神楽は狭間に奉る   作:debac

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第十九話 これはきっと、正しいことじゃない

 

 

 

 

 嵐が過ぎ去った後に残るものは、傷跡と静けさだけだ。それは、海人がジェットに連れ去られた後とて例外ではない。

 

 神楽はただ呆然として空を見上げる。赤く染まりつつある空をバックに、いっそ清々しいまでに穏やかに雲が流れていく。やがて、夕日の前に雲がかかると太陽光によるギラつきが落ち着いて視界が晴れる。それでも、そこには空しか無かった。

 

 海人の姿が見えなくなりどれほど時間が経っただろう。否、実際には五分すら経っていない。だが、今の神楽にはその出来事が何時間も前のように思えた。

 

「海人……君」

 

 去って行った者の名前をぽつりと呟く。同時に、目尻から涙が流れた。膝から力が抜けて、地面に座り込む。まだ僅かに湿り気の残る土は柔らかく砂が混じっているせいでじゃりじゃりとする。チクチクとした痛みを感じた。だが、まるで体に力が入らない。今にも倒れそうな体を芯でおさえる事で精一杯だ。

 

「な、なあ。こういう時ってやっぱり警察とか、そういう所に連絡した方が良いのか? それとも、IS学園とか?」

 

 すぐ側で、誠二の声が聞こえた。人質となっていた状況から解放された事で、神楽とは逆にそれなりに落ち着いて来たのだろう。彼の声は震えていたが、その内容は至極まっとうなものと言えた。

 

 そう、もはや自分に出来る事は無いのだから、IS学園に早く連絡を入れて事のあらましを話し次の指示を待つべきだ、と言うごく当たり前の対応も頭の中にはあった。しかし、彼女の思考はジェットの別れ際の言葉に塗りつぶされていく。誠二に返事を返す事すら叶わない。

 

 自分は一体何をやっていたのだろう。海人の正体を確かめる為に、よかれと思って彼女をここに連れてきた事がこの結果に繋がった。ならば、自分の選択は、正しいと思っていた事は実際にはまるで逆で、ただ地獄に突っ込んでいったというだけの事なのだろうか。悔しさが、息苦しさと共に心の内側から広がっていく。そんな中で、ポケットの中のスマートフォンに手を伸ばすという行動を取る事がどうしても出来ない。 

 

 ぐちゃぐちゃとなる思考にあてられ、体が熱くなる。時間だけは変わらず流れる。雲に隠れていた太陽が、再び姿を見せた。急に太陽光で視界が白み、眩しさのあまりに神楽は顔の前に手をかざし目を細めた。

 

 だが、完全に瞼を閉じようとしたところで、細い影が映り込んでいる事を認めるとゆっくりと顔を上げる。

 

 目の前で、一本の細くも煌めく糸が漂っていた。

 

「これ……って」

 

 神楽はそれを指先に引っかける。引き寄せられるような抵抗は無く柔らかい感触だった。その先を視線で追っても、遙か上空に続いていてどこまで伸びているのかまるで分からない。

「ど、どうした……?」

 

「……糸。海人君の、テンダーラヴの……糸」

 

 不安げな声で尋ねる誠二に、神楽は呟くように言葉を返す。

 

 神楽は体を震わす。このか細い糸の煌めきは鈍い。よく目を凝らして観察すると、ただ一本の糸だと思っていたそれは更に細い糸が寄り合わさっていて所々ほつれている、今、もし、何かの拍子で強く引っ張られようものならば、容易くちぎれてしまいそうだ。

 

 それは猶予の無い事への暗示なのだろう。心が、すぐにでも体を奮い立たせようとざわつく。だが同時に、やはり今は庇護を求める場面なのだ、と理性が警報のように訴えかけてくる。

 

「ああ……そっか」

 

 しばしの間、視線を空と神楽とで行き交いさせていた誠二が、唐突にため息を漏らした。そして、それまで怯えるように声を震わせていたと言うのに、何かを納得するような言葉を呟いた。

 

「僕、さ。こう見えても中学の頃は成績は良くて、両親や先生からも結構、というかかなり期待されてたんだよね」

 

