彼との出会いは、確か小学校の時だったように思う。
小学校五年生。僕が人生で一番元気だったその時に、彼は僕の親友となった人間だった。
彼が転校してきたとき、皆は若干の物珍しさを持って接した。
それはそうだろう。僕もそれが無かったと言ったら噓になる。
娯楽の少ない田舎において、都会からの転校生というビッグイベントは校庭での鬼ごっこよりも優先されるものだった。
皆が彼に絡んでいく中、僕は校庭でボールを弾ませていた。
実のところ、ただ気恥ずかしかったのだ。
自分が田舎の出で、東京の人から見れば足らぬところがどれだけあるのか、その時の僕には及びもつかぬほどだった。
「ねぇ、何してるの?」
一体どうやったのか、彼は戦場と化している教室から抜け出して、僕に話しかけてきた。
「ボール、弾ませてる。みんなお前のことが気になるみたいで、俺と遊ばないから」
「ふーん。つまんないでしょ、それ」
思わずむっとしたが、つまらなかったのは本当だった。
いけ好かない変なやつが転校してきたな、と少しうんざりするような気がした。
とどのつまり、僕は彼に心を見透かされているようになったのが、ただ気に食わなかったのだと思う。
「こっち投げてみてよ、そしたら僕が投げ返す。そしたらちょっと面白くなるよ、たぶん」
少なくとも、そこで土に跳ねさせているよりは面白いと思うよ、とにやりと笑う彼のことを。
そこで友と認めてしまったのは、事実なのだろう。
無言でボールを投げたその時の僕は、それに気づいていなかった。
「なぁ、断捨離しよっかなと思うんだけど」
それから随分と経って、僕らは大学生になった。
結局は東京に逆戻りした彼に、高校まで一緒になった僕は折角だからと志望校を同じところに決めた。
特にやりたいことも見つからない十八の少年には、親友の存在が指針を決めるには十分なものだった。
「断捨離? そんなに部屋散らかってたっけ。今だって片づけしなくても充分なくらいだろ」
唐突にそんなことを言い出した彼に、僕は変な顔を向けた。
「いやー、この前ネットで見てさ。物を減らした方が部屋の見た目も良くなるし、嫌なもんも落ちるっていうらしいのよ」
「あるかもしれないけどさ……オカルトとか信じる方だっけ?」
そういうのじゃないよと笑いながら言うので、思わずつられて笑った。
まぁ、珍しいというぐらいで別に僕に不都合なこともない。
君がそういうのであれば手伝ってやるくらいはしてやろうと、煙草の火をもみ消して言った。
「しかし、ここから何を断捨離するのさ」
着いた彼の家は、前に見た通り。いやむしろ、より物が少なくなっているようにも思えた。
実際のところ何があって、何がないのかは覚えていないが。
思えば、僕らはお互いの家に来ることはあまりなかった。
「まぁ、実のところあんまり決めてなかったな」
「決めてなかったって……君が言い出したんだろう? 減らすものがあるから断捨離ってのはするんだよ、普通」
「物を減らせば断捨離になるだろ」
これはいる、これはいらない。ぶつくさ言いながら部屋の中のものをより減らそうとする彼の姿は、一種異様なようにも思えた。
話題のミニマリストというやつだって、ここまで減らすことはあるまい。
棚がいくつか、それに必要な日用品が数少なく置いてあるぐらいで、パソコンと著者が同じ数冊の本以外は彼の趣味に使うようなものなどあるようには見えない。
なんだって、ここから物を減らす必要があるんだ?
「これは……まぁいらないよな」
「おいおい、それ捨てるって、本気?」
思わず止めに入った。
彼がゴミ袋に半分まで入れているものは小学校の卒業アルバムで、確かに要らないと言えばそうなのかもしれないが。
それにしたって、これを捨てるのはないだろう。
「僕たちがお互いの卒業アルバムに名前書いたの覚えてない? 流石にさ、それは残しとこうよ」
「あぁ……そうだったっけ?」
じゃあ、残しとくかーと言って他の捨てるものを探す彼を見ていると、少し怖くなる。
なんだろうか。彼が遠いところに行ってしまいそうで。
数時間前まで、いつもと変わらず話していたはずなのに。
なんだろうか。この不気味さは。
分からない。分からなくて、怖い。
それはおおよそ、親友に対して抱く感情でないはずなのに。
「じゃあ、これで大体は終わりだな。助かったわ」
結局、その後は普通に断捨離を手伝った。
手伝ったといっても、僕の目線からは何も捨てるようなものが見当たらなかった。
だから、ゴミ出しを代わりにやったぐらいのものだが。
「大体って……これ以上捨てるようなものなんて本当に無いだろ。最後は自分まで捨てることになっちゃうかもよ?」
「はは……さすがに、捨てるものの区別ぐらいはできるっての」
そう言いながら笑っている彼の顔を見て。ああ、変わらないなと感じた。
僕の親友は、変わってはいないのだと。
どんどん物がなくなっていく部屋に対して、自分の思い出だけは捨てられず。
