7日目――6時キッカリに目が覚め、身支度をしながら栄養食で軽い朝食を済ませていく。
七瀬もいつもはオレが起きるとすぐに動き出すのだが、今日はイベントがある日ということもあってか、ギリギリまでテントの中で静かに過ごしていた。
こちらはその間に今の順位を確認していく。
1位は相変わらず高円寺だ。単独グループにも関わらず206点と異常な点数を稼いでいる。
2位は桐山グループで173点。桐山も4日目に木更津のグループと合わせて7人の大グループを作って着実に得点を増やしているようだった。
3位は雪――正確には鈴音グループで169点。こちらも7人という数の利点を使い、この2日半で一気にランキング上位に名前を連ねてきている。
4位はオレで156点。課題を封じられている割に、かなり頑張っているがそれでも大分追いつかれつつあった。
5位は坂柳グループで152点。このグループは5日目の終わりに鬼頭グループと大グループを作ったようで、一時的に得点が減ったようだがそこから一気に登ってきている。
6位は八神のグループで149点。桐山に報告して南雲たち同様に、このグループは3年Aクラス以外には敵視されているので大グループが作れていないはずだが高順位につけていた。
7位は龍園グループで146点。4日目では4位につけていたが、他のグループが大グループを作り始めたせいもあってか、少し失速してきているように見える。
8位は3年Aクラスの殿河グループで145点。このグループはおそらく南雲と合流したいのだろうが、出来ずに南雲の近くをキープしている形だ。
9位は南雲グループで142点。桐山たちが上手く大グループの課題を封じているようで、まだ大グループが作れていないみたいだが、それでも食らいついてきている。
10位は桔梗グループで131点。ここ数日は何度か10位以下に落ちることもあったが、死ぬ気で10位をキープしていた。この調子ならワンチャンスあるかもしれない。
正直、4位から9位くらいまではほぼ僅差だ。大グループなら到着ボーナスを重ねるだけで逆転できるレベルで差がない。
わかりきってはいたが、やはり人数という点や、こちらの動きが制限されているという点が大きな差として圧し掛かってきていた。
「……おはようございます。綾小路先輩」
「ああ、おはよう。体調はどうだ? 疲労は残っているか?」
「え? あ、はい。ゆっくり休んだので、それは全く問題ありません」
ゆっくり休んだとは言っているが、目の下には薄く隈が出来ている。が、言葉や動きは確かに、昨日までとは違って回復した様子を見せていた。
七瀬が感じているのは、肉体的な疲労というより精神的な疲労の方が強いということだろう。今日起きるであろうことを考えれば、何となく察しはつくのでここはスルーしておく。
「今、上位の順位を確認していた。公表されてから今日まで健闘している1年生グループがあるな」
「宇都宮くんや八神くんのグループですね。1年生の中でも――はい、特に精鋭のグループだと思います」
少し言い淀むような仕草を見せたが、それは1年Dクラスのメンバーがこの中に入っていないからだろう。
八神のグループのメンバーは、1年Aクラスの高橋修、1年Bクラスの八神拓也、1年Cクラスの宇都宮陸という男子3人組で構成されている。1年Dクラスの七瀬としては、頑張りを素直に応援できなくても不思議はない。
「それにしても2年生は凄いですね。上位の半数以上を席巻していますし、AクラスからDクラスまで満遍なく上位10組に入っています」
原作と違って、上位の6組には2年生が食い込んでいた。3年で突出しているのは南雲たちのグループか、桐山のグループだけ。
勿論、上位10組に入っていないだけで、そのすぐ下にいるのだろうが、だからこそここまで対策して原作とそう変わらない結果を出している南雲の凄さがより際立つ。
