神楽は狭間に奉る   作:debac

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第十話 あの時も言ったでしょ

 

 

 第三屋内演習場。この建物は、IS学園の敷地内に建設されていながら利用頻度は低く、存在すら覚えがないという生徒も少なくない。故に、雨風にさらされる外観はそれなりに痛んでいるが、内部にはまだ塗装した直後の薬品のような鼻につくにおいが漂う。そんな寂れた空間の一角にあるブース内で、サビついて古びたパイプ椅子が人の重みに軋む音を立てた。

 

「海人。私はな、生活用品の買出しとしてお前を外出させたつもりだったんだが」

 

 千冬は向かい合って座る海人に向けて苦々しい表情を浮かべる。

 

 息抜きを兼ねての買出しを海人が済ませたのは昨日の事。そして、彼女から連絡を取る手段、つまりスマートフォンを求めている事を告げられた時は、言われてみれば確かにその通りだと納得こそした。

 

 勿論、そんな取り留めもないやり取りが千冬の目つきを鋭くさせる理由ではない。無事に外出を終わらせた海人が、真耶より預けられていた残金と共に何気なく渡してきた一枚のメモ用紙。そこに書かれている事を一読した時、思わず千冬は天井を仰いでしまった

 

 曰く、海人がモールで買い物中に六角誠二という名の、海人の正体を知り得るであろう男と遭遇した事。IS学園に流れ着く前の海人は、八城亜麻という名の少女であったかもしれないという事。そして、この二人はとある仕事を受けた仲間だったという事。

 

 要所々々で海人より補足を受けながら、千冬は改めてメモに書かれた内容を読む。その真偽を、今この場で判断する事は出来ない。その上で、海人の説明が、彼女らの請け負ったであろう仕事の話になった途端に歯切れが悪くなっていく様子を目の当たりにし、こうして人払いされた場所で彼女がメモを手渡してきたその意図を、千冬は早々に察してしまう。

 

「偶然であったとしても。自分の手がかりを見つけてきた事は。まあ、良しとしよう。それは、私達にとっても必要なものだ。たとえ、その過程で何があったとしても……な」

 

「……ありがとうございます」

 

 千冬の頭の中で、幾つもの単語が跳ねるように巡る。僅かな気の緩みで口から漏れ出そうになってしまう。しきりに言葉を詰まらせながらようやく出てきた言葉は労いのような何か。それでも、海人は頭を下げて感謝の態度で返してきた。いよいよ返す言葉を無くす千冬は、ただ黙って彼女が頭を上げるのを待つ事しか出来なくなる。

 

「俺は自分がここに来る前の事を思い出したい。誠二からは八城亜麻という人間の事はそれなりに聞きました。でも、どれだけ聞いても、自分の事だという実感が湧きません。濡れ衣を着せられているような、とても嫌な気分です。

 多分、今の俺にとって。俺が誰なのか。どんな人間だったのか。それを知る為ならあまり手段にこだわっていない、と思っています」

 

 だが、海人は顔を上げようとしない。誰に向けてのものなのか、吐き出すように続く言葉は、徐々に震えを帯びていく。

 

 そこにあるものは焦りというにはどこか正確性に欠けていた。そして、この事を裏付けるように、千冬の中で嫌な想像が膨らんでいく。じめっとした汗が、手の甲に浮かび上がる。気がつけば背もたれに大きく身を預けすぎて、椅子に座る姿勢が崩れていた。身じろぎと共に座り直す。全身から力みが抜けた為か、内なる圧迫感はたちまちにしぼんでいく。

 

「一つはっきりさせておく。お前の立場は、お前や私達の思う以上に危うい」

 

 咳払いの後、わずかに語気の強まった言葉が千冬の口から発せられる。海人は顔を上げると沈黙したまま頷いた。その肩は小さく震えていたが、視線に怯えは無かった。肯定の意思を垣間見た千冬は、覚悟を決めたように前のめりとなり、海人の瞳を覗き込んだ。

 

 IS学園に漂着した身元不明の少女は、IS操縦者であり、専用機と思しきモノを所持してるが、その出自は不明。それが、海人という人間について現時点で分かっている事だった。彼女を知るものは見つからず、足取りはまるで幻。その中で、たった今新たに手にした手がかりは、彼女が後ろめたい事に関わっていたのではないかという疑念。益々、彼女を外部に引き渡すという選択肢は取りにくいものとなってしまった。

