男娼マエストロと栄光の少女たち 作:しみじみしじみ
食事を終えた俺たちは、真っすぐギルドへ向かった。
人はまだそれほど多くないから、珍しく大通りを使うことができた。
この道ってこんなに広かったんだな……いつもキャパオーバーしてるから分からなかった。
「……?」
ギルドの前で俺たちは足を止めた。
ギルドの喧噪は、いつになく冷え切った熱を帯びている。
騒がしいのはいつものことだが、笑い声が一つも上がらない。
この嫌な空気は覚えがある。
ギルドに初めて《大変異》の兆候アリと情報が張り出された時のことだ。
雨が上がったばかりだからだろうか、空気が重く、ねばつく。
マリーベルとフリティラリアも、ただならぬ空気を感じ取ったのだろう、表情がどこか硬い。
彼女たちに目配せをして、俺たちはギルドへ足を踏み入れる。
湿った空気が、より重くのしかかってきた。
騒ぎの中心は、大型の掲示板。
《エリート掲示板》を取り囲むように、大勢の冒険者が集まっていた。
俺も外からどうにかして掲示板を見ようとする。背伸びすれば辛うじて見えるか……?
「《エリート》、ですか」
「今朝見た時はこんなんじゃなかったわ。……んもう、見たなら早く退きなさいよね!」
マリーベルは背が低く、フリティラリアもわざわざ背伸びしてまで見ようとはせず、少し離れた場所で待っていた。
確かに少し異様だ。今日初めて張り出されたのなら、大した情報もないはず。
何がこんなに人を引き付けているのか?
「……」
やはりというべきか、張り出されていた情報は、タワーダンジョンに出現した《エリート》のものだった。
ダンジョンに《エリート》が出現するのはそれほど珍しい事ではない。
証拠に、他のダンジョンの《エリート》の情報も、いくつか張り出されている。
ことさらに――タワーダンジョンの《エリート》の情報だけが異彩を放っていた。
その紙に書かれている、推定の危険度。
――
「――噂は本当だったのか? にしても
「しかも全滅したってのに、
「だがよ、報告に上がったのは《
「――どうするよ、報酬はしばらく遊んで暮らせるだけの額が出るみたいだが?」
「冗談だろ? 情報が出そろって
「ハッ、これでも
「今まで犠牲者が出てこなかったのは奇跡だな。『人の悲鳴を模倣する』? 虫風情が知恵つけやがって……」
ギルドが《エリート》の危険度を
周りの話に耳を傾けていると、どうやら以前までにも何回か報告が上がっていたらしいのだが、どれも嘘と断定されていた。
ところが、今回初の全滅報告を受け、異例のスピードでの認定が行われたとのこと。
《
大きな活躍こそないものの、堅実な実績の積み重ねでギルドからの信頼の厚い冒険者パーティだったはずだ。
どうやら彼らがギルドに進言したらしい。『すぐにでも動かなければ大勢が死ぬ。何人も駆け出しがいるのに、手をこまねいている暇はないぞ』、と。
そんなこともあり、特例的な処置で、支部の独断による
魔術を駆使し、また、人の悲鳴を模倣し冒険者を釣る知能、そして、何度も討伐報告が上がったにもかかわらず健在だったことによる、不死能力、あるいはそれに準ずる超回復能力、討伐後姿を消していたとの報告から、おそらくは高度のステルス能力まで持ち合わせていると推測される――というのが、此度現れた《エリート》の情報として書かれていたものである。
《エリート掲示板》を眺める冒険者たちの表情は、皆一様に沈鬱なものだった。
《大変異》の記憶が新しい冒険者たちにとって、
タワーダンジョンは既存の常識を否定する。シルバークラウンでさえ、すんでのところまで追い詰められたばかりなのだ。
冒険者たちは今、伝説の真っただ中を生きているが、彼らは伝説的な英雄でも何でもない。
その日暮らしの銭を稼ぎ、真っ当に生きようとしている、ただの人間たちだ。
熱に浮かされていたとしても、どうしようもない絶望感に苛まれることだってある。
俺にとっても衝撃は大きかった。
「《サソリ型のエリート》、だと?」
ご丁寧に紙には姿絵も描かれていた。
黒色の、人の背丈の倍はあろうかという大きさのサソリ。
俺が《大変異》の時に出会い頭に討伐した《エリート》の姿と全く同じだった。
似ているだけか? それとも、全く同じ奴が再び現れたのか? ――周囲の冒険者たちは口々に気になることを言っていた。『何度も討伐報告が上がっていた』……つまり、木っ端みじんにしたというのに、奴は生きていたというのか?
