夕方、日没直後。
その日の現場業務を終えた私は、家路に就いていた。
その家路には、最近整備された公園があった。
その公園は、既に日の没した時間帯ということもあり、冷え冷えとした雰囲気に覆われていた。
ふと見ると、日除けの下に三人の男女がいた。
男二人、女一人。
歳は…見たところ十六から十七ぐらい。
男女と言ったが、少年少女と言った方が良さそうだ。
もう少し詳しく言うなら、日除けの下に居たのは、少年少女のペアと、もう一人の少年だった。
気配とか殺気とかいうものは、何か特別な修行をしなければ感じられないと思われているかもしれない。
あるいは、気配とか殺気などというものは講談や小説、マンガやゲームの中にしか出てこない、幻想の産物だと思われているかもしれない。
だが私にとっては、気配や殺気は間違いなく現実に存在している。
そこに居た三人の少年少女からは、不穏な気配が溢れ出ていた。
断言しても良いが、この不穏な気配は、私じゃなくても見逃せなかっただろう。
そしてこの不穏な気配は、具体的な事実に変化した。
先ずペアの、少年の方がもう一人の少年に問うた。
「…何?」
問われて、もう一人の少年は応えた。
「…紗枝に話があるんだ…宏和には関係ないよ。」
そしてペアの少年が何か言う前に、ペアの少女が叫んだ。
「関係なく無いわ!私…昨夜は宏和の部屋に居たんだから!」
少女の言葉に、もう一人の少年は一瞬言葉を詰まらせてから…。
「え…?……どういうことだよ、紗枝…君……。」
「どうだって良いでしょ!剛には関係ないわ!」
ペアの少年と少女は宏和と紗枝、もう一人の少年は
少し間を置いて、ペアの少年…宏和が口を開いた。
「…もう止せよ、剛…。」
「宏和…?」
「どう見ても、君が嫌がる紗枝を追っかけてるようにしか見えないよ。」
「…何だとぉ……宏和ゥ!」
剛は激昂し、宏和に掴み掛かった…が…。
宏和は容易く剛の後を取り、剛の腕を捻り上げた。
宏和の動作は、
…この宏和という少年…見たところ人間には違いないようだが…。
「やめてよね…本気で喧嘩したら、剛が僕に敵うはずないだろ…!」
そう言って宏和は剛を突き放した。
突き放された剛は、地面に倒れ込んだ。
剛を見下ろし、宏和は言葉を続けた。
「紗枝は…優しかったんだ…ずっと付いててくれて…抱きしめてくれて…!」
「僕がどんな思いで戦ってきたか!誰も気にもしなかったくせに!」
言葉の後半は、正に「絶叫」だった。
日没後の辺りは薄暗く、私は三人から少し離れた位置に居たが…宏和が泣いていることは見て取れた。
三人の間には、一体何があったのか…。
宏和に見下ろされた剛は、一瞬だけ俯いていたが…。
「…だからって…だからって!こんな!こんなことッ!」
剛は自分を奮い立たせ、立ち上がった。
…そこで私は剛と宏和の間に滑り込み、割って入ることにした…。
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俺と宏和の間に割って入ったのは、艦娘…戦艦の武蔵だった。
俺はこれまでにも何度か武蔵を見かけたことはあった。
だが俺はこの時初めて、武蔵という艦娘を恐ろしいと思った。
この武蔵は本当に突然、俺の前に現れた。
視界に入ってくるところが見えなかった。
それなのに音もなく、それどころか空気を揺らすことすらなく、この武蔵は、俺と宏和の間にいきなり姿を現した。
この時、俺は武蔵と眼を合わせた。
武蔵と眼が合った瞬間、俺の体は強ばり、動けなくなってしまった。
だが俺が武蔵を恐ろしいと思ったのは、異様な現れ方をしたからでも、金縛りに掛けられたからでもない。
…武蔵と眼が合ったとき、俺の頭に上った血が、一瞬で下がってしまったからだ。
この時、俺は完全に逆上していたはずだった。
だが武蔵の眼を見た途端、それだけで俺は冷静になってしまった。
俺は冷静になり、闘志を失った。
宏和に対する闘志も、怒りも、失せてしまった。
俺は、俺の心は、武蔵に制圧され、屈服してしまったんだ…。
俺は武蔵に屈服し、声を出すことも出来なくなっていた。
一方、宏和は…武蔵から紗枝を庇う体勢をとりながら…武蔵に問いかけた。
