「どうぞ、お上がりください。あまり自慢できるほど物はありませんが、清潔感だけはしっかりしていますので」
1年生の寮に着き、八神の部屋にやってくると、玄関を開けた八神が笑顔でオレたちを迎え入れる。
物がないというが、少なくともオレの部屋よりは物が多い。正直、まだ入学して3か月程しか経っていない1年生の部屋とは思ないくらいには生活感に溢れていた。
しかし、これもおそらくは作りものだ。
自分がホワイトルーム生だというのを隠すため、敢えて白を思い出させないように部屋を飾っているのだろう。そういう意味だと、入学してからしばらくしてのオレの部屋は、物がなさ過ぎてミニホワイトルームと言って良いような場所だった。
「今、お湯を沸かしますので、お二人とも座っていて下さい」
おしゃれな電気ケトルでお湯を沸かしながら、八神が先程言っていた通りにお茶の準備を始める。雪は「おかまいなくー」と、声を上げたが、八神は早々に茶菓子を持ってきた。
続けて、お湯が沸くと自慢していた紅茶も入れてこちらに持ってくる。紅茶と言えば、少し前に森下が砂糖とミルクをマシマシで入れるという暴挙をしていたっけか。
ふと興味が出てきたので、普段は入れないくらいの量の砂糖とミルクを入れて甘めのお茶にしてみる。雪が「珍しいね。清隆がそんなに甘くするなんて」と意外そうな声を上げたが、甘めのミルクティーというのもそんなに悪いものではなかった。
「それでは、わざわざ来てもらった本題に入らせて貰います。確認なのですが、限定された一部の1年生の間だけで行われている特別試験が存在することはご存知ですか?」
「ああ。聞いたことがある」
「今更だと思われるかもしれませんが、話というのはその試験について綾小路先輩にお伝えしたいことがあったんです」
そう言って、八神が一度お茶を口に含む。上手く話を切って、相手に続きを聞きたくさせる技術。心理学でいう、ポージングと呼ばれる会話術の初歩だ。
「僕がその話を聞いたのは入学してまだ間もない頃でした。ただ、誰かを陥れることで得られる報酬に興味を持てなかったのでスルーしていたのですが、少し前に同じ学年の宝泉くんが先輩に勝負を仕掛けて怪我をさせたという噂を聞きまして……」
「それは違うな。あの怪我はオレが階段で転んで出来たもので宝泉は関係ない。まぁ、その時期に特別試験のことで宝泉と接触していたからそういう噂が立ったんだろうが……」
「そうなんですね。ですが、僕はこの話を聞いた時に、思った以上に事が大きくなるのではないかと思ったんです。当人である綾小路先輩も勿論ですが、先輩だけではなく、場合によっては他の関係ない人が巻き込まれるようなことだってあると判断しました。それはいくら大金がかかっているとはいえあってはならないことです」
これだけ聞くと正義感の強い少年にしか見えない。が、仮に原作知識がなかったとしても、桜子の話を聞いてしまった後ではこの言葉を素直に受けることは出来なかった。
「だから、知っていることをお話しするために、この場をセッティングして貰うよう椿会長にお願いしたんです」
「成程な」
「椿会長も、この件はご存知なんですよね?」
「まぁ、これでも生徒会長だからね。良い噂も悪い噂もいろいろ耳には入るよ」
「僕たちは入学した直後だったので、あの時はまだ特別試験がどういうものかよくわかっていませんでした。ですが、今ならわかります。これは異常な特別試験なんだと……」
誰かを退学させて賞金を得る。何も知らなければそういうものと思うかもしれないが、学校の仕組みを知っていく内におかしいと感じた。だからこそ、改めてオレに接触して注意を促すことにした――と、いうのが、表向き今回呼び出した理由ということのようだ。
「改めて説明すると、事の始まりは入学直後のことです。月城理事長代理から呼び出しを受けました。各クラスの代表者1名、もしくは2名を決め、理事長室に集まるように指示を受けたんです」
生徒会長である雪の協力を得られない以上、生徒会室を使う訳にはいかないと言うことで渋々自分の部屋に呼び出したのだろう。原作では確か、南雲名義で生徒会室に呼び出されていたはずだ。