仕損じたとは全く思わなかった。
確かな手ごたえは、今も思い返せばこの手に感じられる。
もし本当に、例え千々にはじけ飛んだとしても生きていられるのであれば……一体、誰がそんな奴を殺せるというんだ?
しかも特筆すべき点はそれだけではなく、卓越した戦闘力まで兼ね備えているときた。
全滅したはずの《
一応、彼らは今、しかるべき機関により身体検査を受けているという。
過去に植物型モンスターの寄生に気づかず街に帰ってきた冒険者がいて、街中でモンスターパニックが発生したことがあるからだ。
不可解な点は尽きないが、今得られる情報としてはこのくらいか。
人ごみから離れ、俺はフリティラリアたちに情報の共有を行った。
それなりに衝撃的な事実だったと思うんだが、こちらは怖気づく冒険者たちとは対照的で――
「えー? そんなんでこんな辛気臭い空気になってるんですかぁ?」
「せっかく殴りがいのあるモンスターが現れたってのにどいつもこいつも覇気がないわね! 我こそが! ってくらい言えないのかしら!」
お前らほどの実力があれば反応も違うんだろうけどな。
正直、マリーベルたちの自信は眩く映るものだ。
俺はそこまで自信満々にはいられない。ともすれば、俺の今の気持ちは、あの冒険者たちの抱いている感情とそう違わないんじゃないかとすら思う。
情けない話だがな。
「……あ、えっと……でも、まあ、怖がることは当然だとは思いますよ。《大変異》だってついこの前の出来事だったわけですし」
「なによ、らしくないこと言っちゃって! あやうく死にかけた当事者がビビってないのよ!? 周りはどうしてそんな気にしすぎちゃうのかしら!」
「それはあなたが鈍感で馬鹿なだけなんですから、周りに当てはめないでください」
「あんだとー!」
……今、フリティラリアに気を遣われたか?
明らかに俺の顔を見てから態度を変えていたような気がする。
とはいえ、それを確かめようにも……からかわれたマリーベルにじゃれつかれてて確かめようがなかった。
マリーベルが馬鹿かどうかはともかくとして、鈍感さはあると思う。
それは悪口とかではなくて、危険に自ら進んで行ける鈍さは冒険者にとって大事な資質だ。
俺はと言えば……そういった面では、あまり冒険者に向いているとは言えなかった。
まあ、リーダーという立場上、慎重な判断が求められる場面は多かったし、メンバーの意見が過激なものになりやすかったのもあって、大きな欠点とは思ってはいなかったが。
色々考えてしまうことがある。
その選択がどれだけ危険か、それに見合う価値はあるのかどうかとか。
結局、魔道王としての仮面の重さに背中を押されて、どんな渦中にも飛び込んでいくことにはなったが……。
今の俺にはそれがない。義務感や、責任感、あれらは重く苦しいものでもあったが、無ければ無いで、自分が結構臆病なんだってことが思い知らされる。
俺も言いたいもんだね。
『この俺こそが、この《エリート》をぶっ倒すんだよ!』みたいなことをさ。
フリティラリアにおんぶにだっこで、パーティも実質フリティラリアのワンマンプレイだってのにそんなこと言いだしたらとんだお笑い種だが。
せめて呪いが無ければなぁ。
この場で疎外感を感じることもなかっただろうに。
「ちょ、っと! どこに手を突っ込んでるんですか! ひ、ひっぱたきますよ!」
「あ、あれぇ……? もっと早い段階で手が出てくると思ったのに、想像以上にガードが緩いのね……?」
「っっ、ま、マエストロくんっ!!」
フリティラリアの呼びかけにハッとする。
見れば、くすぐるつもりなのだろう、手をワキワキさせたマリーベルがフリティラリアのあちこちに手を伸ばしていた。
想定していた仕返しが来ないことで引き際が分からなくなったマリーベルは、服の中に手を突っ込みながら顔を困惑させている。
なんだこいつら……。
「すみませんお客さん、ウチお触り厳禁なんですよ」
「……なんか、肌があたしより瑞々しかったのが腹立つ」
「このセクハラ魔法使い……! あなたじゃなければ痛い目見てましたからね!?」
顔を真っ赤にしたフリティラリアが叫ぶ。
引き離されたマリーベルは俺の腕の中、フリティラリアを見ながらぽつりとつぶやいた。
「ねえマエストロ、もしかしなくてもさ、あたしが考えている以上に
「……お前が歩み寄ったからな、応えようとしてるんだよ、距離感掴み切れてないかもしれないけど……だからあまり苛めるんじゃないぞ、ウチの大事なリーダーなんだからな」
「はーい。――ごめんごめん! 次からはちゃーんと事前に許可取るから!」
「許可出すわけないでしょう!」
フリティラリアはぷいっと拗ねて顔をそむけたが、にやけたマリーベルがフリティラリアの視線の先に意地でも入ろうとするもんだから、しばし二人はぐるぐると仲良く回っていた。
マリーベル、お前も相当懐いてるよな?
