フリーダムの宿舎に戻った2人。
「今日は、疲れたわ……少し一人にして」
そう五代に言って、美月は自分の部屋に籠った。
体はぐったりと疲れている筈なのだが、ラークバレーで五代が見せた資料と話した内容が頭から離れず眠りに就けない。
美月としても、もし、いきなり『サカタの新型コンピュータが人間の脳を利用したものである』と聞かされたなら、俄かには信じなかったに違いない。しかし、事前にBARネオブレスで聞いていた坂田竜二の見解に照らして考えると、符合する点が多く、自分の中でその信憑性が高まっていくのだ。
さらには、ラークバレーの惨状……五代は『証拠隠滅の為に数百人を犠牲にした』と言った。それが本当なら、五代の言う通り、いずれは自分も口封じのため殺されてしまうのではないか。徐々にそんな恐怖も湧きはじめていた。
美月の脳内で、竜二や五代の言葉が繰り返し蘇る……
『美月さんがやってるヴァンツァーのテスト、何か裏があるような気がしてならないんだ』
『ファイナという女には気を付けたほうがいい。あの女には何か後ろ暗いものを感じた』
『《サカタの新型コンピュータ》っていうのは、人間の脳から取り出した脳髄を使ってヴァンツァーを制御しようとする技術だったんだよ』
『もう僕たちは真相を知ってしまったんだよ。それとも知らない振りして、このまま、非人道的な実験に手を貸し続けるの?美月ちゃんはそれでいいの?』
脳内を駆け巡るそれらの言葉を振り払おうとするかのように、美月は激しく頭を振った。
少し気持ちが落ち着くと、虚ろな目で遠くを見るようにして、深い溜息をついた。
するとどういう訳か、竜二でも五代でもないある人の言葉が頭に浮かんできた……
『それが、全てを失っちまった私の使命なんだよ』
ラークバレーで遭ったあのおばさんの言葉……
「使命……」
と、美月が呟くように吐き出した。
再び、おばさんの声が頭に響いてくる。
『ここで見たことを一人でも多くの人に伝えておくれ!それが真実を知った者の使命だよ!』
(《使命》……そうなのかも知れない)
サカタインダストリィとニルバーナ機関の暴挙を世に知らしめ、真実を公にすること、それが自分の使命ではないのか。美月はそんな風に思えてきた。
(私が、原因不明の誤作動でT175の搭乗者になったのも、成り行きでハフマン島に来てテストパイロットをすることになったのも、全てはそのためにあったのではないか)
それは、これまでの全ての事柄が、その《使命》という一点に向かって収斂されていくような感覚と言ってもよいだろう。
今や美月は、超自然的な、何か大いなる力によって自分が突き動かされてるような気にすらなっていた。それこそ、神あるいは天の意志といったものが、
(外道どもの悪行を世に晒し、人々を救うのだ!それがお前の為すべき役目なのだ!)
と、啓示しているようにしか思えないまでに……
美月の肚は決まった。が、
(どうやって、T175をハフマン島の外に持ち出すか)
である。
(こんな秘密裡の計画、誰に相談したら……)
美月が最初に思い浮かんだのは坂田竜二であった。今、ハフマン島で、美月が信頼できる人物といったら彼しかいない。
(T175のテストに胡散臭さを感じ、早くこの仕事を辞めて日本に帰るよう進言してきた竜二ならば、T175の持ち出しに力を貸してくれるのではないか)
だが、その案は直ぐに頭から消えた。いかに竜二が実家のサカタインダストリィとは疎遠になっているとは云え、進んで身内の悪事を暴露するような計画に協力してくれるのかは疑わしかったからだ。
他に、ハフマン島内で、T175の持ち出し計画に協力してくれそうな人はいない。とすると頼るべきは一つしかない。
(実家の父に相談するしかないか……)
勿論、ハフマン島に来た後でも何度か事務連絡的な報告はしていた。だだ、反対を押し切って飛び出して来た身である。
(今更、どの面下げて父親に頼み事などできようか……)
そう思い、躊躇してしまう。だが、事は美月の家庭内事情に留まるような話ではない。
(これは、人間の尊厳と社会正義が係った問題なのよ!)
