未来へ響け! 北宇治高校吹奏楽部   作:大好きのハグ

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最終話 響け!ユーフォニアム

 あれから長い月日が流れた。

 私、黄前久美子、改め滝久美子は、40歳を迎えた。

 

 大学四年の夏は、本当に色々なことがあって特に記憶として残っている。

 簡単に振り返ってみよう。

 

 

   ◇◇◇

 

 

 妊娠が発覚した時、私の頭にまず浮かんだのは秀一のことだった。

 でも、逆算した日数が合わないし、そもそも秀一とは別れる前に一ヵ月に渡る冷却期間があったので、ありえないことにすぐに気づいて、私の動揺に拍車がかかった。

 恋人だった秀一の可能性を消すと、残るのは一人しかいなかったからだ。

 

 滝先生とは、あがた祭りのあの日に流されてしまったわけだけど、滝先生は大人だったし、私も最後の一線だけはしっかりと守った。

 しかし、吹奏楽のコンクールを辞退したのは、橘さんであって近藤さんではなかったのに、私たちの近藤さんは効力を辞退してしまったらしい。

 知識として100パーセントではないことは知っていた。その可能性の低い大当たりをあの日の一回だけで引いてしまうとか、運がいいんだか悪いんだか。

 あがた祭りは、別名で種貰い祭と呼ばれることもあったらしいけど、祭りのご利益がまさかこれほどの効力を発揮することになるなんて。

 

 相談なのか報告なのか、自分でも分からないまま滝先生に伝えると、先生は目と見開き、口をポカンとさせるという中々見せない表情を浮かべた。

 十秒ほど掛かってようやく表情を引き締めると私の目を真っ直ぐに見て、妊娠させてしまったことを謝罪した上でプロポーズの言葉をかけてくれた。

「黄前さんのことを好ましく思っています。黄前さんもそうであれば、私と結婚してください」

 冷静になって思い返してみると、微妙なプロポーズだけど、これでOKを出した私も私だからお互いに似た者同士だったのかもしれない。

 滝先生の中で、死に別れた奥さんの存在が強く残っている。

 私はそれを承知の上で背中を押したんだから、ここで上辺だけの言葉を投げかけるのではなく、誠実であろうとする滝先生の言葉は、私をなによりも安心させてくれた。

 この人と恋人になれるのかは分からないけど、家族にはなれるかもしれない。

 そう思った私の直感は、無事にこの年まで家族として上手くやれているのだから、正しかったんだと思う。

 

 滝先生の次に報告したのは、秀一だ。

 先に親に話した方が正しいと思うけど、親に話してしまうと親経由で秀一に伝わってしまうのが避けられなくなる。

 秀一にだけは、私の口から伝えないといけなかった。

 

「お前なー。だから、お酒には注意しろって」

「まさかこんなことになるなんて」

「久美子よりも俺の方がそう思ってるし。どうするんだよ高坂のこと」

「どうしよっか」

「知るか。俺はもうお前の恋人じゃねえし」

「だよね」

「言うならさっさと言った方がいいぞ。先延ばしするのは禁止な」

「分かってる」

 

 時系列的には、別れたあとの話だから私は秀一を裏切ったわけではない。

 タイミング的には、ほとんど裏切ったようなもので、秀一に対する申し訳なさで一杯だった。

 それでも、なんだかんだで麗奈への報告の背中を押してくれるあたり、秀一は秀一だ。

 私は秀一に対して、謝罪できる立場じゃない。

 秀一の優しさに対する感謝と裏切ってしまったことに対する罪の意識は、これからずっと私が抱えて生きていかないといけないものだ。

 

 恋人として別れた後も、幼馴染としての関係が残っていた。

 それに甘えさせてもらっていた。

 でも、その関係もこの日を境に疎遠なものへと変わっていく。

 幼馴染からただの友達へと距離感の調整だ。

 いつまでも秀一に甘えてばかりはいられないので、私なりのけじめだった。

 

 なお、この調整は、私の結婚式で主賓の私の目の前でやたら距離が近い秀一と真由ちゃんを見てしまった時に、意識して距離を置いていたのがバカらしくなって元に戻ったりするわけだけど、それはその後の話。

 

