「ここと、ここと、あとはここ!絶対に逃がさないで!」
激しく、俊敏に万魔殿の部隊に指示を下すイブキ。
普段の彼女を知る者からすれば、あまりの気迫に圧倒されるばかりだった。
「イ、イブキ議員、本気ですか!?これでは外交問題にまで…!」
そんな彼女を諌めるため、一人の生徒が意見具申する。
「…貴女こそ、本気で言ってるの?」
「もちろんです!万が一、民間人に被害が出たらトリニティからの宣戦布告も…!」
「それは無いよ。」
「ぇ…?」
生徒の懸念はイブキの全く迷いの無い声音で否定され、呆気にとられてしまう。
その様子を知ってか知らずか、イブキは淡々と続ける。
「マコト先輩と行動してた人は見たでしょ?トリニティの人達の統率の無さを。」
「一番上の人たちが皆倒れて混乱してる状態で、外交も何も無いよ。」
「それに、取り逃がす方が絶対にダメなんだよ。」
「どういうことですか…?」
イブキはため息を一つ吐くと、より低い声音で再度語り始める。
「…今取り逃がすと、あの人達は次の行動を起こす。」
「アリウス自治区に帰らずに近郊の廃墟に留まっていたんだから、間違いないよ。」
「では、出てきた時を叩けば…!」
「万が一、達成不可能と見てそのままアリウス自治区に帰ったらどうするの?」
「アリウス自治区の場所を知ってる?同郷のトリニティにすら数百年特定されてなかったのに?」
「そ、れは…」
「だから後手は、今の状況では本当に悪手なの。隠れさせるのも、行動させるのもダメ。」
「それにね…」
イブキはその生徒の俯き気味になってしまった顔を、覗き込む様に見て告げた。
生徒の視界に映るイブキの瞳にあるものは、黒く淀んだ憎悪だけではなかった。
「あの人たちはお母さんが生きてると知れば、必ず殺しに来るでしょ…!」
まだ幼いその身で感じるには早すぎる、喪失への恐怖をも宿していた。
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「…イロハ。」
「先生っ!?」
沈んだ表情でベッドで眠るマコトに付き添っていたイロハは、驚愕に肩を跳ねさせる。
自分を呼ぶ声が、ここにいて良いはずがない人のものだったからだ。
「なん…!?え…!?ど、どうして…!?」
「まあその…内緒ってことで、お願い。」
話では腹を撃たれ、風穴を開けられたと聞いた。
その上、右脚は焼かれ、圧し潰されていたとも聞いていた。
だと言うのに、目の前にいるその人は自身の脚でしっかりと立っている。
現実と認識の大きすぎる乖離は、イロハの冷静さを失わせるには十分なものだった。
「それよりも、お願いがあるんだ。」
先生は静かに、確かな意志を感じる声音でイロハに助力を求める。
その姿にイロハは困惑を上回る安心感を得、落ち着きを取り戻して先生の話を聞き始めた。
「…そういうことですか、わかりました。」
「マコト先輩から聞きそびれたことは山ほどありますが、今は先生、貴女だけが頼りです。」
「指示には全て従います。だから…!」
「ありがとう。まかせて。」
先生からの要請の話を聞き終わったイロハはすぐに立ち上がり、その場を去る。
その後ろ姿を見ると先生もまた踵を返し、次の行動に移る。
脳裏には夢の中での会話があった。
『…いいですか?我々の様な大人が出来る事に、奇跡はありません。』
『故にこのやり方は、整合性を保つためにその負荷を後回しにするものです。』
『精神にも多大な負荷がかかります。…それでも、本当にやるのですか?』
『…うん。だって私は…母であり、先生でもあるから。』
顔らしい部分が本当に顔なのかも分からない黒服。
だがそれでも、酷く苦々しい顔をしていることだけはわかった。
彼は私が変質する事が嫌なのだろう。
そんな彼に、私の口は自然に言葉を紡ぎ始める。
『それにね、どこかで、誰かに言われた気がするんだ。』
『…どの様に?』
『私は例え何も思い出せなくても…同じ状況で、同じ選択をするって。』
『…始めましょう。』
黒服は、最後まで渋々といった様子だった。
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「よし、もうすぐ古聖堂近くだ…準備は出来てるな、姫?」
