ・ハンド》にいたろ」
「なっ、なんでそれを!?」
この事実にはボルドだけでなくレジクレメンバーも驚いていた。ものの1秒足らずで理解した顔を見せたのは、回転の速いヒスイぐらいだった。
とはいえ、遅かれ早かれ消去法でボルドの正体は割れただろう。
12人ギルドだった《タイタンズ・ハンド》。
ギルドに加盟していないだけで実質組織を仕切っていたロザリアと、恐怖体制の礎として見せしめに殺されたメンバーが1人。攻撃役が8人と《圏内》での誘導役が1人。として、残るプレイヤーはロザリアの元彼氏。ラフコフに移籍した最も危険な男、それがこのボルドだったのだから。
「あんたのその身勝手な行動で《タイタンズ・ハンド》が死んだようなものだぞ。殺人なんかに手を染めやがって……ッ」
「は、ハハハ……そうか、ロザリアのバカが吐きやがったのか。ならシーザーが話していたのは……ちくしょう、じゃあオレのギルドもやられてたってか? くそったれだ、いつもオレをはばにしやがって……」
「言っておくと、あんたはPoHにすら信頼されていない。奴は《タイタンズ・ハンド》という組織全体の力を戦力に数えているだけで、あんた個人にはなんの価値もないと思っている」
「は……? なに言ってんだよ……んなことあるか、なにも知らねぇくせに!」
「テメェよりは詳しいさ。じゃあロザリアはなぜ無条件でPoHに従っていたと思う?」
「それは……」
ボルドは座り込みながら口ごもった。
どうやら剣を突きつけられ脅されるとしたら、ラフコフやシーザーのことを聞かれると思っていたようだ。それがいざ蓋を開けてみると《タイタンズ・ハンド》についての質問ときている。混乱するのも無理はない。
「レッドのやり方が楽しくなってきたのか……オレと指向を合わせようとしたんだよ」
「いいや、まるで違う。彼女はこう言っていたぞ。殺しのノルマを達成しつつ金を貢がなければボルドが殺される、とな」
「そんな……そんな馬鹿な!? ンなことするはずが!」
「これが現実だ。ロザリアなりにあんたのことを想っていたんだ。失いたくなかった。……だから、殺人ギルドとしての注目をラフコフの代わりに引き受けた。……だってのに、肝心のあんたはPoHの犬になり下がっている。裏では彼氏をエサに脅されてる一方で、あんたはのうのうとラフコフで生活していたんだ。あんたにロザリアの屈辱がわかるか?」
「それ、は……その……」
口をパクパクと動かすボルドからは、もはやなんの生気も感じられなかった。
目の焦点が合わなくなる。目の前が真っ暗になる人間というのは、今の彼を言うのだろう。しばらくしてその場で額を地面に打ち付け、音もなく崩れ落ちた。
下っぱのボルドを捕まえたところで、有益な情報が割り出せないことは初めから察しがついていた。あとは彼自身のことだ。せめてロザリアのように改心の道へ行くことを願うばかりである。
「……もう帰ろう。ルガとジェミルは俺と交代しながら、ボルドをこの層の《レイヤー・ポータル》まで連れてくぞ。ヒスイとアリーシャは接近してきたモンスターをけちらしてくれ。策敵もヒスイに任せる」
「了解ぃ」
「わかったわ……」
「あとルガ達は悪かったな、危険な目に……けど、根本的にはまだ解決してないんだ。気を抜かずにいこう」
こうして俺達は主街区へと歩いていった。
これからまた大仕事だ。まずは当人のリズにこれらの事情と出来事を報告しなければならない。彼女のお金がまったく取り返せなかっただけでなく、今後取り返せる可能性はまずないだろうことも含めて。話す前から気が重い。
それからシリカを初めとした各方面の恩人への礼。中には何が何やら全貌が掴めないまま未だに放置状態にしている人もいるので、早急に対処しなければならないだろう。
プレイヤーホームの確保とそれら全てを考えると、とても今日1日で終わるものではない。
「(しゃーねぇ、本腰入れてもうひと仕事するか……)」
俺は疲れた体に鞭打って、歩きながら小さくぼやくのだった。