「特に綾小路先輩は凄いです。単独なのにしっかり上位10組に入っているんですから」
「単独で凄いというなら高円寺の方が凄いだろう。得点も、オレ以上に稼いでいる」
「綾小路先輩だって、他学年の妨害がなければ同じくらい稼いでいたんじゃないですか?」
「どうかな? 実際、移動で一杯一杯な所はある。今の所は運よく着順報酬を貰えているが、この先も同じようにいくとは限らないしな」
「それにしては焦りを感じません。何か秘策でもあるんですか?」
「秘策という訳でもないが、もう試験も折り返しに来ている。ここまでは順調に得点を増やしてきていたが、他のグループだって疲労が溜まっているはずだ。着順報酬はグループ全員がエリアに到達しないと手に入らない以上、どうしたって失速する状況が増えてくる」
雪たちはそれを懸念して序盤を抑えめにして動いていた。逆に序盤から飛ばしてきた南雲や桐山、八神たちは、本人が平気でもそろそろ仲間の体力が厳しくなってくるはず――
「課題だって、その場所に行かないと受けることすらできないんだ。だが、指定エリアのスルーを続ければマイナスも加速する以上、基本行動を疎かには出来ない。必然的に得点力は下がる。それに期待しているって所だ」
「そうですね……無理をすればリタイアしてもおかしくありません。いえ、そろそろリタイア者が出て来てもおかしくはない」
と、ここで会話が切れた。いいタイミングということで、そろそろ行動を始めていく。
折り返しということで疲れが出てくる頃だが、同時に天候も怪しくなってきていた。空を見上げれば大きな雨雲が無人島全体を覆っており、今にも激しく降ってきそうに見える。
タブレットの中に入っている天気予報アプリで天候を確認した感じでは、原作通り数時間後には雨が降り出しそうだった。その前に、やることを全てやっておく必要があるのでゆっくりしている時間はない。
改めて、7時になり指定エリアが更新される。
やはり、原作通りに次はC3だった。すぐ傍と言って良いので、早い所動き始めていく。
また、同時に学校側から、『天候の状況次第では基本移動、課題を休止する可能性が出て参りました。定期的にタブレットを確認するようにしてください』というメッセージが届いた。原作通りであるなら、七瀬との戦いの後に試験は一時中断となるので急がなければならない。
「よし、行くか」
とりあえず、今できることはエリアに向かうこと――と、思って歩みを進めるが、七瀬が付いてきていなかった。
振り返ると、ボーっとした様子で立ち尽くしており、オレが動き出したことにも気付いていないように見える。こちらが名前を呼ぶと、ハッとしたように辺りをキョロキョロし、「すみません。今いきますっ」と、慌ててこちらに走ってきた。
敢えて、何も気にしていないフリをしつつ、そのまますぐにC3に入り、着順報酬の1位と到着ボーナスを頂いていく。
しかし、天候のせいもあってか、近場で課題が何も出ていなかった。まぁ、仮に出ていたとしても、1年生に独占されてしまっていただろうが、何もすることがないというのも退屈だ。
とはいえ、特に問題がある訳では無し、本番はこれからということでゆっくりと時間を潰していく。そして、午前9時を迎え、本日2度目の新しい指定エリアは、予定通りにランダム指定でE2となった。
「ここからの移動はちょっと考える必要がありますね」
E2は今までに比べれば比較的近いランダムなので、出来れば行きたいと考えるのが普通だ。
目的地を最短で目指すならD2、D3と山を越えて最短を目指すのが一番いい。しかし、天候がそろそろ限界だった。もういつ雨が降ってもおかしくない上、そんな状況の山道を進むのは自殺行為とも言える蛮行だ。
「どうしますか?」
「迂回してE2を目指すのが無難だろう。状況次第では諦めたっていい」
