下町ヴァンツァー 【佃製作所2089~】   作:鹿羽 直之

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暴走

 T175の実戦と検証。それは、ニルバーナ研究所とサカタインダストリィの意向により行われたものである。その目的は、BDコンピュータのデータ収集である。人間の脳を利用するという反倫理性ゆえに、極めて高い秘匿性が求められ、そのため、ファイナは美月を始めとする佃製作所の人たちを欺くような真似をしてきた。(全ては、任務のため)と、心を殺して……

 ファイナは、五代智も自分が欺ていた人間の一人と思っていた。真摯に開発・整備やデータ収集の仕事に取り組む五代の姿を見ては(ごめんなさい)と心で詫びていた。

 だが、実際は逆だったのだ!

 五代こそが、T175の実戦と検証を陰から監督管理していたのだ。美月はもとよりファイナまでも欺いて……

(何故、今まで、その可能性に気づかなかったのだろう……)

 ファイナは己の無能さを呪った。T175最大の謎『搭乗者として美月を誤認証したこと』は、五代によって仕組まれていたと考えれば、ハフマン島に来て誤認証の原因調査がなされないこと等、今まで不可解に思っていた事も容易に推察できた筈なのに……

 そして、まんまと五代の謀略にはまり、今、美月が乗ったT175との闘いを強いられようとしている。さすがに、T175最後の検証相手として自分が充てられたのだとは察しがついた。

 ファイナの頬を一筋の涙が伝った。

 都合のいいように『利用された』ことが口惜しかったのではない。ヴァンパイアズ時代から現在まで、幾人もの命と尊厳を踏み躙る仕事をしてきたのである。今更、自分が捨て石のように使われても誰かを恨めた筋合いではない。それより、『利用されていることには気づかないだろう』と侮られていた自分が情けなかった。

 もっと云えば、兼松や五代が、『T175のBDを熟練兵士の脳を用いた《次期型》BDに替えても、ファイナは気づくことはない。そして、自分が利用されていることも知らず、逃げた美月を追討するべく全力で闘いを挑む筈だ』という見通しを立てるほど自分は低く見られていたのか、と思うと、己が哀れなぐらい滑稽だった。

(いっそのこと、このまま美月を見逃して、サカタインダストリィとニルバーナ機関の陰謀を世間にばらしてしまおうか……)

 とすら思う。

 そんな事できはしない。

(もはや手遅れなのだ。自分が真っ当な道を歩むのは……私には、どんなに哀れでも滑稽でも、血塗られた地獄道しかないのだ)

 ファイナの心から感情が消えようとしていた。残されていくのは己の任務を果たそうとする冷徹な意思。今のファイナは、一ヴァンツァー乗りとして全力で相手を倒す!そのことのみであった。

 最大加速したXW-N(アルカード)のローラーダッシュがアスファルト面に火花を撒く。

 右手のライフルがT175に向けて連射される。これで倒せるとは思っていない。弾丸を避けるためT175は速度を落とさざるを得なくなる。それが狙いだ。

 両機の距離が徐々に縮まっていく。それにより、XW-N(アルカード)の放つライフルもヒットし始める。いずれも致命傷ではないが、被弾し続ければ蓄積されたダメージによりT175に支障をきたすのは明らかだ。

 T175のコクピット内モニターでは、《WARNING》の文字が表示され、反撃に出るようパイロットを勧告していた。

 しかし、美月にその意思は毛頭ない。コンピュータが発する警告を無視し、逃げ切ることだけを考えていた。そもそも美月にはファイナと闘う理由はない。0時までに埠頭に停泊している《バイラブ》に潜り込めばよいのだから。

 時刻は11時55分を回っていた。このままファイナを振り切ることができれば、ギリギリ間に合う。

 ファイナも、0時というタイムリミットがあることまでは知らなくても、美月が『ニューミルガンの中心街に入ってしまえばこっちのもの』と考えてることぐらいは察しがついている。

(そうはさせるものですか!)

 と、XW-N(アルカード)がさらに距離を詰め、十分に狙いを定めてライフルを撃った。

――バシュッ

 そのライフル弾はT175のボディの端に命中し、装甲を陥没させた。

 被弾したT175は急ブレーキをかけたように減速し始めた。ライフル弾の当たり所が悪く、作動不能に至ったのだろうか?

(⁉……致命傷を与えた程の手応えは感じなかったけど……)

 とファイナが訝しく思った次の瞬間、

――キュィーン

 突然、T175が180度急旋回し、猛スピードで一気にこちらに迫ってきたかと思うと、左腕のクロウでXW-N(アルカード)に襲い掛かった。

「キャッ⁉」

 思わぬ事態に、我になく悲鳴が漏れるファイナ。

 それでもさすがはファイナである。反射的にT175のクロウを躱しつつ、相手にパイルバンカーを打ち込み、応戦していた。

「あっ!」

 咄嗟の判断だったので、XW-N(アルカード)のパイルバンカーはT175のコクピットを狙ってしまった。美月の生命が危ない。

 だがそんな危惧は無用だった。T175は驚くべき反応で上体を捻り、パイルバンカーを右肩で受け止めた。

 T175の右腕は使い物にならなくなったが、もともと右手に武器は持っていないので、「右手など無くなっても関係ない」とばかりに、左手のクロウで怒涛の連続攻撃を繰り出してくる。

 さっきとは一転し、防戦に回る羽目になったファイナ。

(美月が《逆ギレ》したの?)

