禁忌の森で神隠しにあった友達を救うべく立ち上がった、一人の少女の物語。

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かみさまとかくれんぼ

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「みいちゃん。かみかくし、ってしってる?」

 

「しらない、ちなちゃん」

 

 わたしとちなちゃんはいえがとなりどうしで、なかよし。

 

 ちなちゃんといっしょに、かわでみずあそびしたり、たんぽぽのしろいのをふーってやったり、どろだんごをつくるのがすき。

 

 むらのあちこちで、いーっぱいあそんだ。ほかにもなかのいいこはいるけど、ちなちゃんがいちばん。

 

 きょうも、はたけのおせわをしているおじさんをみながら、べんちにすわってちなちゃんとアイスキャンデーをなめてる。

 

 ちなちゃんはえっへんってかんじで、アイスをもっていないほうのてをこしにあてると、

 

「じゃあね、おしえてあげる。かみかくしっていうのはね、もりにはいったらかみさまにつれてかれちゃうことだよ」

 

 って教えてくれた。

 

「それをかみかくし、っていうの?」

 

「そうだよ」

 

「じゃあ、しってるよ。かみかくし」

 

 いつだったかなあ?おふとんのなかでおかあさんがきかせてくれたときのことをぼんやりとおもいだした。

 

 ねむれなくて、おかあさんになにかおはなしして、っていったら、むらのはずれのもりにはかみさまがでるからちかづくな、だって。

 

 かみさまにあってみたい、っていったら、

 

「あそこは神様のおうちだから、勝手に入っちゃだめなのよ」、だって。

 

 じゃあ、ごめんください、っていってからはいればいいの?ってきいてみたら、

 

「それでもだめよ、どんなことをしたって、森に入ってしまったら神様が怒って、みいちゃんを隠してしまうのよ。神様に隠されちゃったら、お家に帰れなくなっちゃうんだよ。みいちゃんは、お母さんと二度と会えなくなるのは嫌でしょう?」

 

「うん」

 

「とにかく、あの森には近づかないこと。わかった?」

 

「わかった」

 

「良い子ね、みいちゃん。もう寝ましょう」

 

 おかあさんはそういって、わたしのあたまをなでてくれた。そのてはあったかかった。

 

 そのよるにみたゆめはなんだっけってかんがえてると、アイスをたべおわったちなちゃんがつぶやいた。

 

「かみさまって、どんなみためなのかなあ」

 

「わかんない。もりにはいったひとをさらっちゃうから、こわいひとなんじゃないかなあ」

 

 つめたいアイスをたべてたのもあって、なんだかぞくぞくしたきぶんになっちゃった。

 

「でも、ほんとうにかみさまなんているのかなあ」

 

「おかあさんもいってたし、いるんじゃないの?」

 

 どういうことだろう。ちなちゃんはかみさまがいないっておもってるのかなあ?

 

 わたしはもちろんみたことがないし、きんじょのこもないっていってた。

 

 このはなしをするのがなんだかこわくなったわたしは、アイスののこりをほおばってたちあがる。あたりはずれもみないで、アイスのぼうとふくろをゴミばこになげいれる。

 

「ちなちゃん、あそびにいこう。よつばのクローバーさがそ」

 

 いつもわたしをひっぱってくれるちなちゃんのようすがへんなので、わたしからいう。

 

 ちなちゃんはぼうをくわえたまましたをむいてすわっていたけど、きゅうにくるりとふりむくと、

 

「みいちゃん、きょうはもりであそんでみない?」

 

 っていった。

 

「えっ!だめだよちなちゃん!あそこはかみさまのおうちなんだよ?」

 

 びっくりして、おおきなこえがでちゃった。

 

 そんなわたしをきにしないで、ちなちゃんはおおきなめでわたしのかおをのぞきこんだ。

 

「でも、みてみたくない?かみさまのすがた」

 

「それは、そうだけど…」

 

 わたしがゆらいだのをみて、ちなちゃんはわるだくみをするかおつきになった。

 

「だからさ、あそびにいくんだよ。かみさまにオニになってもらって、かくれんぼするの。ふたりでかくれて、かみさまにみつからないまま、ひゃくかぞえたらおわり。かみさまがあらわれて、ふたりともみつかってもおわり」

 

「で、でも、みつかっちゃったらどうするの。さらわれちゃうよ」

 

