一言で言うなら時代がそれを許さなかった


2組の邂逅は令和X年、結束バンド2年目、デトロイト・メタル・シティ6年目のことであった。

老いたりとはいえ血気盛んなデトロイト・メタルシティが結束バンドに後れを取るということはない。

若い結束バンドの豊かな女子高生の肢体を揉んでやろうという気概は当然持っていた。


本書は『なぜ』の部分にスポットを当て、関係者たちの主観によって進められるドキュメンタリーである。


伊地知虹歌、デス・レコーズ社長、ぽいずん☆やみ、GOD、などへのインタビューによって、官能的とも言われたベッドテクニックを駆使し『紳士なるデスペニス』と異名をとった音楽活動や、東スポ誌上で行われた論戦の顛末が詳細に浮かび上がる。


そこには若い結束バンドに対する嫉妬の情や、これからインターネットによって更に花開かんとするインディーズ文化への期待が読み取れる。

『なぜ殺さなかったのか』ではなく『なぜこの2組が同じ時代に音楽をしていたのか』を書き起こした著者渾身の1冊である。

※本文とあらすじには一切の関係はありません



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 私の夏は殺された。

 

 うだるような灼熱の押し入れのなかで、PCにつないだ安物のヘッドフォンから、血と臓物と汚物にぬれた憎悪が、私の脳みそをかき回した。

 

 激しく、猥雑で、拒絶している。その一方で、そんな自分を受け入れて欲しいと叫んでいる。おびただしく流れる血と憐憫のギター。この孤独の断末魔は、自分がこころざす楽器で奏でられている。その事実が、ただただたまらなく嬉しい。この曲を弾きたい。はっきりとそう思った。

 

 一夏かけた、秋にさしかかる、冬がきた。

 

 同じコード、同じチューニング、同じ音階、同じ弾き方。思いつくかぎりの全てをコピーした、はずなのに「違う」。

 

 きっと、この曲を自分のチャンネルにアップロードしても、分かる人はいないだろう。きっと、友達ができても、このバンドの話はしないだろう。きっと、バンドを組んでも、この曲をコピーしないだろう。そう当然のように考えて、練習をやめた。

 

 それは後藤ひとりの数多い挫折のなかで唯一の、ギターにおける挫折だった。

 

「で、デトロイト・メタル・シティですか…?」

 

「ああ、知ってるか?」

 

 後藤ひとりの胸中に、3年前の、あの夏の蒸し暑さまでよみがえってくる。デトロイト・メタル・シティの「SATSUGAI」。夢にまでみた本物の殺人音楽(キラーチューン)。

 

「ひ、って、知ってまふ」

 

 後藤ひとりの口がもつれる。これは動揺からではない。いつもこんな感じだ。

 

「そっか…」

 

 後藤ひとりと話していたパンキッシュな女性はそれきり喋らなくなってしまった。

 

 対面する後藤ひとりは、これで会話が終わったのか、それとも会話は続いているのか、自分が嫌われてしまったのか、判別がつかなかった。彼女はコミュ障であった。

 

「…ハワワ…」

 

 彼女の脳内では、会話の失敗によって、このバイトはクビになり高校は中退、就職はもちろん上手くいかず、自室の押し入れに閉じこもり、20代が過ぎ去っていく…というネガティブイメージが暴走していた。わるいほうに想像力がゆたかだ。

 

「おねーちゃん、ぼっちちゃん、なに話してるの?」

 

 そこへ、パンキッシュな女性を一回り小さくして、愛嬌をふりかけたような少女が話しかけてきた。彼女は、伊地知 虹夏。後藤ひとりが所属するバンド、「結束バンド」のリーダーであり、このライブハウスのオーナーの妹だ。

 

 つまり、後藤ひとりと話していたパンキッシュな女性は、このライブハウスのオーナーということになる。

 

「デ、デトロイト・メタル・シティの話です」

 

 後藤ひとりは暴走から、かろうじて持ち直した。

 

「なにそれ、町?あ、バンド?」

 

 パンキッシュな女性は、はぁ、とため息をつく。そこへ

 

「なになになに、虹夏はデトロイト・メタル・シティ知らないの!?」

 

 とつぜん会話に、顔のいい女がとびこんできた。彼女は、山田 リョウ。結束バンドのベースで、無口でミステリアスな雰囲気の美少女だ。

 

「デトロイト・メタル・シティはね、デスメタルバンドだよ。それも並大抵のデスメタルバンドじゃなくて、日本一どころか世界一と言われるほどのバンドで、世界中のメタルバンドと対バンで直接対決して勝ち続けて、デスメタル界を征服したと宣言できるほど好戦的で野心的なバンドなんだよ。何よりフロントマンであるクラウザーさんのギターボーカルもさることながらパフォーマンスがズバ抜けてて…」

 

 コアな音楽の話題になると、とたんに早口になるが、ふだんは無口でミステリアスで、知的な雰囲気がするのだ。だが最近、ボンヤリしてるだけの音楽バカではないかとバレはじめている。

 

「リョウ先輩くわしいんですね!」

 

 リョウの後ろに付いてきたキャピキャピの女子高生は、喜多 郁代。結束バンドのギターボーカル。初心者だが努力家で、イソスタとフラペチーノを愛する陽の者でもある。陰の者である後藤ひとりの天敵だが、数少ない友人の一人だ。

 

「イクヨも興味あるの!」

 

「はい!その名前では呼ばないでください!」

 

 ちなみに喜多郁代は自分の下の名前が気にいっていない。

 

「こんど一緒にライブいこ!」

 

「ぜひ!」

 

「一緒にレイプされよう!」

 

「えっ?」

 

「運が良かったらお尻も叩いてもらえるかも!」

 

「え…えぇ…?」

 

 二人の様子を見ていた虹夏がたずねた。

 

「…ヤバいバンドなの?」

 

「さ、殺人はしてないはずです…まだ…」

 

 うへぇ、と虹夏は声に出した。

 

「で、おねーちゃん、そのデトロイト・メタル・シティがどうしたの?」

 

 パンキッシュな女性、姉の星歌は、いちど顔をしかめると妹から目を逸らす。

 

「…なんでもない」

 

(なんかあるんだ…)

 

 妹はそう直感的に感じたが、それ以上は突っ込まなかった。事実、なにかはあったが、言うほどのことではない。だが言った方がいいかもしれない。星歌は昨日の夜の出来事を思い出していた。

 

ーーー

 

「…んー…」

 

 閉店後のライブハウス店内、星歌はうなっていた。ライブハウス「スターリー」は危機に瀕している。それも開店してからずっと。いやライブハウスなんて、どこもこんなもんだろうと思う。

 

 だけど妹の虹夏は、自分のやっているバンドによって「スターリー」を盛り上げて、いつかここを一流のライブハウスにするという夢を持っている。その話を聞いたとき、危うく泣くかと思うほど嬉しかった。

 

 結束バンドはいいバンドだ。きっとすぐにでも「スターリー」のキャパを飛び越えていってしまうだろう。その時に、仮にも結束バンドのホームだったライブハウスとして、バンドがナメられないようなライブハウスでいたい。これは最低限の、姉としてのプライドだった。

 

「よしっ、…?」

 

 星歌がもう一仕事しようと気合いを入れると、背後に人の気配がした。

 

「ファック、しょぼくれたライブハウスだな」

 

 暗闇に、赤い点が光っている。刺々しい煙の臭いが鼻をついた。タバコだ。火が強く赤く光ると、暗闇に中年女を浮かび上がらせた。音楽の魔女だ、と星歌は思った。

 

 十年前に一度、うさんくさい業界人の紹介で会ったことがある。音楽業界の都市伝説のような人物だ。実在したのかと当時驚いた。

 

 舐めた音を出したら刺し殺すと言わんばかりの眼光。ふてぶてしく、人を食った態度。人格も口も趣味も最悪だと思ったが、音楽に対する知見の広さと深さだけはなにを抜きにしても尊敬に値すると感じた。

 

 あの頃から少し老けただろうか。年を取るということは彼女も人間だったらしい。だが老いてなお、いやむしろ年齢のぶん迫力が増しているような気さえする。

 

「…ブラック&デスレコーズの社長さんがなんの用ですか?」

 

「キッキ、今はデスレコーズだよ。ドリンクねぇのか」

 

「閉店してます。…自分でしてください」

 

 社長はカウンターに入ってプラコップを探り当てると、器用にビールを7:3で注いでみせた。それを一気に飲み干すと、二杯目を注いでから、星歌の横に座った。星歌はここは禁煙だと言おうと思ったが、聞かないだろうと思って、いうのをやめた。

 

 この女が現れるのは、いつだって辻だ。変わり目、節目、そういう人やバンドや場所に、どこかからともなく現れる。彼女が去ったあとに残るのは、音楽だったものの残骸だけ。

 

「デトロイト・メタル・シティ」

 

 唐突に放たれた名を聞いて、星歌は身震いした。

 

「ウチでやってるバンドだ。ここで、アンタのとヤらせろ」

 

 星歌は目も向けずに言った。

 

「私はもうバンドはやってません」

 

「ヒッヒヒ、ちげぇよ。何だっけ…結束?とかいうのいるだろ」

 

 やはりか

 

「…相手になりませんよ、雑魚には興味ないんじゃなかったですか」

 

「キッキキキキ…」

 

 気味の悪い笑い声だ。

 

「ピンクのプルプル震えてるローターちゃん…アイツだ」

 

 どくん、と星歌の心臓が波打った。

 

「ウチが勝ったらアイツをもらう」

 

 星歌が初めて魔女の目を見る。笑っている。心底楽しそうに。ぶしつけな要求に血が逆流しそうになるが、こらえた。

 

「……バンドから、引き抜きするような、人じゃなかったと、思ってましたが」

 

「バンドねぇ……」

 

 魔女はたっぷりと紫煙を吸い込んだ。

 

「アレが?」

 

 ガタンッ

 

 星歌が席を立つと同時に、イスが倒れた。魔女は嬉しそうにニヤニヤと笑っている。星歌はその顔に吐き捨てた。

 

「出ていってください」

 

 魔女は、タバコをカウンターに押しつけてもみ消すと、立ち上がった。

 

「キッキッキ、じゃ、そういうことだ。またな」

 

ーーー

 

 星歌の心の中は、昨日からずっとざわめいている。あの魔女は、やると言ったらやる。どんな手段を用いてでも。

 

「じゃあ、ぼっちちゃん、私をお客さんだと思ってドリンク聞いてみて!」

 

「ぁへぁ…」

 

 そんなすさんだ心に、妹とぼっちちゃんのかけあいがしみこむ。こんな日々がいつまでも続けばいいと思ってしまう。接客は上手くなって欲しいが。

 

「ん?司馬さんからロインだ」

 

 虹夏のスマホに連絡が入った。司馬というのは結束バンドが契約したレーベルの担当者だ。

 

「えっ…ええっ!?」

 

「どどど、どうしたんですか」「レーベル倒産?」「契約解除ですか!?」

 

 後藤ひとり、山田リョウ、喜多郁代が反応する。

 

「デトロイト・メタル・シティと…対バン!?」

 

 やられた、と星歌は奥歯をかんだ。レーベル担当の司馬さんは、冷静沈着なキャリアウーマンに見えるが見かけよりずいぶん若く、血気盛んなところがある。あの魔女がかるく挑発すれば一発だろう。

 

「アワワ…ママにメールしなきゃ…『いままで育ててくれてありがとうございました』…」「イクヨ、大丈夫だよ。せいぜいギターで殴られてレイプされる程度で済むよ」「ヒィィィ」「どど、どうしよう、おねーちゃん」

 

 星歌はパニックに陥る3人を見て、3人?

 

「……ぼっちちゃんは?」

 

「「「え?」」」

 

 探してみたが、ゴミ箱の中にも、テーブルの下にも、カウンターの裏にも、コースターの裏にも、後藤ひとりは居なかった。

 

ーーー

 

 その頃、後藤ひとりは、下北沢のよくわかんない公園にいた。

 

(逃げてしまった…)

 

 デトロイト・メタル・シティとの対バン。対バンと言えば聞こえはいいが、その実態は殴り合いが近い。高田vsドンフライだ。無傷では済むまい。

 

 もし負ければ、おそらく「スターリー」は燃やされる。さらに、目に付く女性は全て、ヨハネクラウザーⅡ世のデスペニスによってレイプの餌食となるだろう。結束バンドの4人はもちろん、星歌さんやPAさん、司馬さんだって危ない。幼児体型のぽいずん☆やみさんは大丈夫かもしれないが、あのヨハネ・クラウザーⅡ世だ。関係ないかもしれない。

 

 そうはさせない。後藤ひとりの孤独に孤独を重ねたような人生で、ようやく手に入れた居場所、ようやく作れた友人、それが結束バンドだ。結束バンドは永遠につづくのだ。毎年、いや、半年に一回、海とか山とかにいって花火とかをするのだ。

 

 負けられない。だがそうなると、後藤ひとりはヨハネ・クラウザーⅡ世の断末魔のギターと戦うことになる。3年前に諦めた、血の流れるような本物の叫びと。「SATSUGAI」。胸の中に、味のしない苦みが蘇る。

 

 もし、もし、敗北すれば、スターリーは全焼、ホームのハウスも失い、心に傷を負って自信喪失したバンドは自然消滅…そして後藤ひとりの友人はまたゼロ人、引きこもって高校は中退、就職は失敗、一人…押し入れのなかで…ストロング缶を…ストローで…

 

「オ゛ア゛ア゛ア゛ッッッオ゛オ゛オ゛オ゛ンッッッ!!!」

 

 最悪の未来が後藤ひとりを襲う!

