「朝……か」
夏油はカーテンから漏れる朝日で目を覚ます。
彼がいる場所はとある部屋の中、そこにある椅子に腰掛けている。
学生の時は長期任務などで座って寝ることも少なくなかったし、教祖になってからも呪霊集めで海外を放浪していた時は寝床の質もあまり良いとは言えなかった。
しかし毎日こうやって座って眠るのも少しキツい。
早いところこの部屋の主に毛布の一つでも貰えるよう交渉するか、或いは学院側に空き部屋を貸してもらえないか聞いてみるのもいいだろう。
ふと部屋の奥のベッドを見ると、この部屋の主にして今の夏油の主人ルイズが眠っていた。
幸せそうに寝息を立てて何かと寝言を呟いている。
「……まだ少し早いな」
カーテンの隙間から外を見ると、まだ陽の高さは低い。
ルイズを起こすのはもう少し後でいいだろう。
——洗濯だったな
夏油は振り返って昨日ルイズが脱ぎ散らかした衣類の入った籠を見た。
それを脇に抱え、ルイズが起きないようにそっとドアを開けて部屋を出た。
——水場はこっちだったな
この世界の文明を鑑みるに、洗濯機などないことは重々承知だ。
夏油は昨日空から見た学院の全体図の記憶を頼りに、洗濯ができそうな水場の方へと向かう。
するとその道中に人を発見した。
黒のワンピースに白いカチューチャとエプロンを身につけた少女。
この服装から見るにおそらくここのメイドだろう。
夏油はなんとなく十年前に出会った星漿体の世話係を思い出した。
見るとその少女も手には衣類が溜まった籠を持っていた。
おそらく目的地が一緒ならと夏油はその少女に話しかける。
「そこの君」
「はい? なんで……しょう」
想像して欲しい、こんな朝早くに見知らぬ全身黒い服を着た身長百八十超えの男が女性物の衣類を抱えて一人の少女に話かけている状況を。
夏油の顔が整っていなければ悲鳴が上がっていたかもしれない。
話しかけられた少女は警戒しながらも、相手の素性が分からない以上は失礼な態度を取らないように精一杯勤めていた。
「あぁ、怖がらせてすまない。怪しい者じゃないんだ。私は昨日ここの生徒に使い魔として呼び出された者だ」
「使い魔……あの、もしかしてミス・ヴァリエールが召喚したという……」
「そうそれ。夏油傑だ。君は?」
「あ、私はシエスタと申します。夏油さん、もしかしてその衣類はミス・ヴァリエールの……」
「そうなんだ。困ったものだよ。年頃なんだからもう少し恥じらいを持ってほしいね」
その後、二人は話しながら学院内の水場に到着し、一緒に衣類の洗濯を始めた。
すでにその場にいた他のメイド達とも少しの会話を交わす。
どうやら夏油の整った塩顔と人当たりの良さがメイドたちにかなり好印象だったようだ。
帰り際、彼はシエスタたちに厨房での朝食に誘われた。
特に断る理由もなかった夏油はそれを承諾し、ルイズを起こすために部屋へと戻った。
部屋までの道中、夏油はあのシエスタという少女について思うところがあった。
——彼女の顔立ち……他の人たちと比べて少し違ったな。それも私が馴染みのあるような方向に……気のせいか? この世界の人種に関してもまだよくわかっていないしな
夏油はとりあえずシエスタのことについては頭の隅に置いておいた。
次に思い出すのはメイドたちとの会話だ。
聞くところによると彼女たちは全員平民だそうだ。
貴族が洗濯などやるはずがないため当たり前といえば当たり前だが。