「ちなちゃん、かみさまにつれてかれちゃうのは、かみかくし、っていうんだよ。さいしょからかくれてるから、かみさまだってこれいじょうかくせないよ。こりゃいっぽんとられたって、わらってゆるしてくれるよ」

 

「そうかなあ」

 

 それってとんち?いいわけ?へりくつ?ってやつじゃないかなあ。

 

「それにさ」

 

 じぶんのアイデアにこうふんしてきたのか、ちなちゃんがはやくちになってる。

 

「かみさまもあのもりにひとりぼっちでさみしいとおもうんだ。だから、わたしたちがともだちになってあげよ」

 

「かみさまが、ともだち」

 

 わるくないひびきだね。もしなれたら、おかあさんにじまんできちゃうかも。

 

「それじゃあ、きまり!おひるごはんたべたらいくね。ママにはないしょだよ」

 

「うん」

 

 ひざをのばしてすっくとたちあがったちなちゃんは、アイスキャンデーのぼうをくちのまえにたてる。それ、”シー”のポーズなの?

 

「あ、あたり!」

 

 めのまえにつきだしたあたりぼうをみて、ちなちゃんはおおきなこえをだした。よりめのちなちゃんもかわいかった。

 

 

 

  ※※※

 

 

 

 あれからいえにかえって、おひるごはんをたべた。わたしはつめたいそうめんをおかあさんといっしょにたべた。

 

 たべてるときおかあさんに、

 

「午後もちなちゃんと遊ぶにいくの?」

 

 ってきかれた。うん、っていったら、

 

「そう。暑いから、早めに帰ってくるのよ」

 

 っていって、むぎわらぼうしとむぎちゃがいっぱいはいったすいとうをよういしてくれた。

 

「わかってると思うけど、絶対にあの森に近づいちゃだめよ」

 

 ちなちゃんがきて、いえをでるときに、げんかんでおかあさんがしんけんなかおをしていた。

 

「……うん」

 

 ごめんなさいおかあさん。うそをついたわたしをゆるしてね。ちなちゃんとないしょのやくそく、しちゃったから。

 

 わるいことをしたきぶんになって、いつもよりつよくげんかんのひきどをしめてきちゃった。だまってもりにいったことといっしょに、あとでごめんなさいしよう。

 

「ほんとにだいじょうぶかな?」

 

「みいちゃんはしんぱいしょう?だなあ」

 

 ちなちゃん、むずかしいことばしってる。

 

 わたしとちなちゃんはとことこあるいて、むらのはずれにあるもりのいりぐちまできた。あせがいっぱいなので、ハンカチでおでこをふく。むぎちゃのみたいな。

 

「ちなちゃん、ひとやすみしない?」

 

「わたしもそうおもってた」

 

 ちなちゃんははっぱでいっぱいのじめんにすわりこんで、しょっていたちいさいピンクのリュックのなかから、ふかふかのタオルをとりだした。そのままかおをゴシゴシとふいて、そのあとくびもとをこすっていた。

 

「もう、おしりよごれちゃうよ」

 

「もりにはいってかくれんぼしたらもっとよごれちゃうし、いいじゃん。それよりさ、ひとくちちょうだい」

 

 たったままのわたしをみあげて、てのひらをさしだしてきた。めせんはわたしのこしのあたり。

 

「しょうがないなあ…」

 

「えへへ、ありがと!」

 

 わたしはすいとうのふたをひねってあけて、コップがわりのそれにむぎちゃをそそいでちなちゃんにあげた。うけとったちなちゃんのりょうてはあせばんでいて、あつかった。

 

 わたしもちなちゃんのとなりにすわる。ちょうどこかげになっていてすずしい。

 

「なんか、こわくなってきちゃった…」

 

 もりはぶきみなほどにしずかだった。かぜがふいていないのか、はっぱのこすれるそよそよとしたおともしない。どうぶつのなきごえも、とりのさえずりも、むしのきもちわるいはおとも。

 

「そんなによわきだと、かみさまにすぐみつかっちゃうよ!」

 

 のうてんきにこたえるちなちゃんは、リュックからむしよけスプレーをとりだして、くびにふきつけはじめた。きのぬけたシューっていうおとがやけにおおきくきこえる。

 

「みいちゃんも、はい!」

 

「あ、ありがとう」

 

 りょううでりょうあしにまんべんなくスプレーしたちなちゃんは、あかるいえがおでわたしにかんをさしだしてきた。うけとったわたしは、おきよめをするきもちでスプレーをぜんしんにふきかけておいた。

