累はさっさと奥の部屋に向かうと整理整頓を始めた。その様子を見ていたヒサシは物の配置を勝手に変えられて文句の1つでも言いたい所だったがヒナギクに聞かれるため何も言えない。ヒサシの身体を手に入れた累は仕事をするためにこんな事をしているのではない。寝床のスペースを作っているのだ。
ヒサシはとにかく物作りに没頭して不摂生だった。それを知っている累は身体の所有権を有している事を良い事に健康的な生活を送ろうとしているのだ。断っておくとヒサシは別に殺人的なスケジュールに追われて人形作りをしている訳ではない。彼は好き好んで寝る時間を惜しんででも物作りをやっている。そういう人間なのである。
「…ヒサシ、ヒサシはあっちで寝なよ。ほら、今の僕の体なら寝なくてもいいから仕事ができる」
小声で話しかけるヒサシ。累はニッコリ笑うと居間に戻り寝具を取って来ては床に布団を敷く。
「ヒサシ…後生だよ。仕事をさせてくれ」
「おやすみ累。また明日」
そう言うと累はヒサシを仕事部屋から追い出し扉を閉めた。健康を気遣って早寝してくれるまではいいが、夜更かししても問題ない身体になってなお夜更かしする仕事を許してくれない。ヒサシは諦めて居間に戻った。居間ではヒナギクが寝る準備をしていた。
「累は寝ないのか?」
「あわっ…」
ヒサシはまた固まった。何か言わなければ。どんな話し方をすればいいのか。どんな回答をするのが正しいのか。累と言う人形を演じなければならないものの累そのままを演じる訳にもいかず、かといって累に接する時の様なヒサシの口調でもいけない。長らく片想いを続けて来た人が目の前にいる。彼はまともな応対ができなかった。
「ああ…、えっと。言葉は分かる?」
ヒサシは記憶の中から目の前の困難に対処する方法を考え続ける。しばらくはヒサシからの回答を期待していたヒナギクが諦めて寝ようとしている頃にある記憶が蘇った。実家にいた頃に家族よりも優しく接してくれた女中さんである。そうだ、あの感じを出せば…。ヒサシは勇気を出して喋る。
「は、はい。分かります。私、言葉分かります」
「そっか。話せない訳じゃないんだな」
「…あの、驚かないんですか?」
「驚かないのかって…ああ、人形が喋る事か。まあ職業柄慣れたもんだよ。私は退魔師なんだ」
「そうなんですか…。あの、遠方から来られたとの事ですがこちらには妖怪退治に?」
「いや、余暇をもらったんだ。羽を伸ばして来いって」
布団の中に入ったヒナギクと少しの間話していたが疲れている様で目がトロンと力なく閉じかける。彼女を気遣ってヒサシは適当な所で話を切ろうとするがヒナギクはヒサシが気になるらしく話を終わらせてくれない。
「ところで累、お前はどこで寝るんだ?」
「私は人形ですので寝ません。しかし物音を立ててはヒナギク様の眠りを妨げる事になるので朝までじっとしておりますのでご心配なさらず」
「ふふ。累、布団ならここにあるぞ」
ヒナギクはそう言うと布団の隅に身を寄せ、反対側の空いたスペースをポンポンと叩いた。ヒサシは両頬を手で抑え首をぶんぶんと横に振る。
「な、何卒ご容赦を!恐れ多く私にはとても…」
「ああ…そうだな。私は良くてもお前ほどの最高傑作を作ったヒサシは良く思わないだろう」
「い、いえ!ヒサシは文句ないと思います!しかし私の様な末輩があなた様と添い寝などと…」
「ひょっとすると寒さも痛みも眠気も感じないのかもしれない。しかし君は人間に、更に言えば私にとてもよく似ている。だからもし君が私だったら寒いのではないか、人間扱いを受けず嫌な思いをしていないかとか考えてしまうんだ。例えそうじゃなくても。すまない。私のエゴだ。好きにしてくれ」
そう言うとヒナギクはそのまま目を瞑った。ヒサシはないはずの心臓がドキドキしている様な気持ちになった。ああ、そうだ。ヒナギクは確かにこんな人だった。無関心でいれば煩いなどないだろうわざわざ下々にさえ気に掛ける慈愛の心の持ち主だった。大切にしながらも少しずつ色褪せた記憶がヒサシの中で彩度を取り戻して行く。
あの日、いじめられているのが名家生まれのヒサシでなくても彼女は助けただろう。虐めた相手が地元で有名な染屋の子供達であっても容赦はしなかった。殴り合いに殴り合いで応じ、戦意を無くせばそれ以上危害を加える事もしなかった。
十年と言う年月が経ってもヒナギクは少しも変わらない様だった。ヒサシは自身の意気地なさも全く変わらないなと内心で自嘲した。しばらくするとヒナギクの寝息が聞こえて来る。ヒサシは静かに呟いた。
「できませんよ。あなたの傍に居るには僕は不純過ぎる…」
