~ケイside~
私はケイ。――正確にはその呼び名も、王女に付けていただいた通称。
王女AL―1Sの力を発揮するための鍵となる存在で、王女と対になる存在。
箱舟ウトナピシュティムの中で、王女への代わりに失われて――そして。
王女の中で。王女を見守っているだけの存在だった。
私は、王女の視界を通じて、その景色を観測するだけの存在だった。周りからは一切知覚されず、認識されず、概念のような存在で――王女が日夜やっているゲームの中の言葉を借りるならば、主人公に関わることのない、見ていることしかできない神のような存在で――私は、王女の中に、在った。だけど、在るだけだった。……ほんの少し前までは。
――それが、今。私の目の前に王女がいて。
――体を得た私が、王女と、向かい合っている。
理由は分からない。原因も分からない。けれど私は確かに、王女に触れられて、王女と会話をした。
いつか、そうしたかった。いつか、王女を守りたかった。
――その願いが、叶ってしまっていた。
「ケイ。その体は、アリスと同じですか?」
「はい。王女の体を、……その、お借りしたときと、同じ感覚があります。おそらく、王女と姿形は同じものかと思われます」
王女は私を
王女は普段を過ごす仲間たちと話をするときのように、自然に、にこやかに、私に話しかける。遠慮がちな私を気遣ってか、王女の方から話しかけてくれる方が多い。
「ケイ。ケーイ。えへへへ。アリスは、ケイとこうやってお話したかったです」
「――――私、も。です」
満面の笑み、という言葉を表すならば、きっとこんな表情になるのだろう、と思えるほどの、王女の表情。
そんな王女にまっすぐに言われると。……私は返答に
「ケイ、知ってますか? アリスは、少し前にケイと一緒に大冒険をしたんです」
私と一緒に。王女が言う私とは、きっと、肌身離さず持ち歩いている、ロボット型のキーホルダーの事なんだと思う。
「モモイが勘違いでC&Cの任務を受けることになって、バニースーツを着たトキと一緒に、
「ええ、知ってます。見てましたから」
「――――! そうですね、モップにケイをくくりつけてましたから、アリスたちの活躍を見てくれてたんですね!」
それを私の形見のように思ってくださっているのは、それまで王女を介して見た様子からも、こうしてお話する中で聞いたものからも伝わってくる。……とは言っても、私を『くくりつけた』モップの扱いは、相当に乱暴だったようにも思える。そのおかげで幾度と無くヒマリに修理のお願いをしていた訳なのだし。
ただ、誤解は、早めに解いておいた方がいいと思った。――私は、それではありませんよ、王女、と。
「いえ、私が見ていたのは、そのキーホルダーではなく、王女の目を通して、です。私はずっと、王女の中に居りました。ただ、意志を伝える術も、声を届かせる術もありませんでしたから、ただ、王女を見守る、という存在でしたが」
王女は首を傾げて、それからぽん、と手を打ったかと思うと、何やら口元に手を当てて、何事かをしゃべり始める。
【……なるほど】
「――――ッ!?」
突然、どこからか声がした。
一瞬で心身が警戒状態となり、周りを見回す。どこからか敵が襲ってくるかも知れない、と目で見、辺りの気配を探っていると、ぽん、と柔らかい物が私の頭に乗る感覚があった。
「落ち着いてください、ケイ。ヒマリ先輩の音声通信です」
優しい王女の声色。そして王女に頭を撫でられているのだと分かると、警戒心は急激に薄れていく。
【精神と体は別で、精神がアリスの中、体が存在しない分データの形で外に出ていた、ということでしょうか? ……興味深いですね】
唸り声のような、考え込むような、そんな落ち着いた声が頭に響く。耳には何も付いていないのに声が響くという、妙な感覚だった。
「これから、ヒマリ先輩からケイへの調査は入りますか?」
