神楽は狭間に奉る   作:debac

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第十六話 今ならまだ間に合うぞ

 

 

 

 近くに誰かいる。俺は、暗闇の中でそれを感じた。

 

 さっきまで三人だった。二人減って一人増えたから、今は二人だ。

 

 自分は暗闇の中にいるから、二人が誰なのか分からない。でも、そのうちの一人は確か、この車を運転していた人を心配して真っ先に来てくれた。だから、きっと優しい人なのだろう。

 

 そして、もう一人は嫌な気配で覚えがあった。多分、目的は俺だ。でも、その前に、きっとこの優しい人をも減らそうと考えている。

 

 俺は今、身動きが取れない。でも、俺に無理矢理搭載された『ちから』を使えば手助けが出来るかもしれない。一つ、問題があるとすれば。この優しい人が俺と通じてくれるかどうかだ。あとは、祈るしかない。

 

 祈る、だなんて。俺からしたら絵空事のようだけども。

 

 

 

 

 

 

 ◇   ◇   

 

 

 

 

 

 

「全く。事故だっていうから急いで来てみたら何だこいつら」

 

 亜麻の前に立つ人影が発したのは女の声だった。顔がヘルメットに覆われているからだろう、その声はくぐもっていたが、落ち着いた口ぶりとやや低い声色から自分よりずっと年上という印象を亜麻は受ける。

 

「……アンタ、誰。何を、したの」

 

「ん? 私は……そうだな。ジェットと言う。お前の前にいた奴らならたった今焼き切った」

 

 亜麻からの問いかけに、ジェットと名乗った女は言葉少なく自己紹介をしながら頭を垂れた。目元は全く分からなかったが、亜麻は、彼女からの視線を感じる。こちらをじっくりと観察するような視線だ。

 

 しかしながら、コミュニケーションを取ろうとする意図が見える中で彼女の返した言葉を――焼き切る、という言葉の意味を――亜麻はまるで理解出来なかった。頭の中で、無意味な文字列としてそれらはただただ繰り返し再生され続ける。

 

 まるで金縛りにあったように何ら受け答えが出来ないままでいると、ジェットは独り言のように時折苦笑しながら言葉を続けた。

 

「こいつの試運転も兼ねるつもりだったんだがなあ。これだけ天気が悪いと出力が安定しない。やり過ぎだったが、ま、これで綺麗さっぱり目撃者は消えたなら、ひとまず良しとするか」

 

 こいつ、とは要するに彼女が今装着しているISの事だろう。安堵、恐怖、困惑、憎悪。亜麻の中で僅かな理解と共にめまぐるしく感情が入れ替わる。頭がくらくらして胸が熱くなり、にわかに息苦しくなる。だが、そんな中にあっても彼女には一つだけ確信があった。このジェットという女は、中丸や藤沢と同じように、自分を文字通り跡形も無く消そうとしていると。

 

 突然現れたこの女の正体を亜麻が知るはずも無い。だが、つい今ほどまでここにいた男二人を自らの意思で焼き切ったという事実を前にしても、ごくありふれた日常のように平然とした様子でいられる彼女の様子はどこか壊れていると思った。

 

 亜麻の中で、これ以上ここにいてはならないと危険を告げるサイレンがけたたましく鳴り響く。だが、何処へ、どうやって逃げる? 

 

 迷う亜麻の視界の隅に、ワンボックスカーが見えた。運転などした事は無い。そして、自分は運転が許可される年齢でない事ぐらいは知っている。しかし、手段など選んでいられない。そして、やること自体はとても単純だ。

 

 どこに逃げるかも分からなくとも。酷いマイナスまみれのここから逃げだそうと体を奮い立たせる。

 

 しかし、腰を上げた瞬間にすぐ側で目も眩む強い閃光が起きた。反射的に瞼を閉じるが、不意打ちのあまり目の前が真っ白となる。眼球の奥が痺れる。続けて、強い熱が皮膚に張り付き鋭い痛みが走る。たまらず、亜麻の重心は崩れそのままのたうち回るように地面を転がった。口の中に砂と雨が入り込んで、ジャリジャリと不快な感覚がする。

 

 何事かと亜麻が未だ視界に影がちらつく中で足下を見ると、黒い半球状の物体がが火花を散らしていた。それは、かすかに震えるとダンゴムシのように丸くなって、ゴロゴロとジェットの方へと転がっていく。

 

「これは一つの巡り合わせ。最悪で、どうしようもない。運命みたいなもの」

 

