昔掲示板で書いたものを加筆修正したものです。
初めてその違和感に気づいたのは、ある日、カフェのところに押しかけた時だった。
「カフェ~、ついさっきこの栄養補給薬が完成したのだがねぇ。塩分からウマムスコンドリアまで幅広い成分を配合した優れもので、飲むとたちまち元気満タン!……そして強いウマ娘がこの薬を飲んだ時の症状を計測したく……ちょぉーっと付き合ってもらってもーー」
「帰ってください」
一言、そう断られる。
ふむ、やはり駄目か。
まあ別に断られるのはいつものことなのでそこまで気にはしないが。
しかし、今日のカフェはいつもよりも刺々しいというかなんというか……。
「早く、どこかに行ってください」
「え~、全く、しょうがないな。それじゃ、私は別の実験を続けるとするねぇ」
「……」
返事がない。
いつものように続けて軽口をたたこうとして、やめる。
今日のカフェからは、私のことを心の底から邪魔に思う気持ちが感じられた。
普段なら私の実験に対し迷惑そうな顔はするものの、私自身のことを拒絶するなだということはなかったのだが。
特別機嫌が悪い日なのかもしれない。
なら、出直すしかないか。
そう思い、私は実験に集中することにした。
その日は、午後のトレーニングの予定は入っていなかった。
そのため時間を気にせず実験を続けていたところ、気づくと窓の外はすでに薄暗くなっていた。
慌てて時計を確認すると、寮の門限まではまだ時間があった。
一安心したところで、今日はまだ夕食を摂っていないことに気づく。
いつもならトレーナー君が弁当やら何やらを持ってきて食べさせてくれるのだが、今日は来なかった。
そのことに少し不満を覚えつつ、そういえば今日はトレーナー君とまだ話していなかったな、と思い出す。
そこで、メッセージを送ることにした。
『やあトレーナー君、今日は私に夕食を食べさせに来なかったじゃないか。そんなんじゃモルモット失格だよ』
少し待つと、メッセージに既読が付く。そして、返事が返ってきた。
『ああ、ごめん』
そっけない一言。いつもならもっと必死に謝ってきてもおかしくない筈なのに。
『どうしたんだい?何か用事でもあったのかな?』
『いや、ごめん。忘れてたよ』
忘れていた?
いや、私のトレーナー君に限って、そんなことあるわけがない。
私のことを『忘れていた』なんてことが。
『忘れていた、とは失礼だねぇ。君は、私のことを忘れるような人間だったのかい?』
少しの、いやかなりの怒りを込めて、メッセージを送る。すると
『ああ、それじゃあ、仕事が忙しいから』
なんだそれは。
そんなこと、言うはずがないだろう。
その後もメッセージを送り続けたが、既読が付くだけで、返事は一向に返ってこなかった。
最後には、既読すら付かなくなってしまった。
カフェもトレーナー君も、何かがおかしい。
明日、トレーナー君には実際に会って話をする必要がありそうだ。
そう思い、ひとまずは眠りについた。
次の日の朝、起きるとすでにデジタル君はいなくなっていた。
まあそれも当然だろう。
なにせ私が起きたのは授業開始5分前であったのだ。
遅刻確定だな、と心の中で思う。
まあこれでも無断欠席を続けていたあの頃と比べるとだいぶマシにはなったのだが。
というかデジタル君、私のことを起こしてから登校して欲しかったねぇ、なんて一人ごちながら。着替え、朝の支度をし。
寮を出て、学校に向かう。
校門の前に着く。
そして、ここでもまた違和感を感じる。
いつものように遅刻した生徒たちがたづなさんのいやに圧を感じる挨拶を背に受けながら校舎の方へと向かっていくのだが、私への声掛けの時は一言。
「アグネスタキオンさん、おはようございます」
一見、他の生徒に対する挨拶とは異ならない。
しかし、他の生徒に対しては向けていた圧を感じない。
そしてその目からは、まるで私のことを憎み、拒絶するような、まるで生徒に向けてはいけないような視線が感じられた気がしたーー
いや、気のせいか。
毎日笑顔で仕事をこなしているたづなさんが、そんな視線を生徒に向けるわけがない。
毎日ハードすぎるくらいの量の仕事をこなしているたづなさんだから、彼女にだって疲れを見せるときくらいあるのだろう。
先程感じた視線は恐らく、日々の疲れによってつい出てしまったような、ただの疲労によって作られたもの。
そう、結論付ける。
しかしカフェにしろトレーナー君にしろたづなさんにしろ、最近は機嫌の悪い者が多い。
なにか共通する理由でもあるのだろうか。
……低気圧?