「な…何ですか、あなた…は…?」
宏和の問いかけに武蔵は、少し体を宏和の方に向けて、応じた。
(武蔵は、文字通り俺と宏和・紗枝の”間に立つ”形を取った。)
「驚かせてしまったか?だが私も仕事柄、暴力沙汰は見過ごせぬタチでな。」
「暴力沙汰って…僕たちは、ただ…。」
「こいつ…剛と言ったか…こいつはお前に掴み掛かりに行ったし、お前は剛の腕を捻り上げて、地面に突き倒した。」
「………。」
「お前の主観はどうでも、傍目から見ればこれは立派な暴力沙汰だな。」
「………。」
宏和は黙り込んだ。
そして宏和が黙り込んだのを承けて、武蔵は宏和に問いかけ始めた。
「お前…宏和…と言ったか?さっきのお前と剛のやりとりで、少し気になることがあったんだが。」
「…何ですか?」
「お前はさっき『僕がどんな思いで戦ってきたか、誰も気にもしなかったくせに』…と言ったな。」
「……はい。」
「お前は今誰かと、何らかの意味で『戦って』いるのか?」
「…ええ…。」
「お前は剛に対して『誰も気にもしなかったくせに』と言った…『誰も』と。」
「………。」
「この『誰も』というのは…ここに居る剛を含めた、お前の仲間・友人たちのことか?」
「そうですよ!」
「ではお前の『戦い』は、お前の仲間・友人たちを、何らかの意味で『護る』ための戦いなのだな?」
「そうです!」
そして武蔵は「結論」を出した。
「ならお前は剛たちと縁を切って、剛たちの前から去った方が良いな。」
…!?
突然現れて、何を言ってるんだ?
そうは思ったけど、心を制圧されたままの俺は声を出せなかった。
だが武蔵が言ったことには、宏和も黙ってはいられなかったみたいだ。
「な…ど、どういう意味ですか!」
「言葉の通りだ、お前はもう剛たちとは縁を切った方が良い。」
「なんであなたにそんなこと言われなきゃならないんですかっ!ぼ、僕たちのこと、何も知らないくせにっ!」
「確かに私は、お前たちのことについては何も知らない。」
「じゃあなんで口出しするんですか!」
「お前が剛たちと縁を切った方が良いということは、お前の言葉から明らかだからだ。」
「…!ぼ…僕の…言葉…?」
一息置いて、武蔵は話を続けた。
「お前はさっき『僕がどんな思いで戦ってきたか、誰も気にもしなかったくせに』と言った。」
「お前は剛たちのために、辛い思いをして…いや、辛いの一言では片付けられぬほどの思いをして戦い続けてきたのだろう。」
「だがお前は、剛たちがお前の苦しみを気にもしていないとも言った…。」
「このことは、お前にとって剛たちは、もはや友人でも仲間でもないと言うことを意味している。」
武蔵の指摘を受けて、宏和は明らかに動揺した。
「ち、違います!つ、剛は、剛たちは僕の…僕の…友達です!」
「じゃあお前はどうして、剛たちが自分の苦しみなど気にもしていないなどと言ったのだ。」
「そ、それは…!さっきは感情的になってたから…ッ!思わず…ッ!」
「感情のままに発した言葉、それはお前の本当の気持ちに他ならぬ…やはり、もはや剛たちはお前の友人でも仲間でもないということだな。」
「違います!違います!僕は…僕は…!」
武蔵の言葉は、声はどこまでも静かで穏やかだった。
静かに、穏やかに、それでいて容赦なく、武蔵は言葉だけで宏和を追い詰めていった。
「お前が、外面だけでも剛たちと友人・仲間のままで居ようと思うなら」
「あるいは、剛たちを護るために戦うという格好だけでもつけておきたいと思うなら」
「お前は絶対に『剛たちは自分の気持ちを気にもしてくれない』などと言うべきではなかった。」
「だがお前は現実に、絶対に口にしてはならない台詞を口にしてしまった。」
「このことは、お前が既に自制の利かぬ状態に陥っていることを意味している。」
「剛たちを護るために戦うと言うが、こんな状態のお前にそんなことが出来るのか。」
ここで武蔵は、一瞬だけ俺の方を見て…また宏和に言葉を続けた。
「お前は現実に、こんな状態に陥っている。」
「そこから察するに、剛たちがお前に戦いを、過酷な戦いを強いてきたというのも、事実なのだろう。」
「だとすれば私の目から見ても、今のお前たちが友人同士・仲間同士であるとはとても言えない。」
