幻夢の世界で会いましょう   作:みょん!

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第十話 異変発生

「………………そん、」

 ――なこと、あり得ないでしょう。

 人差し指と中指を合わせて、空中で二回転。呼び出したメニュー画面を見て、私の言葉が、途中で止まった。

 メニュー画面の左下、アナログ表示されているはずの時計の部分が、文字が完全に崩れて、もはや形を成していなかった。

 メニュー画面の表記もそうだ。それまでは緑色の背景に、ドットで作られた文字が表示されていた画面には、所々にノイズが走り、ドット欠けのようなものが多数発生していた。HPとMPを示すバーゲージは、右端を越えて隣のステータス欄にまで干渉し、正確な数値すらも分からなかった。もちろん数値の表記も壊れていて、今のHPもMPも不明だった。

 更には、それまでは右下にあった、【ログアウト】のボタンは、表示が崩れて存在すらしていない。

「ヒマリ先輩、ログアウトのボタンがなくてログアウトできません。不具合ですか?」

 王女は耳に手を当て、ヒマリへと連絡を試みる。

 一分、二分、体感なので概算だけれど、三分が経っても、ヒマリからの、運営側からの声は、届いてこない。ノイズすらも聞こえない。

 私の方に通信が送られてきた時のために耳を(そばだ)てるも、その時になって気づく。時間経過で変わるはずの空の色は、先ほどからずっと、黄昏色であることに。日が傾き、夜に近づくにつれて、空は暗くなり、星が出るはず。

 けれど空は、黄昏色のまま。

 ――ふと、頭に先ほど聞いた妙な通信が頭を過ぎった。

 【我らの世界を作り上げた】――その声は、確かにそう言った。

 ――まさか、これが?

「ケイの方は、どうですか?」

 思考の海に入り込みそうな所で、王女の声が聞こえてきて、体がびくりと反応してしまう。

 顔を上げると、王女が私のすぐ近くに来ていた。

「驚かせてしまいましたか、ケイ」

「…………いいえ。……王女、私も、同じです。ログアウトもできないですし……ウインドウに、多数の表示のバグが発生しています。ほら、ここ」

 ウインドウを表示させる。王女が私の手元を覗き込む。ウインドウに生じているバグを指し示すと、王女が目を見開くのが見えた。

「…………ケイ、これは…………」

 王女の声が、わなわなと震えるのをすぐ近くで聞く。王女が取り乱すことのないように、王女を支える準備をして――

「これは、やはり緊急クエストですね!」

「…………え」

 底抜けに、明るい声がすぐ隣から聞こえた。

「ヒマリ先輩と連絡が付かないということは、これはヒマリ先輩に連絡すればネタバレになるだろうというヒマリ先輩の配慮です。やはりこれはヒマリ先輩からのサプライズに違いありません。ケイと協力してこの世界から脱出せよ! という緊急クエストです! きっと!」

 王女の目が、輝いているのが見えた。どうして王女はこんな状況なのにそんな表情ができるのだろう、と思う。

 ログアウトができないということは、それはつまり、この世界から出られないかも知れないということなのに。王女、貴女という人は。

「…………王女、いいですか? 今の状況は、――――――」

 額に手を当てて、大きくため息をつきつつ、頭の中で言うべき言葉を整える。そして王女に言い聞かせるように、その目を見ながら懇切丁寧に状況をお伝えしようと、して。

 不意に、視界の隅に、焦げ茶色の動くものが見えた。――瞬間、私の体は勝手に動いていた。

 王女を突き飛ばす。先ほどまで王女がいた場所を、ウルフの爪が通り過ぎていった。

「痛っ!」

 ――王女、申し訳ございません!

 今すぐに王女を支えに行きたい気持ちを抑え、すぐさま光の剣を起動。クールタイムの後、すぐさま発射。聞き慣れた着弾音の後に、ウルフが光となって消え、そこには青いクリスタルと黄色いコインが残された。

「…………、王女!」

 敵を倒して安心したのもつかの間、自らの行動の結果を思い出し、急に背筋が凍る気がした。

 状況が状況とは言え、守るべき王女を突き飛ばしてしまったのだから。

「申し訳ありません。お怪我はありませんか!?」

「アリスは大丈夫です。ありがとうございます、ケイ」

 王女に手を差し伸べる。王女はにへ、とした表情を浮かべたまま、私に手を伸ばす。

 手を掴んで、引き上げようとして。ぬるりとした感触が手に残った。

 王女を立ち上がらせてから、自分の手を見て。

「――――――ッ!?」

 我が目を疑った。手に付いていたのは、…………赤い液体。

「王女、申し訳ありません。手を、見せていただいてもよろしいでしょうか?」

「? ああ、血が出てます。でも、ケイが助けてくれなければ――」

「いいえ、王女。違います」

 王女が感謝の言葉を言おうとしてくれているのを遮って、言葉を発する。

「消毒ですか? HPが減っていても、宿屋に行くか、HPポーションを飲めば回復します」

「消毒でもありません。なぜ、王女が、怪我をされているのですか」

 ゲームの説明で、ヒマリは言った。このゲームの中では、ダメージは全てHPが肩代わりすると。一定以上の衝撃は制限され、せいぜい九ミリ弾を受けるくらいまで落ちるということ。もちろん、骨折どころか怪我をするなんてありえないということ。