そんなくだらないことを考えながら、私は教室へと向かった。
教室に入り、自分の席に着く。
そしてバッグを開いて、中から例のモノを取り出す。
「やあやあジャングルポケットくーん!君のことを見込んで少し頼みがあるのだが……そう、少し実験に付き合ってくれるだけでいいんだ。ほら、この薬。これは新しく作った栄養剤でねぇ。これを飲んでくれる協力者を探していたんだ。どうだい?これをグイっと飲んでくれるだけで……」
「悪い、パスで」
また断られてしまった。
「それじゃあ、ダンツ君はどうだい?なんとこの薬、飲むだけでーー」
「えっと、その……すみません、それじゃ」
こちらも駄目なようだ。
しかしポッケ君にしろダンツ君にしろ簡単に断りすぎじゃないかい?
少しくらいは考えてくれても……いや、やはり色か、色なのか!?
この七色に光り輝くゲーミングカラーのせいなのか!?
ふむ、色に関しては要件等だな。
昼休みになって、まずはカフェに会いに行くことにした。
カフェは昼休みはいつも、私の実験室でコーヒーを飲む。まあ部屋の半分はカフェの自室だが。
扉を開くと、やはり、いた。
漆黒の髪を持つ彼女が、コーヒーを飲んでいる。
「やあやあカフェ、昨日は随分と不愛想だったじゃないか。私たちは同じ部屋を共有しあう仲だろう?全く、一体どうしたとー」
そう言い終わる前に、カフェは椅子から立ち上がると、私の横を無言のまま通り過ぎて行ってしまった。
私に対する嫌悪感を、全身に漂わせながら。
「カ、フェ……?」
思わず、口から零れ出た言葉。
しかしその言葉に足を止めることなく、カフェは部屋を出て廊下を曲がり、あっという間に見えなくなってしまった。
おかしい。昨日に引き続き、今日のカフェも明らかに様子がおかしい。
それに、昨日のメッセージでのトレーナー君も明らかにおかしかった。
一体、どうしたというのか。
それに、思い出せば今日の授業中もクラスメイトから避けられているような気もした。
明らかに変だ。
早く、トレーナー君のところに確認に行かなければ。
廊下をぎりぎり走らない程度の速さで早歩きしながら、トレーナー室へと急ぐ。
トレーナー室の扉が見え、そして勢いよく開ける。
「やあやあトレーナー君、昨日は君のせいで夕食が食べられずにお腹を空かせていたんだよ?全く、私のことを忘れていたなんて、トレーナー失格だねぇ」
「……ああ、何の用だい?今日のトレーニングメニューなら、送っておいたから。用がないなら、帰ってくれ」
……?
一体、彼は何を言っているんだろう。
私の知っているトレーナー君は、そんなことは決して言わない。
「ぇ、と、とれーなー、くん?」
でも、どうしてだろうか。
私の目は、耳は、彼の姿は紛れもなくトレーナー君で、聞こえる声は間違いなくトレーナー君のものだと私の頭に訴えてくる。
かろうじてひねり出したような私の言葉に、一言。
「それじゃ」
それからは、よく覚えていない。
どうにかしてトレーナー室を出たのか、私の足はグラウンドへと向かっていた。
それから送られてきたトレーニングメニューを見て、トレーニングをこなす。
いつも通りのトレーニング。
でも今日は、つい一昨日まではうざったいくらいに私の横でトレーニングを応援してくれていたトレーナー君の姿がない。
応援だけでなく、私の足の状態の確認や、細かいトレーニングメニューの調整までしてくれていた彼の姿が。
気づいたらいつの間にか夕方になっていて、トレーニングをすべてこなし終わっていた。
それから何を食べたのか、風呂に入ったのかも覚えていないが、気づくと寮の自室の前にいた。
ああ、そういえば同室のデジタル君ともここ二日間話していない。
彼女ならばあるいは、そう思い、ドアを開け、話しかけようとする。
しかし、彼女はベッドで寝ていた。
だが、彼女は恐らく、私が帰ってきたのに気づいて、急いでベッドに入ったのだろう。
その痕跡が見えたし、彼女の寝息は、寝たふりをするために息を殺しているかのように聞こえた。
「はは、全く、君もか……」
思わず声に出してしまう。