 秀一に話した後は、家族へと報告した。

 社会人になる前の妊娠に、父親からは怒られ、母親からは呆れられてしまったけど、お姉ちゃんが私の頼りになる味方となってくれた。

「私は結婚できるか分からないし、孫が見れていいでしょ」

 という、自虐を含めた説得により、両親は態度を軟化させて、なんとかことなきを得ることができた。

 そんなことを言っておきながら、私に遅れて二年後には結婚し、今は三児の母親だったりするからお姉ちゃんには、本当にかなわないと思う。

 

 最後に麗奈だ。

 

「怒らずに聞いて欲しいんだけど」

「何かあった?」

「ええっと、びっくりもしないで欲しいんだけど」

「塚本と復縁でもした?」

 

 惜しい。いや、惜しくない。

 

「……滝先生との間に子供ができた」

「久美子、その冗談面白くないから」

 

 ゾッとするような冷たい声色だった。

 

「冗談だったらよかったんだけど、ほんとだから」

「……久美子、明後日……違う、三日後に家に泊まりにきて」

「え?」

「直接話を聞くから」

 

 麗奈に滝先生絡みの話は、娯楽室への呼び出しが定番だったはずだけど、まさかの家への呼び出しだった。

 逆らうことなんてできるわけもなく、私は大人しく麗奈の家へと向かうことになった。

 

 豪奢さには何度足を踏み入れても慣れることがない。

 ここで暮らせば当たり前になっていくんだろうけど、たまにしか訪れない身だと毎回圧倒されてしまう。

 スリッパに履き替えて案内されたのは、スタジオだった。

 とりあえず縄跳びは無いみたいで、少しだけホッとする。

 

「なんでスタジオ?」

「大声出せた方がいいでしょ」

「それはよくないんじゃないかな」

 

 麗奈の圧が怖い。

 大声を出すって、どっちの話なんだろう。

 私が怒鳴られるのか、怒鳴られた私が泣き叫ぶのか。

 これだとどちらでも麗奈が大声出してるし。

 

「で、説明してもらえる」

「ええっと、説明すると長くなるっていうか」

「今日は泊っていくんでしょ」

「あー、分かった。ならお言葉に甘えて」

 

 甘えたくないんだけど、麗奈からは逃げられそうになかった。

 どうやら時間はたっぷりあるらしい。

 

「えっと……」

「…………」

 

 いざ説明しようとすると言葉に詰まってしまう。

 一言で言うなら、お酒の勢いでやっちゃった。で終わるけど、これで麗奈が納得するとは思えない。

 そうなると致すまでの経緯を話すことになるけど、どこから説明したらいいんだろう。

 

「……麗奈は、滝先生の亡くなった奥さんの話はどこまで知ってるんだっけ」

「同じ音大の人だったってことは知ってる」

 

 そこから説明しないといけないらしい。

 

 滝先生の奥さんについて、麗奈に説明した。

 北宇治のOGで、滝先生のお父さんの教え子だったこと。

 教師で吹奏楽部の顧問をしていたこと。

 教え子を全国大会金賞に導くことが夢だったこと。

 

「滝先生が吹奏楽部の顧問になったのは、奥さんの影響が強くあったはずで」

「……久美子はどこで聞いたの?」

「たまたま滝先生と話す機会があったから」

「教えて欲しかった」

「ごめん……」

 

 麗奈が滝先生のことを好きなことは知っていただけに、変な誤解をさせなくなかった。

 あと、麗奈にとっての恋敵の話をしていいのか葛藤もあった。

 滝先生と二人っきりで話すだけで嫉妬するような麗奈には、話しにくかった。

 言い訳はいろいろあるけど、私が話さなかったのは事実だ。

 

 説明を続ける。

 滝先生がやる気を失っているように見えたこと。

 断りにくいお酒の席で酔っ払ったこと。

 滝先生に家まで送ってもらったこと。

 そのタイミングで話すために家に上がってもらったこと。

 家族が不在で二人っきりになったこと。

 

 この辺りで麗奈の眉が反応したけど、構わず話をつづけた。

 

「私の考えが正解か分からないけど、亡くなった奥さんの夢を叶えて、立ち止まってしまった部分があったんだと思う。私は、そんな滝先生をほっとけなくて、奥さんのことを好きなままでいいから、少しだけでも前を見て欲しいみたいに訴えたら……前を見たら目の前に私がいた……感じだと思う」

「感じだと思うって……」

「私もなんでそうなったのか、はっきり分かってないし。それっきりだから」

 