「少々、失礼します」

 王女の手を、広げさせる。土の上で転んだときに生じるのと同じような擦り傷が見えた。

「……触り、ますね」

「――――」

 傷に触れた瞬間、王女の体がぴくりと反応した。それから私を見て、照れくさそうな笑みを見せる。反応をしてはいけない、とでも思ったのだろうか。王女は、優しいお方だから。

 王女に痛い目に合わせてしまったことが申し訳ないと思いつつ、自分自身の手に付着した血液の匂いを嗅ぎ、そして、舐める。血液特有の、鉄のような味がした。

 王女の手に付着しているのは、間違いなく血液で。王女が、おそらく先ほど私が突き飛ばしたせいで、怪我をしたのだと推測する。

 だからこそ、おかしいと思う。

 ――王女の手から、血が出ることなんて、ありえない。王女が怪我をすることなんて、ありえない。

 肩代わりされるはずの怪我が、肩代わりされずに、体にそのまま刻まれている。

 怪我をすれば血が出る。それは世の中では当たり前のことだ。――それが普通の世界ならば。

 ここは、ゲームの世界。怪我をすることもなく、激しい痛みを感じることもないはずの世界で、明確に痛みを覚え、明確に怪我をした。――これが意味することは、それは。

「…………王女、ひとまず消毒と、治療をしましょう。お体に傷が残れば、大変です」

「このくらい、気にしなくても大丈夫です。舐めていれば治ります」

 ――モモイ辺りから仕入れた知識だろうと思う。そんな野蛮な考えは捨ててください、王女。

「私が気にするのです。……お願いですから」

「むふん。かわいい妹のお願いなら、仕方ないですね。お姉ちゃんは妹のお願いを聞くことにします」

 会話の主導権が王女の方に行っている気がしなくもないけれど、王女が応じてくれるのならそれに越したことはない。実際、王女が痛い思いをしているという事実で、私の胸が張り裂けそうなほどなのだから。

 ショップとは別に、薬局という施設がある。ここであればポーション以外のアイテムも購入できるだろう、と町の反対側へ向かって。

 店の近くに足を踏み入れた途端、

「――――――ッ!」

 

 何かが見えて、私は思わず王女の前に立ちはだかった。

 

「ケイ?」

 突然視界を遮られた王女は、背後で不思議そうな声で私の名前を呼ぶ。

「…………王女。……申し訳ありませ。……少し、目を瞑っていただけますか?」

「? はい、ケイがいいと言うまで、アリス、目を閉じます」

「ありがとうございます。王女、お手を」

 心臓が、早鐘を打つように激しく鳴り響く。口から何かが出てきそうになって、無理矢理唾を飲み込む。

 ――私が見たものが確かならば、それを王女の視界に入れるわけにはいかない。

 けれど、目を瞑ったまま王女を歩かせるなんて、危ないことをさせるわけにもいかない。無礼なのを承知で、王女の手を取り、ゆっくりと進んでいく。

 店の近くで倒れている人物へと、近づいていく。

 藍と白の和装の人物が、うつ伏せになって倒れている。そして近づくにつれ、その背中が露わになっていることが分かり、更にはそこに、三本の傷痕がくっきりと刻まれているのが見えた。

 最初からこの人物、サポートAIのフユには、ヘイローが存在しない。だから、この人物が生きているのかどうかは、息を確認するまで分からない、のだけれど。

「………………」

 口元に手を当ててみても、揺すってみても、衝撃を与えてみても――――この人物が生存しているという情報は、得られなかった。

 三本の抉られたような傷痕――そんな傷を付けそうなエネミーは、つい数分前に見かけた。どこにでもいる、汎用の狼型エネミー(ウルフ)。けれどここは町の中。決して、町中に出ていいものではない。

 ――そもそも、私たちは敵の攻撃でHPがゼロになったときは、強制的に直前にいた町へと戻される仕組みになっている。

 客観的には、HPがゼロになった瞬間、体が光に包まれ、忽然とその場から姿が消える。モモイで何回かその姿を見て、その直後【さっきの町に居るから戻ってきて!】と通信が入る。

 この世界のキャラクターはそのような形を取っているはず、なのに。息をしていない、反応もない人物が、地面に倒れ伏している。

「――――――」

 頭に浮かぶ考えを、否定したい。けれど、否定する材料がない。頭を振って、それはない、と思いたいが、結局同じ答えにたどり着く。

 

 ――私たちも、この世界で(たお)れてしまえば、こうなってしまうのではないか、と。

 

「…………ケイ?」

 王女から手を離し、フユの亡骸の前にしゃがみ続けていた私に、背後から声がかかる。

 長らく暗闇のまま独りにさせてしまったことを申し訳なく思いつつ、どうお伝えすべきかと、何をお伝えすべきかと、私の思考のリソースを最大限に使って、考えて、考えて、考えて――。