「(コクッ)」
アリウス・スクワッドの面々は暗いカタコンベをひたすらに突き進む。
不安定になってしまったエデン条約を再度強固なものとするためだ。
「痛、い…熱い…苦しい、です…リーダー…」
「すまないヒヨリ…出口はもう見えている、もう少しだけ耐えてくれ…!」
ミサキと交代で背負っているヒヨリが、涙をぽろぽろと零しながら訴える。
合流時に改めて見たその姿は痛ましいという他無かった。
爆風で吹き飛ばされ、コンクリートの壁に強く叩き付けられたため無理も無いが、かなり酷い。
耳からは血をだらだらと垂れ流し、至る所に熱傷や裂傷、打撲創に骨折があった。
激痛に苛まれ、全身から流れ出る血が彼女の靴下を粘性を伴って真っ赤に染め上げている。
「リーダー、ヒヨリの失血がかなり酷い…早く済ませないと…!」
「わかっているっ!!!」
ミサキの忠告に思わず怒鳴って返してしまう。
サオリは自分が何をしたいのかが、一瞬わからなくなりそうだった。
だが、脳裏に浮かぶマダムの冷笑を思い出し、頭を振る。
「ユスティナ聖徒会さえ確実なものにすれば、後は何とでもなる…」
「姫を助ける正念場だ…わかってくれ…」
「は……い…………。」
弱る一方のヒヨリに、サオリは絞り出す様な声で我慢を強いる。
マダムの要求を満たせなければ、自分の原初の望みからは更に遠ざかる。
引き金は既に引いてしまった。リスクが高かろうが後には退けないのだ。
そんな悲壮な覚悟を胸に、足を早めようとしたその時だった。
「っ!」
「リーダー、また来た!しかも近い!」
ズン、という鈍く響く音がカタコンベ内に木霊する。
万魔殿は未だに自分達の討滅を諦めていなかった。
自分達が古聖堂を目指していることも勘付かれている様で、持続的に聞こえてくる。
地上からカタコンベの通路がある凡その位置を爆破しているのだろう。
それは即ち、”生き埋めにして殺すことも辞さない”という意志の顕れだった。
「クソッ…!」
サオリ達はずっとその殺意から逃げつつ、古聖堂へ向かっていた。だが、それも終わりを迎える。
一際大きな轟音が響くと同時に後方の通路が崩落し、目の前の出口以外に行き場所が遂に無くなった。
「増援は…」
「(フルフル)」
「さっき連絡がついた他の部隊は…」
「音沙汰無し…最後に聞こえたのは爆音だけ。」
「そうか…静かに出るぞ、付いてこい…」
最初と同様に何処にも逃げ道は無く、誘い込まれているとしか思えない状況に歯嚙みする。
サオリ達は曇天で月明かりも差さなくなった闇に紛れて行動を開始した。
だが、そんな行動は無謀以外の何物でもなかった。
「ごふっ…!?」
サオリは脇腹に凄まじい衝撃を受けて吹き飛ぶ。
音とその衝撃から対物ライフルによる狙撃だろうと推察するが、あまりの激痛でそれどころではない。
痛みに悶えながらも顔を上げ、周囲を見渡す。自分は瀕死と言って過言ではないヒヨリを背負っていた。
ヒヨリの所在を探し、彷徨う視線。だが、見つけたその姿は絶望でもあった。
「捕まえた。」
丹花イブキが、ヒヨリの頭を踏みつけてそこに立っていた。
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「もう、やめてくれ…!!」
「嫌。貴女達もやめる気は無かったでしょ?」
「それに安心して?貴女達の嫌いなトリニティもイブキの敵なの。」
「全部じゃないけど一部には沢山痛い目を見てもらうから。」
一番ボロボロの人に何発もアサルトライフルを撃つ。
止めるように懇願されてるけど気にしない。
自分達はやっておいて、される側になった途端にやめて貰うだなんて甘い話は無い。
「撃ったのは私だ、何故私を…!」
「うるさい。」
一発だけ銃口をリーダーと呼ばれていた人に向け、引き金を引く。
見事顔面に命中し、少しだけ静かになった。
他の二人を含め、部隊の銃口や砲口はアリウスの人達全員に向けられている。
少しでも攻撃動作を見せれば一斉に撃つ指示もしている。
あの変な幽霊が出た瞬間にこの人達は文字通り粉微塵になる。