 ジェットが、誰かへ言い聞かせるようにゆっくりと言葉を並べ、亜麻の方へと歩き始めた。その足下の装甲部分にくぼみがあって、たった今転がっていた球体は、そのくぼみへと戻っていく。

 

 そういう仕組みなんだな、と亜麻は妙に冷静に、その様子を観察していた。そして、どうやらジェットは自分を逃がすつもりがないらしいという事も悟った。ISの機能について詳しくは知らなかったが、少なくとも生身の人間が真っ向からどうにか出来る存在では無い。このどうしようもない事実を、彼女は実にあっさりと受け入れる。

 

 そう、人は何一つ。自分に選択肢が無いという状況に陥った時、怒りも焦りも抱く事は出来なくなり、もはや全てを受け入れてしまう。

 

 この時の亜麻が、まさにそれであった。自分にとってやれるだけの事は全てやった、はずだ。結局、自分はマイナスのままだったが、それでも十分なのだ、と。

 

 泥に足を踏み入れるように、思考が暗い所へと沈んでいく。だが、いよいよ頭も垂れようとした亜麻の視界に、ふと、煌めく何かが横切った。その場違いな綺麗さに驚いて目を凝らしてよく見ると、きらきらと光る細い糸のようなものが何本か何処からともなく漂ってきていた。あまりにも場違いだと驚きながらその行く先を目線で追うと、横転した際の衝撃で生まれたのだろうか、トラックの荷台に出来た僅かな隙間からそれらは伸びていた。

 

 改めてジェットの方へと顔を上げる。彼女は獲物への狙いを定めるように、相変わらずゆっくりとこちらに近づいてきている。亜麻は、不自然だと思った。この女には、周りを漂う糸が見えていないのだろうか。それとも、見えていてその態度なのか。彼女の足下で、黒い球体が再びゴロゴロとこちらへ向かって転がり始める。間もなく、激しい閃光が発生するだろう。そうなれば、自分はひとたまりもない。この奇妙な糸について尋ねるような余裕はもう無かった。

 

 ともかく、この絶体絶命としか思えない状況の中にあって、この糸は亜麻にとっての蜘蛛の糸だ。故に、プラスやマイナスという経験に基づく信念からというものではなく、自分の力では到底及ばない何かに身を委ねるように、亜麻はその糸に触れる事を決めた。

 

 ――繋がった、と何者かが頭の中で囁いたような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 ジェットは、足下で座り込んだ少女があたりをキョロキョロとし始めたのは助けを求める誰かがいないかと探しているからだ、と考えていた。当然、ISのハイパーセンサーを用いてあたりを調べても人の反応はまるで無かった。だから、歩を止める事も無かった。

 

 だが、次に少女が何かを掴むように前へ手を差し伸べた時はさすがに違和感を覚えた。そして、その違和感が体を動かすよりも早く、予期せぬ出来事が姿を表してしまった。

 

 人知れず、彼女は舌打ちをしていた。

 

「……見えているな、一条。お前が散々弄くってご機嫌を損ねたISが、動いているぞ。ご丁寧にストリングスも起動しているようだ。ああ、予想外なのは分かっているさ。……そうだな、まとめて連れて帰れば良いだろ」

 

 足を止め、ヘルメットの側頭部に手を当て何者かに声をかける。先程とは打って変わった神妙な口調で。そして、何度目かの相づちの後、呆れたような口調で言葉を結ぶと、亜麻達の乗っていたワンボックスカーに手を向けた。肩の装甲に取り付いていた球体が幾つか外れて地面を転がっていく。やがて、それらはワンボックスカーを取り囲むように制止し、中心から開いて半球状に変形する。

 

 それらの周りで火花が散った刹那、激しい閃光と、耳を裂くような炸裂音が鳴り響いた。

 

 空から降る大粒の雨は大きく弾かれ、水蒸気となってジェットの視界を覆う。だが、ジェットは微動だにせず閃光の爆ぜた場所を窺っていた。白いもやが立ちこめる中で、徐々に閃光がおさまっていく。その中心は、地面の水気すら全て蒸発して吹き飛んでいて、ワンボックスカーの姿も消えて無くなっていた。痕跡らしい痕跡といえば、僅かにタイヤの跡のようなものが地面に焼き付いているぐらいだ。

 

 雨は未だ降り続ける。閃光によって吹き飛ばされた場所は高熱を残し、雨は当たる度に蒸気に変わって地面から上昇していく。だが、その熱も降り注ぐ雨に次第に奪われていき、やがて、ただの水たまりを作った。

