神楽は狭間に奉る   作:debac

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第十八話 俺は怪物なのか

 

 

 

 

 今、神楽達のいるこの場所――海まで到達する程の土砂崩れによって新たに作られた場所――の、陸と海との境目は実に曖昧だ。波風の運ぶ潮気も、鬱蒼と生い茂っていたであろう雑草も、今となってはただただ鼻をつく泥臭い臭いによってその形ごと、どこか遠くへと流されてしまっている。

 

 その発端に関わったであろう少女、八城亜麻はここで何をしていたのか。そもそも、ここで一体何が起きたのか。

 

 自分の知りうる限りの全ての思い出を語り終えた海人は、大部分を欠落しもはやただの鉄塊となってしまった打鉄に腰掛ける。その視線は何を捉えているのだろう。潮風とともにやってくるいっそ不条理なまでに穏やかな海の波を見ているのだろうか。それとも、何本もの木々をなぎ倒した果てに横たわる目の前に土砂を見ているんだろうか。側に神楽と誠二がいるというのに、彼女らの存在すら忘れてしまったかのようにぼんやりとどこか遠くを見ているようだ。

 

「土砂崩れに飲み込まれた時にはもう亜麻に意識は無かった。俺は、亜麻を助けるつもりだった……はずだ」

 

 しばしの沈黙があった、それから、自戒めいた言葉を海人は漏らし、顔を伏せる。

 

「海人、君」

 

 そんな海人を前に、神楽がその肩を震わせてようやくひねり出したのは、目の前の少女の名前だけ。

 

 今、神楽は自身の頭の中を片っ端からひっくり返し、ISの知識を必死になってかき集めていた。ISコアはほぼブラックボックスとなっている。ただ、コア人格があるという話は聞いたことがある。そして、操縦者の癖のようなものを学習してよりISとしての性能を引き出す事も、知識として知っている。

 

 何の因果か打鉄を起動させてしまった亜麻は、目の前の敵を打ち破ろうと一際大きな土砂崩れを引き起こした。そして、自らもそれに飲み込まれた時、打鉄の中に存在するISコアが彼女の救命を最優先として、打鉄に組み込まれていたストリングスという装備を利用した。そういった幾つもの要因が、偶然かつ複雑に絡み合った果てに海人という人格が生まれた、という事なのだろうか。

 

 今、この場でそれを確かめる術を持たない神楽は、ただただ頭を振る。自身に忍び寄る、黒い感情を振り払うように。

 

「俺は怪物なのか。亜麻の体を乗っ取って、それで」

 

 顔を伏せたままの海人が、いよいよ自分を責め立てるような言葉を口にし始めた。

 

 空気が、一層淀んだ。背中を押されるような感覚があって、神楽は自分でも気づかぬうちに海人の手を取っていた。

 

「……冷たい」

 

 だが、そこにあったのは芯から冷えるような温度だった。それが、ただ単に人の手の形をしてるだけのように感じた。不意に、体が沈んでいくような気分になった。海人は体を僅かに震わせるだけで、少しも顔を上げようとしてくれない。むしろ、自分から顔を背けているようにすら思えた。

 

「亜麻とあなたに何があったのか、少しだけ分かった。でも、今はIS学園に帰ろうよ。これからの事は、ここで決めるような事じゃ無いから。ISの事なら、学園で色々と相談に乗ってくれるよ、……ね?」

 

 そんな海人に、神楽は一度頭を振るとこう語りかける。

 

 そう。ここで分かった事は幾つかの出来事があったという事だけ。それも、ただ一人の人間から語られただけに過ぎない。今、この場で。何ら確かめる術も無いというのにそれらを事実として受け入れるにはいささか早すぎる。

 

 何より、ここの空気は淀みすぎている。泥沼に足を踏み入れれば沈んでいくのと同じで、こんな所に留まっていては駄目だ、と神楽は思った。

 

「それと……えと。ほら、六角さんも帰る準備しましょう? ここにあるISは持って帰れないけれど、場所は覚えておけば」

 

 海人の手を見つめながら、神楽は側にいる誠二に呼びかける。IS学園へ帰るとなれば徒歩では遠すぎる。彼の車に乗せてもらわなければならない。そのためには、足下の悪い斜面を改めて登る必要がある。出発するなら早いほうが良いに超したことは無い。

 

 僅かに間があったが、ようやく海人がゆっくりと顔を上げ始めた。自分の声がやっと届いたのだと神楽は安堵した。

 

「……六角さん?」

 

 だが、その考えは一瞬で霞となって消えてしまう。顔を上げた海人は驚愕に目を見開き、まるで神楽の方へ視線を向けていなかったからだ。

 