 

 せめてかみさまのきげんをそこねませんように。わたしとちなちゃんをぶじにおうちにかえしてください。

 

 もりはしんとしていた。

 

 

  ※※※

 

 

 もりのなかにはいると、さむいくらいにひんやりとしたくうきがひろがっていた。

 

「さむいね、ちなちゃん」

 

「そお?わたしはちょうどいいくらいだけど」

 

 ちなちゃんはまだまだげんきなようだった。はじめはこんなかんじでおはなしをしていたけど、なんふんもあるいているとしだいにおしゃべりもなくなった。

 

「ねえ、どこまでいくの?ここらへんでいいんじゃない?あんまりおくまでいくとまいごになっちゃう」

 

「だめだめ。かみさまがおうちのおくにひっこんでたらわたしたちにきづいてもらえないじゃん。そしたらけんしょうのいみがないよ」

 

「そうかもしれないけど……」

 

 わたしはなるべくならあえないほうがいいんだけど…。

 

 とはいえなかった。あやしいふんいきにつつまれているこのもりから、すこしでもはやくぬけだしたい。

 

 さらにもうすこしあるくと、ちなちゃんがとつぜんあしをとめた。

 

「え!どうしたの!?」

 

「ここがいいかな!はじめよっ!」

 

 どうやらちなちゃんのセンサーにビビッときたらしい。わたしにはいままでのみちとかわらないけしきにみえるけど、ちなちゃんにしかわからないなにかがあるみたい。

 

「じゃあ、せつめいするね、かみさま!いまからわたしとみいちゃんの、ふたりでこのへんのきのうろとか、しげみのなかとかにかくれて、あたまのなかでひゃくかぞえる!そのあいだにかみさまがやってきて、ふたりともみつけられたらかみさまのかちだよ!はんたいに、かみさまがわたしたちをみつけられなかったら、わたしたちのかちだよ!」

 

 ちなちゃんがくびをさゆうにうごかしながらおおごえをだす。かみさまにルールせつめいしてる。

 

「せつめいおわり!それじゃあわたしたちかくれるから、めをつぶっててね!」

 

 おおきくいきをはいてそうしめくくると、ちなちゃんはわたしのほうをむく。

 

「みいちゃん、かくれよっ!」

 

「あのう、いちおうききたいんだけど、ふたりでおなじばしょにかくれるっていうのは……」

 

「そんなの、すぐにみつかっちゃうよ!かみさまも、きっとつまんないよ!」

 

「そ、そうだよね」

 

 とてもじゃないけど、こんなおそろしいところにひとりぼっちはこわい。そうおもってきいてみたわたしのしつもんのこたえは、もちろんだめだった。

 

「いくよ、みいちゃん、かみさま!よーい、ドン!」

 

 かくれんぼでもおにごっこでもかんけりでも、ちなちゃんはかけごえをあげてはじめる。そのことをしっていたので、さっきみたいにおどろくことはなかった。

 

 わたしはきのねっこでころばないように、あしもとをみながらかみさまにみつからないばしょをさがす。でも、ここはかみさまのおうち。しょうじきにいってどこにいてもかみさまにはつつぬけだとおもうけど、しょうぶにはてはぬかない。あわよくば、みつからないですむかもしれないから。

 

 あまりはなれすぎてもちなちゃんとはぐれてしまうので、はじめたばしょからそんなにとおくない、しげみのなかにかくれることにした。はっぱがくすぐったくて、えだはちくちくするするけど、わたしのにがてなむしのけはいはまったくしない。

 

 やっぱり、このもりなんかこわい。

 

 しげみのなかにうずくまって、じかんがすぎるのをまつ。むねがドキドキする。

 

 このきもちが、”きょうふ”っていうのかな。

 

 ――さんじゅうなな、さんじゅうはち、さんじゅうきゅう、よんじゅう。

 

 バクバクするしんぞうにせかされて、どうしてもカウントがはやくなっちゃう。わたしはしんこきゅうをはさみつつ、かずをかぞえていく。

 

 ――ろくじゅうに、ろくじゅうさん、ろくじゅうよん、ろくじゅうご。

 

 まわりはしん、としずまりかえっていて、みじろぎしたときになるカサカサというおとがいやっていうくらいおおきくきこえる。ついさっきしんこきゅうしたのに、かぞえるのがひゃくにちかづくにつれていきをするのがつらくなってきた。

 

 ――はちじゅうよん、はちじゅうご、はちじゅうろく、はちじゅうなな。

 

 しゃがんでいるのがきつくなってきて、あしがしびれてきた。このしげみのそとにはまったくべつのせかいがひろがっていて、にどとおうちにかえってこれないんじゃないか、おこったかみさまのうでがのびてきて、つれていかれちゃうんじゃないか。そんなふあんがたちこめてきた。けれど、かぞえるのをきりあげて、はやめにおわろうとはおもわなかった。

 

 ちなちゃんだってしんけんにやってるんだもん!わたしがずるしちゃだめだもん!