と、考えるのが普通だが、それで困るのは七瀬だった。ここでオレとの関係にとりあえずの決着をつけたい七瀬としては、予定通りオレをD3に誘導したいはずだ。
「私としては、山越えを選択したいです」
「雨の降り方次第で足元が崩れる可能性もある。かなり危険だぞ?」
「ライバルの多くが天候を見越して迂回すると思います。しかし、だからこそここで1位の得点を重ねておくべきではないでしょうか? 振り出す前に走破しましょう」
ここ数日の間、七瀬はこちらの方針に疑問を抱くことはあっても、オレに意見することはなかった。しかし、ここでは今までの態度が一変して自分の都合を押し付けてきている。
仮に、ここにいるのがオレじゃなくても違和感を覚えただろう。だが、七瀬はそんな違和感を与えた上で、オレとの関係を一歩深いものにしたいと考えている。無理を押しても、オレを山に連れて行きたいのだ。
「確かに一理ある……が……」
勿論、断るのは簡単だった。
しかし、ここまでずっと七瀬と一緒に居たのは今日このためと言って良い。本心では二つ返事でOKしたい所――だが、ここはあくまで表情は渋面を作りながらも、今一度七瀬に危険さを確認していく。
「宝泉や天沢がE2に来るとは限らない。それでも行くのか?」
「はい。先輩がいかないのであれば、私一人でも行きます」
これまでの状況から、オレが自分を見捨てないと判断して、七瀬は自分自身を人質に取ってきた。
こうなれば、こちらはお手上げだ。おそらく、七瀬もオレが断るとは思っていない。昨日の山越えで手を差し伸べた時点で、今日こうなることは決まっていたのだ。
「わかった。七瀬がそう言うなら、山を越えて行こう」
「ありがとうございます」
別に礼を言われることではなかった。むしろ、お礼を言いたいのはオレだ。よく、ここまで連れてきてくれたな。
と、内心の悦びを欠片も表情には出さずに早速山道を進んでいく。傾斜のきつい道に入ると、風が強くなり、もういつ雨が降ってもおかしくない状況になってくる。
七瀬の様子を確認しながら、何とか山を登っていく。途中、周囲は雲が日にかかって薄暗くなり視界もかなり悪くなったが、それでも何とか険しい斜面を登り切った。
D3北部。山の頂上でもあるこの場所は、誰でも来られる場所ではない。この天候でこんな場所にいるのは、おそらくオレと七瀬だけだろう。
そして、こここそがオレと七瀬の目的の場所だった。途中で山を登るために預かっていた七瀬のバックを返しながらも、七瀬の様子を伺っていく。
荷物を受け取った七瀬は、それを背負うでもなくジッと見つめているだけだった。そんな七瀬をジッと見ながら、こちらも体を向こう側へと向ける。
本来であれば、すぐにでも次のエリアに向かって動き出さなければいけない場面だ。着順報酬的な面や、もうすぐにでも崩れそうな天候的な面でも、それが当然の動きと言って良い。
だが、オレと七瀬にとっての最善の動きは、ここで立ち止まることだった。七瀬もオレが自分の方を向いているとわかると、ゆっくりと顔を上げて目を合わせてくる。
「綾小路先輩。先輩に一つ、聞かせて欲しいことがあります」
「今日は朝からずっと、何か考えているような顔をしていたな。オレに答えられることなら答える。何でも聞いてくれ」
「その前に、一つ謝らせてください。今日、先輩は次の指定エリアであるE2に辿り着くことはありません」
「それはおかしな話だな。オレたちは急いでそこに向かっている途中だったはずだが?」
「私が山越えを希望したのは、先輩をこの場所に導くためでした」
先程も思ったが、今ここにいるのはオレたちだけだろう。この誰も居ない場所こそが、七瀬の望んだバトルフィールドだった。
ふと、オレに背を向けて、七瀬がバックパックを傍にある大きな木に立てかけていく。そのまま荷物から離れると、ゆっくりこちらに戻ってきた。
「私がこの数日間、ずっと先輩の傍についていたのには理由があります」