本当は聞こえていたかもしれない彼女はこの言葉にこたえることはなく、静寂だけが部屋に残った。
それからの日々は、本当に、どうしようもないくらいにつらかった。
クラスメイトに避けられ、同室のデジタル君に無視され、カフェに拒絶され、そして。
そして何より……トレーナー君が、トレーナー君が私のことを……。
そして、今になってやっと気づく。
ああ、私はカフェに、トレーナー君に、今まで甘えすぎて、依存しきっていたことを。
はは、滑稽な話だ。
ウマ娘の限界のために全てをかけていたつもりだったのに、いつの間にかそれよりも大事なものができてしまっていたなんて。
なら、それなら。
もう、大事なものは分かったから。
だから、どうかこれは悪い夢であって、次の日には全て元通りになってくれればいいのに。
なんて思っても、事態は変わらず。
みんなが変わってしまってから二日が経ち、三日たち、五日が経って、そして一週間がたっても。
何も、元には戻らなかった。
私の研究室に、カフェはもういない。昼休みも、放課後も。
彼女はコーヒーセットだけをどこかに持ち出して、部屋に戻ってくることはなかった。
デジタル君は、あれから私が部屋にいるときはずっとベッドにもぐったままでいた。
何日か、寮の別の部屋に抜け出していったこともあった。
そして、トレーナー君は毎日、毎日、同じトレーニングメニューを渡してくるだけ。
どれも基礎的なものばかりで、昔の私専用に細かい調整が入っていたメニューとは程遠い。
当然、私に食事の差し入れを持ってくることはなくなった。
それどころか、もう直接会って話をしたことすらあれっきりだ。
はは、そうか。
もう、全部、元には戻らないのか。
そう理解した瞬間、私は強烈なめまいに襲われたような気がした。
そしていつの間にか自室のベッドで寝ていて、起きた時には朝を迎えていた。
一人で歩き、授業に出る。
今までは教室までの道のりで知り合いに会って話をしたりしていたが、この一週間で私に話しかける者はいなくなった。
何故か?
分からない。何も分からない。
どうして急に誰も私に話しかけなくなったのか。
昔なら他人に干渉されずに実験が行えると喜んだかもしれない。
だが、この一週間で得られた実験の成果はゼロ。
とても実験に手を付けられるような精神状況ではなかった。
そうして、私は一人歩き自分の席に向かうーー
「おい、タキオン」
目の前に、人が立っていた。
「その、よ。ここ一週間、その…避けるようなマネして、悪かった」
ポッケ君、だ。
「えっと……うん、ちゃんと謝らなきゃな。マジでゴメン!」
「……」
言葉が、出ない。
本当に、本当に久しぶりの会話。
思うように言葉が紡げない。
そして、それだけではない。
この胸にあふれる思いはーー
「ぽ、ポッケくぅーん!!!!」
「うわっ、ちょっタキオンお前、急に抱き着いてくんなって!おい離れろ、はーなーれーろ!」
「えっと、その…私からも、本当にごめんね」
「あぁ、ダンツ君……」
「謝って許してもらえるかは分からないけど…ううん、それでも。タキオンちゃん、本当に、本当にごめん!」
そう言って深く頭を下げるダンツ君。
「いや、もう、いいよ。頭を上げてくれよ」
「そのよ。タキオン、こんなのは言い訳にしかならねぇと思うんだがよ。一週間前、急にタキオンのことが憎くて憎くてたまんなくなっちまって……
それが、今日の朝になったらきれいさっぱり消えててよ」
「うん、私もそうだった。なんでか分かんないけど、急にタキオンちゃんのことが、その……嫌いに、なっちゃって」
「ああ、そうか。実はカフェも、デジタル君も、そして私のトレーナー君も。一週間前から急に私のことを避けるようになってね。はは、会話すらこれがほぼ一週間ぶりさ」
「えぇ!?それはその……だ、大丈夫だったのか?」
「はは、大丈夫なわけがなかっただろう。そのせいで実験にも何もやる気が起きないし、トレーニングも基礎的なものしかできなかったぞ」
「あー、その……それはマジでゴメンって……」
「はあ、私の傷ついた心を癒せるものは……そうだねぇ、君達みたいな優秀なウマ娘の実験データしかないねぇ」