「呼び出されてすぐに、1年生のみの特別試験を行うと言われました。内容は、2年生である綾小路先輩を退学させること。手段は問わず、期限は2学期が始まるまで。報酬は、綾小路先輩を退学させた生徒に2000万。また、この特別試験の内容については、呼び出されたメンバー以外には他言しないように忠告されています。話が大きくなった時点で、この話はなかったことになるとも釘を刺されました」
原作では、一人だった八神と宇都宮は、クラスの中から一人を選んで相談していいと言われていたはずだが、そのことについては言及してこなかった。まぁ、桜子からも聞いて知っているし、別にそこは重要ではないということもあってカットしたのだろう。
「どうして綾小路先輩が狙われているのか、理由までは説明されませんでした。しかし、2000万というのは大金です。1年生の中でこのことを知っているのはAクラスの高橋修くんと石上京くん、Bクラスの僕、Cクラスの宇都宮陸くん、Dクラスの宝泉和臣くんと七瀬翼さんの6名で、その中でもDクラスの2人は特にあなたを狙っています」
「ほう……?」
「前にその2人が2年生のフロアに行ったことがあったと思いますが、あれも本当の目的は綾小路先輩の様子を見に行ったのではないかと僕は思っています。結果的に、何事もなかったということですが、あれは間違いなく獲物を値踏みしに行っていた。下手をすれば、この無人島試験で動いてきてもおかしくはありません」
確かに、もしオレが原作通りの動きを見せていれば、宝泉は今もオレを倒そうと動いていたはずだ。八神の言うことは一見それらしく聞こえる。
「逆にこの試験に興味を示していないのは、僕とCクラスの宇都宮くんです。Aクラスの面々に関してはどう動いてくるか読めませんが、Dクラスの2人には特に注意してください」
「有難い助言だが……いいのか? このことがバレたら問題が起きると思うが?」
「大丈夫です。もし、話が大きく拡散された場合は試験そのものが中止になると言われただけでペナルティなどは聞かされていませんし、それに1年生の間で嫌われる分には覚悟しています。元々、他クラスとは遅かれ早かれぶつかる運命にあるんですから」
そう言って、笑みを向けてきた。これだけ聞くと、本当にいい奴にしか見えない。
改めて、良い情報を貰ったと言うことで、このまま解散――にしてもいいのだが、せっかく八神と接触できたのだ。原作通り泳がせたままでもいいが、ここいらで少しぶち込んでやってもいいだろう。
既に状況は原作と乖離してしまっているし、このまま八神が原作通りに何もしないまま退学してくれるなら問題ないが、もし何かの間違いで八神自身が大きく動くような事態になっても面倒だ。
それなら、今のうちに八神の憎しみの矛先をオレから反らして動きを誘導してやる。原作通りなら、こいつの目的はオレを殺すことでホワイトルーム生の中で一番になり、ホワイトルームの組織自体に自分を認めさせることのはずだ。
なら、オレを殺してホワイトルームで一番になったとしても意味がないと悟らせてやればいい。憎しみの理由自体を消してやれば、自ずとオレを恨むことはなくなる。
「しかし、意外だったな」
「何がですか?」
「ホワイトルーム生のお前が、この試験に興味がないと言うことがだ」
オレがホワイトルームの名前を出したことで、雪も表情を変えた。完全にだらけていた体勢から、いつどうなっても動けるように姿勢を変えていく。
「ホワイトルーム……ですか? あの、何のことでしょう?」
「惚けなくてもいい。上手く隠しているが、お前も天沢と一緒でホワイトルームに長年いたせいで無意識の癖が出来ている。パッと見では気づけないかもしれないが、オレ自身がその癖を自覚している以上、同じ癖を持つ相手を見抜けないなんてことはあり得ない」
何度も言っているが、その癖も相手がホワイトルーム生だとわかってやっと見つかる程度のものなので、事前に情報がなければ気づけなかっただろうがな。
「……どうやら、隠しても無駄なようですね」
こちらが確信を持っているとわかると、八神は一度目を伏せた。