【いいえ。それはまたいずれ。今は、アリスとケイが話す時間の方が大事でしょうから。そして私は誰かさんとは違って、盗み聞きは趣味ではありません。ですので私を呼んだときだけ、音声を繋ぐことにします。なので遠慮なく、二人でお話してください。おそらく、積もる話もあるでしょうから】
「ですって、ケイ。安心ですね!」
王女はそう言って、私ににこやかな笑みを向ける。屈託のない、満面の笑み。私が浮かべることはできない、心からの笑顔。王女の仲間たちと過ごすことで得られた、感情の発露。
私はその表情が、羨ましいと思う。私もいつか、そのような表情ができるのだろうか、とも思う。
「ヒマリ先輩!」
考えに浸っていると、王女がヒマリを――通信の向こうに居る相手を――呼ぶ。
【はい、超天才清楚系病弱美少女ハッカーのヒマリです】
ブツッとマイクの電源を入れたような微かなノイズ音の後に、先ほど聞いた声が、脳内に伝わってくる。
「このゲームに、モモイとミドリとユズを呼ぶことはできますか?」
【機器としては四台分ありますので、一応は可能です】
「――――――っ!」
王女は手を合わせて、途端に表情を輝かせる。
「ケイを、ゲーム開発部の皆に紹介したいです! ヒマリ先輩、明日、みんなでログインできるようにできませんか!?」
【なるほど、そういうことですか。いいでしょう。アリスが問題無くログインできて、現実と同じように歩き、座り、話し、他者に触れることができたのが確認できました。不思議な出来事もありましたが、アリスが問題ないとするならば、いいでしょう】
……不思議なこと、とは。私のこと、なのだろうと思う。
一人ログインしたら、二人分ログインしたことになっていた――となれば、余りに不思議で、いや、不思議どころか、不具合と言ってもいい。けれど、そのおかげで王女と会話できたのなら。それはきっと、いい方向での不具合、なのだと信じたい。もし可能であれば、また明日以降も、王女と――――。
「――――っ! はいっ、ありがとうございます! お願いしますね、ヒマリ先輩!」
【はい、分かりました。それではひとまず、今日はログアウトでいいでしょうか? アリスがログアウトした後、サーバー内にエラーが発生していないかを確認し、明日までに四人分のログイン状況は整えておきます】
「ケイは、明日もいますか?」
【現時点で確約はできませんが、設定回りは変えませんので、今日と条件は同じかと思います】
「分かりました。ヒマリ先輩、ログアウトは少しだけ待ってください。――ケイ」
王女はそう伝えてから、私の方に向き直る。
「ケイとお話できて、アリスはとても、とてもとても、嬉しかったです。また明日、お話しましょうね。今度は、アリスの大事な仲間たちと一緒です!」
王女はそう言って、私に向けて、小指を立てた手を見せてきた。
「…………?」
「指切りですよ、ケイ。約束をするシーンには、ゆびきりをするイベントがつきものです!」
王女と交わす約束――これまでの話の流れからすれば『明日またお話ししましょう』ということで。
――私にとっては、そうあったらいいなと、願っていたことで。
おずおずと、小指を出すと、王女の小指と、私の小指が、絡ませられて。そのまま上下に振られる。謎の呪文を唱えながら。
「ゆーびきーりげーんまーん、うーそつーいたーら針千本飲ーます! ゆーびきった! いいですか、ケイ、針千本ですからね! ――ケイ、それでは、また明日!」
王女が、また明日を望んでくれていると思えたのが、私にはどうしようもなく、嬉しくて。
口元が緩むのを感じた。
「……はい。また明日、お会いましょう」
「――――っ、はい! ではヒマリ先輩、お願いします!」
それから、ヒマリの【ログアウトします】という言葉が聞こえた数秒後、王女の体が、足元から徐々に光に変わっていく。頭の頂点まで光になったかと思うと、キンという音と共に完全に見えなくなった。