 

「えぇっ!きみ、だ、大丈夫かい?」

 

 バグりかけた後藤ひとりに通行人が心配して声をかけてくれた。キノコヘアーの、少し鼻につくおしゃれな男性だ。

 

「オッオオ、オヘ、はへぁ、だだ、大丈夫でふ…」

 

「えぇ…ほら、これお水、口つけてないから…」

 

「ああ、あ、ありがとうございます…」

 

 なんて親切なキノコなのだろうか。下北沢の人情に後藤ひとりは感動する。

 

「なんだか、悩みがあるみたいだね?」

 

 親切なキノコは後藤ひとりの横に座ると、ひとりの背のギターを指さした。キノコも同じく、ギターを背負っている。

 

「おせっかいかも知れないけど、僕もミュージシャンさ。先輩として、話を聞いてあげるぐらいは出来るかもしれないよ?」

 

 キノコは、人当たりの良さそうな笑顔で、ふっと微笑んだ。きっと彼は少しおせっかいで鼻につくが親切な人なのだろう。

 

 だが、このあたりで後藤ひとりの対人キャパシティは限界になった。無理だ。

 

「だだ、大丈夫です、このギターは買ったはいいものの練習もせず押し入れに入れっぱなしのギターで、これから楽器屋に売りに行くところだったんです。かか、買ったときにはいい値段だったのでそこそこで売れるかなぁって思って、今日はちょっと贅沢してお寿司でも食べに行っちゃおうかなぁ!やったぁ!それじゃ!」

 

 後藤ひとりは爽やかに立ち去ろうと左手を上げた。

 

「…それ、嘘だよね。」

 

「!!」

 

 後藤ひとりは固まった。

 

「指を、手をみたら分かるよ…ギタリストの手だ。僕にはさ、きみに何があったかは分からないけど、もう少しだけ、音楽を信じてあげてもいいんじゃないかな?」

 

「アッハイ、すいません、全部ウソです」「えっ!?ど、どこから…?」「全体的に…」「…」

 

 キノコの顔がみるみる赤くなっていく。毒キノコっぽい。

 

「…あ~はは、よか、よかった、はは、まあそうだよね!ごご、ごめんね、グイグイいって!よく考えたら事案だよねこんなの!ははは!」

 

 照れ隠しに振られる彼の手に、見覚えのあるタコが見えた。その手は、キノコの言葉を借りるならギタリストの手だ。

 

 それだけではない。絆創膏がいくつも左指に巻かれていた。タコが出来るほどの上級者が指先を弦で傷つけることなんてほとんどない。指の皮は分厚くなり、弦の押さえる加減も自然に身につくからだ。

 

 その絆創膏は、薄っぺらで鼻につく言葉よりも、彼が常に自分の限界を超えようとする本物のギタリストだということを、はっきりと物語っていた。

 

「い、いやぁ、悩みがないならいいんだよ、じゃあ、あはは…」

 

「あ、あの、じ、じつは…」

 

 その絆創膏を信じて、後藤ひとりは話し始めた。バンドのこと、対バンのこと、ギターのこと、またバンドのこと。上手く説明できなかったが、キノコの聞く根気も中々のものだったので、辛うじて伝わったようだ。

 

「……えー?えっと、つまり、対バンするけど、自分のギターが相手のギターに敵わないかもしれなくて不安、ということでいい?」

 

「…はい…」

 

 キノコは少し考えると、よし、とわざとらしく言った。そして背負ったケースからアコースティックギターを取り出し、演奏を始めた。

 

「僕も実はバンドやっててね、その、多分、全然知らないと思うけど」

 

 サブカルの町、下北沢には大小無数の飛沫バンドがある。きっとそのうちの一つなのだろう、と後藤ひとりは考えた。

 

「でね、音楽の方向性って言うか、そういうのがやっぱりメンバーとはちょっと違うんだよね」

 

「はぁ…」

 

「でもね、バンドっていうのは、そういうものだと思うよ。なんていうかな、仲良しなだけではいられないんだよ、バンドやってるとさ」

 

「へぁ…」

 

「だから君も、バンドメンバーの事を、信用してあげるといいよ」

 

「……」

 

 後藤ひとりは、その言葉をうまく受け取れなかった。そもそも、質問と少しずれた答えだ。

 

「…よし!じゃあ、きみに歌をプレゼントしよう!」

 

 暗い顔のままの後藤ひとりを見かねたキノコは、立ち上がって少し前に移動すると、くるりと回転して、後藤ひとりに向けて歌い出した。

 

「ワン、ツー、スリー、フォー…」

 

 パンケーキみたいな雲のうえ 君のこえで目覚めたよ

 すてきな朝 ドキドキの初恋

 芝生のうえ寝転んでさ 君の歌きいて

 星空のしたで 眠りたいな

 日曜日の朝

 鳥のこえが 虫のこえが オケラのこえが

 ぼくらを呼んでるよ

 もっとぼくをぼくに好きにさせて 君のLOVEで

 もっとぼくがぼくを好きになる 君の歌で

 二人の星座を作りに まちへ出かけよう

 

 

 後藤ひとりは恐怖した。

 

 腐ったダンシングフラワーが人肉を求めるような、奇怪な腰ふりダンス。歌詞は朝なのか夜なのかもよく分からない、良さそうな言葉だけの薄っぺら。歌唱法は、むやみに広い音域と安定した高音を悪用した、一級品の猫なで声。

 

 何よりも、ヒット曲をツギハギして、ギリギリバレないように加工しただけの、オリジナリティや斬新さのカケラもないメロディ。

 

 まともな音楽家なら義憤に駆られて彼に殴りかかってもおかしくないほどの、どこに出しても恥ずかしい「ポップミュージックの露悪コピー」が完成されていた。

 

 もしこれが、この人物の本当にやりたい音楽だというのならば、その性根は根元から腐っている。

 

「うわ…何アレ」「ヤバ」「ちょ、ひっどw」

 

 人々が遠巻きにドン引きしている。なかには面白半分に撮影をはじめる者までいた。だがキノコはあろうことか、そんな人々へ向けてアピールをしはじめたのだ。

 

 後藤ひとりは彼の目の前、特等席で、できるだけ他人に見えるように努力をした。もうやめてくれ、手なんて振らないでくれ。そう何度も、何度も願った。地面を凝視する。アリさんがよく見える。時間だけがすぎていく。

 

 もしかしたら、そんな後藤ひとりの祈りが神様に届いたのかもしれない。キノコのライブに割り込む者があらわれた。

 

「君、ちょっといいかな」

 

 それは警察官だった。にわかにざわめくギャラリー。撮影者が増える。

 

「えっと、なんですか」

 

 キノコは余裕だ。それはそうだ。彼は犯罪は犯していない。ただ路上でポップミュージックをナメ腐って冒涜していただけだ。彼を裁く法を、人類はまだ発明していない。

 

「キノコヘアーの男がピンクのジャージの女子高生につきまとっているという通報があって…そっちの子、大丈夫かい?」

 

「ぁへぉ?アッハイ」

 

「もう大丈夫よ」

 

 もう一人いた婦警が、後藤ひとりを抱え起こして、包むようにキノコとの間に割って入った。

 

「あ、あの、僕は怪しい者じゃなくて、彼女が気分が悪そうだったから介抱を…」

 

 キノコが焦って弁明をしている。

 

「本当?ねえ、彼、知ってる人?」

 

「は、はい。知らない人です」

 

 警官の目が険しくなる。

 

「大丈夫な人?」

 

 この質問に、後藤ひとりは迷った。彼は間違いなく親切だ。だが彼の音楽センスやスタンスについては、大丈夫というには、大丈夫じゃなさすぎた。

 

「ぇ、えっと…分からないです」

 

「えっ、ちょっと!?」

 

 キノコは焦って後藤ひとりの方を見るが、警官がキノコに密着するように立ち塞がった。婦警は後藤ひとりに更にたずねた。

 

「…危ない人?」

 

「あ、危なくは…ないです、たぶん…私がなにもいわなければ…」

 

 警官の手が腰に伸びた。なにか黒い塊を手中にしている。

 

「辛かったわね、もう大丈夫よ」

 

「あっ、ふぇっぁ…ぁれ…」

 

 婦警が後藤ひとりを包み込むようにしてキノコから遠い方へ連れて行く。後藤ひとりはただならぬ雰囲気に、どこでどう間違え、どう訂正していいか分からず、変な声を出すしかなかった。

 

 男性の警官は腰に手を当てたまま、キノコの顔をじっと見て、刺激しないように尋ねた。

「君、ちょっと交番までいいかな?」

 

「ち、違うんですよ!本当に彼女が苦しそうにしてたから…!」

 

「それはそう見えただけでしょ、あのね、そういう思い込みはね…」

 

「いや、本当に違うんですって!」「っ確保!」

 

 後藤ひとりは婦警に連れられながら、心の中で謝っていた。ごめんなさい、下北沢の親切なキノコさん。ごめんなさい。全然うまく説明できませんでした。

 

「うう…ごめんなさい…」

 

「貴方が悪いんじゃないわよ」

 

 婦警さんは優しかった。

 

ーーー

 

 下北沢の路上を、奇妙な2人が歩いている。

 

 一人は、ホストだろうか。キメキメの金髪に、キメキメのファッション。だが背にベースを担いでいる。だとすればヴィジュアル系バンドのベーシストかもしれない。

 

 その隣には、見るからにオタクと言った風情の、いや、小物に描かれている二次元のキャラクターを見れば、間違いなくオタクだと断言できる、小太りの小男だ。しかし手にドラムスティックを2本持っている。ならばドラマーか?

 

 ホスト風の男が口を開いた。

 

「根岸のヤロウ、今日シモキタで音合わせだって言ってたのに、欠席のメールすらよこさねぇ…アイツ、デトロイト・メタル・シティで世界を獲ったからって、最近ちょっとたるんでるんじゃねぇか?」

 

 オタクが相づちをうつ。

 

「ゴミクズ」

 

 デトロイト・メタル・シティ。そう、この2人は紛れもなく、デトロイト・メタル・シティのメンバー、ベースのジャギ、そしてドラムのカミュであった。

 

 今日はギターボーカルの根岸、つまりヨハネ・クラウザーⅡ世もまじえた3人で、下北沢のスタジオで音合わせをするという約束だった。なのにメールひとつよこさず、根岸はドタキャンしたのだ。

 

「…ッチ、いったい何してやがるんだ根岸は…」

 

 こんなことは滅多になかった。破滅的ライブパフォーマンスとは裏腹に、オフの根岸は真面目な男なのだ。ジャギは違和感をおぼえていた。カミュは短く答えた。

 

「逮捕」

 

「はは、そんな、まさか…いや……」

 

 反射的に、そんなはずはないと思った。だがよく考えれば、そんなはずはあった。

 

 ジャギは、根岸という真面目な男が、ヨハネ・クラウザーⅡ世の衣装を着るやいなや、デスメタルパフォーマンスとして軽犯罪の限りを尽くすことを最も間近で見てきたからだ。

 

 それはステージ外でも関係ない。根岸という男の小さな器が憎悪で満たされるとき、ヨハネ・クラウザーⅡ世は現れ、悪逆非道のデスメタルを行うのだ。奴こそ本物の怪物。メタルモンスターだった。

 

 そのように根岸に惚れ込んでいるジャギだが、ステージ外で行うデスメタルが、おそらく都の条例に抵触するであろう事ぐらいは分かっていた。

 

「い、いくぞ、カミュ!」「ドグサレ」

 

 ジャギは走った。当てなんてないが、下北沢でクラウザーが暴れそうなポイントは限られている。おしゃれなカフェ、おしゃれな公園、おしゃれな服屋、いずれかだ。

 

「こっちに公園があったはずだ!」「交番」

 

 カミュは冴えていた。条例違反ならまず交番で厳重注意を受けるだろう。公園の最寄りの交番は高架下にある。

 

 そして、2人は見た。根岸が、交番から釈放されるところを。その憎悪に満ち満ちた表情を!

 

「ふっ…なるほどな。どうやら、たるんでたのはオレたちだったみたいだな」

 

「うどん」

 

 その表情を見たとき、ジャギは気づかされた。たかが対バンとナメていたのはジャギの方だ。クラウザーは対バン前の調整としてスタジオよりもブタ箱を選んだのだ。音楽だけではなく、その殺意をも研ぎ澄ますために…!

 

「奴こそメタルモンスターだぜ…!」「釜玉」

 

 2人は対バンへのやる気を漲らせながら、下北沢の町へ消えていったのだった。

 

 一方、根岸こと、ヨハネ・クラウザーⅡ世の胸中は、奇しくもジャギの誤解の通り、憎悪に沸き立っていた。

 

(あのクサレピンク女め…ちょっと乳がデカいからっていい気になりやがって…!親切にしてやったのにオレを売りやがった…!許さねぇ…許さねぇぞ…!)

 

 交番では荷物はもとより、スマホの中身まで全て改められた。盗撮写真などもちろん出てこないが、スマホにメモしていた、おしゃれな自作ポップソングの歌詞を見られた。それを見た警官は失笑していた。それは、屈辱の極みであった。

 

(クソっ!クソっ!ん…?し、しまった!)

 

 返却されたスマホを確認すると、そこには未読の山。根岸はそこで、ようやく今日がバンドの音合わせの日だったことを思い出した。

 

(や、やばい、社長にぶっ殺される…!いそいで謝罪して……ん?)

 

 ロインには対バン相手の情報も貼られていた。そこには本人達らしきジャケ写もついている。4人の女子高生が壁の前でジャンプしているなんともかわいい写真だ。その中になんと、根岸をブタ箱にブチ込んだ、ピンク女が居たのだ!

 

 根岸は、ヨハネ・クラウザーⅡ世は、自分が今まで犯し殺してきた神に感謝した。

 

(…クッククク、丁度いい、対バンでブッ殺してやる!!)

 

ーーー

 

 対バン当日、ライブハウス「スターリー」は異様な熱気に包まれていた。

 

 ライブハウスはじまって以来の超満員。その溢れんばかりの客はほぼ全てがデトロイト・メタル・シティのファンだ。彼らは常日頃からファンマナーのフの字もないようなファナティック揃いだが、今日も例外に漏れず早々に殺気立っていた。

 

「ぶっ殺せー!!」「GO TO DMC!!」「ファック女子高生!!」

 

 怒号は裏の控え室まで響いている。叫び声が上がるたびに、喜多郁代は身体を強ばらせる。その目に光はない。

 

 結束バンドだって、女子高生バンドと言いながら、レーベル(零細だが)と契約するほどのバンドだ。ちょっとやそっとのステージには慣れてきた。

 

 喜多郁代自身も楽器未経験者ながら、ギターボーカルだけでなく、フロントマンとしてMCまかされるぐらいには経験をつんできたつもりだ。

 

 しかし、こんな状況の経験はなかった。完全アウェー。客層は世紀末。ステージ上にはなぜか、ドラムやスピーカーが対になるように2セットある。

 

 「対バンとはお互いのバンドが全てをかけて対面で演奏するものだ」という、向こうの社長の主張らしい。知識のない喜多郁代はそういうものかと納得しかけたが、冷静に考えるとおかしい。案の定、ウィキポディアにも対バンとはそういうものじゃないと書いてある。

 

 恐ろしすぎたので、デトロイト・メタル・シティのウィキポディアは見ていない。知っていることと言えば、先日、山田リョウにベストアルバムを1枚借りたぐらいだ。だが、一曲聴いただけで戦意を喪失しそうになるほど、すさまじく恐ろしい音楽だった。

 

 こんなバンドと対面して演奏し合うのだ、と、そう思うだけで、怖い。「ぶっころせェ!」またホールから怒声が上がる。いったい今日、自分がどうなってしまうのか、想像もつかない。いや想像したくない。

 

 なので喜多郁代はずっと壁を見つめている。いや、壁すら見れているか怪しい。放心状態だ。

 

「…!喜多ちゃん、大丈夫だよ。落ち着いていこう」

 

「は、はは、はい」

 

 見かねた伊地知虹夏が声をかけてくれるが、彼女自身の手も震えていた。

 

「…ぼ、ぼっちちゃんも、大丈夫だよ」

 

 横のゴミ箱の中に隠れてしまった後藤ひとりにも優しく声をかけている。

 

「ぅうぅ…もしビルが全焼したら、虹夏ちゃんと星歌さんにはウチの空いてる部屋を貸しますから……」

 

「…??あ、ありがと」

 

 よく分からない会話をしているが、後藤ひとりにしても、いつも通りではいられないのだろう。いつも通りなのは山田リョウぐらいだ。マイペースに三味線など弾いている。

 

「ふふ…リョウ先輩、三味線なんてどうしたんですか?」

 

「三味線?なにいっちゃってるんだよ郁代は。ちゃんと弦だって……3本しかない…?」

 

「ちょっとリョウ!ベースは!?」

 

「わかんない…」

 

 ふるふると震え出す。マイペースに見えるのは外面だけだったらしい。

 

「もう!私の部屋からアンタのヤツもってくるから!待ってて!」

 

(なぜ虹夏先輩の部屋にリョウ先輩のベースが…?)