「……ふん、まあ今回はしょうがねーか。今度のトレーニングの時、データは取らせてやるよ」
「あ、それなら私も協力するよ!」
はは、どうしてだろう。
二人の優秀なウマ娘のデータが取れることよりも、こうして普通に話せることに喜びを覚えるのは。
前までの私なら疑問に思ったかもしれない。
実験より重要なことなどあるものか、と。
だが、今の私なら分かる。
私はすでに、大事なものを手に入れていたのだということを。
◇ ◇ ◇
「そうだ、出来ればでいいのだが……先程のデータの計測とは別件で、三人に頼みごとがあってね」
ジャングルポケットとダンツフレームは、一体何だ、と身構えた。
「ああ、そうかしこまらなくてもいい。その……私と一緒に、トレーナー君のところまでついてきてはくれないだろうか。もちろん出来れば、でいいのだが」
「なんでだ?一週間タキオンが嫌われる現象?ってのは終わったんだし、普通に会いに行けばいいじゃねえか。……いや、こうして口に出してみるとマジで意味不明だな」
そう言って首をかしげるジャングルポケット。それに対し、アグネスタキオンが口を開く。
「ふふ、確かに改めて考えると本当に謎だねぇ」
それから一呼吸おいて、続ける。
「それと、ついてきてほしい理由かい?……そうだね、何と言うか……うん、怖いんだ。トレーナー君が君達みたいに元に戻っていれば、それでいい。だが、もし戻っていなかったら?あのまま、私のことを嫌ったままだったら?それに、君たちが元に戻っているのだから、トレーナー君も今頃は元に戻っているはずだ。だが、今もトレーナー君からの連絡は一切ない。普段のトレーナー君がもしもこんなことを私にしでかしてしまったら、それこそ頭を地面にこすりつけるくらいの勢いで謝ってくるだろう。なのに、トレーナー君からのコンタクトはない。……そう考えているうちに、とてつもなく怖くなってしまったのさ。本当は戻っていないままで、まだ私のことを嫌っているんじゃないかってね。実際に会いに行くまでは、真実は分からないというのに。トレーナー室へ向かおうとすると、まるで足が地面に縫い付けられたように動かなくなってしまうのさ」
そして、以前のアグネスタキオンからは考えられないほどの真剣さで、告げる。
「だから、君たちについてきてほしい」
「私を、どうかトレーナー君のところまで連れて行ってはくれないか」
そして、この頼みごとを断るという選択肢は、クラスメイトでありライバルである二人には存在しなかった。
「うーん、やっぱり近づくにつれて怖くなってきたねぇ。どうだろう、君たちがかわりにトレーナー君の様子を見てくるというのは」
「ここまで来たんだがら諦めて行って来いよな。ていうか壁を全力でつかむのやめろ。動けないだろうが」
「うんしょ、うんしょ……二人がかりで引っ張っても、全く動かせる気配がしないよ……」
「ふふ、トレーナー室のある校舎にはすでに入ったというのに、どうしてだろうか。一向にトレーナー室に近づかないのは」
「お前が壁をはなさないからだろうが!もういい。……ダンツ、いくぞ」
アイコンタクトをとる二人。
それから「せーのっ!」という掛け声とともに、アグネスタキオンのことを二人がかりで担ぎ上げた。
「うわっ!ちょ、ちょっと、何をするんだい!?」
「俺らがトレーナー室まで運んでやるっての、動こうとしないお前が悪いだろ」
「わわっ、暴れると危ないよ、タキオンちゃん」
「君たちが暴れさせているんだろうが!おいっ、早くおろしてくれ!」
「ほいよ」
「えっ?」
そう言って、アグネスタキオンを下におろす二人。
あまりに簡単におろしてくれたことに違和感を持ち、アグネスタキオンが周りを見渡すと……
そこは、トレーナー室の目の前だった。
ウマ娘の脚力をもってすると、校舎の入り口付近からトレーナー室までの移動はほんの一瞬のことであった。
校舎内を全力疾走、それもウマ娘を抱えながら、という校則違反は、今回ばかりは許してほしい。
「ふ、ふふふ……いざ目の前にすると、案外いけそうな気もしてくるねえ」
「いやお前、足ガックガクだぞ」