 

 対応にまごついて、後手に回ってばかりだ。海人が失踪するという最悪の事態も十分にありえた。それこそ考えうる限り最悪の事態だった。だが、海人は今、怒りと恐怖に苛まれながら、その手がかりを渡すべくIS学園に戻るという決断をした。この事実は、千冬に少なくない驚きと共感を与える。つまり、どうしようもない孤独を抱える海人にとってここ以外に頼る事の出来る場所が無いという現実を、彼女なりに納得しているという事を。

 

「だが……そうだな。何をするにしてもその前に。ひとまずテンダーラヴは整備に回そう」

 

 気がつけば、千冬の表情から先ほどまでの苦々しいものは薄れていた。そして、不意に飛び出した発言に唖然とする海人に、どこか呆れたような表情を向ける。

 

「この間の山田先生との模擬戦でひどく消耗しているだろう? 念の為、点検ぐらいはしておいた方が良い……と、そういう事にしておく事が、今回の一先ずの落とし所だ」

 

 我ながら甘いと内心呆れながらも、千冬は自身の判断は誤りではないと思った。外出している中で、海人の身に何があったのか。全て打ち明けていないのは明らかだ。例えば、ISを使わざるを得ない何かがあった、とか。だが、追求したとしてもきっとそこに真実は存在しない。ならばこそ、今はまだ、目の前で呆然とする海人という一人の少女に対して真摯であるべきなのだろう。

 

「それとは別に、八城亜麻という人間についてもこちらであたってみる事にする。六角誠二という男についても、だ。我々は警察ではないが、そういう事を調べられるツテは持っているからな。そこで出てくるであろう事実を照らし合わせた上で、改めて判断しよう。無論、その内容によっては厳しい判断を下す事もあるだろう。

 ……なに、心配するな。この学園の設備は、ことISの研究に関していえば。世界中のどの機関にも劣らない。それに、お前がこの学園の中にいる限りは、私達も協力する。それだけは忘れないでくれ」

 

 ようやく、自然な気遣いがその内側より姿を見せた。実際、この時の彼女の中には一つの結論があった。いささか独断専行だったが、IS学園の職員の誰もが海人という人間に対して似たような感情を抱いている。そんな中で、海人の保護役を事実上任されてしまっているが故に、この決断は結局のところ遅いか早いかの違いでしかない。それに、乱雑に散らばる事実から必要なものを取り出して一歩前に進む事は出来た。その実感を得られただけでも、十分に意義ある時間だった、と。

 

 

 

   ◇

 

 

 

 IS学園の一日のカリキュラムが終わる頃にはようやく日も傾き始める。だが、夏の暑さが引く事はなく、熱を吸収しきった歩道のアスファルトから陽炎が立っている。その上を、お揃いのユニフォームを身に着けた女生徒の一団が息を合わせた掛け声を上げながら走っている。彼女らの声は、少し離れた、歩道脇に植えられた街路樹の影に佇む神楽と海人の耳にもよく通るものだった。  

 

「そういうワケで、近々テンダーラヴを点検してもらう事になったよ。俺がここに来て直ぐにもそんな話あったけど、その時はウヤムヤになってたんだよな。まあ、今回は織斑先生から声かけてくれたから、きっと大丈夫だろ」

 

 海人はため息を吐くようにそう話すと、柵に背中を預けてそのまま体を伸ばした。十二分に伸ばしきった所で、ほんの僅かに顔が歪む。すると、緊張していた体の力は一気に抜けてダラリで両腕が下がる。相変わらず一回り大きいIS学園の制服の袖口が、ずるりと落ちた。指先まで隠れてしまった事に気づくと、ぐいと袖をまくり上げて柵から身を離す。そして、一旦間をおくと再び口を開いた。

 

「ただ、六角に案内されたビルで遭った事は……妙な攻撃を受けた事は、黙ってしまった。織斑先生のあの様子だと何があったのか、察してはいるかもしれない。……でも、言えなかった」

 

 最後に吹き出すように苦笑いを浮かべると、目を背けるように遠くで移ろいゆく白波へとその顔を向けてしまう。

 