 

「えー、今日はアレの気分じゃない」「うっさい!」

 

 その様子に郁代は、なんだかいつも通りだな、と安心した。それで心に少しだけ余裕ができて、時計をみた。開演30分前。ふー、と息を吐く。やるしかない、そう自分に言い聞かせた。

 

 その時、バスドラムの音が控え室まで響き渡った。

 

 爆発する歓声。ベース、ギター。

 

「えっ!?」

 

 慌ててまた時計を見るが、当然、開演30分前だ。だが無情にも、デトロイト・メタル・シティの演奏が始まる。最初からとてつもないテンポ、ボルテージ。

 

 いち早く状況を察した伊地知虹夏が指示を出した。

 

「と、とにかく、ベース持ってくるから!準備して!」

 

 それを聞いて、喜多郁代は、どうにかしなくちゃならないと思った。だが、どうしていいか分からなかった。その間にもデトロイト・メタル・シティの演奏は加速していく。客のボルテージも上がり続ける。もう、みんなこのライブに結束バンドが出ることなど、忘れてしまっているかもしれない。

 

 喜多郁代は、ギターに手を伸ばすことすら出来なかった。

 

ーーー

 

 バーカウンターを背負うように、音楽の魔女、デスレコーズの社長はライブハウスを見渡していた。初っぱなからキマったフライングによって、客席のボルテージは一発で最高潮。やはりヨハネ・クラウザーⅡ世、根岸は、濡れるべき天才だ。

 

「こんなマネ…」

 

 魔女の背、カウンターの中から伊地知星歌がゴチャゴチャ言ってくる。

 

「ファ~ック、文句あんのかテメェ、対バンだぞ」

 

「っ対バンのこと何だと思ってるんすか」

 

「殺し合いだ」

 

 その答えに、伊地知星歌はコミュニケーションを諦めた。意見や価値観の違いというレベルではない。生きている世界そのものが違うと分かったからだ。

 

「ヒヒ、安心しな。この程度でツブれるヤツらなら、今日きてねぇよ。ホラ」

 

 社長はステージを、暗い方の、結束バンドのステージをアゴで指し示した。

 

ーーー

 

 ヨハネ・クラウザーⅡ世は、ノリにノっていた演奏を、右手を上げて中断させた。止められたジャギは訝しみ、理由を問う。

 

「なんだ?根岸」

 

 ヨハネ・クラウザーⅡ世はその問いには答えず、暗いままの対面のステージを見た。

 

 そこには、ギターを持ち、ホッケーマスクを被った、ピンク色の女がいた。おそらく、結束バンドのギターだろう。なぜか一人だ。客席もようやく気づいたのか、ざわめき始めた。

 

「……貴様は誰だ」

 

 ヨハネ・クラウザーⅡ世は、あえて、相手に名前をたずねた。優しさからではない。彼は、自らに逆らうゴミ豚の氏名、住所、電話番号、ご希望の配達日まで明らかにしてから叩き潰す主義だ。これは言わば魔王のテーブルマナーである。

 

 饗された前菜は、名を名乗った。

 

「ま、孤独死のマリア(マリア・ザ・ロンリーデス)!」

 

 ヨハネ・クラウザーⅡ世は口の端を歪ませた。前菜のゴミ豚にしては洒落た名前だと思った。クラウザーの股間で、ギターはギンギンに滾っている。

 

「よかろう、孤独死のマリア」

 

 クラウザーが握り込むと、相棒が快楽に嘶いた。

 

「ギターとギター(タイマン)だ」

 

 二人にスポットが当たる。

 

 孤独死のマリアは言葉のかわりに、切り裂くような高音で答えた。

 

 セッションが始まると、まずお互いに、単純なフレーズを繰り出した。繰り返すごとにズレが小さくなり、間合いが詰まっていく。しだいに、音が合いはじめる。和音と和音、リズムとリズム、お互いに満足できる、安定したフレーズが完成する。

 

 そしてこのフレーズ内の、音が崩れない範囲で、どれだけ上手く遊べるかが勝敗となる。これはギター対決における一つの作法のようなものだ。

 

 だからヨハネ・クラウザーⅡ世は、その瞬間を逃さなかった。

 

 フレーズを完全に裏切って壊す、音と音が憎しみあうような不協和音。和音の間に釘をさしこんで、一枚一枚、丁寧に引き剥がしていくような、セッションの激痛。

 

 和音の間から血が流れる。アンプが断末魔を上げる。ギターから出てはいけない音がする。セッションが死んでしまう。それでいい。犯して殺したセッションの死体の上に、ヨハネ・クラウザーⅡ世だけが立つのだ。

 

 ヨハネ・クラウザーⅡ世は、ギター対決の中にある、お互いへの最低限の信頼すらも嘲笑う。作法も、誇りも、ファックすべし。魔王の心の中にあるのは支配と征服、それだけだ。どす黒い魂が叫ぶ。

 

 デスメタルの深淵に女子高生が足を踏み入れようなどとは七生早い。不徳と悪行を積みなおし、友達ゼロ人コミュ障ぼっちの、学内イベントのたびに不可抗力で目立てないか考えているような、救えない陰キャ学生に生まれなおすがいい。

 

 ヨハネ・クラウザーⅡ世は勝利を確信していた。

 

 だが同時に、違和感を覚えている。まず、目が合わない。このようなタイマンでは相手の目、目といわずとも身体を見て、一挙手一投足に反応することが求められる。

 

 だが孤独死のマリアは、ヨハネ・クラウザーⅡ世を見ていない。中空を見ている。

 

(なんだ…なにを見ている?)

 

 ヨハネ・クラウザーⅡ世がその答えを得ることは永遠にない。後藤ひとりが中空に見ているのは、デフォルメされたギターに手足と顔がついたイマジナリーフレンド、ギターくんだからである。

 

(ひとりちゃんなら大丈夫だよ!がんばって!)

 

「う…うん!」

 

(!!)

 

 ヨハネ・クラウザーⅡ世の、視界がブレた。衝突の錯覚だった。不協和音に不協和音がぶつかったのだ。正面衝突。10:0の事故だ。過失割合は会社による。

 

 孤独死のマリアがフレーズを捨て、不協和音を奏で、ヨハネ・クラウザーⅡ世の不協和音にぶつけたのだ。クラウザーは、素人の破れかぶれか、何かのミスかと思ったが、違う。たしかに、ぶつかっているが、それは適切な無礼だ。つまり、『答え』ているのだ。ヨハネ・クラウザーⅡ世の不協和音(ファック)に。

 

 不快と不快、血と血、ファックとファック。そこには、ヨハネ・クラウザーⅡ世が拒絶して崩壊させたはずの対話があった。

 

 不協和音と不協和音が食らい合い、崩れたはずのフレーズの残骸の上に、孤独死のマリアとヨハネ・クラウザーⅡ世がいる。不信と暴力のガレキの上で、不協和音のセッションが確立した。

 

(面白いッ!)

 

 ヨハネ・クラウザーⅡ世は少し本気になる。不意打ちで崩れるレベルではなかったらしい。ならば、正面から叩き潰せばよいだけだ。

 

 ヨハネ・クラウザーⅡ世のギターテクニックは控えめにいっても卓越している。それは自惚れではない。メンバー、関係者、ファンのみならず、アンチや対バンしてきた者らすら、そう認めるだろう。

 

 たかだか女子高生のメス豚一匹、叩き潰せないわけがない。

 

(ブッ潰れろ!)

 

 早弾きでお手並み拝見する。なかなか食らいついてくる。もう少し本気を出した方がいいかもしれない。

 

 ライトハンド奏法。こんなことまで出来るか。なら、そこそこ本気になってもよいかもしれない。ウインドミル。なるほどな。まずまずの本気を出そう。これで結構な本気だ。まだ本気じゃないがギリギリ本気だ。本気じゃない本気の本気だ。まだオレは本気じゃないはずだ。

 

(…なんだコイツはッッ!)

 

 ヨハネ・クラウザーⅡ世は伝家の宝刀、歯ギターをしながら、掟破りの背ギターで応じる孤独死のマリアに底知れなさを感じていた。

 

 デスメタルとはまず、圧倒的技術で相手を黙らせるところから始まる。故に一流のデスメタリストとは、表の音楽界では評価されずとも尋常ならざる技芸を修めた、トロフィーなき帝王達なのだ。

 

 ヨハネ・クラウザーⅡ世もまたそう、そして戦ってきた者達もそう。ジャック・イルダーク、須藤元気、GOD…ヨハネ・クラウザーⅡ世とギターだけで戦える者など稀も稀。にも関わらず、どこの馬の骨ともしれない女子高生に、クラウザーはほとんど本気だ。

 

 これが実は、水曜日のダウンタウンのドッキリで、あのホッケーマスクの下から世界的ギタリストが出てくるのではないかとすら思えてきた。

 

 だがしかし、ヨハネ・クラウザーⅡ世は自分らがどれほどの人気バンドになろうと地上波には出られないタイプであることを思い出す。ならば目障りな女子高生は、手段を選ばず叩き潰してやる。

 

「しゃ、しゃらくさいわっっ!!」

 

 アイコンタクトと身振りで、ジャギとカミュが演奏に参加する。これで押しつぶす。

 

 だが刹那、ヨハネ・クラウザーⅡ世がメンバーの音を聞こうと一歩下がったところを、切り裂くようなギターが演奏に割り込んだ。もっていかれる。クラウザーはギリギリで応じ、メンバーとの穏やかな合流を諦めた。

 

 やってくれたな。そう思って、孤独死のマリアの方を見ると、初めて目が合った。長い髪の間から覗く、ホッケーマスクの無機質な穴の向こう、光っているかと錯覚するほどに爛々と、生命力に輝く目があった。ヨハネ・クラウザーⅡ世は、その目だけは、許せなかった。

 

(殺す)

 

 低音でジャギに指示する。埋めろ。弦をはじき、カミュに合図する。拍に余裕を持たせるな。音と音の間が埋め尽くされ、拍と拍の間にまだ音がする。どんどんと後藤ひとりの音は埋もれていく。セッションもクソもない。ただ人間一匹を潰すためだけに、楽器を縊り、音を出しているだけだ。それはデトロイト・メタル・シティの音楽だった。

 

 もう、後藤ひとりのギターは聞こえない。埋め尽くされた音のなかで、四方八方をコンクリートに埋め尽くされたようにあえいでいる。

 

(名前通り、そこで一人で死ね)

 

 孤独死のマリアが切り裂くスキも、頼れる音も、もうない。拒絶し、数と圧力でこのまま沈めて殺す。ヨハネ・クラウザーⅡ世は卑猥なシャウトで魂まで蹂躙して、前菜のメス豚を血祭りにあげようと、マイクへ近づいた、が。

 

 平凡で、なんのひねりもない、コードを押さえただけのギターが聞こえた。Fマイナー。地獄のセッションにふさわしからぬ音のした方向をみた。

 

 音の主は、チャラチャラの女子高生だ。

 

 浮き上がったFマイナーに、孤独死のマリアが飛び上がって合わせる。そこへローペースで入ってきた、ちんちくりんのドラムがスペースを僅かに作ると、スカしたベースの女子高生が我が物顔で上がり込んできた。

 

「結束バンドだ!」

 

 観客の誰かが叫んだ。息を吹き返した孤独死のマリアのギターが走り出す。

 

 デトロイト・メタル・シティの基本フォーメーションはマンツーマンだ。結束バンドが集結した以上、後藤ひとりに対するプレスディフェンスを続けるわけにはいかなくなった。

 

 これでドラムの伊地知虹夏にはカミュが、ボーカルとギターの喜多郁代と後藤ひとりにはヨハネ・クラウザーⅡ世が、そしてベースの山田リョウには、ジャギが対することになった。

 

(やる!)

 

 ジャギは思わず、胸中で賞賛を送った。だかが女子高生と舐めた覚えはないが、無意識にそう思っていたか。それとも単純に山田リョウが卓越しているのか。

 

 ジャギとて、そこそこにベースを弾いてきた自信がある。並のベーシストならば、対バンの経験値の差だけで圧倒できるだろう。だが山田リョウは、経験値は足りずとも、なおジャギより上手いと思えるほどのベーシストだった。それを素直に認めたジャギは、山田リョウとの対面をあきらめて、音の間に沈んでいく。

 

(やれやれ、またこんな役回りか)

 

 山田リョウからはジャギの音は見えなくなっただろう。勝ったと思ったか、山田リョウの音が上ずった。(若いな)ジャギはベースラインの競り合いに負けた。それは事実だ。だが逆にいえば、ベースラインから自由になったともいえる。

 

(対バンの戦い方を教えてやろう)

 

 弦を弾き、音をドラムに寄せた。それによって、ドラムのラインに遊びが生まれる。そこでボンヤリしてるほど、デトロイト・メタル・シティのドラムは甘くはない。

 

(やれ、カミュ!)

 

「つるぺた」

 

 カミュのドラムが爆発する。

 

 デトロイト・メタル・シティの絶対的フロントマンである、地獄の天才、ヨハネ・クラウザーⅡ世の影に隠れがちだが、カミュもまた尋常ならざるドラムセンスを持つ鬼才である。彼のドラムには、リズムをも超越する殺意がある。

 

 それには理由があった。『タイコの超人』。巷では超難易度で有名なリズムゲームである。カミュはこのゲームのトップランカーだった。来る日も来る日も、難易度を上げるためだけに設定された、リズムもクソもないタイミングで流れてくるマークを叩き続けてきた。

 

 人生も、将来も、友人も、人間性も、自分には何もない。ただクソみたいなマークを叩くことが、少しだけ得意だった。だから叩き続けた。トップランカーになって少しだけ名誉を得たが、それはゲーセンの外へ一歩でれば、なんの意味も持たないものだった。

 

 そんな僅かな名誉にすがりつくようにゲーセンを渡り歩くが、行く先々でトラブルを起こし、出禁になる日々。自分の人間性がクソなのだと気づいた頃には、『タイコの超人』を叩ける店はほとんど無くなっていた。

 

 最後の最後、寄せ集めのクズしか居ないゲーセンすら出禁になった日。すがすがしいほどの青空の下で、音楽の魔女に出会った。

 

(好きなだけ叩かせてやる。文句いうなよ)

 

 そしてカミュの地獄の、いや、地獄すら焼き尽くす、灼熱の日々が始まった。

 

 チャラチャラと媚びを売るしか能がないホストと、薄ら寒いことを言いつのる出来損ないのおしゃれキノコとバンドを組まされた。最悪だと思った。

 

 未経験者は自分だけだったが、バックボーンのある自分はどんどんと上手くなった。リズムがあるなんて、イージーモード以来だ。いくらでも難曲と呼ばれるものを叩けた。反面、初心者の自分でも分かるほど、ホストは駄目だった。(クソザコ)思う存分に彼を見下せて、いい気分だった。

 

 初めての音合わせの日がきた。ズレていたのは自分だった。

 

 他人と音を合わせるという感覚が分からなかったのだ。まるで自分の人生そのものを突きつけられたようで、チャチなプライドがぐちゃぐちゃになった。バンドメンバーを思いつく限り罵倒して、社長にビンタされ、スタジオから逃げた。

 

 外はまた、雲一つ無い、すがすがしい青空だった。不愉快な声がきこえた。

 

(なぁ、戻ろうぜ)

 

 クサレホストが追いかけてきたのだ。自分の方が上だから、みじめなオタクに情けをかけて自己満足に浸ろうとしているのだろう。偽善者め。睨み付けると、ホストは悲しそうな顔をした。

 

(お前はオレと違うだろ)

 

 そうだ、お前とは違う。なにをやっても上手くいかない、人格すらどうしようもない、そんな人間が自分だ。そう思うと、また腹の中が沸き立ってきた。罵倒しよう口を開くまえ、絞り出すようにクサレホストがいった。

 

(お前は才能あるだろ)

 

 その目は、オレがコイツを見るのと同じ目だった。クサレホストは、努力家で、優しく、ほんとうに凡人だった。

 

 カミュのドラムが、叫ぶより激しく、心停止をもよおすほどの不整脈を叩き上げる。カミュは、世のドラマーなどという甘ったれどもが、メトロノームの前で何拍打つか数えているあいだに、リズムすら存在しない音ゲーの世界で無限にも等しい無拍を打ちつづけてきた。

 

 音ゲーにロックなどない。スウィングも、チルも。クールもサグも、ジャジーもスモークもなにもない。あるのはただ打つことだけ。向こうから来るリズムもクソもないマークを叩き叩き叩き叩き殺すだけ。

 

 クサレホストのことは相変わらず大嫌いだ。クソババアの社長も殺したいほど憎んでいる。根岸なんてのは最低のクソ野郎で、好きになる理由すらない人間だ。

 

 だがバンドだ。自分はバンドをしている。今度こそコイツらにナメられる音なんて出したら、自分で自分を叩き殺したくなる。また、また、また!根岸のクソ野郎がクソ譜面を流してきやがった。完全にオレをナメているに違いない。叩き殺してやる。

 

ーーー

 

