2090年6月8日。別れの挨拶もそこそこに、ファイナ・シルキアは佃製作所を去って行った。もちろん送別会などを催す余裕などない。
ジョージ・兼松が手配した輸送機にT175を積み、その輸送機に乗ってハフマン島へ向かう。一緒に同行するのは、五代智、それと佃美月である。
3人は離陸前の輸送機の座席に並んで座る。美月は、ファイナと五代の間に挟まれるように座た。不安気な様子で小さくなっている。ハフマン島は既に戦時下である。メサナ地区では小規模ながら武力衝突が起きている。さらに、U.S.N.軍が国境付近の都市ペセタに軍を集結させているとの噂もあり、いつ大規模な戦闘が始まってもおかしくない。あの時は勢いでハフマン島へ行くと言ってしまったが、今となっては後悔の気持ちが大きい。もう、どうしようもないのだが……
対照的に楽観的なのは五代であった。サカタインダストリィの社員である五代にしてみれば『辞令が下った以上従うしかない』と割り切っているようである。それよりも、何故か彼としては、美月がハフマン島へ同行する方が大ショックだったようで、それを知った時は、驚きのあまり暫し呆然としてた程である。
「五代さんはハフマン島に行ったことあるんですよね」
「まぁ、研修で数日滞在していただけだけどね」
「何の研修だったんですか?」
「研修というのは名目で、見学旅行みたいなもんだったかな……ハフマン島にあるサカタインダストリィの工場とか施設を見て回っただけだよ。ちょっとだけニルバーナ機関も見たけどね。まぁ、けっこう楽しかったし、いいところだよハフマン島は」
「今は、その時のハフマン島とは状況が変わってるかもしれないのに、五代さんは怖くないんですか?」
「ハフマン島に行くっていっても戦地に行く訳じゃないし、ましてや兵士として戦争に参加するんじゃないんだから、そんなに心配することないよ」
五代の慰めの言葉に、美月が軽く愛想笑いを返した。
そんな五代と美月のやりとりを聞いていたファイナは浮かない表情をしている。ハフマン島での美月にどんな運命が待っているのか、それを知っているファイナとしてはやり切れない気持ちなのだろう。
「どうかしたんですか?」
そんなファイナに、美月が声を掛けた。
「あっ!何でもないわ。ただ、日本ともお別れだと思って、少し感傷的になっただけ……」
ファイナは笑顔を繕い、内心を悟られまいともっともらしく返事をした。
「そうですね、慌ただしく日本を離れることになっちゃいましたけど、何か日本でやっておきたかった事とかあったんですか?」
「そうねぇ、そういえば《イナゴの佃煮》って言ったかしら、サカタがT175って命名した由来じゃないかっていう昆虫食、初め見たときはビックリしちゃったけど、ちょっとだけ食べてみてもよかったかな……」
「じゃぁ、今度ファイナさんが日本に来る時には買っておきますね」
屈託のない美月の言葉に、泣き崩れそうになるファイナ。
(美月が日本に戻ることは、おそらくないであろう……)
そう思うと、いっそ真相を話し、美月を連れて逃げ出したくなる。
「ごめんなさい……いろいろと佃製作所での日々を思い出しちゃって……」
ファイナはそう言って涙の訳をごまかした。
「《イナゴの佃煮》なんて、ハフマン島からでも注文できるでしょう?」
五代がそんな場違いな発言をしてきたのは、単に空気を読めないからなのか、それとも、敢えてしんみりした雰囲気を変えたかったからなのか……
「五代さん、分かってないですね。こういう御当地食は、現地で食べることに意味があるんですよ」
「そんなモンかねぇ……」
「そうね、また、日本に戻ったときは、食べてみましょう」
ファイナはそう言って涙を拭い、いつものとろける様な笑顔を見せた。
日本からハフマン島への直行便はないため、通常は、いくつかの空港を経由する必要がある。だが、この輸送機は兼松が手配した特別機なので直接ハフマン島まで飛べる。それでも約半日かけてのフライトであった。
輸送機が向かうのはU.S.N.領のフォートモーナス。U.S.N.領では、首都ルーピディスに次ぐ第二の経済規模をもつ商業都市である。北東にモーガン高地を望み、そのモーガン高地のを左に見るようにして行った先にニルバーナ機関がある。
輸送機はフォートモーナスの空港に着陸した。そこからT175を乗せたトラックに乗り換え、サカタインダストリィ・フォートモーナス支社に移動した。