「この点からも、お前は剛たちと縁を切って、剛たちの前から去った方が良い。」
俺はこの直前、宏和に掴み掛かって返り討ちにされていた。
そしてこのとき、武蔵は言葉だけで宏和を追い詰めていた。
だがこの武蔵は、俺たちが宏和に過酷な戦いを強いてきたのだろう、とも言った。
…俺に代わって宏和を追い詰めていても、この武蔵は、俺の側に立っていたわけじゃなかった…。
「でも…僕が…いなくなったら…。」
宏和の呟きを承けて、武蔵は眉根を寄せ、さらに続けた。
「誰が剛たちを護るのか、か?」
「何かと戦うとき、採れる道が本当に一つしかなければ、その先には敗北しかない。」
「剛たちを護る道が、本当に今の道しか無いなら、その先には破滅しかない。」
「そしてお前は既に限界を迎えている。」
「お前にまだ剛たちを護ろうとする意思が、僅かでも残っているのなら」
「別の道を探さなければなるまい。」
「…何の
「何かと戦い、何かを護るために造られた存在だ。」
「別の道は、今お前の目の前にもあることになる。」
「私は、お前たちの問題に首を突っ込んで、口出しまでしてしまった。」
「ならば事と次第によっては、私が責任を負わねばなるまいな。」
…え?それって…武蔵が、宏和の替わりを引き受ける…ってことなのか…?
「でも…僕が…僕が…やらなきゃ…。」
もはや虫の息という
武蔵は、一歩だけ宏和に歩み寄って…。
「もう、休むんだ。」
「お前はもはや、戦えぬ。」
宏和の心が折れる音が聞こえた…そう思えた。
宏和は、その場に膝をついた。
「宏和…!」
紗枝はしゃがみ込んで、その場に膝をついた宏和に寄り添った。
そして、武蔵に強い視線を向けた。
「あ…あなた!何なの!?通りすがりのくせに!人間でもないくせに!」
人間でもないくせに、という言い方に、武蔵に対する紗枝の強い…渾身の敵意を感じた。
しかし紗枝の渾身の敵意も、武蔵にはまるで通じなかった。
「通りすがりにすぎないというのは、暴力沙汰を止めない理由にはならないし、病人を救護しない理由にもならない。」
「ところで、貴女も剛たちとは縁を切って、宏和と共に剛たちの前から去った方が良いのではないか。」
「!!…な、なんで…そんなこと…!」
「先ず貴女は、昨夜は宏和の部屋に居たと言った。」
「それから宏和は、剛が嫌がる貴女を追いかけているように見えると言った。」
「そして剛と宏和は、私の前で暴力沙汰を起こした。」
「総合すると剛と宏和は、貴女を巡って争っていたようだな。」
実を言うと俺と紗枝は、お互いの家同士に決められた許嫁だった。
家同士が決めたことではあったけど、俺は紗枝の許嫁になれて良かったと思っていた。
紗枝の方も、俺のことを憎からず思ってくれていた…そう思っていた。
でもこの日紗枝は、急に俺との婚約を解消したいと、一方的に言ってきた。
納得できなかった俺は、紗枝に真意を問い質すために紗枝を追いかけていたんだけど…。
武蔵には俺と紗枝の間にある事情など、どうでも良いようだった。
「私は所謂『誰とでも寝る
「良いと言ってくれる相手なら、誰とでも相手になる。」
「そんな私から見れば、好きな相手は何人居ても、別に良いんじゃないかと思うんだが…。」
「だ、だから何!?あなたなんかと一緒にしないで!この淫乱人形!」
「ならやはり貴女は宏和を選び、剛を切り捨てたということか。」
「切り捨てたということか」と言われて、紗枝は怯んだように見えた。
武蔵は、畳みかけるように言葉を続けた。
「やはり貴女は剛たちと縁を切って、宏和と共に剛たちの前から去った方が良さそうだな。」
「だ…だから…なんで…私が、私たちの方が逃げ出さなきゃならないのよっ!」
「自分は何も悪くないと言うことか?」
「だが貴女と剛のどちらに非があるかなどということは、この際どうでも良いんだ。」
「問題なのは、剛と宏和が貴女を巡って争って、その争いが現実に暴力沙汰になったということだ。」
「ここでもし貴女と宏和が、剛たちの前から去らなければ」
「宏和は貴女のために剛と戦い続けることになる。」
「…だが私の目から見ても、宏和はもう限界だ。」
「絶対に言ってはならないはずの台詞を言ってしまうほど、宏和は追い詰められている。」