 伊地知虹夏は、ぞくにいう殺意のある音とか、魂の乗った音とかいうものは、コツコツと努力を続けていれば、いつか手に入るものだと、無自覚に考えていたことに、気づいた。いま。まさに、虹夏の目のまえで、殺意が血液のようにしたたり落ちている。真っ赤な怒りと真っ黒な憎悪が、臓物と混ざりあって、血しぶきを上げて飛び散っている。

 

 自分がたとえ、100年かけても1000年かけても、絶対に出せないような音が、洪水のように、自分の周りを埋め尽くしてー

 

「虹夏!」

 

 山田リョウの声で、伊地知虹夏はわれに返った。だが、つんのめったリズムが立て直せない。いや、カミュの無縫のドラムによって、リズム感そのものを破壊されたかのように、手足がリズムを刻まなくなっている。

 

 みかねた山田リョウが、ドラムに音を寄せてカバーをかけた。リズムを下から持ち上げて、崩壊を防ぐ。だが今度は喜多郁代がベースを見失ってふらつきだす。リードギターの後藤ひとりが下がってカバーした。どうにかこれで、音がまとまりを取りもどした。

 

 だが結束バンドがまとめるために退いたぶん、ぽっかりとスペースが生まれてしまう。山田リョウも、後藤ひとりも、カバーをしている限りそこへ飛び出すことはできない。

 

「ッッレイプ!!」

 

 そのスペースに飛び込んだのは魔王だった。卑猥な雑言が発射され、結束バンドを打ち据える。これで演奏の主導権はデトロイト・メタル・シティのものだ。

 

「レイプレイプレイプレイプレイプレイプ…」

 

 猥雑の真言が息継ぎの間もないほどに繰り返される。聞くものの三半規管と貞操観念を破壊し、悪魔達が遊ぶデスメタルの地獄へと導く、実にマザファカなクラウザーさんのありがたいお言葉である。

 

「犯し尽くせーーーッッ!」「俺もレイプしてくれーーっ!」

 

 客席のボルテージも限界を超えて上がる。デトロイト・メタル・シティの圧力が上がっていく。この息苦しさは気のせいだろうか、それとも地獄の瘴気か。

 

(ッッ)

 

 山田リョウは、本物のめまいを感じていた。錯覚ではない。虹夏が崩れたまま、自分は相手の拍子すら掴めない乱打にさらされている。自分が今、拍のどこに居るのかすら分からない。そこへ卑猥な真言が集中力をうばう。まるでライブハウスの空気そのものが、毒々しい紫色に染まっていくような錯覚におちいる。自分がいま立っているのはステージなのか。地獄なのか。

 

 ダメだ。立て直さなければならない。ベースが崩れれば、バンドが崩れる。揺れる視界を消し去ろうと、目をかたくつむって、指先に神経を集中した。いちばん安定した音を出す。それでいい。はずだ。そう思い込んだ。

 

 だがそこは、メンバーから一番遠い場所だった。

 

 いきなり消え去ったベースに、ドラムは焦り、仲間を探すように不規則なリズムを叩いた。唐突なリズムの乱れによってパニックに陥ったギターボーカルは、とうとう横のリードギターの音すら見失う。ベースには、その乱れた音すら届いていない。

 

 (崩れる)

 

 ステージ上の全員がそう分かった。伊地知虹夏は、なんとか立て直そうとリズムを探したが、そんなものはどこにもない。喜多郁代は崩れることだけは分かったが、それ以外のことはなにも分からなかった。山田リョウはようやく目を開けたが、遅すぎた。

 

 崩壊は避けられない。対面のデトロイト・メタル・シティは、ただ見ていた。後押しも、誘導もいらない。ただ奴らが自重で崩れる様こそが、敗北に最もふさわしい。

 

 かくして、崩れる塔に手を出す者は誰もおらず、崩壊するままにまかせられた。だから、そこには隙間があった。

 

 音速の雷光が、崩落のガレキの合間をすり抜けて、高みの見物をするデトロイト・メタル・シティに切り傷を作った。不釣り合いなほどの高音がステージと、ライブハウスに充満した瘴気を切り裂く。

 

 それは走っていた、ズレていた。全ての音を置き去りにして過去のものにした。結束バンドだけではない、デトロイト・メタル・シティの演奏さえも切り裂いた。ステージ上のセッションは完全に崩壊する。稲妻のようなギターによって。

 

 それは崩壊を知らせる音だったが、崩壊するセッションに訪れた天啓でもあった。壊れたセッションは、つぎの確かな基礎となった。雷光が新たな道を指し示す。その鮮烈で果敢なイメージを、ステージ上の誰もが共有した。

 

 しかしデトロイト・メタル・シティには、それに付き合う義理はなかった。全員が理解して支えないと実現しないような芳醇なイメージの共有。そんなもの通常のセッションでも成功しないような曲芸だ。いわんや対バンならば。

 

 拒絶すれば勝手に自壊する。そう思った。

 

 だから、ジャギは自分が弾いている音を、自分で疑った。それは孤独死のマリアのイメージを、まさに実現させるような音だったからだ。セッションを崩壊させなくてはならなかったのに、それを支えている。カミュも、クラウザーさえも。

 

 理由は単純だ。あまりにも素晴らしいイメージに、音楽家は逆らえない。ただそれだけだ。それだけだからこそ、ジャギは苦虫を噛みつぶしたような顔をした。

 

 ステージ上だけではない。このライブハウス全てが、かのギターの指し示したイメージの果敢さに魅了されていた。そして少しの間を置いて、恐れた。その烈しい光を。

 

 だれが、孤独死のマリアの、後藤ひとりの瞬きを、邪魔できるだろうか。

 

(負けない!結束バンドは永遠に解散しない、ずっと私の…!)

 

(ひとりちゃんの?)

 

 ギターくんの問いに、後藤ひとりは答えなかった。

 

ーーー

 

 ヨハネ・クラウザーⅡ世の心中では、女子高生バンドの崩壊という大スペクタクルを見逃したガッカリ感よりも、目の前の烈しきギタリストへの賞賛の気持ちが勝っていた。

 

(素晴らしい…)

 

 それは偽らざる本当の気持ちだった。ギターを手にして何年経ったか。指の皮がめくれ、隣の部屋から壁ドンされ、切れた弦が刺さり、エレキを足の指の上に落とし、壁ドンされ、壁ドンされて身につけてきた。弟からだって壁ドンされたものだ。

 

(本当にすごい、なんて…)

 

 後藤ひとりの音の素晴らしさといったら。澄み渡って突き刺さるような高音、思わず耳を傾けたくなるようなメロディ、勇壮で生命力に満ちあふれた進行。クラウザーが求めて止まないポップさと、惹き付けられて仕方がないロックがそこにはあった。

 

 反対に、ヨハネ・クラウザーⅡ世の股ぐらから出る音といえば。

 

 全てを拒絶して群れの中心で餓死寸前の、羽毛の抜け落ちた巨大な鳥が、生きるために仲間の雛を突き殺して上げる、喜びの奇声のような。

 

 悪魔の子を宿したとして迫害される聖母が、満天の星空のしたで神と人と世を呪い、自らの腹を引き裂いて悪魔の子を取り出す断末魔のような。

 

 満員電車のサラリーマンが、女子高生のスカートの中を盗撮して、その写真を家に帰ってからコッソリと確認したときに、パンツが写っていたときの下劣な笑い声のような。

 

 最低で、最悪の音がするのだ。

 

(なんて、なんて…妬ましい)

 

(妬ましい、妬ましい、妬ましい、妬ましい、妬ましい…)

 

 クラウザーの魂から、瘴気がもれだす。ジャギはいち早く胎動に気づき、カミュを連れて音の波間へきえた。サポートするためではない、避難のためだ。

 

(ようやく起きたか、根岸)「クサレ外道」

 

 音がした。それはギターの音だろうか?

 

 地獄から亡者を連れてきて、そいつにラインをさしてアンプにつなげて、ボコボコにリンチをしたとしても、コレより綺麗な音がでるはずだ。

 

 世界中の罵倒をサンプリングし、キーボードに移植して、その上でジジイとババアがセックスしたとしても、コレよりもっと音楽だ。

 

 その音はドブだ。まるで、東京都すべての下水道をひねって弦にして、朝一番の歌舞伎町のアスファルトを削ってボディにして、5ちゃんねるのコテハンの発言をメロディーにして、それをベータとHDDVDに焼いたかのような。無価値で無意味なだけでなく、人を不快にして、苦しめるための音だ。

 

 きっと雀がつつくゲロのほうが、生態系に戻れるから、これよりずっとマシだ。キリストだって左頬ではなく中指をさしだすだろう。仏だって一度でアウトだ。これが洞窟の影なら、イデアが照らしているのはウンコだ。

 

 もはやこれはギターではない。ヨハネ・クラウザーⅡ世の、下劣で矮小な魂そのものが、人々に語りかけているのだ。

 

 邪悪で、汚く、救いようのないものだ。絶対の黒に塗りつぶす汚泥だ。

 

 これはステージの主導権を奪うための演奏ではない。主導権などという概念も、ステージという場所も、全てを塗りつぶして否定するためのギターだ。否定するのだ。あのギターを!

 

 烈しい光と、汚泥の濁流が、ぶつかり合おうとしている。

 

ーーー

 

 ステージの眼前、最前列。ファンの鑑たる男は、衝撃にあえいでいた。

 

 ヨハネ・クラウザーⅡ世の天才的ギター、それと真っ向から戦ってみせる女子高生。そんな現実味のないことがステージ上で起こっていたからだ。ファンの鑑たる彼は、自分がデトロイト・メタル・シティの盲目的狂信者だと自覚している。様々なトラブルをデスメタルパフォーマンスとして昇華するヨハネ・クラウザーⅡ世の凶行を、最大限、できるかぎり好意的に解釈してきた。

 

 だからこそ、ヨハネ・クラウザーⅡ世のギターテクニック、表現力、それらについては、なんの色目もなく最上級のものだとはっきりと断言できる。クラウザーさんのギターは、この世の全てを否定し、拒絶し、対戦相手を地獄の底へたたき落とす。例外は、クラウザーさんと同じぐらい『暗い』メタリストだけだ。

 

 あの、孤独死のマリアと名乗ったギタリストは違う。パッと見は地獄の眷属に見える。特に制服とジャージを組み合わせた感じが絶妙に垢抜けておらず、クラスの隅っこでバンド雑誌を広げながら誰かが話しかけてきてくれるのを待つような、陰キャのまなざしがある。

 

 しかし、あのギター。世を恨んで、儚んで、拒絶して出る音ではない。クラスの端っこで3年間ライトノベルを読みふける孤独を味わいながらも、まだ世界に希望があると信じているような音がする。

 

 魂が揺さぶられる。孤独死のマリアのギターによって。どうしようもなく。デトロイト・メタル・シティのファンとしてあるまじき事なのに、孤独死のマリアのギターが心の奥深くに刺さって抜けない。あの日、諦めたはずの、勇気の音がする。

 

「クラウザーさん・・・」

 

 ファンの鑑たる彼は祈るようにヨハネ・クラウザーⅡ世と孤独死のマリアを見上げた。烈しい光が潰えるところも、汚泥の濁流が尽きるところも、見たくないと思った。

 

ーーー

 

 手足を粘つくタールのごとき、汚泥が縛り付ける。後藤ひとりはそのように幻視した。

 

 ヨハネ・クラウザーⅡ世は本当の姿を現し、ステージ上をクソとカスの汚泥で埋め尽くそうとしている。どうにか一度持ち直したと思ったが、徐々に圧力で押し込まれれはじめている。

 

 隙を見つけて相手の懐に入り込まなくては、このまま潰される。だが、ステージ上はもう余すところなく汚泥に汚染されていて入り込む隙間がない。ならば一時的にでもこっちの圧力を上げて無理矢理スペースを作るしかない。

 

 孤独死のマリアは、少しずつ演奏のペースを上げて、汚泥のラインを押し下げていく。それに気づいたか、ヨハネ・クラウザーⅡ世もまた、汚泥をどんどんと追加していく。重い。苦しい。それでも後藤ひとりは一歩前へ出た。

 

(負けない…!絶対に!)

 

 もう一歩。もう一歩。孤独死のマリアのギターは加速していく。汚泥の追加は間に合わない。

 

(いける!)

 

 その時、ガクン、と身体が引っ張られた。汚泥の下、手足に鎖が付いている。それが伸びる先を見た。

 

 そこで、恐れた顔の伊地知虹夏と目が合った。後藤ひとりは、後ろを振り返っていた。彼女が、なにを恐れているのか、後藤ひとりには一瞬わからなかった。だが伊地知虹夏が、恐れるものを見ていることに、ようやく気づいた。

 

「ぁっ 違っ…」

 

 後藤ひとりの声は、汚泥にかき消される。

 

(ひとりちゃん、なにが違うの?)

 

 ギターくんの声が脳裏を通り過ぎる。なにが違うんだろう?

 

 仮面を外さなくては、それで、ちゃんと謝って(なにを?)私はただ、ヨハネ・クラウザーⅡ世と戦うのに夢中で、それで…(それで?)勝たなくちゃ、結束バンドがなくなると思って、だから(だから?)

 

 周りの演奏は続いているが、後藤ひとりのギターは止まっていた。だめだ。もう一度振り向こう。笑顔で。それで大丈夫なはずだ。いや、一体なにが大丈夫なのか(ほんとうに、ひとりちゃんが欲しいのは)後藤ひとりは、それを聞きたくないと思った。

 

「ッッッレイプッッ!!!」

 

 孤独死のマリアの仮面が落ちた。

 

 後藤ひとりは、そのまま停止した。恐怖を呼び起こし、脆弱な魂を砕く破滅の真言は、後藤ひとりの光を覆い尽くした。

 

 後藤ひとりの演奏が止んでも、ステージ上の演奏は止まらない。残る結束バンドは、心の折れたドラマーと、周りが見えていないベースと、素人だ。

 

 そして、闇が訪れた。

 

ーーー

 

 対面の結束バンドは完全に崩壊した。

 

 セッションの中心に居るはずのリードギター、後藤ひとりはステージの上で放心状態となり停止している。ピクリとも動く気配はない。もはや帰って来るまい。

 

 それを見て、なぜかヨハネ・クラウザーⅡ世もギターの演奏をやめて、水を飲んでいる。ジャギはその横顔を責めたくなったが、対面の結束バンドのガタガタの演奏を見て、さもありなんと思った。

 

「クラウザーさんが水を飲んでるぞ!!」「もう対バンは終わったことを態度でお示しだ!」

 

 根岸は、腰が低く善良な平時でさえプライドが高い。ましてやヨハネ・クラウザーⅡ世に変身すれば、そのプライドの高さは月まで届くと言っても過言ではない。このようにガタガタの相手とは、相対することすら不愉快なのだろう。

 

 ジャギは、デトロイト・メタル・シティで最も才能がないが、そのぶん最も献身的にこのバンドを支えてきたという自負がある。だから、この程度のフォローはフォローのうちには入らない。

 

 幸い、カミュはまだやる気だ。ならば根岸抜きでも、ガタガタの女子高生バンドをひねり潰すぐらいはできるだろう。

 

 このまま演奏をツブし、結束バンドを結束バンドで縛り上げて、スパンキング風林火豚。この流れだ。あらかじめワークマンで結束バンドは束で買い込んである。

 

 プライドの高い根岸だからこそ、勝利パフォーマンスは存分に魅せてくれるだろう。根岸にアイコンタクトで結束バンドの位置を知らせようとするが、こっちを見ていない。

 

 だがジャギは気にしなかった。いままでにないほどハードなギター対決だったのだ。勝利パフォーマンスまで存分に賢者タイムに浸らせてやろう。

 

ーーー

 

 喜多郁代は泣き出しそうだった。デトロイト・メタル・シティが怖いからではない。いや、それはずっと怖いが、それよりも、対バンをすると意気込んでステージに上がったのに、なにも出来ていない自分が情けなかったからだ。

 

 ステージに上がって、左手で2,3個のコードを順番に押さえて、バカみたいに右手を上下に動かしているだけ。喜多郁代がこれまでにしてきたことである。それしかしていないのに、ベースを見失い、ギターを見失い、そのたびに誰かに助けて貰っている。

 

 その結果が、この有様だ。

 

 バンド演奏の崩壊は自分のせいではないだろう。なぜなら、自分の実力では、崩壊の原因にすらなれないからだ。それが、本当に悔しかった。

 

 さっきまで勇猛果敢に演奏をリードしてくれていた後藤ひとりは、俯いたままピクリとも動かない。彼女特有の、稀によくあるバグ状態だ。だが、ステージ上でこんな状態になることは、これまで一度もなかった。

 

 後藤ひとりは、よく現実逃避する。勝手にネガティブな妄想を膨らませ、奇声を上げたり奇行に走ったりすることは日常茶飯事。デトロイト・メタル・シティとの対バンが決まった日などは、下北沢のどこかへ逃げ去ったほどだ。

 

 だけど今日、彼女はここに居る。現実逃避をして、精神的ツチノコになっても、どこかへ逃げても、絶対に帰ってくる。喜多郁代はそれを知っているし、信じている。

 

 必要なのは、少しだけの時間だ。

 

 喜多郁代は睨み付けた。そいつは水を飲んでいる。ヨハネ・クラウザーⅡ世。ギターボーカル。私の相手だ。そのはずなのだ。それなのに、私は恐ろしいと言って戦うことすらせず、アイツの眼中に私はいない。水なんて飲んでるのがその証拠だ。

 

「なんだあのベーシストは!」「自分のことをギターだと思ってんのか!?」

 

 リョウ先輩がなんだかすごいことになっていて、デトロイト・メタル・シティは手こずっているらしい。ならば、喜多郁代には確信があった。ヨハネ・クラウザーⅡ世は、この状態を静観しない。なぜなら、ヨハネ・クラウザーⅡ世がこれみよがしに演奏をやめたのも、あらかさまに水を飲んでいるのも、理由は一つ。『それが一番目立てるから』だ。

 

 恐ろしく、理解不能の怪物に見えるが、なんのことはない。私と同じ、注目を浴びたいがために七転八倒する小心者。生まれながらのかまってちゃんの目立ちたがり屋。それがアイツだ。

 

 だから、アイツは絶対になにか仕掛けてくる。だから…!

