佃宙志は、サカタインダストリィからの新型コンピュータ対応のヴァンツァーパーツ制作依頼を断った。その数日後のことである。
「社長、入ります」
と、社長室に入ってきた男。佃製作所取締役、《佃天明》である。
天明と書いて《タカアキ》と読む。30歳。佃製作所社長佃宙志の長男であり、美月の兄である。社内では、次期社長は間違いないと噂されている人物だ。
天明は、東京大学法学部を卒業し《東京中央銀行》に勤めていたエリートである。2年前に銀行勤めを辞め、佃製作所の取締役に就任した。佃家の家系としては珍しく、技術系の人間ではない。幼い頃から優秀で、勉強は文系理系の教科を問わずどんな科目でも良い成績だった。ただ、自分の進路というか、ハッキリとやりたい事が決まっていた訳ではなく、母の奈緒美が「あなたは、専門的技術的なスペシャリストの道よりも、総合的統括的なゼネラリストの道を進んだ方がいい」と、強く勧めたので、あまり考えずに文系で一番偏差値の高い大学へ行き、大手銀行に就任したというだけのことである。奈緒美としては、夫の宙志を視て(後々、佃製作所を継ぐなら、技術者上がりではダメだ)という思いがあったのかもしれない。
「サカタインダストリィからの依頼、断ったみたいですね」
「ああ、隈さん達技術職の社員とも相談したんだが、技術的に困難で、リスクが高いと判断した」
「考え直していだだく訳にはいきませんか?」
「どうした?坂田社長がお前に何か言ってきたか?」
天明と坂田浩一は同い年であり、実は、同じ学校に通っていたこともある同級生である。一緒に遊ぶほど仲が良かったというわけではないが、お互い小さい頃から見知っている間柄である。
「それもありますが、この件に関して、東京中央銀行が援助してもよいと言ってきてます」
「東京中央銀行が⁉」
「はい、無条件で融資する、と……」
東京中央銀行は佃製作所のメインバンクではないが、大口取引のある銀行である。その東京中央銀行が無条件で融資してくれるという。一見有難い話だが、銀行がこのような話を持ち掛けてくるときには裏がある。口にこそ出さないが、その真意は「お願いを聞いてくれれば全面的に協力しますよ。でも、もし断ったりしたらどうなるか分かってますよね。今後の融資は難しくなりますよ」ということだ。恩恵と脅しを表裏一体的に折衝のカードとして使ってくる、ほとんど反社のやり口である。
(サカタめ、銀行に手を廻して圧力を掛けてきたか)
だが、これを坂田浩一に入れ知恵したのは天明であろう。ヴァンツァーパーツの制作依頼を断られた後、浩一は天明に「お前の親父を何とか説得してくれ」と頼んだに違いない。おそらく天明は「俺の説得だけじゃ無理だ。でも銀行を介して圧力を掛ければ翻意させることができるかもしれない」みたいな意味のことを返したのだろう。そして、天明は2年前まで勤めていた東京中央銀行の知り合いを通じて根回しし、「このヴァンツァーパーツの制作に関して、佃製作所へ融資するよう東京中央銀行に働きかけてくれたら、後は俺が親父をなんとかするから」と浩一に応えたのではないか。
「難しい案件でしょうが、どうか、このサカタからの制作依頼、請けていただけませんか」
「万が一、制作できなかった時の損失はどうする?」
「もし、そうなったら、そこは私が最小限に食い止めます」
「できるのか?」
「大丈夫です!この件が不成功だった場合、サカタからの損害賠償は実費相当に留めるよう契約書に明記します。あと、東京中央銀行には、昔の同僚を通じて、追加融資に応じていただけるよう手を打っています。」
宙志はその天明の言葉に、(俺はあんたよりも経営者としての能力は上なんだよ)と親を見下しているような不愉快さを感じた。だが、
(たしかに、天明は自分にはない経営者としての能力を備えつつある)
と、逞しくなった息子を嬉しくも思う。
「お前がそこまで言うなら、この仕事、引き受けよう……」
「ありがとうございます。我が社の技術力なら、必ず依頼を達成できると信じていますよ」
宙志は小さく頷いた。
2089年8月初旬。
急ピッチで契約内容がまとめられ、佃製作所での開発が始まろうとしていた。
開発メンバーに選ばれたのは、技術部長の隈崎顕一をリーダーとして佃製作所の精鋭10名。それに佃美月が加わる。
本来であれば、大学を卒業して今年入社したばかりの美月が参画できるようなプロジェクトではない。実際、宙志も隈崎も美月などプロジェクトに入れる気はなかった。それを「今後の勉強のために美月にも参加させては?」と横から口を挟んできたのは奈緒美であった。