 そんなふうにも考えたが、それは違うような気がする……逆上しているとは云え、ファイナが見てきた今までの美月の闘い方とは程遠いのだ。

(もしかして!)

 ファイナは何かに思い当たった。

(これは!T175のBDが暴走してるんだわ⁉)

 6月3日、奇しくも《ラーカス事件》と同日に起きたニルバーナ機関でのTYPE90Xの暴走。それと同じことが、今、T175で起きているのだ。

 報告では、あの日、暴走したTYPE90Xのパイロットは既に死亡していたと聞いている……とすると、

(もしかして、美月も、さっきのライフルの一撃で命を落としてしまったのでは?)

 そう思い、T175に対して直通信回線を開き通話を試みる。

「美月!、美月!、聞こえていたら返事して」

 直後、ノイズに交じって、

「ファイナさん……美月です……ファイナさん」

 と、狼狽した美月の声が返ってきた。

「良かった……無事だったのね」

 ファイナの口から思わず本音が漏れていた。ついさっき、『たとえ美月の命を奪うことになってもT175を倒してみせる』と決心したばかりなのに……

 直通信回線通話から美月の声が続いた。

「ファイナさん!、T175が操縦不能になって、勝手に動き出してるんです!」

 やはり、T175のBDが暴走していたのだ。

「美月、落ち着きなさい。まず強制脱出を試してみなさい」

 強制脱出とは、強制的にコクピット・ブロックを射出しパイロットを逃がす方法である。ヴァンツァーの多くは、戦闘不能になった時などの非常時に、ブロック化されたコクピットが射出されるシステムが備えられており、T175にも完備されている。非常事態の判断は、基本コンピュータが行うものだが、もちろんパイロット自身の判断で発動させることも可能だ。なお、このシステムによる生存率の高さが、ヴァンツァーを普及させた要因の一つでもある。

「分かりました。やってみます」

 と、美月が強制脱出のボタンを押した。T175の反応はない。何度ボタンを押してみても同じである。

「ファイナさん、ダメです……コンピュータがこちらの指示を拒否してるみたいで……」

 コンピュータがパイロットの指示を拒否してるという事は、強制脱出システムそのものに不具合を生じている訳ではないという事である。だとすれば、

(打つ手はある!)

 コンピュータに強制脱出が必要だと判断させる状況を作ればよいのである。要は、T175を戦闘不能な状態にまで追込めば、コンピュータはパイロットを生存させるため強制脱出システムを発動させる筈である。

 とは云え、これは一か八かの賭けでもあった。暴走しているBDが、そんな理性的な判断をする保証はないからである。

(でも、今はそれに賭けるしかないわ!)

 ファイナの闘う意義は、美月の救出へと変転した。今のファイナは、心を殺し己を偽ってT175と闘うのではない。美月を救いたいという心底からの気持ちが、ヴァンツァー乗りとしての彼女を駆り立てていた。

 だが、相手は狂戦士と化したようなT175である。どうやって戦闘不能に追い込むか?。現に今も、左手一本になったT175の猛攻の前に防戦一方である。ファイナの腕を持ってしても、暴走したT175を倒すのは容易ではないのだ。

 熟練兵士の脳を用いたBDは、元となったの兵士の影響を強く受けるという……T175が搭載したBDの元となった兵士は、かなりの手練れだったと看てよい。ファイナと同等、それ以上か……

 しかも、ただ相手を倒し破壊すればよいのではない。美月を救わなければならないのである。当然、相手を打ち負かすのに最も効果的なコクピット付近の攻撃は避けなければならない。ファイナにとっては大きなビハインドである。

 戦いの主導権を握れないもどかしさに焦燥するファイナ。

「キャッ」

 通信回線を通し美月の悲鳴が聞こえてきた。

「美月!どうしたの⁉」

「コクピットがショートし出したんです!。内部の温度も上昇しているみたいだし……」

 T175の計器や制御系の機器が、BDの暴走による負荷に耐えられなくなったのだろう。T175のコクピットはバチバチと火花を放ち、シューシューと煙を上げているに違いない。

 通信回線から、

――バチィーッ

 というスタンガンのような放電音と共に、

「ギャァァーッ」

 と、さっきよりも悲痛な美月の叫びが響いた。

 もはや猶予はない。このままでは美月は感電死してしまう怖れがある。

「ファイナさん!助けて!」

 と、自分に助けを求めてくる美月の声に、ファイナは焦る気持ちを抑え冷静に考えを巡らす。

(……そうだ!その手があったわ⁉)

 ファイナの頭に何か逆転の策が閃いた。そして何故かフッと不敵な笑みを浮かべ、

「そうよ、これが一番いい方法なんだわ……美月にとっても、世の中にとっても、そして何より、私にとって……」

 と自分に言い聞かせるように小さく呟いた。

 時刻は、もう0時に差し掛かろうとしている。

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