時は1974年6月24日に遡る。
午前4時、まだ暗い下北沢操車場内で始発列車の車両点検をしていた職員は、7両目の下を覗き込んだ時、あまりの凄惨にライトを取り落とした。
とは言え、彼は他の人間とは違って絶叫したりはしなかった。
この職員はこれと同じものを何度か目にしていた。大抵ソレは業界でマグロと呼ばれている。
ライトを握り直してもう一度それを見てみる。今度は"ある"と分かっているだけ恐怖は和らいでいた。
鋼鉄のレールに交差するように寝そべっているそれは、顔が無かった。というより潰されていた。
ぶよぶよと浮腫んだ真っ赤な丸い肉塊があるだけで、鼻が残っているのが辛うじてそれを人間の頭だと分かるように仕向けていた。
何か丸みのあるもので何度も何度も何度も殴打されたようだった。職員は目を背け、口元を覆った。
それでも彼は強い人だった。気概を取り戻して立ち上がると、惨状を知らせに職員詰所に足を運んだ。
最初に警察が現場に到着したのは午前5時過ぎ、肝心の始発は当該の7両目だけを切り離して6両編成となった。ブルーシートで遮蔽が為される中、手練れたる捜査一課の衆もまた絶句した。ここまで損壊の激しい遺体も久々であった。一同は仏さんに合掌をし、初動で鑑識が血痕、体液、毛髪、指紋などを調べていた。
「人を人とも思わない奴ねぇ、今回のホシは。人倫こわれちゃ〜う!」
捜査一課長は猫のような声で嘆いた。
「全くです!あんな酷いことできる奴の気が知れません……」
木村刑事は唇を噛み、義憤に燃えていた。
「おい!別の場所で血痕が見つかったそうだ!」
関係者の1人がそう言うと、刑事達は操車場の敷地内の、柵に囲まれた草むらに移動した。草には点々と褐色の液体が付着しており、それを辿ると少し開けた場所に血の海があった。
「多分殺害されたのはここだな。その後、ホシは遺体を車両の下まで引きずって行ったんだ」
三浦巡査部長は、車両付近には少量の血痕しかないことからそう判断した。そしてその推理は当たっていた。程なくして草むら近辺からべっとりと血の付いた石が発見され、遺体の傷跡との一致から凶器と判明した。石は20cm位である。
現場での捜査を終えると、一課はオフィスへと戻って、その日の正午には捜査本部を立ち上げた。
毛筆の心得のある者が「下北沢操車場男性殺人事件」と揮毫した。
ホワイトボードには被害者の服装が撮影された現像写真が貼られた。古びた紺のジャケット、開襟シャツ、グレーのスラックス。ジャケットの胸ポケットには下北沢駅近くのバー「cookie☆kiss」のマッチが入っていたが、他には何も無かった。
上着のネーム刺繍や、シャツのクリーニング屋のタグも無く、被害者の個人特定は早くも難航した。
夕方ごろに新宿調教大学の法医学教室からの連絡を、課長は受け取った。
「司法解剖の結果、死亡推定時刻は昨晩の22時から0時までの間。被害者は50〜60代と見られる男性。胃の内容物から、アルコールとナッツ類が検出。睡眠薬の反応あり。血液型はB型。死因は顔面殴打による失血死。頭蓋骨陥没や脳挫傷もあったそうよ。お心が壊れるわ!」