SIDE:天沢一夏
あたしにとって、綾小路清隆という存在は特別なものだった。勿論、初めて聞いた時は半信半疑だったし、そんな存在いる訳がないって思った――だって、あたしが血の滲む努力で叩き出したスコアを全て上回るなんて、そんな人間がいるとは思えないじゃない。
でも、データを見て、この学校で実際に会って話して分かった。彼は特別なんだって。
最初から戦う気はなかった。むしろ、あんな小さい世界から解放してくれてお礼を言いたいくらい。
あたしは、幼い時から一貫して周りとは違う自負があった。ホワイトルームの理念のために成長して、人生を賭けて貢献する? 自分が最高の成功例になりたくて、そのために命がけて日々を過ごす?
それって不幸じゃない?
もっと自由に生きたくない?
少なくとも、あたしはそう思った。あんな世界で一生を送るなんて真っ平御免だ。だから、先輩がホワイトルームを抜けたことには共感できたし、便乗出来てラッキーだった。
だから、あたしはすぐに白旗を上げたのだ。
この学校で先輩の噂を聞いて、直接話をした結果、素直に正体を打ち明けるべきだと判断した。
結果的にそれは正しかったと思っている。先輩はあたしがホワイトルーム生だとあっさり見抜いていたし、敵対するなら容赦はしないと中立でいることを認めず、私に恭順を求めてきた。
とはいえ、別に他の人の邪魔をしたい訳じゃない。拓也が先輩と戦うというのなら、それを妨害する気はないし、いくら崇拝しているといっても先輩に加担する気はなかった。
何だかんだ、拓也とは生まれた時から一緒だった兄妹のようなもの――自分でも情に厚い部分があることに意外な思いもしたけど、それでも拓也を先輩に売ったり、先輩と共謀して拓也を倒したりするようなことは出来なかった。
でも、先輩は特に気にした様子もなく、こちらの要望を受け入れてくれている。それ所か、私が少し先輩の実力を試そうとしていたこともあっさり見抜いており、やはりこの人に服従することを選んだのは間違いなかったと確信する結果となった。
でも、先輩も所詮は男だ。
あたしのような可愛い女の子が傍に居れば、当たり前のように興奮するし、性的に犯そうと考えてしまうのも当然のこと。
最初は、それを逆手に取って、先輩にレイプされたと脅してやろうかな――なんて考えていたが、実際に事が始まるとそんな余裕は吹き飛んだ。
知識と体験は違うなんてことは知っている。
でも、これは想像以上だった。
あたしの想像していた以上に先輩はテクニシャンで、すぐにこちらは腰砕けにさせられている。
おまけに、先輩はあたしのちょっとしたイタズラ心を見抜いていた。万が一にも自分の弱みを握らせないために、決して一線を越えようとはしなかった。
頭が馬鹿になるくらい気持ちがいい。
でも、まだ本番じゃなかった。
これよりも上がある。
なら、もう我慢なんか出来なかった。
結局、生娘のまま開発だけされ、ムラムラとした感覚が溜まるばかり。自分で慰めても全然解消できず、あたしは先輩に認められるために動くことを決めた。
この疼きを解消するには、先輩の大きなモノをぶち込んで貰うしかない。そのためには、あたしが先輩の味方であり、絶対に裏切らない存在なのだとわかって貰うしかなかった。
最初の特別試験では、同じクラスの学力の高い生徒を言葉巧みに誘惑して先輩に協力させている。
5月に起きた一之瀬先輩への悪評についての対策としては、先輩の指示に従って坂柳先輩の悪評を書いた紙を各学年の寮の全てのポストに投函した。
それでも、先輩は決してあたしに手を出さない。他の女には遠慮なく腰を振っても、あたしにだけは決して手を出そうとしなかった。
でも、諦めない。
夏休みに行われる無人島サバイバル試験――この特別試験で結果を出して、今度こそ先輩の寵愛を頂くつもりでいる。
先輩も、流石に放置しすぎだと思っていたのか、この試験で結果を出せば本番をすると約束してくれた。口約束ではあるが、約束は約束。俄然、この試験にもやる気が出てくる。
改めて、あたしがこの試験で先輩に指示されたことは今の時点で4つ。
1つめは、先輩の周囲にいること。ただ、近距離に居ろという訳ではなく、先輩が見えるか見えないくらいの距離を維持しろという意味だ。