こいつらこんな仲良くなれたのか……人生って分からないもんだなぁ。
そんなこんなしてる内に、ギルドの中がひときわ明るくなる。
見れば、先ほどまで空を覆っていた雲がどこへやら、青空が顔を覗かせていた。
窓から差し込む光が眩しくて、思わず目を細める。
「マリーベルたちは倒しに行くのか? 《エリート》を」
「ん……もちろんよ! ――と言っても、本格的に動けるのは明日からだろうけどね。今日は自由に過ごしてる奴らがいっぱいだし」
マリーベルの話によれば、ここのところタワーダンジョンの探索は一部のメンバーだけで行っているとのことで。
進展が見られるまでは他のメンバーはお休み。……なのだが、それでは暇を持て余すので、適当に見繕った依頼を受けたりしてるのだそうな。
マリーベルがギルドに立ち寄ったのも、依頼達成の報告を上げるためだったみたいだ。
「だから、ちんたらしてるとあたしたちがぶっ倒しちゃうからね!」
「何を――おいおい、俺たちが《シルバークラウン》を出し抜けるって?」
「出来ないなんて言わせないわよ! なんたってあんたらはウチのライバルなんだから!」
な……んだそりゃ。
俺たちみたいなのを、天下の《シルバークラウン》がライバル視してるって?
まったく、こちとら男娼上がりの冒険者なんだぞ、無理に決まってるさ――だなんて笑い混じりに言ってやろうと思ったら、
「……」
喉まで出かかったところで、言葉に詰まる。
笑いだけが張り付いて、そのまま固まってしまう。
冷や汗が背中を流れた。なんて答えるべきか、誤魔化すべきか、思いつく傍から霧のように掻き消える。
不自然に開いた会話の合間をマリーベルが不審に思うより前に、フリティラリアに袖を引かれた。
これ幸いにと、俺は話題を変える。
「……と、そうだった。用事があって街まで出てきてたんだったな」
「あ……っと、ごめん、長い間付き合わせちゃって」
「いやいいんだ、用事って言ってもそんな大したことじゃないからさ。それより一緒に食事も出来て、今日は楽しかったよ。……な、
「……な、なんですか。知りませんよそんなこと」
リア――フリティラリアを偽名で呼ぶが、そっぽを向いたままだ。
まだ拗ねてんのかこいつ?
俺の背中に隠れようとするので、無理やり引き出してマリーベルの前に立たせた。
なんかぶつくさ言いながら睨みつけてきやがったが、フン、効かぬ……。
「う……あ、あーもー、はいはい、楽しかった、楽しかったですよ! これで、これでいいですか! 悪趣味ですねマエストロくん、ほんと、見下げ果てた人ですよ!」
「そんな、言わせたみたいな……なあ?」
「ねー?」
「ちょ、なんであなたがそっち側にいるんですか! 私の仲間でしょう!」
俺はマリーベルの横に立ち、腕を組む。
マリーベルの気持ちが分かるかもしれないな。
結構からかいがいがあるというか、満点以上の反応が返ってくるもので、ついいじめたくなってしまう。
「……あはは、いいわよ! ちゃんと気持ちは伝わって――」
「だから、その……」
「って――え?」
「また……誘ってください。できればまた、この三人で……」
マリーベルと顔を見合わせる。
まさか、そんな素直な言葉が出てくるとは思えなかったのだ。
フリティラリアは見たことが無いほど顔を真っ赤にしていて、それが精いっぱいとでも言うかのように顔を俯かせていた。
「も――もちろんよ! 言ったでしょ、おいしいお店いーっぱい知ってるって! 一緒に回りましょ! この三人で! きっと楽しいわ!」
「は、はぁ~? そんな子供みたいに喜んで、見られてますよ、恥ずかしくないん……」
声小さすぎて最後の方聞こえてこなかったぞ。
飛び込んだマリーベルがフリティラリアの手を取り、眩しいほどの満面の笑みを彼女に向ける。
それを見たフリティラリアが息を呑んだ。
フリティラリアの顔は赤いままだったが、マリーベルの笑みに応えるように優しい微笑みを浮かべていた。
「……念のために訊くけど、泉の女神が差し出した銀のリアってわけじゃないわよね?」
「なんですかそれっっ!!」
「いやあちょっと綺麗すぎて……」
「あと銀だしな」
「マエストロくんっ!」
マリーベルと一緒に笑うと、フリティラリアは「もうっ、もうっ!」と子供のように声を上げ、俺たちを睨みつけてきた。
「あなたはっ、私の仲間なんですから! 私の味方をしなさい、しなきゃ、ダメです!」
「ああっ、悪かった。ついついからかいすぎちまった、ごめんな」
「ふーっ、ふーっ!」
「どうどう……嬉しかったんだよ。お前が今日のこと、楽しかったって言ってくれて」
「知りませんっ!」
しまった……怒らせすぎたか?
