神楽は狭間に奉る   作:debac

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第十五話 これがあたしの素だから

 

 

 一台の白いワンボックスカーが、曲がりくねった海岸線沿いの道路を走り続ける。日は既に沈みきって、真っ暗となった前方をハイビームのヘッドライトが眩しいぐらいに照らす。朝の天気予報の通り、一日土砂降りだった雨は今なお益々強くなり車窓を激しく叩いていた。

 

 その車の後部座席に座る上下グレーのジャージ姿の少女――八城亜麻――は、モニターのように真っ黒となった車窓を退屈そうに見つめる。そこに映るはずの自身の顔は、鼻筋の上に浮かぶそばかすごと窓を叩く大粒の雨によってひどく歪んでいる。

 

 代わり映えなどしない光景に嫌気がさして、顔を正面に向ける。車内は暗いが運転席と助手席に男がそれぞれ座っている事は分かる。しかし、どちらも顔なじみという程の仲ですらない。単に、今回の仕事をするにあたり一時的に同行しているだけだ。だから、出発してからずっと続く彼らの会話にまるで興味が沸かない。

 

「おいおい、これからお仕事だってのに随分辛気くさいじゃないかよ」

 

 ため息を聞かされてしまったのか、助手席に座る男が呆れた口調で話しかけてきた。髪は無くつるつるで、嫌がらせのように車内の僅かな光源を反射させる。仕事の打ち合わせの際、彼は中丸と名乗っていた。運転席に座る天然パーマの男は藤沢と言って、無愛想気味に淡々と喋る口調が妙に印象に残っている。

 

「愛想悪そうに見えたらごめん。これがあたしの素だから」

 

 亜麻は、バックミラー越しの視線から逃げるように再び車窓の外を見た。地肌の見える斜面はすぐ側を流れているというのに、たった一枚の車窓を隔てて酷く遠くにあるように思えた。

 

 この時の亜麻の中にあった感情は、一言で言えば後悔だった。中学を卒業するにあたり住み込みで働く事の出来る場所は見つけた。しかし、自分の得られる稼ぎは決して十分とは言えない。そんな中で見つけた臨時の仕事の割の良さに惹かれ、熟慮しないまま応募した。

 

 そう、仕事。これからとある閑静な住宅地に向かい、とある人から荷物を受け取って戻ってくるだけ。一言で終わる簡単な内容の仕事は、日当として十万だと聞かされている。だが、わざわざ荷物を誰かに送るというのなら相応の配送業者や手段などいくらでも存在するというのに、どうして顔も名前も知らない人達が間に入るのか。

 

 その違和感は、亜麻が自分の受けた仕事がまっとうなもので無い事に気づかせるには十分すぎるものがあった。受け子、という詐欺の片棒の存在もすぐに知った。つまり、今回の仕事も荷物を運ぶという説明を受けたが実際にはそうでは無い。自分が、ニュースで報じられる側になってしまったのだと気づいてしまった。

 

 或いは、最初に違和感に気づいた時、誰かに相談すれば良かったのかもしれない。しかし、後悔後先に立たずとは良く言ったもので、仕事の説明を受けた時点でもう手遅れなのだと悟った。仕事に必要だからと伝えた自身の事を思い起こしてゾッとする。このまま取り決めを反故にすればどうなるか。冷静になる頭の中で思いつく事はそう難しい事ではない。自分の選択に余地など、もう無くなっていた。

 

 前の二人は、果たしてこの仕事の後ろめたい部分を理解しているのだろうか。

 

 彼らは、元々顔なじみだと聞いた。だから今もこうして、まだ手にしていない金の使い道についてあれこれと楽しそうに話をしているのだろう。きっと、彼らにしてみればこれは単なる金稼ぎの手段の一つでしかないのだ。

 

 亜麻は、胸の内にむかつきを覚える。どうして自分の人生は、こうもマイナスばかりが続くのか。自分は、親と呼べる存在を知らない。普通なら、誰もが思い浮かべる事の出来る人間を、自分は知らない。学校にいる間、奇妙なものを見るようなあの嫌な視線を受ける理由がこれである事が分からない程自分は馬鹿では無い。悔しくなって、施設に帰ってきた時に泣き叫んだ事もあったが、その度に、自分の居場所である事を施設は示してくれた。

 

 だから、何かしらの形で恩を返す事で、少しでも自分の立っている場所をプラスにしたかった。そうでなくとも、少しでもゼロに近づけたかった。しかし、いくらあがいたところで、既に自身につけられたマイナスの要素に比べて自分が得られるプラスというのは実に小さいという事に気づいてしまった。そして、次第に人生とは結局の所引き算なのだと信じるようになってしまっていた。