 

 事を一つ終えたジェットは小さく頷いて視線を戻す。彼女の言葉を借りれば、どうしようもないもの、即ち、運命を引き寄せてしまった亜麻の方へと。

 

 

 

    

 

 

 

 

 

 目の前で一台のワンボックスカーが焼き尽くされて消失していく様を、亜麻はじっと見つめる。そこには、ついさっきまで自身を支配していた諦めはもう無い。

 

 自身の両腕に視線を落とす。そこにはグレーがかった鋼鉄の腕があった。その更に下、足にも同じカラーリングの装甲が覆われている。視点が随分高くなったのは、彼女が急に成長したとかいう事ではなく、この装甲が人間のそれよりも二回り程も大きいからだ。

 

 亜麻はISに関する専門的な教育を受けた事は無い。それでも、学校の授業でISの成り立ちなどを学習する機会があった。ろくに聞いても無かったが、暇つぶしにと教科書を捲って掲載されていた写真に、今の自身の姿と重なるものがあった。

 

 第二世代のIS、打鉄。袴や、和武者をモチーフとしたと思しき外観を持つそれは研究開発の進む昨今にあってもはや一線を退いていた。だが、訓練機として、例えば、IS学園などで今でも稼働しているという。今、自分が身に纏っているものは、そのISのように思えた。いまいち確信が持てなかったのは、両肩に展開されるはずの装甲は無く、代わりに細い糸のようなものが肩や腰部から無数に広がっているからだ。それらは、まるで自我を持つかのように亜麻の周囲を揺らめいている。そして、時折煌めく事でようやくその存在を認識しうる程に極めて細い。打鉄の本来のデザインからすれば、あまりにも異質であった。

 

 自身の身に何が起こったのかと困惑する中で亜麻は気づく。土砂降りの雨は未だ降り続いているというのに、自身に全く当たっていない事に。目線を上に上げれば、糸が網のように折り重なって傘のように広がっている。雨はその表面を伝い、縁から滴となって地面へと落ちる。結果、亜麻の頭上は薄い水の膜に覆われているようになっていた。

 

 煌めく糸と、それに沿うような雨の流れに亜麻がしばし見とれていると、その糸の内の何本かが亜麻の頭上で円を作った。まるで天使の輪となったそれがかすかに蠢くと、亜麻の頭の中でこのISがまるで元から自分の体の一部のように馴染んでいくような感覚が生まれた。今までISを動かした事も、ましてや展開させた事もないというのに、なんら意識しなくとも、空中を飛び回る事さえ出来るという確信すらあった。

 

 この糸は、どうやら何らかの意思をもって自分を守る手助けを試みているらしい。ならば、今なら目の前の敵から逃げる事も出来る。亜麻は、自身の心の片隅にそういう気持ちがある事を認める。だが、ジェットが、敵が。自分を逃がそうとは微塵も考えていない中で別の感情も生まれていた。それは、ついさっきまで決して持ち得ない感情だった。

 

 亜麻は、ある決意を以て鋼鉄の足で立ち上がる。彼女の周りを漂う糸が、彼女を守るように全身を取り囲む輪を幾つも作っていく。このISが、自分に寄り添ってくれていると思うと、途端に嬉しくなった。気の置ける友人というものは、きっとこういうものなんだろうなと感じた。

 

「今ならまだ間に合うぞ」

 

「……なんの事?」

 

 ジェットからの短い脅迫に、最後通告に。亜麻はあえてとぼけたふりをする。

 

 さっきまでただただ恐怖に怯えていた少女からの挑発が、よほど腹に据えかねたのだろう。ジェットの全身に付着していた黒い球体の残りがボロボロと地面に落下する。既に地面を転がっていた数と合わせれば、そして、それらが全て火花を散らせば。その威力はきっと人間を焼失させた時の比では無い。紛れもなく、ジェットからの警戒が最高潮に達している事を示していた。

 

「その決断を下す前に、やりたい事だってあっただろうにな」

 

 ため息一つのあと、ジェットの全身から、足下を転がる黒い球体から、青白い火花がバチバチと鳴る。

 

「あたしが今やりたいだったら単純な事よ」

 

 だが、亜麻は怯む素振りも見せず指先で宙に弧を描く。肘のあたりから伸びる何本もの糸が、彼女の覚悟に寄り添うようにうねった。彼女の目は大きく見開かれ、表情は自信に満ちあふれている。

 

「ここから逃げる為に、まずはあんたみたいにな大人に立ち向かう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

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