 

 ようちえんではじめてみんなにあったとき、ちいさいころからひっこみじあんだった(いまもちっちゃいけど)、まわりのこにちかづけなかったわたしに、はじめてはなしかけてくれたのはちなちゃんだった。

 

「みつみねみかちゃんっていうんだ!じゃあ、みいちゃんね!」

 

 したったらずなかわいらしいこえで、ちなちゃんはなまえをきいてくれた。わたしはちなみ!ってつづけておおきなこえでいうから、ほかのこたちがあつまってきた。わたしはずっとおどおどしてたけど、ちなちゃんがわたしもあわせてしょうかいしてくれて、みんなとともだちになれた。

 

「きょうからよろしくね!みいちゃん!」

 

「よろしくね、ち、ちなちゃん…」

 

「ちなちゃん!?はじめてそんななまえでよばれた!それじゃあわたしたち、ちなちゃんみいちゃんだね!」

 

 そのひからきょうまで、わたしはちなちゃんやほかのともだちといっぱいあそんできた。くだらないことでけんかして、ふたりしてわんわんないちゃうこともあった。いましていることみたいに、やったらだめってことをやって、せんせいにこっぴどくおこられたこともあった。でも、あれもこれもぜんぶ、わたしのたいせつなもの。わたしのたのしいおもいでなんだ。

 

 ちなちゃんはかえてくれた。ひとみしりでおくびょうだったわたしを、なんばいも、なんじゅうばいも、つよいわたしにかえてくれたんだ。

 

 ――きゅうじゅうなな、きゅうじゅうはち、きゅうじゅうきゅう、ひゃく。

 

 もうこわくない!あしのしびれも、いきのつかえも、きれいさっぱりなくなっていた。

 

 かみさまはこなかった。すくなくともわたしはみつからなかった。

 

 しげみのなかからでて、ふくについたはっぱをはらう。

 

 あのばしょにもどろう。ちなちゃんはいるかな?

 

 おなじようなきがいっぱいはえているけど、ものおぼえのいいわたしは、とくにまようことなくずんずんすすむ。

 

「このへん、だよね」

 

 さほどじかんもかからずに、スタートちてんにたどりついた。ちなちゃんのすがたはない。

 

「かぞえるのはやかったかなあ…」

 

 ちょうどよくそっているむきだしのねっこにすわって、ちなちゃんのかえりをまつ。

 

 このばしょがわからなくなっちゃったのかな。それとも、かみさまにつれていかれちゃったのかな。わたしがかみかくしにあうというきょうふをふりはらったあとから、ちなちゃんへのしんぱいがめばえてきた。

 

 たちあがってまわりをながめても、なんのけはいもない。

 

「ちなちゃん?ち…な……ちゃん…?」

 

 わかってる。ちなちゃんはいたずらずきだけど、じぶんできめたことはぜったいまげたりしないって、わかってるんだ。だから、わたしをこわがらせようっていじわるしてるんじゃないのはわかってる。

 だけど、もしそうだとしたら……

 

「ちな……………ちゃん……」

 

 ないちゃだめ!

 

 かみさまとかくれんぼたのしかったねって、ちなちゃんとわらっておわるんだ!けっきょくかみさまこなかったねって、えがおではなしながらこのもりをでるんだ!

