ティラヒムに今日取った宿は、食事は出ない。
その代りに料金は割安になっている。木賃宿と呼ばれるものだ。
飯を食いたければ自炊をするか、外に食べに出る。
一階にある宿泊者が使える共同のかまどと台所に、食材を持ち込んで調理を始めようとしていた。
米は土鍋の中に入れているが、まだ炊かない。
作りたい料理があるからな。
味噌汁はあらかじめ作っている。主菜が出来たら温め直す。
今日の主菜はラフィスからの土産、生の魚だ。
冷凍されているから正確には違うが、解凍すれば生に近い食感は得られる。
しかも、鮭だ。
上に乗っていた小箱の中身は、鮭の卵だ。
これほど嬉しいものはない。
鮭は全てが利用できると言われている。
この鮭は遡上する前のもので身にたっぷり脂がのっている。
その上に鮭の卵――筋子があるとなればこれはもう御馳走だ。
気が利いているという言葉では言い表せぬほど、今回の土産は俺の心を捉えて離さなかった。
ダークエルフが商売が上手いというのも良くわかる。
顧客が求めている以上の物を、彼らは提供する。
ラフィスが元気な限り、商船団の勢いが衰える事はないだろう。
鮭は凍っているが、半解凍にすれば少し力を入れるだけで切れるようになる。
鮭をまな板に乗せ、頭を落としてカマを切り、腹を切って内臓を取り出す。
次に背骨に沿って包丁を入れ、半身を取る。
もう一つの半身も身をひっくり返して同じように骨に沿って切る。
そうすると三枚おろしの形になる。
中骨も使うので取っておく。
一つの半身は箱の中に保存する。これで数日は鮭を楽しめる。
もう一つは、贅沢に今日食べきってしまうつもりだ。
半身からハラスの部分を落とす。
これは焼いて食べると余分な脂が落ちて美味い。
そして残った背側の皮を引く。
尻尾側の身を皮を落とさない程度に切り、身と皮の間に包丁を滑り込ませる。
あとは皮を残した尻尾の先端を持ちながら、包丁を滑り込ませ続けると、綺麗に皮が引けてサクの身が残る。
しかし、皮も捨てない。
これはかりかりになるまで焼くと最高の酒のつまみになる。
さて、綺麗に下ろせたサクだ。
まだ凍ってはいるが、包丁で切れる程度には柔らかい。
故郷にも、異民族と呼ばれる存在が居た。
今回鮭を食べるにあたって、北の異民族から学んだ食べ方で味わってみようと思う。
ずばり刺身だ。
刺身と言っても、鮭には寄生虫が居るのでそのまま何もせずに生では食えない。
だが、凍らせてしまえば寄生虫は死ぬ。
北の異民族は鮭を神様の贈り物と捉えており、あらゆる利用法を知っていた。
その中でも、ルイベと呼ばれる食べ方は彼ららしい食べ方だ。
北の大地は寒く、雪が降り積もる。
雪の中に鮭を突っ込んで保存しておけば、いつでも食べられる。
自然を上手く利用した彼らの食べ方は、まさに自然と共に生きる彼らの文化とも言える。
サク取りした半身を薄切りにし、白い皿に並べた。
半解けした刺身が輝いている。
俺はとっておきの故郷の酒――これもラフィス商会を通じて手に入れた酒だ――も準備した。最近は濁り酒ではなく、澄み酒が生まれたという。
蒸留酒のように透明な酒は、味わいも澄んでおり口当たりも良い。
すっと口に入って次々と飲めてしまえる、危ない酒でもある。
気をつけなければ二日酔いに陥る。
「いただきます」
刺身を醤油に浸け、一切れを口に放り込む。
ああ、美味い。
これ以外に表現する語彙が出ない。
もはや美味いの一言で十二分に過ぎる。
言葉で語る前に、まず鮭の存在そのものを感じなければ鮭に失礼だ。
だがあえて言葉を並べるとすれば、凍っている食感が心地よい。
砂漠は暑い事もあって、冷たくしゃりしゃりとした食感がより際立つ。
口の温度で身が融けてくると、鮭の脂がじわっと染み出してそれがまた美味い。
次に、あえて刺身を少しだけ火であぶる。
すると身がとろけだし、醤油にちょいとつけると脂が醤油に小さく輪を作る。
で、それを口に運べばもちろん、今度は柔らかくなった身が小気味よく歯で千切れる。
今度は脂の味がよりはっきりと感じられる。
これもまた、美味い。
刺身を十分堪能した後は、もう一つ食べたい料理があった。
頭と中骨、鮭の切り身を醤油と酒、砂糖と水を入れた鍋で茹でる。
アクをとりながらある程度茹で上がったら、切り身は取り出す。
頭と中骨は、今回は棄てる。
煮汁を米を入れた土鍋に投入し、後は炊き上がるまで待つ。
火が通っていくにつれ、米と鮭の匂いが辺りに漂ってくる。
香ばしい。
さっき刺身を口にしたばかりだというのに、更に腹が減って来た。
炊きあがった土鍋の蓋を開けると、更にいい香りがぶわっと広がった。
鮭と米の匂いが鼻腔をくすぐり、脳天を貫く。
この料理は、北国から旅してきた人々から教わった。
その名ははらこ飯と言う。
炊きこんだ飯をどんぶりに盛り付け、その上に先ほど茹でた切り身と鮭の卵を醤油と酒で作った調味液に漬け込んでいたもの、いくらを更に盛る。
いくらの橙色の煌めきはいつ見ても素晴らしい。
生命の輝きとは、まさにこのような色だと形容しても良いくらいに。
盛りつけた飯をさっそく箸ですくい取り、口に運ぶ。
鮭の出汁と米の味が口に広がり、いくらの食感が口中で弾けまたその味も混ざっていく。
刺身も美味いが、鮭の身と卵をひと口に味わうのが一番美味く鮭を味わえる料理法だと思っている。
これ以上の御馳走は、今の所故郷でも、西方に来ても味わった事はない。
幸せとはまさにこれだ。今の俺にとっては。
付け合わせの味噌汁で口の中を一度正常に戻す。
西方の野菜でも、味噌汁に入れればだいたい口に合うようになる。
味噌は何にでも使える万能の調味料だ。切らしてはならない。
そしてまたはらこ飯をほおばる。
それを繰り返していると、
「……御馳走様でした」
あれだけあった飯と鮭は、いつの間にか俺の胃袋の中に収まっていた。
口にしている間は幸せだった分、それが無くなってしまうと名残惜しい気分になる。
まだ半身は残っているというのに。
無限に鮭が食べられたらなあ、と子供のような思いを抱いてしまう。
なお、今回鮭を仕入れたのは北方の国であるらしく、
機会があれば、いつかは俺もその国へ行って鮭が遡上する様を見てみたい。
食器を片付けている最中、ぴんと閃くものがあった。
そうだ、次は味噌を使って鮭を焼いてみよう。周囲に野菜を山とちりばめて、蒸し焼きのようにすればきっと美味いものに仕上がるはずだ。
翌日から、刺客が次から次へとやって来るのを知らない俺は、そんな呑気な事を考えていたのだった。