取り付く島もないフリティラリアにマリーベルが近づいて、その手を取った。
そしてもう片方の手で俺を指さしてくる。
「酷い男ね、マエストロ!」
「なっ、はっ!? おま、それはずるいだろ!」
「ええ、そうです、そうですよ、あの人は酷い人です。人の純情を弄んで、あまつさえ嘲笑って――!」
「可哀そう、ああ可哀そうなリア。もうあんな奴放っておいてウチに来なさい? 《シルバークラウン》は優しい人たちばかりよ……」
「はい。マリーベルさんちの子になります」
ちょっと待てよ!?
ぐ……こいつ完全復活してるじゃねえか!
マリーベルと一緒になって俺をからかってきやがって……!
俺はフリティラリアに歩み寄って、懐から鍵を奪い取った。
「ああそうですか。じゃあもうよその子になりなさいっ! もうお家に帰ってこなくても結構! 合鍵は没収いたしますわ!」
「あっ、まっ、待って下さ、冗談――んふっ、ちょっと……なんですかその口調」
「俺の考える嫌な怒り方をするタイプの母親」
ちょっとウケて嬉しい。
毒気を抜かれてしまったので、俺は鍵をフリティラリアに返す。
彼女はそれを笑いながら受け取って、懐にしまい込――もうとしたところを、腕を掴まれて制止される。
見ればマリーベルが腕を伸ばしていた。
「……合鍵?」
「え」
「あ」
あ……なんだ?
震えている?
この……俺が?
マリーベルは笑顔だった。
笑顔のまま、人を殺せる目をしていた。
「同棲だと?」
「……」
「……」
俺たちは黙った。
この世には知るべきことと知らないでおくべきことが――
「マエストロくん、逃げますよ!」
「うおぉっ!?」
「はっ――ちょ、待ちなさい、待ちなさいよーっ!!」
俺の腕を掴んだフリティラリアが一目散に外へと走り出す!
ワンテンポ遅れてから反応したマリーベルがそれを追いかけようとするが、ギルドから出かかったところでその足を止めた。
「こらーーーーっ! 逃げんなーーーーーーっっ!!」
「あはははははっ! 声おっきい! あの人歩幅小っちゃいんですから、もうっ!」
「ちょっ、おいっ、フリティラリア! もう追いかけてきてないって――ああっ、じゃあな、マリーベル! これは、あれだ、誤解だからな――!!」
「うがーーーーーーーーーーー!!」
あの、これ、次会った時無事でいられそう?