 

ーーー

 

 ヨハネ・クラウザーⅡ世がマイクの前に立っただけで、客席がザワめいた。

 

 ジャギは顔をゆがめたが、当のクラウザーはジャギがしくじったとも思っていない。相手のベースの技量の高さは明らかだし、何よりも、ソイツを直々に血祭りに上げる舞台をお膳立てしてくれたからだ。

 

 ベースは技量こそ素晴らしいが、精神的には未熟も未熟。一発レイプしてやれば、横のメトロノーム以下に成り下がっているドラムともども、膝をつくだろう。

 

 クラウザーは横目でステージ横の結束バンドの束を確認する。完全に崩したら、ピンクの豚を縛り上げて叉焼にし、トゥイッターにでもアップして、デジタルタトゥーとしてくれるわ。勝利は揺らがない。

 

 ヨハネ・クラウザーⅡ世は息を吸い込んだ。

 

「ッッッレイ「去勢っっ!!!」

 

(!!!)

 

 クラウザーが、声の方を、喜多郁代の方を見る。キャピキャピの女子高生はポップに中指を立ててみせた。ビキビキビキ、と音がした。ヨハネ・クラウザーⅡ世の血管が、怒りに浮き上がる音だ。

 

「レイ「去勢!」「レイ「去勢!」「レイ「去勢!」

 

「クラウザーさんのデスペニスが去勢されているだと!?」「だがデスペニスは無限!あの女子高生の去勢がいつまでも続くものか!」

 

 観客も異常事態に湧き上がる。

 

「レイプレイプレイプレイプ…」「去勢去勢去勢去勢…」

 

「出たー!クラウザーさんの1秒間10レイプだぁー!!」「1秒間に11回去勢されたぞ!!なんて女子高生だ!!」「農業高の畜産科なのか!?」

 

「レイプレイプレイプレイプ…」「キョセキョセキョセキョセ…」

 

 その戦いはあまりにも不毛だった。なんの音楽性もない、猥褻な言葉を投げかけるだけの戦い。音楽で圧倒できるはずのデトロイト・メタル・シティが、猥褻な言葉を言い返されるだけで互角に引き下ろされる異常事態。さもありなん、その戦いを始めたのはヨハネ・クラウザーⅡ世だ。完全なる自業自得である。

 

 追い詰められたヨハネ・クラウザーⅡ世は、最終手段に出る。レイプ以外の猥褻語の解放だ。

 

「チンコ!マンコ!クンニ!フェラチオ!」「ッ…!」

 

 これには、さしもの喜多郁代も怯んだ。覚悟して飛び込んだ戦いとはいえ、喜多郁代は華の女子高生、猥褻語では勝ち目はないだろう。モテない青春を過ごした年輪、つまりは見てきたアダルトビデオの数が物をいう世界だ。

 

「怯んだぞ-!」「興奮してきた!もっと言え-!!」

 

 怯めば、ヨハネ・クラウザーⅡ世の思うとおり、女子高生として消費され性的価値は摩耗する一方となる。ここはそういう戦場だ。喜多郁代は今一度覚悟を決めた。

 

「祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり沙羅双樹の花の色盛者必衰の理を表す…」

 

「やめろー!!」「平家物語で抜けるわけねぇだろー!」「古文が必修なのか-!?」

 

 ここでは理論や理屈ではない。後ろに下がった方が負けになるのだ。観客達は、なぜか全てを異様に好意的に解釈してくれる。だったら、自分は、なにも怖いものがない女子高生。人生の花盛り。命短き乙女。

 

「#ウチらサイキョー! #フラペチーノだいすき #マヂサイコー」

 

「やめてくれー!イソスタはやってねぇんだー!」「会社用しかもってねぇよー!」「そんな世界どこにあるんだー!」

 

 陰キャのデスメタラー共にイソスタのハッシュタグが突き刺さる。それをフォローするかのようにヨハネ・クラウザーⅡ世のダークウェブが炸裂した。

 

「初カキコ…ども。中学生でこんなとこ見てるやついねーか(笑)」

 

「クラウザーさんちょっと古いぞ-!」「なにそれー!」「有名なコピペだよテメーいくつだ!?」

 

 思考の反射神経を試されるような、言葉の応酬。その戦いの中で、喜多郁代は自分の限界が近いことを理解していた。

 

 ヨハネ・クラウザーⅡ世のクソ色の脳細胞は、いずれ自分の語彙力を押しつぶすだろう。ギターボーカルの上に作詞作曲まで手がけているというのは本当らしい。演奏以外の土俵でさえ底の見えない。だけど、いま自分の後ろにはバンドがいるのだ。退くわけにはいかない。

 

 だから、もう少し。もう少しだけ。できれば、お嫁に行けるうちに。

 

ーーー

 

 伊地知虹夏は、いつか、こんな日が来ると思ってた。

 

 結束バンドのベースの山田リョウは、音楽的知識とセンスがあり、技量もとても高い。自分の友達だから、このバンドに在籍しているだけで、自分と音楽的な能力については隔たりがある。

 

 それと同じか、さらに遠くに後藤ひとりがいる。彼女のギターの技術は突出している。誰かと合わせるのが少し苦手だが、それを克服するのも時間の問題だったし、克服というよりは、単なる慣れだ。そう遠くないうちに、十全にギターの実力を発揮するだろうと思っていた。

 

 そうなれば、初心者の喜多郁代を除けば、このバンドで一番下手なのは自分だ。伸びしろという面を含めば、ドベだろう。

 

 じじつ喜多さんは、あのヨハネ・クラウザーⅡ世を相手に一歩も退かずにマイクパフォーマンスをしている。彼女は、自分では軽薄な小心者というが、本当は責任感が強い、真面目な努力家だ。ギターも歌もパフォーマンスも、どんどん上手くなっていく。

 

 だから、ぼっちちゃんがこっちを振り向いたとき、やっぱり、と思ったのだ。自分のドラムは、彼女たちについて行けず、いつか重りになる。その予感が当たったのだと。

 

 優しい後藤ひとりは、虹夏を傷つけたと思ってしまったのだろう。だけど本当に傷つけたのは、ふがいない虹夏の方だ。自分からバンドに誘ったのに、着いていくこともできなくなるなんて。

 

 自分は、自分はいままで何をしてきたのだろうか。

 

 ずっとリズムキープと打音、ロクにセッションしたこともなく、ずっとリズムキープと打音だ。幼少期からいつかバンドを組みたいと思ってドラムの練習をしていたのに、この年になるまで、バンドを組まなかった。その甘さが、そのまま実力として表れている。

 

 自分と同じぐらいに楽器を始めて、自分より早くからバンドを組んで、しっかり経験を積んできた山田リョウは、いまデトロイト・メタル・シティの2人を相手取って戦えるプレイヤーになっている。自分は才能なんて逃げ口上を使えるほど、努力をしてきていないことが、ありありと分かる。

 

 いわんや、才能とは覚悟のことだろう。その覚悟の差が、山田リョウと伊地知虹夏の実力の差となっている。自分の横で、ベースで主線を奏でるという曲芸じみた技芸でもって、デトロイト・メタル・シティの2人を相手に跳ね回っている山田リョウは、覚悟があった。音楽に対する覚悟が。本当にそうか?

 

 (コイツがただアホなだけでは?)伊地知虹夏はそう思った。

 

 そもそも、なぜ自分が全体のリズムのために消耗して疲弊する必要があったというのか。なんのことはない。あのカミュとかいうドラムのリズム感が、悪いほうにおかしいからだ。なら、自分の方が正しいリズムなのに、こんなに肩身が狭い思いをするのはなぜか。

 

 横のアホがリズムをほっぽり出して自分勝手に跳ね回ってるからだ。

 

 伊地知虹夏はイラついてきた。ドンッドンッドンッとバスドラムで山田リョウに呼びかけるが、案の定、完全に無視して自分の技芸に酔いしれている。足にさらに力がこもる。

 

(ア、ホ、の、リョ、ウ。リ、ズ、ム、隊、の、仕、事、し、ろ)

 

 それでも全く聞いてない。さすがにキレそうだ。スティックで直接叩いた方が早いかもしれない。だがスティックを使うのは拍がもったいない。バスドラムを力一杯踏み込む。

 

(聞けッ!こっち見ろッ!アホッ!)

 

ーーー

 

「虹夏…?」

 

 星歌はどんどんと強くなるバスドラムに違和感を感じていた。いや、違和感ではない。明らかにおかしい。セッションのバランスを崩している。後藤ひとりが停止して、絶体絶命のところでコレだ。喜多郁代のフリースタイルマイクパフォーマンスと相まって、完全にヤケになってるように見える。

 

 やさぐれバンドマンだった星歌と違い、虹夏にロックンローラーの才能はない。幼い頃から家事や勉強に勤しむ、根っからの本当に良い子だったからだ。それゆえに、どこか小さくまとまる癖がある。だけど、それは悪いことではない。バンドにおいてドラムが乱れることはあってはならない。そういう意味で、虹夏はドラムに向いていた。なのに。

 

 観客もザワつき出している。ただでさえデカい音である、バスドラムの様子がおかしいのだ、気づいて当然だ。

 

「虹夏…なんで」

 

 まるで勝負を捨てたような妹の行動が理解できない。まるで癇癪でも起こしているようだ。あんな姿は一度も見たことがない。たとえケンカをしても、相手のことを気遣えるほど優しい子なのに。

 

 かわいい妹の見たこともない姿にショックを受ける星歌の横で、デスレコーズの社長は口の端を歪めた。

 

「キッキ、あんだよ、ちょっとはマシな音だせんじゃねぇか」

 

 勝利はまだお預だ。魔女は忌々しげに中指を立てる。馬鹿デカく、正しいリズムを刻むバスドラムに。

 

ーーー

 

 山田リョウは絶好調だった。

 

 デトロイト・メタル・シティ2人相手に一歩も退かない圧倒的ベーステク。こんな活躍をしたら自分のワンマンバンドになってしまう。ファンがまた増えてしまうなぁ。困ったなぁ。なんて考えていた、その時、後ろでバスドラムが異様なほど鳴り響いていることに気づいた。すごい音だ。

 

 どうやら後ろで虹夏がキレているらしい。こういうとき焦りは禁物。あたかも自分はずっと前から気づいてましたよと言わんばかりに、スルっと合流する。完璧。

 

 それでも、バスドラムの音は小さくならない。おかしいと思った山田リョウは、怒られる原因をざっと思い出してみるが、心当たりが多くてあきらめた。そこで、どうにか媚びを売ろうと、ベースをより強く弾く。虹夏のぶっ壊れた音量に合わせて、機嫌を取るのだ。

 

(やれやれ、虹夏はなにをそんなに怒ってるのかな)

 

 山田リョウが恐る恐る虹夏の顔をのぞきこむと、一回ギッと強く睨まれたあと、目線を逸らされた。(嫌われた…?)山田リョウがショックを受けていると、虹夏がまた目線を送ってきた。なにかの合図だ。嫌われてなかった。

 

 山田リョウが目線の先を確認すると、後藤ひとりがいた。理解して、山田リョウは頷く。

 

 マイクパフォーマンスが一段落した喜多郁代に、強くギターを弾くように指示を出す。虹夏はバスドラムの音を下げるつもりはないらしい。後藤ひとりを叩き起こすまで続けるつもりだ。いや、その先も。山田リョウにははっきり分かる。

 

 虹夏が、デトロイト・メタル・シティをぶっ潰そうと言っている。バスドラムで押し潰してやると言っている。一緒にやろうと言っている。嬉しくなってきた。虹夏のドラムの下にピッタリとくっつく。

 

 支えられたバスドラムが鼓動のようにハウスに満ちていく。

 

ーーー

 

 ジャギは明らかに焦っていた。結束バンドのベースは相当な使い手で、ジャギとカミュの2人を相手取ってなお崩れなかった。それだけではない。結束バンドのドラムがアホみたいな音量でバスドラムを鳴らし始めた。アレがマズい。

 

 カミュのバックボーンは『タイコの超人』だ。両手でバチを持って2つの打面を叩くゲーム。もちろんフットペダルはない。だから打面への順応は早かったが、足については、まだ苦手意識がある。

 

 その証拠に、デスメタルならばツーバスが普通なのにカミュはワンバスだ。カミュには足回りの悪さを補って有り余るほどの手技の高さがあるが、バスの音はバスからしか出ないものだ。

 

 結束バンドのデカいバスに、カミュもバスの音量を上げて対応しようとしている。だが足を意識すればするほど手技の精彩を欠き、むしろカミュの存在感が薄れていくのが分かる。

 

 ジャギは横を見た。クラウザーがギターで参戦すれば一瞬で終わらせられる。にもかかわらず、まだ弾こうという様子を見せない。

 

(何を待っている…?)

 

 ジャギは理性では戸惑うが、本能的には察知している。ヨハネ・クラウザーⅡ世がステージ上で誤った判断をすることはないことを。ステージ上をバスドラムが鼓動のように場を支配しはじめている。だが、バスはバス、ベースはベース。

 

 このままバスとベースと単調なリフで登り続ければ、鋭く独創的なギターの音色が絶対に必要になる。”そこ”が根岸が参戦する場所だ。見せ場を逃すような男ではない。タメが大きいほど効果は大きくなるということか。

 

(まかせたぞ、根岸)

 

 ジャギは目の前の演奏に没頭する。ヨハネ・クラウザーⅡ世の視線の先に、後藤ひとりが居ることには気づかずに。

 

 後藤ひとりは動かない。まだ。

 

ーーー

 

(前回のあらすじ:後藤ひとりは生まれてこのかた友達がいない、筋金入りのぼっちである!がんばれ!後藤ひとり!負けるな!後藤ひとり!)