「……では、想像してくれたまえ。ある日突然、周りの人間全員から嫌われて、誰からも話しかけられなくなる。もちろんそれは、君の尊敬する先輩も、支えてくれたトレーナーも、仲がいい友人も、切磋琢磨しあったライバルも。それが一週間続くことを、ね」
想像してしまったのか、青い顔をして身震いをするジャングルポケットとダンツフレーム。
しかし、そこから決意を秘めたような顔つきになり、ジャングルポケットは言った。
「……ああ、それに関しちゃ本当に悪かったと思ってる」
「けどよ」
「今ここで立ち止まってても、何も進まねえだろうが!」
そう言い放つと、勢いよく扉を開け放ち、アグネスタキオンの体をつかんで中に投げ飛ばした。
「うがへっ!?」
「ちょ、ちょっとー!?ねえ、タキオンちゃん、顔から床に突っ込んで変な声上げちゃってるけど!?」
「ありゃ、ちょっと強くやりすぎちまったかも」
「ていうかタキオンちゃんの横にトレーナーさんも倒れて……え!?ど、どうしてトレーナーさんも倒れてるの!?」
「うーん、いてて……ってトレーナー君!?どうしたんだい一体!?だ、大丈夫かい!?えっと、息は、息は……し、してない!?脈もない!?」
「いや息してるし、脈もちゃんとあるから!落ち着いてタキオンちゃん!?」
「おい、お前らタキオンのトレーナーが潰されてるから!一回どけって!」
「うーん、と、とれーなーくんが…しんでしまった……」
「いや死んでないからね!?」
「おいお前ら、気絶してるやつの上で暴れんな!?さっきから呻き声出してるから!一回落ち着けぇ!それから、保健室に運ぶぞ!」
「えっ、あっ……うん!ほら、タキオンちゃんも早く!トレーナーさんを運ばないと!」
「ああ……とれーなーくん……」
「ダメだ、タキオンは使い物にならねえ。俺たち二人で運ぶぞ」
「う、うん!」
結論から言うと、アグネスタキオンのトレーナーはただ気絶していただけであった。
今は保健室のベッドにて、寝かされている。
「全く、慌てすぎだってのお前ら」
「うう……ごめんなさい……」
「……すまなかった」
「はあ、謝るなら俺じゃなくてそこのトレーナーに……っておい、なんか起きそうだぞ」
「うう……」
アグネスタキオンのトレーナーから、かすかに声が聞こえた。
「ええ!?……えーっとその……あ、あとは二人でね!」
「おう、俺らは外で待ってるからな!」
「ちょっと!?私を置いて行かないでくれ!一人ではまだ心の準備が……」
そう言うタキオンと、起き上がったトレーナーの目が合った。
「トレーナー君……」
「タキオン……」
見つめあう二人。先に動いたのは、トレーナーの方だった。
「本当に、ごめん!」
「と、トレーナー君……」
「ここ一週間、タキオンのことを避けてしまって……その行為がどれだけ君を傷つけたかは分からないけど……本当に、ごめん」
「……はは、本当に、どれだけ私が辛かったと思っている。まあいい、それよりも……トレーナー君は、元に戻ったということでいいのかな?」
「うん……言い訳にしかならないけど、一週間前から急にタキオンに対して、その……嫌い、と言うか、それよりももっと……憎む、と言えばいいのかな。とにかく、そんな感情を持ってしまって……」
「ああ、ポッケ君とダンツ君と同じ症状だね」
「……まさか、私だけじゃなくて、他の人たちにも……?」
「はは、クラスメイトにも、同室のデジタル君にも、同じ態度をとられたさ」
「……本当にごめん!土下座でも何でもするから、許してくれ」
「実際に土下座しながら言わないでくれるかい?それに……そう、今”何でも”と言ったね?」
「ああ、本当に何でも、だ。タキオンにそんなに辛い思いをさせたんだから、当然だ。何でも言ってくれ。責任は取るよ」
「そうか。なら……少し、胸を貸してくれるかい?」
そう言うなり、ベッドの上のトレーナーに近づくタキオン。
トレーナーの胸に顔をうずめた彼女は、少しずつ、ゆっくりと抱きしめる力を強めていく。
密着する二人の間には、深い信頼が感じられた。
「……トレーナー君、背中を、撫でてくれるかい?」
「ああ、もちろんさ」
