ISは、PIC(パッシブ・イナーシャル・キャンセラー)と呼ばれる慣性を制御する機能によって自身の浮遊や加減速を行っている。そして、この機能を発展させたものがAIC(アクティブ・イナーシャル・キャンセラー)であり、例えばラウラ・ボーデヴィッヒの持つISシュヴァルツェア・レーゲンはこれを用いて任意の対象を停止させる事が出来る。一対一というシチュエーションでは、これほど強力無比なものはそうないだろう。
ここまでは神楽でも十分に把握している範疇のIS知識だ。だが、その知識では今目の前で起こった事、つまり、テンダーラヴの纏う羽衣がラファール・リヴァイヴによって放たれた二発の弾丸を逸らし、無力化したという出来事を理解させるには至らない。神楽の体は驚きと共に前へと乗り出し、文字通り強化ガラスに思考ごと張り付く。
「課外授業だ、四十院。今、どちらが有利だと思う?」
隣に立つ千冬が、そんな神楽へと質問を投げかけた。それによって、止まりかけていた神楽の脳内は引き戻されるように動き出す。視線は続く機動戦に釘付けのまま。
「確か……残弾数に余裕があるのは海人君の方ですけど。先に二発当てていますから、山田先生の方が有利なんじゃないでしょうか」
しばし考え込み、ようやく出てきた回答は神楽が自分自身に置き換えたものだった。演習終了が迫っている中、すでに二発当てて、かつリードしているという状況は技量面だけではなく精神面でも優位に立つ事が出来る。神楽はそう考えた。最悪の場合、ここからひたすら逃げに徹しても勝ちは勝ち。残り時間の少なさもその思考に拍車をかける。
「そうだな。海人は一発、山田先生は二発当てている。、残弾数は海人が二発で山田先生は一発だ。山田先生の方が優勢だろう。今のところは。
だが、海人のISの装備を間近で体験した事で、山田先生に最後の一発を撃つ事を躊躇わせている。意外と追い詰められているのは山田先生の方かもしれないぞ」
そんな神楽の答えに、一度千冬は頷いてから自身の考えを話し始めた。その淀みない口ぶりに、改めて神楽は海人達の演習の様子を観察する。そして、程なくして彼女の目は真耶の奇妙な動きを捉えた。狙いをつける動きに明らかに戸惑いがあった。銃口をテンダーラヴへと向けるも、その度に顔をしかめて身を翻しラファール・リヴァイヴを加速させている。そんな彼女を海人がテンダーラヴと共に追う。技量の差があるであろう二人の関係が、追うものと追われるものという状況が、逆転しているようだ。
そして、追い詰められているのは山田先生の方かもしれないという千冬の考えは、真耶にとってはまさに図星だった。自身へ食らいつこうとする海人の動きを躱しつつ、テンダーラヴについて現時点で分かっている事を急いで振り返る。白金色の帯、というテンダーラヴの奇妙な装備はそれの近くにあるものの動きをコントロール出来るという事実を。
頬を汗が伝う。きっと、安易に狙っても最後の一発は当てられない。残弾の都合上、今までやったような連続射撃で追い込む事も出来ない。だが、海人はまだ二発残っている。万が一にも二発とも当てられてしまえばもう引き分けにしかならない。ただ一撃入れればいいという安心感は、今や焦りとなっていた。
一方で、真耶はある仮説を立てていた。それは、はじめは疑問の形をしていたが、白金色の羽衣をはためかせるテンダーラヴと共に海人が必死に近づこうとする様を見て、そして、そんな彼女へとライフルを向ける度に確信へと変わっていく。
そして、残り時間が一分を切った時、真耶は唐突に速度を緩めて海人へと向き直った。その手にしているライフルを、重力に従うまま真下へと向けたまま。