「このまま戦い続けていたら、宏和は遠からず廃人になってしまうだろう。」
「貴女は、宏和を選んだというのなら、宏和を想っているというのなら」
「宏和と共に剛たちから離れ、宏和を戦いから遠ざけることを考えるべきではないのか。」
「それとも貴女には、宏和を戦わせ続けて、廃人にしてしまいたい理由でもあるのか?」
…紗枝は、武蔵に言い返さなかった。
「まあこれは、詳しい事情も知らぬ通りすがりの意見にすぎない。」
「だが今のお前たちは、通りすがりの私から見ても深刻な状態だ、ということだけは言っておこう。」
「…もう日も暮れている…落ち着いたら、寄り道せずに家に帰るんだな。」
最後にこれだけ言って、武蔵はこの場を後にした。
宏和は俯いて、その場に膝を付いていた。
紗枝は、何も言わず…何も言えずに、宏和に寄り添っていた。
俺は…どうしたら良いのか、何を言えば良いのかわからなかった。
どうすることも、何を言うことも出来ず、俺もその場を後にした。
俺はしばらく、武蔵と一緒に歩いていた。
武蔵に付いて行ったわけじゃなくて、行く方向が一緒だったんだ。
こうして一緒に歩いていたら、武蔵は俺に言葉を掛けてきた…。
「あいつ…宏和は『僕がどんな思いで戦ってきたか、誰も気にもしなかったくせに』と言っていたな。」
「あいつは今までお前たちを護るために戦ってきたということだったが」
「感情のままにあんな台詞を口にしてしまうようでは…」
「あいつはもう、お前たちのために戦うことはおろか、お前たちと一緒に居ることすらできまい。」
「…何か言いたいことはないか?」
…この時の俺にはわかっていた。
宏和が俺たちのことを、もう友達でも仲間でもないと思っていることを。
宏和にそう思わせてしまったのは、俺たちなんだということも。
…そして武蔵が俺に尋ねたのは、俺の「言い訳」なんだってことも…。
「僕らが戦いに巻き込まれたとき…あ、戦いっていうのは…。」
「その『戦い』については、後で聞こう…それで?その戦いに巻き込まれてから、どうしたのだ?」
武蔵は、俺に「言い訳」を促した。
武蔵に言い訳を促されたとき、俺はこの武蔵を、やはり恐ろしいと思った。
人は何か言い訳をするとき、心のどこかで自分に非があることを認めている。
言い訳をすると言うことは、自分の非を、罪を直視することに他ならない。
…武蔵は宏和の心をへし折り、紗枝を黙らせ、そして俺には俺自身の罪を直視させた。
武蔵は俺たち三人を三人とも屈服させることで、俺たちの争いを仲裁…いや、鎮圧したんだ。
屈服した俺は、促されたままに言い訳を始めた…。
「…僕らが戦いに巻き込まれたとき、僕らはみんな、どうしたらいいかわかりませんでした。」
「そんな中、あいつ…宏和だけが真っ先に動いて、僕らを護ってくれたんです。」
「それから、戦いが長引いてしまって…。」
「宏和は、ずっと戦い続けることになってしまったんです。」
「あいつはずっと戦い続けていたのに、僕らはその間、大したことは何も出来なくて…。」
「それでわかったんです。」
「あいつ、元から僕らよりずっと優秀だったんですけと」
「やっぱりあいつは、生まれながらにして僕らとは出来が違うんだって。」
「僕らが何をやったって、あいつには敵わないんだって。」
「僕らが何をやったって、無駄なんだ…って。」
「それで…結局あいつに何もかもを押しつけてしまってたんです…。」
俺の言い訳を受けて、武蔵は口を開いた。
「私も、あいつ…宏和がお前の腕を捻り上げるところを見た。」
「見たところ、あいつは確かに天賦の何かを持って生まれてきたようだな。」
「…はい。」
「あいつは、お前たちの誰よりも強く、誰よりも先に、誰よりも上に居る…というわけか。」
「…はい。」
「そしてお前は望んでいるのだな?…あいつの様になりたい、あいつの様でありたい…と。」
「…そうかもしれません…いえ、そうです…確かに。」
武蔵は俺に言い訳をさせ、俺に自分の罪を直視させ、そして俺の無様な一面を暴き立てた。
「ふむ…。」
俺を屈服させた武蔵は、少し考えるそぶりを見せて…また口を開いた。
「一つ、問題を出そう。」
問題…?