 

 めのまえがぼんやりしてくる。いつのまにかひえきったわたしのほっぺたに、あたたかいものがつたう。

 

「ち…な……ぢゃあん!……ぢ……だ………ぢゃああん!…ぢ……だ…ぢゃああああん!」

 

 むねのおくでちくりとわいたふあんは、おおきくふくらんでわたしのなかからあふれだした。わたしはかおをなみだとはなみずでくしゃくしゃにゆがめながら、ちなちゃんのなまえをさけんだ。

 

 なんかいも、なんかいも。

 

 なみだがおきにいりのワンピースをぬらしても、はなみずがくちのなかにはいっても、のどがイガイガしてきても、かまわずよびつづけた。

 

 けれど、かえってくるこえはなかった。

 

 ちなちゃんは、かみさまにつれてかれちゃったんだ。

 

 かみかくしに、あっちゃったんだ。

 

 

 2

 

 

 あれから十年経って、私、三峰美嘉は十六歳になった。

 

 あの、彼女との最後の”かくれんぼ”をした日からちょうど、十年。私は再びこの村を訪れていた。

 

 近くの○○町から定期的(といっても二時間に一本程度だが)に出ているバスから降り、停留所から村の全景を眺めてみる。

 

 残酷なまでにあの日と変わらない、ただ畑と瓦の屋根の家がぽつぽつと並んだだけのかつての風景がそこにはあった。

 

 そして、今いるところとは村を挟んで反対側、村のはずれの方に、森。

 

 あの森であの日あったこと。あの日の光景が目の前に浮かぶ。息が苦しくなり、思考がまとまらなくなる。

 

 あの日までは、朝から晩まで彼女や友達といっぱい遊んで、楽しい日々であふれていた。

 

 しかし、あの日。彼女が失踪した、あの日。

 

 あの日を境に、過去を思い出すことをやめた。輝かしい幼年期の思い出を振り返ることを拒んできた。

 

 今でも忘れられないから。あの笑顔が。あの快活な声が。

 

 ふっと目の前に現れるかもしれない。いきなり「みいちゃん!」と呼ぶ声が聞こえるかもしれない。そんな淡い幻想を、抱かずにいられないから。

 

 そうして、今まで生きてきた。彼女と向き合うことから逃げ続けて今日まで生きながらえてきた。

 

 けれど、それももう終わり。今日で終わりにする。

 

 心に深い傷を負った私を、献身的に癒してくれた母。「美嘉ちゃんのせいじゃない。ちなみならそのうちひょっこり戻ってくるから心配しないで」と、誰よりも悲しいはずなのに私を赦してくれた彼女の両親。

 

 あの日から一週間後、逃げるように○○町に越してきた余所者の私を、温かく迎えてくれた小学校の同級生。辛いのならいつでも来ればいいと、冗談めかして言ってくれた保健室の先生。

 

 笑顔を見せず、クールで大人びたところが好きですと、中学二年生の時に告白してくれた新藤くん。高校に上がっても暗く、俯きがちな私に「俺にできることなら、何でも力になる」と相談に乗ってくれた今の担任の先生。

 

 私は一人じゃない。あの森のあの時とは違い、支えてくれる人たちがいる。

 

 胸に手を当て、深呼吸をする。頭の中がクリアになっていく。

 

 そして、茂みの中で震える私に勇気をくれた、彼女。私の大切な友達。

 

 今日、彼女をその人たちの輪に入れる。必ず、神様から取り返してみせる。

 

 待ってて。ちなちゃん。

 

 私は、力強い一歩を村に向かって踏み出した。

 

 

 ※※※

 

 

 十年前から現在までの間に、なにか進展がなかったかを聞くためにまず、ちなちゃんの両親に会いに行った。

 

 ちなちゃんの家は私が当時住んでいた家の隣だ。私の家はとうの昔に取り壊されているが、ちなちゃんの家は十年前と同じ場所にあった。

 

 両親のお二方にはあらかじめ連絡していたので、インターホンを鳴らすと快く応じてくれた。

 

「美嘉ちゃんが来るって聞いて、びっくりしちゃったわよ。本当に大丈夫なの?」

 

「はい、大丈夫です。ありがとうございます」

 

 ちなちゃんのお母さんは冷たい麦茶を出してくれる。透明なグラスには結露がうっすらと浮かび始めている。

 

「美嘉ちゃんが前を向けるようになって私たちも嬉しいが、もう娘がいなくなって十年も経つ。私たちは毎日森を捜索しているが、なにも見つからない。あの日身に着けていた帽子やタオルが落ちていないか、足跡が残っていたりしないかと探していたが、全て空振りだ。そういった痕跡すら見つけられない。娘の、ちなみのSOSを見つけて、やれないんだ」

 

ちゃぶ台に正座するちなちゃんのお父さんは下を向いて、体を震わせる。

 

 こちらからは見えないが、膝の上では血がにじむくらい両手を握りしめているのだろう。

 

「そうですか。なにも……」

 

