車内ではネクタイの男が、この辺り一帯の説明をしてくれた。干しうどんを作っているということや、伝統的な塗り物があること。古き良き農村のイメージは、中々に若い木村の興味を引いた。
東京のより型の落ちたパトカーは、8月の青々とした田園が目の前の橋付近に停車する。警察署を発って10分程のことだった。
根久帯は100メートル程離れた作業小屋で休憩中の農婦に向かって声を張る。
「おぉい、婆ちゃぁぁぁん!!このへんだったがぁ!?」
「んだぁ!そごん橋の下だぁ!!」
きっとこのネクタイの巡査と農家は顔見知りなのだろう、と木村は思った。東京ではありえない光景であり、一般人との距離の近さを羨ましくも思った。
根久帯は確認した地点、つまり橋の下の暗がりを指差した。
「ここらしいです」
三浦は腕組みする。
「なるほど……。さっきの方にお話しを伺っても?」
「どうぞどうぞ。大佐婆ちゃんはええ人だんて(だから)」
三浦刑事は革靴が泥に塗れるのも厭わず、畦を走って行き、先程の農家のいた小屋に行く。木村はそれを慌てて追いかけた。
「こんにちは、警察の者です。不審者を見かけたとの事ですが、その時のことをお聞かせ願えないかゾ?」
「んだぁ。2、3日前のこっだけれども、おらが畑さ行ごうどすだら、30ぐれぇの若ぇ男が、あんの橋の下でジーっどねまっで(座って)たんだぁ。んでぇ、2時間程でけえって来でも、まんだいやがっで、しったげ(とても)おがしな奴だったなぁ」
木村は、方言で所々分かりにくいところがあったが、大意は掴めたのでメモを取った。
「顔や服装は見ましたか?」
三浦は追求する。
「いんやぁ……。おかすな事されでも困るんで、おが(あまり)見んようにすたなぁ……」
「そうですか……。どうも」
東北での聞き込み第一号はあまり芳しくなかった。
30代の男というのは東京で組み立てられた容疑者像と一致するが、結局顔も服装も身体的特徴もまちまちのままだ。
ネクタイの巡査は、わざわざ東京から出てきた刑事が、しょげた顔でパトカーに戻って来るのを気の毒に感じた。彼は、田中龍署長が今日の朝礼で、昼に警視庁から刑事が来るから、全力で協力してやれ。手ぶらで帰らせるな。と言っていたのを思い出した。
そんな思いも虚しく、その後に他の目撃者を当たってもその情報は釈然としなかった。干しうどん屋曰く、30〜40代くらいの見知らぬ男がうどんを干すこちらの方を睨んでいた。或いは犬の散歩をしていた少女曰く、川の土手に黒い服のおじさんが寝そべっていたとかそういった情報だけが、木村のメモに書き加えられていた。
いずれも同一人物だとは思えるのだが、窃盗の被害も、刃物を持っていたという証言も無く、あくまで不審者止まりだった。
そもそもこんな状態では、その男を東京の事件と結びつけていいのかすら悩ましい。若手刑事は戻って来た亀田署内で頭を抱えた。
「三浦さん……。東北まで来て、また亀田の方に協力していただいて、こんなこと言うのは心苦しいですが、私には件の事件と羽後亀田とがイマイチ結び付きません」
「うーん……」
三浦は渋い顔をして灰をトントンと落とした。
「他に東北に『カメダ』はありますかゾ?」
「私の知る限りありませんが、一応調べましょう。2階に地図がありますンで」
田中署長は部下数名を引き連れると、階段を上り、長らく使われていないと思われる資料室に三浦達を通した。
函に入った東北地方の詳細な地図を引っ張り出し、中央机に広げて警察官数人で穴が開くほどに見つめる。
見落としがないよう一つの地名を指でなぞってはまた一つ次の地名へ。途方もない作業ではあるが、もうこうする他に東北弁の『カメダ』の真相は掴めない気がした。
「福島の郡山にも亀田というのがありますが!」
30分くらい経って1人が大発見をしたように叫んだ。三浦は頭を下げて言った。
「申し訳ない。そこへは他の捜査員が既に行ってなんの手掛かりも無かったそうだゾ……」
「そうですか……。すんません舞い上がっで」
「いや、こちらこそ……」
「…………」
重苦しい雰囲気が部屋に佇む。
三浦は、東京の捜査本部会議室でも全く同じ空気を嫌という程味わった。どれほど話し合いを尽くそうが、被害者のことも容疑者のことも分からずじまいで、正直なところ、藁にもすがる思いで今回、秋田県は羽後亀田に訪れたのだ。彼の頭には「迷宮入り」という最悪な言葉がよぎり始めていた。