ロビーでは、ニルバーナ機関からジョージ・兼松が来ていて、3人を出迎えた。兼松は、ファイナに軽く声を掛けた後、五代に、
「五代君、久しぶりだね」
と挨拶を交わした。そして美月と正対し、にこやかに右手を差し出した。
「佃美月さんですね。ようこそ、ハフマン島へ。ニルバーナ機関開発部のジョージ・兼松です」
「あ、はじめまして、よろしくお願いいたします。佃美月と申します」
美月が兼松の手を握り返す。
「もう1年ぐらい前になりますか……ファイナ君と一緒に佃製作所さんへお伺いして、そのとき、お父様の佃社長とはお話させていただいたのですが……佃社長はお元気ですか?」
「はい、父も『兼松さんにお会いしたらよろしく伝えておいてくれ』と言ってました」
美月はそう言い大人の返答をしたが、もちろん宙志はそんなことは言っていない。
「そうですか。でも、よく娘のハフマン島行きなんてお許しになられましたねぇ」
「いや、反対を押し切って来たようなもんです」
「やはり、そうでしょうなぁ。でも、その決断は正しかったと分かってもらえる時が来ますよ」
「そうだといいんですけど……」
「まぁ、今ハフマン島の情勢は緊張が高まっているんで、状況が落ち着くまでゆっくりしていてください。なぁに、フォートモーナスにいれば大丈夫ですよ。例えU.S.N.とO.C.U.の大規模衝突が始まったとしても、ここまで戦火が及んでくる可能性は低いですから」
美月は頷くも、その表情からは不安が滲み出ていた。
「そうだ、時間があったら五代君にフォートモーナスやルーピディスを案内してもらうといい!活気あるハフマン島の名所なんかを見て回れば無用な心配だったと分かりますよ」
それを聞いてた五代が横から、
「僕は、サカタインダストリィの研修で数日ハフマンに滞在してただけですから、美月ちゃんを案内できるほど詳しくないですよ」
と兼松に返した。
「そ、そうだったね……ははは」
その、兼松のごまかすような大笑いに、ファイナは何故か嫌悪感と違和感を覚え、白い目を向けるのだった。
それから、美月と五代は生活の本拠となる宿舎に案内された。宿舎は、サカタインダストリィが用意したフォートモーナス近くにある単身赴任用の社宅である。同じ建物の一室だが、もちろん部屋は別々だ。兼松の言ったとおり、状況が落ち着くまでは2人ともこの宿舎で待機していてくれということであった。やることができたら連絡がくることになっている。
ファイナはT175と共にニルバーナ機関に戻り、ハフマン島に着いた早々なにか仕事に取り掛かっている。寝泊まりもニルバーナ機関にある個室でするらしい。
6月10日。U.S.N.軍によるO.C.U.首都《フリーダム》への大規模な侵攻作戦が開始された。全面的な軍事衝突の始まりである。そして、2日後の12日には、U.S.N.軍がフリーダムの完全制圧に成功した。
この頃から、五代はニルバーナ機関に呼ばれることが多くなった。T175に関してニルバーナの技術者からいろいろ聞かれているのだという。他方、美月には軍の学科教習で使うようなヴァンツァーの戦闘教本が渡され「とりあえず、これを読んでおくように」と言われただけである。
戦況はU.S.N.優勢のまま数日が経過した。フォートモーナスでは戦火の影響は少なく、兼松が「大規模な軍事衝突になってもフォートモーナスにいれば大丈夫」と言っていたのも一理ある、と感じ始めていた矢先、そうとも言ってられない事態が生じた。6月21日、フリーダム南西部の都市ラークバレーがU.S.N.軍の巡航ミサイルによる無差別攻撃を受け壊滅したのだ。 U.S.N.側の発表では「補給基地への攻撃であり、死亡者も軍事関係の職員」となっているが、ラークバレーは首都フリーダムのベッドタウンとしての側面もあり、民間人も犠牲になったのは明らかである。戦地から離れていても、民間人を巻き込むミサイル等による攻撃はありうるのである。
(ここフォートモーナスも安全とは言えないのではないか……)
美月は震撼した。そんな時、美月にもニルバーナ機関から呼び出しが来た。内容はシュミレーターによるヴァンツァー操縦の訓練、それにT175のテスト操縦である。T175のテスト操縦というのは、以前、佃製作所でやっていたファイナが操縦するT175の比較データを取るための仕事であった。
一時はこのままハフマン島全土を制圧するのではないかと思われたU.S.N.軍も、O.C.U.軍の反撃攻勢にあい、当初の勢いは失速しはじめていた。
その後、両軍はロクスタ砂漠で膠着状態となった。