次に顔を上げると、豹変――と、言って良いレベルで八神の表情が変わる。それまで浮かべていた柔和な笑みは消え、こちらを殺さんとばかり殺気を向けてきた。
「まさか、こんな簡単に気づかれるとは思いませんでしたよ」
「月城を恨むんだな。あいつがこの学校にホワイトルーム生が来ると漏らさなければ、お前の正体に気付くことはなかったかもしれない」
「チッ、あのおっさん。偉そうなことばかり言って全く役に立たないじゃないか」
「で、本当にオレを退学させる気はないのか?」
「あるに決まってますよ。ですが、こんな馬鹿みたいなゲームに参加する気はないってだけです。ハンデのある戦いじゃ誰も認めない。僕は僕のやり方でお前に勝利する……正々堂々勝って、先生たちに認めて貰うんだ」
やはり、原作通りの動機でオレを狙っているようだ。これなら、いくらでも思考を誘導できる。
「先生? ホワイトルームの教官のことか。何だ、あんな連中の評価が欲しいのか、お前は?」
「お前にはわからないっ! いつも、いつも、僕たちは比べられてきた! どんなに優れた結果を出しても、綾小路清隆はもっと凄かったって! 誰も認めてくれなかった!」
――原作でもあった八神の源泉。
ホワイトルームの成功例として自らの存在を認めて貰うために、邪魔者であるオレを排除しようと考え、その意思を怒りや憎しみで補強している――が、根底にあるのはオレへの恐怖だ。
原作でも、オレを出し抜くと言いながらも、結局は大きく動かなかった。どうでもいい火遊びをして勝手に自滅していっただけ。
言葉だけは強気だが、心のどこかで負けた時のことを考えている。もし、負けたら脱落していった連中のように、自分の存在価値がなくなると思っているが故に動けない。
しかし、いざ動けば面倒くさい相手であることに変わりはなかった。特に、無人島試験も原作と違って、宝泉や桜子がオレの駒になってしまっているせいで、八神がどう動いてくるのかが読めない。
まぁ、どんな仕掛けをしてこようと対処できる自信はある。だが、負けはしなくても、面倒をかけられるのは間違いなかった。だからこそ、今のうちにオレへ向いている憎悪を消してやる必要がある。
「お前は、何でホワイトルームの教官がお前のことを認めなかったと思う?」
「そんなの、お前がいるからだ! お前さえいなければ、僕は一番だった! お前さえいなくなれば――」
「違うな。仮にお前がオレをここで殺したとしても、ホワイトルームの教官たちがお前を認めることはない」
「そんなことは――」
「あるさ。何故なら連中はそうやってお前を育てているからだ。褒めて、これだけ結果を出したという満足感を与えては、それ以上の成長は望めない。だからこそ、奴らはどんな結果を出してもお前を認めない」
どうやら心当たりはあるようで、八神は口を開こうとするが言葉を出すことが出来ずにいた。承認欲求を刺激して上昇志向を植え付ける――そうやって奴らは八神を育ててきたのだろう。
「仮にオレを殺して勝ったとしても、奴らはこう言うだけだ。『次はもっと良い評価を出せ』――とな。お前がオレを超えた所で終わりは来ない。永遠に終わらない学習を続けさせられるだけだ」
「違うっ! 一番になって成功例になりさえすれば! 先生たちだって僕を認めてくれるっ!」
「認めることなどない。そうなる頃には、お前は適材の場所に送られる。今、こうしてオレを退学させるために学生として送り込まれたようにな」
「なんで……お前にそんなことが……」
「オレがそうだったからだ。まさかお前、オレがトップの成績を取っているから褒められて甘やかされているとでも思ったのか? 奴らはオレを認めたことなど一度もない。どんな結果を出しても、口にするのは『次はもっと良い評価を出せ』という言葉だけだ」
半分嘘だ。褒められるようなことがないというのは本当だが、もっといい評価を出せとは言われなかった。
しかし、八神にしてみればずっと目の敵にしていたオレが、自分と同じことを言われていたという事実は、オレを敵視するための意思を揺らがせる。