 滝先生のいうところの好ましく思っているだ。

 それ以上でもそれ以下でもない。

 そんな相手に手を出して欲しくなかったけど、流れというか勢いというか、抗えないものがあって、それに流された私が言えることはない。

 

「それで避妊はしたつもりだったんだけど……妊娠したみたい」

「……なにそれ」

「こればっかりはできちゃったとしか言いようがないし」

 

 私にとって想定外すぎるできごとで、たぶん滝先生にとっても同じことだ。

 あがた祭りの効力がすごすぎた。

 

「目の前に久美子がいたって……アメリカに行ったのが失敗だった?」

「うーん……どうだろう」

「否定してよ」

「麗奈は夢のためにアメリカに行ったんだから、失敗じゃないと思う」

 

 音楽で生きていくという夢のためだ。

 滝先生と結婚するという夢については、失敗だったのかもしれない。

 ただ、厳しいことを言わせてもらえば、麗奈は滝先生相手に緊張しすぎだったように思う。

 見ていられないくらいガチガチに緊張していて、そこが麗奈の可愛いところだと思っていたけど、世間話すらまともにできなかったせいで、私の方が滝先生について詳しくなってしまった。

 高校時代に接する機会は、私も麗奈も大して変わらなかったはず。

 せいぜい部長だった分だけ、ちょっと多かったかもしれない程度だ。

 

「久美子は……産むの?」

 

 麗奈が真っ直ぐ見てきたので真っ直ぐ視線を返す。

 真顔な麗奈はやっぱり美しいと思った。

 アーモンド形の瞳に私の顔が映りこむ。

 

「産むよ」

「……滝先生とは?」

「結婚する」

「裏切るの?」

 

 裏切りという鋭い言葉に心が痛んだ。

 そうだ。私は幼馴染で元恋人である秀一を裏切り、一番の親友である麗奈を裏切った。

 私と滝先生がくっつくということは、そういうことだ。

 

「これが裏切りだっていうのなら、裏切る」

「絶交するって言っても?」

「絶交するって言っても」

 

 既に妊娠してしまっている。

 裏切りはもう終わっているわけで、麗奈がそれを責めるのなら受け入れるしかない。

 ここは引けなかった。

 

「…………」

「…………」

 

 睨み合うようにして見つめ合ったのはどの程度だろうか。

 ふと、麗奈の力が抜けて倒れ込んできて、慌てて支える。 

 

「……嫌。滝先生を失うのに、久美子も失うなんてできるわけない」

「麗奈」

「……久美子。今から思いっ切り泣くから」

「分かった」

 

 麗奈は私の頼りない胸に顔を埋めて、子供のように泣き始めた。

 麗奈が泣くところを見るのは、何度目だろうか。

 

 たぶん、最初に見たのは、中学の最後の大会だ。

 あの時の麗奈の悔し涙の感情を私は知らなかった。

 麗奈のあの涙から、私の三年間は始まったのかもしれない。

 

 お互いに泣いた、最後のソリオーディションの結果。

 悔し涙でいっぱいだった。

 感情的には麗奈に並べたのに、演奏技術で並ぶことはできなかった。

 麗奈は音楽に選ばれた特別な人で、私は特別ではなかった。

 

 今は、麗奈が私の腕の中で泣いている。

 私が滝先生に選ばれたのかどうかは分からないけど、私は先生の特別な人になり、麗奈は特別な人になれなかった。

 努力したものに神様が微笑むなんて嘘だ。

 運命の神様がたまたま私の方を向いてウインクして、麗奈には微笑まなかった。

 

 大声で泣き叫ぶ麗奈を私はずっと抱きしめ続けた。

 

「久美子」

「なに」

「滝先生を幸せにしなかったら許さないから」

「……私に幸せになってっていうところじゃない?」

「久美子は幸せでしょ。滝先生と結婚するんだから」

「……麗奈らしい言葉をありがとう。約束する」

「うん、約束だから。その代わり二人のことを応援してあげる」

 

 なんていう青春イベントを終えた後で、麗奈の家に泊まることになった。

 その時に事件が起きた。

 麗奈すらも予定していなかったことで、麗奈のおじさんに会うために滝先生の父親が麗奈の家に遊びに来て、サプライズ的にお義父さんと初遭遇することになり、私はかなり慌てふためくことになってしまった。

 お義父さんからは、いまだにこの時のことをからかわれたりするから恥ずかしい思い出だ。

 

 

   ◇◇◇

 

 