俺が反応する間もなく、武蔵は俺に問いを出した。
「秋津洲が単独航行中、敵…戦艦棲姫に遭遇したとする。」
「この時、秋津洲は何をすべきだろうか?」
「一応補足しておくと、戦艦棲姫は強力な深海棲艦で、秋津洲は…非力な艦娘だ。」
なんでここでそんな問題を…?
でも…艦娘が、敵の深海棲艦に遭遇したって言うのなら…。
「…それは…戦うしかないんじゃないですか…。」
「だが戦艦棲姫は強力な深海棲艦で、秋津洲は非力な艦娘だ。」
「秋津洲が戦艦棲姫に正面から戦いを挑むのは、無謀ではないか?」
「じゃあ、どうしたら良いって言うんですか?」
「繰り返すが、戦艦棲姫は強力で、秋津洲は非力だ。」
「敵が強力で自分が非力なら、先ず逃走を図るのが現実的だろうな。」
…逃走…逃げる…?
非力なら、無力なら、逃げるしかないって言うのか…?
自分が武蔵だからって…強いからって…勝手なことを…!
「弱かったら、逃げるしかないって言うんですか?」
「弱いやつは、負けるしかないって言うんですか?」
「そんなこと…やってみなくちゃ、わからないじゃないですか!」
俺は武蔵の言い草に、ただ感情的に反発した。
馬鹿にされても仕方がない、幼稚で稚拙な反発。
それでもこの時の俺は、武蔵の言い草に反発せずにはいられなかった。
でも…。
「やってみなくちゃわからない…それも確かに真理だ。」
「…えっ?」
武蔵は、俺の幼稚で稚拙な反発を「真理」と言った…「真理」と。
「逃走を図るのが現実的と言っても、必ず逃げ切れるとは限らない。」
「決戦を挑むのが無謀と言っても、必ず沈められてしまうとは限らない。」
「自分で出題しておいて、こんなことを言うのもどうかと思うが」
「何をすべきか、という問いに対しては、正しい答など存在しないのかもしれん。」
この時、俺は戸惑っていた。
…でも武蔵が、馬鹿にされても仕方がない俺の反発を、馬鹿にしなかったということだけは理解出来た。
「何をすべきだろうか?」
「この問いに、正しい答は無いかもしれない。」
「だが…誤った答は、確かに在る。」
「誤った…答?」
「諦めること、力の無さを嘆くこと、力の差に絶望することだ。」
力の差に絶望することは…誤り?
俺は話の続きを待ち、武蔵は…話を続けた。
「昔から人間は、力ある者を尊び、力なき者を賤しめてきた。」
「アニメやマンガ、小説などの創作物でも、有能な者は良く描かれ、無能な者は悪く描かれることが多い。」
「有能であることは美徳であり、無能であることは悪徳である。」
「…そう思っている人間や艦娘は多い。」
「だから、自分が有能なのか無能なのかを気にする人間や艦娘も多い。」
「だが有能であろうと無能であろうと、人間も艦娘も、現実の中で生きていれば問題に直面する。」
「現実の中で問題に直面したとき、自分が有能か無能かを気にしても意味が無い。」
「いや、意味が無いどころか、有害ですらある。」
「例えば、秋津洲が戦艦棲姫に遭遇したとき」
「秋津洲が、自分は非力だから何をしても無駄だと思ってしまったら」
「それで逃げることも戦うこともしなければ」
「秋津洲は沈められてしまうしかない。」
「お前は…自分は何をやっても宏和には敵わない、と言ったな。」
「お前は自分の身の程を弁えているつもりなのかもしれないが…」
「力の無さを嘆くことは、生きることを諦めることに他ならない。」
「…逃げることも戦うこともしない秋津洲が、戦艦棲姫に撃沈されるように、な。」
「そういえば、どこかの先生が言っていたな」
「あきらめたら、そこで試合終了ですよ…と。」
「これに倣って私も言おう」
「自分の無力を気に病んだら、そこで人生終了だ…と。」
…自分に力が無いと思うことは…生きることを諦めること…なのか…。
武蔵の話は続いた。
「力ある者、有能な者、優れた者は尊ばれる。」
「だがこうして尊ばれることは、良いことだと言えるだろうか?」
「…え?…尊ばれるんでしょう?…大切に思われるんでしょう?…それは、良いことなんじゃないんですか…?」
「そうかな…。」
「…貴方にしか頼めない、貴方にしか出来ない、貴方だけが頼りだ…。」