「だから、美嘉ちゃん。どうか忘れてやってくれないか。良い意味でちなみのことを、胸の奥底にしまっておいてくれないか。こんなこと信じたくはないし、口に出したくもないが、ちなみは神隠しにあったと思って、もう二度と帰ってくることはないと踏ん切りをつけて、忘れてやってくれないか。その方がちなみもきっと喜ぶはずだ」

 

 お父さんはうつむいたまま、絞り出すようにして私に懇願した。

 

 ご両親が懸命に捜索しているというのに、煙のように消えてしまったちなちゃんのてがかりは掴めない。

 

 神隠し。ふざけて森でかくれんぼしたちなみちゃんを、神様がさらった。十年前は母に怖い話として聞かされていたけど、今となっては到底現実的ではない話だということは分かる。

 

 だけど、私やご両親は、冗談だと笑い飛ばすことはできない。

 

 間近で経験してしまったから。愛娘を奪われてしまったから。

 

 私は麦茶を一口頂き、慎重に言葉を選ぶ。

 

「お父さんの仰りたいことはわかります。私が無理をしてこの村に戻ってきたと思われているかもしれませんが、全く違います。あえてはっきり言わせてもらいますが、私はちなちゃんを、そして私自身を救いに来ました。神隠しにせよ、そうでないにせよ、はっきりとした決着をつけるために」

 

「決着……」

 

「そうです。私は真剣に、ちなちゃんを探します。それでダメだったら、もう一度探します。何度でも何度でも探して、必ず見つけ出します。それで、ちなちゃんと私の心を救うんです」

 

「だが……、分かった。ありがとう」

 

 ちなちゃんのお父さんはなにか言いたそうに言葉を詰まらせたものの、もともと下がっていた頭をさらに低くして小さくお礼をした。

 

「ただ、一人では危険だ。俺も行く」

 

「あなた……」

 

「大丈夫。無理をしなければどうということはない」

 

 お父さんはそう言い、、お母さんに支えられて立ち上がった。彼の顔に少しの苦悶と感謝の表情が浮かぶ。

 

「ありがとう。この通り、数日前の捜索で足をいわしてな。あまり頼りにならないかもしれないが、ちなみを探す目は多い方がいい」

 

「それなら、家にいらっしゃった方が……」

 

「ダメだ!」

 

 無理をしてでもついてくる意志を見せたお父さんに、私はやめておいた方がよいのでは、と言おうとした。

 

 が、不意の大声で遮られてしまう。

 

「あの森は危険すぎる。なにか、動物ではないなにかの気配を感じたことがあるんだ。美嘉ちゃん一人に行かせられない」

 

「……分かりました。一緒に行きましょう」

 

 ここで初めて、ちなちゃんのお父さんが力強い眼差しで私の方を見た。

 

 ふと、違和感を覚えた。慣れない地に越してきてから、近所の人たちに浴びせられた奇異の視線。あまり仲が良くなかった中学の同級生から注がれた、敵意の視線。

 

 それらと同じ属性を持つ視線が、目の前の男性から発せられたような気がした。

 

「あなた、私も行きましょうか……?」

 

「いやいい。美嘉ちゃんを訪ねに、ちなみが戻ってくるかもしれないからな。家で待っていてくれ」

 

 遠慮がちに聞くお母さんに、お父さんは軽口で返す。

 

 そのあまりにも慌てたような口ぶりに、私はさらに違和感を覚えざるを得なかった。

 

 

 3

 

 

 十分ほど歩いて、件の森の前まで来た。

 

 鬱蒼とした森だ。葉が風に揺れる音に鳥や虫の鳴き声が混じり合い、なにか得体の知れないものの囁き声のように聞こえる。

 

 鳥肌が立ってきた。

 

「美嘉ちゃん、怖いか?」

 

 前に立つちなみちゃんのお父さんが振り返って聞いてくる。

 

 彼は両手にハイキング用の杖を握り、背中に大きなリュックをしょっていた。

 

「いえ、大丈夫です」

 

 私はかぶりを振って返答する。

 

 ここでへこたれてどうする。あの日から今日まで、ちなみちゃんは私より怖い思いをしているというのに。

 

「そうか。じゃあ、行こう」

 

「はい!」

 

 私はちなみちゃんのお父さんに先導され、錆びついたフェンスの扉を開けて森の中に入っていった。

 

 

 ※※※

 

 

 三十分ほど歩いた。

 

