神楽は狭間に奉る   作:debac

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第二話 君には名前が必要だよ

 

 今日における文明の利器の代表格と言えば、スマートフォンとなるだろう。通話はもちろんの事、文字通り片手間に調べ物ができたりあるいは時間つぶしに動画を視聴したり。あらゆる手段の代替法として人々の日常に深く溶け込んでいる。

 

 神楽は今、廊下の壁に背を預けながらその利器を用いてISに関する記事を眺めていた。画面をスクロールさせれば記事が幾つも連なる。だが、彼女は特別これだというものを探していた訳ではない。ただはやる気持ちをごまかしているにすぎなかった。

 

 脳裏に浮かんでいるものは、「これはISだ」と宣言した少女の親指にはめられていた銀の指輪。一見すればただのアクセサリーなのだが、なるほどISの待機状態というのは様々な形状があてられている。身近なところで例を挙げれば、白式の腕輪しかりブルー・ティアーズの青いイヤーカフスしかり。

 

 となれば、やはりあの少女の身につけていた指輪も、そういう事なのだろうか? 昨日は先生らに促されるまま自室へ戻ってしまった為に真偽を確かめる事はできなかった。だが、一晩おいて尚興味が底を見せる事はなく、それどころか益々湧き上がる。結果がこれだ。手のひらサイズの革新を弄んでいるだけ。

 

「やっぱり、もう少し聞いてみたいな」

 

 むず痒さが体の表面を走る。それを和らげようと独り言をつぶやき、自然と歩は進む。程なくして、医務室の前に立つ。今度は一人だ。

 

 失礼します、と一言告げるも扉の向こうから反応はない。恐る恐る扉を開ける。中に入ると、昨日の出来事がまるで夢のように誰の姿も無かった。遠くで時計の針の動く音だけがする。その音に合わせて心の底に鈍い痛みが響いた。

 

「貴方は、確か四十院神楽」

 

「きゃっ」

 

 不意に後ろから声をかけられ、短い声を上げてしまう。反射的に口を手で塞ぎ振り返ると、そこには例の少女がいた。昨日と違うのは、グレーのジャージからIS学園の制服に着替えていた事だった。ただ、ひと目見てわかる程度に制服の方が大きい。肩部はあまってずり落ち、だぼだぼ気味な両袖を肘までまくりあげている。スカートもまた神楽のそれと同じように膝下まで降ろされているが、着膨れという程ではないにしろぶかぶかと大きく見える。

 

 そして、顔に貼られてあったガーゼは皆取られていた。まだ、赤い腫れのようなものが少々あったが、日にあてられればほぼ気付けない程度にまで治まっている。

 

「驚かせてごめん。トイレに行ってた」

 

「えっと、その服は?」

 

「胸の大きい方の先生……山岡先生だっけ。検査の付き添いをしてくれていたんだけど、いつまでもジャージのままだとかえって目立つからと言って用意してくれた。見ての通り、サイズが若干合わないけども」

 

「……山田先生ね。胸がどうとかちょっと失礼だよ」

 

「そうだな。織斑先生の方も決して小さいわけではなかったし」

 

「うん、そういうことじゃなくてね?」

 

 頓珍漢な問答へ釘を刺すも、まるで気にする様子もなく少女はベッドに腰をかける。神楽はどぎまぎしているのが自分だけだと気がつくとまるで恥ずかしくなって、頭を振った。そして、視線を彼女の左手に移す。その親指には、銀の指輪がまだはめられていた。

 

「ところで、検査をしていたって言ってたけど」

 

「俺のIS適正というのと、このISについて調べたいと言っていたから。あと、基礎的な学力も。なんだか頭が疲れた」

 

「そうだんだ……。何かわかりそう?」

 

「何も。山田先生は調べる時間がまだ必要だって言っていた」

 

 神楽の問いかけに、少女が頭を垂れる。その態度から、状況は芳しくない事はひしひしと伝わる。真耶からのフォローも、精一杯のものなのだろう。この重たい雰囲気の中では、指輪の事などそう口にしていいものではない。神楽は、自分が招いてしまったこの空気をどうにかしようと頬を撫でた。何か、別の引っ掛かりが欲しい。そして、はっとなって昨日からの会話の中でほのかに感じていた事を言葉を口にした。

 

「そうだ、君には名前が必要だよ。まだ名前も分からないからって、いつまでも君って呼ぶのも変だし。織斑先生の言うように、身元不明者っていうのも呼びづらいし」

 

 その言葉を受けた少女は、顔を上げたかと思えば目を丸くする。消え入りそうな声で幾つか言葉を並べるが、どれも不明瞭で神楽には聞き取れない。やがて目を閉じ、首を傾げた。苦々しい表情がそこあった。