「……なるほど。弾を逸らされた時はびっくりしましたけど、その装備は万能という訳じゃないみたいですね。遠くまで伸ばす事が出来ない、おそらく、十数メートル程。つまり、IS操縦者に向かってくる脅威に対するものとして特化している。そうでなければ、きっと今頃私の動きは封じられていたでしょう」
真耶の言葉に、迫る海人の表情が綻び期待に満ちた笑みへと変わる。
「山田先生はマジで強いです。俺なんかついていくのに精一杯で。だから、テンダーラヴが出来る事を見抜いた今なら、俺が何をやりたいのかもきっと分かってくれると思っています」
海人が独り言のようにそう言うと、テンダーラヴの腰部の帯が風を受けたように浮き上がり、生き物のようにうねった。
その瞬間、真耶の表情が引きつる。演習が始まった直後の海人のように、相手と距離を離す為に後方へと飛ぶ。だが、テンダーラヴは勢いを殺すことなく距離を詰めてくる。その腰から伸びる白金色の帯は花びらのように広がる。真耶は、海人が企みのままに接近してくる事を確信しラファール・リヴァイヴと共に上方へと跳ね上がった。
テンダーラヴの持つライフルの銃口が、ラファール・リヴァイヴを下から追ってくる。前方から急速に迫りくる鉄骨造の天井を前に、真耶は歯を食いしばる。これが屋外のアリーナならばいくらでも対応策を取る事が出来ただろうに、と悔しくなった。背中は燃えるように熱くなり、急速に上がる体温を鎮めようと嫌な汗がじっとりと浮かんでいる。鋭くなった感覚が電撃にように背筋を走る。そして、ラファール・リヴァイヴの軌道を変えようと身を翻した瞬間、待っていたと言わんばかりに海人が引き金を引いた。
「……やっぱり!」
真耶の悲鳴にも似た叫びが、ライフルの発砲音にかき消される。極まった彼女の集中力が、銃口から飛び出したペイント弾を視界に捉える。だが、彼女が叫んだ理由はそれではなかった。
海人の放った弾丸のすぐそばに、寄り添うように白金色の帯があった。それの延長線上に、ちょうどラファール・リヴァイヴを先回りするような軌道でゆるやかなカーブを描いている。そして、たった今放たれた弾丸はそれに導かれるように、真っ直ぐラファール・リヴァイヴへと向かう事なく、白金色の帯の上を滑っていく。
「残り十秒!」
海人が叫ぶ。白金色の帯がほどけて、二発目が放たれた。直線軌道を描くそれは、一発目と併せてラファール・リヴァイヴを挟み込むように飛翔する。
テンダーラヴは止まらない。そして、白金色の帯が引きちぎられんばかりに震えながらも、その先端はラファール・リヴァイヴへと向かってくる。
「……でも、これで3-2ですね」
だが、真耶はさも余裕があると言わんばかりに口角を上げた。その額に浮かぶ汗は、すっかり乾ききっていた。海人の瞳が、驚愕に震えるのを彼女は見逃さない。自分に向かってくるペイント弾を一発、胸部で受けながら急降下する。パンと音が弾けて僅かな震えがじんと来るが、到底ISの勢いを殺すに至らない。
そして、一瞬の静寂の後、ラファール・リヴァイヴはテンダーラヴへと空中で激突する。骨の髄まで響くような重たい振動が真耶の体中を走った。
その反動はテンダーラヴにとっても同様だった。海人の表情が強張り、痛覚に悶えるように白金色の帯がのたうち回る。真耶へと向かうカーブを作っていた帯もまた当然のごとくひどく乱れ、軸のぶれたペイント弾がラファール・リヴァイヴの脇を抜けていった。
すかさず、がら空きとなった本体に向けて今度こそと真耶はライフルを向けた。すでに海人は残弾を打ち切った。両者はほぼ密着状態。白金色の帯が入り込む余地はほぼ無く、防御も間に合わない。勝利の確信とともに、引き金を引く。これが、三発目だ、と。
ひときわ大きな銃声が演習場を満たす。そして、赤い塗料が宙に飛び散った。演習終了を告げるアラームが大きく鳴り響いた。