 と、こんな感じでドタバタしつつ、なんとか私は、妊娠、結婚、出産、育児で1年遅れたものの、無事に教師としての道を歩き始めた。希望していた北宇治に、夫である昇さんとは入れ替わりで就任することとなった。

 最初の数年間は、顧問は松本先生に任せて、副顧問として北宇治の指導に入った。

 

 これは知らなかったことだけど、不文律として教師同士が結婚している場合は、同じ学校には配属されないらしい。

 つまり、昇さんと結婚した時点で昇さんの指導をサポートするという私の目標は達成できなくなってしまった。それどころか昇さんは意外と子煩悩だったらしく、むしろ私の方が支えられる形で夫婦生活を送っていたりする。

 昇さんのお義父さんお義母さんが、既に定年退職していたのもあり、かなり手助けしてもらいながらも、なんとか教師生活と子育てを両立していった。

 

 北宇治は一時期低迷しかけたとこから復活し、関西五強の一つに数えられるようになっていた。

 全国には行けたり行けなかったりだけど、関西大会金賞の常連だ。関西地区から全国に進んだ高校はほとんどが金賞を受賞するという激戦区で、ライバルと切磋琢磨の日々を送っている。

 すっかり強豪校として板がつき、演奏会なども増えて、私が現役の頃よりも多忙な毎日だ。

 今の子達は、本当によく頑張ってくれていると思う。

 

 公立校の教師だから何度か異動はあったものの、専門性を配慮されているのか夫婦で入れ替わりで北宇治に就任して、ずっとどちらかが顧問として関わり続けている。

 今は私が北宇治の顧問だ。あすか先輩からは、遠山・葛西スペシャルじゃんって言われたけど、よく意味が分からなかった。

 

 これは余談になるけど、ライバル校の一角が昇さんが現在指導する高校で、関西の吹奏楽関係者の間では、今年は夫が勝った、妻が勝った、夫婦で二枠を占めたとかいろいろ話のネタにされてしまっている。昇さんとの関係は、生徒にも知られているので、からかわれがちなのが少しだけ恥ずかしかったり。

 

「あれ? 麗奈から着信入ってる」

 

 麗奈は、無事にプロの演奏家になって海外で活躍している。

 私が昇さんと結婚することとなった時に、多少は揉めはしたけど、今でも親友という間柄だ。

 私にとって麗奈は特別だし、麗奈にとっても私は特別だから。

 麗奈が海外中心の生活を送っているのは、私のせいかもしれないけど。

 麗奈がいまだに独身で、結婚しようとしないのは、完全に私のせいだと思う。

 

 この時間なら大丈夫かな、と判断して麗奈に連絡する。

 

「久美子」

「どうしたの急に」

「別にいいでしょ、声が聞きたくなって」

「毎週聞いてるでしょ」

 

 麗奈と私は、特に予定が入らない限り毎週決まった時間に通話している。

 時差の関係上、互いに都合のいい時間を気にしているとなかなか話す機会もなくなってしまうから、意識的にこの時間なら大丈夫というのを作るようにしていた。

 そこまでして麗奈と話しているのには、事情がある。

 単に親友というだけではなかった。

 

「それで、どうしたの」

「怒らずに聞いて」

「何かやらかしたとか?」

「やらかしとかじゃない」

「なら怒らないから言って」

「あのさ、結婚しようかと思う」

 

 時が止まった。

 麗奈が何を言ったのか、頭の中で反芻する。

 聞き間違いじゃないかと疑ったけど、麗奈の聞き心地のよい声を間違うはずもない。

 麗奈が結婚する。あの麗奈が。

 私が昇さんと結婚してからは、異性の気配を欠片も感じることのなかった親友の発言に、私の頭がエラーを起こしかけている。

 

「…………ありえない、うそでしょ、誰と」

「久美子、聞こえてるから」

「ご、ごめん。ええっと、おめでとう?」

「ぜんぜんおめでとうって言う気ないでしょ。さっきのひとり言に答えるけど、ありえた、本当、久美子のよく知る人と」

「私の知っている人!?」

 

 麗奈の放り込んでくる爆弾の威力が大きすぎる。

 脳内が大惨事だ。

 待って、最初に怒らずに聞いて欲しいとか言ってなかったっけ。

 結婚なら怒る必要ないし、私の怒りそうな人と結婚するってこと?