 

 クラスメートで人気者だった子がいた。常に彼女の周りには友人がいた。そんな彼女は親もいて、そして裕福な家庭なのだとといつも言われていた。元から大きなプラスを持っていた。例えば、先生に怒られるというようなマイナスなんて大した事では無いと言える程の。

 

 一方で、自分はどうだ。友人なんてよく分からない。いつでも、あのおかしなモノを見るような視線を向けられる。そんなマイナスまみれの中で得られるプラスは、果たしてどれほど自分を前に進める事が出来るというのか。恨みのような感情を抱く一方で、こんな事を考えてしまう自分がみすぼらしく思えるようになって、益々嫌気が差す。

 

 そして、その積み重ねの結果がこれだ。自分に挽回のチャンスなど、きっと巡ってくる事は無い。目元に、じわりと涙が溜まる。思考は深く、暗いところに沈みつつあった。

 

 突然、車にブレーキがかかった。強い慣性で体がガクンと前のめりとなり、額が運転席のシートにぶつかる。クッションが効いて傷みは無かったが、思考が無理矢理引き戻される。何事かと顔を上げる亜麻の耳に、中丸達の会話が入ってきた。

 

「なんだなんだ」

 

「土砂崩れでも起きたのか。トラックかあれ? 半分ぐらい飲み込まれてるぜ」

 

 亜麻は目を凝らし、車のヘッドライトに照らされた光景を見た。道路の半分ぐらいが土砂で埋もれていた。すぐ側の斜面がえぐれて木の根が露出している。この雨で流されたのだろう。そして、一台のトラックが横転していた。藤沢の言うとおり車体はおろか荷台部分の半分程が土砂に飲み込まれている。どうやら走行中に斜面が崩れ、その勢いに飲み込まれるままに横転してしまった、という状況のようだ。

 

 当然の事ながら、横転したトラックが動く気配は無い。ただ、ブレーキランプは点灯したままだ。

 

 亜麻は胸騒ぎを覚えてドアレバーに手をかける。目の前で起きた土砂崩れは小規模だが次が無いとは限らない。なにより、運転手がまだ中に残っているとしたら。

 

「……おいてめえ、なにやろうとしてやがる」

 

 だが、すぐに肩を掴まれシートに押しつけられた。中丸が助手席から身を乗り出し顔をひくつかせ睨みをきかせている。彼の指先が肩に食い込み、亜麻は痛みに顔を歪める。

 

「あのトラック、中にまだ誰かいるかもしれないでしょ……!」

 

「ああ? なんで俺達がそんな事しなきゃならないんだよ。道はまだ通れる、さっさと仕事終わらせて帰ればそれで良いんだ。余計な事するんじゃねぇよ馬鹿」

 

 一方的に責め立ててくる中丸の言葉に、亜麻は彼が正気とは到底思えなかった。目の前で起きている災害を、そして、そこで起きている事実を、何故こんなにも苛立たせて見過ごそうとしているのか。視界の隅では、藤沢が横目で睨むようにこちらを見ていた。二人とも、こちらに非があると考えている。亜麻は、途端に恐ろしくなった。彼らが自分とはまるで違う生き物のようで、そして、そんな彼らと同じ空間にいるという事実に。

 

「あ……あたしは……」

 

 体が震える。この仕事に応募した時に感じたものとは比べものにならない何かどす黒い感情が、体の内側から燃えるような熱となって広がっていく。

 

「あたしはもう嫌!」 

 

 自分の中にあったあらゆるものを吐き出すように亜麻は叫ぶと、中丸の手首に噛みついた。中丸の顔は苦悶に歪み、ぎゃっと小さな悲鳴を上げる。そして、肩を押さえつけている力が緩んだ隙に、亜麻はドアを開けて雨が降り注ぐ中を転がり落ちた。大粒の雨が降り注ぎたちまちに体がずぶ濡れになったがそんな事はまるで気にも留めず、体が肌寒さを感じるよりも早く立ち上がり、横転したトラックに向けて走る。後ろから怒鳴り声が聞こえた。

 

 この時、亜麻にはその自覚こそ無かったが、体が震えていたのはきっと寒さからではなく体を裂くような覚悟からだったのだろう。

 