「優れた者は周囲の者から、明に暗にこう言われる。」
「そして優れた者は、色々な意味で…許されない。」
「許されない?」
「周囲からの期待を拒むことは許されないし、失敗することも許されない。」
「そして優れているからと言って、自分の都合を通すことも許されない。」
「………。」
「優れた者は尊ばれる、などと言っても」
「それは結局、周囲から酷使され、費消されることを意味している。」
「だとすれば、尊ばれることが良いことだとは、とても言えない。」
「役に立つ木は、伐り倒されてしまうんだ。」
「………。」
「…そしてお前たちは、宏和を伐り倒してしまったな。」
「………!」
反論しようと思ったけど、出来なかった。
そうだ…俺たちは、俺は、確かにあいつを、都合よく使ってきたんだ…。
「優れているとか劣っているとか、そんなことに拘って良いことは何も無い。」
「そんなことに拘っていたら、人間は役に立つ木として伐り倒されるか、生きながらにして死ぬしかなくなる。」
「さらに言えば、それでお前は友を失うことになった。」
あいつは優秀だとか、俺たちには何も出来ないとか…そんなことで、俺たちは、俺は…あいつを…。
「僕は…俺は…あいつとはもう、友達には戻れないんでしょうか…。」
俺は声を絞り出して、武蔵に問うたけれど…武蔵の回答は厳しかった。
「わからん。」
「私に言えるのは、今のあいつには休養と治療が必要だということだけだ。」
「私はあいつに休むよう奨めたが…あの奨め方は拙かったかもしれぬ。」
「奨め方が拙かったって…どういう意味ですか?」
「………。」
武蔵は答えなかった。
武蔵はこの沈黙によって、自分も決して清廉な艦娘ではないということを示していた。
何故だかわからないけど、この時の俺にはそれがわかった。
「ポーカーでも大富豪でも、エカルテやドゥラークとやらでも」
「どのゲームも配られたカードで勝負するしかない。」
「自分はゲームが下手だと嘆く前に」
「…先ずは配られたカードを確認しようじゃないか。」
そう言うと、武蔵は俺に名刺を手渡した。
海神警備・岩川台営業所
一等警備正 黒鉄 武蔵
営業所所在地:…
「宏和が戦いから降りてしまったら、ここに来い。」
「え…それって…やっぱり武蔵さん、あいつの替わりを…?」
「お前たちの事情に首を突っ込んで、口出しまでしてしまったからには、私も何かしなければなるまい。」
「お前たちの戦いに、私が直接介入するのは流石に無理だろうが」
「せめて知恵ぐらいは出させてもらおう。」
「ああ、だがいきなり提督執務室棟…窓口に来たら、正式な依頼の話…カネの話になってしまうから」
「先ずは営業所敷地内にある甘味処の『間宮』に行くと良い。」
「私が居れば、私がそこで話を聞くし…」
「私が居なくても、そこに居る艦娘の誰かに自分は武蔵の知人だと言えば」
「その艦娘が、お前の話を聞いてくれるだろう。」
…この四日後、俺は「間宮」を訪れることになった。
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それから四日後の夕方、剛は「間宮」にやって来た。
剛は一人ではなく、同級生らしい男女二人を伴っていた。
こうして剛が、同級生を伴って「間宮」にやって来たと言うことは…やはりそういうことだったのだろう。
そのとき丁度「間宮」に居た私は、まず剛たちが巻き込まれていた「戦い」について話を聞いた。
詳しくは言えないが、剛たちが巻き込まれていた「戦い」は、予想以上に過酷で、複雑な「戦い」だった。
安請け合いしすぎたかとも思ったが…私は取り敢えず事情・状況を聞き取り、私なりの意見を述べることにした。
幸い…否、残念ながら、剛たちの「戦い」…トラブルは、岩川台営業所の売上には繋がらなかった。
剛たちは、私と二~三度話をした後、岩川台営業所に依頼することなくトラブルから抜け出すことが出来たのだ。
初めに剛たちから話を聞いたとき、金剛か扶桑の知恵も借りねばならぬかとも思ったが…その必要もなかった。