 

 中学生に上がってすぐ、クラスで浮き始めている。いや、浮いている。後藤ひとりは焦っていた。中学生になったからには、孤独なるぼっち生活とはオサラバして、友達100人、陽キャグループでモテまくり勝ちまくりの学校生活を送るはずだったのだ。

 

 なのに、浮いている。

 

 自宅のソファーに倒れ込み、今日の反省を…しないほうがいい。精神衛生上、今日の記憶は無かったことにする。それよりもどうにかして、友達を作るのだ。なんとしてでも。

 

「ひとり、これ見てる?」

 

 父親が聞いてくる。リビングのテレビの画面には、景気の悪そうな顔をした、金髪の男が写っている。しかし、なぜか妙な親近感が湧いてきて、興味を持った。

 

「…見てる」

 

 画面の中の男は、火を点け始めた。この男一人でキャンプをしているらしい。

 

『自分はね、本当は芸人なんてむいていないような人間なんですよ。陰キャです、陰キャ。だからテレビの仕事が無理になっちゃって。でもね、こうやってキャンプするようになってからね、なんだかお仕事ももらって、友達なんかとキャンプ行くことも増えてね?ありがたい話ですよ』

 

 その話は、後藤ひとりの心の中に染みわたった。自分も、彼のようになれるだろうか。陰キャでぼっちでも、いつかキャンプマスターになって、友達とキャンプするような人間に。

 

「これだ…!」

 

 後藤ひとりの目が輝いた。

 

 

   ぼっち・ざ・きゃんぷ!

 

 ~3年後~

 

「ねえ、聞いた?2組の後藤さん」「え、なに?」

 

 女子高生2人が噂話をしている。後藤という生徒の話…つまり、私の話だ。

 

「女子高生初、冬の富士山を単独制覇だって」「すごー…い?のそれ?」「…わかんない。初だからすごいんじゃないの」「かなぁー?」

 

 ドアの向こうで話を盗み聞きしながら、本当に凄いんだぞと言ってやりたかった。ここでこらえるから、中学3年間も友達が出来なかったのではないかと思うが、それはもういまさら言っても仕方のないことだ。

 

 だから高校からは作戦を変えた。登山装備で登校し、キャラをアピールして向こうから声をかけて貰う作戦だ。完璧な作戦だった。ピッケルは没取されたが。

 

 だが、みんな遠目でチラチラ見てくるだけで、ぜんぜん声をかける気配はない。教室でガスバーナーでコーヒーを淹れたりしたが、みんな見て見ぬふりをしていた。最近はもう、教師も注意してくれなくなりつつある。

 

 教室に入ると、みんなギョっとした顔になる。が、すぐに元のように雑談をはじめた。登山用の蛍光ピンクのジャケットも、もう見慣れたということだろう。

 

 こんなはずではなかった。こんなはずでは。

 

 キャンプのすごい版だと思って登山をはじめ、アルパインスタイルを極めてしまったのが運の尽きか。今やクラスの誰も読んでないような雑誌で『超新星、女子高生単独行、後藤ひとり』として特集を組まれるほどになったが、逆にそれが災いして、もう友達を作るような気配ではなくなってしまった。

 

 話しかけてくる子が居たら、周りがそれとなく「後藤さんは一人が好きなんだよ」と注意することまである。私はクラスの中で仙人となりつつあった。最近では自分でも、なんだか期待されているような気がして、気難しい雰囲気を出している。それもいけない。分かってはいるのに。

 

 授業を終えると、今日も一人で帰る。熊避けの鈴がリンリンと鳴る。今日は初心者にも親しみやすい日帰りハイキングスタイルだったのに、誰も声をかけてくれなかった。こうなったら、校舎をクライミングして爆目立ちし、一発逆転を狙うしかない。そう思っていたときだった。

 

「あのー!」

 

 後ろから、ふわふわした雰囲気のピンク色の子が声をかけてきた。

 

「ぅぇっ…ぁ、ハイ」

 

 どうにか返事を返すことが出来たが、何という元気さだろう。怖い。

 

「後藤さんですよね!ごとう、ひとりさん!」

 

「ァ…シェス」

 

「登山とか、キャンプとか好きなんですよね!」

 

「ぁ。ァィシェス」

 

「それでね、こんど、野クルでキャンプするんだけど、一緒にいかない?」

 

「ァェ?ア…アイ」

 

「うん!じゃあみんなに言っとくね!」

 

「ァ…ァ…?」

 

 元気に走り去っていく。大型犬みたいな娘だ。Uターンして帰ってきた。

 

「忘れてた!ロイン!グループ入れるね!」

 

「ァ!ァィシャッス!」

 

 こうして、私は生まれて初めて、他人とロインを交換した。自宅に帰り、お風呂に入り、なお現実感がなくてふわふわしていたが、ハッと気づく。追加されたからには挨拶しないと感じ悪いと思われてハブられてしまう。急いでロインした。

 

『拝啓、野クルの皆様、富士山の雪解けのはじまる中いかがおすごしでしょうか。このたびはキャンプにお誘いいただき誠にありがとうございます。野クルの皆様方におかれましては、益々のご発展を祈願し、挨拶と代えさせていただきます。』

 

『わー、後藤さん真面目』『後藤さんよろしく!』『なんか絵はがきみたいなやなー』シュポ『うわ、画像すご!』『ほんま絵はがきみたいなやなー』

 

「うへへへ…」

 

 思わず笑みがこぼれてしまう。これがロイン…!

 

「おねーちゃんが笑ってる、おかしー」「あなた…!」「う、うん、ひとり。リビングでエッチなサイトはね…」

 

「うほほほ…」

 

ーーー

 

 午前6時、キャンプ場の最寄り駅に到着すると、人影があった。

 

「後藤さん!おはよー!」

 

「ぁっえぁぇぁ…」

 

 ふわふわしたピンク色の娘、各務ヶ原なでしこさんだ。

 

 後藤ひとりは、今日のキャンプ場が山の上にあると聞き、それならば丁度良いから登ってしまおうと考えたのだ。なんだかクライミングに良い岩もあるらしいし、女子高生単独行にはちょうど良いアクティビティだ、とカッコつけていたところ、なでしこさんが一緒に登ると言い出した。

 

「じゃ、しゅっぱーつ!」

 

 そして期せずして初めての誰かとの登山。岩登りは中止となった。

 

「あ、各務ヶ原…さん」

 

「なでしこでいいよぉ」

 

「なでしこ…さん、えっと、ふらふらしてきたらすぐ言ってくださいね…」

 

「うん、わかってるよ!熱中症こわいもんね!」

 

「それだけじゃなくて…エネルギーを使って血糖値が下がるとめがいがしてきて、動けなくなるんです。そうなったらチョコとか羊羹あるから言ってください…」

 

「へー!そーなんだー」

 

 後藤ひとりは感動していた。他人と話している。これはもう友達と言って良いのではないか。父や母は昨日、私が友達とキャンプに行くと言ったら、すごく温かい目で見ていた。アレは娘に友達ができた安心感ではなく、娘の虚言に付き合ってあげている目だ。

 

 だが私は、自分でも信じられないことに、本当に友達とキャンプに来ている。

 

「なでしこさん、調子は大丈夫ですか?」

 

「大丈夫だよ!」

 

「じ、じゃあ、ここから登山道になるので」

 

「よーし、登るぞー!」

 

 なでしこさんは自分で言っていたとおり、けっこう体力がある。これなら予定より大幅に余裕があるだろう。多めに休憩を取って、しっかり進もう。

 

「こ、このへんで休憩しましょうか」「うん!」

 

 少し開けた場所で、丈夫そうな倒木に腰掛ける。後藤ひとりはこうして自然を感じている時間が好きだった。

 

「…ねえ、ひとりちゃんはどうして登山をはじめたの?」

 

「ぁっ、それは…」

 

 後藤ひとりはたどたどしく話し始める。最初はキャンプを始めたこと、友達が欲しかったこと、次第に山の深みにはまっていったこと。だけど、それだけでもなかった。

 

「えっと…山で、こうしてると、自分が居てもいいって思えるんです。ここに、自分が居ても居なくても、山にとっては関係のないことで、だから自分が居てもいいのかなって」

 

 

「うんうん」

 

 山は、後藤ひとりの孤独を肯定も否定もせず、ただ受け入れてくれる。

 

 教室にいると、一人でいることは不自然だ。それはどこに行っても変わらない。お店に入っても、カラオケに行っても、焼き肉だってディズニーだって、一人だと浮いてしまうだろう。

 

 でも山には基本的に誰も居ない。そこに一人の人間が迷い込んでも、なんの不自然もない。山は誰や何が来ようとも、ただそこにあるだけだ。だから後藤ひとりは、山と自分にひたすらに没頭できた。

 

「ひとりちゃんは山が好きなんだねぇ~」

 

 なでしこの言葉に、後藤ひとりはハッとした。好き。好きか。自分は、はたしてキャンプが好きだっただろうか。登山が好きだっただろうか。ただ友達が欲しくて始めて、一人で居ることを肯定してくれるから、続けてきただけではなかったか。

 

「…そろそろ行きましょうか」

 

「よーし!のぼるぞ-!」

 

 きっと、こんなウジウジした悩みは、この人には無縁な悩みなのだろうと、なでしこを見ていると思う。声をかけてくれたのが彼女で本当によかった。声をかけてくれたのは、彼女だったろうか?(そうだよ)そうだ。

 

 後藤ひとりは声に従った。

 

ーーー

 

 それからキャンプ場に着き、設営したりご飯を食べたり、チクワなる犬に敗北したり、色々とあった。日はすっかりと暮れて、後藤ひとりは自分のテントの前で椅子に座って空を見ていた。向こうでは、野クルの皆さんが、たき火をしながら楽しそうにおしゃべりしているが、混ざりに行く精神力は残っていない。

 

 それでも、後藤ひとりは友達とキャンプしているという事実を噛みしめていた。キャンプしようと中学1年に思い立ってから約3年、ようやくここまでこぎ着けることができた。アルパインスタイルを極めてしまうトラブルもあったが、ある意味で無事にゴールできたといっても過言ではないだろう。

 

 もう苦しい思いをして、冷たい岩肌を登る必要もなければ、目がイカれたかと思うほど真っ白な景色の中を進む必要もない。死を感じながら雪を溶かして飲む必要もなければ、雑音だらけのラジオを聞きながら残り食料を分ける必要もない。(そうだよ)そうだ。

 

 後藤ひとりは、ようやくの安息を得た。友達が出来て、楽しいことだけで高校生活は彩られていく。もう一人で山に行くことはなくなるだろう。(そうだよ)そうなのかな?

 

 無意識に、手の中に握り込んでいる金属製の留め具を見た。後藤ひとりが初めて冬の山に登るときに買ったものだ。いつか、この留め具の先に、命を預ける誰かが欲しい。そう願って。(そうじゃないでしょ)そう思ったのだ。

 

 後藤ひとりは、自らに話しかける幻覚を見た。彼は極限状態の時、いつだって現れて自分を励ましてくれる心強い味方だった。その姿は、その姿に疑問を持ったことはなかった。

 

(ひとりちゃん、どうしたの?)

 

 それは、ひょうたんの様な形の胴に、長い棒を刺して糸を張ったような、楽器の形をしている。

 

「ひとりちゃん!」

 

 いつの間にか、なでしこが近づいてきて、声をかけてきた。

 

「向こうでトランプするんだけど、一緒にどお?」

 

 後藤ひとりはゆっくりと首を横に振った。

 

「行かなきゃ」

 

 後藤ひとりが立ち上がって歩き出すと、後ろをなでしこが着いてきた。

 

 後藤ひとりとなでしこは、湖畔を歩く。真っ黒の湖面は、さざ波一つ立たず、湖は静かに広がっていた。後藤ひとりは、湖に張り出した桟橋の手前で、うち捨てられたゴミを見つけた。

 

「ひとりちゃん、それ、なに?」

 

 なでしこの問いに答えずに、後藤ひとりはそれを拾い上げた。樹脂と電気と鉄で出来た自分の魂の分身。ストラップを首からかけた。

 

「なでしこちゃん、私…」

 

 ボロボロのギターを持つ、ピンクジャージ姿の後藤ひとりは、真っ黒な湖の桟橋の前で、言葉を詰まらせた。

 

「ひとりちゃん…」

 

 なでしこは、普段の性格からは考えられないほど、複雑な顔をした。それでも、それを押さえつけて、笑顔を作った。

 

「…すごく、かっこいいよ!」

 

 後藤ひとりは頷く。ギターを持ったまま桟橋を走りだす。自分の鼓動が聞こえる。真っ黒な湖面が迫ってくる。桟橋の端。後藤ひとりが桟橋からジャンプすると、ポケットから金属製の留め具がこぼれ、湖に飛び込んだ。

 

(…ごめんね、ひとりちゃん。ぼくを選んでくれて、ありがとう)

 

 黒に飲み込まれる。大きな鼓動がする。違う、バスドラムだ。息を。ギターを!

 

 後藤ひとりは、右手を上げていた。大きく息を吸い込んで。身体をのけぞらせて。意識がはっきりとしてきて、左手が弦を噛む。強く、強く、ネックを握りしめる。

 

(こわれてしまうかもしれない)

 

 それは後藤ひとりの声だ。恐れの声だ。指を、強いて弦に食い込ませた、左の指から鋭い痛みがする。痛みに屈するつもりはない。ずっとずっと、そうしてきたから。

 

 ギターが爆発した。後藤ひとりと、ヨハネ・クラウザーⅡ世は同時にセッションに割り込んだ。そして、お互いに相克する音を出しながら、走り抜けていく。

 

 爆音のバスドラムが追いかける。「レイプッ!」「去勢!」真言が無効化される。ジャギはドラムの補助に回る。それを結束バンドのベースが、伺っている。ジャギは、二度か三度の瞬きの間に、状況を把握した。

 

 ギターは互角か、向こうが上。ドラムはバスの主導権を奪われて不利。ベースの技量は向こうが上。クラウザーの真言はギタボが捨て身で潰してくる。いままで味わったことがないほど、全面的なピンチだ。

 

 頼みの綱はクラウザーのデスメタル行為だが、もはや、タンや唾を吹きかけたり、スカートをめくったりして、流れを持ってこられる状態ではない。向こうのギタボのスカートぐらいならめくれるだろうが、その間にギターで叩き潰されるのがオチだ。

 

 なにより、ドラムが暴走してから、結束バンドの安定感が増している。あのバンドの心臓はドラムなのだ。その証拠に、さっきまで好き勝手にバタついていたベースは、なにごとも無かったかのように落ち着いてノイズを払っている。技芸に走ってくれたほうがよほど楽な相手だった。

 

 ジャギは焦っていた。ヨハネ・クラウザーⅡ世は孤独死のマリアとの一騎打ちに忙しい。カミュはバスドラムに溺れかけている。その間にも、双方のギターは止まらずに加速していき、演奏の難度は上がっていく。予感がした。このままならツブれるのはこっちが先だ。

 

「ク サ レ ホ ス ト!」

 

 カミュの怒声。同時に聞いたことが無い音。

 

 ジャギが振り向くと、カミュのドラムセットが崩壊していた。違う。カミュがバスドラムを蹴り倒したのだ。勝負を投げたか?違う。勝つために投げたのだ。

 

「キモオタが!」

 

 ジャギは一拍で理解した。カミュは低音の仕事を全てジャギに押しつけて、乱太鼓を開始する。リズムを否定するような圧倒的手数が帰ってきた。同時に、デトロイト・メタル・シティの低音はジャギ一人に委ねられた。

 

 ただでさえキツい相手だ。だから、むしろジャギは沈んだ。奥深く。結束バンドのバスドラムと、結束バンドのベースの合間に。そこで可能な限りカミュに寄せる。それぐらいしか出来ないが、これは得意だ。

 

 そこへ、ヨハネ・クラウザーⅡ世が崩壊を奏でた。破壊し尽くされた音に、孤独死のマリアが再生を重ねる。

 

 オリジナリティと創造性に富んだ、激しい転調。求められるリズムも、印象も、一瞬で全く入れ替わる。ジャギは結束バンドの音を補強した。(ここで崩れて貰っちゃ困る)今、彼女らの上には結束バンドだけではなく、デトロイト・メタル・シティも乗っているのだ。

 

 二つのバンドの音は不可分になった。これで、ギターの勝敗が、勝負の勝敗となる。ジャギはクラウザーの勝利を疑っていない。同じように、結束バンドもまた、後藤ひとりの勝利を疑ってはいない。

 

 だが、そんなバンドの期待を知ってか知らずか、後藤ひとりは不思議な場所にいた。ステージであるのは間違いないが、その頭の中は異様にクリアで、全てが自由だ。全てが見える気がする。

 

(痛い。指、血が出たかな)

 

 痛みもクリアだが、むしろそれが心地よい。ヨハネ・クラウザーⅡ世のことも、とてもよく見える。彼も左指から絆創膏が剥がれて、出血している。

 

(キノコさん、大丈夫かな)

 

 それを見て、後藤ひとりは、下北沢で出会った親切なキノコを思い出した。そして、なんの疑いもなく、それがヨハネ・クラウザーⅡ世だったのだと理解した。

 

 彼は自分のバンドを信頼しろと言った。そのことを、そのときは理解できなかった。だが、今なら分かる。それを伝えようと思った。

 

(…?)