 

「滝先生と結婚するの!?」

「滝先生の浮気を疑ってるの?」

「いや、ないけど、私の知り合いで麗奈が結婚しそうな相手が滝先生くらいしか知らないし」

 

 思わず昔の呼び方で呼んでしまったくらい、動揺してしまっていた。

 昇さんではない。だとすると他の選択肢は。

 

「まさか秀一と!?」

「塚本はタイプじゃないって昔言ったでしょ。それに既婚者」

「でも、他にいないでしょ、私の知り合いで麗奈と結婚しそうな男の人って」

「誰も男とは言ってないし」

「同性婚!?」

 

 今どき、珍しくないし、麗奈ならむしろそっちの方が自然な気もするけど、誰だろう。

 緑や葉月や真由ちゃんも既婚者だ。

 同期で思い当たる人はいない。

 他学年で麗奈が親しい人もパッとは思い浮かばなかった。

 夢ちゃんとかみっちゃんとかは、麗奈にあこがれていたんだっけ。 

 二人が既婚者だったかどうか思い出そうとしたけど、はっきりとした答えは出てこなかった。

 

「分からない?」

「全然……誰と結婚するの?」

「結婚するというかプロポーズされた段階」

「どっちでもいいよ」

「大事なところだから。正直に言うと悩んでるし」

「嫌なの?」

「嫌じゃないから困ってるの」

「嫌じゃないならしたほうがいいんじゃない」

「久美子は応援してくれる?」

「当たり前でしょ」

「本当に?」

「本当だって……麗奈らしくないよ」

 

 たまに暴走することもあるけど、麗奈はいつだって自分というものを持っていた。

 ずっと憧れていた存在が恋愛に関してだけは、妙にポンコツになるのはなんでだろう。

 昇さんを奪った手前、私に麗奈を批判する資格はなく、できるのは背中を押して応援することだけだ。

 

「困ってるなら協力するし、私は麗奈の味方だから」

「分かった。安心した」

「安心?」

「私にプロポーズしてきたのは、響だから」

「はい?」

「年の差があるしどうかなって悩んだけど、久美子が味方になってくれるのなら結婚する」

「待って、響ってあの響!?」

「あのかどうかしらんけど、久美子の息子の滝響以外いないでしょ」

「ええーーーーーー」

 

 ユーフォのロングトーンで鍛えた肺活量のままに私は叫んでしまった。

 心配になった昇さんが部屋に入ってきたので、大丈夫というジェスチェーだけして退場してもらう。

 今、昇さんに話を聞かれるわけにはいかない。

 私と昇さんの最愛の息子である響の将来が掛かっているのだから。

 

 そう、麗奈が結婚すると言った滝響とは、私がやらかして昇さんとの間につくってしまった子供だ。

 現在17歳。幸いというと情けない話だけど、私ではなく昇さん似で整った容姿をしている。これは、親のひいき目じゃないはず。

 そして、昇さんに似たのか、やっぱり私に似なかったのか、それとも音楽一家に生まれた英才教育のおかげかは分からないけど、音楽の才能にも恵まれていた。本人の希望もあって高校からは、アメリカに留学している。

 

「響は男でしょ」

「そこなの」

「そうだけどそうじゃないっていうか、たしかに昔から響は麗奈になついてたけど」

 

 麗奈が日本に帰ってきたときは、必ず我が家まで顔を出してくれていた。

 昇さんに似た響の面倒をよく見てくれていて、響は響で麗奈になついていた。

 特に麗奈のトランペットが好きで、幼い頃は吹いて吹いてーっとせがんでいたことをよく覚えている。

 私のユーフォニアム、滝先生のトロンボーンではなく自分の楽器にトランペットを選んだあたり、麗奈へのなつきっぷりがよく分かる。

 

「麗奈は親戚のおばさんみたいなものでしょ」

「私もそう思ってたし、そうじゃなかったら預かってないから」

 

 響が海外に行きたいと言い出した時は、揉めたものの最終的には本人の自主性を重んじて、条件付きで認めることになった。

 その条件が、麗奈のお世話になることだった。

 海外留学を心配して経験者の麗奈に相談したら、麗奈の体験談を色々と教えてくれて、その上で心配なら私が預かろうかと申し出てくれた。

 渡りに船とはこのことで、滝先生にも相談して、響は麗奈のもとで海外留学を送ることになった。

 それがこんなことになるなんて、誰が予想できただろうか。

 