2つめは、無人島の地理を頭に叩き込んでおくこと。これは、何かあった時に最短で移動できるように、ルートを確立しておけということだろう。
3つめは、3日目の夜に指示が来た。4日目の朝5時、腕時計を壊し、近くの崖にいる2人の生徒の背を押して崖から突き落とすこと。
正直、どうして近くの崖に生徒がいることが読めたのか、この行動に何の意味があるかはわからない。けど、それが先輩の命令なら従うだけだった。
そして4つめは、事件を起こした後、先輩と着かず離れずの距離を保ち、七瀬ちゃんに見つかること。
ぶっちゃけ、何で七瀬ちゃんに見つからなきゃいけないのかはサッパリわからない。けど、二人を突き落とした時と同じく、それが命令なら従うだけのこと――そして、あたしは七瀬ちゃんに見つかった。
「須藤先輩――お二人をお願いします!」
七瀬ちゃんがあたしの気配に気づいて、こちらに駆けてくる。正直、本気を出せば振り切るのはそこまで難しいことじゃない。
でも、指示は見つかること――このまま振り切ってしまっては命令を守れないので、そこそこの速度を維持して、七瀬ちゃんが接近してくるのを待つ。
「速い――っ!」
しかし、簡単には捕まらない。
先輩の命令はおそらく、簡単に見つからずに、ギリギリで見つかるレベルの演出をしろという意味を持っているはず。だからこそ、七瀬ちゃんが全力で追いつくか追いつかないかの距離を維持して、本当にギリギリであたしの影を見たという形に持ち込んでいく。
「待ってください! 私は話を聞かせて貰いたいだけなんです! あの二人が大怪我をしたのは、あなたが何かしたからなんですか!?」
そうでーす――と、返事をしてあげたい所だが、会話は許可されていないのでこのまま走り切る。
ただ、見つかることが命令に含まれているので、振り切る直前に顔を軽く振って、あたし自慢の髪を風で靡かせた。
「アレは!?」
どうやら気づいてくれたようなので、このまま振り切らせて貰う。七瀬ちゃんは言葉でこちらを動揺させたり、スタミナ勝負でかようとしたりしていたようだが、残念ながら現役のホワイトルーム生として、七瀬ちゃんに負けてあげる訳にはいかない。
と、いう訳で、ミッションを終えると、とりあえず壊れた時計を直しに行くことにした。
先輩から追加の命令も特にないし、流石にこのままでは試験に差し障りが出てくる。今いるのはI4、ここからスタート地点であるD9に戻って時計の交換を終えて戻ってくるには、流石に大変だが夜には戻って来られるだろう。
正直、あたしには先輩がこの試験で何をしようとしているのか、欠片も理解できていない。でも、きっと何かの意味があるのだろう。あたしには理解できないけど、先輩は無意味に誰かを傷つける行為をする人じゃないし、この事件を起こしたことにもきっと大事な何かがある。
でも、それをあたしが理解する必要はなかった。
あたしはただ、先輩の命令通りに動いて、駒としての役目を果たせばいい。そして、この試験が終わった後にご褒美を受け取る。それ以外は何も考える必要はなかった。
◇◆
SIDE:椿桜子
この無人島試験で、私は宇都宮くんの願いに応えて、前回の特別試験で退学することになった波田野くんをハメた犯人を捜すことになった。
正直、宇都宮くんほどではないけど、私も同じクラスの生徒として、知り合いが退学させられたことに思うことはある。
宇都宮くんは短絡的に宝泉くんが犯人だと思ったようだけど、私は彼が犯人だと思えなかった。勿論、協力している可能性はゼロではないが、そもそも波田野くんを扇動してルール違反をさせるという行為が宝泉くんらしくない。
宝泉くんはいい意味でも悪い意味でも武力をメインに置いた戦い方をする。逆らうやつは叩きのめすと、自分の実力を武器にして他クラスにも影響を与えてくるのだ。
最初の特別試験でもそう。武力でクラスを支配して大金を得ようとしていた。自分たちを安く売らず、全力でメリットを得ようと動いていた。
それは今回の無人島サバイバル試験でも同じだ。
本来、この試験で同じ学年の生徒は仲間――とまではいかなくても、協力して他学年と戦う必要がある。しかし、宝泉くんは協力してほしければPPを出せと、ギリギリまでこちらとの協力を拒んでいた。
こんな真っ直ぐな性格の彼が、波田野くんを裏で操ってルール違反をさせて退学させるなんて面倒くさい行動を取るだろうか?