最後になんとか一発当てた。これで3-2。一教師という視点で見れば、内容はかなり大人げないものだ。だが、IS操縦者として全力を出し切ったという自信があった。IS学園の教師となって随分と経つが、これだけ充実した時間を過ごす事が出来たのは久しぶりだった。
だが、体の中に沸き上がるはずの充実感はたちまちに勢いを失った。代わりに、恐怖に似た違和感が彼女を満たした。赤い塗料が、いつまでも視界から拭えない。ゆっくりと視線を落とす。真耶は言葉を失った。ラファール・リヴァイヴの上半身が真っ赤に染まっていた。
ただちに彼女の思考は、それらがたった今自分が放ったペイント弾のものである事を悟った。次に押し寄せてきたのは疑問。間違いなく、自分はテンダーラヴへと最後の一発を放った。なのに、この状況は何だ、と。頭が重たくなり、足元のふらつく。今にも倒れ込んでしまいそうな体を何とか奮い立たせて、ゆっくりと地上へと戻る。
そこで、ようやく彼女は染まっているのが視界だけではなく、その原因が自身のライフルにあった事を理解した。愕然としながらライフルを見る。銃身がひどく膨れ上がり、銃口から赤い塗料が噴水のように吹き出している。自分が放ったであろうペイント弾がライフルの銃身内部で暴発している事は明らかだった。
「全くひどい有り様ですね、山田先生」
全身から力が抜けていく。膝から崩れ落ちそうになった時、後ろから千冬の声が聞こえた。振り返ると、肩をすくめてる千冬と、厚手のタオルを手にした神楽の姿があった。
「あ、あの。とりあえずタオルどうぞ。どこまで落ちるか分かりませんが」
「あはは……ありがとうございます四十院さん」
一旦ラファール・リヴァイヴより装甲を外して身を下ろす。その弾みで、顎下より、ドロリと塗料が砂地へと落ちる。顔についた塗料を未だに整わない感情ごと、神楽から受け取ったタオルで拭った。眼鏡についていた塗料も拭き取られ、やや曇り気味の視界が広がる。
「二言は無い。自分の得物を壊すなど言語道断。失格モノだ。確かに私はそう言ったな? 海人よ」
そんな彼女のを横目に、千冬の鋭い視線が海人を刺す。だが、当の本人は黙って微笑むだけだ。
「ちょ、ちょっと待って下さい。確かに暴発したのは私の持っていたライフルですけど、相手の武器を破壊するなんてあんまりじゃないですか?!」
狼狽する真耶は二人の間に割って入る。当然だろう。このような結果、受け入れられる訳が無い。例え、大人げないと言われようとも。だが、その意図に反して、千冬の表情は硬いままだ。
「山田先生、私も『その可能性』は真っ先に疑いました。ですが、今回の演習を撮影していたカメラのいずれも、山田先生のライフルが暴発する瞬間は海人が山田先生のライフルに何か細工をするような様子は映っていませんでした。ただ、ライフルが暴発した様子だけが映っていたんですよ。
無論、ブースからも何があったのか見えません。ま、現状は限りなくグレーですがね。あとは最も間近で見ていたであろう山田先生だけが頼りですが」
千冬の詰問に、とうとう真耶は押し黙ってしまう。暴発の原因は間違いなく海人が何かをしたからだという確信はあったし、この場にいる誰しもが同じ考えでいる事は疑う余地も無い。だが、自分ですら何があったのか分からない。むしろ、それを説明出来たとしたならば次の追求は決まっている。「分かっていたのならば、なぜ引き金を引いたのだ?」と。
海人に完全にしてやられたと思った。ISの技術はこちらが上であり、幾度か巻き返された場面もあったが終始リードを奪っていた。だが、海人の狙いは始めからそこだった。ほんの僅かな焦りの混じった決め手を打つように仕向けられたのだ。今思えば、演習開始直後に海人がライフルを暴発させた事も、千冬から『得物を壊したら失格』という言質を取る事が目的だったのだろう。
