「………………ケイ、ですか? …………ほん、とう、に?」
アリスと向き合うその人は、赤い目でアリスをまっすぐに――いえ、少しだけ伏し目がちに――見てきます。
もし、これがヒマリ先輩が作ったキャラクターということであれば、アリスもここまで驚きません。
【あら。まだNPCのキャラクターは実装してませんが。エイミ、データを取ってください】
【分かった】
頭の中で、向こうの声が通信に乗って、アリスに聞こえてきます。
ヒマリ先輩が、ケイをNPCとして作ったのなら、【アリスへのサプライズです】とでも言ってくれるはずです。ですが通信の向こうでは、ヒマリ先輩も、エイミも、そんなことは言わないで、情報を整理しようとしています。
それはつまり、目の前のケイが、二人が作ったキャラクターではない、ということ。……なら、アリスの目の前にいるのは……?
「…………ケイ?」
改めて、そう呼びかけます。ケイはびくりと肩を震わせて、そして、おそるおそると言ったように、顔を上げます。
「…………、おう、じょ……」
「――――! はい! アリスです!」
反応してくれたのが嬉しくて、思わず声をかけます。
そんなやりとりをしている中、頭の中でヒマリ先輩の声が聞こえます。
【アリス。確認をお願いします。目の前の人物に触れることはできますか? また、体温は感じられますか? NPCとして設定している場合、前者は可、後者は否となっています】
「了解しました。アリス、実行します」
――……とは、言ったものの。
ケイに触れて確認すると言われて、アリスはすぐに動くことはできませんでした。
ずっとずっと、会えるのを待ち続けてた、ケイ。目の前にいるのが、本当にアリスが知っているケイなのか、分かりません。アリスが、ただ幻を見ているだけなのかもしれません。はたまた、本物だとしても、今はまだ何もしてこないだけで、いつかアリスの体を乗っ取ったときのように、攻撃を――――。
「…………」
アリスの喉が、ごくりと音を立てます。
触れるのは怖い。確かめるのは、もっと怖い。
怖い……けど。
胸の前できゅっと手を握りしめたケイの手が、小さく震えてるのが見えました。
アリスよりも、目の前のケイの方が、もっと怖がっているように見えるから。
「――――!」
アリスは少しだけ、勇気を出して。一歩を踏み出します。
手を伸ばして、ケイの頬に、触れる。
その瞬間、ぴくっと、ケイの体が反応します。心の中で『驚かせてごめんなさい、ケイ』と謝ります。
――温かい。
モモイに後ろから抱きつかれたときに感じるくらいの熱を、感じました。アリスの頬と同じくらいの熱を、感じました。この温度は間違いなく、人の熱でした。
「触れられ、ます。そして、温かい、です」
ケイから少し離れて、ヒマリ先輩に、感じたままを報告します。
【アリス、ありがとうございます。こちらもデータの解析が終わりました。結論から言いますと、その人物はアリスとは別のアカウントとしてログインした状態になっています】
「――――――え、」
アリスとは、別のアカウント。
ログインした状態。
触れることができて、温かい。
いろんな情報が集まりすぎて、アリスの頭はショートしそうです。
「ヒ……ヒマリ、先輩。つまり、どういうこと、でしょうか? この子は、ケイは……どういう……?」
【目の前の人物をケイとしましょう。ケイは、アリスとは別の、独立した存在です。触れられて、熱がある以上、NPCではなく、プレイヤーキャラクターの立ち位置と考えられます。
その人物がログインしている理由は、今時点では不明です。アリスにしか、ログインのための機器は接続していませんから。――だとすれば、考えられる理由は二つです。ケイが元々アリスの中に居て、ログインをきっかけに別人格として現れたか、もしくはログインにあたってアリスが手に持っていたロボット型のキーホルダーの中にあったデータが反応したか、のどちらかです。……ただ、ふむ。現実のアリスが手にしているキーホルダーにあるデータを読み込む、というのも考えにくいところもありますが……どちらにせよ、不思議なことですね】
アリスは、ヒマリ先輩が言うことの半分も聞いていませんでした。
ただ、ケイがいる。ケイが目の前にいる。ただ、それだけでした。
【アリス。一つだけ、忠告します】
「――――――、」
ヒマリ先輩の声が少しだけ、低く感じられました。
【ケイは現時点で不明な存在です。アリスに危害を加える可能性も、否定はできません。ケイがアリスに危害を加えることのない存在だと判明するまで、アリスはケイから離れる、もしくは今の時点でログアウトすることも考えなければいけませんが――】
「いいえ、それはきっと、不要です」