「響はまだ17歳でしょ」

「今住んでいるところは17歳から結婚できるし」

「それにしても早すぎるって」

「私もそう言ったけど、できれば子供も欲しいって言われたら」

 

 私が40歳ということは、麗奈も40歳になる。

 仮に子供がすぐにできたとしても、ギリギリのラインかもしれない。

 昔から何を考えているのかよく分からないところがある子だったけど、響もしっかり考えて求婚したのか。それなら親として応援してあげるべき。

 

「……いや、でも、麗奈だよ。気が強いし、結婚したら苦労しそうだし」

「だから聞こえてるって、誰が奥方関白よ」

「そこまでは言ってないから。せめて奥方中納言くらい」

「何その京都ジョーク。久美子が私のことをどう思ってるのかよく分かった」

「ごめんって、私だって動揺してるんだから」

「反対なの?」

「麗奈がダメとかじゃなくて、早すぎるでしょ。事情が事情だけに、反対はしないけど」

 

 響は、まだ学生だ。

 社会人になる前に結婚とか言われても、戸惑いの方が強い。

 私の妊娠を聞いた時の両親はこんな気持ちだったんだろうか。そりゃ怒ったり呆れたりする。

 とはいっても、大学まで出るのを待っていたらあと5年は掛かる。5年後には麗奈は45歳だ。それまで待たせることなんてできるわけがない。

 

「反対しないだけ?」

「……応援するって言っちゃったし、応援する。おめでとう麗奈。響にはあとで連絡するように言っておいて」

「ありがとう」

 

 と、麗奈が強気だったのもここまでで、急に声が弱弱しくなった。

 

「まだ相談があるんだけど」

「もうなんでもいってよ」

 

 響と麗奈が結婚する以上の驚きはないはずだ。

 

「滝先生は、賛成してくれると思う?」

「それは大丈夫じゃないかな」

「そんな適当に」

「いや、あの人は自主性大好きだから、響が自分で決めたことなら反対しないと思うよ」

 

 だからこそ響は、私の反対を押し切って親元を離れて音楽留学している。

 それが麗奈との結婚に向かうとは思わなかったけど。

 

「響が結婚。寂しくなるなぁ」

「親としては、留学とは感覚違うの?」

「一人息子だよ。喪失感あるって」

「ごめん」

「ううん、麗奈のところだからまだ大丈夫だと思う」

 

 響が結婚すると言っても、私と付き合いの深い麗奈だ。

 これからもずっと親友だし、会いにくくなることはない。

 もともと麗奈に預けていたわけで、その関係が変わるだけに近い。

 前向きに考えれば、悪い選択肢じゃないと思う。

 寂しいものは寂しいけど。

 

「私は、応援するから。おめでとう麗奈」

「ありがとう久美子」

「詳しい話は、響からも話を聞いてから」

「分かった。連絡するように言うから」

「うん」

 

 麗奈からの通話を切る。

 暗くなった画面をボーっと見ていると、次第に滲みだしていった。

 泣くつもりはなかったのに、不意打ちのように溢れる涙を止めることができなかった。

 

 この涙は何の涙だろうか。親友が結婚するのは嬉しい。でも、その相手が自分の息子であると言われてしまうと祝福だけというわけでもない。

 感情の整理がつかないのに、涙の制御なんかできるわけがなかった。

 

「大丈夫ですか?」

「昇さん……」

 

 どれくらいの時間が経ったのかは分からないけど、部屋から出てこない私を心配して昇さんが様子を見に来てくれた。

 嗚咽混じりに事情を説明すると、予想通り響の自主性を大事にして反対せずに結婚を認め、予想に反して私を優しく抱きしめてくれた。

 しばらくの間、昇さんの腕の中に包まれたまま、私は甘え続けてしまい、寂しさを埋めるためか久しぶりに盛り上がってしまったのだった。

 

 

   ◇◇◇

 

 

 十数年後。

 私の定年退職へのカウントダウンがそろそろ始まろうかとしていた頃、北宇治は三年連続全国大会金賞を受賞する黄金期を迎える。

 それは、それぞれ卓越した技術を持つユーフォニアムとトランペットの二人の女子生徒の入学から始まり、その二人を中心に三年間、北宇治の奏でる音が全国に鳴り響いた。

 

 なお、同じ日に生まれ同じ苗字を持つ二人の関係が双子の姉妹ではなく叔母と姪の関係で、私にとっての娘と孫だったことは、恥ずかしいので誰にも言えない秘密だった。




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