 成果はなにもなし。落ち葉が積もる地面に、太い幹の木や低木、きのこなどが無秩序に伸びている空間がどこまでも広がっているのみだ。人の存在を示す痕跡は、なに一つ見つからなかった。

 

 私は十年前、かくれんぼをしにここへ来たが、森のどこでやったのかも分からなくなっていた。

 

「ふう。……やっぱり、なにもないな」

 

 少し開けた空間にやってきたので、休憩することにした。お父さんは手ごろな倒木に座り込み、リュックから水筒を取り出しながら呟く。

 

「そうですね。でもまだ探し始めたばかりです。ちなちゃんは奥の方にいるかもしれない」

 

「ははは、若いっていいなあ」

 

 そうぼやきながら、コップ代わりのふたに注いだ麦茶を一口すする。

 

「美嘉ちゃんもどうだい?間接キスが嫌ならいいんだが……」

 

 ふと、視線。

 

 あの苦手な成分を含んだ視線とともに、お父さんがふたを持つ手を私に向けてきた。

 

 なんでそんな目をするの?

 

 そのお茶を飲ませたいの?

 

「いえ……、私は持ってきた水があるので、お父さんが飲んでください」

 

 本能的に危険を感じ、私は断った。

 

 その瞬間、水筒のふたが水平に投げ飛ばされた。

 

「どうして俺の言うことが聞けないんだ!」

 

 勢いよく右腕を振ったちなちゃんのお父さんは、杖もつかずにすっくと立ち上がって怒鳴った。

 

 激昂。まさにそうとしか言い表せないような豹変ぶりだった。

 

「あの、ちなちゃんのお父さん……?」

 

「ちなみもそうだった!俺の言うことを聞かずに森に入った!俺が愛してやるって言ったのに!やだやだと言って聞かなかった!」

 

「なんの話を……」

 

 お父さんがちなちゃんに『愛してやる』?

 

 どういうこと?

 

「だからついていった!あれだけやめろと言ったのに森に入ったちなみを追いかけて、お仕置きしてやったんだ!」

 

「おし、おき……?」

 

 意味が分からない。分かりたくなかった。

 

 神隠しに遭ったと思っていたちなちゃんがお父さんに殺されていただなんて、頭が理解できなかった。

 

「俺はあんなにちなみのことを思っていたのに!あれだけ愛していたのに!一つになりたかったのに!そう思って愛の指導を徹底的に与えたら、ちなみは動かなくなった!」

 

 もはや自白だった。それはこの十年間、誰にも話せなかったことを話したいという、邪悪な欲の発散だった。

 

 気持ち悪い。私はただ率直に、そう思った。

 

「本当はあのとき、美嘉ちゃんにもお仕置きがしたかった!けしからん食べ方でアイスを食べる美嘉ちゃんに!森へ行こうと言って誘ってきたちなみを窘めなかった美嘉ちゃんに!」

 

 ちなちゃんの父親であるはずの男性が暴論を並べ立てる。

 

 もしかして、森に入る前に話してたとき、近くの畑で農作業をしていたのはこの人だったの?

 

「でも見つからなかった!……かくれんぼが上手だねえ、美嘉ちゃんは」

 

 ほぼ皮肉の褒め言葉も、一ミリも嬉しくない。

 

「でもやっと見つけた!戻ってきてくれた!これで美嘉ちゃんにお仕置きができる!!!」

 

 あの視線、私に害を加えようと企むネガティブな視線を隠そうともせず、父親はその顔に笑みをたたえる。

 

 この人、まさか私にまで乱暴を……。

 

「この薬を飲んでくれたら簡単だったんだけどねえ。飲みたくないって言うなら、仕方ないか」

 

 狂人と化したちなちゃんの父親が麦茶入りの水筒を地面に落とす。

 

 そして一歩、また一歩とにじり寄ってくる。

 

「痛くても、我慢するんだよお。だってお仕置きなんだから」

 

「いやあああああっ!」

 

 続く一言を聞く間もなく、私は叫んだ。

 

 叫んで、走り出した。

 

 走って走って、森を抜け出したかった。

 

 あの男から逃げたかった。

 

「まてえええ!」

 

 後ろから野太い叫び声が聞こえる。

 

 足を怪我したというのは嘘。自分の妻を引きはがして森で私と二人きりになるために、事前に仕込んでおいたんだ。

 

 足を必死に動かす男を後ろ目で見ながら、そう後悔させられた。

 