 勢いそのままに、土砂に飲み込まれたトラックの前へと回り込む。運転席の殆どは土砂に飲み込まれていて車内の様子はまるで分からない。ただ、こちら側を覗き込むように点灯したままのヘッドライトが片方だけが露出している。

 

 中に誰か人がいたとしてもこのままでは到底脱出出来ない。あたりに泥臭い臭いが漂っている。雨脚が弱くなる様子は無い。地滑りがもう一度起きてしまったならば。焦りを覚える亜麻は片手間にスマートフォンを取り出す。

 

 だが、今まさに緊急通報を始めようとした瞬間、背中に強い衝撃を受けて全身をトラックに叩き付けられた。鈍い衝撃が走り周り、力が抜けていく。手にしていたスマートフォンは弾き飛ばされ、水たまりの上を滑っていく。

 

「っこのクソガキが……!」

 

 怒りに震える中丸が、亜麻の胸ぐらを掴みトラックに体を押しつける。続けて蹴り上げられた足が、亜麻の腹にめり込む。彼女の口の中に強い酸味が広がると共に、体が後ろへと跳ねる。力任せに蹴り上げられた体がまともに受け身を取る事など出来るはずもなく、そのまま地面へと倒れ込んだ。

 

「中丸さん、あんまり殴った蹴っただと後で怪しまれる。目立たないところ何発か痛めつけて自分の立場理解させりゃそれで良いでしょ。最悪、車の中で縛り上げて俺達で仕事終わらせれば良い。それと、ずぶ濡れのままだと仕事もやりにくい」

「はっは。そりゃそうだな」

 

 意識が揺らぐ中、亜麻はうっすら瞼を開ける。傘を差す藤沢と、その傘の中に入り話をする中丸の姿が見えた。不思議な事に、二人の楽しげな様子は、たった今自分を殴りつけた人と同一人物には到底思えなかった。

 

 だが、そんな中でも中丸が笑いながらも拳を握りしめる様子が見えた。ギラリとした目線が、こちらに向けられる。

 

 ああ、やっぱり自分は酷い目に遭うんだ、と亜麻は思った。ほんの少しでも、自分がプラスだと思った事を選択したとしても、結局自分はマイナスの方に引き戻されてしまう。それは、自分が生まれた時からずっとマイナスだから。

 

 きっと、自分のこれからはこうやってマイナスのままなのだろう。

 

 認めたくはなかった。だが、自分の中に諦めが生まれた。同時に、妙な安心感があった。ならばこそ、自身に近づく嫌な現実を少しでも見たくなくて、亜麻は瞼を固く閉じて顔を伏せた。

 

 

 

 

 

 

「ぎゃ」

 

「ら」

 

 だが、真っ暗な世界の中で、バチンと大きく弾ける音と瞼の裏も真っ白になるほどの閃光、そして、その後に続く奇妙な二つの声が一瞬聞こえただけで、全身の痛みも引いていくまで

経っても何も起きない。不審に思いつつもそのままじっとしていると、何かが焦げるような臭いが鼻をついた。

 

 恐る恐る目を開ける。どういう訳か、先程まで目の前にいたはずの中丸と藤沢の姿が消えていた。それも、跡形も無く。代わりに、目の前には車の照明に照らされる人影が一つあった。人間かどうか姿がよく分からないのは、決して周りが暗いからでは無い。この人影は、黒いヘルメットで顔を全て覆っており表情を窺う事が出来なかった。ただ、感覚的にそれはこちらを見下ろしているように感じられた。

 

 そして、それは全身もおよそ人の形をしていなかった。両手両足、そして肩周りも、人間のそれよりも二回りほど大きな漆黒の鎧で覆われていたからだ。ただ、それらは全体的に丸みを帯びていて鎧武者や西洋甲冑のとも大きく意匠が異なっている。一つの球体が幾つも切り分けられて、各部位へととりついているような印象を受ける。そして、その鎧の所々に、これまた小さな球体が付着している。

 

「……IS?」

 

 その知識に疎い亜麻でも、目の前の人影が何を纏っているのかを察する事が出来た。インフィニット・ストラトス、女性のみが扱う事の出来るマルチプラットフォームスーツ。少し前にたった一人だけ、男性でも起動に成功させた人間がいたというニュースがあったが、まるで縁の無い自分にとって、それは単なる世の中の賑やかしに過ぎなかった。

 

 しかし、何故そんなものが今、自分の前にいるのか。そして、中丸達は何処へ行ったのか

 

 亜麻は、雨が体温を奪い続けている事などまるで気づく事も無く、目の前の人影の存在を凝視していた。

 

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