答えは否だ。
私の推測だと波田野くんをハメた相手は、自分の実力に自信があり、尚且つその正体を悟られない絶対的な自信がある。
宝泉くんも自分に自信があるタイプだが、彼の場合は正体を隠すなんて面倒なことはしてこない。そして、仮に疑いがかけられても、状況を面白がって決して自分じゃないとは言わないだろう。
まさに囮として最適だ。おそらく、黒幕からすれば、宝泉くんが疑われることも計画の内と見て良い。
やはり、調べれば調べる程、宝泉くんは白にしか見えなかった。逆に臭いのはAクラスかBクラス――特に、波田野くんが生徒会志望で、彼と共にこの学校を良くしようと誓った相手であるBクラスの八神くん。彼は、私の中での黒幕のイメージとピッタリ一致していた。
彼はBクラスのリーダー的存在であり、現生徒会員としての実績もある。そんな能力の高い彼ならば、波田野くんを上手く唆すくらい簡単に出来るのではないだろうか?
そもそも、波田野くんにルール違反をさせるには、彼をそう動かす必要がある。その時点で、波田野くんと大きな関わりがない宝泉くんにはまず不可能だ。
でも、一緒に生徒会に入ろうと誓い合ったらしい八神くんならどう? 自分の目標を教えるくらいの仲ならば、波田野くんにルールを破らせようとすることも不可能ではない。
だからこそ、私はこの試験で彼の能力を見極めたかった。宇都宮くん曰く、4日目に順位が明らかになってから、八神くんは他のグループに指示を出す様子を見せたらしい。
6日目にサーチが解禁されてからは、その指示がどういう方向性で出されているのか――その全てもわかってきた。
どうやらAクラスと組んでいるようで、AとBで作った小グループを綾小路先輩と南雲先輩の周りに配置して、綾小路先輩の方は課題の妨害を、南雲先輩の方は課題の斡旋をしている。
それも、3年生とも協力しているようで、綾小路先輩を徹底的に追い込む動きを見せていた。
この指揮能力――6日目の動きを見ただけでも、まるで現場の映像が見えているかのようだ。他のグループがどう動くかを判断して、正確に近くの課題を封殺している。
これだけの能力があれば、波田野くんをハメることだって出来るだろう。宇都宮くんも、流石にこれは怪しいと思ったようだが、私からすれば99%黒だった。100%じゃないのは、証拠がないからというだけだ。
宇都宮くんは、物理的に追い詰めれば吐く――と、言っているが、いくら多少の暴力が容認されるとは言っても、それで八神くんが自供するとはとても思えなかった。
ああいうタイプは、最後まで本当のことは言わないことが多い。追い詰めるなら、言い逃れが出来ない状況を作る必要がある。
故に、まずは八神くんとの会話の場を求めることにした。宇都宮くんの名前で、試験6日目の21時に、1年生を代表する数名をF9に呼んで貰っている。
Aクラスからは高橋修くん。Bクラスからは八神拓也くん。Cクラスからは私、椿桜子と宇都宮陸くん。Dクラスは宝泉和臣くん――彼らには特別試験が開始する前から、6日目に集まることを伝えていた。
表向きは、綾小路先輩を退学させるための話し合いとして。裏では八神くんとの会話で、波田野くんのことを探るため――とはいえ、あからさまに探る様子を見せれば向こうは警戒する。
あくまでも、メインは綾小路先輩についての話し合い。他は世間話程度で、聞かなくても問題ないくらいの態度を貫かない駄目だろう。
「椿さん、宝泉くんはまだ到着していないようですね」
「ま、時間通りに来るタイプには見えないしね。来ないってことも十分あり得るかも」
サーチを使って現在地を確認すれば一発ではあるが、流石にこんなことのために1点を消費するのは馬鹿らしいので、ここは待つ方向で話を進めていく。
しかし、Aクラスの高橋くんは体調があまり良くないのか、お腹を押さえて森の方へ走っていった。どうやら、無人島試験での生活で、お腹を下しつつあるらしい。
「まだ宝泉くんは来ていませんし、修くんもトイレに行ってしまいましたが、少しよろしいですか?」
話し合いが始まるまでまだまだかかりそう――と、考えていると、我慢が出来なくなったのか、八神くんがそう声をかけてきた。
「何……?」
「そろそろ具体的な案を聞かせてくれてもいいんじゃないかな――と、思いまして」
「どういう意味?」
「何か大きなことを企んでいますよね? でなければ、後半戦が近いこのタイミングで、1年生全クラスの代表者を集めようとは思わないでしょう」
「単なる中間報告かもよ?」
「だとすれば、あなたが来る意味がありません。あなたのOAAは一見すると中の下。ですが、これまでの1年生の戦いの中で、あなたは時折核心を突く発言をしていました」
よく見ている。こちらが向こうを見ているように、向こうもこちらを見ていた訳か。