そう、七瀬が目を閉じて話し始める。
「今日を入れて6日間、綾小路先輩の傍でいろいろと見させて頂きました。先輩はこの学校でたくさんの友達を作り、多くの信頼関係を得て、そして自身の実力を遺憾なく発揮されている。その能力の高さには敬意を表すレベルです」
「そこまで凄いことはしていないと思うがな」
「だとしたら、それはもっと凄いことだと私は思います」
こちらを称賛する七瀬だが、これまでと違ってその表情には一切の笑みが浮かんでいなかった。ただ、事実を淡々と述べているだけ――そんな印象を感じさせる。
「ですが、綾小路先輩。あなたはこの学校にいるべき人ではありません」
「いるべきじゃない、ね。いいのか、そんなことを言ってしまって、また雪辺りにきつい目に合わされるぞ」
「前回と違って、今回は私自身の確信があります。何故なら、あなたはホワイトルームの人間だからです」
遂に、七瀬から決定的な言葉が飛び出した。『ホワイトルーム』という言葉の意味――それを知る人間は極めて限られている。
普通なら、月城がオレに向かわせた刺客だと即断してもいいくらいだが、当然ながらオレは原作知識を持っているのでそうでないことを知っていた。むしろ、ただの刺客なら簡単だったものを、そうでないからここまで面倒なことになっているのだ。
「もうお察しのことだと思いますが、私は月城理事長代理に命じられ、この学校に入学して来ました。そして、その命令の内容は――綾小路先輩を退学させること」
もうお察しのことだが、七瀬は月城に命じられてこの学校に入学してきた。その命令の内容は――綾小路先輩、つまりオレを退学から守ること。
まぁ、正確には護衛兼監視というのが正しく、主な任務は監視の方なのだが。
「この数日、どこでも仕掛けることは出来たはずだが、敢えてこの場所を選んだのは? 人目を避ける以外にも理由があるんだろう?」
とはいえ、今、七瀬は本気でオレのことを退学にしようと考えている。それは間違いなかった。
松雄栄一郎が親父殿のせいで自殺をしたのは間違いなく、そのことについて七瀬はオレに逆恨みに等しい怒りを抱いている。
「ここで私が綾小路先輩を倒して負傷させ、緊急アラートを作動させます。そして、到着した先生によってリタイアを命じられ退学になる――そういう流れです」
しかし、ここ数か月の付き合いで、オレが悪人ではないことは七瀬も理解しているはずだ。だからこそ今日ここで七瀬を倒すことで、七瀬の気持ちを変化させてオレの味方にする。
この手順を踏まないと面倒な状況になってしまうため、天沢のように普通の刺客として対処できなかった。そうでなければ、力づくで差をわからせてとっくにTレックスをぶつけている。
原作でもそうだったが、中盤ではこちらの味方になりながらも、最初と最後は敵という妙な立ち位置にいるせいで、オレは今まで無理やり七瀬に手を出すことが出来なかった。
何せ、無理やり手を出せば逆に恨みを買いかねない。結局、七瀬をオレの味方にしつつ、美味しく頂くためには今から行われる八つ当たりを受け入れる以外になかったのだ。
「要は、小宮たちと同じ手法ということか。疑いたくはないが、あの二人のリタイアは七瀬が?」
「さぁ……どう思いますか?」
「とてもあの短時間で往復できたとは思えないが、ホワイトルーム生なら出来る可能性はなくはないかもな」
まぁ、犯人は天沢なので、七瀬ではないのだが。
「もし仮に、オレがお前にやられたとして、そのことを駆け付けた教員に伝えたらどうなる?」
「弁明することは出来ないと思います。何故なら、ここに向かってくるのは月城理事長代理と決まっているからです」
「成程な。つまり、ここでの敗北はイコール退学という訳か」
「いえ、勝利でも退学です。卑怯と取られるかもしれませんが、私に大きな怪我があれば、その時点で綾小路先輩が犯人となりリタイアとなります」