もう逃がさない。生かすも殺すも自由。だから、思う存分やれる。
「死ぬ一歩手前ってどんな感じかな?やったこと無いから調整が難しいね。」
「ねぇ貴女、あとどれくらいで死ぬ?」
「────」
薄緑の髪を引っ張って顔を上げさせる。
だけどそこにあったのは虚空を見つめる虚ろな目に弱々しい呼吸。
もう意識が無くて聞くことはできなさそうだった。
守るためとは言え、こんな姿を見たらお母さんは嘆き悲しむだろうと思う。
けれども、この生殺与奪を握っている状況が、どこか心地良くも感じていた。
「まだ息があるからもうちょっといけそうだね。……何?」
リーダーの人に足首を掴まれる。先ほどまでの高揚は一瞬にして冷めてしまった。
後ろから撃つか聞かれたけど、気持ち的にまだ足りないから止める。
そして、とても小さいその声に耳を傾ける。
「私を…やるなら私を、嬲ってくれ…!だからっ…!!」
「…ふぅん。貴女はこの人が死にかけてて苦しいんだ?」
「でもね…お母さんはもっと痛かったし、苦しかったんだっ!!!!!」
激情のままにその顔面を蹴り上げる。
そうだ、お母さんは私達よりも遥かに弱く、ちょっとした爆発で大怪我を負ってしまう。
なのに、この人は、この人は───!
「赦しを乞うこと自体、貴女達は間違っているんだよ…!」
「ぐっ…あ…!」
「リーダー…!」
収まらない怒りのままにリーダーの人に歩み寄る。
「イブキ。」
「!?」
だけど、絶対に聞くはずの無い声でその歩みを止めた。
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「お母、さん…!?どうやって…!?」
「生きて…いたのか…」
困惑するイブキに私は”震えながら”静かに歩み寄る。
万魔殿の生徒達もその動揺を隠せない様子だった。
そんな中、私はそれを悟られない様に声を張る。
「全員、武器を下ろして。」
「な…!?ですが、そいつらは…!」
「これは、独立連邦捜査部シャーレとしての意向です。」
自分としては珍しく、強制する様に告げる。
だがこれは先生としての役目だ。
こんなことを、生徒達は心から望んでなどいない。
「っ………」
一方、私を撃ったアリウスの生徒はとても複雑な表情をしていた。
まるで、私が死んでいなかったことに安堵しているかの様な面持ちだ。
「…行きなさい。」
「なっ…!?」
私はアリウスの生徒にこの場から逃げる様に告げる。
周囲から、アリウスの生徒達から、イブキからもその動揺が伝わる。
「…正気か?」
「もちろん。…状況が落ち着いたら、お説教するけど。」
「あとこれ、その子の手当てに使って。」
「………後悔するぞ。」
少しの逡巡の後、背に腹は代えられないと判断したのだろう。
そう言うと私が渡した救急セットをひったくる様に受け取ってくれた。
そして、その生徒はあっという間にぐったりしている仲間を抱えて走り去る。
「…何、で…!?その人達は、またお母さんを殺しに来るんだよ…!?」
「っ………」
姿が見えなくなった所でイブキは絞り出す様な声で私に問う。
怒りと憎しみを燃やすその目が、その表情が、あの日を思い出させてくる。
私の首をへし折らんとばかりに絞め、身体を弄った大きな手の持ち主を。
絶えず吐き気がする、恐怖で脚が竦む、冷や汗も、動悸も止まらない。
これが黒服の言っていた”負荷”であることを即座に悟った。
「イブキ───」
「っ…!?」
だけど、私はそれらに耐える。いや、耐えなければならない。
歯が割れるほどに噛みしめ、重すぎる一歩一歩を踏みしめる。
今すぐに頭を抱えて蹲りたい。脇目もふらずに泣き叫びたい。
そういった衝動の一切を理性で押し殺し、イブキに歩み寄る。
そして───
「ごめんね…!」
その小さな身体を、思い切り抱き締めた。
「ぇ………?」
イブキは小さく震えていた。
「何でお母さんが、謝るの…?」
その身体は普段より冷たくて。
「イブキが悪い子なのに…マコト先輩も撃ったんだよ…?」
その手は抱き返していいのかと行き場所求めて彷徨って。
「あの人達に、仕返しもいっぱいして、殺そうとしたんだよ…!?」