 

「だけど、自分の名前だなんて。思いつかない」

 

「うーん……それなら。海から来た人って事で、海人(かいと)ってどうかな」

 

 我ながらペットに名前でもついけるような安直なネーミングセンスだと神楽は思った。だが、少女の視線が宙を舞う。提案されたその名を、イントネーションを確かめるように語感を変えて何度もつぶやきながら。思考の方向は変わった。受け入れる方へと。その事が見て取れた神楽は胸をなでおろす。

 

「かいと。海人……良いね。確か、その文字は『あま』っていう呼び方もあったと思うけど。『かいと』っていう方がしっくりくる。うん、俺は海人。とりあえず、そうしよう」

 

「よろしくね、海人君」

 

 納得を得て、少女は自身に名を定める。即ち、海人と。神楽は改めて目の前の少女に微笑んだ。

 

 すると、それを見た海人は視線を外し、頭をかるく掻く。耳輪が若干赤みを帯びるものの、幸いにも肩まで伸びた髪に隠れて神楽の視界にはまるで入らない。

 

「このままだと、対等じゃないな。お礼をしないと」

 

「えっ」

 

 苦笑しながら海人がそう呟く。

 

 神楽は思わず首をかしげた。決して不快感だとか、不信感だとかそういうネガティブな反応では無い。ただ、純粋に、その質問の意図がわからいからこその思考停止だった。彼女の発言が意味を成す文章ではなく、音を表す単語として繰り返される。

 

 そこに滑り込むように、海人は更に言葉を続けた。

 

「山田先生や織斑先生は、この学園の職員だから俺みたいな人間を見る事になるのはわかる。だけど、俺は貴方の事を知らない。それは、貴方にとっても同じはず。赤の他人だと考えていた。

 でも、貴方は俺を助けてくれた。それだけじゃない。俺に色々と教えてくれる。……名前、とか。俺はまだ何もしていないのに、もらってばかり。それは、対等じゃない。これはきっと、よくない事だ。

 本当は、山田先生からISをむやみに使用しないでくれと言われている。学園の安全を考えればそれは妥当な事。でも、ほんの少しだけなら、大丈夫……多分。

 これは、お礼。対等であるための証明」

 

 たった今名を持ったばかりの少女の左手がピンと広がる。射抜くような、真剣な眼差しが指の隙間にあった。神楽は、何故かその視線から逸らす事ができない。射すくめられているからではなかった。自分は何かを待ちわびている事だけが自覚としてはっきりと存在していた。

 

「テンダーラヴ」

 

 海人がつぶやいた瞬間、銀の指輪から無数の細糸が広がり彼女の左腕を包み、やがて、鈍い黒鉄色の籠手に変容していく。ただ、具足のそれと明らかに異なっている点があった。籠手が肘側へ向かうにつれ、極めて目の細かい幾つかのほつれを伴った白金色の布切れのようなものに徐々に変化している事だ。それらは、二の腕のあたりまで伸び、僅かな風を受けてゆらゆらと揺らめいている。

 

「わぁ……きれい」

 

「ありがとう。ただ、ここで展開させた事は秘密にしておいて欲しい。先生に怒られる」

 

「……秘密。そっか、秘密か。ふふっ」

 

 しばらくして籠手は指輪に戻る。海人の背中が縮こまっていた。お礼と言いつつも、海人の態度はイタズラを咎められる事を恐れる子供のようだ。神楽は可笑しくなって、わかった、と返しつつも、無邪気な笑みをこぼしてしまう事をしばらく止められなかった。

 

 

   ◇

 

 

 千冬が緊急の会議と身元不明の少女の調査ついて真耶と手分けをし、自身が会議へ出席をする事にしたのは、決してその方が気が楽だからとか、面倒な役割を押し付けたという訳では無い。臨海学校での一連の出来事から始まり、IS学園の敷地内で行方不明者が見つかったという事態は、それぞれが何の繋がりもなくとも職員の間でも不安を覚えさせるには十分過ぎるほどで、これに対してより発言力の高い方がより良い判断へと誘導出来ると踏んだからだ。

 

 ただ、淡々と事実だけを述べたところで納得は得られない。今後の対応について学園全体で協議がなされたが、散々停滞した挙げ句に出た結論は推移を見守るという当たり障りのない事だけ。とは言え、見極めようとしようにも、情報が少なすぎるのもまた事実だ。自分が報告を受ける立場であったならば同じようにしただろう。これならばいっそ、真耶と役割を逆転させた方が良かっただろうか? そんな事を考えながら、千冬は格納庫へと向かう。