七瀬は確かに年齢の割に能力が高い方ではあるが、ホワイトルーム生ほどではない。
オレが本気で戦えばまず傷つけてしまうだろう。原作同様、物理的な解決手段では勝っても負けてもオレの敗北となる。対処のためには原作通り、精神的、体力的に屈服させる必要があった。
「先輩が取れる手段があるとすれば、荷物を捨てて逃げることだけです」
「荷物無しで試験を続けるのは自殺行為だ。その選択はないな」
「では、どうしますか?」
「こうなってしまった以上、ここでオレが取れる選択など一つしかないさ」
結局、ここで戦わないと七瀬イベントを進めることは出来ない。
「私と戦い倒すということですね。ですが、先ほども言った通り、私の負けは綾小路先輩の負けでもあります」
「そうだな。さて、どうしたものか……」
と、腕を組んで考える素振りを見せる。だが、ここから先は原作と同じことをするだけだった。
表向きは七瀬の攻撃を全て捌き、自分の攻撃はオレには通じないとわからせつつ、攻撃を透かして体力を削って精神的にも肉体的にも動けなくさせていく。
しばらくすると、七瀬は松雄栄一郎が憑依したと言い張ってオレを襲ってくるが、その矛盾をオレが突いて精神的に追い込まれた七瀬が白旗を上げる――というのが、原作のシナリオだ。
また、原作では、八神に操られた桔梗がここでの戦闘を記録させられに来て、自主的に排除に動いた天沢に妨害される一幕があるが、当然ながら桔梗は八神に操られてなどいないのでそんなイベントは起こりえない。
勿論、この世界の八神が似たような手段を取ってくる可能性はある。が、そのために天沢に命令して、この周囲を掃除するように言ってあった。
あいつにはオレの傍にいるように命令しているので、当然ながらここまで付いてきているはずだ。むしろ、付いて来ていなければ話にならない。
と、いう訳で、後顧の憂いはなかった。後はさっさと七瀬に降参して貰うだけだ。
内心では、このお遊戯会早く終わらないかなぁ――と、思いながらも、繰り出される七瀬の攻撃をずっと回避しては、攻撃を寸止めするというのを、ひたすら繰り返していく。
いろいろな攻撃を仕掛けて、改めてオレの実力を再確認していた七瀬だったが、このまま様子を見ていても時間の無駄だと判断したようで、ようやく舞台が先に進行していった。
「確かに、このまま戦っても適う相手ではなさそうです。『私』では、勝てないでしょうね」
七瀬が精神を集中させると同時に気配が変化していく。ここからイベントが進行し、七瀬が自己暗示によって自分を松尾栄一郎だと自称してくる。
ここからが、真のお遊戯会の始まりだった。
「『ボク』がここで、あなたを止める」
そう言って、再び七瀬が動き出す。今までとは段違いの速度で放たれる一撃は、先ほどよりも二回りは早い。
また、先ほどまでの柔道主体での攻撃から空手のような打撃主体の攻撃へとシフトしてきた。踏み込んで繰り出す突きは、仮に相手が宝泉であっても通用するレベルの威力となってこちらを襲ってくる。
しかし、何よりの違いは目だった。
焦りや動揺といった感情が消え、オレを射殺すような鋭い眼光がこちらに向けられてくる。ここ数日間の七瀬の笑みからは想像もできないような強い視線――一見、とても同じ人物には思えないくらいの変化だった。本当に演技派な女である。
「ボクは、あなたを止めるために、あの場所からここに戻ってきたんです」
「あの場所?」
「そう、あの場所から……戻ってきたんだ」
もはや、独り言だった。何を言っているかはサッパリ理解できないが、攻撃の速度や威力は先程よりも上がったため、油断すると致命的なダメージを負わされかねない。
とはいえ、そこまで慌てることでもなかった。
いくら強くなったと言っても元が元だ。結局、ホワイトルーム生以下の動きでは、オレに傷一つ付けられない。それは、宝泉とオレの戦いを見ていた七瀬自身が良くわかっているだろう。