 

 ヨハネ・クラウザーⅡ世は、僅かに動揺した。孤独死のマリアがセッションを終わらせようと言っている。舐めるな。バンドの限界か?指が痛くなったか?馬鹿馬鹿しい。今まさに最悪の絶頂だというのに、勝負を付けずに終われるわけがない。

 

 だが、後藤ひとりの目を見て考えが変わった。ギラギラと、輝くような、我慢ならない目。それは、ちゃんと勝負を付けるためにこそ、セッションを終えようと言っている。面白い。いくぞ、3,2,1。

 

 ギターとギターがぶつかり合うような様な音をだす。それに合わせてセッションは唐突に終わり、ステージ上は全くの無音となった。

 

 息の音だけがする。デトロイト・メタル・シティも相当な疲労に見えるが、結束バンドは満身創痍と言っていい。特に、結束バンドのドラムの伊地知虹夏は、まるでフルマラソンでも走ってきたかのように、ずぶ濡れになっている。

 

 だが、双方動かない。まだ終わっていないことを知っている。今から始まることも。

 

 ヨハネ・クラウザーⅡ世は、忌々しげに、対面のステージの端に立つピンク色の女を見下した。下北沢の公園でポリ公に売っただけに飽き足らず、生意気なギターテクニック、イカれたステージワーク、魂の奥底に響く生命の賛歌の如きギターソロ。なんたる無礼と不敬の数々。許しがたい。

 

 ヨハネ・クラウザーⅡ世は、息を大きく吐いた。大きく吸うために。そして、身体を仰け反らせる。大袈裟に、卑猥に、シンボリックに。

 

 魔王の股ぐらにぶら下がる悪魔の六弦が、天を衝くように、いきり立つ。

 

 それに応じるように、後藤ひとりは身体を前にたわませた。大量の髪の毛が、顔どころか手元まで覆い尽くしてしまう。まるで嘆いているかのように見えるその体勢だが、ギターのネックはあくまで前に向いている。その髪の隙間から、爛々と輝く目がヨハネ・クラウザーⅡ世を捉えた。

 

 ネックはあくまで鋭く、勇者の剣のように、魔王の心臓を指し示す。

 

 双方、もはや言葉は一つだけ。

 

「「SATSUGAIしてやる」」

 

 最後の曲が始まった。

 

ーーー

 

 虹夏は、叩けるかどうか、考えなかった。叩くしかない。生まれて初めてのメタルのドラムだ。ワクワクしている。バスが走る。足が痙攣しているかもしれない。だが音は出る。横を見ると、リョウが軽く頷いた。対面のジャギがこっちを見て、指を立てて二回転させている。

 

「イントロ二回」

 

 リョウが声に出した。それが何を意味するのか分からなかったが、頷き返す。

 

 最前列のファンの鑑たる彼が気づいたのは、イントロが回って、もう一度始まったときだった。

 

「イントロ二回だと!?」「どうした!」

 

 ファンの鑑たる彼は、デトロイト・メタル・シティの全てを知っている。ほぼ全てのライブに参戦し、セトリどころか、ライブごとの編曲違いまで網羅している。故に、このことが何を意味しているのか理解した。

 

「イントロ二回は、ギターソロではじまる」「そ、それはつまり…」「決めるつもりだ」

 

 歌がはじまる前に、ギターで叩き潰し、歌い出しと共に勝利パフォーマンスをするプランだろう。だが、だが。果たして、あの孤独死のマリアを相手に、ギターソロで勝てるのか?ファンの鑑たる彼は、完全にフラットになっていた。これからステージ上で何が起ころうと、異様に好意的に解釈して全て受け入れようと、覚悟している。

 

「いや?これは…!そんな!」「どうした!?」

 

 ステージ上。虹夏は悪態をつきそうになっていた。後藤ひとりが右手を上に動かしている。テンポアップの要求だ。どんどん、どんどんと。異次元のテンポに足がつりそうだが、後藤ひとりは振り向かない。伊地知虹夏の心配は、もうしないと、背中が言っている。

 

「虹夏…!」

 

 リョウがビビっている。ということは、これがヤバい理由がなにかあるのだろう。だが、テンポを緩めるつもりはない。ぼっちちゃんが振り向かないと決めたならば、こっちは要求通りにテンポを上げる。自分は結束バンドのドラム。ぼっちちゃんは結束バンドのギターだ。まだ上がる。まだ。

 

(根岸!)

 

 ジャギは上がっていくテンポにパニックになりそうになりながら、クラウザーを見た。薄ら笑っている。いや、引きつっているのか?今、テンポは過去最高速をぶっちぎって、未体験の領域にある。

 

 SATSUGAIのギターは根岸の技術の最高峰と言っていい。過去、音源以上の速度で演ったことは何度かあるが、ここまでの速度での経験はない。なぜか。人間には不可能だからだ。そもそもドラムだってこのペースはオーバーのはずだ。乱太鼓のカミュですらキツそうだというのに、結束バンドのドラムは汗だくになりながら、爆速のバスを爆音で打ちつづけている。

 

 ぶっ壊れる。演奏にならない。ジャギはそう思った。だが孤独死のマリアは、さらにテンポアップを要求する。奴はどこへ向かっている?いや、答えは示されている。ヨハネ・クラウザーⅡ世の命だ。だが当のクラウザーは、いよいよよそ見をしている。

 

(どこ見てんだ根岸っ!)

 

 喜多郁代は、心臓が止まりそうになった。ヨハネ・クラウザーⅡ世が、郁代を見たのだ。気のせいかと思ったが、間違いない。チラチラと見ている。殺害予告の一種かと思ったが、ステージ上の演者が目線を送ったということは、アイコンタクトで間違いないはずだ。

 

 喜多郁代はスマホでSATSUGAIの歌詞を調べていただけなのに、ヨハネ・クラウザーⅡ世に何か仕事をさせられようとしている。なにをすれば良いのか。自分がソロで歌うのか。私は地獄のテロリストになってしまうのか。お嫁は絶望的だ。

 

 だが、そうじゃなさそうだ。まだギターもない。ギターの入りに何かするのか。何を?SATSUGAI。その歌を初めて聴いたとき、あまりの暴力性に顔をしかめた。だがいま改めて歌詞をみれば、なんと哀しい歌だろうか。ヨハネ・クラウザーⅡ世のプランを、自分は分かるはずだ。この歌の、理由を、私を知っているはずだ。

 

 イントロが二度回った。

 

「…Ahhh……Ahhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhh!!!」

 

 ドラムとベースだけのイントロを、喜多郁代の美しい悲鳴のようなシャウトが貫いた。

 

 人間を超えた神か悪魔のギターが、それに追随する。速い。ヨハネ・クラウザーⅡ世は歯を食いしばり、指を突き立てるようにして、腐乱した臓物の音をギターから引きずり出す。

 

 後藤ひとりは、うつむくように、ただギターだけを見つめるような姿勢で、淡々とSATSUGAIのギターソロをこなしていく。まるで、簡単な課題曲をこなしているようにも見えるが、髪が、濡れた腕や顔に張り付いている。彼女もまた極限に身を投じている証だ。

 

 後藤ひとりがズレ始めた。遅れたか?誰もがそう思ったが、違う。速いのだ。先を進んでいる。虹夏はテンポをさらに上げた。またずれる。後藤ひとりが加速している。ヨハネ・クラウザーⅡ世が食らいつく。よだれを垂らしながら、全身全霊のギターで。

 

(舐めるな!ぶっ殺してやる!!)

 

 ヨハネ・クラウザーⅡ世が加速して、後藤ひとりを追い抜いた。カミュの乱太鼓が激しくなる。『タイコの超人』で人知を超えたテンポに慣れたカミュにとってすら、体験したことのない速度だ。人間の限界。いや、それをはるかに超えた、光の速度だろう。これ以上はない。この極限の速度の中で、先に乱れた方の負けだ。

 

 後藤ひとりが外した。

 

(勝っ…)

 

 だがヨハネ・クラウザーⅡ世は、その後藤ひとりの外れた音を、理解してしまった。

 

 後藤ひとりの外れたギターが、SATSUGAIを突き抜けていく。SATSUGAIではないのに、なによりもSATSUGAIな、まるでSATSUGAIとは真反対な勇壮なる音色に、誰も異を唱えることができない。

 

 SATSUGAIのメロディーは、曲調と裏腹にポップなものだ。ギターソロもそれに基づいて、技術的な遊びはあるが聞くものを惹き付ける、王道といっていいモノに仕上がっている。

 

 だから、そこを軸にして、よりロックでパンクなギターソロを生み出すことができる。理論上は。そんなことは不可能なはずだ。だが、ハイテンポのSATSUGAIを弾いてみせる後藤ひとりという化け物は、ついさっきまで創造性に溢れるエチュードで戦っていたではないか。

 

 こうして、ヨハネ・クラウザーⅡ世の全身全霊のSATSUGAIは、平凡極まりない、ただの下敷きとなった。

 

 ヨハネ・クラウザーⅡ世の身体がかたむいた。精神崩壊寸前か?いや、もう、すでに意識はないかもしれない。真上の、自らを照らすスポットライトを、白目で睨んでいる。

 

「根岸っ!」「外道!」

 

 ジャギとカミュが呼びかけるが、微動だにしない。魂が抜け去ってしまったかのように、ただ手だけが動いている。ただ伴奏のように、SATSUGAIのソロを弾いている。

 

 異様な光景であった。常勝の征服者、デスメタルの魔王のプライドが粉々に砕け散り、その亡骸がステージに晒されている。こんなことが今まであっただろうか。ステージを見守るファンの鑑たる彼ですら、こんなクラウザーさんを見るのは初めてだった。

 

 盲信者の彼とて、クラウザーさんに敗北が全くないとは言わない。だが敗北するたびに立ち上がり、自らを鍛え直し、リベンジを果たしてきたのがクラウザーさんだ。だが、このクラウザーさんは明らかにおかしかった。なにか大事なものが消え去ってしまって、もう戻ってこないと悟ってしまったかのように、ただ、敗北を受け入れている。

 

(いったい、どうしちまったんだよ、クラウザーさん!)

 

ーーー

 

「もういいのか、根岸」

 

 白塗りの額に『殺』という文字の書かれた、異様な姿の男は、マッシュルームカットの青年に問いかけた。

 

「うん、もういいよ、クラウザー」

 

 マッシュルームカットの青年は、平坦に答えた。

 

「…僕はさ、自分のことを天才だと思ってたんだ。ポップミュージックの天才じゃなくても、デスメタルの、なにかの音楽の天才だと思ってたんだよ」

 

 アコギを器用にアルペジオで鳴らしながら、青年は語り始めた。

 

「だからさ、自分がパフォーマンスで負けたり、演奏で負けたり、コンセプトで負けたりしてもさ、死ぬほど悔しかったけど、もういいやとは思わなかった」

 

 曲は移り変わり、Aメロに入った。平凡だった。

 

「努力して、努力して、努力したよ。だからきっと、そうやってきた自分の音楽はすごいんだと、思いたかったんだ」

 

 とうとうサビにさしかかったが、驚くほどなんのとっかかりもない、ただただ普通の音楽だ。クラウザーは顔をしかめ、根岸は自嘲気味にわらった。

 

「ほらね、僕が通ってた小学校の校歌だよ。ただこれを変な格好をして、エレキギターで弾いてるのが僕だ」

 

 彼の弾いた音楽は平凡だった。だがコード進行に聞き覚えがある。SATSUGAIだ。SATSUGAIは、まさしく小学生にふさわしいような、平凡で退屈な譜面でできていた。

 

「ポップミュージックも、デスメタルも、僕の音楽じゃないんだよ、本当は。ポップミュージックには嫌われて、それを逆恨みして、校歌を加工しただけのデスメタルで、音楽ファンや業界を見下して自尊心を満足させてたのが僕だ」

 

「そうか」

 

 クラウザーは無感動にうなづいた。それは根岸の求めていた反応ではなかった。

 

「結局、僕に本物なんて一つもないんだ。この世界と一緒だよ。愛とか、正義とか、そんなものも一皮むいたら性欲がでてくるんだ」

 

「そうだな」

 

 根岸は暗い目をしている。砂場に生きたバッタを埋める幼稚園児のような、無邪気で残酷な目だ。

 

「でも…楽しかったな。愛とか、正義とか、常識とか、おしゃれとか、そんなことを言ってるやつの服をぜんぶ剥ぎ取ったら、チンコとマンコがついてるんだ。そうして本当を暴いてやった時だけは、最高の気分で、少しだけ世界を好きになれた気がする」

 

 純粋な、黒い黒い目だ。

 

「僕はきっと、偽物が殺されて、断末魔を上げる瞬間にだけ、世界を少しだけ愛せるんだ」

 

「そうだな、根岸」

 

 またクラウザーは無感動に頷いた。根岸はクラウザーの顔を見た。

 

「…君は、なにか話すことないのかい?」

 

「……そうだな、一つだけある」

 

 クラウザーの顔は、ただただただただ、真っ黒の、深い、穴のようになって、何も見えない。根岸は吸い込まれるような錯覚に陥った。錯覚だろうか?

 

「ハッピーバースデー(次はお前の番だ)、根岸」

 

ーーー

 

「根岸、起きろ!」「ゴミ外道!」

 

 バンドメンバーの声がした。

 

「クラウザーさーん!」「がんばれクラウザーさん!」「がんばれー!」

 

 最前列で、ファン共が叫んでいる。こんな自分を応援している。こんな自分はつまらないプライドで貴様らを見下しているだけだというのに、必死に支えようとしている。

 

「クラウザーさーん!」「ファイトー!」「まだいけるぞーー!!」

 

 クサレポップを加工しただけのクソデスメタルで喜ぶゴミ共が、自分を応援して支えている。そう思うだけでヨハネ・クラウザーⅡ世の目に、黒目が戻ってくる。

 

(応援してくれているのか、こんな僕を)

 

 最前列に、涙を流しながら、大声を張り上げている男がいる。

 

「負けるな!クラウザーさん!!」

 

(こんな僕を応援している。こんなオレを、オレを…)

 

 クラウザーは、感極まって最前列に手を伸ばした。最前列の、ファンの鑑たる彼は、驚いた。クラウザーさんの目は、慈愛に満ちあふれていた。

 

(なんて、優しい目なんだ。ファンの気持ちが、クラウザーさんに届いたんだ)

 

 ファンの鑑たる彼も、クラウザーさんに手を伸ばした。美しい瞬間だった。クラウザーは、ファンの鑑たる彼の頭頂部を髪の毛ごと掴んだ。

 

「オレを!!!見下すな!!!!」

 

 ファンの鑑たる彼は、顔面からヨハネ・クラウザーⅡ世のギターに叩き付けられた。

 

「うぇっ!ぉぅぉぅおべ!!おばっばばぅばばばばば!!!」

 

 その声は誰がどう聞いても、断末魔であった。

 

「これは、人ギタ-!?」「そんなもんじゃねぇ!このままじゃ死んじまう!死ギターだ!!!」

 

 ヨハネ・クラウザーⅡ世のデスメタル行為に観客席がにわかに盛り上がる。

 

 だが、死ギターの断末魔に、後藤ひとりのギターが重なってくる。美しく、生命力に溢れる音楽。本当の音楽だ。それだけでヨハネ・クラウザーⅡ世の圧倒的デスメタル行為は、ただのつまらないコントのように見えてしまう。

 

(そうだ!そうだ後藤ひとり!!)