私はクラスの助けになるようには動いても、クラス外には目立たないように動いていたつもりだ。その私の動きまでしっかり見ているということは、それだけ注意力があり、警戒心が強いということでもある。やはり、迂闊な行動は禁物だ。
「綾小路先輩の退学にも興味なさそうにしていたCクラスですが、本当に興味がなかったんですか? もしかしたら、これまでも水面下で何か仕掛けようとしていたのでは? 今回も宇都宮くん主導と見せておいて、その実……裏ではあなたが糸を引いているんじゃありませんか?」
「良く喋るね、八神くん」
「おっと失礼。勘に触りましたか?」
「ううん。面白いことを言うんだなって。でもさ、例の試験の報酬は2000万PP……誰だって魅力に感じてもおかしくないと思うけど?」
「そうですね、別にそれが悪いことだとは言いません。僕も興味がないかと言われれば首を縦には触れないですしね。まぁ、仮に何もなかったとしても、僕はこの試験で1年生全体が協力し合うべきだと思っています。こうして状況を確認できるだけでも有意義なことだと思いますよ」
本当に良く喋る――負けず嫌いの典型だ。
しかも、自分も同じ気持ちだと共感の意を示すことで、こちらからの追撃を上手く回避している。視野が広く、会話にもいろいろな含みを持たせるタイプだ。
「まぁ、隠すことでもないからハッキリ言うね。八神くんの言う通り、私はこの試験で綾小路先輩を退学させて2000万を手に入れたい。だから、このメンバーを集めた」
「ようやく本心を見せてくれましたか」
「でも、八神くんだってそうでしょ? 君も綾小路先輩の退学を狙っている。下手をすれば宝泉くん以上に」
「どうしてそう思うんです?」
「惚けなくてもいいよ。今、1年AクラスとBクラスの小グループが、南雲先輩と綾小路先輩を追ってるのは知ってるから。その指示を出しているのが八神くんだってこともね」
宇都宮くんを経由しての情報だけでは、ここまで核心をついた答えは出せない。必然的に、私がこの無人島全体の情報を集めていることはこれで伝わったはずだ。
「南雲先輩と、手を組んでるんでしょ?」
「まさか、そこまで見抜かれてしまうとは……最初からあなたを囲っておくべきでしたね」
「私たちを除け者にしたのはなんで? さっき言ってたみたいに、私が裏にいると思ったから?」
「いえ、純粋に報酬が減るからです。南雲先輩から協力してほしいと頼まれた時、報酬として500万PPを提示されました。ですが、これを多くのクラスと割ってしまうと旨味がありません。なので、能力の高いAクラスに協力を頼みました」
あくまでも金に目が眩んだ――と、いう体にしたい感じだった。でも、おそらく本心は違う。私が生徒会長である椿雪の妹であることから、綾小路先輩と繋がっていることを警戒したって感じかな。実際、その警戒は何も間違ってはいない。
「これからはCクラスも協力するよ。代わりに、こっちにもPPを分けて欲しい」
「綾小路先輩を退学させた2000万PPを多く振り分けるという形でもいいですか? 500万PPを三分割するよりも、その方がわかりやすいですし」
「駄目。その場合、失敗した時にこちらにメリットがない。素直に、こっちにもPP回して」
「……仕方がありません。ですが、南雲先輩からの報酬は事前に200万、成功報酬で300万です。もし失敗した場合は200万を3クラスで割るので、貰えるPPが最小で66万程になるのは了承しておいてください」
「オッケー。じゃあ、こっちからも追加情報を一つ」
「追加情報?」
「今、綾小路先輩に七瀬さんがずっと張り付いてるみたいなの。しかも、本人から同行の許可を得てついて回っているって。一応、GPSサーチで確認したけど、二人とも同じエリアにいるし間違いない」
4日目には、実際にこの目で確認もした。
「成程、ここにいない宝泉くんは、次の手を虎視眈々と準備していたということですね」
「早い内にこっちも何か手を打たないとね。だから、出来れば八神くんがどんな手を使って先輩を退学させようとしているのか、参考までに聞かせて欲しいんだけど?」
「そうですね……」
答えない場合は最悪力づくで――と、考えていたが、意外にも八神くんは素直に答えようとしている。
むしろ、どこから話したものかと考えるような仕草を見せており、考えが纏まるとぽつぽつとその策について語り出した。
「僕たちの一つ前の世代で、2年Bクラスの堀北鈴音先輩のお兄さんである堀北学さんが生徒会長をしていたのは知っていますか?」
「……ううん。初耳」
「その頃、南雲先輩も生徒会で副会長をされていたようで、毎回のように堀北生徒会長に勝負を仕掛けていたそうです」
一体、何の話? 私たちの前の世代の先輩の話が清隆先輩の退学にどう繋がるの?