「いつまで避け続けられますかっ!」
正直、いつまでもだ。この程度の攻撃は通じない――七瀬自身、何となくそれは理解しているはずだが、納得できるまで攻撃するつもりのようで止まらない。
ならばこちらも、お前程度では相手にならないというのを証明するように、どんな攻撃もひたすらに受け流すか回避し続けていった。それに比例するように、七瀬の息が少しずつ上がり始める。
仮に本当に人格が変化したとしても、それで七瀬自身の体力が大きく変化する訳ではない。むしろ、攻撃の威力や速度を上げるために無理をすれば、逆に体力はどんどん削られていく。
「ふぅ、っ……はぁ、はぁ……はぁ……っ」
想定通りに七瀬が呼吸を乱し始め、思わず距離を取った。追撃はしない。何度でも同じことを繰り返して、七瀬を精神的にも体力的にも追い詰めていく。
「ボクは絶対にあなたを倒す……ボクはあなたを倒すために戻ってきたんです……」
「戻ってきた? 何の話だ?」
「わからないですよね。無理もありません、ボクはあなたとの直接の面識はないんですから」
「知らない相手にそこまで恨まれる理由はないんだが?」
「いえ、あなたはボクを知っている……ボクは、今ここに立っているのは、松雄栄一郎だ」
そう叫んで、七瀬がこちらに再び突っ込んできた。だが、その攻撃が直撃することはなく、ギリギリで前髪を掠るに留まる。
「松雄栄一郎だと?」
「ええ。あなたの父親に殺された男の息子ですよ」
「それは知っている。その松雄がお前と何の関係がある?」
「この体は借り物です。ボクはあなたを倒すために、今目の前にいる」
「借り物? 面白い冗談だな。人間の体はそんな簡単なものじゃない」
そんな簡単に人間の体に他人が憑依できるなら、俺だって消えずに残っていただろう。
「冗談だと思うなら、どうぞご自由に」
「そうだな。冗談だとしか思えない。少なくともオレの知っている松雄栄一郎はそんな人間じゃなかった」
「なに?」
ここで、七瀬に揺さぶりをかけていく。
いくら七瀬であっても松尾栄一郎の一から十の全てを知っていた訳ではないだろう。もしそこまで深い関係だったならば、そもそも松雄栄一郎の自殺に気付けなかったはずがない。
「何を、言っている? ボクはあなたに会ったことなんか……」
「オレはこの学校に入学するまで、松雄の屋敷に預けられていた。当然、松雄の息子である松雄栄一郎にも会ったことがある」
嘘だ。松雄の屋敷は執事である松雄と数人の世話人以外誰もいなかったし、オレは殆ど放任という感じで好き勝手に過ごしていた。
だが、七瀬がそれを知っているはずがない。知っているのはもう既にこの世にいないとされている執事の松雄だけだ。親父殿だってオレがどう過ごしていたかなど気にはしなかっただろう。
あの男はオレが素直に松雄の屋敷で普通に過ごしていたと思っている。一々、その日のいつに何をしていたかなど詳しく確認などしない。
いや、仮にあの男がそれを知っていたとしても、それを七瀬が知ることなど出来なかった。何せ、七瀬は直接親父殿と繋がっている訳ではない――だからこそ、もしかしたら会っていても不思議ではない。そんな疑問が七瀬の心を揺らしてもおかしくないものとなる。
「嘘だ!」
「嘘だと思うなら、その時点でお前は松尾栄一郎じゃない」
「ボクを揺さぶろうとしても無駄だ。ボクはあなたなんか知らない」
「だから、その時点でお前は自称松雄を名乗る七瀬に過ぎなくなったと言っている。本当の松尾栄一郎なら、オレと会ったことを覚えているはずだ。一度切りだがしっかりと挨拶を交わしている。オレとお前の記憶に齟齬がある時点で、お前とオレの知る松雄は別人だ」
と、ハッキリ言い切ると、ここで七瀬もあからさまな動揺を見せた。もし本当に七瀬が自分を松雄だと信じているのであれば、こちらの言うことなど全て鼻で笑えばいい。にもかかわらず、先程とは打って変わって、あからさまに狼狽した雰囲気を見せた。