 それから彼が続けた言葉は、あまりにも場違いな思い出話だった。だが、神楽が戸惑いを覚える前に、それを制するように、彼は言葉を続ける。

 

「でも、本当はそんな事無くて、ただ周りの言う事を大人しく聞いていただけ。将来の為だからって周りの話の言うがままに偏差値の高い高校に進んだんだけど。もうずっと自分なんかよりもずっと賢い奴ばかりで。

 それで、両親もまあ、僕の本性みたいなの分かっちゃったみたいでさ。高校卒業したら自立してみろなんて言われたんだ。それがどういう意味かなんて僕にだってすぐ分かってしまって。良いように言えば自立を促すって奴だけど、本当はまあ愛想つかれちゃったって訳。勝手な話だろ? でも、そういうのも僕はあっさり聞き入れちゃったんだよなぁ。……その方が楽だから、って。

 それからは適当にやってるだけでもそれなりに給料のもらえる仕事を淡々とやって、それを続けて。でも、もっと楽に沢山の稼ぎが欲しくなって。それで、こんなところまで来た。来て……しまった」

 

 言葉を一区切りつけ、誠二はズボンのポケットをまさぐりキーホルダーを手に取る。金属製の丸いネームタグが一枚、そして家のものと思われる鍵と車の鍵がそれぞれ一錠だけ取り付けいる。誠二はそれを手のひらの上で転がす。何でも無いことのように。ただの日常の中の一幕のように。

 

「僕があのジェットとかいうのに捕まって人質になった時だって。僕はもうどうしようもないと思っていた。だから、大人しくしていて、海人がついて行くって事をさっさと決めてくれればそれで終わりだって。……そう思ってた。薄情者だったんだ。でも、海人はそうじゃなかった。最後の最後まで。それで、今がこんな事になっても、あいつは四十院さんの事を信じている。

 今までずっと、誰かの決めたままに過ごしてきた。これはきっと、正しいことじゃない。でも、それが、この選択をしない理由にはならない。……追いかけてみようよ。まだ、そういう選択肢が残っている内に」

 

 誠二が苦笑する。

 

 神楽には、彼の表情の裏側にあるものを見る事が出来ない。彼がその正しくない事を選択肢に入れた理由は、きっと彼にしか分からないのだろう。

 

 だが、彼の決意めいた言葉の持つ意味は、神楽の背中をトンと押した。自分自身がその言葉を待望していたのだという事に気がついて、無性におかしくなった。ゆっくりと立ち上がる。膝についた砂を払い落とし、頬に出来た涙の筋を拭う。目の前に見える風景に変化はまるで無い。つまり、ここが酷い出来事のあった場所であるという思い出はそのままだ。それでも、その中でも。前に進む事は出来る。

 

 暗がりに沈みゆく神楽の心は、とうとう狭間を踏み越えた。

 

 

 

 

 ◇   ◇   ◇

 

 

 

 

 先程まで心にまとわりついていた迷いは嘘のようにそぎ落とされて、神楽は助手席から見える風景を冷静に眺める。既に崖道は後方へと置き去りとなり、舗装された広々とした国道から、次第に田舎道へと移り変わっていく。道路を煌々と照らしていた電灯の数も減り、薄暗い闇の先を車のヘッドライトが照らす。

 

 時折、目の前でちらつくように光るものがあった。神楽の手の中から伸びる、細い糸だ。

 

 車を走らせている間も、この不思議な糸は車が切る風をまるで気にせず宙を漂い続けている。発車する直前、この糸がちぎれてしまわないように恐る恐る車に乗り込んだ事が馬鹿らしくなる。相変わらず所々ほつれたままで、試しにと神楽は指先でより合わせてみたが、それらは力なく再びばらけてしまう。だが、車を走らせている間も、恐らく強い風に煽られているだろうにも関わらず、ちぎれてしまうような兆候は見られない。

 

「あぁああああ……。これってさぁ。多分未成年誘拐とか、連れ回しとか。そういう奴だよなあ……」

 