実際、一番になれば、オレという最高傑作を超えさえすれば認められると思っていた八神にとって、何をしても誰にも認められないという現実は重すぎたらしく、「じゃあ、僕はどうすれば、何のためにここまで……」と、自分の存在理由を見失っているようだった。
「お前は一番になりたいのか?」
「あの場所で一番を目指すのは当たり前だ! 一番になるために僕たちは教育を受けている!」
「お前の5期生の中での成績は?」
「一番に決まってる! 一夏だって、僕に勝てたことはないんだ! なのに、なのに……」
「なのに、誰も認めてくれない――か。まぁ、気持ちはわからなくはない。オレもあいつらからよくやったなんて言葉はついぞ聞いたことがなかったからな」
例え嫌っている相手でも、共感されれば安心感を得る。そして、目の敵にしていたオレですら認められず、仮にオレを倒しても誰にも認められないとわかれば、こいつの中にあるオレへの憎しみの根幹は崩れていく。
「どうも、お前は一番に固執しているようだが、ホワイトルームの理念は知っているか?」
「研究を確立させ、非凡なる卓越した人間を量産していくこと……」
「そうだ。つまり、一番優秀な人間になるのではなく、奴らの求める人材になりさえすればお前は奴らに認められるわけだ」
「そんなことわかってる! けど、そんなの、どうすれば――」
「よく考えてみろ。お前が今、こうしてオレの下へ送られてきたのは、5期生の中でもお前が非凡な能力を持っているということの証明じゃないのか? お前は、その能力が認められたから、こうして外に出された。もし、そうでなければ、あいつらはお前たちを外へ出すことをせずに教育を続けていただろう。言葉にしていないだけで、お前は既に認められているんだ」
「僕は、もう認められている……?」
「もしお前が、オレをホワイトルームに連れ戻せという命令をするとして、使い捨てられるどうでもいいような人間と、トップクラスに優秀な人間、どちらを選ぶかなど考えるまでもなくわかるだろう? お前はここに送られた時点で、既に戦力として認められているんだよ」
嘘ではない。原作でも、八神はホワイトルーム生の中でも優秀な方だと言われていた。退学した後だって、親父殿が処理せずに再教育を施すくらいにはこいつも期待されている。
仮に将来、駒として使われることになるとしても、失敗作として扱われることはまずないはずだ。
「お前はこれまでホワイトルームのカリキュラムを受けてここまで生き残ってきたんだろう? それだけで、そこらの有象無象とは比較にならないほど優秀な人間であるということを証明している。誇りこそすれ、蔑むことは何もない」
そう、天沢にしろ、八神にしろ、既に常人の中では上澄みと言って良い能力を持っている。足りないのは人生経験くらいのものだ。
原作で八神は自分のことを成功例だと認めさせると意気込んでオレを倒そうとしていたが、ホワイトルームの実態を知れば、既に八神は成功例側と言っても過言ではない。
「ち、違う! 騙されないぞ! なら、なんで先生たちは褒めてくれないんだ!? 本当に認めてくれているなら一度くらい――」
「あいつらは死んでもそんなことは認めない。安心感を与えれば成長が止まると考えているからだ。満足しないように、ずっとお前の劣等感を刺激し続けてきた」
「せ、先生はそんな人じゃ……」
「なら、逆に聞く。何故褒めない? 成功体験を積ませて褒めて伸ばすという教育方針だってある。だが、これまで生きて来て一度も褒められないなんて異常以外の何物でもない。お前は5期生で一番だったんだろう? 意図的に安心させない以外に褒めない理由はあるのか?」
図星を突いてやると、八神は呻くだけでまともな言葉も口に出来なくなっていた。
これがホワイトルームでなければ、八神はもっとのびのび育てられたかもしれない。
だが、なまじオレという成功例がいるせいであの男が求める基準はオレになってしまっている。そういう意味だと、こいつも被害者だな。
「そして、だからこそお前は自分を自己分析しきれていない。お前は既にホワイトルームでも上澄みと言って良いだけの能力を持っている。お前が失敗例なら、あの場所の9割はゴミ以下の存在だぞ」