「この話を聞いた時、僕は共感を覚えました。実は、僕は綾小路先輩と同じ中学出身で、昔は南雲先輩のように綾小路先輩にずっと挑戦していたんです」
清隆先輩と同じ中学? 先輩はずっと変な施設で育って、普通の教育機関には行ったことがないはず。その先輩と知り合いってことは、まさか八神くんも例の施設出身ってこと?
「南雲先輩と関係が持てたのも、生徒会で堀北先輩からそのお話を聞いたからなんですよ」
「待って。南雲先輩と八神くんの関係は何となくわかった。でも、それだと矛盾する。君は昔からの知り合いを退学させようとしているってこと?」
「先輩は負ける気がしないんでしょうね。自分の首に2000万の賞金がかけられていることも知っていましたし、その上で僕にこう言ったんです。『この試験で、オレより上の順位が取れたら自主退学してやる』って」
「自主、退学……?」
「そうです。だから、僕は遠慮なく先輩に挑戦することにしました。なので、どんな手と言ってもそんな凄いことは考えていません。南雲先輩と協力して綾小路先輩を抑え込み、自分のグループで綾小路先輩以上の得点を得る。それがいわば作戦ですね」
嘘を付いているかどうかは調べればすぐにわかる。この場限りの嘘でこちらを騙そうとするなら、もっとリアリティのある嘘だってつけるはずだ。
つまり、これは本当のこと。
綾小路先輩――八神くんと知り合いで、そういう約束しているなら事前に言ってよ。いや、事前に知っていたら、ここまで驚けなかったし、その場合は八神くんに変な疑いをもたれるかもしれないから、これはこれで良かったんだけど。
「ですが、この条件が適応されるのは僕だけです。なので、こちらも聞かせて貰えますか? 椿さん……あなたがどんな風に、綾小路先輩を退学に追い込もうと考えているのかを」
ここに来て、八神くんのイメージがブレ始めた。
これまでは無害そうな顔をしつつ、上手く味方のフリをして近づきながら後ろから刺してくるような人間だと思っていたけど、今は汚れることを厭わなくなっている。
波田野くんを退学させた人間は、自分が汚れるのを極端に嫌うタイプだと推測していた。そして、基本的に善人を演じている八神くんはそのイメージに重なっていた。
でも、この試験が始まってから、八神くんは今までのデータとは違う動きを見せ始めている。自分を綺麗に見せることを止め、暗い部分も見せて相手に共感を覚えさせるという、これまでとは違う一面を見せてきた。
けど、これまでの状況や動きから見ても、八神くんが黒なのは変わらない。むしろ、彼がその能力を見せ始めたことで、疑いはより一層深くなっている。
予想外のイレギュラーで少し困惑させられたけど、本番はこれからだ。出来れば、彼にこちらを信用させて本心を打ち明けてくれるのが理想だが、私は警戒されているみたいだし、おそらくそこまでの信頼度を得ることは出来ないだろう。
やはり、一芝居打つしかないか。
結局、証拠を得るためには、八神くんの自供以外はまず有り得ない。そのためには八神くんの口が思わず開いてしまうような状況を作る必要がある。
綾小路先輩を狙うような作戦を取ろうと考えているのも、その状況を作るための一つ――宇都宮くんだけには話しておきたいけど、彼は嘘があまり上手くない。下手に作戦を伝えたら気付かれる可能性があった。
全てを成功させるためにも、本気で綾小路先輩を退学させるべく動き始める。全ては一瞬のことだ。その一瞬を逃さないように、慎重に動かなくては――
天沢SIDEは原作の七瀬シーンの天沢視点バージョン。椿SIDEも状況は原作通りながら、内心では八神の正体を探ろうとしているという、同じシチュエーションだけど中身が違うという感じ。
原作だと宇都宮&椿に脅される形で八神は桔梗のことをゲロる演技をするが、このSSでは桔梗が八神の駒になっていないのと、雪の存在によって椿が原作以上に思考能力が上がっているので無駄なことをしていない。