 

 人気の払われた格納庫の隅に真耶の姿があった。彼女は千冬の姿を認めると少し古ぼけたスツールへと手招きをする。そのすぐ脇の丸テーブルんの上には、淹れたてのコーヒーが湯気を立てていた。

 

「それで、進展はありましたか? 山田先生」

 

 真耶の隣に座り、軽く体をひねりながら尋ねる。幸い喉は潤っている。となれば、早急の議題は記憶のない少女の事だ。

 

「行方不明届と照合もしていますが、該当する人物は今のところ一人も見つかっていません」

 

 真耶から手渡された書類に目を通す。直近の行方不明が一覧となっていた。どうしようもな事実ではあるが、年に数件はここに人数が足されてしまう。心は痛む。果たして何件が解決に至るだろうか。

 一方で幸いなのは直近数カ月は追加された様子が無い事だ。無論、それは今ここで取り扱われるべき問題の手助けにはならないという事を示しているが。

 

「それと、学力検査をしたところ……学力だけ見れば全体的にIS学園入学ギリギリというレベルでした。ただ……ISに関して気になる事が。実は彼女の持っていたIS……というか指輪を検査したところ、機械がエラーを返しまして」

 

「ああ、偽物だったんですね。それなら話は早い。どこまで狂言かはわからないが、あとは然るべきところで見てもらえば良いでしょう」

 

 千冬は深く座り直し鼻で笑う。ISを所持した身元不明者だと戦々恐々していたところで、結局蓋を開けてみればこれだ。ここまで手の込んだ事例は初めてだが、ISに関する狂言は枚挙にいとまがない。

 

 曰く、適性検査でSが出ただの、独自のISの開発に成功しただの。そのたびに余計な手間を取られて内心迷惑を被っていた。当人には悪いがやはり部外者でしかない。あとは警察にでも身元を引き渡してIS学園としての対応は終わらせるべきだろう。途端に苛立ちが沸き、コーヒーを一口含んだ。

 

 だが、千冬は直ちにその考えを改めさせられる。真耶の表情が未だに晴れず、それどころか益々青ざめていく事によって。

 

「その……そうじゃないんです。『反応しなかった』のではなくて、『エラーを起こした』んです」

 

 言い回しこそ変わったが、先ほどとその内容はほとんど変わっていない。まるで理解できないと、いつの間にか眉間にシワを寄せていた千冬を前に真耶は息苦しそうに肩を上げ、自分に何かを言い聞かせるように長く息を吐くと鋭い眼差しで彼女を睨んだ。 

 

「確かに、あの指輪がただのアクセサリーなら確かに反応もしません。ISではないのですから。でも、一瞬読み込んだかと思えば、すぐにエラーを起こして止まってしまうんです。

 本人のIS適性を調べる為の検査を併せて行ったのですが、そちらの機械もエラーを起こしました。まるで機械が彼女と指輪を拒絶するように。彼女からISを展開させてもいいと提案はされたのですが……立ち会ってもらった技術部門の人達も気味悪がってしまって。

 そもそも、あまりにもISに関する知識がちぐはぐというか、中途半端だと思いませんか? ISを持っている。でもIS学園の事をまるで知らない。その実態にしても、開発の経緯にしても。『ISを皆が持っているものだ』なんて発言、普通はしませんよ。

 仮にそれらが全て嘘だったとしたら何の為に? そんな事をしてまでIS学園に来た理由は? 彼女、一体何なんでしょうか?」

 

 冷酷さすら感じられる真耶の言葉に、さすがの千冬も口を噤む。

 

 ISを持っていながら、ISに関する知識が欠けている。にもかかわらず、ISの存在を常識として受け入れているような態度は、他人が見れば奇怪そのものだ。更には、そのISと呼ぶものの正体が皆目つかないとなれば、そこから恐れが生まれるのは極自然と言えよう。その点で言えば、間違いなく真耶との認識は一致している。

 

 一方で、これは千冬の内心だけあった懸念事項だが、このような状況を生み出せる心当たりは確かにあった。だが、何の前フリもなくこんな悪趣味な事をやるとは到底考えられない。その本質が、どれだけ混沌だったとしても。

 

 少女にまとわりつく違和感は聞けば聞くほどに、考えれば考えるほどに無限に膨らんでいく。やがて、それらは少女を飲み込みその姿を見る事すら叶わなくなるのではないか。千冬の背中にはじんわりと汗が浮かんでいた。

 

 

 






「テンダー(Tender)」=柔らかな、壊れやすい、優しい

「ラヴ(love)」=愛
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