「……もう少し、このままでもいいかい?」
「それも、もちろんだとも」
それから、この一週間のつらさを吐き出すように、アグネスタキオンはトレーナーの胸で泣き続けた。
そしてトレーナーはそんな彼女の背中を優しく何度も、撫で続けたのだった。
「ふん……そういえば、なぜトレーナー室で倒れていたんだい?」
「えっと、その……それは……」
「おや?私に言えない理由でもあるのかい?もう私たちは、ベッドの上で抱き合った仲じゃないか」
「いや言い方……はあ、まあ、今更隠していてもしょうがないな。実は……」
トレーナーの話をまとめると、こうだ。
突然ここ一週間の自らの過ちに気づいたトレーナーは、タキオンに対する後悔と懺悔により頭がオーバーフローし、体の体制を保てなくなって椅子から落下し、頭を打って気絶してしまった……ということらしい。
「それはまあ……なんとも間抜けな……」
「恥ずかしいから言いたくなかったんだけど……ああ、そういえば私が倒れる瞬間、全く同じように倒れた別の人の気持ちを感じ取った様な気もしたんだけど……まあ気のせいか」
「君までまるでカフェのオカルトみたいなことを言い出して……ああ、そういえばカフェにも、まだ会っていなかったな。よし、行ってくるとしようか」
「その……大丈夫かい?一人で」
「ふふ……君が元に戻っていたのだから、カフェだってきっと大丈夫さ。それじゃあ」
そう言うと保健室のドアを開け、廊下に出る……出たところで、扉の後ろに隠れていたジャングルポケットとダンツフレームを発見する。
「おや、聞いていたのかい?」
「あー、いや……盗み聞きする気はなくてだな、大丈夫か気になってちょっと戻ってきてみたらさ、その……お前が”ベッドの上で抱き合った仲”っていうのが聞こえてだな?」
「えっと……その、成り行きっていうか……」
アグネスタキオンはなかなか面倒くさい所にピンポイントで戻ってきたものだ、と感心しつつ、早くも弁明はトレーナーに任せることを選んだのだった。
「それじゃあ、トレーナー君、言い訳は頼んだよ!」
「あっ、おいちょっと待て……って速すぎだろ!?」
「ふふふ……トレーナーさん、詳しく聞かせてもらいますからね……?」
「ちょ、ちょっと……?二人とも、顔が怖いんですけど……?
……おーい、タキオーン!助けてくれー!二人のことを止めてくれ!!!」
「ふん、私のことを傷つけた罰だと思ったらいいさ」
しかしその声にアグネスタキオンが戻ってくることはなく、その後トレーナーは質問攻めにされたのだった。
◇ ◇ ◇
いつもの廊下を曲がり、いつもの部屋に向かう。
私の実験室、そして……カフェの私室。
つい一週間前までは毎日足を運んでいたというのに、カフェが出て行ってからは一回も行ったことはなかった。
あれが起こる前までは、同居人のカフェのことを実験の邪魔だと思っていたこともあったが……今は、もう分かる。
私にとってカフェは、かけがえのない友人なのだと。
そしてきっとその友人は、元に戻っているなら、ここにいるはずだ。
私と彼女の思い出が詰まった、この部屋に。
「やあカフェ、いるかい?」
久しぶりに会話をする漆黒の彼女は、少し小さく見えた。
片手にいつものマグカップを持ち、コーヒーを飲んでいる。
普段ならば彼女にとって癒しであろう時間。
だが彼女の耳はぱたん、と倒れていて、尻尾はソファにかかっているだけだというのにどこか落ち込んだ、そんな雰囲気を感じさせた。
私の口には合わない、苦いブラックコーヒー。
だがしかし、何十回、何百回とこの部屋で嗅いできたその香りは、私とカフェが二人、この部屋にいるという事実を私に実感させるのに十分だった。
「……」
「おや、何も答えないとは。随分と失礼じゃないか」
「……アナタ、は」
「ああそうだ、私からも言いたいことがあってね……ほい」
「ッ、何を……」
困惑するカフェの手から、彼女が飲んでいたコーヒーを奪い取る。
そしてそれを、一気に口へと流し込んだ。
苦い。
やはり、私の口には合わなかったか。