「…………王女」

 王女に、隠しごとをするなんてのは、私の主義に反するから。全てを、伝えることにした。

「目を、開けてください。ゆっくりで、いいです」

「はい。アリス、目を開けます。…………――――――、」

 王女の目が、驚きに見開かれるのが見えた。

「………………これ、は。……フユ、ですか?」

「おそらくは。…………そして、王女。この人物は、もう…………」

 王女は一瞬、悲しそうな目をして。

「ケイ」

 私の名前を呼ぶ。

「フユを、建物の中に運んであげましょう」

「はい。仰せのままに」

 王女の命ずるままに、私はフユを抱え上げて、そして王女の後ろを歩き出す。

 抱えた人物からは、呼吸の音も、温かい感覚も、何もなかった。

 

「――――――」

「………………」

 王女と私の間に会話は無く、足音だけが耳に伝わってくる。

 これまで、王女を王女の中から観測してきて、王女が何を思っているのかは、おぼろげながらに分かる。

 フユを、(しの)んでいるのだな、と分かる。

 ――王女は、お優しい方、だから。

 RPGで、特に主人公が接してきたキャラクターが――PC、NPC問わず――ゲーム上で死を迎える瞬間、王女は大体の場合、固まる。それは文字通り、コントローラーを持ったまま動きを止めると言うこと。フリーズする、と言ってもいい。視線はゲーム画面に注がれたまま、王女の頭の中では様々な考えが浮かんでいるのだと思う。

 そしてしばらくして、『前進します』と、はっきりとした口調で言う。『前進しなければ、話は進まないのですから』と。

 

 往年のゲームを参考にしているのだろう。町の中には必ず教会が存在する。

 その中の一室にフユを寝かせ、そして王女の手の治療を施し、私たちは教会を出る。

 時間はそれほどに経っているはずなのに、外は暗闇ではなく、黄昏色の空のままだった。

「王女…………」

 何を言っていいのか、こういう時にどんな言葉をかければいいのか、見当も付かない。だから私にできることは、王女を呼ぶこと、それだけで。

「ケイ。……あそこのベンチに、座りましょう。立ってばかりでは、疲れます」

 王女に手を引かれるまま、ベンチに座る。

 王女は黄昏色の空を見上げながら、ふぅ、と息を吐いた、と思うと。

 強く腕を引かれて、私の頭は、王女の膝の上に載せられる。

「辛いところを、見させてしまいましたね、ケイ」

「…………い、いいえ」

 額を撫でられながら、優しい言葉をかけられると。それまで張り詰めていた気持ちが、緩みそうになる。

 王女が今の状況を気楽に『緊急クエスト』だなんて言うから、私がその分、頑張らないといけないのに、気を張らないといけないのに。王女に優しくされてしまうと、それが、緩む。

「ケイは、アリスの代わりに頑張ってくれてます。さっきだって、アリスを守ってくれました」

「あの時は……。突き飛ばしてしまい、申し訳ありません」

「いいんです。ケイが、アリスを守ってくれた結果ですから。本来なら、お姉ちゃんが妹を守ってあげるべきところなんですが」

 そう言って王女は、にへ、と眉を下げて笑みを浮かべる。

 王女の手には、教会で治療した時のバンドエイドが貼られている。血は滲んでおらず、王女が言うとおり、ただの擦り傷で済んだのが分かる。

 本当によかった。王女が大きな怪我などをすることがなくて。

「いいえ。私が、王女をお守りしたいのです。これだけは、譲れません」

 王女は私を見下ろして、くすりと笑う。

「ケイはいじっぱりです。STR値が上がります」

「王女がのんきなだけです。DEF値でも上げててください」

 王女に言いたいのは、そんな適当な言葉じゃないのに。王女と話をしていると、真剣な空気も、勝手に柔らかなものへと変わってしまう。

 これが王女が持つ空気というものなのだな、と思う。

「王女」

「はい」

 起き上がって、王女とまっすぐに顔を合わせて、言う。

「…………これが緊急クエストなのか、事件なのかは、分かりません」

「はい」

 ――本当に分かっていますか。と聞きたくなるのを押さえて、言う。

「ですが、ログアウトできなくなっているのは、残念ながら事実です。このままここに居ては、現実の王女がどうなってしまうか、分かりません。――この世界から、速やかに脱出しましょう。王女」

「はい。ケイと一緒なら、きっと大丈夫です」

「方法は、まだ分かりませんが。安全に配慮しつつ、情報を、集めていきましょう」

「はい。ケイ、そんなときは――」

 王女がすっくと立ち上がる。

「前進です! 物語は、前進することから始まります!」

 立ち上がり、そう高らかに宣言した王女は、笑顔で、私に手を差し伸べる。

「前進、ですか」

「はい、前進です!」

 ――情報が無い中、考え無しに進むのはどうかと思います。そう言いたい自分が、私の中に確かに存在する。

 けれど。

 王女が手を引いてくれる先なら、きっといいものが見つかるのだろうと。

 そんな、確信にも似た思いがあった。

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