「僕は、失敗例じゃない……?」
「この学校を見てもわかるだろう。全国屈指の名門校と銘打ってはいるが、やっていることはホワイトルームのカリキュラムに生き残ったオレたちからすれば、絵本の読み聞かせでも聞いているような低レベルな授業。お前だって、クラスメイトたちの能力の低さに頭痛を感じたことがあるんじゃないか?」
「……確かに、幼稚園児がいるような施設だと思った」
「で、お前はオレに勝てなければ、そいつら以下か?」
「ッ……!」
「違うだろう? 関係ないんだよ。お前はもう優秀な人間の枠に入っている。あいつらは増長させないように敢えて褒めないでいるだけだ。実際、お前に教育を施している教官たちだって、総合能力で言えばお前以下の連中が大半だろう。そんな奴らの称賛が欲しいのか?」
ここまで言えば、八神だってわかるだろう。認められたいという自分の欲求が満たされることがないということ。そして、既に自分が成功例の立ち位置にいると言うことに。
それはつまり、例えここでオレを殺したとしても、何の意味もないということだった。
「けど、それでも、僕は……お前に勝ちたいっ! 勝って、お前を退学させて任務を完遂するっ!」
「そうか。なら、勝負するか? 次の無人島試験でどちらがより優秀な成績を収めるか、オレが負けたら自主退学してやる。オレも別にお前の挑戦を無下にしようとは思っていない。正々堂々が望みなら受けて立ってやる」
「えっ?」
「なんだ、オレが逃げるとでも思っていたのか? これでもオレは一応、お前たちの先輩だ。後輩が胸を貸してほしがっているなら応えてやるのが普通だろう」
八神の中では、綾小路清隆は自分の評価を妨げる憎い相手――と、なっていた。
しかし、評価をされない本当の理由を理解させ、その上で八神がオレに勝ちたいという意思を尊重してやればその印象はガラリと変わる。
重要なのは、こいつの意思を否定しないこと。八神がオレに挑んで勝ちたいという気持ちはそのままに、オレへの憎しみだけを拭い去る。
「やる気があるなら何度でも挑戦してこい。心配するな、仮に一度や二度負けた所で、お前が失敗例扱いされることはない」
「何故、そんなことがわかる、んですか……?」
「さっきも言ったが、お前たちはホワイトルーム生の中でも上澄みだ。そんな人間を長い時間をかけて育てたのに、一度の失敗で捨てる馬鹿がどこにいる? いくらホワイトルームに優秀な子供が他にいたとしても、既に結果を出している人間を捨てるほど人材が充実している訳じゃない。もしそうなら、オレを退学させてまで連れ戻そうとはしないだろう」
既に自分はホワイトルームの組織に認められていた。また、ずっと憎み続けていた相手は、実は嫌な奴でも何でもなく、自分のことを認めて相手をしてくれる――もはや、八神にオレを恨む理由は欠片も存在していなかった。
ずっとこちらに向けられていた憎悪が少しずつ収まっていく。八神の中で、オレという人間の印象が変化した証拠だった。
「……僕は、あなたを殺そうと思っていました。そうすれば、僕が一番になって認められると思ったから……でも、そうじゃないんですね」
「逆にオレを殺せば、お前は一生オレの影に縛られて生きることになる。どんな結果を出しても、『もし、綾小路清隆が生きていれば、もっといい結果を出していたはずだ』と言われ、お前はそれを証明できずに、一生苦しむことになるだろう」
その光景が容易に想像つくようで、八神が苦笑いしながら「ですよね」と同意してくる。
「僕は先輩を恨んでました。ずっと認められなくて、貶されて、あなたがいなければこんなことにならなかったのにって……でも、違ったんですね。あなたが居ても居なくても、先生たちは僕を認めてはくれなかった」
「評価はしているだろう。それを表立って認めることはないと言うだけだ」
「それでも……ホワイトルーム生の中で、僕や一夏がこうして選ばれたのは、向こうが僕たちを認めているということ。そうでなければ、送り出す理由がありません」
「実際、お前たちは一番オレに近い所にいる。向こうも、オレを倒せるとしたらお前たちしかいないと思ったからこうして送り出したんだろう。期待されているという証拠だな」