ヒマリ先輩の言葉は、もう少し続くのでしょう。けれどアリスには、その先は不要でした。首を横に振って、はっきりと答えます。
【万全を期すため、と思いましたが……アリスが不要ということであれば、いいでしょう。このゲームでは、一定以上の痛覚は強制的に低減されるので、もし万一があったとしても、アリスの体は安全が保たれる仕組みです。低減というとよく分からないかもしれませんが、例を挙げるとすれば、この
「ありがとうございます、ヒマリ先輩。ですが、ケイは大丈夫です!」
ヒマリ先輩は心配をするようですが、アリスは分かります。大丈夫です。
ヒマリ先輩の声は、アリスにだけ届いています。けれどアリスの声は、ヒマリ先輩と――そして、ケイにも届きます。それを分かっていて、敢えて、口にします。ケイは、大丈夫です、と。
【アリスがそう言うなら、いいでしょう。この世界を、目一杯、楽しんでください】
「はいっ!」
ケイから見れば、アリスは虚空に話している謎の人物、に見えるでしょう。
MMORPGのキャラクターから見た別のキャラクターは、そんな風に見えているのかもしれません。これは新しい感覚です。モモイに伝えれば、きっと『作品のネタになるよ、ありがとう! アリス!』と言ってくれるでしょう。モモイに話すときが楽しみです。
その言葉を最後に、ヒマリ先輩からの声は聞こえなくなります。あとはアリスに任せた、と、そういうことなのでしょう。
アリスは改めて、ケイと向かい合います。
ケイは先ほどから、アリスをじっと見たまま、何も言わず、何も動かずで、プレーヤーが操作を放棄したキャラクターのようです。
ですがアリスは、先ほどケイが「王女」と言ったのを聞いています。私がケイの頬に触れたとき、ぴくっと肩を震わせたあとに、ほんの一瞬だけ嬉しそうに頬を緩めたのを見ています。ケイが、ここにいるのを、知っています。
「ケイ」
呼びかけます。ケイはまたゆっくりと顔を上げて、アリスをおずおずと見ます。ですが、動くことは無くて、アリスの方を見るだけ。
こういったとき、動くのは主人公の方です。モモイはいつも言っていました。『物語を動かすのは、いつも主人公の行動からだよ! 主人公が受け身の物語でウケたものはない!』と。
だからアリスは、ケイに近づきます。
一歩、また一歩と近づく度に、アリスを向くケイの目が揺らめくのが見えます。
ヒマリ先輩は、ケイを警戒しろと言いました。でもアリスは、そんなことをしたくありません。
だって、ケイはこんなにも……怯えているのですから。
もう一歩、踏み出して。ケイに手が届くところまで来ます。ケイの手が、きゅっと握られるのが見えます。伏し目がちなケイが、ちらりとアリスの方を向くのが見えます。
――そんな反応をする子が、アリスを襲うなんてこと、ありえません。
アリスは、確信しました。目の前にいるのは、あの、アリスが舟の中で一緒に戦った、ケイなのだと。
「――――ケイ」
アリスは、ケイに両手を伸ばして。そして、ケイを抱きしめました。
きゅっと、手に力を入れると、ケイの体温を感じます。ケイの息づかいを、肩に感じます。ケイの心臓の音が、聞こえます。
温度があって、息をしていて、心臓が動いている。ケイがここに生きているのを、アリスの体で、感じます。
「アリスは、ケイに会いたかったです。ずっと、ずっと、会いたかったです」
アリスは、ケイが戻ってきたときのために、たくさんたくさん、準備をしてきました。
箱舟から下りた後、ゲーム開発部の皆で毎日日記を付けることにしました。ケイが戻ってきた時、こんなことがあったんですよって伝えるために。三冊目に突入した日記帳には、沢山沢山、ケイにお話したい思い出があります。嬉しかったことも苦労したことも、大変だったことも、全部全部、書いてます。その内容は、アリスの脳内にも、もちろん刻まれています。
「………………っ」
けれど。準備はたくさんしてきたし、言いたいこともたくさんあるのに。何かを言おうとしても、何も、言葉に出ならなくて。ケイの名前を呼ぶだけで、アリスは、精一杯でした。
「…………おう、じょ。……わた、しは、…………貴、女に……」
すぐ近くから、ケイの途切れ途切れの声が聞こえます。
分かってます、と。ゆっくりでいいです、と。大丈夫です、伝わってます、と。
そう伝えるように、ケイの背中をぽんぽんと叩きます。優しく、優しく。モモイがアリスにしてくれたみたいに、何回も。
「わた、しも…………お会い、した、かっ、たです…………王女………………」
「はい。アリスは、嬉しいです。とっても、とっても。……嬉しいです」
ケイをぎゅっと抱きしめます。
アリスの背中に回されたケイの手は、やっぱり温かくて。控えめに抱きしめ返された感覚が気持ちよくて。
アリスは、ずっと、ケイを抱きしめ続けました。