「うぷっ……ごくっ……ふぅ、はは、やっぱり美味しくないねぇ。カフェがいつも美味しそうに飲んでいるところを見ると、これは案外イケる味なのか、と思ったこともあったが……やはり美味しくないな。というか不味い」
「いきなり奪っておいて、何なんですか……」
久しぶりに聞く、彼女の肉声。
ほんの一週間前までは普通に聞いていたそれも、今ではひどく貴重なものに感じられる。
そしてその、彼女の抗議の声を無視して、続ける。
「ふふ……君がこれを美味そうに飲んでいる理由は、私にはさっぱり分からない。そして、君だってそうだろう?私が紅茶を好んで飲む理由は、君には分からないだろうさ。現に今、私は君から奪ったコーヒーに何の良さも感じられなかった。……だが私たちは、感覚だけで物事を伝え合うわけじゃないだろう?私たちには、会話という手段がある」
ふう、と一息ついてから、カフェに問う。
「さて、では……このコーヒーの良さを、私に伝えてくれるかな?私は、紅茶の良さを君にプレゼンするとしよう。もちろん、角砂糖を十個はぶち込んだものの、だが」
「……全く、アナタという人は……そうですね、分かりました。コーヒーの魅力、存分に語ってあげましょう」
「ふぅン……興味深い話、期待しているよ、カフェ。それと、ついでにここ一週間分の話もどうかな?」
「はい……もちろん、です」
「では、まずは話の準備と行こうか。私は紅茶を淹れてくるから……君は、何か適当な茶菓子でも探していてくれたまえ」
「ええ……それでは、美味しい紅茶、期待していますよ」
「ふふ、任せてくれたまえ」
それから私はブラックコーヒーを飲んで顔をしかめ、結局ミルクとコーヒーをありったけぶち込んでから飲んだ。
カフェも角砂糖10個入りの紅茶を飲んで顔をしかめ、何も入っていない紅茶を飲んだ。
全てを分かり合うことができなかったとしても、今日のこの出来事がお互いに歩み寄る最初の一歩となった……なら良いな、と思った。
そしてきっとそれは、カフェも同じ気持ちを抱いていたことだろう。
「それでね、カフェ~、私はこの一週間で、とても傷ついたんだよ~。だから、その埋め合わせとしてこの栄養剤を……」
「そんなゲーミングカラーに光る液体を飲むことはできませんが……データの計測なら、今度手伝ってあげますよ」
「おや、残念。ならポッケ君とダンツ君といっしょに、合同トレーニングとでも行こうか」
「お二人にも、確認を取らないといけませんね」
「大丈夫さ、すでに言質は取ってあるからねぇ」
「はあ……それでは、合同トレーニング、楽しみにしていますね」
「では、明後日の放課後にグラウンドでーー」
今回の騒動が良いことだとは決して思わないが……だが、こうして友人と仲を深めることができたのなら、本当に少し、わずかにではあるが良いこともあったのかもしれない。
そう思わずにはいられなかった。
おまけ
寮の自室に帰ると、部屋の方からものすごい勢いで何かが飛び出してきた。
栗毛の髪に、小柄な体。
これは……
「う”わ”ぁ”ぁ”ぁ”ぁ”ぁ”ぁ”ぁ”ん”!!!タ”キ”オ”ン”さ”ん”、ごべんなさいぃぃぃ!!!」
寮で同室のウマ娘、アグネスデジタルであった。
「えっと、その……少し落ち着けるかい?デジタル君」
「うぐっ、ぐすっ、無理ですぅ……全てのウマ娘ちゃんを愛すると決めておきながら、タキオンさんに、あ、あんなに酷いことを……私、一体どう償えばいいか……そうだ、ここはせめてもの覚悟を見せるために、腹を切って詫びねば……」
「ええっ!?いやちょっと、お、落ち着いてくれ!というかその刀、一体どこから取り出したんだい!?」
「それではタキオンさん、あんなことをしでかしてしまった私が言うのもなんですが……今まで、楽しかったですよ。もう、タキオンさんからしてみれば、私のことなんてどうでもいいかもしれませんが。それでは……」
「いや本当に少し待て!そうだ…寮長!寮長のフジ君!どうにか助けてくれ!」
「止めないでください……責任を取らねば……」
「は、早く!フジ君早く!!!」
その後、駆け付けたフジキセキとアグネスタキオンによる必死の説得で、何とか切腹を取りやめさせることに成功したのだった。