ライブシーンの練習がてら。

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『虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会のセツナちゃん』

 仕事に、行き詰まっていたから。

 何故かと聞かれたなら、きっとそう答えたはずだ。

 そうでなければ、疲れていたと答えたかもしれない。

 どちらであっても変わりはしないし、どうだっていいか。

 ──そこまで考えて、女は不機嫌そうにため息をこぼした。

「なんだって、私がこんな。場違いなんだよな、そもそも」

 こぼした独り言は、瞬く間にも周囲の喧騒にかき消されていく。それほどまでに、女は雑音の波にもみくちゃにされていた。

 一向におさまらないざわめきは、宵の口の下北沢か、あるいは渋谷のセンター街にも似ている。

「アイドルってやつは、方向性が違うんだ。それに、スクールアイドル同好会って。軽音部となにが違うんだよ、これ」

 友人から渡されたフライヤーはカバンの中で転がったのか、もうすっかりとしわくちゃになっている。

 そこに記された馬鹿馬鹿しい単語に、またひとつため息が漏れる。

 スクールアイドル同好会。

 仕事の関係もあって、名前だけは聞くことがあった。

 女にとっては興味の対象外で、それ以上のことはまるで知らない。知っているのは、目の前の光景は女子高生たちの自主的な活動だということくらい。

 他にも色々と教え込んだ友人は、女のかたわらで今か今かとライブの始まりを待ち侘びている。

 サイリウムを両手に構えて得意げに笑う友人の表情は、職場の人間に見られたら子供のようだと言われてしまいそうなものだ。

 とはいえ、当人が気にした様子などまるで見せないのだから、余計なお世話かと女は思う。

「いやー、こんな大きな箱でやれるようになって、わたしは感動ですよ。ちなみにイチオシはせつ菜ちゃん。話題になり始めた頃から追っかけてるんだけど、やっぱりねえ、パッションを感じるんですわ」

「へえそうなんだ、すごい」

「ちょっと棒読みすぎ。まーまー、騙されたと思ってさあー。わたしたちも、あんな時期あったじゃん。年若い女の子たちが全部自分たちでやって、やっとここでやれるんだよ!」

「うわあそうなんだ、すごい」

「あーもー、聞けってばあー!」

「聞いてる聞いてる、すごいすごい。ほらほら、始まるってさ」

 四方八方から黄色い歓声がぶわりと湧き上がり、会場の空気を震わせてはすぐに静まり返る。

 照明が落ちてサイリウムだけが煌めく、独特の光景。

 女はそれを他人事のように眺めながら、流れ始めた旋律へ耳を傾けた。

 

 ライブが始まって五分かそこら。一曲目が終わるまでに女が抱いた最初の感想は「薄っぺらい」だった。

 それは、当然と言えば当然のことだ。

 女の生業もまた音楽の畑で、経験してきた場数も、聞いてきた演奏の質も比べものにならない。

 あくまで、高校生たちの部活動、あるいは同好会。そういうものだと割り切っていたから、これといって失望はない。

 歌詞もメロディも退屈で、単純に好みと合わない。

 ただ、それだけのことでしかない。

 隣を見れば、サイリウムをリズミカルに上下させて声援を送る友の姿。

 右も左も前面も、視界に入る空間は全てそういう人間で埋め尽くされている。きっと、女の背後に位置する人間も、そうなのだろう。

 自分だけが取り残されてしまっているようで、居心地は最悪だと言わざるを得ない。

 正直に言うのであれば、誘いに乗ったことを、女は早くも後悔していた。

 だからといって、ここで腐っていたら時間を浪費するだけだということもわかってはいる。

 だったらせめて、何か学べるものを見つけていこう。

 意識を切り替えると、女はステージの中央で舞う少女へと目を凝らす。

 ファンの歓声を受け止め、お返しのように透明感のある歌声を響かせる「セツナちゃん」とやらを。

(まあ、練習はしっかりしてるか。ダンスとか好きじゃないけど、動きはいいな)

 良し悪しを形容する言葉を知らない女にも、その点は理解できる。

 テンポの速い曲に合わせて、溌剌とした動き。

 振り付けはシンプルながら少女の動きは力強く、手足の伸びもしなやかで見ていて小気味いい。

 比べるものが周囲にないことも相まって、ステージに立つ姿は小柄なはずなのに、ずっと大きく見える。

(パターンも多いな、覚えるのキツそうだわ。若い子でなきゃ、筋肉痛で死にそう)

 ターンの瞬間にふわりと舞い上がる黒髪は、ステージに走る炎の演出と相まって勇壮さを感じられる。

 感覚的なものでしかないが、似合っているというのが正当な評価だろう。

(おー、燃えとる燃えとる。やっぱミストホロかなー、凝ってるなあ。あれ、これって演出も込みで自分たちでやってるわけ?)