化け物が誕生したみたいな雄叫びが聞こえるんだけど。
「あははははははははっ!」
まあ、いいか。
フリティラリアが楽しそうだしな。
マリーベルは追ってこない。
石畳の上、水しぶきをあげながら走っていれば、すぐにギルドなんか見えなくなってしまう。
それでもしばらく俺たちは走り続けた。
満足するまでそうしていたんだ。
◆
俺より先にフリティラリアの体力が尽きたようだ。
フリティラリアは膝に手をついて荒い呼吸を繰り返す。
俺も、まだまだ余裕はあるとはいえ、久しぶりにガチで走ったものだから、脇腹を謎の痛みが襲ってきていた。
大通りを避けるようにして、路地裏へ。
じめっとした空気が火照った体にうざったらしく絡みついてくるが、その場で呼吸が落ち着くまで待っていた。
「あーあー、そんな汗かいて……せっかくの一張羅だろうに、なにしてるんだか」
「ホントですよ、あー、もう、服が張り付いて――なんで止めなかったんですか、マエストロくん」
「俺かよ」
面頬を外し、手で顔をパタパタと扇ぎながら、抗議するような目線を俺に向けてくる。
さっきまでの幼い笑みは何だったのか、すっかり不機嫌そうな顔になり、意に介さない俺の様子を見てより目つきを鋭くしていた。
「ふんっ」
その様子をじっと見ていたところ、唐突に拳が飛んできた。
へにょへにょの攻撃はまったく痛くないのだが、続けざまにもう片方の拳も飛んでくる。
「こそばゆいからやめろ。なんだ、さっきのこと、そんなに根に持ってるのか?」
「……ふんっっ」
「ぐっ」
ひと際強い一撃が突き刺さる。
感情表現の仕方が幼女……!
「シモの世話までしてるウチの駄犬が、他の女に現を抜かし、あまつさえ尻尾を振っているんですよぉ? それはそれは、腹が立つってもんじゃないですか、ねえ?」
「そりゃあ、昔の顔馴染みなわけだしなぁ。ついつい懐かしんでると、苦い思い出の多いお前をからかう側に立ちたくなってくるというか」
「良い御身分ですねっ」
「……まあな」
美味しい空気を吸わせてもらえて悪い気はしない。
フリティラリアも本気で怒っているわけではないのだろう、頬を膨らませるだけで、それ以上恨み節を吐くことは無かった。
こいつが本気で嫌がるのなら、そこまでの流れをぶった切ってでもあの場から去っていただろうし。
マリーベルのことについても、彼女が友情のようなものを抱いているってことは、さっきの様子を見て分かっていた。
「なんですか。……なんですか、そんな変な目で見て!」
「いやぁ、ウチのリーダーの知らなかった部分が、ほとんど好感が持てる部分で嬉しいなと」
「なにを――ただ、あの場ではマリーベルさんに合わせていただけです。あんな、言わせるような真似しておいて……私としては、マエストロくんの知らなかった部分は嫌らしいとこばかりだなと思いますがね!」
「お互い様ってわけだ」
知ろうとしなければ、相手の印象なんてものはほとんど偏見で決まってしまう。
フリティラリアの場合は表に出てくる部分がアレなところしかなかったから、俺は彼女が全部が全部カスなんだろうなと思っていた。
もちろん、変わった部分もあるんだろう。
だけど、今までの印象としては、死んでも変わることは無いだろうなと思っていたから、驚いてもいる。
喜ばしい限りだ。
「あー、最悪です、変なコト言うからまた汗出てきちゃったじゃないですか……!」
見ると、額に汗がにじんでいる。
ドレスの袖でそれを拭こうとしていたので、腕を掴んで制止した。
高そうな服なんだから、もっと大切に扱わないとな。
俺はフリティラリアの髪を手で流しながら、額の汗を服の袖で拭う。
「……髪、あんまり触っちゃダメですよって言ったのに」
「ん-? 触ったぐらいならなんてことないだろ。……しっかし凄いな、触った感触が普通の髪とそう変わらないなんて」
「褒めても教えてあげませんから」
「分かってる。純粋にすごいなって思っただけだよ」
「それに……なんかこれ、子ども扱いされてるみたいで気分悪いです」
「はいはい、すぐ終わるから」
文句ばかり言ってくるが、フリティラリアは俺の手を退けようとはしなかった。
チラチラと大通りの方をフリティラリアは見る。誰かに見られたりしていないかと気にしているようだ。
最後に首筋の汗を拭い取って、フリティラリアの傍から離れる。
じっとりと俺の袖が濡れてしまったが、俺の服はそれほど高価なものでもない、丁度晴れてきたし、歩いてる内に乾けばそれでいい。
一息つくと、肺の中に残っていた熱い空気が流れ出た。
俺もフリティラリアも、落ち着いてきたかな。
大通りの方は人の数が増えてきた。
空を見上げれば、さっきまでの雨天は嘘だったかのような晴天が目に入る。
「んじゃ、そろそろ行こうか。人がこれ以上増える前に買い物を済ませちゃおう」
肉の気分とか言ってたよな。
いつも肉は同じ店で買ってるから、今日もそこでいいな。
あー、でも、店主にフリティラリアとの関係を誤解されそうだ……別の店も考えておくべきか?
