「プロデューサー。ダメダメなりに、わたしもがんばってきた。だから、そこで見てて」
「ダメだ。危険すぎます……」
「ふふ。わたし、片足立ちもできるようになった」
「篠澤さん!」
プロデューサーたるもの、アイドルのことを熟知し、どんな状況にも対応出来なければならない。その覚悟でこれまでやってきたつもりだった。しかし、こんな場合にどうすればいいのか、俺にはさっぱりわからなかった。
……担当アイドルが猫に対抗心を燃やして、柵の上を歩こうとしている時には、いったいどうするべきなのだろうか。
篠澤広は学業成績が優秀なため授業が免除されている。今日は午前の授業が免除され、レッスンは午後からだった。暇を持て余した彼女はトレーニングを兼ねて俺を散歩に誘った。
ただ歩くだけ。そう高をくくっていた俺は二つ返事で了承した。
「風が気持ちいいね、プロデューサー」
「そうですね」
最初は普通に散歩をしているだけだった。学園近くにある川沿いの遊歩道を、あてもなく散策した。平日の昼間という事もあり、人はほとんどいなかった。
「プロデューサー、たのしい?」
「え?」
「なんだか最近、つかれてるみたいだったから」
「それは……」
あなたのせいですよ、という言葉は飲み込んだ。独特の価値観を持つ彼女に振り回されることは確かに大変だが、彼女のプロデュースはやりがいがある。貴重な体験をしているのは間違いないだろう。
「散歩は、リフレッシュにちょうどいい。わたしのこと、少しは見直してもいいよ」
そういえば、こうやって何の目的もなく歩くのは久しぶりだった。少なくとも、彼女なりに心配して誘ってくれたようだ。
しかし、元凶に勝ち誇ったような顔をされると褒める気も失せる。
「篠澤さん、人に気を遣えたんですね。意外な発見でした」
「わたしのこと、感情のない機械だと思ってたんだ……」
「文化が違いすぎてわからなかっただけですよ」
彼女は他の人とプロセスが違うだけでとても感情豊かだ。もっとも、それに気づいたのは最近になってからだが。
「あ、猫」
川沿いの柵の上を、白い猫が悠々と歩いてきた。
「かわいい」
そう言って広が猫を撫でる。人馴れしているのか、猫はされるがままだ。
「猫、好きなんですか」
「ちょっとわたしににてる」
「そうですか?」
確かに日向ぼっこしながら丸くなっている姿なんかは、似ていなくもない。しかし猫はかなり俊敏で、身体能力も高い。広とは似ても似つかない。
俺は歩き去る猫を指さしながら
「見てください、あの美しい歩き方。アイドルのウォーキングはあれくらい必要です」
と言ってみた。少し彼女をからかってやろうと思ったのだ。
「わたし、アイドルとしては猫以下ってこと……?」
案の定、彼女の反応はよかった。いつも通りの恍惚とした表情で、自分の至らなさを喜んでいる。
「そういうことです。もっとレッスンが必要ですね」
「ふ、ふ……プロデューサーはわたしをやる気にさせるのがうまい」
広はそう言って、柵に足をかけた。
何を、と言う前に彼女は柵に登っていた。
「プロデューサー。わたし、結構成長してきたと思う」
そう言って彼女はゆっくり歩き出した。しかし柵は平らとは言え、人の足幅ほどしかない。体幹の弱い彼女はすでにふらふらと足元がおぼつかなくなっていた。
「確かに初期と比べたら見違えました。でもそれは篠澤さんには無理です。早く降りてください」
「プロデューサー。ダメダメなりに、わたしもがんばってきた。だから、そこで見てて」
「ダメだ。危険すぎます……」
「ふふ。わたし、片足立ちもできるようになった」
「篠澤さん!」
広が柵の上で片足立ちになった瞬間、俺は両手を広げて彼女を受け止める体勢に入った。柵の向こう側は川だ。こちらで受け止めなければ。
広はこちらを見た途端にさらにふらつき出した。
「プロデューサー、もうだめかも。受け止めて?」
「受け止めますから、早く!」
広はこちらにまっすぐ倒れ込んだ。彼女の痩躯でもそれなりの衝撃だったが、しっかり抱きとめることができた。
「心臓が止まるかと思いましたよ」
「大丈夫、ちゃんと動いてる」
広が俺の胸に耳を当てて言う。
「ほら、自分で立ってください。こんな姿を見られたらどう思われることか」
しかし、広はなかなか離れようとしない。やはり怖かったのだろうか、肩が少し震えている。
「もうすこしだけ、このまま……くっついていたい」
広が上目遣いで懇願する。手を伸ばして撫でてやりたい気持ちをぐっとこらえて、
「本音は?」
と問う。
「ふふ……腰が抜けて動けない。おぶって」
「はあ……」
やはり彼女のプロデュースは一筋縄ではいかない。散歩に行くと銘打って出かけたのに、結局広をおぶって帰ることになった。
「篠澤さん」
「なに?」
「あの時、わざと倒れませんでした?」
「どうして、そう思うの?」
「いえ、確かに篠澤さんはアイドルとして貧弱なのですが、成長しているのも事実だ。あの時は最悪の事態を想定して止めましたが、今のあなたならもっと耐えられると思ったんです」
「……ふふ、プロデューサーはすごい。わたしのこと、よくみてる」
「であれば、なぜ……あんな楽しいはずの無茶を、途中で切り上げたんですか」
「それはね……プロデューサーが……いて、くれるから……」
疲労が溜まっていたのか、広はそう言って寝てしまった。
彼女の言葉の意図はわからないが、少なくとも俺を信じてくれていることはわかる。
未だに理解しきれない彼女を支えるべく、気合いを入れ直すのだった。
棒に当たる。