 歌声も伸びやかで、声量もある。

 ステージやダンスの演出も、しっかりと考えられている。

 歌詞や旋律は好みに合わなくても、そうした細かな部分には好感が持てた。

(持ってるタイプには見えないけど、やるじゃん。キャラクター性と演出と、ちゃんと考えてあるし)

 呼吸が上がっても崩れることのない満面の笑みは、内心はどうだか知らないものの、自信に満ち溢れているように感じられる。

 ただの一瞬で観客を魅了するような、天性のものは感じない。

 ただ、少なくとも。

 女が感じていた先程までの居心地の悪さは、ずいぶんと和らいでいた。

(うん、曲はさっぱりわからんけど)

 打ち込みの演奏は退屈でも、肌に打ち付ける音圧が心地いい。

 視界の中央には、精一杯に身体を動かし、笑顔を振りまき、歌声を響かせている「セツナちゃん」の姿。

 ステージに噴き上がる真っ赤な炎で、ほんのわずかに目が眩む。

 サイリウムの光だけは見えているも、友の姿も見知らぬ誰かも、暗がりの中では見えなくなっていく。

 ちょうどそう、余分なものがなくなって、ステージだけがそこにある。

 そんな不思議な感覚に、女の心は少しだけ、ほんの少しだけ弾んでいる。

 取り残されていたような気持ちは、すっかりどこかへ消えていた。

(ライブそのものは悪くない、いや、良いよ。なるほど、これは好きな人には刺さるんだろうな)

 なぜだろうと、女は考える。

 浸り切るには、半歩ほど遠くの距離。

 曖昧な場所に立っているから、ファンと呼ぶには冷めているから、見えたものがあったのかもしれない。

(──昔は、私もあんな感じだったかなあ)

 直向きで、全力で、何より今を楽しんでいる。

 緊張だとか、重圧だとか、そういうものもあるだろうけれど。

 少なくとも、ステージに立つ「セツナちゃん」には、余分なものは見えない。

 今、この瞬間だけが全てなんだと言うように、持てる力を何もかも、全部注ぎ込んでいるのが感じられる。

 きっと「セツナちゃん」だけでなく、全ての少女たちがそうなのだろう。ステージに立つ子たちも、表に出ない裏方たちも。

 運営から演出に至るまで。作詞作曲も、レコーディングも。全部を自分たちでまかなっているのだったら、注がれる情熱の密度はきっとプロにも劣らない。

 むき出しの純粋な気持ちを、あの子たちが真っ直ぐに、全力でぶつけるから。

 それがきっと、心を打っているのだろう。

 理由も理屈もわかりはしない。

 ただ、女は自分なりの結論を出すと、あとはもう小難しく考えることを止めた。

 楽しげな歌声に意識を向けて、鼓舞するようなダンスに意識を向けて。

 ステージで起こる全てのものに、観客として集中する。

 ライブを、ステージを、なにより「セツナちゃん」そのものを楽しむ。

 そうすることが、少なくとも、ライブに訪れたもののあり方なのだとわかっているから。

 自分と似たような世界で歌う少女に、真正面から向き合うように。

 女の表情は腑抜けたそれから、すっかりと別人のように変わっていた。

(アイドルってのは肌に合わないままだけどさ、うん、やっぱり、ライブっていいわぁ。そりゃ人気出るわよね、いや「セツナちゃん」すげー)

 気付けば演奏は終わっていて、残響だけが女の耳奥で息づいている。

 観客たちへ深々と頭を下げる「セツナちゃん」は、先程までよりもずっとずっと小さくて、等身大の女の子にしか見えなかった。


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