まぁ、仮に戦うことになっても勝負になることはないが――そこは今言うべきではないだろう。
「先輩……僕、先輩に挑戦します。先輩に勝って、任務を遂行して、ホワイトルームが僕を選んだことが正しかったって証明してみせます」
「さっきも言ったが、お前の挑戦自体を無下にする気はない。ただ、あまり物騒な方法は止めてくれ」
「わかってますよ。あくまで正々堂々、真正面から挑みます。そうじゃないと、仮に僕が勝ったとしても誇ることが出来ませんからね」
八神の中から明確な殺意や憎悪が消えた。まるで憑き物が取れたかのようにスッキリしたような顔をしている。
今こいつにあるのは、オレを超えたいというチャレンジ精神と、勝ってホワイトルームからの期待に応えたいという純粋な気持ちだけだ。
本当であれば、八神を駒に出来れば一番いいのだが、俺を信仰している天沢と違って、こいつはもう骨の髄までホワイトルームの教育に浸かってしまっている。
そんな人間を短期間で俺の駒にするのは流石に無理があった。とはいえ、長い時間かけてこちらに引き込むほど価値のある奴でもない。今は憎しみの矛先を変えてやるだけで十分だった。
これで、少なくとも憎悪に身を任せて暴走を起こすことはないだろう。無人島試験でも、上位を取ってオレを退学させようとストレートに戦いを挑んでくるはずだ。
正直、相手をするのは面倒だが、寝首をかかれる不安がなくなり、いつ爆発するかわからない爆弾の心配をしなくて済むのであれば、そちらの方が良いに決まっていた。
「そうだ。一応、言っておくと、天沢は既にオレが使わせて貰っている」
「構いませんよ。あいつは昔から先輩を崇拝してましたからね。仮に使えたとしても、いつ裏切るかわからないような駒は怖くて使えません」
「後、自主退学してやるのは今回の試験だけだ。そんな毎回毎回サービスはしてやれないから、今回が駄目だった場合は他の手段を考えるんだな」
「月城理事長代理も多分、次の特別試験を最後に考えているんでしょうし、それで構いませんよ。その時は別の方法を考えます」
「それと、火遊びは程々にしておけよ。波田野の件、お前を疑っている人間は少なくない。これ以上は火傷じゃすまないぞ」
「……先輩は何でも知ってるんですね。でも、ご心配なく、もうああいうことをする気はありません。そんなことよりも、先輩に『勝つ』ことの方が大事ですから」
やたらと勝つことを強調してくる。しかし、今回の試験さえ乗り越えれば、仮に八神に負けたとしても退学になるようなことは――
「成程、そうか。次でオレを退学に出来ずに機会を失ったとしても、最終的にオレに勝ったという実績があれば任務を失敗してもお前の評価が落ちることはない――ってことか」
「純粋な能力で劣っていても、結果的に勝つことが出来れば関係ありません。もしもの時は、能力だけが全てじゃないと上に証明して見せますよ」
原作で、八神が他の生徒を傷つけたり、退学させたりと、いろいろな火遊びをしていた理由は、オレへの恐怖心を誤魔化すためというのが大きかった。
しかし、今の八神にはもう憎悪も恐怖もない。
仮に無人島試験でオレを仕留められなくても、別の方法で自分を評価させるという柔軟な思考も持てるようになった。オレへの憎悪で塞がっていた視界が晴れて、その能力を十全に使えるようになったのだろう。
そんな人間が、恐怖心を誤魔化すために他人にやつあたりなどするとは思えなかった。
今回の話し合いのおかげで、八神の思考や動きも上手く誘導することが出来たし、もう放置しておいても心配はないはずだ。
既に退学させてしまった波田野の件だけはどうなるかわからないが、この調子ならもしかしたら文化祭を超えても八神はこの学校に残留しているかもしれないな。
原作との変化点。
・こちらから八神に切り込んだ。
敢えて正体を知っていると教えて、八神の目的を探った。
・八神の憎しみの矛先を変えた。
お前、それただのやつあたりだよ。って教えてあげた。八神も馬鹿じゃないので、すぐに清隆の理屈に理解を示している。また、本文でも言った通り、目的を否定することなく清隆への悪意や復讐心だけを拭い去った結果、綺麗な八神が出来上がった。