「はあ、はあ、まてえ!」

 

 幹をすり抜け、茂みを横切り、きのこを飛び越え。

 

 走る、走る。

 

 森を抜け出すために、あの男から逃げるために、私はでたらめに走った。

 

「待ってえ、美嘉ちゃん、優しくするからあ……」

 

 一段と気色の悪い声を尻目に、私は新品の靴が汚れるのもいとわずに全力疾走した。

 

 

 4

 

 

「はっ、はっ、はっ……」

 

 なんとか、あの男を撒けたようだ。

 

 でも、土地勘なんてあるはずない森の中を走り回ったせいで迷ってしまった。

 

「どうしよう」

 

 緩やかに走るスピードを落とし立ち止まると、思わず呟きが漏れる。

 

 夕方までにはまだ時間があるけど、はやいところこの森を抜け出したい。なにがいるかも分からない不気味な森に加えて、あの変態もいるのだから。

 

「はあ……」

 

 そうは言っても、打つ手段がない。飲み物や地図などを入れたかばんは、男から逃げるときに落としてしまった。今の私には、途方に暮れることしかできなかった。

 

 色々と疲れ、近くの幹に寄りかかる形でしゃがみ込む。

 

「夕方になれば、助けが来てくれるかな」

 

 ちなちゃんのお母さんはまともな人だと信じたい。いつまで経っても私が戻ってこなければ、捜索隊を派遣してくれるだろう。

 

 あの男が私を見つけるのと、どっちが速いかな。

 

「はあ……」

 

 そうしてもう一度、ため息をついたとき。

 

 視界の端に、白く光るものが映った。

 

「なに?」

 

 まさかあの男が来た?

 

 私は、思い切り頭を上げて発光源を見る。

 

「え……」

 

 しかし、目に映ったのは父親の姿ではなかった。

 

 一言で言うと、それは人間ではなかった。いや見た目は人間だけど、全身が薄く光っている。

 

 真っ白い肌に真っ白い装束を重ねた見知らぬ誰かが、いつの間にか私の数メートル先に佇んでいた。

 

「誰?」

 

 私は尋ねる。

 

 誰かさんはなにも応えない。おしろいをふんだんに塗ったかのような顔は表情を一切変えず、真っ黒な目はただ私を見ていた。

 

 その視線には、一切の感情がなかった。

 

「この森に住んでるの?」

 

 尋ねる。

 

 応えない。

 

「助けに来てくれた、の?」

 

 応えない。

 

「じゃあ、なにしに……、来た、の」

 

 応えない。

 

 理解できないことが立て続けに起こり、もう限界だった。

 

 涙がとめどなくあふれ、嗚咽が漏れる。

 

「どっか、行って……」

 

 泣き顔を見られるのが嫌で、再び塞ぎ込もうとしたその瞬間。

 

 ぴっ、と。

 

 誰かが、腕を持ち上げた。

 

「え……?」

 

 その華奢な腕は、お坊さんが着る袈裟に似た装束の厚ぼったい袖を持ち上げ、森の奥の方を指差した。

 

 ただ、ここがどこだか分からないから、村のある方角かもしれない。

 

「村の場所が分かるの?」

 

 改めて聞くが、誰かは応えない。

 

 ひょっとすると、話せない?人そっくりだけど、発声はできないのかもしれない。

 

 でも、方角を示してくれた。

 

 きっと私が、この先進むべき方角を。

 

「……ありがとうございます。そっちに行ってみることにします」

 

 私はせめてもの感謝をして、立ち上がった。

 

 それと同時に、誰かは上げっぱなしの腕を元の位置に戻す。

 

「行ってきます」

 

 最後にそう言い、私は歩き出した。

 

「あ……」

 

 数歩ほど歩いてから冷静になった頭が、とあることを思い出す。

 

 神様。

 

 あれが、神様?

 

 気になって誰かの方を振り返ったが、そこには誰もいなかった。

 

 

 ※※※

 

 

『臨時ニュースです。本日午後二十時すぎ、□□村在住の家永雅夫さんが、村のはずれの森の中で死亡しているのが発見されました。死因は全身を打撲したことによる失血死で、警察は当時の現場の状況と併せて捜査を進める方針です。また、当時一緒にいたとみられる十六歳の少女の行方は未だ分かっていません。警察と地元の消防団は引き続き、夜通しの捜索活動を行う予定です。続いてのニュースです……』


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