 神楽は肩をふるわせ海人の視線を追う。どうやらその視線の向かう先は、すぐ側にいるであろう誠二の方へと向けられているらしい。やがて、体ごと後ろへと振り返った神楽は、小さな悲鳴を上げて後ずさりした。

 

 誠二のすぐ隣に、丸みを帯びた漆黒の装甲に身を包んだ人影があった。頭部は漆黒のヘルメットで完全に覆われおりまるで表情を窺えない。その足下には、見た事のある黒い球体が何個も転がっている。

 

 誠二が全く身動きを取ろうとしないのは、決してこの人影の存在に気づいていないからではない。人影より伸びる、人間のよりも一回りほども大きい鋼鉄の腕が誠二を逃がさぬようにと彼の肩を掴んでいた。

 

 彼らの足下に転がる球体が、時折パチンと音を立てて小さな火花を散らす。その度に誠二は喉を鳴らし、涙で震える眼を神楽達へと向ける。

 

「……あなたが、ジェット」

 

 怖れもあった。だが、それを塗りつぶすような黒い感情を以て、神楽はその人影――海人の正体を探る為に訪れた事務所で遭遇した敵、そして、たった今海人の話に出てきたジェットと名乗るIS操縦者――を睨む。

 

「ああ。初めまして、と言って良いのやら。そこにいる海人とこうして話をするのは二度目だが。そして、顔を合わせるのはこれが初めてかな」

 

 それに対しジェットは顎先で海人を示しながら、時折小さな笑いの混ざった口調で言葉を返してきた。

 

 神楽は無意識の内に握りこぶしを作っていた。あまりにもこの場の雰囲気にそぐわない、人を食ったような飄々とした態度がどうしようもなく苛立たせた。そして、その苛立ちに従うまま、今まさに詰め寄らんとしたところで神楽の眼下から影が伸びた。思わず足を止める。そこには、行く手を遮るように立ち上がった海人の姿があった。

 

「そんなかぶり物をして、顔を合わせるだと?」

 

「ははは。返す言葉も無い。まあ、悪く思わないでくれ。これもこいつの装甲の一部なんでな」

 

 指先で軽く側頭部を叩きながらジェットは答える。それに呼応するように彼女の足下に転がる子機が一際大きな火花を散らした。一ミリにも満たないような小さな火花だが、誠二のズボンに付着すると小さな焦げ穴を作る。一瞬遅れて、誠二はギャッと短い悲鳴を上げた。これが挑発行為である事はその場にいる誰の目にも明らかだった。相手に選択肢の無い、悪趣味な挑発。神楽はめまいを起こす。歪む視界の片隅で、海人が左親指の銀の指輪を指先で撫でる様子がぼんやりと映った。

 

「さて、お前の中に八城亜麻の人格が残っているか気になるところだが。ひとまず私についてきてもらおうか」

 

「……誠二を人質にでもしているつもりか」

 

「もちろんだとも。そして、お前は従う。そういう奴だからな。なあに、そう警戒するものじゃあない。そもそも私とお前は敵じゃ無いんだ。いつか言っただろう? 自ずと同じ所に辿りつく、と。それがここだったというだけさ」

 

 海人の肩が震えた。神楽からは背中越しにしか彼女の様子を窺えなかったが、とうとう苦笑したのだ、と悟る。そして、その感情は神楽にとっても似たようなものだった。しかしながら、そんな彼女らの感情を逆なでするように、追い詰めるように。ジェットからは更に言葉を続ける。

 

「さて、まずはお前のISを引き渡してもらう。二度もあの糸で余計な手間を取らせる訳にはいかないんでな」

 

 淀むことの無いその話の中身は、ある意味では神楽にとって意外なものだった。ジェットは海人からISが離れてしまえば意識を保つ事が出来ず、気を失ってしまう事を知らないはずだ。今こうして彼女が待機状態であるテンダーラヴを求めている理由も、海人がISを起動させられないようにする為の予防的な措置という程度のものなのだろう。

 

「……あ、あああ。ぼ、僕は……!」

 

 だが、今はその先の思惑に思案を割く猶予などあるはずも無い。再びジェットの子機が火花を散らす。誠二がすがるような声を上げた。顔は青ざめ、額に脂汗を浮かべている。体が不自然に傾いているのは、今にも倒れてしまいそうな彼を、ジェットが無理矢理引っ張り上げているからだ。

 