私自身も、大した話はしていない。
私はただ、剛たちとの対話を通じて、剛たちが何を望んでいるのか、望みを妨げているものは何かを特定しただけだった。
それだけで剛たちは、自分たちが何を如何すべきか、決めることが出来た。
…剛たちは、自分たち自身で思っていたよりも、ずっと優れていたのだ。
「ありがとうございます、おかげで皆、助かりました。」
この日も、剛は「間宮」にやって来た。
前もって私がいる日を確認してやって来たらしい。
剛は、自分たちの戦いに、一応の決着がついたことを私に報せに来たのだ。
「ありがとうございますと言うが、私は何も大したことはしていないぞ。」
「それでも武蔵さんと話したことで、俺たちは自分で
「本当に、ありがとうございます。」
「そうか…まあ、岩川台営業所の従業員としては、二進も三進もいかなくなって、うちに仕事を依頼してくれた方が都合が良かったのだがな。」
「武蔵さん…商売は下手ですね。」
「大淀さん…上席にもよく言われるよ、あなたに営業は任せられません、とな。」
そこで剛は穏やかな笑みを浮かべたが…その笑みには、影が差していた。
「……宏和のことか。」
私が尋ねると、剛は頷いた。
「お前は、どうしたいんだ?」
「…また、あいつと友達に戻りたい…です。」
「あいつと友達に戻るには、どうすれば良いか?」
「…わかりません…。」
「わからなければ、どうすれば良いか?」
「それは…考える、しか…。」
「わかっているじゃあないか。」
「えっ。」
「わからなければ、考えれば良い。」
「考えてもわからないなら、他の友達にも考えてもらえば良い。」
「あいつと友達に戻りたいと思っているのは、お前だけではないのだろう?」
「それでもわからなければ、難しければ」
「簡単になるまで待てば良い。」
「何もしなくても、時は過ぎて、状況は変わる。」
「そして状況が簡単になった時に行動を起こせば」
「お前を、お前たちの願いを妨げるものは、何もない。」
「………。」
剛は、話の続きを待つように黙っていた。
「気づいているか?」
「考えること、考えてもらうこと、待つこと。」
「自分が本当に、全くの無能だったとしても、この三つの内どれかは必ず出来る。」
「自分が本当に、全くの無能だったとしても、出来ること、するべきことはあるんだ。」
「肝心なことは…目的を、願いを忘れないことだ。」
「無論、願いを忘れなかったからと言って、その願いが必ず叶うわけではない。」
「だが願いを叶えようとすることは、そもそも全て博打だ。」
「優れた者が願いを叶えられないこともあるし」
「劣った者が願いを叶えてしまうこともある。」
「…と言うより」
「優れた者とは、運良く願いを叶えられた者のことで」
「劣った者とは、運悪く願いを叶えられなかった者のことなのだ。」
「だから誰かが優れているとか劣っているとか言うことは」
「願いが叶った、あるいは叶わなかった後で言うことだ。」
「今まさに願いを叶えようとしている時に言うべきことではない。」
「そして人が、自分が優れているか劣っているかを気にすることは」
「何の意味もない…どころか有害ですらある。」
「自分を優れていると思ってしまったら、人は勝てない博打にも手を出してしまう。」
「自分を劣っていると思ってしまったら、人は勝てる博打も打てなくなってしまう。」
「特にお前たちの場合」
「自分たちは劣っていると思い込んで、勝てるかもしれない博打から身を退いてしまった」
「そして優れていると思われていた宏和に、勝てないかもしれない博打を強いることになってしまった。」
「…そして宏和は壊れて、お前たちは友を失うことになった…。」
「………。」
そこで剛は俯いた。
「すまん…だが、最後に一つだけ言わせてくれ。」
剛が顔を上げたのを確認して、私は続けた。
「…だから実際に生きている人間(そして我々)にとって」
「優れているか劣っているか、という物事の見方は邪魔でしかない。」
「まして今のお前には、お前たちには」
「叶えたい願いがあって、そのためにすべきこと、出来ることが現実にあるわけだから、な。」