 

 ヨハネ・クラウザーⅡ世は、動かなくなったファンの鑑たる彼をステージ上に引き上げると、その顔にギターを乗せ、さらにそのギターに自らの股間を杭打ちしだした。

 

「これは!死ギターの上にレイプギターだ!」「屍姦ギターだ!!」

 

(いや、これは…!)

 

 山田リョウは気づいた。ヨハネ・クラウザーⅡ世が、屍姦ギターをしながらも、ネックを左手で保持していることに。その保持している左手が、コードを押さえていることに。

 

 後藤ひとりだけではない、ヨハネ・クラウザーⅡ世もまた、今までにない高みへと昇ろうとしている。

 

(来い!後藤ひとり!もっとこい!お前のギターで全てツブせ!)

 

 ヨハネ・クラウザーⅡ世は心の中で叫んだ。後藤ひとりのギターが、またも屍姦ギターを下品なコントだと看破する。パフォーマンスを超える音楽性。魂を塗り替えてしまうほど勇敢なメロディ。またもクラウザーは、ステージ上でおかしな動きをする不審者に成り下がった。

 

(もっと!もっとだ!)

 

「二人羽織ギターだー!」「クラウザーさんは死人を操るのかーー!!!」

 

(もっと!もっと切り裂け!)

 

「貝合わせギターだー!」「百合にギターを挟むなんて、なんて悪魔的発想なんだーーー!!」

 

(もっと、もっと!オレを殺してくれ!)

 

 ヨハネ・クラウザーⅡ世の偽物が、どんどんと剥がれ落ちていく。ヨハネ・クラウザーⅡ世という偽物が死んでいく。

 

「ポリネシアンセックスギターだー!!」「出典が曖昧だー!!」

 

(そのギターで、オレに断末魔を上げさせてくれ!!)

 

「ギター人だー!!」「クラウザーさーん!人は弾けないぞーー!!」

 

(オレに、オレを、愛させてくれ!!)

 

 ファンの鑑たる彼を蹴り転がして、ステージの上から落とした。ピックを観客席に投げ捨てる。そしてギターもまた、両手を挙げて泣いているファンに向かって投げつけた。

 

 ギターソロパートが終わるときには、ヨハネ・クラウザーⅡ世に、もう偽物は残っていなかった。自分だけがいる。ただ自分が。

 

「お前も!」

 

 鼻から血を流しているファンを指さした。

 

「お前も!」

 

 涙を流している男を指さした。

 

「お前も!」

 

 奥のカウンターでふんぞり返っている女を指さした。

 

「お前ら全員、ぶっ殺してやる!!!!!」

 

 ヨハネ・クラウザーⅡ世は、身を切られるような悲鳴を上げた。

 

 俺は地獄のテロリスト

 昨日は母さん犯したぜ

 明日は父さんほってやる

 

 サツガイせよ サツガイせよ

 サツガイせよ サツガイせよ

 

 俺に父さん母さんいねぇ

 それは俺が殺したから

 俺に友達恋人いねぇ

 それは俺が殺したから

 

 殺せ殺せ親など殺せ

 殺せ殺せ全て殺せ

 

 サツガイせよ サツガイせよ

 サツガイせよ サツガイせよ

 

 思い出を血に染めてやれ

 

 サツガイせよ サツガイせよ

 サツガイせよ サツガイせよ

 

 未来など血に染めてやれ

 

 殺せ殺せ親など殺せ

 殺せ殺せ全て殺せ

 

 サツガイせよ サツガイせよ

 サツガイせよ サツガイせよ

 

 

 その悲鳴を、ファンの鑑たる彼は転がり落ちたステージの下で、ぐちゃぐちゃの顔面を拭いもせずに聴いていた。

 

 地獄を割るようなバスドラムが、ステージを揺らしている。過剰なクラッシュが、魂を砕こうとする。時折あがる悲鳴のようなシャウトが、自分の人間の部分を突き刺してくる。ベースの旋律は、苦しみとしがらみと、さみしさだ。ボーカルは全てに絶望して、命から血を流し、ギターは絶望を受け入れて、なお生きようとしている。最高だ。今までで一番のSATSUGAIだ。

 

 ファンの鑑たる彼は、ステージの下からコールをかけた。ファン達がコールに応える。

 

「GO TO DMC!!」「GO TO DMC!!」

 

 コールを続けた。生まれて初めて、DMC以外のコールをする。

 

「Choke on 結束バンド!」「…!Choke on 結束バンド!!!」

 

「GO TO DMC!」「Choke on 結束バンド!!」「GO TO DMC!」「Choke on 結束バンド!!」

 

 ギターから自由になったヨハネ・クラウザーⅡ世は、思う存分ステージを駆け巡った。そして曲の終わり、ステージ裏に仕込んであった結束バンドの束を持ち出すと、高々と掲げて見せた。

 

(根岸!公開処刑か!?)

 

 ジャギが湧き上がる。客席からも歓声が上がる。

 

「今日の獲物は……コイツだぁーーー!!!!」

 

 ヨハネ・クラウザーⅡ世は自らの首に結束バンドを巻き付けると、一気に引き絞った!!

 

 まだブレイクまで時間がある、周りは慌ててブレイクしようとするが、クラウザーは指を左右に振って止める。まだか、まだか、まだか。クラウザーは、まだ粘らせる。一分はゆうにすぎている。白目になっていく。

 

 ヨハネ・クラウザーⅡ世が、ひときわ高くジャンプした。ブレイクのタイミングだ。着地する瞬間、ブレイクと同時に、クラウザーは着地できず地面に倒れ伏した。暗転。

 

 どよどよと人の声はするが、アンコールがかかることはなかった。

 

ーーー

 

「孤独死のマリア(マリア・ザ・ロンリーデス)さん!オツカレサッス!」「サッス!」

 

 ライブ終わりの後藤ひとりが少し涼もうと『スターリー』の外へ出ると、邪悪な装いの人々から大声で挨拶をされた。大声での挨拶は陰キャに対して2倍の攻撃力があると言われ、古来より陰キャを祓い清めるために行われてきた。

 

「ぉひっ…ヒッホホ」

 

 深いダメージを負った後藤ひとりは必死に目を逸らして通り抜けようとするが、邪悪な人々が取り囲んでくる。まわりこまれてしまった!

 

「ア、アノ、ギター、シビレたっす。ソノ、ここにサインいいスか?」

 

「アヒャエ?ウェ、ウェス」

 

 邪悪な人々のTシャツにサインをする。サインを考えておいてよかった。意外に邪悪ではない人々なのかもしれない。

 

「やったぜ!」「サイン、けっこうカワイイな…」「正式にはぼっちさんって言うんだな…」

 

 邪悪そうで邪悪じゃない、ちょっと邪悪な人々は、口々に喜びながら駅の方角へ消えていった。ライブは終わった。勝敗は…よく分からないが、ヨハネ・クラウザーⅡ世のパフォーマンスは圧倒的だった。勝ったと堂々といえる手応えは残っていない。

 

 後藤ひとりが一人で涼んでいると、山田リョウに支えられながら、伊地知虹夏が上がってきた。後藤ひとりは駆け寄って、声をかけようとした。

 

「あ、あの、虹夏ちゃ…」

 

 後藤ひとりの言葉を、虹夏は遮った。

 

「なにも言わないで」

 

 そして右手を掲げた。ハイタッチだ。恐る恐る、その手に手を合わせる。虹夏は笑顔になった。

 

「ウェーイ、ウェイウェイ」

 

 山田リョウも調子よく2人の手をテシテシとはたく。

 

「…リョウ、あとで反省会するからね」

 

「じゃあ私は郁代の様子みてくるから!」

 

 山田リョウは『スターリー』へ逃げ帰った。喜多郁代は控え室でお嫁に行けなくなったことを母親にどう伝えるか考えているらしい。

 

「よっこい、おっと」

 

 虹夏が立とうとしてフラついた。後藤ひとりは、慌てて肩を貸す。

 

「ありがと、エレベータまででいいからね」

 

 エレベータに虹夏が乗り込んで、数秒の間があった。

 

「ぼっちちゃん、私…」

 

 こんどは後藤ひとりが遮った。

 

「虹夏ちゃん、これからも聞かせてください、虹夏ちゃんのロックを」

 

 それを聞いた虹夏は、驚いたような顔をした後、照れくさそうにはにかんだ。

 

ーーー

 

「あ?なんだソレ」

 

 デスレコーズの社長は、星歌に差しだされた書類を一瞥もせずにいった。

 

「店の権利書です。これは好きにしてもらって構いません。だから、ぼっちち…後藤ひとりには手を出さないでください。お願いします」

 

 改まって頭を下げる星歌を見ながら、音楽の魔女は、深く深くタバコを吸い込むと、長く煙を吐いた。

 

「テメェ、ナメてんのか?」

 

 星歌は唇を噛んだ。

 

「それは、テメェはアタシが、”バンドから”引き抜きするような、クソ野郎だって言いたいのか?」

 

「…!」

 

「ファック、興醒めだ。つぎ来るときまでには、もっと濡れるハコにしとけよ。じゃねぇと次は火ぃつけるかんな」

 

「あ、ありがとうございます!」

 

 デスレコーズの社長は、頭を下げる星歌に振り向きもせず、中指だけ立てて『スターリー』を後にした。

 

「帰るぞ!グリ、グラ、根岸!さっさと機材運べ!」「なんで僕なんですか!」「テメェさっきまで寝てただろ!」「ろ、労災です労災!」「ウッセェ!」「アツッ!」

 

 ドタバタと機材が積み込まれたハイエースの車中。車が動き出すと、助手席のホスト然としたチャラチャラな男が、運転席のマッシュルームヘアの男に文句を言う。

 

「根岸、おまえ、もうちょっとで死ぬところだったんだからな」

 

「わ、分かってるよ、自分でもなんであんなことしたのか…」

 

 後部座席に乗り込んだ社長が笑いながら言った。

 

「キケケ、テメェらもちょっとは根岸みならってステージで死んでみろ」

 

「…アホ熟女」「あんだと」「ホバボボア」

 

 文句を言ったカミュは社長に横から踏まれて、窓にへばりついた。

 

「社長、とにかく、僕は明日から約束通り休みもらいますからね!」

 

「あ?テメェが一ヶ月も休んで何すんだよ」

 

「ポップミュージック武者修行ですよ、全国各地を巡りながら、色んなおしゃれスポットで路上ライブするんです」「ゲェー」

 

 根岸はそんな社長の反応は予期していたらしい。

 

「あのね社長、今回のライブで、僕は分かったんです。いままで偽物の音楽をしていたって。本物の音楽がしたいって」

 

「そーかいそーかい」

 

 社長は根岸の決意にも興味がなさそうだ。

 

「ま、根岸がそういうんだったら、オレらもちょっとは休むか、なぁカミュ」「無職キノコ」「はは、こいつ寂しいんだよ」「クサレホスト」

 

 ジャギは根岸に目を向けた。

 

「でも、今回のライブは確かに今までと違ったよ。おまえも、もしかしたら何か掴んだのかもな」

 

「…うん、なんていうか、自分の人間性の駄目なところが分かったというか、上手くいくことばかりじゃないけど、それでも少しだけ信じられるものを見つけた気がするんだ」

 

「そっか、よかったな、根岸」「うん」「でもこれで根岸がポップミュージックを掴んじまったらオレら廃業だぜ」「ははは」

 

 ブオン「!おっと」

 

 4車線の広い道を走っていた根岸のハイエースの前に、軽自動車が割り込んできた。それはやや性急でマナーを欠いた運転であった。

 

「たしかに少し、根岸は心が広くなったかもな」

 

(は?なんだこの軽は)

 

「前まではライブが終わってからでも相手のバンドに突撃していってたからな」

 

(指示器もだしてねぇぞコイツ)

 

「…根岸?」

 

(イカレてんのか、この軽、ミンチになりたいのか?)「お、おい」(ハザードぐらい焚いたらどうなんだ?脳みそぶっ壊れてんのか?教習所と幼稚園を間違って通ったのか?幼稚園でもありがとうは習うだろうがゴミクソが、)「ス、スピードが」(ミンチになりたいってのか?ミンチ志望か?将来の夢は野球選手かミンチなのか?なにとの合い挽きになりたいんだ?テメェなんざ豚からも合い挽きにお断りが入るぞクソゴミ虫め、テメェとお似合いの合い挽きはウッドチップしかねぇぞクソザコ軽め、イカレ軽がミンチになりたいってんならお望み通りだぞイカレ野郎めイカレ軽めイカレイカレイカレ…)

 

「オアアアアアァァァッァァァァァァッァァァァ!!!」

 

 カミュのドラムが走り抜ける。ジャギのベースが地獄の門へ誘う。ヨハネ・クラウザーⅡ世のギターが、世のいけとしいける全てのものを呪う。

 

「イカレミンチ!お前グチャグチャ!イカレミンチ!全部グシャグシャ!イカレミンチ!混ざってグチャグチャ!イカレミンチ!臓物グシャグシャ!」

 

「やっぱすげぇ!昨日あんなに激しいライブをしたのに、新譜を上げてくるなんて!!」「クラウザーさんこそ本物のメタルモンスターだぜ!」「GOTODMC!GOTODMC!」

 

 最後列、禁煙の文字を背負いながら紫煙を吐いて、デスレコーズの社長、音楽の魔女が高笑いする。

 

「クラウザー!やっぱテメェ最高だぜ!!お前こそ生けるデスメタル!濡れるべきマザファカ野郎だ!アハァーッハッハッハ!!!」

 

「イカレミンチ!イカレミンチ!イカレミンチ!イカレミンチ!!!!」

 

ーーー

 

 自室の押し入れ。ギターと私。カメラが一つ。

 

「TAKE1、デトロイト・メタル・シティ、『SATSUGAI』」

 

 タン、タン、タンタンタン。

 

 

~終わり~

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総合評価:16924/評価:8.83/連載:31話/更新日時:2026年02月19日(木) 12:35 小説情報

すべてを失って身売りした少女にすべてを与えてみた結果(作者:ヤンデレすこすこ侍)(オリジナルファンタジー/コメディ)

転生したら全てを持っていた。▼転生先は大国アズヴォルデ帝国の第三皇子だった。▼ふ~ははははっ! これで好き放題出来る!▼あんなことや、こんなことを、好き勝手にやらせていただく!▼そう息巻いて過ごすこと十五年。▼俺は早速飢え始めていた。▼つまらない。▼つまらないのだ!▼何もかもを手に入れてしまって、何にも充足感を得られない!▼金も名誉も地位も力も、全てを持って…


総合評価:20809/評価:8.94/連載:9話/更新日時:2026年03月30日(月) 12:00 小説情報

百式観音を背負いて。(作者:ルール)(原作:NARUTO)

▼ 憧れた姿を追い求め、▼ ただひたすら繰り返し、▼ オッサンはついにソレに辿り着く。▼ そんな狂気のオッサンが混じった忍者活劇。


総合評価:16987/評価:8.13/連載:19話/更新日時:2026年03月30日(月) 06:17 小説情報


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