・綺麗な八神。
敵対関係であることは変わらないが、悪意が消えたことでただ純粋に清隆に挑戦する後輩になった。また、吹っ切れたことで能力が十全に行かせるようになり、柔軟な発想も出来るようになっている。波多野の件があるので、退学するかしないかはまだ謎。
今話の登場人物一覧。
・綾小路清隆
八神から悪意を消した。が、駒にするにはWRに染まりすぎてて無理だったので諦めている。まぁ、男の駒はそこまで欲しい訳でもないので気にしていない。
・椿雪
話の途中から警戒体制へと移行。八神の様子をずっと伺っていた。
・八神拓也
原作でも良くわからないまま退学していったが、清隆によって悪意を消されたことで会心のチャンスが与えられている。火遊びを続けるか否かで未来が変わる。
※雪の戦闘能力について。
現在の雪の戦闘能力について気になる方が多かったのか、こういう時だけやけに多くのお気持ちが届きました。
中にはかなり過激な方も居て、八神天沢如きに雪が負ける訳ないと根拠のない声を送ってくれている人もいます。
まぁ、逆を言えばそれだけ楽しみにしてくれているということですかね。殆どの共通した言い分は、WR時代のカリキュラムの違いから、リタイアしたとはいえ雪が八神・天沢に劣るのはおかしいという点です。
清隆や雪がやっていたΒカリキュラムと、八神や天沢がやっていたカリキュラムではレベルが違う。だから、リタイアしても雪が負けるなんてあり得ない。作者が意図的に雪を弱くしようとしているという意見が多々見られました。
まず、WR時代の全盛期であれば雪は負けない。これは私も同感です。ただ、いくらいい教育を受けていても、雪は11歳でリタイア。その後も約3年ものブランクがある状態です。
清隆と再会して、約1年努力しましたが、3年で衰えた能力を戻すにしても僅か1年ちょっとでは学力や身体能力を戻すのが限度であり、戦闘能力や戦いの勘なんかは自主的なトレーニングだけでは完全に戻すのが難しいと考えました。
それに入学してからの1年間も、まともなトレーニングすらしてませんしね。体力や身体的能力はある程度戻っても戦闘能力に関しては実質5年のブランクがある状態です。
対する八神・天沢はカリキュラムのレベルこそ清隆や雪より低くとも入学するまで現役。
前にフェイタン対女王ネタ出したけど、発無しだったらフェイタン負けてたと思わない? リアル世界に一発逆転の必殺技などない訳で。
とはいえ、戦ったら絶対に負ける訳ではなく、前話もあくまで清隆の考えとして諸々のブランクがある雪が不利と考えているだけで、実際に戦ったらどうなるかはわかりません。
流石にブランクのある雪と八神・天沢が戦ったらどうなるかなんて、原作に明記されてませんしね。雪が圧勝するかもしれないし、体が上手く動かせなくて負けるかもしれないし。
まぁ、物語にブランクとかの現実感出さずに、原作の設定だけで比べろって思うかもしれませんが、WRリタイア後も雪が変わらず現役と同じ能力持ってるって変じゃないですか?
原作の清隆ですら、2年生編で身体的な能力の衰えを感じているのに、雪だけが昔のまま強いままが本当に正しいんですかね?
ちなみに、ブランク有りでも雪が勝つって断言する人はブランク舐めすぎ。
プロ野球選手に5年の間ボールにも触らず何もせずに、中1年だけ基礎トレだけして甲子園優勝チーム抑えろって言われて絶対抑えられるって言いきれる?
ボクシングの日本チャンピオンに5年の間サンドバッグ叩くことすら何もさせずに、中1年だけ基礎トレだけして強い日本ランカーに勝てって言って確実に勝てると思う?
物語だからって、戦闘能力だけが下がらないなんてある訳ないじゃん。
原作の設定がこうだからおかしい。たかが二次創作に設定守れっていうのが間違いとか言う前に、もうちょっとよく考えてみて欲しいです。
まぁ、所詮はにわかが書いている二次創作で、もしかしたら八神や天沢より雪の方が強いかもしれませんけど、作者が意図的に雪を弱くしようとしている訳ではないとだけは明記しておきます。