「……リア?」
大通りに出かかるところで俺は足を止める。
フリティラリアが同じところで突っ立っていた。
路地裏の影の中で留まり、こちらをじっと見つめている。
拗ねて無視しているというわけではないようだ。
真っすぐこちらを見据えている。紫の瞳が、影の中で煌めいていた。
「……お買い物なんてのはただの口実で、外に出て気分転換することが目的でした」
「あー、そうか。まあ、そうだよな。そんな気は……ああいや、気を遣ってくれてありがとうな、おかげで良い気分転換になったから。それじゃあ、どうする? もう家に帰るか? 安心してくれ、もうお前の時間を邪魔したりなんてしないから――」
「マエストロくん」
名前を呼ばれ、口ごもる。
フリティラリアの視線に思わずたじろいだ。
「お買い物には行かなくていいとなったら、次に出てくる選択肢が、帰ることなんですか?」
「え……っと? 行きたい場所でもあるのか? もしそうなら付き合うよ。お礼代わり、と言っちゃあなんだけど、なんでも言ってくれ」
「では、タワーダンジョンへ。《エリート》を、討伐しませんか?」
「――」
予想だにしなかった言葉がフリティラリアから発せられ、言葉が出なかった。
冗談を言っているような感じはしない。だけど、どこか気楽そうな――まるでちょっと遠いところまで散歩しないかと誘うかのように、彼女の言葉に重みを一切感じなかった。
「何を言い出すかと思えば……なんだ、マリーベルにされたライバル認定で火がついたのか?」
からかうように言うが、フリティラリアの表情は変わらない。
徐々に――鼓動が早まっていく。大通りの喧噪がどこか遠くなり、街行く人々の姿は、すりガラス越しに見ているかのように現実感が無い。
影の中で俺の言葉を待つフリティラリアの姿だけがやけに明瞭に映った。
「き……気持ちは分かるし、俺も力になりたいとは思うが……お前ひとりに多くを任せてしまうことになると思う。俺は、言ってしまえばお荷物だ。お前ひとりならともかく、俺が行ったら邪魔になるぞ?」
「やめておきますか?」
「……それに、
「それで、やめておくべきだ、と?」
「……」
肯定も否定もしなかった。
出来なかった、そう言っても良い。
先ほどの光景が思い出される。
マリーベルの言葉に何も言えなかった時のこと。
「それは一体誰に対しての言い訳なのでしょう」
「言い訳なんかじゃない。理由だ。検証しただろう、俺はそんな戦いについていけるような奴じゃない」
「いいえ。知ってるくせに。それとも、知らないふりをしているだけでしょうか。あなたは――」
「待て、待て、待ってくれ。一体全体、どうしてこんな話になってる? そこまでして……《エリート》を倒したいって言うのか? なぜ?」
そんなタワーダンジョン攻略に意欲的だっただろうか?
それとも本当に……マリーベルにライバルと言われて、対抗心を燃やしているのだろうか?
いや――それならそれでいいさ、フリティラリアの自由にすればいいと思う。
だが、なぜ俺までそれに巻き込むというのか。
というよりも……なぜ、俺に
俺を戦力に数えるのは間違っている。
仲間であるということを考慮しても、だ。
なぜ。
どうして。
こんな……急に?