 一方、隣で手すりに腕をかけていた神楽は僅かに目を潤ませながら、ただ黙って海人の様子を伺っていた。神楽の中には、昨日の買い物の途中で唐突に一人残されてしまった谷原理子へのフォローによる気疲れもあった。無論、理子がその事を何時までも蒸し返すような心の狭い人間ではない事は重々承知している。かといって、その甘さに流されてしまう程、神楽も悪い人間でも無い。つまるところ、お互いに良かれと言う気持ちが嫌な絡み方をしてしまったのである。放課後になる頃には、むしろ理子の方から気を使われる程になってしまっていた。今、こうして神楽が海人の側にいるのは、理子よりそう促されてしまったからだ、という一面もあるのかもしれない。別れ際、理子から「また後で」と声をかけられた事が、何度も心の中で繰り返される。

 

 しかし、そんな中にあっても、神楽の眼差しには決意めいたものがあった。故に、彼女の口元が時折震える理由というのは、恐怖や苦悩、というよりも、何かタイミングを測りかねているような、躊躇からくるものなのだろう。

 

 過去をたどる為に老ビルを訪れた事、そして、そこで起きた事に口を噤んでしまった事。わがままと表現してしまえば、問題を矮小化している事に他ならない。きっと、それは正しい事でない、と神楽は思った。そして、思考がそこに至った瞬間、彼女の中で渦巻いていたモノはピタリと止まる。たちまちに、それまでいびつだった言葉の形が整えられていく。彼女の関心事は、どこか遠くへと離れていく。

 

「あの時も言ったでしょ。海人君についていくと決めたのは私だって」

 

 神楽は首を横に振る。出てきた言葉は、昨日、老ビルで海人へと向けたそれと全く変わる事のないもの。そして、体ごと海人の方へと向き直る。彼女の表情は、太陽の光を受けてほのかに輝いていた。

 

「それに、ね。私だって、八城亜麻って人が何者なのか。海人君とどういう関係があるのか知りたい。でも、それと同じぐらい、海人君にここに来てからの思い出も大切にして欲しい。多分それが、私が海人君のそばに理由だと思う」

 

 その発声は、神楽自身も驚く程に凛としたものだった。そして、その声に満ちる強い意志が、彼女の中のとある記憶を引き上げていく。衝動は止まらなくなっていた。

 

「実はね。私の家、四十院家って旧華族で、昔はそれなりに大きかったんだって」

 

「……それじゃあ、神楽さんはいわゆるお嬢様って事か?」

 

「ふふ、そんな大げさなものじゃないよ。まあ、確かに家はそれなりに大きい……とは思うけど。それはお祖父様の代よりもずっと昔の話だし。だから、私が覚えているものは、誰かから聞いたことのあるだけの、実感の無い思い出ばかり」

 

 驚き顔を強張らせる海人にいたずらっぽく神楽は笑みを浮かべる。そして、少しだけ柵に体重をかけると、海人の反応を待たずしてさらに話を続けた。

 

「お父さんが言ってたの。思い出はこれからの日々に必要なものだけど、でも、全部は持っていけない。いつだって、どれかを選んでいかなきゃならない。残されたものはやがて跡形も無く消えていくって。そして、何度も何度も選び直していく内に、思い出は自分にとって都合のもので溢れかえる。次第に、何故それを選んだのかもわからなくなってしまって、どうしようもなく淋しくなって何処にも行けなくなる。

 海人君にとって八城亜麻という人の思い出はこれからに進むために必要なもの。でも、それだけだと淋しい。……自分が選ぶ思い出も探していこうよ」

 

 そこまで言って、神楽はほのかに顔が熱を持っている事に気がついた。もしかしたら、赤らんでいるのかもしれない。急に気恥ずかしさを覚えて、海人より視線を切ってしまった。そして、偶然なのか、その先にあったのは彼女にとって、大きな実感のある思い出の場所だった。

 

「あの場所」

 

 全く無意識の内に神楽はこう呟くと、柵の向こう側を指差す。50メートル程離れた場所の、僅かに苔の生えた岩肌を。

 

「海人君は、あの岩陰に倒れていたの。それを、私が見つけた」

 

 海人の瞳は、自身にとって身に覚えのないその岩肌をじっと見つめる。

 

「そう。海人君にとっての思い出の始まり。でも私にとっては多分、それは少し違う。……私にとっての始まりは、もう少し前」

 

 ただ静かに見つめ続ける海人に向けて、神楽はぽつりぽつりと話し始めた。

 

 それは、今よりももっと以前。神楽が海人を助けた時よりもさらに遡る。神楽がIS学園に入学する前日の事。この物語の、本当の始まりの日の事。

 

 

 

 

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