——平民……つまり貴族じゃない……貴族とはメイジ……魔法を扱える者……つまり術師……じゃあ魔法を扱えない平民は非術師……非術師は……
「猿」
パチンッ、とその場に音が響いた。
夏油が自分の頬を手で叩いたのだ。
「ブレるな……! 自分の原点を思い出せ!」
夏油が非術師を嫌い、存在を憎む理由、それは彼らの性質にある。
呪いを垂れ流し、呪霊を生み出すにも関わらずそれを知らぬ無知、知ればさらに呪いを垂れ流す悪循環。
彼らの為に呪霊を祓って翻弄する術師たちによる平和に胡座をかき、あまつさえ迫害する傲慢さ。
ただマイノリティであることだけを理由に強者が弱者に虐げられる不条理。
その不条理によって命を落としていく仲間たちの現状に耐えることが出来ず、夏油はかつての仲間たちとの決別を選んだ。
だがこの世界はどうだ。
呪力がないこの世界では非術師……平民から呪霊が生まれることはない。
つまり夏油が非術師を嫌う理由がこの世界にはないのだ。
あくまで夏油が望んだのは”崇拝”ではなく”選別”だ。
強者が弱者の割を食うことのないよう、全ての人間を呪術師という強者へと導くことこそが彼の目的だった。
この世界に、それを行う必要はない。
マイノリティである強者がその特権を存分に享受している。
「そうだ……ここは私がでしゃばる必要もない……大義を翳す必要もない……」
夏油はまたルイズの部屋に向かって歩き始めた。
「理想の世界だ」
「起きるんだ、ルイズ」
夏油がルイズの肩を軽く揺らすと、彼女は数度のぐずりの後に目をこすりながら描き起き上がった。
「おはよう、ご主人様」
「うーん……あんた誰?」
「あなた様にお仕えする使い魔でごさいます」
「使い魔……あー」
そこまで言われてようやく彼女の頭が晴れ出したようだ。
大きな欠伸だともに眠気を吐き出すと、ちょこんとベッドに腰掛けた。
「私が呼び出したんだっけ」
「そう、さ、水は汲んでおいたから顔を洗って着替えるんだ」
夏油はルイズの背中を押しながら、水の溜まった桶の方へと誘導する。
彼女は促されるままに桶までヨチヨチと歩き、水で顔をバチャバチャと洗い流す。
ようやく意識をハッキリさせたルイズは夏油の目の前に立つと、背を向けて手を左右に上げる。
どうやら何かを催促しているようだ。
「服」
「……?」
「着替えさせて!」
「……あぁ」
夏油が理解したことを確認すると、ルイズは目を瞑って彼が着替えさせるのを待った。
しかし数秒待っても彼の手が自分の衣類に触れることがない。
ルイズは何かと思って振り返ると、すでにそこに夏油はおらず、彼は部屋のドアを開けて今にも廊下に出ようとしていた。
「ちょっと! どこ行くつもりよ!」
「そういう自分で出来ることは自分でやりなさい」
「なっ!!?」
ルイズが驚くのを他所に、夏油はすぐさま部屋から退散した。
残されたルイズは怒りで顔を歪ませ、地団駄を踏みながら憤慨する。
そして近くの物に八つ当たりしようと足を振り上げた。
「なんなのよアイツ!! わぁっ!!?」
しかし目の前にあったのが水の溜まった桶であることに気付くと、慌てて足の軌道を変える。
その結果彼女はバランスを崩し、その場に勢いよく尻餅をついた。
「うぎゃっ!!?」
朝っぱらから少女の不恰好な悲鳴が廊下にまで響いた。
「うぎゃっ!!?」
夏油が廊下に退散してすぐに、部屋の中からルイズの悲鳴が聞こえてきた。
——……さすがに着替えくらい一人で出来るよな?