「娼館にいた時と同じような顔をしてますよ、マエストロくん」
言われて、俺は無意識的に顔に触れていた。
それから、そんなはずはないと思いいたる。
そんなはずはないと分かっていながらも、俺は今すぐ鏡で自分の顔を確認したくなった。
「あそこにいた時も、先ほどのような言い訳を並べ立て、諦めたつもりにでもなっていたのでしょうか」
「……お前にも言っただろ、呪いのことを。言い訳だなんて言ってほしくは無いな、あの時は本当にどうすることも出来なくて、他に道が無かったんだ」
「……ええ、撤回しましょう。そうですね、あの時は、致し方なかった――では、マエストロくん。それなら、今は?」
「……」
「今は、どうですか?」
今。
今は――。
俺の目線の先には、フリティラリアがいる。
「……沈静化の魔術を使えと、お前は言いたいんだな」
沈静化の魔術。
《大変異》の時、《シルバークラウン》を救助するために俺が使っていた魔術だ。
これがあれば、呪いによる発情を抑え、通常時と比べてもはるかに多くの魔力を消費できる。
タワーダンジョンでの戦いにもついていくことができるようになる。
だが、あれは――反動がある。
沈静化の魔術を求められるだけの規模の戦いを終えた後ならば、俺は十中八九理性を手放していることだろう。
フリティラリアは言ってくれた。受け入れる、と。
それでも俺は沈静化の魔術を使うことを忌避していた。検証すら進んでいない。
「ああ、そうだな、今はお前がいて、俺にもやりようがあって。だけど、これはそう簡単に使っていいもんじゃない」
「代償を払うことは怖くはありません。似たようなことなら毎日してるわけですし、何をいまさら気にしているんでしょうか」
「怖いのは、理性を完全に手放すことさ。言えるだろうか、俺が暴力的な手段を取らないかどうかを。必要以上に痛めつけて、辱めて、そうならないと、どうして言える」
「……」
「俺が理性を取り戻した時には何もかもが手遅れになっているかもしれない」
「どうしてそう――」
「俺はもう、あんな思いはしたくない」
「……」
俺にとって、フリティラリアはもう大切な仲間だ。
最初からそうだったわけじゃない。
でも、いつの間にか、彼女を失うかもしれないという恐怖が俺を付きまとうようになっていた。
こんな思いは初めてだった。
長く冒険してきて、別れは何度も経験してきたはずだ。
自分の元から仲間や友が去ることに、恐れを抱いたりなんてなかったというのに。
俺の手はいつの間にか空を掴んでいた。
握りしめていた手を開いても、空虚ばかりが手のひらに残っている。
何もない。何も残されてはいない。
「それでも、あなたは――ここで燻ってはいたくないはずです。腐っていたくはないはずです。だから、マリーベルさんの言葉なんかに心を乱された」
「……」
「ライバルと言われた時、あなたは自分の境遇と彼女とを比べたはずです。諦めるしかないと、自分を無理矢理納得させるような……そんな顔をしていました」
今の生活にそれほど不満があるわけではない。
フリティラリアと共に暮らし、気楽にダンジョンへもぐり、ああするべきだこうするべきだと言い合いながら帰路へ着く。
タワーダンジョン攻略という伝説は俺の与り知らぬところで綴られていき、その陰で、ただ自分に出来る範囲で、冒険者として生きていく。
それでもいいじゃないかと思い始めていた。
でも……ああだこうだ言ったところで、結局はフリティラリアの言う通り、俺はここで留まっていたくはないのだろう。
マリーベルの成長した姿を見て、眩いと思った。
眩いと思った自分に、嫌気が差した。
なぜ、俺はこの子の先に立てていないのだろう。
並び立つことすらできていないのだろう、と。
「私はあなたをどん底から救い上げたつもりになっていましたが――」
「……」
「《グローリーナイトフォール》はあなたにとって、どん底と変わらないのでしょうか?」
しがらみばかりが俺を縛りつける。
娼館を辞め、冒険者として活動し始め、行きつく先は諦観だというのなら。
俺の居場所は変わらないままだ。
「でも、でもね、マエストロくん。それでもあなたは、もしも――もしもまた誰かが窮地に立ったとしたならば、迷わず動くでしょう。あなたの厭うその魔術を使ってでも」
「……」
「私がいるから。どうにか説得し、納得させ、私に代償を支払わせようとするでしょう。もし私が首を横に振ればあなたは諦めるかもしれませんが、きっと、まずそうするでしょう」
そうしないとは言い切れない。
また《シルバークラウン》が――そうでなくとも、マリーベルが、フォスが、知り合いが。
命の危機に直面しているのならば。
だけどそれは、きっとこいつなら受け入れてくれるから――。
だなんて、損な役割を押し付けているだけに過ぎないのではないだろうか?