 やがて、海人が頭を降った。それがジェットからの提案が締結される瞬間となった。神楽が置き去りにされるような虚無感に包まれる中で、海人は自身の左親指から銀の指輪を外すと、手のひらの上で指輪を転がしながらジェットへと近づく。

 

 程なくして、銀の指輪がジェットの手へと渡った。

 

「……なるほど、これが今のストリングスの待機状態という訳か」

 

 ジェットは空いていたもう片方の手で銀の指輪を受け取ると、表裏を何度もひっくり返してどこまでも銀の指輪でしかないその形の細部を窺う。そんな彼女の発した言葉は、先程とは打って変わって真面目で、かつ、その場に居合わせた者達の足を止める程の冷酷さがあった。

 

 神楽は、ジェットからの威圧から目をそらすように海人の背中を見つめ続ける。海人は身動き一つせずじっとそこで立ち尽くしていた。時折、指先が断続的に彼女自身の太ももを叩いている。一見、苛立っているように見えるその挙動は、意識を保つ為というよりもジェットの様子を窺うように神楽には思えた。

 

 ゴロゴロと、硬いものの転がる音が足下から聞こえた。視線を落とすと、それまで誠二の足下にあった子機達が、主の元へと戻っていく。

 

 神楽は、奥歯を噛みしめた。

 

 バチン、という弾ける音と共に青白い火花がジェットの周辺で散ったのは、それとほぼ同時の事だった。

 

「……がっ!」

 

 刹那、神楽の目が、海人の体の表面を走る電撃を捉えた。瞬く間に消えゆくそれが何を意味するのか、彼女が自身に理解を与えるよりも早く、海人は絶叫し、その体がガクンと大きく上下に震えた。続けて全身が酷く硬直したが、それも本当に短い時間の事で、すぐに脱力していき手が指先まで地面へと垂れると肩は下がり、首がゆらゆらと揺れる。かと思えば上半身が後ろへとゆっくり逸れていき、とうとう膝から崩れ落ちていく。

 

 倒れゆく海人の手のひらから銀の指輪が零れる。ジェットは誠二から腕を離すと、その指輪ごと海人の体を受け止める。一方、半ば突き飛ばされる形となった誠二はその場に膝をつき、げぇと口の中から僅かに黄ばんだ唾液を吐き出した。

 

「成る程、ストリングスとしての使い方も思い出したか? 糸で指輪の偽物を作るだなんてな。それで隙をつくろうとした、と。だが、油断という同じ失敗は繰り替えさんよ」

 

 いつの間にか、ジェットの手元で弄ばれていたはずの銀の指輪が消えていた。そこにあったのは、ばらけて消えていく細く煌めく糸のみ。

 

「そんな……海人、君……」

 

 それが、海人の企んでいた唯一の逆転の一手だった事を知ってしまった神楽の瞳から、知らず知らずのうちに涙が一筋頬を伝って落ちる。

 

 目の前に立つジェットは、その事に気づいていない様子だ。彼女は周囲を軽く一瞥すると、神楽の方へと改めえて向き直ると恭しく一礼してみせた。 

 

「さて、これで終わりだな。神楽に誠二と言ったな。お前達には感謝しなければならない。

 私にとっての懸念事項は二つ。こいつが何者であるかという事。そして、どうやってこいつを連れて帰るかという事だった。後者については特に面倒でね。IS学園に私のような人間が潜入するなんて現実的じゃあ無い。だが、誰かが外に連れ出してくれるというのなら話は別だ。

 分かるな? お前達が外へ連れ出した事でこいつの正体も分かった。そして、安全に連れて帰る事も。私にとって、この日というのは実に都合が良かったのさ」

 

「あ、あなたは……!」

 

「そう睨むな。これは悪知恵。そして、一線を超えるだけの度胸を持っているのが、私達大人なんだよ」

 

 吐き捨てるような言葉の後で、ジェットの左右の肩部装甲がそれぞれ中心から二つに分かれた。吹き付ける風の音と共にあたりの砂利が舞い、ジェットは宙へと浮き上がり始める。だが、肩に担がれている海人は目を覚ます様子も無く、ただ手足をぶらぶらと揺らしている。

 ゴゥ、と風が空を切って音を鳴らす。数秒の空白があって、ジェットは海人を抱えたまま身を翻して空へと飛び去ってしまった。後に残っていたものは、宙をちらつく砂埃ばかり。だが、それも重力に従って落ちていく。少しでもその場に留まりたい、名残惜しい。そう言わんばかりゆっくりと。

 

 神楽も、そして、誠二も。ジェットを追う術など持ち合わせているはずも無く、点となって消えていく黒い人影をただただ見届ける事しか出来なかった。

 

 

 

 

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