と、ためらう気持ちを奥に押し込め、意を決してスマホを手にした。そして、少し震える指先で父親の通話先をタップする。
長いコール音の後、
「美月か⁉、どうかしたか?」
と宙志の声が返ってきた。いつもの優しい穏やかな声に、美月は安心感を覚えた。
「お、お父さん。あ、あの、ちょっと相談と言うか、お願いしたいことがあるんだけど……」
「どうした?言ってみなさい」
「あのね、T175、極秘でハフマン島から持ち出したいんだけど……」
「極秘に?」
「うん、まだはっきりとはしてないんだけど、T175、と言うかT175が搭載しているサカタインダストリィ製のコンピュータに、重大な問題があるみたいなの。それで、密かにT175を持ち出して詳しく調べられないかな、と思って……」
「『重大な問題』とは?」
「よくは分からないんだけど、もしかしたら、世界を震撼させるスキャンダルになるかも……」
「美月は、そんな危ういスキャンダルに巻き込まれているのか?」
「うん、このままだと私の身も危なくなると思う」
宙志の返答はない。暫し、嫌な無言状態が続いた。
(やはり、勝手な事をしておいて、今更頼み事なんて虫が良いって思われているのかな……)
そう思い始めた矢先、
「分かった。こちらで何か打つ手を考えてみよう」
と、宙志は意外にあっさりと美月の願いを聞き入れてくれた。ちょっと拍子抜けする美月。
「あ、ありがとう、お父さん……」
「いや、実はな、こっちとしても気掛かりだったんで、以前ハイネマンインダストリィで働いていた時の同僚で、今、サカタインダストリィに勤めてる知人の何人かに、サカタの新型コンピュータに関してそれとなく聞いてみたりしていんだ」
「それで!何か分かったの?」
「いや、逆に、何も出てこなかった。『そんな話は知らない』とか『ただの噂でしょ』とか、曖昧だったり素っ気なかったりする返答しか返ってこなかった」
「そう……」
「その、僅かな情報すらも洩れてこない感じが、むしろ気味悪くてな、お前を心配していたところだったんだ……」
「お父さん、心配ばかり掛けちゃって、ごめんね……」
「美月、美月がハフマン島に行くと決めた時、約束しただろ……『何か危険を感じたら、必ず父さんに連絡する。決して、今更頼み事なんかできない、なんて思わない』って……」
「そう、そうだったね……」
美月の目から涙が落ちた。父の優しさが嬉しかったのは勿論だが、むしろ痛かった。結局、父に甘えざるを得なかった悔しさと情けなさを見透かされているような気がした。そして、それら全部を受け止め、受け入れてくれている父。佃製作所という会社が、何故、優秀な人材に支えられているのか分かったような気がした。
「隈さんとも相談して計画を練ってみようと思う。なるべく早く案を出すようにするから……じゃぁ、決まったら連絡するから待ってなさい」
美月は、泣いているのを悟られないよう小声で、
「うん……」
と、返事するのが精一杯だった。
父、宙志から美月に連絡が入ったのは3日後であった。
「美月、よく聞くんだ。ハフマン島に《ニューミルガン》という港町があるのは知ってるな」
「ええ、もちろんよ」
「その《ニューミルガン》の商船埠頭の第3バースに、今、《BHAIRAB(バイラブ)》というバーグ運輸の船が停泊しているんだ」
(あ!、あの船だわ!)
美月は、1年前ぐらい前に隈崎と一緒に、東京港で《バイラブ》に積まれていくヴァンツァーを見ながらハンバーガーを食べたことを思い出した。
「その《バイラブ》という船に乗せて、T175を運び出そうと思うのだが……」
なるほどと、美月はピンときた。
(あの時、隈さんは『バーグ運輸は、密輸とか軍用品の横流しとか悪い噂が絶えない会社だ』と言っていた。今回はそれらの品物に紛れさせてT175を運ばせるつもりなんだわ)
「分かったわ。T175を《バイラブ》が泊まってる商船埠頭の第3バースに持って行けばいいのね?」
「あぁ、《バイラブ》はハフマン時間の10月1日0時ちょうどにニューミルガンを出航する予定だ」
「10月1日って、明後日じゃない!」
「そうなんだ……それに、バーグ運輸は、『9月31日の23時50分から10月1日0時の間に、《バイラブ》が停泊している第3バースに来てくれば船に乗せることができる』と言ってるんだ。できそうか?」
「エッ、10分しかないの!」
「その時間帯が、ちょうど警備員の引継ぎの時間なんで目に付きにくいらしい。それに《訳アリ》のブツを長く船内に置いておくのはリスクが高いんで、積み込んだら直ぐに港から離れるのが理想だそうだ。その意味ではこの日時がベストと言える」
「でも……」
「この機を逃したら、次は何時になるのか分からないぞ……」
美月は少し考えた後、
「分かった。何とかT175を《バイラブ》に積めるようやってみるわ」
と意を決したように答えた。
「美月、くれぐれも気を付けてな」
「うん、いろいろとありがとう」
今回、宙志と隈崎が、あらゆる伝手をたどり、四方八方手を尽くして段取りをつけてくれたであろうことは容易に想像がつく。
会話を終えても、通話を切ることができず、二人の間に暫し無言の間が流れた。
それから直ぐに、美月は五代の部屋を訪ねた。
五代に、宙志が立てたT175の持ち出し計画を話すと、五代は驚きのあまり言葉を失ってしまうような状態だった。
美月としては、五代はこの計画を快く受け入れてくれると思っていたので。呆気に取られている五代が意外だった。
「どうしたの?」
と問いかける。その声に、
「あ、いや……」
と、我に返る五代。
「もしかして、五代さんの方でも、何か計画を進めていたりした?」
「いや、それはないけど……美月ちゃん、T175の持ち出しにはあまり乗り気じゃないと思ってたんで……だから、まさか美月ちゃんの方から計画を持ち込んでくるなんて、ちょっとビックリしたんだ……」
「ごめんなさい……父に相談したこと、事前に五代さんに話しておけばよかったわね」
「そうだね、できればそうして欲しかったな……」
「それで、五代さんはどう思う?この計画」
五代は、顔を顰め沈思した後、
「もう、この計画は、佃さんとバーグ運輸の間では遂行中なんだよね?」
「……だと思う」
「それなら、もう、この計画に乗るしかないよ」
美月の表情がパッと明るくなる。
「そう言ってくれてよかった!。内心、反対されたらどうしようかと思ってたんだ」
「それじゃ、どうやってニューミルガンまでT175を持っていくか、それは僕に任せて貰えるかな?。成功する可能性が最も高い方法を考えておくよ」
「ありがとう、心強いわ。五代さんが立てたプランなら絶対大丈夫だって、信じられるから」
一瞬、五代は気恥ずかしそうな笑みを浮かべ、すぐにフッと美月から目を逸らせた。