その声は、涙で震えていた。
「なのに、何で…!?」
「…あと少しでイブキを、一人にするところだった。」
「怖かったよね…寂しかったよね…!本当にごめんねぇ…!」
私の声もまた、涙で震えていた。
子はいずれ親元を離れるものだけれども、イブキにそれはまだ余りにも早い。
だというのに、大人でもそう無い程辛い思いをさせてしまった。
天涯孤独で子どもらしい時もまともに送れなかった自分の様にはするまいと、そう誓っていたのに。
そんな思いをさせてしまったのが先生として、それ以上に母親として情けなかった。
「ぅ……う、うぁ、ああああああ!!!!」
遂にイブキは私の肩に顔を埋め、声を上げて泣き出す。
漸くイブキが、”私の娘”として戻って来てくれた様に感じた。
私達は互いの温もりを確かめ合いながら、泣き続けた。
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「…先生。」
「…何の用かな。」
病院からの帰りを待っていたのか、人通りの少ない薄暗い道に黒服がいた。
彼に会うのはエデン条約の騒動以来だ。
思えば、イブキを止めた後も本当に大変だった。
アリウスの生徒達をベアトリーチェから解放した後にもやる事は山積みだったからだ。
リンちゃんがクロノス等の報道機関に緘口令を敷いて私達の親子関係が広まるのを最小限に留めてくれていなければ、もっと大変なことになっていただろう。
私を殺しかけたらしいトリニティの暴徒達を、ナギサが「全員退学にしてやる」といった様子で息まいていたのも何とか止めた。
イブキと一緒にマコトに謝りに行った所、マコトは泣きながら地面に額を擦り付け、逆に謝罪された。
どうやらアリウスの本当の目的を知らずに内通していたらしく、少しだけ説教をして互いに赦し合うこととなった。
「やはり…そうなりましたか。」
「そうだね。だけど、私は微塵も後悔してないよ。」
彼は私の右脚を見遣る。
そう、右脚は完全に”使い物にならなくなった”。
内臓もズタズタで、今でも薬を絶対に手放せない。
けれども、あの日、あの時の選択は何度同じ場面に遭遇しようと変わることは無いだろう。
入院中にお見舞いに来たユウカを始めとするセミナーの面々に、大泣きされたことだけは心苦しかったが。
「…あの心象風景を、私は勘違いしていました。」
「…」
そんな事を考えていたら、黒服は余計な事を喋り始めていた。
腹立たしいが、あの時に助けられたのも事実。故に話だけは聞いてやることにした。
「あの光景は…通常、あり得ないことですが、貴女の原風景…だったのですね。」
「ふん…」
全くもって、不快だ。見事的中させてくるだなんて。
実体があるのかもわからないからしないが、生身なら平手打ちの一つでもしてやりたいものだ。
「こうして変わってしまったことはあるけど…私は、それでも私を貫くよ。」
そう言うと私は黒服に踵を返す。
別に彼に対しての思い入れも無い。厄ネタには近寄らないのが一番だと思いながら。
…そう言えば、変わってしまったことはまだあった。
「…ただい「遅いよお母さん、何処に行ってたの?」」
「ひっ…!あの…その…少し話をして…」
「周辺には誰もいなかったのに誰と喋ったの?ねえ?ねえ?」
イブキが私に対してとても過保護になってしまったこと。
そして、”精神面の負荷”が、顕著に顕れる様になってしまったことだ。
「ご、ごめ…ごめんなさいぃ…!」
私はこわくて泣きだしてしまう。
イブキはわたしのむすめなのに、あの目がこわくてしかたない。
あのめがわたしをいぬくと、わたしはこどもにもどってしまう。
「はぁ…もう、ちゃんと謝ったし、もういいよ。」
「ほんと…?」
「うん、もう怒ってない。…お母さん、おいで。」
「うん…」
「お母さん、イブキはここにいるよ。」
「ここにはイブキしかいない。怖い物は何も無いから、いーっぱい甘えて。」
「イブキはどこにも行かないからね。だから…お母さんもどこかに行っちゃ、ダメだよ?」
そのひょうじょうは、あのひわたしをゆうへいしたおとこにそっくりだったが、わたしがきづくことはついぞなかった。