などと少し心配になりながら廊下の壁にもたれかかっていると、となりの部屋のドアが開いた。
「あら?」
出てきたのは燃えるような緋い髪に褐色の肌、グラマラスな体型とそれを見せつけるように服をはだけさせた女性だった。
「あなた確かルイズが呼び出した平民の……」
「夏油傑だ。よろしく」
「あら、よろしく。私はキュルケ、微熱のキュルケよ。ふーん……改めて見るとなかなかいい男ね。背や体格も良いし……ちょっと羨ましいわね」
そう言いながらキュルケは値踏みするように夏油を観察していた。
夏油は特に動揺することなく見られるがままだったが、突然横のドア……つまりルイズの部屋のドアが勢いよく開く。
「こぉらキュルケ!! 人の使い魔に色気使ってるんじゃないわよ!!」
「おはようルイズ。使う色すらない娘の嫉妬は見苦しいわねぇ」
「なんですってぇ!!!?」
「ミスタ・ゲトーもこんなちんちくりんが主人はいやよねぇ?」
「うるっさいわねこの痴女!! 大体人の使い魔を勝手に名前で呼ぶんじゃないわよ!」
「違うよルイズ。私はこっちで言うならスグル・ゲトーだから、名前はスグルの方だよ」
「あらそう? なら改めてミスタ・スグルとお呼びしても?」
「別に構わないよ」
「あんたはちょっと黙ってなさい!!」
朝から廊下で騒がしく騒ぐ三人、主にルイズだが、キュルケはそんなルイズを挑発するためかさらに自分の使い魔を呼び出した。
「スグルもなかなかいいけど、やっぱり使い魔といえばこうでなくっちゃ。おいでフレイム〜」
すると部屋の奥からのそりと熱気を放つ赤い大トカゲが現れた。
「これってサラマンダー?」
「そうよ〜。見て、この立派な尻尾! ここまで鮮やかで大きい炎の尻尾は、
間違いなく火竜山脈のサラマンダーよ!」
その言葉と目の前の使い魔を見て、ルイズは羨ましそうに悔しがった。
「へぇ、ここにはそういう種類の動物があるんだね。撫でてもいいかい?」
「ええ、構わないわよ」
夏油は少し屈みながらフレイムの頭を優しく撫でた。
フレイムは気持ちよさそうに目を閉じて、顎を撫でればさらに喜んで身を任せた。
ルイズはそんな使い魔たちを見比べて歯噛みした。
『メイジの実力をはかるには使い魔を見よ』
この言葉の通り、目の前の巨大なサラマンダーはキュルケの高い実力を如実に物語っている。
では自分はどうだ。
目の前の平民こそが自分の実力の写しだとでもいうのか。
「ッ!! ほら! そんなことやってないで早く行くわよ!!」
ルイズはそう叫んで夏油の服の裾を掴み、キュルケとフレイムから引き離した。
「早く食堂に行くわよ!!」
為されるがまま引っ張られていく夏油にキュルケが「またね」と言いながら手を振っていた。
『アルヴィーズの食堂』、そこは食堂とは思えないほどに華やかな造りだった。
いかにも貴族趣味といった煌びやかな装飾が施された食堂内には、百人は座れるような大きなテーブルが三つ並べられている。
どうやら学年ごとに分けられているようだ。
「すごいな」
初めてそれを見た夏油は素直な感想を述べた。
「本当はここは貴族しか入れないからね。でも感謝しなさい。使い魔のあなたは特別に……」
「あ、悪いルイズ。実は今日の朝にメイドの人たちから厨房へ招待されているんだ。だから私は一旦離れるよ。食べ終えたらすぐに戻るから」
「え」
夏油はルイズの言葉を遮って話し終えると、呆けるルイズを置いて厨房の方へと歩いて行った。
残されたルイズはもう怒る気力もなく、トボトボと自分の席の方へと歩いて行く。
席に座り足元を見ると、そこにはみすぼらしいスープと硬そうなパンが置かれていた。
これを夏油に与えて主従の関係をわからせてやるつもりだったのだが。
少しぼーっとしていると、目の前にキュルケがやってきて席に腰掛けた。
「あら、スグルは一緒じゃないの?」
「……うん」
「ふーん。私はフレイムと一緒に来たわよ。ね? フレイム」
キュルケはそうやって足元に向けて話しかける。
ルイズもつられて下を見ると、彼女が用意したパンとスープを見つめているフレイムがいた。
「……欲しいのならあげるわよ」
「あら、ありがとう! よかったわねフレイム」
「……はぁ」
目の前に次々と用意されていく料理を前に、ルイズは深いため息をついた。
一体どうすればあの使い魔に主従関係をわからせることが出来るのだろうか。