翌日になると皆で食卓に並んで食事した。累は食べ物の味も知らなければ料理をした事もないので、日頃はそうしていると言う事でヒサシが料理をする事になった。ヒナギクは人形が料理をする様を珍しそうに眺めていた。ヒサシは人形の体なので飽くまで食べるフリだ。食べ物の味を知っているとお腹が空いていなくても食事が恋しい。
ヒサシの振る舞った料理は累やヒナギクの口に合うようだった。
「美味しい!累は凄いな、こんな料理を作れるだなんて!ヒサシが教えたのか?」
「教えていませんよ。私が料理しているのを見て勝手に覚えたんです。飲み食いできない身にありながら健気なものです」
「そうかあ。累は凄いな。私も1人欲しいぞ」
ヒサシはそれを聞いて驚いた。もしヒナギクがヒサシを自身の家に連れて帰えれば生涯一緒にいられるかもしれない。一瞬だけそんな考えが過った。累はヒナギクの言葉を聞いて笑う。
「ははは。累は優秀ですからね。しかし連れて行かれては私が困ってしまう。彼女は私にとって半身の様なものですから」
「それは残念だ」
そんな風なやり取りをして朝食を済ませた。ヒサシが食器の片づけをしているとヒナギクは窓から空を眺めている。空は雲が覆っていて雨が降っている。朝と言えどあまり明るくはない。彼女は荷物を手に取って出発の支度を済ませ頭に笠を被った。
「雨が止むまでゆっくりなされば良いのに」
「元々は無理矢理押し掛けたようなものだ。あまり長居するのも迷惑だろう」
「急ぎの用があるのであれば止めはしませんが…どうかお気をつけて」
ここから人里に降りるまでの経路は朝食時に確認している。おそらく昨日の夜の様に迷う事はないだろう。ヒナギクが出て行くとヒサシはその後姿をいつまでも眺めていた。やがてその背中が見えなくなるとヒサシは仕事部屋に向かった。
ぽつ、ぽつぽつぽつ…。雨が強くなって来た。しまいには土砂降りになり雷まで鳴る始末。あの様子ではあんな笠をかぶっても大して気休めにもならないだろう。ヒサシは仕事をしようにもヒナギクの事が気が気で身に入らなかった。
「ヒナギク様、無事でしょうか…」
「ちょっと見て来る!」
累の言葉を皮切りにいても立ってもいられなくなりヒサシは自宅を飛び出した。
「累、その体で飛び出すのは無茶ですよ!」
ヒナギクを追って飛び出すヒサシ。ヒサシの後ろを追いかける累。ヒサシが大声でヒナギクの名前を呼んで探し回っていると返事が聞こえた。彼女は15m程の高さの崖から落ちていた。このバケツをひっくり返した様な土砂降りでただでさえ視界が悪い中、草むらや木々で山道も分かりづらい。いつの間にか道を外して転落したのだろう。
ヒサシは焦って彼女の元に駆け寄ろうとするもので崖から足を滑らせて転倒してしまった。服屋やら肌が泥だらけになる。
「ヒナギク様、お怪我はございませんか?」
「いや…情けない話だよ。足を捻ってしまって…いたた」
「一度家に戻りましょう。ささ、掴まって…」
「かたじけない」
痛むのか元気がないヒナギクの肩を支えて共に家に戻ろうとするヒサシ。しかし体が思うように動かず転倒してしまった。ヒナギクも体勢バランスが取れず一緒に転んでしまう。そこに累がやって来た。
「累…無茶だと言ったでしょう。全くあなたと言う人形は…」
「僕の事はいい、ヒナギク様は足をお怪我なさっている。家まで送り届けるのだ」
ヒサシはつい口調が元に戻っていたがよほど精神の余裕がないためか気付かない様子だった。累は言葉を発さずにヒナギクの肩を支え、術を使ってヒサシを少し浮遊させると家まで共に連れ帰った。
累はヒサシの事が気になって仕方がない様子だったがまずはヒナギクだ。あの高さから落ちた割には本当に捻挫の他に怪我は見当たらない物のこの様子ではしばらくまともな歩行は無理だろう。本来累のために用意された服を召し物として渡した。着替えの手伝いはいらないと言うので累はヒサシのメンテナンスに仕事場に向かう。
累が怒っているのはヒサシから見ても分かった。
「ごめん。この体で無理してしまった」
「…累、私は怒っていますが本来の私の身体を乱暴に扱った事ではありません。あなたのその軽率さを怒っているのです。人間と遜色ない動きができるためお忘れでしょうがその体は泥や土、埃が入ればすぐに駄目になるのです。もし、もし私が発見できずにいたらどうするつもりだったんですか」
「ごめん」
ヒサシは累に人形の作り方を教えてはいない。しかし傍で観ていたためかあるいは自身の体の構造だから熟知していたためか、非常に的確に解体しては泥や土を取り除けた。ヒサシの知らない所で累は成長している物だ。あっという間に修理を済ませると劣化を防ぐための加工を手早く行った。
「乾くまでは動かないでくださいよ。やれやれ…」
そう言って累は仕事部屋を離れた。ヒサシはただ反省してその場に座っていた。
巻き舌宇宙で有名な紫ミミズの剥製はハラキリ岩の上で音叉が生まばたきするといいらしいぞ。要ハサミだ。61!