「あなたなんか知らない! ボクはあなたを倒すためにここにいる……いるんだ!」
「その、あなたという言い方も松雄らしくないな。あいつはオレを呼ぶ時に使った言葉はキミだった」
「そんなはずはない! ボクは他人を呼ぶ時はずっとあなたと呼んでいた!」
「呼んでいた? 呼んでいる――の間違いだろう。お前が松尾本人なら、いたなんて過去形は使わない。それに七瀬、お前の知る松雄の情報が全てとは限らないんじゃないか?」
実際に、松雄栄一郎が相手をあなたと呼んでいるか、キミと呼んでいるかなどオレは知らない。
しかし、相手によって呼び方を変えるなんて普通のことだ。だからこそ、七瀬はどんどんオレの嘘に飲まれて自分を見失いつつある。
「黙れ! ボクは、ボクは松雄栄一郎だ! あなたに報いを与えるためにここにいる!」
と、七瀬が吠えて遮二無二突っ込んできた。しかし、いい加減攻撃体力もかなり削られてきたはずだ。
荒い息を吐きながら攻撃を続ける七瀬をあしらっていく。向こうも、攻撃が無駄なのはわかってきているはずだ。しかし、まだ自分の心に折り合いが付けられないから攻撃を続けざるを得ない。結果的に、こちらの望み通りに体力を消耗してくれる。
「ここまで攻撃を避けられたのは初めてです……でもいつまでもそんなことが続くはずがない。ボクなら、あなたを必ず倒すことが出来る……出来るんだっ!」
こちらの想定通りに体力を削ってくれた七瀬が、そう叫びながら突っ込んできた。
しかし、動きも見るも無残としか言いようがないくらいに遅くなってきている。心意気とは別に、もう七瀬自身の限界が近い証拠だった――このお遊戯会もそろそろ閉幕だ。
「ずっと思っていたんだが、お前が松雄だというなら何故オレに敬語を使っている? オレと松雄は同学年だぞ? 実際、オレと会話した時の松雄は丁寧に話してはいたが敬語は使っていなかった」
「もうあなたの妄言は聞き飽きた! ボクを否定するなら、好きにするといい! でも、ボクはここに存在する!」
「存在する? いや、一つの体に二つの人格があるならわかるが、実在する松雄栄一郎が乗り移ったなんてことはまず有り得ない」
七瀬。お前は知らないかもしれないが、人間の体に入っていられる魂は一つが限界なんだ。
多重人格は結局一人の人間が意識を複数持っているだけだから、存在している魂は一つだけに過ぎない。しかし、複数の魂が体に宿る場合は、意思の弱い方が弾かれる。
――俺がそうだったように。
と、言うより、原作でも松雄栄一郎は植物状態ではあるが生きていた。故に、死んだ松雄栄一郎が七瀬に憑依しているというのは、そういう意味でも有り得ない。
まぁ、七瀬はオレが、松尾栄一郎が生きているということを知らないと思っているのだろうが、原作知識のあるオレからすれば今の七瀬は滑稽にしか映らなかった。
「だったら……このボクをどう説明するんだ!?」
「単純に心の中でもう一つの人格を作っているに過ぎない。ご丁寧に『私』と『ボク』で一人称を使い分けているのも、自分に言い聞かせるためだ。自己暗示の一種だな」
「なら、この力をどう説明するっ! これが、何よりボクがボクである証明だ!」
「それも、元々七瀬の持っていた実力の範囲内で振れ幅を作っているに過ぎない。いい加減、お遊戯会はやめにしよう……鏡を見れば、お前がもう自分で自分のことすら信じ切れていないのがわかるはずだ」
「違うっ! 違う……うわあああああっ!!」
体力切れで動きのキレも失った七瀬がこちらに飛び掛かってくる。もうオレの言葉に耐えきるだけの精神の余裕もないのだろう。
息を切らしながら繰り出されえる大ぶりの攻撃を避けるも、無理やり距離を詰めて胸倉を掴まれた。が、追撃の攻撃を、胸倉を掴まされたまま回避すると、流石の七瀬も苦し気な表情を見せる。