「まあ、今回の演習を授業に組み込むなら色々と制約を作っておかないとまずいでしょうね。そういった意味でも、意義のある時間でした」
千冬の言葉で、半ば強引に演習は幕を閉じる。当初、勝敗はおまけみたいなものと言っていた真耶だったが演習を終えた今となっては虚しく、置いてけぼりをくらったようにガクりと肩を下げてしまった。
◇
「……それで、結局何をやったの?」
「山田先生とはまともにやりあっても絶対に勝てないなって思ったから、まあ、その。ズルしたんだ。終始綱渡りだったけどね。俺の暴発を見た織斑先生が得物を壊したらペナルティがあるって言ってくれた事、あれが大きかった」
演習を見届けた神楽は医務室まで海人を案内した後でうずうずする感情をこらえきれず、その場で本人へと直接問いかけていた。無論、彼女に叱責の意図はない。海人もそれが分かっているからこそ、実に楽しそうに種明かしを始める。
「山田先生の洞察力も大切だった。一見でテンダーラヴの特徴をほとんど見抜いてくれたから」
「あの、弾丸を逸らした時の?」
「そう。テンダーラヴは帯を使って近くにあるもの動きをある程度コントロール出来る。けど、テンダーラヴの装備自体に拘束力はなくて。攻撃に転じにくくIS操縦者を守る事に特化していると分かったからこそ最後の最後で突撃なんてしてきたわけだし」
海人はそう言いながら左手を持ち上げて手首を返す。親指に嵌められた銀の指側夕日を浴びて赤く光った。ぶかぶかとする制服が肘までずるりと下がる事を気にする様子もなく、彼女は光の反射を愛おしそうに見つめる。
「でも、どうやって暴発なんて?」
「山田先生が撃って、テンダーラヴで無力化して砂地の上に落ちた弾丸あっただろ? 山田先生を追跡する時にそれを拾っておいたんだ。俺が二発連続で撃った時に、山田先生の視線がそっちに釘付けになったから、その隙にそれをライフルの銃口から押し込んで。位置的にも神楽さんや織斑先生がいたブースからはラファール・リヴァイヴが影になってて見えて無かったから、それはもう堂々と」
饒舌に語る海人を前に、なんとも危ない事をするものだと神楽は複雑な心境を抱く。いくらペイント弾とは言え、あんな間近で暴発すれば自分だって塗料まみれだ。本来の演習がどういうものを想定していたのかはわからない。だが、真耶が一生懸命タオルで拭っているのを見ていたが量が量だけにそう簡単に落ちきらないだろう。後々の整備だって苦労をかけるはずだ。
果たして、そんな神楽の気配に気づいたのか。海人は視線を彼女の方へと向けて笑う。
「でも、織斑先生は俺が何やったか気づいていたと思う。わざわざ暴発の瞬間は何も細工する様子が無かったって言ってたくらいだし。もっと遡って演習の映像を解析してたら多分バレてた。それでも追求されなかったのは運が良かった、というよりは見逃されたって事だろう」
神楽には、時折笑いをこぼしながら語る海人がまるで悪戯を企む子どものように思えた。矛先を向けているのはブリュンヒルデの称号を持つ、世界最強のIS操縦者だというのに。一家言の一つや二つ言ってやろうという気持ちはたちまちに抜かれてしまう。
しかしながら、それ故に抱く疑問もあった。彼女の実力はきっと間違いないのだろう。自身のISを使いこなしている。観戦しているものが夢中になる程に。だが、それは見方を変えれば、彼女は自分の事を何一つ、自分がどこから来たのか、とか、自分の名前だとかを考えている様子がないという事だ。今はもう純粋に、ISを動かす事だけを楽しそうに話している。
神楽は考える。果たして海人は一人の人間としての、自分への興味を失っているのではないか、と。