 糸の動きをじっと眺める神楽の耳に、運転席に座る誠二のうめき声が入ってくる。続けて聞こえてきた言葉は、彼の本心の一つで間違いないだろう。

 

「ええと。ほら、ISによる誘拐っていう緊急事態ですし」

 

「そんな事言われたら尚更じゃ無いか!」

 

 嘆きと共に、誠二はハンドルを叩いた。さっきまでの凜とした佇まいはどこに行ったのか、と半ば呆れる神楽だったが、そういえば自分も彼に決意を改められるまでは同じようなものだった事を思い出して口を噤んでしまう。

 

「あ、そういえば」

 

 しばし沈黙があって、緊急事態、という自身の発言にはっとなった神楽は、ポケットから存在を忘れかけていたスマートフォンを取り出す。そして、幾つか操作をして画面を眺めていると、笑い声を上げた。

 

「ふふっ、沢山着信履歴残ってます。留守電も。全部IS学園からです。あ、岸原さんからも来てた。今頃、学園は大騒ぎですよ。でも、今折り返し電話するともっと酷い事になりそう」

 

「ああああああ……! マジかよぉ……!」

 

 ハンドルに額をぶつけんばかりに前のめりとなって誠二は呻く。しかし、車体がぶれる事は無い。ただ真面目に、車道を走り続けている。そうして車を走らせていく内に気分が落ち着いたのか、或いは諦めたのか。誠二はシートに深く座り直すとハンドルを握りしめた。

 

 そして、二人の間には沈黙だけが残る。十数分も車を走らせた頃にはもうあたりはすっかり暗くなってしまった。すれ違う車も無くなり、車のヘッドライトは既にハイビームに切り替わってただただ煌めく糸を辿る。道路脇に電灯は無く、高い木々だけが鬱蒼と並んで外界から視界を遮っている。元々交通量の少ない道を窺わせる、舗装されていない道路の上に転がっていた石をタイヤが弾いて車体を僅かに揺らす。

 

「あ……糸、あの建物に」

 

 不意に、神楽が窓の外を指差した。それを横目で見た誠二は車のスピードを徐々に落とし路肩に停車させる。

 

 神楽は車から降りて、車のヘッドライトが照らす目の前の建物を見つめた。幾つかの建屋に分かれた工場だった。酷く壁面がさび付いたものもあれば、増築したばかりなのだろうか真新しい真っ白な外壁のものもある。外壁に電灯がも幾つかぶら下がっているように見えるものの、いずれも照明は落とされた上で静まりかえっている。

 

 神楽は糸を辿りながら、足下に伸びる雑草を踏み散らして工場の外周をぐるりと回り込む。すると、ちょうど車を停めた側とは裏手の方で真新しいシャッターを備えた通用口が姿を見せた。

 

 神楽はその通用口に近づく。壁との間にある本当に僅かな隙間から細く煌めく糸が伸びていた。ドアノブに手をかける。ガチャンと鍵の外れるが鳴った。恐怖とともにドアノブを引くと、金切音と共に通用口が開く。扉の縁にある錠前から細い糸がほどけて離れていく。すると、いよいよ力尽きたようにその糸はちぎれてバラバラとなり空中で消えてしまった。唾を飲み込み視線を上げる。そこには一メートル先も見通せぬ暗闇が広がっていた。冷えた空気が、こちら側へと流れ込む。足下が、震えた。

 

「……行きましょう、六角さん」

 

「あっ、ちょ、ちょっと待ってくれ」

 

 歩を進めようとする神楽を誠二が呼び止める。

 

「多分、マジに僕達がこれからやろうとしてる事はとんでもない事で、この向こうに行けばもう引き返せないけど、マジに、そうマジで良いんだよな?」

 

 その視線には、鋭いものがあった。

 

 神楽は、この時になってようやく自身のもう片方の手がスマートフォンを握りしめている事に気がついた。ゆっくりと指先から力を抜いていく。汗が滲んでいた。電源を入れると、そこにはやはり多くの着信履歴やメッセージの新着通知が表示される。

 

 目元に涙が浮かぶ。それでも、心はずっと前に敷居を跨いでいる。

 

 故に神楽は、彼の言葉に黙って頷いた。

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