音を奏で歩んでゆく。
孤独に。

……けれど、一歩一歩大切に。

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アルペジオ

 

 時刻は深夜の3時21分。

 

 古くなった蛍光灯はチカチカと頭上で心許ない明滅を繰り返している。

 

 それがこちらのなけなしの集中力を削り取ってくるものだから、課題の進捗(しんちょく)(かんば)しくない。

 

 無論、そんなものがただの言い訳に過ぎないことは嫌と言うほどに自覚している。

 

 しかし目を悪くして今後の人生に影を落とすのも面白くない。

 

 ……蛍光灯を替える時期だろうか。

 

 いいや、いっそLEDとやらへの切り替え時なのかも知れない。

 

 だとすると今の生活費では如何(いか)にも心許(こころもと)ない。

 

 であるならば、もっとバイトを増やさないと…──

 

 

 

 

 

 

 鉛筆を放りだし静かに吐息をつく。

 

「………」

 

 息苦しい。

 

 煮詰まっている。

 

 急き立てる正体不明の焦燥感。

 

 そんなものに(とら)われることが心底煩わしい。

 

 だから、振り払うために大きく()()って伸びをした。

 

 酸素を脳に取り込めばこの閉塞(へいそく)した心持ちも何処か(ひら)けるような… そんな、気がして。

 

 そんなあれこれをボーッと考えていたのが悪かったのだろうか。

 

 勢いよく伸ばした拳の先に何かが当たる感触。

 

「……あ」

 

 不味(まず)い、と慌てた時にはもう遅い。

 

 背もたれ代わりに使っていた高い棚の天辺(てっぺん)に放られていた雑貨の数々が、衝撃でグラリと揺れ。

 

 存在すら忘れていた『思い出』たちは、容赦なく自分へと降り注いだのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──………。

 

 弦楽器の音色が耳朶(じだ)を打つ。

 

 それは軽快なメロディ、というわけではなくて。

 

 一つ一つの音色を、ゆっくりと噛み締めるように大切に。

 

 あぁ、ここは縁側だ。

 

 小学生の時分にお気に入りだった田舎の縁側。

 

 ここで自分はよく、風に当たりながら祖父のギターに耳を傾けていた。

 

「アルペジオ。……私はこれが好きでね」

 

 そうして、音楽のことなんてまるで興味のない自分に静かに語りかけてくるのだ。

 

「まぁ、これしか知らないんだが。……はは、下手の横好きというものなんだろうね」

 

 アルペジオとは一つ一つの音を順番に、静かに奏でていく演奏法のことだ。

 

「だが流行りのメロディなんてものを知らなくても、音楽を奏でられた気分になる」

 

 そう言って、一音一音大切に爪弾(つまび)く祖父の顔をよく覚えている。

 

 祖父は日本人にしては彫りの深い顔立ちをしていて。

 

 だからだろう。

 

 普段は物静かで表情に乏しいのに、笑う時は心底愉快そうに深い笑みを浮かべてくれるのだ。

 

 そんな、不思議と家族の誰からもちょっと浮いて(ちがって)見える祖父の笑顔がいっとう好きだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………」

 

 口を開きかけて、閉じる。

 

 この時間を、演奏を、言葉で邪魔したくはなかったから。

 

 そこに強い風が吹き抜けてきた。

 

 

 

 

 思わず目をつむる。

 

「風の向くまま気の向くまま。音楽だってそれは変わらない。……君は、どうだい?」

 

 目を開くと、祖父は演奏の手を止めていた。

 

 そして静かに、やんわりと、あの深い笑みを浮かべると、自分にギターを押し付けてくる。

 

「……えっ」

 

 思わず間の抜けた声を上げてしまう。

 

 家を飛び出し、ボロアパートで大学生活をしている『今』の自分の姿がそこにはあった。

 

 祖父は満足したように一つ頷くと、立ち上がり居間の奥へと消えていく。

 

「ま…っ!」

 

 思わず手を伸ばし…──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこで自分は目を醒ます。

 

 散乱した荷物に埋め尽くされたカーペットの上、虚空に手を伸ばした状態であった。

 

「……あぁ。……んっ、しょっと」

 

 苦心しながらなんとか上半身を起き上がらせると、ゴトンと古いギターが転がり落ちる。

 

 古い、古い、祖父の死後に我儘を言って譲り受けた年代物の赤いギター。

 

 

 

 

 

 

 

 ……それを手に取り、被っていた埃を払うと軽く爪弾(つまび)いた。

 

 長いこと放置されていてロクにチューニングもされていないギターはひどい音を鳴らす。

 

 それでも、一音一音。

 

 噛み締めるように鳴らしていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はは、は…」

 

 気付けば笑っていた。

 

 ポロポロ涙をこぼしながら笑っていた。

 

 止まらないアルペジオを奏でながら。

 

 一歩一歩、進んでいった先になにがあるのだろう。

 

 何も無いのかも知れない。

 

 アルペジオの行き着く先は…──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドン! と、壁が強い音を響かせた。

 

 ……隣の住人だ。

 

 こんな深夜に薄壁一枚隔てた先で音を鳴らされれば抗議の一つもしたくなるだろう。

 

「……知ったことか」

 

 ポツリ、つぶやく。

 

 なんだか視界が赤く染まっていて弦がよく見えない。

 

 ……先ほどの件で額を切ったのかも知れない。

 

「……知ったことか!」

 

 ペロリと舌で唇を湿らせつつ、勢いよく血反吐とともに吐き捨てた。

 

 乱暴にシャツで顔を(ぬぐ)いながら首を巡らせると、視線の先にやりかけの課題が入ってくる。

 

 提出日までの猶予はあまり残されていない。

 

「知ったことかッ!!!」

 

 涙を振り切って叫んだ。

 

 ドン! ドン! と強めに壁が、今度は二度も叩かれた。

 

 その妙なリズム感の良さに思わず吹き出してしまう。

 

 これじゃまるで合奏(セッション)をしているみたいだ。

 

 気を良くした『私』は、ますます演奏に没頭するのであった。

 

 

 

 

 

 

 いよいよブチギレた隣の住人と明け方にバトルが勃発(ぼっぱつ)したことをここに併記しておく。

 

 ついでに提出課題の期限に間に合わず教授に土下座して許しを請うたことも追記しておく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……知ったことかよ。これが私のアルペジオだ。これが私だけの『(みち)』なんだからさ」

 


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