それは、彼が僕を手放していってはしまわないかという、微かな不安が心中にあったから。
だから、僕はひどく安心をしてしまったのだ。
それから、暫く普段通りに学校生活を過ごしていた。
ふと異常に気付いたのは、彼が学校の講義に二日ほど出席していないことからだった。
いくつか同じ授業を取っているので、僕たちは互いが休めばすぐに感知できていた。
故に、今。彼の家の前に僕がいるのは、自然なことだった。
「うーっす。遊びに来たぞ」
インターフォンを鳴らしたが、返事がなかったので扉の取っ手をひねる。鍵はかかっていなかった。
不用心なこともあるものだと、何でもないように戸口をまたいで声を奥にかけてみる。
「おう……まぁ、上がってけよ」
「なんだ、いるんじゃないか。居ないものだと思ってたよ」
呼び鈴鳴らしたんだから出ろよなー、と文句を言いながら、廊下を歩いて部屋へと行く。
一つ、違和感に気づいた。
廊下に置いてあったはずの、電話台が消えている。
壁に掛かっているということもなく、電話ごとだ。
なんだろう。
変な、感じだ。
少し歩を早め、部屋の扉を開ける。
強めに音を立てて空いたその部屋の中では、彼が床に寝転がっていた。
「おい、大丈夫か?」
彼を目にして一言、まず声をかけた。
ベッドがあるのに床に寝転んでいるのはおかしいと思ったからだ。
でも、おかしくはないんだ。
部屋にはベッドがない。家具がない。
テーブルが一つ。そこに写真立てが一個置いてあって。
その他は、置いてあったパソコンも、棚も、座布団に至るまで何もない。
「おう……まぁ、少し疲れてな。断捨離してたんだよ」
「はぁ?」
断捨離? 断捨離だって?
これが断捨離などと言えるものかよ。
部屋の中にテーブルが一つ。
それ以外何もかも、全て捨てるなんて。
「お前……どうした? 何があったんだよ」
眼の前の彼は、友達だ。
例え、何か精神に異常をきたし始めていたとしても。
だから、なにか……なにか。
彼がつらい事か何かによって、苦しんでいるのだとしたら助けてあげたい。
「何も……何も、ないよ。ただ、断捨離をしてたんだ。必要だから」
でも、それは……今じゃないのか?
彼は、僕に助けなんて求めていないのだろうか。
彼が僕に、手を伸ばし返してくれないのなら。
僕が手を伸ばすのは、今じゃないのかもしれない。
「……そっか、分かった。じゃあ、今日はさ、帰るよ」
「おう……まぁ、何。心配かけて悪かったな」
そんなの、気にするんじゃないよ。
僕は取ってつけたような笑みを見せて、彼の家を出た。
笑みは、一瞬だけしか持ってくれなかった。
暗い目を彼に見せるわけにはいかないけど、でも、どうしたらよかったんだ?
家に戻っても、ずっと。この選択が正しかったのか分からない。
頭の中で現実と空想が混ざり合って、堂々巡りを繰り返している。
彼の死体が発見されたと聞いたのは、それから一週間後の事だった。
多分最初は、友人がみな一様に彼の悪口を僕に話したことから始まった。
彼に限ってそんなことはないだろう。
そう思えるような話が皆の口から飛び出してくる以上、それを信じるしかないのだけれど。
今考えると、きっと彼は断捨離をしていたのだろうな、と思う。
煩わしい人間関係も棄てていたのだろう。
断捨離の時の彼の価値基準は、役に立つか立たないかが軸にあったようにだったし。
家の中、テーブルと写真のみで過ごしていた彼を思えば。そのようなことはあまり不思議に思えなかった。
友達にメッセージを送りながら家でテレビを見ていたら、怪事件が目に映った。
自分を袋に縛って、ゴミに出した人が居たのだという。
まさか、とは思ったが。
テレビから目が離せなくなり、ついには涙が溢れだすまでは。
それを信じられずにいた。
通夜と葬式が終わっても、まだ実感が湧かなかった。
彼が、ゴミ袋の中で首を掻っ切って死ぬような人間だったとは思えずにいた。
あの写真立て。
彼が最後テーブルの上に置いてあったあの写真立ても、テーブルごと無くなっていたらしい。
きっとそれが最後だったのだろうなと思う。
彼の部屋は、最初から誰も使っていなかったかのように綺麗だったそうだ。
何も物が置いてなく、空っぽの部屋。
でも僕は、少しだけ嬉しかった。
彼が最後に自分の元に置いておいた物が僕との思い出だということに気づいたから。
どんなに苦しくても、それだけは僅かな救いだった。
一か月ほど経ってもあまり物事に意欲を取り戻せずにいた。
家でゲームをして、物を食べて、寝るばかりの生活。
部屋にゴミばかりが溜まって、ゴミのようなコミュニケーションだけを取って生きる生活。
これではいけないのかもしれない。
ある日、そう思った。
断捨離をしよう! という本がインターネットの広告で目に入った。彼の家にもあったものだ。
少し気になって目を通してみた。断捨離は必要だった。
どんな過程があったにせよ、彼は死んだ。
僕はそれを捨てて生きていかなくてはならない。
「断捨離するかぁ」
一言、僕はそう呟いた。