佃奈緒美。佃宙志の妻であり、天明、美月の母親である。名門私立大学の経済学部を卒業し《白水銀行》に入社。佃製作所担当だった時に先代の社長の眼鏡にかない、宙志と結婚することになった、というのは前にも述べた。
佃製作所に入社してから、先代の社長秘書的な役割をし、社長が夫の宙志になってからは、会社経営に疎い宙志に代わって実質的な会社の経営を担っている。
2年前に息子の天明を呼び戻して佃製作所の役員に据えたのも彼女である。社長交代のへ地ならし、といったところだろうか。
奈緒美にとって優秀な天明は、頼れる自慢の息子であろう。他方、美月に対しても別の意味での愛情がある。(この娘は私が守ってあげないと)という母性的あるいは保護者的な愛である。今回、美月をこのプロジェクトに参加させたかったのは(大プロジェクトに参画させて、自信と実績をつけさせたい)という意図があったのだろう。
実は、美月には、少し発達障害の傾向がある。ADHD(注意欠如多動症)。日常生活に大きな支障をきたすほどの重度ではないのだが、注意力や集中力が持続しないのだ。そのためか、学生時代の成績もあまり良い方ではなかった。当然、大学受験もうまくいかず、志望した国公立大学や名門私立大学は全て不合格になり、滑り止めに受けた中堅私立大学に進むことになった。
美月は、佃製作所の娘だったこともあって、幼い頃からヴァンツァーに慣れ親しんでおりヴァンツァーが大好きな子であった。よく会社に出入りしていて隈崎とも見知った仲だったというのは、前述した通りである。将来は「ヴァンツァーに関わる仕事がしたい」と大学では疑似人体工学(ロボット工学の様なものか?)を専攻したのだが、何せ中堅私立大学卒である。大手ヴァンツァーメーカーは当然として、佃製作所のような下請け企業にも入社できず、宙志の紹介で従業員数十名程度の零細企業に就職が決まりかけたのだが、「そんなところに就職させるぐらいなら、ウチで使ってあげればいいじゃないの!」と奈緒美が宙志に噛みついてきたので、宙志が仕方なく佃製作所で雇うことにしたのだ。
宙志としては、そもそも美月を佃製作所で働かせること自体反対だった。これは美月だけではない。天明を戻すことにも反対であった。(会社は公の存在であって、個人が私有するものではない)というのが、二代目社長佃航平以来の社長としての心得である。だが、頭の上がらない妻、奈緒美に押し切られるかたちで渋々了承せざるを得なかったのだ。
そんな経緯で、美月もこのプロジェクトに加わることになった。
さらに2名、外部から加わる人間がいる。
一人は《ファイナ・シルキア》ニルバーナ機関が来た際、兼松と一緒にいた、あのロシアンビューティである。肩書はニルバーナではなくサカタインダストリィの技師という名目で加わるらしい。おそらくニルバーナ機関が機密保持のために付けた《お目付け役》であろう。「開発は彼女の監督・指導に従い行う」というのが契約条件に記されている。
(噂以上にきれいな人だわ!)
美月の初見の印象である。端正な顔立ちに抜群のスタイル、しかも聡明さも兼ね備えているというから、
(神様は不公平だわ……)
と思わざるを得ない。
(でも、胸の形は私の方がちょっとだけいいかも……)
などと、どうでもいいところでも優っている部分を探したくなるのは、美月の劣等感の裏返しだろう。
もう一人の参加者は《五代智(ごだいさとる)》という、こちらは純粋なサカタの技術者である。25歳と若いのだが、若手エンジニアのホープらしい。この男、ファイナとは対照的に、一言で言えば、
(冴えない男)
なのだ。身長も高くなく少しずんぐりむっくりした体形で、度の強そうな眼鏡をかけ顔もイケメンとは云いにくい。よく見ると年の割には頭髪も若干薄い気がする。態度も落ち着きなく自信なさ気にオドオドしている感じだ。顔合わせの挨拶の際には、美月とは目を合わせようともせず、下を向いてぼそぼそ話していた。
(この人、本当に優秀な技術者なの?)
と勘繰ってしまう。まぁ、佃製作所に出向で来て始めてなので、慣れていないということもあるのだろうが……
こうして、総勢13名による、監督:ファイナ・シルキア、プロジェクトリーダー:隈崎顕一という体制でのBD対応型クロウ開発が始動することになった。
期限は2089年12月末日である。