それが誰かを助けるためという理由もなく、ただ俺が、
「良いじゃないですか、望んだって。やれるだけやってみましょうよ、ダメならそれから考えればいいんです」
「楽観的過ぎる」
「マエストロくんが悲観的過ぎるだけなのかもしれませんよ?」
フリティラリアは優しく微笑んでいる。
俺には分かる。
彼女は、俺がどんな答えを出そうが受け入れてくれる。
この話を断ち切って、買い物にでも行こうと誘えば、文句の一つもなくついてきてくれるだろう。
そして全部があやふやなまま、今の――惰性にも似た冒険者生活を続けていくことになるのだろう。
今も大通りを歩いている、普通の冒険者たちのように。
気づいた時、俺は一歩影の中に足を踏み入れていた。
路地裏の先、空に向かって伸びるタワーダンジョンの姿が目に映る。
「それに――今考えついたんですけど、例えばマエストロくんを拘束して、身動き取れない間に……なんてことも出来るわけで」
「……」
「ほらぁ、ふふっ、私ってマエストロくんのこと知り尽くしてしまっているのでぇ、本気を出せば秒で搾り取ることも出来ちゃうというかぁ?」
一歩、また一歩と、俺の身体はフリティラリアの方へと近づいていく。
日差しの温かみがどこかへと消え去り、影の中の涼しくも重たい空気が俺をつつみこむ。
「私は――」
それが、とても心地よい。
暗がりの中での生活が続いたことにより、俺に変化が訪れたのか。
「私はあなたに、あんな顔をしてほしくありません」
これは――困ったな。
諦めるのは簡単だと思っていた。
ないものねだりをするほど子供じゃないと思っていた。
目を閉じるだけだ。光明に手を伸ばさないだけだ。
たったそれだけのことだった。
「フリティラリア」
「……はい」
「俺は……もう、諦められないかもしれないぞ?」
誰かに手を差し伸べられただけならこうはならないだろう。
フリティラリアは――俺と一緒にどん底へと落ち、俺と共に上へと昇ろうとする奴だ。
だから、諦めがつかない。
ここまでさせておいて、見てみぬふりが出来ない。
「それでこそ。私が欲し、手に入れた人は――そういう人のはずですから」
「……」
「だというのに、あなたがいつまでもうじうじと悩んでいるようでは、私が道化になってしまうでしょう」
「それは……良くないな」
「ええ、良くありません」
「ウチのリーダーの期待くらい、応えられるようじゃないとな」
ようやくたどり着く。
フリティラリアの隣に。
大通りは遠い。
もはや振り返ることもなかった。
「……フリティラリア。俺は、《シルバークラウン》に――マリーベルには、負けたくない」
「《シルバークラウン》程度に『負けたくない』だなんて、随分と弱気ですね?」
「頼むよ、ゆっくり歩かせてくれ。まだ怖いんだ。どこまで望んでいいのか、分からないんだからさ」
「仕方のない人ですねぇ」
呪いのことはまだ怖い。
理性を失っても、まだこの関係が続くのだろうか。
前回は大丈夫だった。だけど今回も大丈夫であるという保証にはならない。
でも――大丈夫かもしれない。
フリティラリアの軽いようにも思える口調が、なんとなくそういう気分にさせてくる。
そういうものなんだろう。
望むのなら、失う恐怖も乗り越えるべきなんだろう。
「フリティラリア、お前は」
俺はタワーダンジョンを見据えた。
「どこまで望んでる?」
フリティラリアもタワーダンジョンを見上げていた。
「さあ」
くすりと笑う。
「ただ――私は、あなたを手に入れたんだと、この世界に見せつけてやりたいですね」
本質は、昔からあまり変わってないのかもしれないけど。
その言葉を聞いて俺は、こいつの望みを叶えてやりたいな、と思った。
ただ見せつけるだけではダメだろう。
それこそ、誰にも負けないような――《シルバークラウン》も、《ゴールデンドーン》も超えた伝説になって、ようやく叶う望みなんだろう。
誰も手にすることの出来ない宝石を身に着け、見せびらかしていたように。
誰の手も届かない、追い縋ることのできない宝物でない限り、彼女はそれを隠そうとするだろう。
「なら、《エリート》くらい倒せるようじゃないと、か」
「大丈夫ですよ。やる気になったあなたなら、誰にも負けません」
「言ってくれるなあ……負わせる荷が重すぎるんじゃないか、リーダー?」
「ふふっ、歩き出したのなら、なんでもかんでも期待しちゃおうかなあと」
「はぁ……気楽に過ごせる日々も悪くなかったのになあ」
行くか。
もう弱音は無しだ。
やると決めたなら、やりきるほかない。
「さて――まずは、巷を騒がせている害虫の退治と行こうじゃないですか」
まず。
そうだ、まず。
奴は通過点に過ぎない。
俺も、フリティラリアも、これがうまくいったなら、望む先はきっと同じだ。
より高望みするためにも、ここは完璧な勝利を収めないとな。
二人並んで歩き出す。
見える先、タワーダンジョンへと。
名を、《シャドウストーカー》。
奴は――俺たちが倒してみせる。