そのまま、髪を掴もうとしてきたので、強引に腕を引きはがして距離を取っていく。そして、再び同じことを何度も続ける。もう何度目かも忘れるくらい繰り出された拳がまたもや空を切った。
「ッ! なんで! なんで当たらない! 当たらないんだ!?」
「攻撃を繰り返せばいつか当たる。そう思ったことがそもそもの間違いだ。お前程度の実力では死ぬまで攻撃を繰り返しても、オレに命中することはない」
勿論、ハッタリだ。流石に死ぬまで続ければ一度くらいは当たるだろう。しかし、これまで一度も攻撃を命中させられていない七瀬には、本当のことのように聞こえるはずだ。
「もし本当にオレを退学させたいのであれば、今ここで襲われた被害者のフリをするのが一番いい。着衣に乱れがあればそれだけでも追い詰められるだろう」
まぁ、そんな時のために天沢には目撃者として待機して貰っているので、そんなことにはなり得ないんだけどな。
「ボクは……ボクはっ……!!」
まだ戦う意思はあるようだが、心と体が付いていかないようで、七瀬がその場に膝から崩れ落ちる。これでようやく面倒事が終わった。
ここから先はオレのターンだ。
まずは、七瀬をこちら側につけるためにも、ずっと待機してくれていた天沢に舞台に上がって貰うとしよう。七瀬が顔を伏せたのと同時に、腕を軽く上げて天沢にこちらに来るように指示する。
これでもう少しすれば、遠くからこちらの様子を伺っていた天沢がこちらに来るはずだ。
七瀬をオレの味方にするためには、どうしてもここで天沢と接触してオレを守ろうと動かす必要がある。まぁ、これもお遊戯だが、これまでずっと向こうのお遊戯会に付き合っていたのだ。今度はこちらに付き合ってくれてもいいだろう。
原作との変化点。
・七瀬VS清隆。
アニメは凄い迫力だったので、詳しいシーンを見たい場合はアニメをどうぞ。内容は特に変わらずお遊戯会を進めている。
・松雄栄一郎についての嘘。
会ったことないけど原作知識で知っているのでそれっぽい嘘をついて動揺を誘った。事実、七瀬側に確認のすべがない以上、否定しようとしまいと七瀬の言い分を封殺できる。
・魂について。
清隆独自の解釈。もし、七瀬の理論が正しかったら、王様ともう一人の僕みたいに、身体を交代交代で使う清隆も存在したかもしれない。
・七瀬の攻略について。
このSS更新が2年もかかった元凶の七瀬。そもそも何が問題かと言うと、何故彼女が清隆を狙うのかが最近まで判明していなかった点。それがわからないと、屈服させようがないためずっと七瀬を上手く動かすことが出来なかった。
しかし、最近それもようやく判明し、清隆がこのまま卒業すれば第二の綾小路篤臣になりかねないと危惧した七瀬が、会心のために敵対を選んだということが判明。まだ本当かどうかの確証はないが、本当だと信じてこのSSは進めている。
七瀬攻略の手順については、まずは清隆自身が悪党ではないことを証明しつつ、その実力を遺憾なく七瀬に見せつけ好感度を稼ぐのが第一段階。いつものように無理やり食べると、七瀬が清隆を悪と断ずる危険があるため手が出せなかった。
そのため、第二段階ではまず七瀬の逆恨みを晴らすことに重点を置き、無人島試験の先頭までは手を出さずに好感度を稼ぐだけに終えている。ここで重要なのは、七瀬に罪悪感を覚えさせること。自分が悪いことをした、間違えたと思わせることで、その罪悪感に付け込んで美味しく頂く予定でいる。第三段階以降は次話以降のお楽しみ。
今話の登場人物一覧。
・綾小路清隆
七瀬の攻撃を全て受け流して終えた。ここからがようやく本番と、Tレックスも準備を始めている。
・七瀬翼
原作以上に追い込まれ、精神的にも肉体的にもくたくたになっている。後のことを考えると抵抗されない方が有難いのでわざと原作以上に追い込んだ。