そして王女が見えなくなるのと同時に、私の体も、光に変わっていって――――。
◇◇◇
「アリス、おはようございます。体に違和感はありませんか?」
真っ暗闇だった視界が急に明るくなって、それから声が聞こえてくる。
視界が横へとスライド。車椅子に乗った幸薄そうな生徒が、こちらを見ている。
「はい、アリスは万全です!」
「それは何よりです。それでは明日に向けて準備をしますので、アリスはゲーム開発部の仲間たちと予定を合わせておいてください。……そうですね、十時以降であれば、大丈夫だと思います」
「十時ですね、分かりました! パンパカパーン! アリスはヒマリ先輩との予定を取り付けた!」
嬉しそうな王女の声がする。それから、ヒマリはこちらを見て。
「アリスの中に居るケイにも、言っておいてください。おそらく、今日と同じ状況になるでしょうから」
ヒマリが、王女に話しかける。
「大丈夫です! きっと、聞いてます!」
――ええ、聞いていますよ、王女の中で、王女の耳を通して、しっかりと。
――それを、王女に伝える術は、ないけれど。
そして王女は、特異現象捜査部の部室を出るやいなや、廊下を走り出した。
廊下を走ってはいけませんと、ユウカや先生などから何度も注意されたにもかかわらず、王女は全く変わらない。
特に――こういった楽しみなことがあるときはなおさら。ゲーム開発部の部室に向けて、全力で駆け抜けていく。
王女、誰かにぶつかって怪我などをしなければいいのですが……と毎回ハラハラさせられるものの、今回も無事、ゲーム開発部の部室にたどり着いた。
「モモイ! ミドリ! ユズ! 緊急クエストです!」
扉を開くなり、王女はそう言い放つ。
電気が落ちた部室の中は、ブラウン管のテレビだけが光を灯していた。
ゲーム開発部の部室は、普段であれば、モモイとミドリが隣り合ってゲームをしていて、ユズがソファーか、もしくはロッカーの中に居るはずなのだけれど――。
「……あれ、誰もいませんね」
王女の目が時計を捉えると、針は夜の二十二時を指していて、普通の生徒なら就寝の時間だった。王女曰く『デスマーチ』中ならともかくとして、今はそれほどでもないのだろう。
「……仕方ありません。モモトークで連絡を取ることにしましょう」
王女はそう独りごちてからソファに座り、スマホを操作し始める。いつも使っている通信アプリを開き、【緊急クエストです!】【明日九時五十分に部室に集合をお願いします!】と打ち込んで、ふふ、と笑みをこぼして、そしてソファに横たわる。
王女は、寮の部屋に帰ることをしない。基本的にここ、ゲーム開発部の部室が家のようなもの。クッションを胸に抱いて、いつもの休眠モードに入るのだと思っていると――。
「あ」
一言鳴いて、それから電気を付ける。
王女がポケットから取り出したのは、今日ヒマリから直してもらった、ロボット型のキーホルダー。それを手の平に載せて、顔を近づける。
「ケイ。……ふふ、ケーイ。明日が楽しみですね」
そして、私に、話しかける。
「アリスは、ケイがゲーム開発部の皆と仲良くなれると確信しています。だからケイは、安心して、皆と会ってください。モモイも、ミドリも、ユズも。みんな、アリスの大事な仲間で、とても、優しい人ばかりですから」
つん、と私の頭を指先で突く。
「ゲーム開発部の皆と、冒険しましょうね、ケイ」
そう、優しい声色で、話しかける。
――王女、ゲームの中での私の話を、聞いていなかったんですか。
――私は、そこにいません。私は、王女の中にいます。
――――でも、私に触れてくれているのは、嬉しいなと、思います。
「それではケイ、おやすみなさい」
――おやすみなさい、王女。
私の言葉は、今は伝わらないけれど。
明日また会えたなら。声にして伝えたいと、そう思った。