砂の器という子どもの遊びがある。
渇いた砂で山を作り、その頂の部分を指で窪ませる。そして何処からか水を持ってきて、そおっとそおっとその穴へ水を注いでいく。
濡れた砂は色が変わっていき、どんどんと水は染み込む。しばらくして慎重に周りの砂を取っていくと、固まった砂の器が手の中に収まるという寸法だ。
日没の海岸。水平線に少しずつ切り取られるようにして夕陽は小さくなっていき、空は茜色と薄紫色の光が混じって、輝いていた。
そんな空の下で、砂遊びをしている少年がいた。
6歳くらいだろうか。腕や顔は赤く、良く日に焼けているが、健康的とは言い難かった。一般的な童子より痩せていて、その肩は気の毒になるほど小さい。
近くに彼の仲間はおらず、一人で黙々と砂の山を築いては水を入れていた。
きっとその遊びを知ったばかりなのだろう。
彼の手はぎこちなく、時々器は割れていた。少年は、今度こそと意気込んで、より丁寧により優しく砂を掘っていった。やがて満足のいく出来の物が手に入ると、彼は無邪気に笑って、大きな流木にそれを載せた。ひとしきり遊び終えると、その子は砂だらけになった着物をはたき、海水で手を洗うと、誰かの方へ向かうように歩き出し、浜辺を後にした。
彼は父の元に向かっていた。父親はそれまでジッと地面を睨んでいたが、視界に息子の姿を認めると、慈しむような目つきに変わった。子は、先程の遊びのことを伝えているようだった。父はそうか、そうかと何度も頷き、一瞬嬉しそうな顔はするのだが、またしても足元を見つめた。少年も直ぐに父に倣った。彼らにとって俯くことは身体に染み付いた習慣だった。そして、親子は一言も交わさぬままこの地を去っていく。今までもずっとそうしてきたように。
そこには器だけが残された。流木の上のそれは、彼が去ってから程なくして風に攫われてハラハラと散っていき、遂には形を成さなくなった。
砂の器に物を入れることはできない。当然本物の器よりずっとずっと脆い偽物だからである。或いはそれは砂の器の宿命とも言えよう。
沖から陸に吹き付ける浜風にも、月によって引き起こされる潮汐によっても崩れてしまう儚い存在である。
仮に次の日に男の子がここを訪れても、それが存在した形跡すら見つけられないだろう。
事情を知らない人々は等しくこう言う。
また海岸に出て同じ物を作れば良いじゃないかと。
しかし、それは彼が漁村に住む少年であればの話である。
実際彼は二度とこの場所に姿を現す事はなかった。